第10話 第八層・阿鼻地獄


 周囲から、獣が唸るような獄卒たちの声が響いてくる。


 「捕まっちゃったね……。

 七層から降りてきた、獄卒や亡者は、みんな追い返されて、今、あたしたちを取り囲んでいるのは、この八層の獄卒たちだけよ」

 絶望的な状況に、魂の抜けたような声になっている鬼娘。

 「しかも、とんでもなく怒ってるし……」

 

 獄卒たちの唸り声が、幾つも響く。


 「……あいつらは、何を言ってるのかって?

 えっとね……、無茶苦茶な亡者だ。

 地獄で暴動の扇動をするとか、聞いたことが無い。

 地獄が始まって以来の事件だ。

 それから、……あの女の獄卒も仲間だぞって」

 伝えた鬼娘は、絶望した溜息をつく。


 「ああ、最悪の状況……」


 「ねえ、きみは、何だか余裕のありそうな顔をしてるよね?

 ……は? 計画通りだって?

 この状況が?」

 驚く鬼娘。


 と、不意に地鳴りが響いた。

 地鳴りは大きくなり、岩が崩れ落ちる音が重なる。

 「来た、来たわ!

 閻魔大王よ! もう終わり。

 閻魔大王が、あたしたちを処罰するために来たのよ」

 恐怖で喘ぐように言う鬼娘。


 「な、なんて言ったの?

 これが計画?

 とてつもない大騒ぎを起こせば、それを鎮めるために、必ず閻魔大王が現れる……って。

 きみは、閻魔大王と会うために、亡者や獄卒を扇動して、暴動を起こしたって言ってるの?」


 地鳴りと岩が崩落する音が止んだ。

 シュウウウゥゥゥと、閻魔大王の熱い呼気の音がする。


 「き、きみの言う通りに交渉すればいいの?

 わ、分かった。やってみる。

 もう、全部、きみに任せるからね」


 獣の唸りのような声が響く。


 「ここがどこだか理解しているのかと、閻魔大王が言ってるわよ。

 ……え? そっか、あたし、まだ、きみに説明してなかったよね」


 「ここは地獄の第八層、最下層の阿鼻地獄よ。

 阿鼻は無間の意味だから、無間地獄とも言うわ。

 無限むげんじゃなくて無間むけんよ。

 無限は際限がないことだけど、無間は絶え間ないっていう意味」


 「殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人に加えて、五逆の罪を犯した亡者が落とされる地獄なの。

 五逆はね、母親を殺める、父親を殺める、阿羅漢あらかんと呼ばれる仏教の聖者を殺める、仏を傷つける、仏教教団を分裂させる、この五つの罪よ」


 「阿鼻地獄では、炎に炙られ、剣の樹、刀の山を歩かされ、火や毒を吐く犬や蛇、虫たちに、責められるの。

 そして、それだけじゃないわ。さっき無間の意味を教えたよね。

 つまり、ここでは、休む間もなく延々と責め苦が続くのよ」


 獣の唸りのような声が響く。


 「閻魔大王は、こう言っているわよ。

 ここまで地獄を騒がせたのだから、お前たちには、この阿鼻地獄で苦しみ続ける罰を与える。よいなって」


 「よくない、よくない。

 何とかしてよ」

 通訳を終えた鬼娘は、小声で必死に訴えてくる。


 「……そう答えるの?

 本当に大丈夫なの?」

 不安そうな声。


 鬼娘は小さく咳払いをした。

 「閻魔大王。か、彼はこう申しています。

 そもそも自分は、天道へ転生するはずであったと、牛頭馬頭の獄卒より聞いた。

 河原で気を失っていたところ、……こ、この女獄卒の手違いによって、地獄へと連れてこられたのだと……」


 「ちょっと、あ、あたしのせいになっているけど、本当に、本当に大丈夫なんだよね?」

 通訳を終えた鬼娘は、再び小声で必死に訴えてくる。


 閻魔大王が獣のように唸った。


 「閻魔大王は、こう言ってるよ。

 すべての罪は、この女獄卒にあるのだなって……。

 まさか、そうだって言わないよね……」

 鬼娘は絶望のあまり、鼻をすすって泣き声になりながら言う。


 「……う、うん。分かった」


 「閻魔大王。彼はこう申しています。

 罪は、この者には無い。

 この者って言うのは、あ、あたしのことです。

 あたしには罪は無い。絶対に罪は無い。絶対の絶対に……」

 閻魔大王が大きく唸り、鬼娘は「ひっ」と言葉を途切れさせた。


 「つ、罪があり、罰を受けるのは、亡者を地獄へ引き入れるのに、このような杜撰な方法を黙認していた、閻魔大王自身である」


 周囲の獄卒たちがどよめいた。


 「あ、あた、あたしではなく、彼の言葉です」


 閻魔大王が低く唸った。


 「お前の言いたいことは分かった。

 ならば、どうせよと言うのだ。

 って、閻魔大王が言ってるよ」

 鬼娘の声は、強張っている。


 「……質問? 分かった」


 「あの、彼は、自分は正式な手順で三途の川を渡ってない。

 もしかして、まだ人間界で息があり、昏睡状態なのではないかと聞いています」


 閻魔大王が唸る。


 「すごい! その通りだって」

 鬼娘が驚いた声で言う。


 「……え、それでいいの?

 あ、あのさ、天道って、素晴らしい場所らしいよ。

 次もいけるとは限らないんだよ。

 い、いいの? 分かった」


 「彼は天道へ転生する権利を放棄し、人間界で目覚めることを望んでいます」


 鬼娘の言葉に、獄卒たちがどよめく。


 「ただし、天道へ転生する権利を放棄する代わりに、彼女、あ、あたしです。

 この彼女って、あたしのことです。

 あたしも共に、人間界へ転生させてくれって言ってます」


 ゴウッと閻魔大王が吼えた。


 「……だめだって」

 鬼娘が落胆した声で言う。


 閻魔大王が唸った。


 「あたしを人間界に転生させるなら、きみの地獄行きが条件だって……」


 「え! い、いや、だめだよ。

 さすがに、それは……。だって地獄で亡者がどうやって責められるか見てきたんでしょ。

 あ、あたしが間違ったんだから、あ、あたしが、あ、あの、地獄に、地獄に行くのは、あ、あたしが……」

 鬼娘が泣き出す。


 「大丈夫だって? そんなこと無いよ。

 ……分かった。信じるよ。

 本当に、閻魔大王に、そう言っていいんだね」


 「……彼は、自分が地獄へ落ちるから、あたしを人間界へ転生させてくれと言ってます。

 ……これは、因果応報だと」


 鬼娘がそう言うと、閻魔大王が唸り始めた。

 これまでと違い、どこか笑っているような唸り方であった。

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