第7話 第五層・大叫喚地獄


 砂利を踏む音が近づいてくる。

 今までと違い、足音は少し乱れている。


 「大丈夫? もう痛くない?

 もう一回、『活きよ、活きよ』って唱えようか?」

 心配そうな鬼娘の声。


 「きみ、さっきは、あたしを助けてくれたんだよね。

 あたしが、牛頭馬頭先輩に怪しまれていたから、いきなり土下座をして『もう悪いことはいたしません』って叫んでくれたんでしょ。

 極悪人の真似をしてくれたんだよね」


 「きみが、ああ言ってくれなかったら、あたし、今頃、ひどい目にあってたかも……。

 ほら、触ってみて。まだ手が震えてるんだよ。

 感謝してるの。ありがとう」


 「……え? なに?

 土下座だけで良かったんじゃないかって」

 声が少し冷める。


 「きみ、もしかして、あの後、煮えたぎる釜に突き落としたのを恨んでるの?

 あれはさ、少し離れた場所で、まだ、牛頭馬頭先輩がこっちを見てたのよ。

 きみと仲良くしていたら、グルだって疑われるでしょ」

 言い訳がましい声になる。


 「……そう! それに、そうよ!」

 自分の行為を正当化する理由を思いついた鬼娘の声に勢いが戻る。

 「あの『もう悪いことはいたしません』って言葉、あれ、きみの本心じゃないの?

 やっぱり、極悪人だったとか」


 「それなら、あたしも獄卒の職務として、きみに地獄の責め苦を味わわせ……、え、あ、思い出したの。

 三途の川で溺れている人を見つけて、橋から飛び込んで助けようとしたことを思い出したんだ……。

 じゃあ、きみは、本当に善人だったんだ……」

 言葉から勢いが無くなる。


 「分かった。じゃあ、あたしが悪かったわ。

 お詫びに、ハグしてあげる。

 ギューー。ね、これで機嫌直して。

 もう一回、サービスでギューーッ。

 はい。これで、この件はおしまい」

 早口になり、とりあえず無かったことにしようとする鬼娘。


 「それより、これからどうするかを二人で考えなくっちゃ。ね」


 「え? ここ?

 ここは地獄の第五層、大叫喚地獄よ。

 殺生、偸盗、邪淫、飲酒に加えて妄語の罪を犯した者が落とされる地獄なの。

 妄語はウソのことね。

 責め苦の種類は、色々とあるけど、舌に穴をあけて引っ張り出し、毒を塗って切り取るってのがあるわよ。

 どうする? 試す?」


 「冗談よ。聞いただけ」

 笑いを含んだ声で言う鬼娘。


 「上に戻る道?

 一応は、各層の地獄にあるけど、いいアイデアがあるの?」


 「他の獄卒に見つからないように三途の川の河原まで戻って……。うん。きみは最初の場所で、気を失ったままのふりをするんだね。

 あたしは別の亡者を見つけて、ここまで戻ってくる。

 ……やっぱり、それしか、方法は無いんだね。

 きみと別れるのは、ちょっと名残惜しいけどさ」

 鬼娘は少し寂し気な声で言う。


 「分かってるわよ。

 今度こそ、本物の極悪人を見つけるわ」

 気を取り直した声になる鬼娘。


 砂利を踏む足音。

 「この岩場を曲がったら、上に向かう階段のある洞窟がー……」

 鬼娘の言葉が止まった。


 「戻って、戻って!

 早く、隠れて!」

 声を潜めて慌てる鬼娘。

 再び砂利の音がするが、足音を殺しているため音は小さい。


 「獄卒たちが洞窟を封鎖してるわ。

 あ、あれ、きみを探しているんだよね。

 めちゃくちゃ大事になってるよ」

 脅えた小声で言う鬼娘。 


 「あ、牛頭先輩と馬頭先輩がいる!

 大叫喚地獄まで降りてきたんだ」


 「わわ、こっちにくる。

 どうしよう!?」

 パニックになる鬼娘。


 「え? なにその箱?

 ちょっと、中の物を勝手に出したら……」

 ガラガラと金属の道具が放り出される音。


 「刺股とか金棒……。

 その箱、獄卒の拷問道具入れね」


 「え? 二人でここに入るの?

 時間が無いって!?

 横? 横になる体勢に入るのね。

 きみが下で、あたしが上で……っ、狭い」

 焦る鬼娘の声。


 「狭すぎて、キツイ、よ……」

 ギイッと蝶番が軋む音がすると、バタンと道具入れの蓋が閉じた。


 …………。

 ズシン、ズシンと遠くから牛頭馬頭の足音がかすかに響いてくる。


 「まだ、こっちまで来ていないよね。

 でも、近づいて来てる?

 これから、どうなっちゃうんだろ……」

 鬼娘は、不安そうな小声で言う。


 「きみはいいよね。天道に行けるんだから。

 天道が何か知らないって?

 あのね、六道って知ってる?

 生き物は死んだら、閻魔大王の裁きを受けて、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道のどこかに生まれ変わるの。

 きみは人間界で良いことを積み重ねたから、天道に生まれ変わるんだよ。

 極楽かって?

 極楽とは違うんだけど、まあ、極楽のイメージだよね」


 「きみは、まだ若いよね。

 どうして死んだの?

 車にはねられそうになった子供を助けて、替わりに自分が?

 なによ、そのお決まりのパターン」

 鬼娘が少し笑う。


 「でも、かっこいいよ」


 「あたしは死んだら、確実に地獄だよね。

 今度は責め苦を受ける亡者の立場になって、地獄道に落とされると思う」

 鬼娘の声が小さく震える。


 「え、震えてるって?

 当たり前でしょ。怖いよ。

 ……うううう。

 ううううう。

 怖いよ~~」

 低く嗚咽をあげて泣き始める鬼娘。


 「……大丈夫って?

 今、オレが何とかするって言ってくれたの?

 本当に? きみを信じていいの?」

 鬼娘が不安そうな声で言う。


 ズシンと足音が近くなった


 「ひッ! 近くまで来てる!」

 鬼娘が小さく悲鳴をあげた。


 「こ、怖い!

 しがみついていい?」


 ズシン。

 ズシン。

 足音がさらに近くなる。


 「ちょ……、こ、こら、こんなときに、なに興奮してんのよ」

 焦った声で囁く鬼娘。


 ズシン。

 ズシン。


 「バ、バカじゃないの……。

 ん、くッ。み、見つかっちゃうでしょ……。

 やっぱり、きみは邪淫だよ」

 囁き声で焦る鬼娘。

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