第五章 不穏とスイセン

「どうして、こう、なってるの。そんなこと、こんなこと、って」

 私は思わず地面に膝をついてしまう。何が、一体どうして、こんなことになっているんだ。旅をするまでは、つい数週間前まではそこにあったはずの景色。けれども今は、工事がなされたような綺麗に整備されたアスファルトの地面だけがそこに残されている。どうして、どうして。なんとなく何かが起こるとわかっていたはずなのに何故、私はこんなわけのわからない世界に突然連れてこられて、何のリスクもなく家を離れて旅ができると思ったのだろうか。

「全部、なくなっちゃったのかな」

 隣で私と同様に茫然自失になってあずきは佇む。全部、無くなってしまったのだろうか、何もかも。どうしたら、いいのだろうか。もう私達以外、誰もいないのだろうか。私の頭の中で今までの私達の行いをないがしろにするような否定的な言葉が飛び交う。

 私は結局何が、

「あれ?」

 なんだ?素っ頓狂な声がしたので隣を見るとあずきが前に顔を向けている。

「どうしたの?」

「みやちゃん」

 あずきが私の肩をたたく。

「全部って訳じゃないかも」

「え?」

「あれ、見て」

 あずきが遠くを指でさす。顔を上げてもう一度目の前にある光景を見ると奥の方にぽつぽつと建物が建っているのが見えた。

「遠くには割と残っているのね」

「うん。そうみたい。でもね、みやちゃん。見てほしいのはこっち」

 あずきはそこから少し指先を移動させる。

「あれは……」

 私はあずきの指先を追う。指先を追ってみるとそこには馴染みのある屋根と薄茶色のカフェオレみたいな壁の色をした建物が見える。

「私の、家?」

「うん、きっとそうだよ」

 あずきは確かな自信を示すためにこくりと首を縦に振る。

「きっと。だからみやちゃん、まだ絶望するのは徳じゃないよ。一度家の方に戻ってみようよ。それでなかったら、その時考えよ」

あずきの顔の文字が「希望」になり、その文字は私へと降り注がれる。そうだ。諦めてはいけない。もう一度顔を上げ私は立ち上がる。まだ諦めてはいけない。進むんだ、京。

「そう、ね。そうよね。ありがとう。あずきちゃん、元気になった。無かったらその時に考えればいいのよね。そう、よね。そうね。そうと決まれば、直ぐに行きましょう!」

「うん!」

 すぐさま私達は歩幅を合わせて家の方へと向かった。



  あそこで絶望することなく、家に戻った私達を褒めたたえたい、と思う。だって今、こうして更地になった土地にポツンと見慣れた小さな黒色の門に見慣れた薄茶色の壁、数種類の花が植えてある庭や車一台が置ける小さな車庫がある一軒家が建っているのが目に見えるのだから。

「みやちゃん! あった! よかったぁ。あったよ! 私達の家が!」

 私の体にぎゅっとあずきが抱き着く。押され過ぎて少し苦しいけれど、私も同じ気持ちだ。とりあえずは、助かったことに私は物凄く安堵する。

「よかった、本当によかった」

「みやちゃんのお陰だよ。ありがどう。こうじでまた見つけるごとができで」

 うぇぇぇんとあずきは泣きじゃくる。

「私は何もしてないわ。あずきちゃんが諦めないで私を励ましてくれたお陰よ。それに、まだ問題は一つも解決してない。まずは、家に戻って一息ついて今後のことを話し合いましょう。私達の家もいつ無くなるかわからないんだから」

「そうだね」

 頬を垂れる涙をあずきは拭く。

「ようし。気を取り直して早速計画を立てよう!」

「ええ」

 私達は門をくぐり家の中へと入った。

  


「それじゃあ、一通り話し合った今後のことについて纏めるけどいい?」

「うん」

 食卓を挟み、向かいの席に座っているあずきが反対側に座る私に向かって前のめりになる。

「ok。じゃあ話すわね。まず、このままだと私達は無くなった建物みたく消えてしまうかもしれないから、もうここには戻らない前提で直ぐに出発する」

「うん」

「で、出発は旅の疲労を考慮して、早くて明後日。遅くて明々後日。それまでに各々荷物をまとめて出発の準備をする。ここまではいい?」

「うん」

「よし。次に、向かう先なのだけれど、前回と同じくとりあえずは、北上する。これはドリーマーランド側から南、つまり私達の家の方に戻るごとに更地になる現象が強くなったという理由から、南側からこの現象が進んでいっているのではないかという仮説を立てて」

「うん」

「今決まっているのはこれだけね。他に何か案とかある?」

「異論は無しです!」

 勢いよくあずきは右手を上げる。

「じゃあ、この予定で行きましょう。とりあえず今日は旅の疲れもあるし、ゆっくり休むとして、また明日から行動しましょう。それと、何か家の中で異変に気づいたらすぐに連絡して」

「了解!」

 あずきは右手をまた勢いよく下ろした。

 いくら緊急時だからと言って、すぐに焦ってはいけない。急いては事を仕損じる、だ。まずはゆっくり休みながら旅の思い出に浸るとでもしよう。私はインスタントコーヒーを注いで口につける。ようやくなんだか家に帰ってきた、という実感が湧いてきた。

 


  翌日になり、私は家に別れを告げる前にできる限り自室や他の部屋の掃除をした。

「終わった?」

 もうすぐ夕暮れに差し掛かる頃、遅れを取り戻すべく自室で出発の準備をしていると、リビングのソファでそれまでじっと私の部屋から持ち出した少年漫画を読んでいたあずきがやってくる。

「掃除の方はね。でも、旅の出発の準備はまだ」

 私は目の前にあるリュックに目を落とす。大掃除、というものはいつ何時も思った以上に効率よく進まないものだ。だって、やっている内にあれやこれやと思い出の品が沢山出てくるものだから。結局今日のところはほとんど事が進まずになあなあなまま終わってしまった。

 そんな少し後ろめたい気分の私を見てか、あずきはさも自身がありげにむふんと唸り腰に手を回す。

「みやちゃんや、私はもう出発の準備をほとんど終えたよ。後は洗濯している服を畳んで入れるくらいになったのだよ」

「ほんとに?」

 私は訝し気にあずきを見つめる。今までギリギリになるまでやらなかったのに?

「ほんとなのです」

 えっへんとあずきはまた唸り顔の文字を「自信」にした。なんてことだ。冗談だと思ったが、この態度を見るにあずきは確実にほぼ準備を終えている。失礼だけれど私は驚いてしまう。てっきりずっと今日は起きてからソファでゴロゴロしているものだと思っていたからなんだか意外だ。それに今まで触れ合ってきて分かってきたあずきの性格上、平然とテキパキ事を澄ましていることも拍車をかけて余計に意外性を感じてしまう。

 そんな思いが私の顔に出ていたのか、私の滲み出る何かに気づいたあずきの顔の文字が途端に「怒」へと変わる。

「あ! もしかしてみやちゃん、私がまだ準備してないと思ったでしょ?」

 ご名答。私もあずきみたく顔に何か書いてあったのかもしれない。

「だって、いつもあずきちゃん、ギリギリじゃない」

 私は失礼なのを承知で思わず反論をしてしまう。

「ひどいな~もう~少しは信頼してくれてもいいじゃん」

「ふふっ。ごめんなさい」

 そう言うなり一層遅れを取り戻すべく、引き続き私は出発の準備に取り掛かる。そういえば。こんな時であるが私はふと思い返す。あずきに聞いておかなければいけないことがあるのだった。

「ところで、あずきちゃん」

 座ってリュックに色々と詰め込んでいた手をまた止めて、私はあずきを見上げる。

「うん?」

「旅の準備ができたのは凄いことなのだけれど、他には色々と準備とかってやってる?」

「他の準備って?」

 あずきは顔の文字を「疑問」にする。その準備、というのを私が言うのはなかなか気が引けてしまう。だってわかっていても口に出すのは、自分に言い聞かせているみたいで、なんだか辛いから。

「その、お別れよ。色々と。自分の住んでいた場所とかに」

 それを聞くなり直ぐにあずきの顔の文字が「明」になる。

「あぁ」

 声のトーンからあずきのテンションが一段階落ちたのがわかる。

 前々からだが、私はあずきのプライベートについて少し気になっていたのだ。あまり立ち入った話は聞こうとは思わないが、流石に私はあずきのことを知らなさすぎる。せめて通ってる学校だったり、家の場所であったりは後々のために聞いておいた方がよさそうだとは思っているのだが、出会ってから今まで話す機会がなかったので今の今までそのままになっている。

 だからこの機会に日頃の私なりの彼女への感謝と後々のために家を知っておくという意味も込めて、せめて住んでいた場所との別れくらいは手助けをしてあげたい。あずきがここから徒歩で行ける場所に家があるということはこれまでの話を統合するとなんとなくわかっているし、別段彼女が嫌がらなければ、だが。

「私は、」

 あずきはそこで一幕置いてうーんと唸った後、答えを出したかのようにピンと人差し指を立てた。

「私は、いいや。お別れは初めてみやちゃんのお家まで徒歩で来た時点で済ませてるし」

「本当に?」

「うん、心配してくれてありがと」

「あずきちゃん、お節介でなければなのだけれど、もし遠くにお家があるのなら、私も何日もかけてついていくわ。これは本当よ。そのくらい、もう家には戻ることはできないって断言しとく」

「……」

「何か帰れない理由があるなら打ち明けて。大丈夫よ」

「ごめん、みやちゃん」

 あずきは申し訳なさそうに手をこすり合わせる。

「心配してくれてありがと。でも、私は大丈夫だから。なんか変に気を使わせちゃってごめんね。大丈夫」

「そう、ならいいのだけれど」

 普段の明朗快活な声とは違い、少し弱弱しいあずきの声に驚きながらも私はそれ以上詮索するのは辞めることにする。だって、誰しも守りたい秘密なんて沢山あって当然だろう。仕切り直すために私は話題を切り替える。

「じゃあ、これからの予定をもう一度確認したいのだけれどいい?」

「勿論!」

 さっきの調子を取り戻すかの如くあずきは私の目の前で大きくサムズアップをする。

「それじゃあ確認するわね」

 さっきのテンションと今のテンションとでギャップ差が大きすぎて風邪をひきそうになってしまいそうだ。私はいそいそと確認事項をまとめたメモをポケットから取り出し読み上げていく。

「本当は明日出発をしたいのだけれど、これに関してはごめんなさい。私が下手に色々と整理をしてたせいで全然出発の準備ができてないの。だから出発は明後日になりそう。いい?」

「勿論だよ!みやちゃんにお任せいたします」

 あずきは私に向かって敬礼をする。好きだね、敬礼。

「ありがとう。それで、これは今日色々と考えて思ったことなのだけれど、寝泊まりについてもちょっとお話があるんだけれど、いいかしら?」

「寝泊まり? 前みたいにホテルに泊まるんじゃないの?」

 あずきは顔の文字を「疑問」にする。

「ええ。私もできればそれがいいと思ったのだけれど、この状況から考えて、いくら一番避難しやすい階に宿泊するからと言って、いつ何が起こるかわからないのが現状じゃない?だから、ホテルに泊まる代わりの案として前にも提案した野宿がいいんじゃないかと思うの。あずきちゃんが嫌じゃなければ、だけれど。でもその方が何か起こった時に安全を確保できるから。流石にシャワーとかはホテルを使ったりして寝るときだけは外っていう形になると思うのだけれど」

「私は全然okだよ。でも野宿ってなるとテントみたいな重い荷物はどうするの?前にみやちゃん、試しに持とうとしたけれど重くて持てなかったよね?」

「ええ。だから今回は前みたいなテント一式ではなくて寝袋だけを持っていこうと思う。この数か月、私達がこの世界にきてから一日も雨が降ってないし、夜の気温もこれから冬になるからかなり寒くはなるとは思うけれど、今は特に寒くないから、とりあえず色々と考えが纏まるまではこの案で行こうと思うのだけれど、どうかしら?」

「みやちゃんがそう言うなら、私は大丈夫だよ!そうだね、いざという時はその時でまた色々と考えよう!」

 あずきの顔がくるくると回転し「賛成」になる。よかった、快く受け入れてくれて。

「ありがとう。じゃあ、この手筈でいきましょう。とりあえず明日追加でやることとしては以前持ってきた寝袋の準備ね」

「みやちゃんは明日色々自分の準備しててよ。私、あと少しだけだから寝袋の準備は任せて」

「苦労かけるわね」

「いえいえ~何のこれしき」

 あずきはお辞儀をする。

「it`s show time,だよ。みやちゃん」

 


  あっという間に気づけば翌日へと変わり、私達は出発に向けて色々と準備を始めた。幸いなことに昨日とは打って変って、あずきが色々と進めてくれたお陰で私の準備もかなりスムーズに進んで、夕方には二人共無事に手持ち無沙汰になることができた。

「お疲れ様」

「お疲れ~みやちゃん」

 もう彼女の定位置になりつつあるリビングのソファでぐったりと寝転んでいるあずきの隣に私は腰かける。

「これ、アイス。よかったら食べて」

 私は袋の中からストロベリー味のカップアイスを取り出してあずきへと渡す。

「お~ありがと。買い出し、行ってくれたんだ。起こしてくれたら良かったのに」

 受け取るなりよっこらせ、と勢いよくあずきはソファに反動をつけ体を起こして座る。

「私、疲れてる人を起こすほどそんな人でなしじゃないわよ」

「おお~かっくいい。じゃ、アイス、いただくね~」

「どうぞ」

 アイスの蓋を外し、備え付けのプラスチックのスプーンを使ってあずきは球体部分へとアイスを流し込む。

「うう~ん。美味しい。これは、えーと何味だ。あ!ストロベリー。ん~。美味しい」

「食べてから蓋を見て味を確認するのね」

「だって私、味音痴だから。高らかに味を宣言して間違ってたら嫌じゃない?」

「まぁ、そうだけれど」

「でしょでしょ。それに、このアイスは私、ストロベリーだって、食べて分かったよ!わざわざお高いアイスを選んだ甲斐がありましたな~みやこちゃん。ありがと」

「いいのよ、別に」

 みやこちゃん?なんだか少し温かみのある声に私はドキッとする。あずきにそう呼ばれた気がしたが、気のせい?驚いて、私は隣を見る。

「ん、どしたの?みやちゃん。」

 しかし、勢いよく振り返ってもあずきはアイスのスプーンを咥えたまま私を見つめているだけだった。

「いえ、何でもないわ。」

 どうやら私の気のせいだったみたいだ。私はまた正面に顔を向ける。今日は体を良く動かしたから疲れているのかもしれない。

「う~ん!美味しかった~なんか、アイス食べたら一気にお腹空いてきたよ。今日の夜ご飯何にしようかな」

 少し時間が経ってアイスを食べ終えたあずきは名残惜しそうにあ空になったカップアイスの底を眺めながる。それを見るなりさっきまでの私の誤認も霧散していき、私も会話の餌に引っかかる。

「それに関して今日は悩む必要はないわ。なんせ少し特別なものを買ってきたから」

「んぇ、何?」

 あずきの視線がカップアイスの底から私の顔に変わり、顔の文字を「期待」にして私を見つめる。それを見るなり私は地面に置いたレジ袋を持ち上げる。

「これよ」

「そ、それは!」

 某、家の掘り出し物を鑑定し値段をつける番組で値段が開示される瞬間みたいに、あずきの顔の文字がどぅるどぅるどぅるどぅると変わり「驚嘆」になる。

「お肉よ。今日くらい食べましょう」

  

「いえーい、えーいやっきにくいえ~い、いえ~い」

 食卓に並べられた白いお皿にのせられた四角いサイコロステーキをあずきは次々に球体部分へと運ぶ。

「一気に食べ過ぎちゃだめよ。喉に詰まるから」

 私も箸を使って口内へと肉の塊を運ぶ。合成肉なので、なんだか少しお肉とは違う味がするけれど、これはこれで美味しい。

「美味しいね~お肉」

「でも、やっぱり本当のお肉の方が美味しいわね」

 再び箸を運び、私は次の肉へと手を出す。

「みやちゃん、こういうのは雰囲気が大事なのだよ。何を食べるか、よりも誰と食べるか、だよ」

 あずきはフォークを使って肉を二つ、三つとつなげてまた口に運ぶ。

「それ、間接的に本物の肉が良かったって言ってるみたいよ」

「たはー、まぁまぁ。でも、美味しいよ。このお肉」

 今度は並々に注がれたオレンジジュースを片手に担ぎ、あずきは口元へ持っていく。

「んかぁ!にしても、今日はやけに豪華だねぇ。今日はなんか特別な日だっけ?」

「ううん。今日は何の日でもないわ。ただ、今日が最後だから。ここで過ごすの。だからちょっと豪華にしただけ」

「しばらくってだけで戻ってこれる可能性だってあるでしょ?」

 あずきはまた肉を頬張りつつ首を傾げる。

「そうだけれど」

 けれど、なんとなく察してしまう。自然とのし上がってくる気持ちを押し殺したくて私は天井を見上げる。もうここには戻ってこられない。慣れ親しんだ、生まれたときから住んでいる場所。私が生まれたときから高校に入学するまでの身長が刻まれている柱、これでもかと落書きした沢山の壁や扉、好きなキャラクターのシールを貼った冷蔵庫、大好きな両親が小さいころたくさん読み聞かせをしながら寝かせてくれた寝室。沢山の思い出が詰まった我が家。思えば、なんで私はこんなにも愛しいものを手放そうとしていたのだろうか。でも、今は置かれている状況が違うからそう思うのだろうな。元の現実に戻ったらきっと気にも留められないくらい苦しくなるのだろう。私は瞳を閉じて、また開け天井を変わらず見つめる。でも、やっぱり今は胸が苦しい。

「いっぱい、いっぱい愛して愛された。そんな愛しいお家だったね」

「え……?」

 誰かの声が、聞こえた気がする。思わず向かいの席にいるあずきを見る。

「?どったのみやちゃん?」

 けれど、彼女はいつものまま、美味しそうにご飯を食べている。やっぱり今日は疲れているのかもしれない。でも、

「うん、大好きだったんだよ。大好きなんだよ」

 平静を装った私の思考は乱れ、言葉が漏れる。疲れているなら、この際とことんだ。 

「そうだね。そうだった。いつだって貴方は毎日頑張ってたもんね」

 誰かわからない声が頭の中で共鳴する。

「頑張ってたさ、頑張ってたけど、しんどかったのも本当よ。ごめんなさい。ごめんなさい」

「謝る必要なんてないのに。大丈夫。よく頑張ったね。もう大丈夫」

「うぅぅぅ。くぅぅぅぅ」

 誰の声かもわからない声に導かれるまま私はそのまましばらく泣き崩れた。

  

  ようやく涙がある程度零れ落ちたところで顔を上げると、いつもと立ち代らぬ顔つきであずきが私を見ていた。

「大丈夫。ティッシュいる?」

 あずきがティッシュケースを差し出す。

「ありがと。ごめんなさい。ちょっと、色々と思い出しちゃって」

 一枚ティッシュを貰って、私は鼻をかむ。

「そりゃそうだよ、だって十七年もこの家にいたんだから」

「そうね、ってあれ?私あずきちゃんに生まれてからずっとこの家にいること言ったっけ?」

「さっき泣いてた時に言ってたよ。生まれてから~って」

「そうだったのね」

 泣きすぎて自分が何を言っていたのか覚えていないことに驚いてしまう。

「みやちゃんが急に泣くから私。びっくりしちゃって」

「ごめんなさい、心配かけて」

「いいの、いいの。謝らなくて。でもね、みやちゃん。諦めちゃだめだよ。全部が終わったらまたここに戻ってこよ。そんで今度はここで本物のお肉食べようよ」

「うん、ありがと。あずきちゃん。でもそれ映画で死ぬ直前の兵士が言うやつよ」

「あれ?そうだっけ。」

 あははははとあずきは顔の文字を「希望」にして笑う。

「けれど、そうね。あずきちゃんの言う通りだわ。まだ元の世界に、」

 元の世界に帰っても、あの地獄のような日々がまた戻ってくるだけだぞ。心の中で私が囁く。でも今は前に進むしかない。またティッシュを一枚取り私は鼻を噛む。やってみないと、わからないじゃない。

「元の世界に戻る可能性はあるよ、絶対。やれるだけやってみようよ」

 滞った言葉を押すようにあずきが呟いた。



  翌日、私達は自宅としばしの別れを告げた後、前の旅と同じく線路を辿って北へと向かった。そこからは流れるように時が経ち、特にこれといった出来事も全くなく、出発してから一か月半が過ぎた頃、私達は進路を北から西へと変えた。

 あずきの判断でせっかくだからと久しぶりに観光地へと向かうことになったのだ。この一か月半近くの間、会話もあまり弾むことなく、人の痕跡や住む気配も全く見受けられないことに少なからず気分が落ちていた私達にとってこの判断はせっかくの気分転換にはちょうど良いものだった。そうしてそこから更に数週間ほどかけ、ようやく私達は目的地である日本古来の有名な文化物がたくさん存在することで有名な県へとたどり着いた。

「やっと着いた~もう、くったくただよ」

「疲れたわね」

 大きな吹き抜けのある駅の改札口を抜け、すぐに私はよっこらせ、と側にあったバス乗り場のポール状になった車止めに腰を下ろす。

「来てみたはいいものの、これといってやっぱり人がいる印象はないね」

 あずきは腰を左右にひねらせてあたりを見渡している仕草を取る。

「ええ」

 それに準じて私も早速、周辺を見渡してみる。けれども碁盤の目のようになっていて見渡しがいいせいか、小学校の修学旅行以来に訪れた全く土地勘のない私でも建物がどこに無いのかがはっきりと分かる。

「みやちゃん、これからどうしようか。とりあえず言ってた場所に行ってみる?それとも野宿できそうな場所を探す?」

 私の隣にある車止めにあずきが腰かける。

「まだまだ日暮れまで時間があるし、あずきちゃんの行きたい場所に行きましょうか」

「了解」

 そう呟いて立ち上がるなりあずきは手早く一歩を踏み出す。その後ろを私も立ち上がってひたひたと付いていく。

「ここでやることが終わったらどうしようか、また北の方に行く?それとももう少しここら辺を探索する?」

「その時の周りの環境次第、かしらね。」

「そうだよね」

 たははとあずきは歩く速度を緩めることなく歩く。そのまま私達はそれ以上会話することなく歩き続け、数十分かけて無事にあずきの言っていた場所にたどり着いた。 

「綺麗だね」

「えぇ」

 美しい景色が私達の疲弊しきった心に染み渡る。私達が向かった先は鳥居が有名な神社であった。丁度運よく紅葉シーズンだったこともあり、千を越える朱色の鳥居に美しい緋色の葉が添えてあるのが目に入る。

「もう少し歩いて中も観てみようか」

「ええ」

 少し歩いて大きな鳥居をくぐり抜け、境内に入ろうとした時、ふと私の肩に何か冷たいものが当たる。あれ?なんだろう。思わず私は掌を上に向ける。

「え?」

 もしかして、雨?

「どしたの?みやちゃん」

 あずきが顔の文字が「心配」になる。あずきは気づいていないのか。

「あずきちゃん、雨が降ってる」

 私は思わず呆気に取られてしまう。今まで一度もここに来てから降ったことがないのに。なんてタイミングだろうか。

「うそ!?」

 あずきはすかさず手を上にかざす。

「ほんとだ、雨降ってるね。どうしよう?」

「一応折り畳み傘は持っているのだけれど」

 リュックの中から私は折り畳み傘を二つ取り出す。

「流石みやちゃん、用意周到だね」

「大荷物だし、ビニール傘みたく大きくないから、雨を防げる範囲が結構限られてくるけど。はい、これ」

 筒状になった折り畳み傘を一つ開けて、私は直ぐにあずきへと渡す。

「ありがと。ん~どうしよう。せっかくここまで来たけど、寝袋が雨に濡れたら嫌だもんなぁ」

 あずきは顔の文字を「難」にしながら、受け取った傘を頭上に向ける。

「雨宿りするために一旦駅の方に戻った方がよさそうね」

 私も折り畳み傘を開いて頭上へと向ける。

「そうだね、そうすることにしよう」

 直ぐにあずきは踵を返して駅の方へと身体を向けた。

 


  無事に駅にたどり着き雨宿りをし始めたはいいものの、私達の期待とは裏腹に、今まで雨が降ってなかったからかその反動なのかわからないが、時間が経つごとに雨はどんどん激しくなり、終いには勢いよく風も吹き始めるという始末になった。

「うぇぇ、寒い」

 駅の階段に座って丸まっているあずきが顔の文字を「寒」にして体を震わす。

「凄く、寒いわね」

 私もさっきから体の震えが止まらない。季節も相まって吹き抜けから襲い掛かってくる風は極寒で、なにもしなくてもこのとおり体温を奪われてしまう。

「この調子だと今日はここで寝泊まりしなくちゃいけなさそうね」

「でも、こんなとこにずっといたら風邪、引いちゃうよ。どこか温まれる場所を探しに行ったほうが、へっくち」

「確かに、そうね」

 私は駅全体を見渡す。改札機を抜けてすぐにホームになっているため、風をよけることのできる場所が皆無に等しい。確かにこんなところにいたら風をひくどころか、寝てしまえばそのまま目が覚めないんじゃないか。だけども、私は視線を外へと移す。探すにしてもこの雨風の中を少しとはいえ歩かなければいけない。こういう時、地図があれば多少なりとも素早く移動ができるのに。

「へっくち!」

 またあずきがくしゃみをする。仕方がない。多少のリスクは必要だ。私は立ち上がる。

「あずきちゃん、ここで荷物見張って待ってて。私、泊まれそうな場所探してくるから」

  


  数分後、しばらく留まることができそうな旅館を見つけた私は小走りに駅のホームの階段で座っているあずきの元へと戻った。

「あずきちゃん、代わりに雨宿りできそうな場所、あったわよ」

「ほんと?ありがと。ごめんね。わざわざ見つけに行ってくれて、びしょ濡れだよね」

 気休めにしかならないかもしれないけれど、とあずきはハンカチを私に渡す。

「ありがと」

 私はハンカチを受け取り、髪から落ちてくる水滴を吸い取らせる。走って戻ってきたこともあり、びしょ濡れだったので凄く助かる。

「あずきちゃん、髪を拭かせてもらったタイミングで悪いのだけれど、この調子だと雨が止むのに結構時間がかかりそうだから思い切って今すぐ行った方がいいと思うわ」

「今すぐ!?」

「ええ。だってもう濡れちゃったから。時間をかけたところでまた濡れちゃうのは目に見えてるし」

 私はパタパタと服を仰ぐそぶりを見せる。

「そうだね、乾いてもみやちゃんが風邪ひいちゃうだけだし。今すぐ行こう」

 顔の文字を「急」にしながらもあずきは荷物をまとめ始めた。

  

  私が見つけた旅館は、二階建ての一階が趣のあるエントランスに二階が大きな回り廊下と一室、一室個室の洋部屋が備わったまるで昭和の文豪が缶詰で入れられてそうな雰囲気のある場所だった。

「やっぱり、びちょびちょになっちゃたね」

 ひぇぇとあずきは旅館の入り口で濡れた服の端を雑巾を絞るように力いっぱいに絞る。

「服はとりあえず脱いで洗濯機に入れて、シャワーを浴びましょうか」

 さっき貸してもらったあずきのハンカチを使って雨水が滴り落ちない程度に私は髪を拭く。

「シャワーは勿論浴びたいけど、着替えはどうしよう。これだと中に入ってる服も濡れてるよね」

 あずきが背中に背負ったリュックを下ろして掲げる。

「そうね。今日はホテルの備え付けの物で代用するとして、問題は明日の服、よね。一度洗濯機に入れて乾くまで待つとなると結構時間がかかりそう」

「雨が止むのと服が乾くまでは、しばらくここにいるしかないかぁ」

 あずきは顔の文字を「苦」にする。

「仕方ないわね、そうしましょう」

 私は鍵を取りにエントランスへと向かった。



  今まで泊まった完全洋風のホテルと違ったせいか、鍵を見つけ出すのに少々苦労したが私達は無事に客室に入ることができた。シャワーを浴びた後、私は濡れた髪をドライヤーで乾かす。なんだか久しぶりにイレギュラーな出来事があったせいで少し疲れてしまった。

「お~い、みやちゃんいる~?」

 籠った声とともにコンコンとドアをたたく音が部屋の外から聞こえる。どうやら別の客室で入浴していたあずきがこちらへ来たみたいだ。

「いるわよ」

 鍵を開けてあずきを中に通す。

「ありがと。おっじゃましま~す。うっは~あんまり部屋ん中、変わんないねぇ」

 何かが入ったビニール袋を手に持ったまま早速、旅館にあった着物を着たあずきはまだ私の手も付けていないベッドに座る。

「そんなにガラッと変わったらびっくりするわよ」

 扉を閉め部屋に鍵をかけた後、私は引き続き髪を乾かしに洗面台へと戻る。

「そっか、それもそうだね。あ、そうそう、私は何か明確な目的があってここに来たんだったよ」

「何?」

「えっと、あれ?なんだっけ」

 思い出そうとあずきは首を傾げる。

「その手に持ってるものじゃない?」

 私はあずきが手に持っていビニール袋を指した。

「あ、それだ、それだ。みやちゃん、お腹空かない?ご飯一緒に食べようと思って。今日みやちゃん、何も食べてないでしょ?」

 あずきは手に持っていたものを掲げた。そういえば最近あまり食事を気にすることがなくなった気がする。言われないと食べていないことにすら気が付かなかった。

「そうね、最低限食事はとらないと動けないものね」

「そう!そう!さぁ食べよう、食べよう」

 髪を乾かし終え、あずきに促されるまま、私はホテルの客室特有の備え付けの小さなテーブルと椅子へと通される。

「とは言っても、少量しかないんだけれどね」

 座るなり、あずきがガサガサとビニール袋をひっくり返すと、ミニサイズのカップ麺やお菓子が丸いテーブルの上に沢山散らばる。

「いつの間にこんなに持ってきてたの?」

「出発からずうっとあずきさんのリュックの中に眠ってました!あ、たまに買い足したのもあるけど。ささ、召し上がれ~」

「ありがと」

 早速、私はどこかのお土産であろう饅頭を口につける。あんこが結構入ってるはずなのになんだか味が少し薄い気がする。しかし、こんなものだろうか。疲れてるのもあってか味覚も少し変になっている。

「美味しい。あずきちゃん、ありがと」

「いえいえ~他にもじゃんじゃんあるから良ければ部屋からとってきたげる」

「まだあるのね」

 私は少し合点がいく。道理で私のリュックと比べて膨らみが大きかったわけだ。

「でも、軽食用に持ってきたものだから、いくら食べてもあまりお腹が満たされない気もするね」

「ある程度食べたら多少なりともお腹は膨らむんじゃないかしら。それに足らなければどこかで買い足せばいいことだし……」

 ふと天気が気になって私はホテルの窓を見る。まだ、雨が降っているもののさっきこちらに来た時と比べると大分弱まった気もする。こうなるんだったらもう少し待っても良かったかも。天候を示す指標がなかったから仕方ないか。改めて私は電子機器が使えないことを恨む。

「雨、もう少し待ってれば止むかもしれないわね」

「ほんと?」

 あずきの顔の文字が「期待」になる。

「ええ。その時にお腹が空いているならコンビニにでも行きましょうか」

「じゃあその間にてるてる坊主でも作って待っとくか~」

 あずきは注いで間もないカップ麺を啜った。


  雨が弱まってからは案外晴れるのは早く、私達は直ぐに外へ出て最寄りのコンビニへと向かうことができた。だが、濡れなくなったのはいいものの、代わりに雨が降る前と比べて気温が幾分か低くなっていて歩くたびに悪寒がする冷たさが私達の地肌を襲う。

「やっぱり、さっむいね~昨日とは大違いだよ」

 あずきが先に自動ドアへと足を踏み出し、ピロピロピロとコンビニの入店音が鳴る。

「コンビニ、すぐ側にあったから良かったわね」

「だね~」

 コンビニに入るなり温かい飲み物が置かれてある棚へとあずきは向かう。明日の朝は何を食べる?寒いからカイロを買っておこうよ、アイス買っていい?そんな自由気ままな、何気ない日常がこの何もない世界で飛び交う。ああ、この日常に私が溶け込めていることが嬉しい。今私はここにいてもいいんだと認められている気がする。レジ袋を取り、買ったものをたくさん詰め込んで、明日の予定を考えながら私達二人は外に出る。

「あれ?こんな場所だったっけ?」

「入り口も出口も同じなんだから迷うなんてことないでしょ」

 私は遠くを見回す。あれ?確かにあずきの言う通りなんだか入った時と光景が違う気がする。なんだか嫌な予感がする。寒さによる寒気などではなく前にもあったような寒気だ。なんだ、今度は何がない。私は今どこにいるんだ?ふと今自分が立っている場所がどこなのかわからなくなってくる。どうしてだろう。私はもう一度、自分の目の前にある光景をみる。  

 「あ」

 そこで私はまたもや自分の考えが甘かったことに気づく。コンビニから抜けると、そこは綺麗な鳥居も美しい紅葉もないただの更地になっていた。


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