第8話 第六層・焦熱地獄
砂利を踏む音が近づいてくる。
「箱の中に隠れて、正解だったね。
すぐそばまで牛頭馬頭先輩の足音がきた時は、心臓がバクバクしちゃったけど、結局、そのまま気づかずに通り過ぎちゃったものね。
きみの機転に感謝してるよ」
鬼娘は嬉しそうに言う。
「どうしたの? 空気が熱いって?
仕方ないよ。ここは焦熱地獄だからね。
そそ、地獄の第六層目」
「焦熱地獄はね、殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語に加えて、邪見の罪を犯した人間が落とされる地獄なの。
邪見の意味はね、仏様の教えを無視したり、間違って解釈したりすることよ」
「例えば、因果応報って言葉があるでしょ。
悪事を働けば、いずれ自分自身に、災いとなって戻ってくるって言うアレ。
ちなみに悪いことだけじゃなくて、良いことをした場合にも使うんだよ。
そう。良いことをしたら、いつか自分に幸せとなって返ってくるっていう意味もあるの」
「この因果応報って、仏様の教えなのよ。
それなのに、因果応報なんて無い。悪事を働いても、誰にもバレなければ問題ないんだとか思っているヤツはアウトね。
邪見の罪で、この焦熱地獄に落とされるの」
「厳しい?
そうだよね。あたしも、ちょっとそう思う。
中二病に罹って、ひねくれた時期を過ごした男の子なんて、みんな、ここに直行しそうだよね」
と、ざわめきが聞こえてきた。
「なんだろ。騒がしいよね。
この岩場の向こうから、聞こえて……」
鬼娘が言葉を途切れさせた。
「……なにあれ、獄卒たちが、亡者を放りっぱなしでウロウロしてる。
あ、あれって、やっぱり、あ、あたしたちを、探して、るんだよね……」
鬼娘の語尾が恐怖で震える。
「……え? いい方法があるの?
うんうん。きみを信じるよ。
どうすればいいの?」
「……は? 服を脱げって?
ブラとショートパンツを脱げって言ったの?」
鬼娘の声が一気に冷めた。
ジャラっと金棒についた鉄輪の鳴る音がする。
「この状況で冗談を言えるとか、どんな脳みそしてるのかなあ。
金棒でカチ割って、中を確認してあげるから、そこに頭を出して」
鬼娘の声が冷たくなる。
「エッチな意味じゃないって?
じゃあ、なんの意味があるって言うのよ」
「虎の皮は目立つから、これに着替えろって?
なに、そのボロボロになった白い着物……」
「あ! それって死体に着せる経帷子だよね。
たまに、それを着ている亡者がいるよ。
へえ、落ちていたのを拾ってきたんだ」
「今、獄卒たちが探しているのは、女の獄卒と亡者の二人組だろって。
うん。それは分かってるよ。あたしときみのことだよね。
……もしかして、その経帷子を着て、女の亡者に変装しろって言ってるの?」
鬼娘が驚く。
「きみは、獄卒と亡者じゃなく、亡者の二人組のふりをして、この焦熱地獄を通り抜けようって言ってるのね。
うん。獄卒たちは、亡者を責めることを中断して、あちこちうろつき回っているから、もしかしたら上手くいくかも。
角はボロ布を巻いて隠せば大丈夫よね」
「それしか方法は無いよね。
うん。経帷子をちょうだい。着替える」
覚悟を決めた声になる鬼娘。
「……着替えるって言ったのよ。
じっと見てないで、とっとと後ろを向いてくれるかな」
ひと呼吸置き、怒りを押し殺す声になる鬼娘。
服を着替える衣擦れの音。
◇◆◇◆◇◆
砂利を踏む足音。
「どうかな? バレないかな?
え? もっと背中を丸めて、顔を伏せればいいのね。
足は、ふらふらとした感じで……」
砂利を踏む足音が、不安定な感じになる。
「ねえ、人間界ってどんな暮らしなの?
学校……? 会社……? レジャー……?
海で泳ぐの? わざわざ血の海で?
違う? 透明な海? なにそれ?
ハイキング? 針の生えていない山があるんだ。凄いね。
遊園地? ご馳走? ゲーム?
楽しそうなことが一杯なのね」
羨ましそうになる鬼娘の声。
砂利を踏む、不安定な足音。
「こっちよ。
あと少しで、第七層に……。
え、鉄板?
ああ、そこにある、火で炙っている大きな鉄板のことね」
「罪人を責める道具よ。
ほら、鉄板の横に、槍みたいに長い鉄串が、いっぱい転がっているでしょ。
亡者は、あの鉄串でお尻から口までを串刺しにされて、鉄板の上で焼かれるの。
あと、ばらばらの肉団子にされて焼かれるパターンもあるわ」
鬼娘の説明には、今までのような元気さが無い。
と、ズシン、ズシンと前方から足音が聞こえて来た。
「ウソ! あと少しなのに、二人の獄卒がこっちに来る!」
獣が唸るような獄卒の言葉が聞こえてくる。
「ど、どうしよう!
とんでもないこと言ってる!」
鬼娘の声が震える。
「二人組を探すのに飽きたから、亡者を責めようって。
ちょうどいい亡者が、そこにいるって!」
ズシン、ズシン、ズシン、ズシンと重い足音が一気に迫ってきた。
「待って! ちょっと待って!
やだやだやだやだ!」
鬼娘が悲鳴をあげる。
風を切る音に続いて、鉄板に重たいものが叩きつけられる音がする。
そして、肉の焼ける音がした。
じゅうううぅぅぅぅぅ。
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