第二章 冒険とチューベローズ

「ここも誰もいないね」

「そうね」

 棚に置いてある自分の目の高さと同じくらいの位置にあったレトルトカレーをひょいと手に取り、パッケージの裏を見る。これも消費期限はまだ大丈夫そうだな。私は確認次第、それを買い物かごへと入れる。

 あずきと出会って数日、あれから私達は協力者を探すためにある程度の活動方針を決めることにした。その結果、一気に長距離を探索することは体力的にも、精神的にも難しいと判断したので、まずは日が暮れるまで。そこまでに家へ帰れる距離かつ人が多そうな場所を探索し、徐々にその範囲を広げていくことになった。

 それにしても、だ。私は人の気配が全くないスーパーの天井を見つめる。ここ数日あずきと共に行動して分かったことと言えば、あずきの言った通りどこもかしこも人がいない、ということだけであった。加えて、強いて述べるとするならあずきの謎が更に深まったことくらい。毎日私は、彼女の秘密を探るべく観察を続けてはいるものの、彼女はお風呂に入る時も睡眠をとる時も食事をとる時もありとあらゆる場面でその白い球体をつけており、私の目が届いている範疇では全くその球体のような被り物を外すことはなかった。よってやはり、彼女は人間ではないのかもしれないという私の仮説が徐々に色味を帯びていよいよ現実になってきていたのだった。

 しかし、そんな私の心情を知る由もなく、先刻から隣で同じくレトルト食品を漁りながらふふふ~んとあずきは鼻歌を歌っている。

「そろそろ遠くに行ってもいいかもねぇ」

 歌い終えたのか、はたまた私が凝視していることに気づいたのか、しばらく経って急にあずきは私へと顔を向ける。

「そうね。今夜あたりにご飯を食べながらどこに行くか決めた方がいいかもしれないわね」

「でしょでしょ!決めた方がいいよ、絶対」

 そう言うなり、素早い手際で辛さ十倍激辛Maxと書かれたレトルトカレーをあずきはかごの中へと入れる。そんなもの、本当に食べれるの?私は食べないぞ。後々面倒事になりそうだと感じながらも引き続き私もレトルト食品を買い物かごに入れる作業を再開する。

 今、私達は近所にあるスーパーで一週間分程の食材を調達している。こんな感じでいくらインフラが普及しているからと言って流石に生の肉類や野菜、果物には手を出す気にはなれなかったので、冷凍食品やレトルト食品、缶詰等、物持ちがよくかつお腹を壊しそうにないものばかりを選んではかごへと入れている最中だ。

「でも、その言い方だと、あずきちゃんはどこかいきたいところがありそうね」

「うん! そうなの!」

 私が目線を買い物かごから再びあずきへと移すとまるでそう言うのを待っていたかのようにあずきは近づいてくる。それに対して思わず私は後ずさりをしてしまう。ある程度抵抗がなくなったとはいえ、やはり、少し怖い。今の私とあずきは客観的に見ればスプラッター映画の中にでてくる殺人鬼とそれに襲われるパンピーそのものだった。

「たくさんあるの! 行きたいところ! ショッピングモールとかテーマパークとか……」

 だけれど、あずきはそんな私の些細な行動など見ることなく、目の前であれやこれやと開いた左手を丁寧に一本ずつ折りたたみ始める。そうしてそれに応じてあずきの顔部分はぐるぐると回転し始め、顔に書いてある漢字が「期待」になる。

「たくさん、あるのね」

「うん!」

 目の前で勢いよくあずきは頭を縦に振る。きっとあずきはこの周辺の地道な捜索は飽きたのだな。なんとなくあずきを見つめるのが決まずくて地面へと目を逸らすと、たくさん食品が詰まった買い物かごと目が合った。

  

  

おおよそ二週間分くらいの食料を集め、スーパーを出発した後、自宅へ帰る道のりで私達は各々行きたい場所について話しあった。

「みやちゃんはどこか行きたい場所とかある?」

 娯楽施設であったり、観光地であったり。とにかく自分が楽しみたい場所をマシンガントークで一方的につらつらと挙げた後、ある程度しゃべり終えたのか隣を歩くあずきが会話のバトンを渡してくる。

「行きたい場所、ね……」

 行きたい場所、勿論あるにはあるのだが…うーんと私のうなだれている姿勢に何かを察したのか。早速あずきは顔の文字を「期待」から「真剣」へと変える。

「なんだか言いたいことがありそうな感じだね。どこか行きたい場所があるの?」

「まぁ、そうね」

「どこどこ?」

 歩きながらあずきはあたりを確認するように顔を左右に動かす。

「動物園に行きたいな、と思って」

「動物園????」

 右へ左へと動かしていたあずきの顔の文字が「疑問」になる。それもそうだ、と私は思う。動物園に行ったところで今までの傾向からすると動物がいないのは明白なのだから疑問を持って当然だろう。

「でもみやちゃん。動物は多分、いないとおもうよ?景観を楽しむの?」

「ううん」

「じゃあどうして?」

 うーんとあずきは首を傾げる。

「動物のいた痕跡が残っているか確かめに行くの」

「コンセキ????」

「そう、痕跡。」

 コンセキ、コンセキカ……と首を更に傾けたあずきは未だ意味がわからないよと言いたげに私の言葉を反復する。そんなあずきの疑問を解くため、私はひも解いて説明していくことにする。

「私が思うに今、私達のいるこの場所は私達が消えた世界か私達以外が消えた世界の二択だと思うの。」

「ふむ。」

 あずきは通常頷くよりも少し角度を上げて頷く。

「それで、もし私達以外が消えた世界で尚且つ数日前に私達以外の人が突然消えたと仮定したらの話なのだけれど、もしこれが本当に事実起こったことと仮定するなら、元居た人達や物の痕跡はそのまま消える前と同じ状態で残るとは思わない?」

 うん?とちょっとよくわからないよと言いたげにあずきはまた首の角度を広げる。うげ、そんなに曲がるの?そのままポロっと取れてしまいそうだ。しかしまあ、あずきがわからないのも無理はない。例えが必要だ。追って、私は説明していくことにする。

「例えば、わかりやすく言うと水を出しっぱなしの状態で生活をしていた人が突如消えたとするわよね?」

「ふむ」

「そうすると水はずっと流れたままだと思わない?」

「確かに」

少し納得がいった、とでもいうかのようにあずきは首を縦に小降りに振る。

「それと同様に部屋の明かりをつけたまま生活を送っていた人が突然消えたならその明かりはつけっぱなしになっているとは思わない?」

「そういわれてみればそうだね。あ!そういえば私達が今まで入った学校やビル、スーパーなんかも人がいないのになぜか電気がついていたりしたね!!」

「そのとおりよ」

 少しずつ私の言っていることが租借できはじめたのかあずきは私がこれから言うはずだったことを代弁してくれる。あずきが先程言ったたように、今まで私達が行った施設はどこもかしこも不自然に電気がついていたのだ。

「なるほどなるほど。なんとなくみやちゃんが言わんとしてることはわかった気がするよ。でもなんで、そのことがみやちゃんが動物園に行きたいこととつながるの?」

 再びあずきは首を傾げる。少しずつ彼女の中で散りばめられていった点を一つの線にするために私は引き続き会話を始める。

「人間ならさっき私の言った通り、普通の生活を送ってる人が突然消えたとしたら電気や水道の流しっぱなしになることがある。けれども私達がそれを調べるには電気のつけっぱなしならこうやってさっきみたいにスーパーとか商業施設に行くなりして確認ができる。でも、水道とかガスががつけっぱなしになっているかはよそ様の家に入ってそれを調べなきゃいけない。そうしたら、消えた人たちが元の世界に戻った時、私たちが荒らした痕跡がのこるかもしれない。ここまでは分かる?」

「うん」

 また合点がいったことを表すためにあずきは首を縦にして頷く。

「ok。それでもしものことなのだけれど、その家に住む人達が警察を呼べば、私達は不法侵入したのも同然だからゆくゆくは捕まるかもしれない。ガスがつけっぱなしになっていたらそれこそ今大火事になっている可能性が高いからこの線はそもそもおかしな話なのだけれど。それでも、百パーセントそういったことがおこらないとは言えない。だから、動物園に行くの。もし人と同様に動物も突然消えたとすると、動物園や水族館みたいなたくさん動物がいる施設なら匂いであったり、排せつ物であったりが顕著に残っている気がしない?」

「おお!」

 ようやく合点招致、といった具合にあずきはポンと自身の手を叩く。

「すごいね。みやちゃん名探偵だ」

「そんなことないわよ」

「でも、みやちゃん、」

「何?」

 もう一度、あずきは首を傾げる。

「なんで水族館じゃないの?」

 確かにその意見はごもっともだ。私もどちらかというと動物園よりも水族館派だ。これに関しての理由はものすごく単純なので私はさっと答えることにする。

「単純よ。一番私達が徒歩で行けそうなのが動物園だから」


 

「しあわっせはー歩いてこない、だーから歩いていくんだねー」

「ちょ、ちょっと待って」

「ありゃ?」

 まるで、というかまったく私を気にしていないそぶりで歌いながら、一歩一歩地面を力強く踏みしめて歩くあずきを何とか止める。

「もう少しペース配分を……」

「あぁ。ごめん、ごめん」

 歩みを止めたあずきの顔が「楽」から「謝罪」へと変わる。気がつくともう何キロもこの調子で私達は歩いていた。

 あれからまた数日が過ぎ、今私達は最初の長距離移動としてここから十五キロ程離れた先の動物園にむかう道中にいる。流石に、泊りがけで行くのはまだ少し怖い気がしたので、朝早くに出て、夕暮れか夜あたりに家に再び戻れる計画を立てたのだ。

 だが、計画を立てている途中。ここで唯一の誤算が生じることになった。それは、計画を二人で練っている時にあずきがどうしてもショッピングモールへ行きたいと駄々をこねたことである。そのせいで、面倒臭いことにせっかくだからと帰りに寄らなければいけなくなってしまったのだ。

 なんてことを色々と思い出しながら、ぜぇはぁと上がる息を押さえつけるため私は持参した清涼飲料水を勢いよく飲む。高校に入学してからというもの約三年間全く運動をしてこなかったのでこの様だ。己の体力の衰えに驚きを隠せない。五百ミリリットルあるペットボトルを半分ほど飲み切ったところで、ぷはっとペットボトルを口から離し、私は前を行くあずきに顔を向ける。

「それにしてもあずきちゃん、すごい体力があるのね」

 しょっぱなからこのハイペース。あずきはなんらかの運動部に入っているに違いない。

「ふふん、こう見えても私、陸上部なのだよ、みやちゃん」

 えっへん、とあずきの見えない顔がどや顔になった、気がした。今の彼女の顔の文字は「自信」だ。成程。だからものすごく体力があったわけだ。ようやく私は何キロ歩いても疲れない彼女の底知れぬ体力を理解する。

「いつから始めたの?」

「いつ?えーと、うん。高校からだよ、高校」

 なぜか一幕置いた後、焦り気味であずきは答える。何か隠してる?その姿に私は思わず眉を顰めてしまう。しかし、あずきの顔はさっきと同様「自信」としか書かれていなかった。まあ、私もよくボケッとすることあるし、あまり疑うのもよくないか。再度、私も前に足を出して動物園までの距離を稼ごうとする。

「みやちゃんは何か部活とかは?」

 さっきの私の質問のお返しと言わんばかりにあずきが私に質問し返す。

「私は、中学の時に陸上をやってたくらい」

 思わぬ返しをされ、私の足は止まる。口からたははと乾いた笑いが自然に漏れだしてしまう。

「え!同じじゃん!種目は?」

「千五と八百を少し」

「すげ~。体力ばりばりあるじゃんね」

 パチパチパチとあずきは拍手をする。

「ちなみに聞くけど、あずきちゃんは何の種目なの?」

 お返しのお返しに私はあずきに疑問を投げかける。こんなに体力があると三千とか五千だろうか?

「私は短距離だよ、百とか二百とか。」

 なんと。意外。

「そうなのね。私、短距離は練習時間が長いからって理由で、中距離にしたからコツコツ長い時間かけて練習している短距離の人達は誰かれ構わず尊敬の念を持ってたわ」

「またまたまた。みやちゃん、ご謙遜を。私のとこはそんな強くないから程ほどだよ。みんなやりたいようにやってるし。何かと理由付けて練習サボってる人多いし」

「そうなの?」

高校で部活に入ったことがないからわからないが、勝手にどの部活も高校はハードワークなイメージだったから意外に感じる。

「うん。そんなもんだよ、高校の部活なんて。みやちゃんは続けなかったの、陸上?」

「ええ」

「他の部活に入ってたり?」

 いいやと言わんばかりに私は首を横に振る。入るわけがないだろう。学校が嫌いで死のうとするくらいなのに。

「他の部活にも何も入ってないわ。今は帰宅部ね」

 こんな時に嫌なものを思い出してしまいそうになる。別にあずきが悪いわけではない。勝手にこんな思いになる私が悪い。また、自然と私は眉間に力が入ってしまう。

「みやちゃん?」

「うん?」

 あずきに表情がばれないように思わず、私はアスファルトの方に顔を向ける。大丈夫、京。大丈夫。もうここでは学校に行かなくていい。罪悪感を勝手に抱えたりする必要はない。そう、自分に言い聞かせ続ける。

「大丈夫?顔色が悪そうだよ」

 気付くとかがんであずきが私の顔を除きこんでいた。否応なく彼女の顔の文字を見ると、いつの間にか顔に書かれた文字も「不安」に変わっている。

「大丈夫よ。ごめんなさい。なんだかいきなり靴の中に石が入っちゃってしまったみたい」

 咄嗟に嘘をついて私は笑顔を見せる。あずきは悪くないのだから迷惑はかけたくない。

「良かった。良かった。何かあったのかと思ったよ」

 ズキン、と心臓が痛む気がした。お腹の真ん中くらいから底知れぬ何かが内臓にぶつかろうとしてくる。

「……」

「少し早歩きし過ぎたのかもね。ごめんね。私っていつもそうなんだよね。熱中しちゃうと一人で走り出す癖があるからいつも止められちゃうの」

「そう」

「そうなの」

 そう言うなり、あずきはうずくまりそうになっている私の背中をさすってくる。そっけない自分も嫌になる。せっかく心配してくれているのに。あずきはそっかー、そうだよねぇ。しんどいもんねぇと独り言をいいながら私の背中をしばらくさすり続けた。

「念のためもう少し休憩する?」

「うん」

お言葉に甘えることにして私は少しの間目をつむった。

 


  それから私達は二時間程掛けて動物園に無事にたどり着いた。国立指定されている大きな公園を抜けた先にある動物園のエントランスの前に立ち、私達は三百六十度あたり一面を確認する。尽き欠けていた体力は、さっきの休憩とあずきが歩くペースを合わせてくれたお陰で幸いにも何とか帰りも持ちそうだった。

「ついたね、動物園」

「ええ」

 一周周りを見渡したところで、エントランスに立てかけられた看板と目が合ってしまう。ようこそ、上島動物園へ!とパンダの絵とともに可愛らしいそれも人がまったくいないせいで少し不気味に見える。

「入場料、念のため払っとく?」

「いや、大丈夫なんじゃないかしら?下手に物を壊したりしなければ、だけれど」

 そういえば、と私は不意に思い返す。ここにきて私は、食料調達の際に一切料金を支払っていなかったことに気づいた。不法侵入がどうと説いていたがこれだと初めから誰かの家に勝手に入って確認をしておくべきだった、今更ながら長距離移動で足を痛めてまで来る必要がなかったことを後悔する。しかし、無銭飲食がばれてしまったら芋づる式に他人の家に不法侵入をしたことがばれてしまうので、これはこれで罪が軽くなりそう?だから良いか。今はささっとことを終えることだけを考えた方がよさそう。私はすぐさまポジティブ思考に切り替える。

「とりあえず中に入りましょうか」 

「うん!」

 私とあずきは園内へと踏み出した。

  

  「うわ、変わってないんだねぇ」

 中に入るなり早速、顔の文字がくるくると変わり「喜」になったあずきはぐるりと首を動かしあたりを見回す。

「前に行ったことあるの?」

 前に進むため、あずきについていくため、私は足を前方に動かしながら会話を試みる。そういえば、あずきは私に出会う前どこに住んでいたのだろうか。出会ってから今まで、そのままの流れであずきは私の家にずっと住み着いているが、よくよく考えれば何故自宅に帰らないのだろう。まぁ、それもあとで本人に聞けばいいか。

「小学校の時の遠足で行ったことがあるよ。みやちゃんは?」

 質問に応じて足を動かせながら、あずきは掌を私へと向ける。

「私も小学生の時に遠足で」

 少し早足になりつつ、私は答える。思えばそれ以来、動物園へ足を運んでいなかった気がする。

「そっかぁ」

 えへへとあずきは笑った。

「それで、みやちゃんや。まずはどこに行きますかい?」

 あずきはぺらぺらと動物園の全体の地図を広げる。いつ間に取ってきてのだろうか。私はあずきの有能ぶりに感心する。

「そうね」

 私は地図をまじまじと見つめる。最初に向かう場所は決めていたので、迷うことなく現在地から直進してすぐの場所にある大きな施設を指さした。

「最初はフライングケージというところに行ってみましょうか」

「フライングケージ?」

 あずきの顔の文字が「疑問」に変わる。

「そう、フライングケージ。昔と変わっていなければだけれど鳥類が放し飼いにされてる大きいドームみたいな場所のことよ」

「ああ、だからフライング!」

 あずきの顔の文字が「明」に変わる。

「ええ。ほら、そうこう話をしている内にもう目の前に来てるわよ」

 私は前方にあるインコっぽい鳥の絵が大きく書かれたドーム状の建物を指す。歩きながらだったのでいつの間にかドームの前にたどり着いていたようだ。それを見るなり早速、うはーと愛らしい雄叫びをあげながらあずきがその自動扉の前まで走り出す。

「本当だ!昔行った時と変わってないじゃん。みやちゃん、ここは鳥が沢山いる場所だよ、やっぱり。いやあ流石だねぇ」

 辿り着くなりぴょんぴょんと飛び跳ねながらあずきがこちらに手を振ってくる。それに合わせて私も軽く手を振り返す。あずきのこういうところはまるで幼い少女を見ているみたいだ。かつて自分にもこんなに無邪気に笑える時期があったのだろうか。顔もわからない少女に自分のかつての姿を重ねてみる。きっとあったのだろうな。私はあずきの元へと一歩踏み出した。

 


  その後私達は爬虫類や両生類に始まり、草食動物・肉食動物、更にはふれあいコーナーなどありとあらゆる園内にある動物の飼育場所を探した。しかし結局、わかっていたことだったが動物を一匹も見つけることができずに終わった。それどころか動物園特有の獣臭や排せつ物なども諸々消えており、まるで初めからそこに動物がいなかったかのようにきれいにケージや檻の中が清掃されたようになっていた。

 やっぱりこうであったかという絶望感ともしかしたら私達以外にもだれかいるのではないだろうかという淡い希望が見事に打ち砕かれ、私達は動物園を後にした。

 だが、というか当然というべきなのか勿論、あずきはというとそんなことはあまり気にしてない素振りで、彼女は約束通りこれからショッピングモールに向かうことが楽しみで仕方がないみたいだ。それを示すように、まだ到着していない現時点ですら顔の文字が「期待」になっている。

「いやはや、何か月ぶりだろうね。お買い物にいくのは~」

 るんるん気分であずきはゆっくりとスキップをし始める。そのスピードは朝方の出来事もあってか気を使って私に歩数を合わせてくれているみたいだった。

「楽しそうで何よりだわ」

 そんなあずきを横目に私もなるべく迷惑が掛からないように意識して彼女に歩幅を合わせる。

「みやちゃんは買い物には行ったりするの?」

 スキップで少し私の前を行ったかと思えば不意にあずきは振り返って私と顔を合わせる。

「私?私は……」

  私は自然に少しうつむき気味になる。言われてみれば、最近の私の休日といえば買い物どころか外に出ていないことが増えた気がする。昔はよく友達と毎週のようにショッピングモールに買い物に行っていたっけ。私は中学の頃を思い返す。これから私達の行くショッピングモールは私の家から自転車でギリギリいける距離にあり、フードコートやおしゃれな服屋さん、映画館に何種類ものプリクラが備えてあるゲームセンター等、地元にろくな遊び場がない私達学生にとってそこはサンクチュアリそのものであった。逆に言うと学生にとって遊ぶ場所と言ったらそこしかなく、休日にそこを出歩こうこうものなら確実と言っていいほど同級生に出会う場所になっている。

 以上のことから、私は高校に入って完全に別人になってしまった自分を見られたくない、そもそも同級生に会いたくないといった理由で行くこと自体を躊躇うことが増えたのだった。なんて、わたしは誰に言っているのだろうか。

「私はあんまり、行ってない」

 何故か今の自分がひどく滑稽に見えて、私は視線を遠方へと逸らす。

「え?じゃあ普段のお休みの日とかどこに行ってるの?」

 少し驚いたようにあずきは首を横に傾げる。

「どこにもいってないわ」

「え~~~~~~~~~!!!!」

 途端にあずきは口あたりを抑えてオーバーリアクションを取り、それに合わせて顔の文字もくるくると回転し「驚嘆」に変わる。そんなに驚くことだろうか。でも、あずきみたいな人種は外にでたり友達の家に行って遊んだりするのがデフォルトで、むしろ皆休日はそうしていると思っているから驚くのも無理はないか。

「家にいてやることってあるの?」

 純粋な疑問なのだろう。あずきは首を傾げたまま今度は「疑問」へと顔の文字を変化させた。

「勉強をしたり、本を読んだりしてるかしら」

 私は自分の中で用意しているテンプレートを上げる。こう言っておけば相手に悪い印象を抱かれずに済むからだ。予想通りあずきはナルホドォと妙に納得した面持ちで呟く。

「道理で同い年なのに落ち着いてるわけだよ。真面目なんだねぇ。ちゃんと将来に向けて勉強して凄い!」

 真面目、将来か。将来なんてみえてこないから死のうとしてるのに。思わず私はまた眉間に皺を寄せてしまう。

「逆に聞くけれどあずきちゃんは普段休日は何をしてるの?」

 気分を払拭するために私はあずきへと疑問を投げかける。あずきが実際化け物じゃないと仮定して、個人的に私は普段彼女が何をしているのか気になったからだ。

「私はねぇ、お買い物したり、友達とカフェにご飯を食べに行ったり、友達の家に勉強会って名目で遊びに行ったり、バイトをしてお金がたまった時は県外に友達と遊びに行ったりしてるかな~」

「バイトもしてるの?」

 私は驚いてしまう。引きこもりがちな私とは大違いだ。想像以上に行動力がある。

「してるよ! 週に二日くらいだけどね~コンビニで!」

 頑張ってマス、ふんすとあずきは手を腰に回した。

「凄いわね。楽しい、バイト?」

 やったこともないし今後も大学に入るまでやることはないだろうから気になる。まあ、私が大学に入学することはたぶんないのだろうけど。

「全然すごくないよ。私なんか親の反対を押し切ってバイトしてるくらいだから。バイトは普通って感じかな、楽しくもないし、辛くもない。酔っ払いみたいな変なお客さんはたまに来るけれど、それもバイトだから、でやってのけてる。お金稼げるなら多少の苦労もって感じ!」

 えへん、と今度は胸高らかに顔の文字を「自信」にしてあずきは答える。その姿に私は思わず驚愕してしまう。きっと私なら辛かったらすぐにひっそりと辞めるだろうから。もしかすると、もしかしなくても私が社会で生きていくことは難しいのかもしれない。

「あずきちゃんは凄いね。私にはできないことばかりだよ」

 思わず本音が漏れてしまう。本当にあずきは凄い。

「? そんなことないよ。みやちゃんこそ凄いよ。将来のこと考えて行動するなんて私にはできない。私は馬鹿だから今を全力投球することしかできないの。燃費が悪いからすぐにガス欠になっちゃうんだよ、三日坊主も多いし」

 てへへ、とあずきは笑う。やけに真面目というからしくない回答に私はまた驚いてしまう。思えば、私とあずきは出会ってまだ一ヶ月とそこらしかたっていないのだった。あずきの知らない一面なんて沢山あって当たり前か。なんだか新たな彼女の一面をみて新鮮な気分になっていると

「あー!!!!!!!」

 途端にあずきが声をあげながら遠くの方を指さす。どうやらモールまであと何百メートルと書かれた看板が目についたようだった。

「ようやく着きそうね。」

 さっきまでの劣等感を心の片隅において私は隣にいるあずきに顔を向ける。

「うん!ようし、じゃあ前進あるのみ。ラストスパートだよ。ファイトー」

 オーっと右腕をあずきは掲げ、ずんずんと再び足早に歩き始めた。

 


 「くぅぅぅぅ、ひっさしぶりだぁぁぁぁぁ」

 モールに入るなりあずきは私を置いて一目散に走りだし、一階にある若者向けのアパレルショップへと向かう。

「あんまりはしゃぎすぎたら帰るときに疲れるわよ」

「だいじょび、だいじょび。うっはぁ~かっわいい~ねぇねぇ、みやちゃん、みやちゃん」

 興奮気味に夏服コーナーへ入っていたあずきが、ひょっこりと顔だけ覗かせてくる。

「何?」

 それを追うようにして私はあずきの元へと向かう。会話の流れ的に恐らくあずきは服の話をする気だろう。しかし、この場面において私とあずきの間で恐らく噛み合わないのは明白であった。あずきには申し訳ないが(単純に興味がないのもあるが)私はそこら辺のセンスが皆無に等しい。どれくらいセンスがないのかというと修学旅行で友達と一緒におそろいで買った「うちらはズットモ」とでかでかと書かれたプリントTシャツや文化祭で着用していたブランド物の服を変に文字ったクラスTシャツを、着る服が他にないからという理由で捨てずに家の中でローテーションで着まわしているくらい服に無頓着なのだ。

 現に今着ている服は(これは数キロ歩くためだったから仕方なかったが)スポーツブランドのウィンドブレーカー上下一式とその下に半そでの汗を吸収するタイプのTシャツに同じような材質の半ズボンといういかにも簡素な服であり、identifyと書かれた白色のロゴTシャツをマキシ丈の黒色のスカートにシャツインしているあずきとは服のセンスが雲泥の差であった。

「早く、早く」

 されども、そんなことを絶対に知らないあずきは急かすようにひょいひょいと手首を上下に動かし、私を自身のいる方へと招く。それに準じて私の足も少し早くなってしまう。

「あずきちゃん、私、服のことは……」

「さっそくだけど、これ着てみてよ」

 辿り着くなり何をするのかと思えば、あずきはパッと自身の目の前に折りたたんであった白色の無地の服を取り、私の方に広げて見せる。

「きっと似合うと思うんだ~みやちゃんクールなのにおしとやかなとこもあるからこういう系統の服!」

「噓でしょ……」

指定された話題の主流が私であることに動揺してしまう。私がこれを着るの!?

「どう?」

 服の存在を強調するように顔の文字を「期待」にして私の顔の前にあずきは服を持ってくる。どうやら、私が着ないのを良しとしないみたいだ。

「でも、私全然可愛くないし、何よりそんないい服似合わないと思うのだけれど」

「大丈夫。きっと似合うよ。それに自分で自分を否定しちゃだめだよ、みやちゃん。いざという時に自分のことを助けれるのは自分しかいないのだよ」

「な、成程」

 なんだか自分が悪口を言われたみたいなしかり方にまたもや私は動揺する。

「分かればそれでいいのです。それに、この私がおすすめしているのだから、みやちゃんに似合うこと間違いなしなのだよ」

「そう、なの?」

 本当だろうか。しかし、服に関してのあずきの知識は私のもっているそれとはかけ離れている。今までで一番頼りがいがある瞬間なのかもしれない。

「おうよ!ささっ、つべこべ言わず着てみ。ほれ、ほれ」

「わ、わかったわ」

 あずきに促されるまま私は服の袖に手を通す。その後、あずきが事あるごとに私を試着室へと連れて行ったことは言うまでもないだろう。

 

  「あ、あずきちゃんもういいんじゃないかな。時間的にそろそろ……」

 ようやくあずきが動きを止めたのを見計らって私はあずきに声をかける。感覚的に二時間程度この場所で時間をつぶしている気がする。

「う~ん。そうだねぇ。次もあるし……今回はこのくらいにしてまた今度来た時でいいか」

「次?」

 まだ、あるというのか。なんだか嫌な予感がする。

「も、もうこれ以上ここにいたら帰るころには日が暮れそうなのだけれど……」

 私は腕にかけている時計を見る。ほら、やっぱり。二時間は言い過ぎたが一時間は優に越している。早く帰らないと日が沈むまでに間に合わない。

「そうだね~。それもそうか」

 あずきの顔の文字が「納得」になる。どうやら説得は成功したみたいだ。やっと解放される。試着室の椅子で座っていた体をゆっくりと起こし、私は立ちあがる。元の服に着替えないと。試着した服を脱ぎ、ジャージに腕を通そうとする。と、

「みやちゃん? 何してるの?」

 何故か鬼の形相であずきが私へと向かってきた。

「何って、服を着替えて帰ろうとしているだけだけれど……」

 瞬間、あずきの顔の文字が「疑問」に変わる。わからないのはこっちだ。

「これ、着たまま帰るんだよね?」

 これ見よがしにあずきは私がさっきまで試着していた服を持ち出して私の方に見せる。

「うそでしょ……」

 着て帰るの?家で来ちゃ駄目?

「ほんとだよ。そのためにこうして時間かけて選んだんだから。」

 あずきの顔の文字が「喜」に変わる。

「はぁ、わかったわよ、着て帰る」

 せっかく私のために選んでくれたのだから、こうした方が良いだろう。私はあずきの持っていた服を受け取って、試着室に入る。

「じゃあ、他の服を袋に入れながら待ってるね~」

 ウキウキな口調であずきは試着室から遠ざかっていった。

 


  無事にあずきの選んだ服(白のTシャツ、ブルーデニム、ブラウンのブラウス)に着替え終え、試着室から出てきた私は、あずきにここを出る前に最後にどうしても行きたい場所があると懇願され、ゲームセンターの中にあるプリクラ機まで連れていかれた。

「はい、撮るよ~」

 二百円ずつお金をコイン投入口に入れた後、プリクラ機の中であずきが私の方に体を寄せてくる。カワイクキメテネ、サン、ニ、イチという音とともにカシャカシャカシャとわざとらしいシャッター音が鳴る。

「次はポーズを変えてと」

 今度は少しかがんで顔を手に乗せ、あずきはぶりっ子のようなポーズをとる。これもはたから見るとやはりスプラッター映画にでてくる怪物が人間の真似を試みているとしか思えない。

「ほら、みやちゃんも、真似して!」

「えぇ、」

 これを真似るのか……ポーズヲカエテ、カワイクキメテネとまたもプリクラ機がしゃべり始める。

「早く早く!」

「わかったわよ」

 あずきに急かされ、私も同じポーズをとる。途端、またもやカシャカシャカシャとシャッター音が鳴る。

「ようし、満足、満足」

「これでいいんだ……」

 どうやらあずきはご満悦のようだ。これで家に帰れる。

「よし、では加工の時間と行きましょうか」

「うげ」

 そういや、そんなものあったな。というかこれがプリクラの醍醐味なのだった。久々に私は思い出す。変に化粧しまくったり顔の骨格を変えまくったりして最終的に誰が誰だかわからなくなる。それが面白おかしくて後で見返した時にこんなのあったな、とまた笑うのが一連の流れの一つになっていることを。

「まずは……」

 私が気が付くととそそくさと写真を加工するゾーンへとあずきが移動して、六枚撮ったプリクラの中の一枚目に手をかけ始めていた。

「これをこうしてちょちょいのちょいと、」

 すらすらと筆を走らせている姿をみて思わず私は目をつぶりそうになる。完成が怖い。

「よしっ!一枚目できた!みてみて、みやちゃん」

 ようやく納得のいく出来になったのかあずきは顔の文字を「満足」にして、カーテン隔てて外にいる私を顔だけ出して覗き込む。

「どれどれ。ふふっ、何これ」

 思わず吹き出してしまうその写真にはピースで写っている二人の間にハートが書かれている。ここまではいいのだが、あずきの球体部分にまつ毛や口紅、きらきらしたお目目まで書かれており、終まいには球体部分が大部分加工によって削られて四角になってしまっていた。

「化粧です、じゃじゃーん、上手いでしょ」

 どうやらどや顔をしているみたいだ。あずきの顔の文字は「自信」に変わっている。確かによく見るとあずきの球体部分に書かれた顔はどこか愛着があり、独創性はかなり強いがなかなかにひかれる部分がある。

「顔を描くの上手ね。漫画家みたい」

「でしょでしょ!」

 あずきの顔の文字が「喜」に変わる。

「それじゃあ、私もちょいといたずら書きしてみようかしら」

 なんだか久しぶりということもあり少し楽しくなってきた。

「じゃんじゃん書こう書こう!」

 くふふふふとあずきは笑った。

 


 「結局夜になっちゃったねぇ」

「ええ」

 まさか万が一のために持ってきた携帯がこんな形で役に立つとは思わなかった。携帯のライトを地面に照らしつけながらとぼとぼとすっかり真っ暗になった帰り道を私達は歩く。

「ごめんね、つい楽しくて時間忘れちゃったよ」

「時間を忘れてたのは私もよ。久しぶりにすごく楽しかった。ありがとう、あずきちゃん。」

「良かった。良かった」

 えへへへ、とあずきは笑う。

 あれから、私達は別のプリクラ機に入って再度写真を撮ったり、よくある機械の中に入ってプレイするサバイバルゲームやメダルゲームをしたりして随分と楽しんだりした。

「さてと。明日は何しようかな~」

「明日、か。」

 明日。私はふと我に返る。思えば明日なんて来なければいいのに、なんて思っていたけれどここに来てからは生きるためとはいえ、毎日明日のことばかりを考えている。心境の変化に私は自分でも驚いてしまう。やっぱり案外ここに居続けるのも悪くはないのかもしれない。でも、それは私だけでいい、どうしても元の世界に帰りたがっているあずきだけはなんとかして送り出さないと。

「みやちゃん?」

「うわっ」

 何事。色々と私が考え事をしているとあずきがいつの間にか俯いていた顔を覗き込んできていた。

「どうしたの?」

「無事にここから抜け出せる方法がないかなって、考えていたの」

「そうだった、そうだった。楽しくてつい忘れてたよ」

 てへへとあずきは腕を後ろに回す。

「そうね。私もさっきまで忘れていたわ」

 正直に言うと私も本当に久しぶりに、嫌なことを一瞬でも忘れることができて楽しかった。

「あ~元の世界に戻ったら何しようかな~旅行したり、沢山遊んだり……楽しみなことばかりだよ」

 私を見つめるのを止めたあずきは不意に空を見上げる。

「ねぇ、みやちゃん」

 あずきの声が急にしんみりしたものになる。

「何?」

 急にどうしたのだろうか。私は隣にいるあずきをみる。横からだと、今彼女がどんなことを思い浮かべているか、わからない。

「みやちゃんはさ、元の世界に戻っても私と仲良くしてくれる?」

「……勿論」

「ありがと」

 安堵したような声が返ってくる。

「元の世界に戻ったら二人で美味しい物食べに行ったりしようね」

「ええ」

 少しだけれど淡い期待を隅に残して私は帰り道を進んだ。


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