うしろに倒れたら手首が

 あたしはバイト帰りの二海ふたみさんと一緒に、駅に向かって歩いていた。二海ふたみさんはあたしと違って背が高い。傍で見上げると、まるでビルを見ているような気分になる。


 二海ふたみさんの顔越しに見える空は、街の明かりのせいか、まったく色がわからない。たぶん、灰色か、紺色か……。あ、カラオケ屋さんから人が出てきた。避けないと……。


 ちょっとだけ肩が二海ふたみさんに触れた。なんだか恥ずかしい。


「普段はどんな音楽を聴いているんですか?」

「ほとんど聴かないかな。まあ、流行はやっているのをちょっと聴くぐらい」


「じゃあ、ジャズとかは?」


 あたしはジャズにはまったく興味がない。あれはBGMだと思っている。


「ほとんど聴かないよ。一応、ジャズ研所属だけど。軽音の方にも顔を出してるし」


 そういえば、そうだった。アコースティックライブの時は、軽音部の人たちと一緒に応援に来てくれた。


「あの、何のためにジャズ研に所属しているんですか?」

「サックスを吹くためだよ。ジャズは好きだけど、何よりサックスを吹くのが好きなんだ」


 あー、なるほど。確かに。サックスはトランペットと違って、ミュートできないもんね。


「あたし、中学までは吹奏楽部でクラリネット吹いていました」

「そうなんだ。俺もサックスを始めたきっかけは中学の吹奏楽部。でも、すぐに辞めちゃったんだ」

「どうしてですか?」

「譜面を読むのが苦手だし、面白くなかったからだよ」


 二海ふたみさん、めずらしく自分のことをたくさん話してる。


「何が面白くなかったんですか?」


 もしかしたら話したくないことがあるのかも……一抹の不安を感じながら訊いてみた。


 二海ふたみさんは、あたしの質問にさくっと答えてくれた。


「吹奏楽、聴くのはいいなって思うんだけどさ、演奏する側じゃないなって。なんかこう、もっと目立ちたいというか……」

「あー、それ、わかります。あたしもそれで、今、バンドやってます」


 よかった。どうやら二海ふたみさんと同じ側の人間みたい。


 今度は大きな駅のエスカレータに乗り、二階に上がった。ちょっと面倒な構造だなって、いつも思う。


「さてと……」


 ここでお別れ。二海ふたみさんは、真希乃まきのが通う高校のそばにある駅の近くに住んでいる。あの駅もある意味、日本一の駅だった。お婆ちゃんの家を下宿代わりにしているとのこと。


「帰ったら、まだうまく弾けないフレーズがあるので練習しないと。何かコツはありますか?十六分音符の速弾きなんですけど」


 二海ふたみさんにいてもしょうがないと思いつつ、一応、訊いてみた。


 何か、考えているようだ。二海ふたみさんは右手をあごに当てた。


「コツはわからないけど、なんとかなるかも」


 意外な答えが返ってきた。


「本番までに仕上がらなかったら、エフェクターでごまかすといいよ」


 エフェクターでごまかす?マルチエフェクターはいつも使っているけど……。


「え?どういうことですか?」

「ディレイを使うんだよ。遅延時間は十六分音符に合わせて、繰り返し回数は一回だけ。じゃあ、ここで」

「あ、はい。じゃあ、また」


 あたしが小さく手を振ると、二海ふたみさんも笑顔で小さく手を振ってくれた。二海ふたみさん、エレキギターも弾いたことがあるのかな。



  ♪  ♪  ♪



 高校の傍から乗ってきた電車とは違う電車に乗って、十分ほど。降りてからさらに徒歩五分。家に着くと、お母さんの声が聞こえた。相変わらず、微妙な日本語発音。


楼珠ろうず、おかえり」

「ママ、もうちょっと日本語、勉強してよ。発音、変」

「いいのよ、味があって。色々と得することも多いのよ」

「例えば?」

「変な勧誘を断るときとか」


 小さなころ、ママのために、よくスーパーとかで日本語とフランス語を通訳していた。


 あたしの金髪も地毛。瞳の青色もカラコンじゃない。でも、この街は外国人も多いから、学校からとがめられたことはない。


 もう家を出ているけど、兄が二人いて、どちらも同じく金髪と青い瞳。あたしと違って、いかにもフランス人って顔つき。きっと、女子生徒にいっぱいこくられたんじゃないかな。


 テーブルの上に置いてあった、冷めた晩御飯を電子レンジに入れてタイマーをセットすると、部屋に戻って制服を脱いでさっさと部屋着に着替えた。


「ママ、いつも晩御飯、ありがと」


 ダイニングに戻って一言、声をかけた。


「いいのよ。それよりお魚、圧力鍋で煮たから骨まで柔らかいわよ。全部、食べてね。背が伸びるから」

「うん」


 あたし、確かに背は低いですけど、もう、伸びないと思いますっ!


 早々に晩御飯を食べ終えると、部屋に戻ってエレキギターをケースから出した。


 ペンペンペン、ミヨーン。


 エレキギターって、アンプにつなぐとすごい音がするけど、生音はちょっとこっけいな感じがする。


「ここがうまく行かないんだよなぁ」


 楽譜も広げてギターを弾きながら、声に出してみた。十六分音符は何ヶ所かあるけど、この二小節だけ、音階が一気に上がって下がる。こういうの、苦手。


 あたしはギターとエフェクターをシールドで繋ぎ、モニター用ヘッドフォンのプラグを差し込んだ。


 二海ふたみさんの言う通りにディレイをセッティングしてみると……え?なんかすごい、めちゃくちゃうまくごまかせている!


 でも、この二小節だけしか使っちゃダメ。ということは、他の部分で違うセッティングが使えないということ。でも、ま、背に腹は代えられないし、しょうがないや。



  ♪  ♪  ♪



 翌日、あたしたちは武道場で本番を待っていた。今日は文化祭の校内公開日。十年単位にやってくる創立記念の年のせいか、去年より機材が豪華な気がする。


 今回は、いつものストラトじゃなくて、パパのとっておきのテレキャスを使う。


 入り口には、担任の南島なしま先生が立っていた。あたしたちの演奏時間に合わせて、武道場担当の時間を調整してくれたのかもしれない。


 八番目のバンド演奏が終わり、バンド転換が始まった。


「ねえ、楼珠ろうず、うまく弾けそう?」


 アンプの調整をしていたら、弥生やよいが低くゆっくりとした口調で声をかけてきた。


「実はまだ弾けたり弾けなかったりなんだけど、秘策があるんだ」

「秘策?」

「うん、王子様からの授かりものなの」


 そんなこんなで、あたしたちのステージは始まった。


 まずは一曲目、この曲はボーカルがメインだからリードギターはそれほど活躍するところなし。


 演奏のノリも悪くない。演奏しながら、徐々にドラムとベースの音が合い、サイドギターのカッティングもきれいに決まり始めるのを感じた。


 あたしは、イントロ、それに軽いオブリガードとサイドギターのサポート的なフレーズを入れるだけ。


 文化祭はリハーサルが無いから、ウォーミングアップも兼ねた選曲は正しかった。


 続いて、メンバー紹介。ボーカル兼サイドギターの弥生やよいがメンバー紹介をしながら、紹介されたメンバーが軽くフレーズを弾く。


 ドラムの葉寧はねいの紹介が終わってから、お約束の、弥生自身の紹介を忘れるってやつ。打合せ通り、奈々音ななねが突っ込みを入れた。


 問題なのは二曲目。振り返ると、カウントを出そうとしている葉寧はねい奈々音ななねを見ていた。奈々音ななねは足元のエフェクターを睨んでいる。弥生やよいは少し目が泳いでいるように見えた。


 まずい、みんな緊張している。あたしのせいだ。


 あたしは、深呼吸をし、二曲目のテンポを頭に思い浮かべた。


 そして、二曲目の最初のマイナーコードを一発ガツーンと鳴らし、エフェクターを踏んで十六分音符のフレーズを二小節ほど弾くと、もう一度、エフェクターを踏んだ。


 仕上げに、六弦を十二フレットあたりから一気に指を滑らせる。


 ハイハットが二回、鳴った。二曲目のカウント出しだ。


 この曲の二小節のためだけにディレイはセッティングしてある。テンポは、あたしがさっきガツーンと弾いたテンポ通り。


 ドラムのビートとベースのアタック音がぴったり合っていて、時々、どちらかの音が聞こえなくなるような錯覚に陥る。


 弥生やよいも走らずにしっかりとビートに乗って、今までで一番の一体感がある。どの練習の時よりも、あたしの指はフレーズを走らせたくなってしまう。


 来た、リードギターのソロ……って、あたしが弾いているんだけど……問題の小節がだんだん近づいてくる。大丈夫、秘策は家でも試したし、さっきもうまくいった。


 ぴったりタイミングを合わせて……あたしはエフェクターを踏んだ。


 急に時間の進みが遅くなった気がして、あたしの指は正確にフレットをなぞった。そして、一気にギターフレーズの厚みが増して気持ちいい。しかも、失敗しなかった。


 たった二小節のためだけのセッティング、時間にして約三秒、ありがとう。あなたはあたしに心の余裕をくれた。そして、さよなら。


 もう一度、エフェクターを踏み、残りのソロを弾き切った。


 昨日まで、ダメかもって思っていた自分が完全に過去形になった瞬間。


 横を見ると、弥生やよいは心なしか笑っているように見える。曲自体は笑顔で演奏するような曲じゃないんだけど。


 ラスト、三曲目、もう、やり切った感まるだしで演奏して、無事、あたしたちの演奏は終わり、拍手をもらうこともできた。


楼珠ろうず、すごかったじゃん!」

「良かったよ」

「結局、あれ、何だったの?」


 バンド転換のため、そそくさとエフェクターを持ってステージから退散した後、三人から質問責めにあった。


「秘策だから、秘密だよ。でも、結局、ミスしなかった。よかったよかった」

「これなら、明日の一般公開の時もばっちりいけちゃうね!」

「うん、でも、一応、秘策は明日も使うつもりだよ」


 しゃがんでギターとエフェクターをケースに収納し、シールドを束ねていたら後ろに倒れそうになった。


 あ、スカートの中が見えちゃう。


 スパッツを履いているし、ここにいるのは女子だけだったから、別にスカートを押さえる必要はなかったけど……反射的に右手でスカートのすそを押さえてしまった。


 後ろに回した左手に痛みが走った。力が抜け、そのまま、後ろにひっくり返ってしまった。


楼珠ろうず、大丈夫?」

「うん、大丈夫……だと思う」


 弥生やよい奈々音ななねが身体を起こしてくれた。


 やってしまった。明日、ダメかも。痛みの強さがあたしに訴えている。


「ごめん、左手首、ねん挫しちゃったかも……」

「大丈夫?とりあえず、保健室行こうよ」


 明日の事より、あたしのことを心配してくれている。涙が出てきた。葉寧はねいが、あたしのギターを持ってくれ、保健室へ向かった。


 あたしの左手、大丈夫かな。保健の先生、なんて言うんだろう? 病院に行くことになるのかな。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


「エフェクター」というのは、よく、ギタリストやベーシストがステージの足元に置いている電子機器です。アンプに内蔵されているものもあります。


「ディレイ」は、「音を遅らせる」、やまびこのような効果を得るものです。似たような効果を得るもので、「リバーブ」、「エコー」などがあります。


はい、これも経験談です。実話です。高校生の時、バンドをやっていて、どうしても弾けないフレーズがありまして、この技を使って乗り切りました。



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