金髪女子高生とギターと④最高の文化祭

綿串天兵

大通り図書館からの帰り

 胃が少しきりきりする……あたしの乗った電車は終点に到着した。あたしが高校から帰る時に最初に乗る電車は、大きな駅の隣に到着する。そして目の前にあるエスカレーターで駅の二階に上がった。


 帰宅するには次の電車に乗るため、いったん二階に上がる必要がある。


 ――うまく弾けないんなら、ちょっとフレーズを簡単にしたら?


 ベースの奈々音ななねが言った言葉。


「ふう」


 あ、ため息がでちゃったよ。今日もあのフレーズが弾けなかった。成功率は半々。本番、ダメかも。でも、恥はかきたくないし、他のメンバーに迷惑をかけたくない。


 本番はもう明日、何かいい方法はないのかな……なんて考えていたら、何となくいつものクセで、大きな駅の二階に上がってしまった。


 うまく行かないことがあると、必ず思い出すことがある。何人もの男子生徒の気落ちした肩と、一瞬だけ目を見開いてうつむくしぐさ。


「あれ? 楼珠ろうずじゃん。背負っているのはギター?」


 不意に後ろから声を掛けられた。振り返ると、白い半そでシャツの見慣れた顔があった。まだ少し暑いけど、もう少しで衣替えの季節。


「あ、真希乃まきの、駅で会うなんてめずらしいね」

楼珠ろうずは金髪だからよく目立つよね。遠くからでもすぐにわかる。青い目、いつ見てもきれいでうらやましいなぁ……でも、学校帰りにしては遅いじゃん」


 そう、こののせいか、よくこくられる。


 断るたびに見る男子生徒の表情、正直、辛い。だから、あたしは自分からはこくりたくないなって、心底思っているし、まだしばらくは恋もしたくないって思っている……はずだった。


「うん、今日、バンドの練習してたんだ」

「そっか、校内公開、明日だもんね」


 真希乃まきのは、隣街にある、ある意味、日本一の高校に通っている中学時代からの仲良し。あたしがいじめにあっている時でも、唯一、家に遊びに来てくれたりした友だち。


 今でも月に一度は一緒にカラオケに行っている。


「そういえばさ、生まれて初めて御朱印ごしゅいんってのをもらってきちゃった」


 うれしそうに笑いながら、バッグからクリアホルダを取り出した。


「本当は御朱印帳ごしゅいんちょうに書いてもらうものらしいんだけど、集める趣味は無いから半紙に書いてもらったの」

「へえ、御朱印ごしゅいんって、本物は初めて見る。でも、これ、何て書いてあるのか読めないね」


 あたしは真希乃まきのが取り出したクリアホルダをのぞき込んだ。


「『大悲閣』って書いてあるらしいんだけど」


「あたしには、左上のハンコしか読めないよ」

楼珠ろうずの分も書いてもらったから、今度、家に届けるね」


 真希乃まきのはいつもテンポよく、ウキウキとした感じで話をしてくれる。


「なんでまた御朱印なの?」

「このお寺ね、あたしの旧姓と同じでさ、記念にお父さんと一緒に。家庭裁判所から、十八歳になったら会ってもいいよってことでね」


 旧姓? 詳しく訊いたほうがいいのかな……訊かないほうがいいのかな……。


「もう、久しぶりで……あ、ごめん、電話……」


 真希乃まきのは、スマホを取り出して話し始めた。


「ごめん、あたし、友だちと待ち合わせしているんだ。また今度、ゆっくりね」

「うん。あ、そうだ、明後日あさっての文化祭、来れる?」

「大丈夫。友だちと一緒に休み宣言しちゃった。最後の文化祭だもんね」


 手を振って真希乃まきのと別れると、あたしは、さっき上がってきた通路とは別の場所にある階段を使い、駅の二階から降りた。ちょっと膝が痛む。


 目的地はここから徒歩七分ほど。コンビニ、カラオケ、あとよくわからないお店を右手に見ながら歩く。


 ――大通り広場


 そう書かれた看板の向こうにあるエスカレーターに乗ると、あたしは横を見た。


 エスカレーターのすぐ横は、全面、ガラス張りになっていて、あたしの姿を映し出している。部屋の中は照明が点いていない。これはもう見慣れた建物。


 心なしか、いつもより自分の姿が小さく見える。まあ、身長は低いけど。ついでに言えば、胸も小さい。顔とお尻も小さいのが救い。


 そしてエスカレーターを降りて広いテラスをちょっと歩くと、ひさしを抜けて上への視界がひらける。


 顔を限界まで上げないと見えない最上階、上の方はマンションになっているのかな。二階と三階は、ほぼ全面がガラスになっているけど、半分ぐらいは格子状の板で覆われている。


 既に室内の方が明るいせいか、窓には何も映り込んでおらず、たくさんの本棚がシェード越しに薄っすらと見える。


 右下を見ると、見慣れた大通り公園、いくつかの小さなベンチが円周上に配置され、既に幻想的な色をした街灯は点灯していた。


 そのまま広いテラスを歩いて二つの自動ドアを抜けると、たくさんの本棚に囲まれた「マチカフェ」が見える。


 あたしは火曜日と木曜日、お小遣いが続く限りだけど、毎週、ここに寄っている。今日は火曜日。


「あ、朱巳あけみさん、いらっしゃいませ」


 背が高く、身体は細くてお兄さん的な男性。長い髪を後ろで束ねている。


「もう、二海ふたみさん、楼珠ろうずって呼んでください」

「はいはい、楼珠ろうずさん」

「呼び捨てでいいです」


 夏休みのアコースティックライブイベント――結局、あたしたちは雨で演奏できなかったけど、あの翌週、見事、あたしたちは下の名前を交換した……下の名前だけ……いいの、あたしにしては上出来だから。


 あたしは、二海ふたみさんを少し見上げながら話しかけた。二海ふたみさんの真横で立ち話をすると、上を向きっぱなしで首が疲れる。だからカウンター越しはちょうどいい角度。


「一応、お店なので、そういう訳には……ね?」

「いつものやつ」


 あたしはちょっと口をとがらせてみせた。二海ふたみさん、ちゃんといつものやつ、わかっているかな。


「火曜日だからミルクヴィエンナですね、少々お待ちください」

「はーい」


 わざとぶっきらぼうに答えたつもりだけど、ちょっとにやけちゃっていたかも。支払いを済ませて番号札を受け取った。


「あの、バイト、閉店までですよね。お店、終わったら……今日も少しお話しできますか?」


 二海ふたみさんは、あたしを見てにこりと笑った。


 数分後、カップを受け取ると、三階に上がった。二海ふたみさんを見ていたいと思いつつ、でも、読みたいラノベは三階にあるから。


 それに、スマホの充電もしたかったし。


 この図書館は気が利いていて、いくつかのテーブルにはコンセントが付いている。


 本を選んだあと、違うコーナーに移動してギターを背の高い棚に立てかけると、椅子に座った。


 そしてバッグからアダプタを取り出し、スマホを充電した。スマホのバッテリは既に切れており、充電開始と同時に電源が入った。


 マチカフェの閉店は八時。図書館の閉館時間は九時。二海ふたみさんは火曜日と木曜日、六時四五分からお店の片づけが終わる八時十五分までバイトをしている。


 本を開いてみたものの、ギターソロがうまく弾けないことが気になって、全然、内容が頭に入ってこない。このままだと、みんなに迷惑をかけちゃう。


「ふう」


 また、ため息がでた。


 頃合いを見計らって二階に降りると、いつものようにテラスで二海ふたみさんが待っていた。これもあたしにとってはちょっとした進歩だ。


 夏休み前は、いつもあたしがテラスで待っていた。今は何となくだけど、こうなっている。


 急ぎ足で自動ドアを抜けると、駅に向かって一緒に歩き始めた。


 エスカレーターには二海ふたみさんが先に乗る。そうしないと頭の高さが合わなくて話しにくいから。これもいつものこと。


二海ふたみさん、文化祭、来てくれますよね?」

「うん、大丈夫。演奏時間に合わせて行くよ。二時頃だったよね?」

「大学、大丈夫ですか?」


 二海ふたみさんはうなずいた。


「昔は一般公開日、週末だったらしいんですけど」

「へえ、そうなんだ。でも、俺の出身校も平日だよ」

「そうですか」


 二海ふたみさんは、お店では自分のことを「僕」と言うけど、あたしといる時は「俺」って言う。きっと、大学でも「俺」って言っているんだろうな。


 あ、変な間が空いちゃった。今日は何を話そう。いつもならたくさん言葉が出てくるのに、ギターソロのせいで頭が回っていないのかも。


 歩道を歩き始めると、あることを思い出した。


二海ふたみさんって、お店でわりと、ぼーっとしていますよね?」

「わかる? 実はさ、俺、音楽、苦手なんだ」


 え? どういうこと? ちょっと訳わかんないんですけど。音楽、あまり興味ないのかな。でも、以前はギター弾いていたって言ってたし、Fコードを押さえる裏技も教えてくれたよね。


 ももも、も、もちろん、ちゃんとあたしの演奏は聴きに来てくれるんですよね?


「あっ」


 あたしは、段差のない歩道でなぜかつまづいてしまい、二海ふたみさんの腕をつかんでしまった。あれ? 二海ふたみさんの腕、細いけど、けっこう、しっかりしている。

 そういえば、二海ふたみさんって、夏でも長袖のジャケットを着ている。


「大丈夫?」


 見上げると、二海ふたみさんの目が少しだけ微笑んだような気がした。


「ごめんなさい」

「いいよ。もう少し足を高く上げて歩くよう、気を付けたほうがいいかも」


「そうなんですか?」


 二海ふたみさんは右手をあごに当てた。考え事をするとき、よくこの仕草をする。


「こっちに来るまで空手をやっていてさ、合宿の時に裸足で道を歩いていたら、子どもたちの何人かが足の親指の裏を怪我してね」


 裸足?


「よくよく観察してみたら、足があまり上がってなかったんだ。トボトボと歩いていると、つま先が下がっちゃうみたい」


 ああ、なるほど、つま先を地面でこすって怪我をしたんだ。で、靴を履いている場合は、何もないところでつまづく。


「わかりました。じゃあ、元気よく歩きます」


 そう言うと、ちょっと名残惜しいなと思いつつ、二海ふたみさんの腕から自分の手を、あ、やっぱり名残惜しい、うーん、でも、と思いつつ、手を離した。


「あの、音楽の話……」


 二海ふたみさんが音楽に興味があるのかどうか知りたかった。もし、音楽に興味が無かったら、無理して演奏を聴きに来てもらうのも申し訳ないし。


 それで嫌われたりしたら……あーん、二海ふたみさん、早く答えてよ。


 上を向いて、二海ふたみさんの顔を見た。身長差は約三十センチ。やっぱり首が疲れる。あれ? 初めて隣を歩いたときよりは、少し楽になったような気がしないでもない。


 二海ふたみさんの答えは、あたしの予想を斜め上で裏切った。


「音楽が流れていると、脳が音楽に持っていかれちゃうんだよ。次はこんなフレーズが来るのかな? とか、どんな気分で演奏しているのかなって」


「もしかして、BGM、苦手なんですか?」

「うん。あの図書館、ジャズが流れているじゃん。バイトしていても聴き入っちゃう」


 そっか、音楽が好きすぎるんだ。よかった。っていうか、ジャズなんて流れていたっけ?




   ----------------




数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


空手合宿の話は、経験をもとにしています。アスファルトの上を裸足で走ったら、小学生の生徒が何人か足の裏を怪我しまして。どうも、ゆっくり走るとき、後ろ脚を引きずる傾向があるようで。


もし、何もないところでつまづいたりするような癖のある方は、歩き方を見直してみてはいかがかなと思います。



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