自分にできることをやる
まいったな、もう……。これじゃ、ギターが弾けない。ネックを握ることすらできない。
時刻は朝九時、文化祭一般公開日、あたしの左手首は厚めの包帯でぐるぐる巻き、ソフトに固定されている。
あたしたちは文化祭実行委員に、今日の演奏はできないことを伝えた。すると、文化祭実行委員から、昨日の動画をプロジェクターで流すのはどうかという提案があり、素直に受け入れることにした。
あたしたちは、受付からちょっと奥まったところにあるテント下に設置された休憩所で椅子に座った。後ろには古びた二階建ての校舎がある。見慣れた風景だ。
「みんな、ごめん」
「しょうがないよ、事故だもん」
三人とも怒っていないけど、それだけに辛い。だって、最後の文化祭だし、しかも十年に一度の記念的な年だし。
みんなも友だちとか家族、呼んでいるだろうし。
もしかしたら、
そうだ、
もう一般客の入場は始まっている。なんて謝ろう。仲間の友だちにも謝ったほうがいいんだろうか?
「
聞き覚えのある声がした。振り返ると
「どうしてここがわかったんですか?」
「受付で実行委員の人に訊いたら、休憩所でへこんでいるって聞いて。なんか怪我したんだって?」
他の三人も、
「ね、
「
「うわ、背、高い。ウエスト、細いのね」
「あ、あのね、えっと……」
三人の目は、まるで洋服の品定めをするような視線。
「理工技大学の三回生で、
それにしても、あたしなんて、下の名前を聞き出すのに五か月もかかったのに。三人はあっさりとフルネームをゲットしてしいる。思わず右手を握りしめてしまった。
「
「うん、実は大学、まだ夏休みなんだ。
「ちょっと、
あたしは泣きたい気分……というか、既に半泣きで座っていた。中途半端な泣き方のせいか、目から鼻のそばを涙が伝っているのを感じる。
あたしは思わず口にしてしまった。いや、息を止めていたので声は出ていないけど。たったの五文字。背中の方で、
「そうなんだ」
何がわかったんだろう?
「
「左手首のねん挫です。昨日、しゃがんでいる時に転んで、変なふうに床に手をついてしまって」
「痛みは?」
「今は大丈夫です」
大きく開いていた
「そう、良かった。それぐらいなら、なんとかなるかも」
「楽器は持ってきている?」
「……はい、というか、昨日、持って帰らなかったので」
「それから……サイドギターは、誰が弾いているの?」
「あ、私です。えっと、
「まだ本番まで時間あるよね。どこかで練習できないかな」
あたしは耳を疑った。あたしの手は親指まで包帯でぐるぐる巻きで、手首はしっかり固定されている。ギターのネックさえつかめない。
「ベースの
「普通に練習できれば、一番いいんだけど」
「どの部屋も文化祭の催し物で使っちゃっていますし……」
そもそもドラムセットやアンプが無い――、そう言いたいんだろうな。
「アップル楽器は? あそこなら、歩いて五分で行けます」
「でも、外出許可、出るかな」
「大丈夫よ。他の生徒も時々、足りないもの、スーパーへ買い出しに行っているから」
「あの、
少し、胃の上の方がキリキリと締められる感触を味わいながら、声を振り絞るように出した。
「まず、左手首の固定をテーピングに変える。ねん挫は動かすとき痛むけど、手首を曲げた状態で固定すれば大丈夫。それに、テーピングなら薄いからネックも握れる」
そうか、テーピング、
「それから、サイドギターの楽譜をギターソロのところだけちょっと書き換える」
「
「さすがに、音楽をやっていない人よりは読めるよ」
「じゃあ、保健室に行ってテープをもらってきます」
「ありがとう。後、ギター、持ってきてくれるかな」
「はい、
「うーん、高須さんのギターも借りれるかな」
「
「楽しむ程度にはできると思うよ」
「どうぞ。全部、使っていいそうです」
一年生の保健委員かな。トテっトテっと歩いている。足が悪いのかも。
女子生徒は
「ありがとう。
「あの、どうしてそのギターがあたしのだってわかったんですか?」
本当に不思議。だって、
「高須さんが左手で持っていたから」
すごい推理力、言われてみればギターケース、右手で持ちやすいようになっている。
「立ってくれるかな」
「はい」
はずかしくて顔が見れない……というか、身長が違い過ぎてそもそも見えない。
横を見ると、
「痛かったら言ってね」
「はい」
さっきほどじゃないけど、
「
あたしの左手は、
「もうちょっと曲げます」
「これぐらい?」
「はい」
「じゃあ、いったん手を下ろしてテープで固定するね」
すぐに体育の教科書で見たようなテーピングになった。
「すごいです」
隣で見ていた女子生徒が声を上げた。
「これは全方向に固定するテーピングだから、手首はほとんど動かないと思うよ」
「ほんとです。これならネックを握れます」
「じゃあ、椅子に座ってソロフレーズの練習してみて」
固定しているものは薄いのに手首が動かない、不思議な感覚。厚みが無いのに、しっかりと固定されている。あたしは、 ちょこっとだけギターを弾いてみた。
ペンペンと、情けない音が聴こえる。でも、意外と弾ける。あたしは椅子に座り、この状態に慣れるよう練習を始めた。
「それから……曲全体の楽譜とサイドギターの楽譜、あるかな」
「
ペンペンという音より大きな
「タブ譜か、懐かしいな。サイドギターの楽譜、コピー機で。あと、ペンと修正液を用意してくれる?」
「はい、わかりました。職員室でお願いしてきます」
顔を上げると、
初めて見る鋭い感じのするまなざしで、ちょっとなんか、胸がキュってなる。
再び
「高須さんのギター、ちょっと借りていい?」
「ええ、どうぞ」
あたしがギターを練習している横で、
「
「はい」
あたしの視線に気が付いたのか、
「
「ちょっと確認します。あ、その前に、みんな、自分のクラスの担当とか大丈夫?」
三人は、相談し始めた。
「OK、じゃあ、十二時から一時で予約するね」
「大丈夫です。じゃあ、外出許可を取ってきます」
「あの、お名前をうかがってよろしいですか?」
「あ、あの、文化祭実行委員会の保健担当で、
「え、あ、
「
唐突に、テープを持ってきてくれた女子生徒が
でも、何か
「……いえ、その、見事なテーピング技術に見とれてしまいました」
「いや、それほどでも」
「大学生さんですか?」
「はい、理工技大学の三回生です」
うう、どうしてかわからないけど、涙が出そう。いい、ギターに集中するから。
「理工技大学といえば、来月、大学祭ですよね?」
「ええ、そうです」
「私も行っていいですか?」
「ああ、もちろん、大丈夫です」
「
え、どうしてあたしの名前を知っているの? いや、この
「うん、いいよ。えっと、盛岡さんだっけ?」
「そんな、
なんか、同じ会話を
「じゃあ、
「
まったく同じ会話をしたような気がする。
「うん、
「はい、よろしくお願いします」
うーん、なんか、
----------------
あとがき
数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。
テーピングとは、よく、スポーツで関節を痛めたりしたときに、テープで固定する方法です。
本エピソード内では手首を完全固定していますが、多くの場合は、「ある方向には動くけど、別の方向には動かない」とか、「ここまでは動かせるけど、それ以上は動かないようにする」といった使い方をします。
テーピングは原理を憶えれば応用が利くので、ちょっと勉強しておくとけっこう役に立ちます。
おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。
さらに、フォロー、ブックマークに加えていただけたら、スクワットして喜びます。
それではまた!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます