女装したらギャルと友達になった話

 春もうらら。桜は満開。

 今日は修了式だ。


 新学期への心構えだとか、校長の長ったらしい話とか、眠っていはいけない全校集会24時って感じだった。

 ともあれ、そんな退屈な式やHRは午前で終わり、僕はいつもの二人と下駄箱を出た。


 天気は快晴。文字通り雲一つない。

 ぽかぽか陽気に身体がじんわりと温まっていくのを感じる。

 三人であれやこれやと雑談を交わしながら校門を出て、いつぞやの田舎道。

 ふと、歩きスマホをする司馬の口から、聞き慣れた名前が発せられた。


 「おっ三宅唯、活動再開だって」


 人気女優『三宅唯』、芸能界復帰。


 知ってる。

 だって、本人から直接聞いたからね。



 あれから約半年。

 不安定だった唯の精神状態は徐々に回復していき、つい先日、いよいよ医師からもOKが出た。

 これには唯本人の強い気持ちがあったとかなかったとか。


 とは言え、それでもまだしばらくお薬は飲まなきゃいけないらしいし、定期的なカウンセリングも続くらしいから、完治とはいかないけど。


 病んだ心ってものとは、やっぱり一生付き合っていかなきゃいけないらしい。

 そうじゃない人もいるんだろうけど、何にせよ、唯がどっちかっていうのはこれからわかることか。

 それに、わかったところで何が変わるでもない。


 だって、唯は唯だ。



 「マジ?結局何で休んでたの?」


 興味津々なのか、桜井は司馬のスマホをのぞき込んでいる。


 「文夏なんかは鬱病がなんとかって言ってるな」


 「ふ~ん。

 復帰作何になるんだろうね」


 「やっぱあれの続編じゃね?

 あとは──」


 こうして二人の会話を聞いていると……なんか、唯はやっぱり有名人なんだな。と実感させられる。

 あれでいて人気女優だし当然なんだろうけど、普段のあの人を見ていると、とても同一人物には見えないんだよなぁ。

 

 最近唯といると、初めて会った日に話していた「妹みたいって言われることが多い」という発言に得心が行く。

 負けず嫌いだったり、割と天然だったり、好きなもののこととなると周りが見えなくなったり、あと普通に我儘だったり、エトセトラエトセトラ……


 可愛いからいいんだけどね。


 「俺ら飯行くけど遥は?やっぱ行かん?」


 「……えっ」


 気付くと、いつの間にか駅に着いていた。


 いつもなら住宅街方面に出る桜井と、それを送る司馬の二人とは校門前で別れる。

 しかし今日のような放課後デートの日は、僕と一緒に駅まで出てきて、あっち行ってこっち行ってと、青春を謳歌しているのだ。


 「飯。中華だけどどうだ?」

 

 日によっては僕もお邪魔させてもらっているけど、生憎、僕も今日は外せない用事がある。


 「あ、いや、今日は……」


 そう言って断ろうとすると、僕の反応を見て何かに気付いた桜井が、司馬にこそこそと耳打ちをした。


 「ほら……女装……ギャル……」


 なんて単語が聞き取れる。

 

 二人にはまだ、僕の知り合った『唯』が『三宅唯』であることは話していない。

 復帰して、色々と安定したら、自分の口から伝えたいそうだ。


 二人にはドタキャンで迷惑をかけてしまったし、僕としてはなるべく早めに話したかったんだけど、こればっかりは本人の気持ちを尊重しないとな。


 そんなわけで当面は、


 「実は成人したお姉さんでした」


 というスタンスでいくことにした。


 「わりーわりー、そういうことならまた今度行こうぜ!

 じゃあな!」


 にやけ面を浮かべた司馬は、ブンブンと豪快に腕を振り、さっさと駅へと向かっていく。


 「ばいば~い!」


 去り際、桜井はこっちを振り返って、


 (どう?デキる女でしょ?)


 とでも言いたげなばちっとウィンクと、ぶいっとピースサインを送ってきた。



 ……まあ、いいか。


 

* * *



 待ち合わせ場所はあの公園だ。


 駅にほど近く、春から夏にかけては緑が溢れていてとても気持ちがいい。


 あの公園の、あの日座った、あのベンチ。

 そこには一人の先客がいた。


 「遥。お疲れ様」


 唯はスマホから顔を上げると、首元で綺麗に切り揃えられた髪をふわりと靡かせて、柔らかく微笑んだ。

 

 唯はウルフカットをやめた。

 やめたというか、あの時はそもそも美容院に行く気すら起こらず、自身で最低限の手入れをするだけの、半ば伸び放題状態だったそうだ。

 しかし、僕を家へ招いてくれたあの日以降、少しずつそうした所へと通うようになった。

 年が明けてからはその頻度も増え、最近では会う度に違う髪型をしている。


 「唯もお疲れ様」


 今回のヘアスタイルは、僕の一番好きな髪型だった。

 全体を首の付け根辺りで綺麗に切り揃えたやつだ。

 僕が頼んだわけではないから偶然なんだろうけど、よく似合っている。


 「来週から撮影始まるからさ。どう?」


 唯は小さい頭を軽く振り、色々な角度からおニューの髪型を見せてくれた。

 しゃらんと鳴りそうな、軽やかで艶のある、綺麗な髪だ。


 クソ可愛い。

 可愛すぎる。


 「うん……に、似合ってる」


 「ふふっ、やった!」


 相も変わらず童貞の僕だが、そんな僕に対して唯は、毎回おニューの髪型の感想を求めてくる。


 「どう?」とか「似合ってる?」とか「かわいい?」とかって。


 少し前までの僕は当然のようにどもってしまって、何も言えなかった。

 けどここ最近になってようやく、お似合いである旨を述べることが出来るようになったのだ。

 何事も慣れってことだ。


 ……まあ、マイナスなことじゃない限りは、何を言っても喜んでくれるんだけどね。


 それにしても「似合ってる」なんて、ほぼ毎回聞いてるはずのしけた感想なんだけどな。

 唯にとっては一等賞なのか、大事そうに言葉を噛みしめては、歯を見せて喜んでくれる。 

  

 些細なことで向けられる僕の大好きな笑顔。

 初めて会った日の、夕陽を背にして見せてくれた、あの笑顔だ。


 唯はベンチの向かって右端に座っていた。

 にこにこ笑顔で足をぱたぱたとさせている。


 ……僕はこういう時、どこへ座ったらいいかが本当にわからない。


隣か?いや、他が空いてるのにわざわざ隣は恋人の距離感じゃないか?じゃあ一つ開けて座るか?でも一つだけ開けるって何だ?変じゃないか?じゃあ二つ開けるか?いやそれが一番意味がわからない。何の距離感だよそれは。なら一番端か?でもそれは友達としてどうなんだ?まるで避けてるようじゃないか?それ二つ開けるのと同じじゃないか?いやそれよりも酷くないか?というかそもそも僕は座っていいのか?男だし立つべきじゃないのか?


 といった具合に逡巡してしまうのだ。


 唯はベンチの前で突っ立っている僕を胡乱げに見つめて、首を傾げている。

 「座んないの?」と聞こえてくるようだ。


 そんな視線に急かされた僕は、ええいままよの精神で、反対の端っこに座ってしまった。

 一番微妙な選択をしてしまったのだ。


 男だと伝え、男として会って、話して。

 すっかり好意を認めてしまった結果の、この童貞だ。


 「ちょっと!なんでそんなに離れて座るの!」


 案の定突っ込まれる。


 「こ、こういう時……どこに座ったらいいのか、わかんなくって……」


 ろくな言い訳も用意できない僕は、洗いざらいお気持ちを吐露してしまうのだった。


 「と・な・り!」


 「ひっ……う、うん」


 唯はそう言いながら、自身の腕をバンバンと振ってベンチを叩いている。

 ここに座れってことだろう。


 噓かと思うかもしれないが、この人はこれでも成人だ。


 激しく促された僕は、小さな子供一人なら入れるぐらいの隙間を残して、唯の隣に腰を下ろした。


 四人掛けのベンチに二人きりでくっつくって、もう完全にそうじゃん。

 そこまでは流石にまだ無理じゃん。


 唯は僕の胸の内など露知らず、これ以上ないくらいに満足そうな笑顔を浮かべている。


 ……なら良いか。



 少しの間、そうしてぼーっと過ごした。

 肌寒いような温かいような、そんな春の風が僕達の髪を揺らす。

 すると、嗅ぎ慣れた匂いがふわっと香った。


 「……唯、煙草吸ってた?」


 「え、わかる?くさい?」


 バニラのような甘い香りだ。


 「臭くはないけど、あー煙草だって感じ」


 「あー……まあ、それくらいならいっか」


 復帰するにあたって最近は本数を減らしているらしいけど、それでもやっぱり匂いはわかってしまう。


 僕は唯が本数を減らすのを機に、最近はめっきり吸わなくなった。

 そもそも未成年だし、あの時は何て言うか、まあ、若気の至りと言うか、とりあえずそういうことにして距離を置くことにしたのだ。


 ……それでもやっぱり、こう、匂いを嗅ぐと、肺の辺りがうずうずとし出す。

 僕が二十歳になったら真っ先にコンビニに走るだろうことは、容易に想像がついてしまう。


 まあそれはそれとして、ぶっちゃけ今日は、そんなに気にしなくていいんだけどね。


 「別に皆も知ってるしね」


 「ね。そもそも隠すようなことでもないし。


 ……あ、噂をすればだよ」


 唯の視線の先にある公園の入り口から、こちらへ向かってくるシルエットが二つ。


 「お待たせ~」


 「二人ともおつ~!」


 高そうなチェスターコートに身を包み、ペンギンの親子のように凛々とくっつきながら歩く舞菜と、肌寒そうに両手をコートのポケットへ深く入れた愛瑠が、間延びした声をかけてきた。


 「おつかれ~」


 唯は同じ調子で言葉を返すと、すっと立ち上がり、小走りで舞菜達のもとへ。


 ……僕の勇気はいったいなんだったのか。


 そうして肩を落としていると、中途半端な位置に座る僕を意味深に見つめる凛々と、前髪の隙間から目が合った。


 「……」


 すると彼女はあろうことか、今の今まで唯が座っていたのとは反対側の、僕の隣に腰を下ろした。

 小さな子供一人分のスペースは無い。


 ギャルの定位置は隣っていう決まりでもあるのか?


 「どう?」


 そんな僕の疑念なんぞお構いなしに、凛々はスマホを開きながら、一見すると無愛想な声遣いで尋ねてきた。


 「どう、とは?」


 「進展」


 「あるように見える?」


 「……」


 僕の唯への気持ちは、この場にいる誰にも打ち明けていない。

 もし結ばれるようなことがあったら、その時報告したいからだ。


 だから黙っていた。

 それなのに、凛々には僕の気持ちが筒抜けだった。


 あれから皆とは何度か男として会っているが、何故だろうこの人は、いつの間にか僕が唯に好意を抱いていることを見抜いていたのだ。

 以来、この調子だ。


 「がんばって」


 本当に、よく見てる。


 「ありがとう」


 僕はそうお礼を言って、皆のもとへ行こうとベンチから腰を上げた。

 が、そんな僕の肩を掴んで真下へ外すかのような勢いで、舞菜が飛び込んできた。


 「遥!ね、ね、どこ行く?どこ行きたい?私はご飯食べたい!」


 相も変わらず、お家芸の明快さだ。

 明日から春休みとは言え、それが終われば僕達は最高学年。

 受験とか就職とか、考える事が一気に増えてくるから、僕は今から憂鬱だっていうのに、何故にこの人はこうも元気なんだろうか。


 そういえば、舞菜達のこの距離感の近さは、僕が女装をしていた時に限ったものだと思っていた。

 でも実際、男COをしても、特にこれと言って変化らしいものは無かった。

 この人達はきっと、素でこれなのだ。


 でもそれはつまり、やっぱり近いというわけで。

 甘くていいい匂いがするわけで……


 コートが制服のズボンに当たるだけで……結構クるわけで……


 「っ……あ~皆は?」


 僕は緊急避難のように愛瑠の方へ声をかけた。

 唯と二人で何やら話していたようだけど、


 「とりあえずメシ~」


 「先にお昼食べたいかな」


 と、二人揃って即答だ。


 「私もご飯」


 二人の返事の後、右隣からもそう声がした。

 満場一致でお昼ご飯だ。


 まあ午前で学校が終わったから、今はちょうどお昼時だしね。


 「じゃあ僕もご飯で」


 「ん!サイゼでいい?」


 採った決は再び満場一致。

 そうと分かった舞菜と凛々はさっさと立ち上がり、愛瑠のもとへと駆けていった。


 つられるように僕も歩き出す。

 

 そんな僕の少し先で立ち止まっていた唯は、僕が追いついた辺りで並んで歩き出し、口を開いた。


 「ホント、受け入れてもらえてよかったよね」


 じゃれ合いながら少し先を歩く舞菜達を写真に収めて、愛おしそうに眺めている。


 「そうだね」


 僕の口調もつい、感慨深げになった。


 僕の女装も、唯の変装も、彼女達は驚きこそすれ、結局は笑って受け入れてくれた。


 なんならあの三宅唯と繋がれたって、大はしゃぎで喜んでいたくらいだ。


 でも驚いたのは、僕を男と知って、唯を女優と知って、その上で、全くよそよそしくならなかったことだ。


 普通の友達の距離感のまま。

 COする前のまま。

 何も変わらなかった。

 

 やっぱり凄いなギャルは。


 僕自身は男女比も相まって、この輪に"入れてもらってる"って感じが抜けないけど、それでもやっぱり、受け入れてもらえるというのはありがたい。


 ……言ってみるもんだ。


 「おかげで毎日楽しいよ。

 またオケオールもしたいな」


 「だね」


 桜並木を歩いて、三人の後ろをついていく。


 桜がひらひらと落ちていく。


 「ねぇ、さっき、凛々となに話してたの?」


 景色に見惚れていると、ふいに尋ねられた。

 さっきと言うと、ベンチでの事だろう。


 凛々と話したのは──唯との進展だ。


 言えるわけがなかった。


 「えっ、と……と、特になにも……?」


 思わず視線が泳いだ。

 あっちにこっち。

 そうして誤魔化す僕に追い討ちをかけるように、唯は悪戯っぽく笑って、僕の顔を覗き込んでくる。


 「え~本当?何か赤くなってない?」


 髪が靡いて、本当に、綺麗だ。

 

 「なってないなってない!

 ゆ、唯は?愛瑠となに話してたの?」


 唯は少し肌寒いのか、頬がわずかに紅潮している。



 「え~?


 ……ふふっ」



 春と香水と、ほんの少しの煙草の香りが、僕らの間を追い抜いた。



 「特になにも。だよ」




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