第32話


 買ってもらったメロンソーダを飲みながら、お店の端っこでじっとしてた。

 じっとしてる間、あたしはひとりにならなかった。

 ずっと、誰かがそばにいてくれた。

 そうして、しばらくしたら、


 ウー! ウー!


 パトカーが、サイレンを鳴らしながらやってきた。

 ついさっきまで、あたしが乗せられてきた犯人の車が止まっていた場所に、パトカーが止まる。

 優しい店員さんや、おじいさんや、おばあさん。キーホルダーをくれたチル。メロンソーダを買ってくれた、チルのお母さん。

 みんながお巡りさんの質問に、答えてる。

 あたしは、女のお巡りさんにギュってされて、いろいろ声をかけてもらった。でも、犯人のこととか、どうしてこうなったのかは、聞かれなかった。

 名前は? とか、住所は? とか、そんなことしか、聞かれなかった。

「電話番号、わかるかな?」

「あれ、ええっと……」

 あたしは、気づいた。ランドセル、持って行かれちゃったって、気づいた。

 逃げ出すときに、ランドセルのことなんて考えてなかった。自分のことしか考えられなかった。

 お母さんのスマホの番号を書いた紙は、ランドセルの中にある。どうしても電話をかけないといけない時は、それを見ながらかけていた。ランドセルを背負ってない時用に、お財布にも電話番号を書いた紙を入れてある。学校に行く時以外のお出かけの時には、必ずお財布を持って出る。

 だから、あたしはいつも、電話番号と一緒だった。

 メモがあるから平気だし、メモを見たほうが正確だからって、あたしは番号を覚えようとしてこなかった。

 緑の電話の、ボタンを押しているときの自分を思い出そうとする。途中まではなんとなくわかるんだけれど、ちゃんと思い出せない。

 くやしい。

 せっかく止まったばっかりの涙が、また溢れだす。

 こらえようとしても、涙は勝手に、あたしの身体から逃げ出していく。

「通っている小学校の名前、教えてくれるかな?」

 ああ、それなら――このごちゃごちゃになった頭でも、泣きながらでも、ちゃんと言える。


 あたしははじめて、パトカーに乗った。

 窓の外を、泣きすぎて腫れた目を、ぐぃーって開きながら、じぃーっと見る。

 どんどんと、見慣れた街に近づいていく。

 そして、あたしはついに、生きて、見慣れた街に帰ってきた。

 夢みたい、って思う。

 夢じゃないけど、現実だけど、まるで夢みたい。

 見慣れた景色が、いつもよりずっと煌めいて見える。

 いつも、こんなふうに輝いていたのかな。

 ずっとここで暮らしているうちに、このキラキラに目が慣れて、当たり前になってしまっていたのかな。

 修学旅行に行って帰ってきたときのお母さんみたいな、あったかい空気を街から感じる。

 あったかい空気に、パトカーがぽわん、ってめり込んでいく。

 包まれる。

 パトカーの窓が閉まっていても、確かにそのあたたかさを、あたしは感じる。

 ほんの数時間であたしの心は、感覚は、驚くほどに鋭く変わったみたいだ。



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