第26話


 ガシッ!


 急に、男の人が冷たい目をして、あたしの左手首を掴んだ!

 ヤバい、って思った。あたしは強引に笑いながら、

「ごめんなさい、わからなくなっちゃいました。他の人に聞いてください。じゃあ、失礼します」

 その場から、逃げようとした。

 でも、その人はあたしの手を離してはくれない。

 

 あたしは、『いかのおすし』だ、と思って、大きな声を出そうとした。

 でも、なんでだろう。いつもだったら簡単に出るのに、声が全然出てくれない!

 それじゃあ、笛だ、笛! そう思ったけれど、掴んだはずの、笛がない!

 違う。掴んだのは確かだけれど、気を抜いた時に放しちゃったんだ!

 じゃあ、もう一度つかんで、笛を吹けばいい!

 でも、手はプルプル震えるし、口にくわえることもできなかった。

 怖くて怖くて、あたしは何もできなかった。


 手首が折れちゃうんじゃないかってくらい、ギュウッてされる。

 そのままあたしは、車の中へと押し込められた。

 車に乗りたくなんかない。でも、どうしても逃げられない!

 ドアがバーン! って閉まる。

 男の人が運転席に乗り込もうとしたとき、

『ちょっと!』

 サトコおばちゃんの声がした。

 ちょっと震えて、ちょっと尖った声だったけれど、あの声は絶対、サトコおばちゃんの声だ。

 また、ドアがバーン! って閉まる。

 そうして、車はブーン! と勢いよく走りだした。

『コラ! 待ちなさい!』

 窓が全部しまっているっていうのに、その叫び声は、すごくよく聞こえた。


 あたしはただ、震えることしかできなかった。

 これって、誘拐ってやつ? あたし、これからどうなっちゃうの?

 こんなことになるなら、防犯ブザーをつけておけばよかったのかもしれない。

 一年生の時に「笛があれば充分だから、防犯ブザーはいらない」って言われたからって、たぶん、意地を張っていたんだ。

 笛があればいいんだもんって、そう言われたんだもんって。

 でも、そんなことはない。

 大事な時に、空気なんて、上手く吐けない。

 手に取って、咥えて、吐くなんて、そんなのムリ!

 一年生こそ、防犯ブザーをつけるべきだ。六年生でもこうなっちゃうんだもん。

 涙が出てきた。

 心が痛い。

 ああ、でも、あたしは〝呪い屋さん〟だ。

 だから、コイツのことを呪えばいいんだ!

 強引に、力が湧いたふりをして、

 ――この人に、あたしが感じた恐怖と同じかそれ以上の、怖くて身体がブルブル震えちゃうことが起きますように。

 いつものように、心の中で唱えた。何度も唱えた。

 でも、何も起きない。

 前みたいに、時間がかかるのかなぁ。

 待てば、どうにかなるのかなぁ。

 考える。

 考える。

 どうすれば、あたしは力をうまく使えるだろう。

 どうすれば、あたしは自由を取り戻せるんだろう。



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