うしろに倒れたら手首が
あたしはバイト帰りの
ちょっとだけ肩が
「普段はどんな音楽を聴いているんですか?」
「ほとんど聴かないかな。まあ、
「じゃあ、ジャズとかは?」
あたしはジャズにはまったく興味がない。あれはBGMだと思っている。
「ほとんど聴かないよ。一応、ジャズ研所属だけど。軽音の方にも顔を出してるし」
そういえば、そうだった。アコースティックライブの時は、軽音部の人たちと一緒に応援に来てくれた。
「あの、何のためにジャズ研に所属しているんですか?」
「サックスを吹くためだよ。ジャズは好きだけど、何よりサックスを吹くのが好きなんだ」
あー、なるほど。確かに。サックスはトランペットと違って、ミュートできないもんね。
「あたし、中学までは吹奏楽部でクラリネット吹いていました」
「そうなんだ。俺もサックスを始めたきっかけは中学の吹奏楽部。でも、すぐに辞めちゃったんだ」
「どうしてですか?」
「譜面を読むのが苦手だし、面白くなかったからだよ」
「何が面白くなかったんですか?」
もしかしたら話したくないことがあるのかも……一抹の不安を感じながら訊いてみた。
「吹奏楽、聴くのはいいなって思うんだけどさ、演奏する側じゃないなって。なんかこう、もっと目立ちたいというか……」
「あー、それ、わかります。あたしもそれで、今、バンドやってます」
よかった。どうやら
今度は大きな駅のエスカレータに乗り、二階に上がった。ちょっと面倒な構造だなって、いつも思う。
「さてと……」
ここでお別れ。
「帰ったら、まだうまく弾けないフレーズがあるので練習しないと。何かコツはありますか?十六分音符の速弾きなんですけど」
何か、考えているようだ。
「コツはわからないけど、なんとかなるかも」
意外な答えが返ってきた。
「本番までに仕上がらなかったら、エフェクターでごまかすといいよ」
エフェクターでごまかす?マルチエフェクターはいつも使っているけど……。
「え?どういうことですか?」
「ディレイを使うんだよ。遅延時間は十六分音符に合わせて、繰り返し回数は一回だけ。じゃあ、ここで」
「あ、はい。じゃあ、また」
あたしが小さく手を振ると、
♪ ♪ ♪
高校の傍から乗ってきた電車とは違う電車に乗って、十分ほど。降りてからさらに徒歩五分。家に着くと、お母さんの声が聞こえた。相変わらず、微妙な日本語発音。
「
「ママ、もうちょっと日本語、勉強してよ。発音、変」
「いいのよ、味があって。色々と得することも多いのよ」
「例えば?」
「変な勧誘を断るときとか」
小さなころ、ママのために、よくスーパーとかで日本語とフランス語を通訳していた。
あたしの金髪も地毛。瞳の青色もカラコンじゃない。でも、この街は外国人も多いから、学校からとがめられたことはない。
もう家を出ているけど、兄が二人いて、どちらも同じく金髪と青い瞳。あたしと違って、いかにもフランス人って顔つき。きっと、女子生徒にいっぱい
テーブルの上に置いてあった、冷めた晩御飯を電子レンジに入れてタイマーをセットすると、部屋に戻って制服を脱いでさっさと部屋着に着替えた。
「ママ、いつも晩御飯、ありがと」
ダイニングに戻って一言、声をかけた。
「いいのよ。それよりお魚、圧力鍋で煮たから骨まで柔らかいわよ。全部、食べてね。背が伸びるから」
「うん」
あたし、確かに背は低いですけど、もう、伸びないと思いますっ!
早々に晩御飯を食べ終えると、部屋に戻ってエレキギターをケースから出した。
ペンペンペン、ミヨーン。
エレキギターって、アンプにつなぐとすごい音がするけど、生音はちょっとこっけいな感じがする。
「ここがうまく行かないんだよなぁ」
楽譜も広げてギターを弾きながら、声に出してみた。十六分音符は何ヶ所かあるけど、この二小節だけ、音階が一気に上がって下がる。こういうの、苦手。
あたしはギターとエフェクターをシールドで繋ぎ、モニター用ヘッドフォンのプラグを差し込んだ。
でも、この二小節だけしか使っちゃダメ。ということは、他の部分で違うセッティングが使えないということ。でも、ま、背に腹は代えられないし、しょうがないや。
♪ ♪ ♪
翌日、あたしたちは武道場で本番を待っていた。今日は文化祭の校内公開日。十年単位にやってくる創立記念の年のせいか、去年より機材が豪華な気がする。
今回は、いつものストラトじゃなくて、パパのとっておきのテレキャスを使う。
入り口には、担任の
八番目のバンド演奏が終わり、バンド転換が始まった。
「ねえ、
アンプの調整をしていたら、
「実はまだ弾けたり弾けなかったりなんだけど、秘策があるんだ」
「秘策?」
「うん、王子様からの授かりものなの」
そんなこんなで、あたしたちのステージは始まった。
まずは一曲目、この曲はボーカルがメインだからリードギターはそれほど活躍するところなし。
演奏のノリも悪くない。演奏しながら、徐々にドラムとベースの音が合い、サイドギターのカッティングもきれいに決まり始めるのを感じた。
あたしは、イントロ、それに軽いオブリガードとサイドギターのサポート的なフレーズを入れるだけ。
文化祭はリハーサルが無いから、ウォーミングアップも兼ねた選曲は正しかった。
続いて、メンバー紹介。ボーカル兼サイドギターの
ドラムの
問題なのは二曲目。振り返ると、カウントを出そうとしている
まずい、みんな緊張している。あたしのせいだ。
あたしは、深呼吸をし、二曲目のテンポを頭に思い浮かべた。
そして、二曲目の最初のマイナーコードを一発ガツーンと鳴らし、エフェクターを踏んで十六分音符のフレーズを二小節ほど弾くと、もう一度、エフェクターを踏んだ。
仕上げに、六弦を十二フレットあたりから一気に指を滑らせる。
ハイハットが二回、鳴った。二曲目のカウント出しだ。
この曲の二小節のためだけにディレイはセッティングしてある。テンポは、あたしがさっきガツーンと弾いたテンポ通り。
ドラムのビートとベースのアタック音がぴったり合っていて、時々、どちらかの音が聞こえなくなるような錯覚に陥る。
来た、リードギターのソロ……って、あたしが弾いているんだけど……問題の小節がだんだん近づいてくる。大丈夫、秘策は家でも試したし、さっきもうまくいった。
ぴったりタイミングを合わせて……あたしはエフェクターを踏んだ。
急に時間の進みが遅くなった気がして、あたしの指は正確にフレットをなぞった。そして、一気にギターフレーズの厚みが増して気持ちいい。しかも、失敗しなかった。
たった二小節のためだけのセッティング、時間にして約三秒、ありがとう。あなたはあたしに心の余裕をくれた。そして、さよなら。
もう一度、エフェクターを踏み、残りのソロを弾き切った。
昨日まで、ダメかもって思っていた自分が完全に過去形になった瞬間。
横を見ると、
ラスト、三曲目、もう、やり切った感まるだしで演奏して、無事、あたしたちの演奏は終わり、拍手をもらうこともできた。
「
「良かったよ」
「結局、あれ、何だったの?」
バンド転換のため、そそくさとエフェクターを持ってステージから退散した後、三人から質問責めにあった。
「秘策だから、秘密だよ。でも、結局、ミスしなかった。よかったよかった」
「これなら、明日の一般公開の時もばっちりいけちゃうね!」
「うん、でも、一応、秘策は明日も使うつもりだよ」
しゃがんでギターとエフェクターをケースに収納し、シールドを束ねていたら後ろに倒れそうになった。
あ、スカートの中が見えちゃう。
スパッツを履いているし、ここにいるのは女子だけだったから、別にスカートを押さえる必要はなかったけど……反射的に右手でスカートのすそを押さえてしまった。
後ろに回した左手に痛みが走った。力が抜け、そのまま、後ろにひっくり返ってしまった。
「
「うん、大丈夫……だと思う」
やってしまった。明日、ダメかも。痛みの強さがあたしに訴えている。
「ごめん、左手首、ねん挫しちゃったかも……」
「大丈夫?とりあえず、保健室行こうよ」
明日の事より、あたしのことを心配してくれている。涙が出てきた。
あたしの左手、大丈夫かな。保健の先生、なんて言うんだろう? 病院に行くことになるのかな。
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あとがき
数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。
「エフェクター」というのは、よく、ギタリストやベーシストがステージの足元に置いている電子機器です。アンプに内蔵されているものもあります。
「ディレイ」は、「音を遅らせる」、やまびこのような効果を得るものです。似たような効果を得るもので、「リバーブ」、「エコー」などがあります。
はい、これも経験談です。実話です。高校生の時、バンドをやっていて、どうしても弾けないフレーズがありまして、この技を使って乗り切りました。
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