自分にできることをやる

 まいったな、もう……。これじゃ、ギターが弾けない。ネックを握ることすらできない。


 時刻は朝九時、文化祭一般公開日、あたしの左手首は厚めの包帯でぐるぐる巻き、ソフトに固定されている。


 あたしたちは文化祭実行委員に、今日の演奏はできないことを伝えた。すると、文化祭実行委員から、昨日の動画をプロジェクターで流すのはどうかという提案があり、素直に受け入れることにした。


 あたしたちは、受付からちょっと奥まったところにあるテント下に設置された休憩所で椅子に座った。後ろには古びた二階建ての校舎がある。見慣れた風景だ。


「みんな、ごめん」

「しょうがないよ、事故だもん」


 三人とも怒っていないけど、それだけに辛い。だって、最後の文化祭だし、しかも十年に一度の記念的な年だし。


 みんなも友だちとか家族、呼んでいるだろうし。


 もしかしたら、葉寧はねいは彼氏を呼んでいるかもしれないし。平川くんなら、葉寧はねいが頼んだら学校を休んででも来そうだ。


 そうだ、真希乃まきの真希乃まきのの友だちも来るんだった。それから、二海ふたみさんも来る。パパとママは来ない。演奏しないと伝えたから。


 もう一般客の入場は始まっている。なんて謝ろう。仲間の友だちにも謝ったほうがいいんだろうか?


楼珠ろうず、大丈夫?」


 聞き覚えのある声がした。振り返ると二海ふたみさんがいた。


「どうしてここがわかったんですか?」

「受付で実行委員の人に訊いたら、休憩所でへこんでいるって聞いて。なんか怪我したんだって?」


 他の三人も、二海ふたみさんを見上げた。


「ね、楼珠ろうず、この人、誰?」

楼珠ろうずを呼び捨てにするとは、ただならぬ関係?」

「うわ、背、高い。ウエスト、細いのね」


「あ、あのね、えっと……」


 三人の目は、まるで洋服の品定めをするような視線。


「理工技大学の三回生で、清水きよみず二海ふたみと言います。マチカフェでアルバイトをしていて、楼珠ろうずは、よく来てくれるお客さんです」


 二海ふたみさんは、奈々音ななねの質問にあっさりと答えている。今日はワークキャップをかぶっていないので、ロン毛を後ろでまとめている。そうだ、ワークキャップ、まだ返していないや。


 それにしても、あたしなんて、下の名前を聞き出すのに五か月もかかったのに。三人はあっさりとフルネームをゲットしてしいる。思わず右手を握りしめてしまった。


二海ふたみさん、随分と早かったんですね」

「うん、実は大学、まだ夏休みなんだ。楼珠ろうずに時間があったら一緒に模擬店とか回ろうかと」

「ちょっと、楼珠ろうず、あなた、本当にただのお客さんなの?」


 弥生やよいはあたしの顔をのぞき込んで質問をしてきた。


 あたしは泣きたい気分……というか、既に半泣きで座っていた。中途半端な泣き方のせいか、目から鼻のそばを涙が伝っているのを感じる。


 弥生やよいの表情はわからなかったけど、声は明るかった。


 あたしは思わず口にしてしまった。いや、息を止めていたので声は出ていないけど。たったの五文字。背中の方で、二海ふたみさんと奈々音ななねの会話が聞こえる。


 弥生やよいがあたしの肩に手を置いた。


「そうなんだ」


 何がわかったんだろう?


 二海ふたみさんが、あたしの前にしゃがんだ。弥生やよいは、気を使ったのか、目の前から自然に横へずれた。


楼珠ろうず、どんな怪我?」

「左手首のねん挫です。昨日、しゃがんでいる時に転んで、変なふうに床に手をついてしまって」

「痛みは?」

「今は大丈夫です」


 大きく開いていた二海ふたみさんの目が、普段の大きさに戻ったような気がする。


「そう、良かった。それぐらいなら、なんとかなるかも」


 二海ふたみさんは、視線を上げてあたしの顔を見た。


「楽器は持ってきている?」

「……はい、というか、昨日、持って帰らなかったので」


「それから……サイドギターは、誰が弾いているの?」

「あ、私です。えっと、高須たかす弥生やよいです」


 弥生やよいが即座に答えた。


「まだ本番まで時間あるよね。どこかで練習できないかな」


 あたしは耳を疑った。あたしの手は親指まで包帯でぐるぐる巻きで、手首はしっかり固定されている。ギターのネックさえつかめない。


「ベースの鴨田かもだ奈々音ななねです。どんな練習ですか?」

「普通に練習できれば、一番いいんだけど」

「どの部屋も文化祭の催し物で使っちゃっていますし……」


 そもそもドラムセットやアンプが無い――、そう言いたいんだろうな。


「アップル楽器は? あそこなら、歩いて五分で行けます」


 葉寧はねいが答えた。


「でも、外出許可、出るかな」

「大丈夫よ。他の生徒も時々、足りないもの、スーパーへ買い出しに行っているから」


 弥生やよい葉寧はねいの会話が聞こえる。


「あの、二海ふたみさん、あたし、どうしたら」


 少し、胃の上の方がキリキリと締められる感触を味わいながら、声を振り絞るように出した。二海ふたみさんは、口は開かないまま口角を上げ、優しいまなざしであたしの顔を見ている。


「まず、左手首の固定をテーピングに変える。ねん挫は動かすとき痛むけど、手首を曲げた状態で固定すれば大丈夫。それに、テーピングなら薄いからネックも握れる」


 そうか、テーピング、二海ふたみさん、空手をやっていた時の知識なのかも。


「それから、サイドギターの楽譜をギターソロのところだけちょっと書き換える」

二海ふたみさん、楽譜が読めないんじゃ……」


 二海ふたみさんは、ちょっと首をかしげて笑った。


「さすがに、音楽をやっていない人よりは読めるよ」


「じゃあ、保健室に行ってテープをもらってきます」

「ありがとう。後、ギター、持ってきてくれるかな」

「はい、楼珠ろうずのギターですね」

「うーん、高須さんのギターも借りれるかな」


 弥生やよいはちょっと「?」な表情を見せたが、すぐに校舎に入っていった。


二海ふたみさん、あたしたち、演奏できますか?」

「楽しむ程度にはできると思うよ」


 二海ふたみさんは、緩めの笑顔で答えた。


 弥生やよいと知らない女子生徒が近づいてきた。弥生やよいは二本のギターケースをぶら下げて、女子生徒は、白い袋を持っている。きっと、テープが入っているんだろう。


「どうぞ。全部、使っていいそうです」


 一年生の保健委員かな。トテっトテっと歩いている。足が悪いのかも。


 女子生徒は二海ふたみさんに白い袋を渡した。二海ふたみさんが、あたしの座っている椅子の横に袋を置くと、中身が見えた。何本か白いテープが入っている。


「ありがとう。楼珠ろうず、ギター、出すね」


 二海ふたみさんは、二つのギターケースから、迷わずあたしのギターケースを開けた。どうしてわかったんだろう?


「あの、どうしてそのギターがあたしのだってわかったんですか?」


 本当に不思議。だって、二海ふたみさんは見たことないはず。


「高須さんが左手で持っていたから」


 すごい推理力、言われてみればギターケース、右手で持ちやすいようになっている。


「立ってくれるかな」

「はい」


 二海ふたみさんはギターを取り出すと、ストラップを取り付け、あたしの肩にかけた。二海ふたみさんの胸が近い。


 はずかしくて顔が見れない……というか、身長が違い過ぎてそもそも見えない。二海ふたみさんは、ストラップの長さを調整し、普段よりも少しギターが高くなるようにした。


 横を見ると、葉寧はねいがニヤニヤと笑っている。テープを使い終わったら持って帰るつもりなのか、袋を持ってきてくれた女子生徒も見ている。


「痛かったら言ってね」

「はい」


 二海ふたみさんは、あたしの左手をそっと動かすと、包帯をほどき始めた。むくんだ左手首が見える。


 さっきほどじゃないけど、二海ふたみさんとの距離が近い。やっぱりちょっと恥ずかしいな。


楼珠ろうずは力を抜いたまま。俺が動かすから、ギターを弾くときに一番手首を曲げるところを教えてくれるかな」


 あたしの左手は、二海ふたみさんの手で持ち上げられ、ギターのネックに触れた。少し痛い。でも大丈夫。二海ふたみさんが支えてくれている。


「もうちょっと曲げます」

「これぐらい?」

「はい」

「じゃあ、いったん手を下ろしてテープで固定するね」


 二海ふたみさんの手際は見事だった。手のひらから腕に沿って何本もテープを貼り、それを巻くように横方向、斜め方向にもテープを貼っていく。


 すぐに体育の教科書で見たようなテーピングになった。


「すごいです」


 隣で見ていた女子生徒が声を上げた。


「これは全方向に固定するテーピングだから、手首はほとんど動かないと思うよ」

「ほんとです。これならネックを握れます」

「じゃあ、椅子に座ってソロフレーズの練習してみて」


 固定しているものは薄いのに手首が動かない、不思議な感覚。厚みが無いのに、しっかりと固定されている。あたしは、 ちょこっとだけギターを弾いてみた。


 ペンペンと、情けない音が聴こえる。でも、意外と弾ける。あたしは椅子に座り、この状態に慣れるよう練習を始めた。


「それから……曲全体の楽譜とサイドギターの楽譜、あるかな」

弥生やよい、持っているよね? 曲全体……バンドスコアは私が持っています」


 ペンペンという音より大きな奈々音ななねの声が聞こえる。


「タブ譜か、懐かしいな。サイドギターの楽譜、コピー機で。あと、ペンと修正液を用意してくれる?」

「はい、わかりました。職員室でお願いしてきます」


 顔を上げると、弥生やよいが、また校舎の方へ歩いて行った。二海ふたみさんは全パートが書いてある楽譜を見ている。


 初めて見る鋭い感じのするまなざしで、ちょっとなんか、胸がキュってなる。


 再び弥生やよいが戻ってきた。


「高須さんのギター、ちょっと借りていい?」

「ええ、どうぞ」


 あたしがギターを練習している横で、弥生やよいが自分のギターをケースから出した。


 二海ふたみさんは、ギターストラップを肩にかけると、ギターを鳴らしては、バンドスコアとサイドギターの楽譜を見比べ、何かを書き込んだり消したりしているようだ。


楼珠ろうずは、ソロの練習、がんばってね」

「はい」


 あたしの視線に気が付いたのか、二海ふたみさんに声を掛けられた。


鴨田かもださん、アップル楽器のスタジオ予約、取れる?」

「ちょっと確認します。あ、その前に、みんな、自分のクラスの担当とか大丈夫?」


 葉寧はねいはあたしは同じクラス。あたしは怪我のせいでクラスの催し物から外してもらったけど、みんなはどうなんだろう?


 三人は、相談し始めた。


「OK、じゃあ、十二時から一時で予約するね」


 奈々音ななねはスマホを取り出すと、アップル楽器に電話をした。普段はネットで予約するけど、すぐに使いたいので、直接電話をしたようだ。


「大丈夫です。じゃあ、外出許可を取ってきます」


 奈々音ななねが校舎の方へ歩いていくと、空気を読んで待っていたのか、隣に立っていた女子生徒が口を開いた。


「あの、お名前をうかがってよろしいですか?」


 二海ふたみさんは、あたしの方を見た。


「あ、あの、文化祭実行委員会の保健担当で、盛岡もりおか颯綺さつきといいます。一年生です」

「え、あ、清水きよみず二海ふたみです。テープ、ありがとうございました」

清水きよみずさんって言うんですね!」


 唐突に、テープを持ってきてくれた女子生徒が二海ふたみさんに声をかけた。しかも満面の笑みで。どうしてこうして、あたし以外の人は、こうも簡単に名前をゲットできるんだろう。


 でも、何か躊躇ためらっている。


「……いえ、その、見事なテーピング技術に見とれてしまいました」

「いや、それほどでも」

「大学生さんですか?」

「はい、理工技大学の三回生です」


 うう、どうしてかわからないけど、涙が出そう。いい、ギターに集中するから。


「理工技大学といえば、来月、大学祭ですよね?」

「ええ、そうです」

「私も行っていいですか?」

「ああ、もちろん、大丈夫です」


朱巳あけみ先輩、一緒に行きましょう」


 え、どうしてあたしの名前を知っているの? いや、このだから、あたしの名前を知っている生徒は多い。今更かな。


「うん、いいよ。えっと、盛岡さんだっけ?」

「そんな、颯綺さつきでいいです」


 なんか、同じ会話を二海ふたみさんとした気がするのは気のせいかな。


「じゃあ、颯綺さつきちゃん」

颯綺さつきって、呼び捨てでいいです」


 まったく同じ会話をしたような気がする。


「うん、颯綺さつき、一緒に行こうね」

「はい、よろしくお願いします」


 うーん、なんか、颯綺さつきの目、すごくキラキラしているというか、もしかして、二海ふたみさんにひとめぼれ?




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あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


テーピングとは、よく、スポーツで関節を痛めたりしたときに、テープで固定する方法です。


本エピソード内では手首を完全固定していますが、多くの場合は、「ある方向には動くけど、別の方向には動かない」とか、「ここまでは動かせるけど、それ以上は動かないようにする」といった使い方をします。


テーピングは原理を憶えれば応用が利くので、ちょっと勉強しておくとけっこう役に立ちます。



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それではまた!

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