バナヴィア独立派









 翌日の屋敷の空気は、エルフリーデの気持ちなど知らずに爽やかだった。初夏の陽気というのは暑すぎず寒すぎず、とても居心地がいいものである。

 もちろんクロガネもエルフリーデも昨晩の喧嘩を持ち出して、露骨に不機嫌を引きずるほど幼稚ようちな人間ではない。

 一晩経ってみると存外、「あんな口論するほどのことではなかったな」という気持ちになりもする。


 しかしかといって朝一番に謝罪しに行くというのも、いささか情けない気がする。

 エルフリーデが見栄を張ってそんな感じのもやもやを抱えていると、廊下でばったりクロガネと出くわした。珍しく従者のロイを連れていない。

 顔を洗面所で洗って歯を磨いたばかりの少女は、目をぱちくりさせてクロガネの顔を見つめた。ほとんど喧嘩別れみたいなやりとりのあとなので、どう口を開いたものか迷う。

 機先を制したのはクロガネだった。



「昨晩は俺が性急すぎた。お前の誇りに対して配慮が欠けていた、すまなかった」



 率直な謝罪だった。恐るべきスピード感である。唖然として口を半開きにしたあと、エルフリーデは色白の頬を少し紅潮させた。


「…………こういうのって、もうちょっと気まずい時間が続くものじゃないですか?」


「エルフリーデ、俺は実務家のつもりだ。互いを思いやる気持ちからすれ違い、死の寸前まで行く三流悲劇の芝居を演じるつもりはない」


「言い方が本当によくないっ! 悲劇に対する配慮が欠けてます!」


 言葉選びが一々、絶妙にエルフリーデの反感を買う感じなのは、そういう仕様なのだろうか。

 クロガネの誠意に疑いの余地はないが、数々の小説をジャンル問わず読破してきた少女にとって、悲劇を軽んじるような物言いは看過できなかった。


「わからんな。物語類型に配慮とは?」


「出来のいい悲劇には、思わず涙するような名作がいっぱいあるんですよ! どうせクロガネのことですから、社交界の付き合いで観劇したんでしょうけど! 一流の悲劇は三流の喜劇を凌駕するんです……!」


「その悲劇の役者は俺とお前なのだが?」


 エルフリーデは黙り込んだ。その通りなので黙るしかなかった。一流の悲劇を物語として好む人間とて、残酷無残な運命にさらされて野垂れ死ぬ当事者になりたいものはそうおるまい。

 それはエルフリーデ・イルーシャも同じである。口で薄幸美少女ヒロインを自称していられるのは、実際にはそういう境遇から抜け出したあとだからだ。

 傷ありスカーフェイスの少女は、ぐぬぬぬ、とうめいた。


「くっ……感情的にも論理的にも反論の余地がない……!」


「落ち着けエルフリーデ、つまり俺が言いたいことはこうだ――後学のために、今後は俺の仕事も手伝え。殴り合いだけが騎士の仕事ではないぞ?」


 どうやら昨晩の問答について、クロガネなりに真剣に検討した結果らしい。

 クロガネは年若い少女の今後を思って提案し、エルフリーデは自分の職分を侵害され、軽んじられたという思いから反発したのである。

 であれば仕事の一貫としていろいろな分野に触れさせればいい。そういう理屈らしい。

 とても論理的である。だが同時に、エルフリーデはこう思ったのだ。


「これ詭弁きべんじゃないかなぁ!?」


「将来的には暴力と学問を司る最強の騎士になってもらう、はげめよ我が騎士」


「しまった……単純にわたしの仕事量が増えてる……!」


 頭を抱えるエルフリーデだった。







 食堂に客人がそろったタイミングで、朝食の席が始まった。

 朝のメニューはシンプルである。

 ふわふわのプレーンオムレツ、生ハムとチーズを挟んだサンドイッチ、バターをたっぷり使ってサクサクに焼き上げたパン、甘い果実のジャム、ゆるめのチョコレートクリーム、そして熱々の紅茶。


 バナヴィアは広い。エルフリーデとティアナが育ったロシュバレア地方は、どちらかといえばベガニシュに気候が近く、朝ご飯も簡素なものだった。

 堅焼きパンをナイフで切ったもの、ハムの切れっ端、チーズ一かけもあれば十分という感じである。ここにキャベツやタマネギのスープでもあれば贅沢だ。

 一方でヴガレムル地方の朝食は、これとは異なっていて――朝っぱらから甘いものを食べる。


 チョコレートを練り込んだサクサクの菓子パンとコーヒーは定番であり、朝のカフェではこれを朝食にしている人も珍しくない。

 しょっぱいものをもそもそ食べるベガニシュ流の朝食とは、ずいぶんと様相の異なる食事である。

 とはいえそこはクロガネ、ベガニシュ貴族であるミリアム・フィル・ゲドウィンの嗜好に合わせて、きちんと別の選択肢も提示してある。


 バターと塩こしょうで味付けされたプレーンオムレツとサンドイッチだけでもご機嫌な朝食になるのだ。

 最初はおっかなびっくりだったミリアムも、チョコレートクリームを塗った白パンの美味しさに気づいてからは、無心でもくもくと食べていたけど。

 ちなみにこのお屋敷では、甘い食事の方が人気だ。

 ティアナもリザも甘いジャムを塗ったパンを美味しそうに食べている。


 メイドのアンナに聞いたところでは、使用人の食事も基本的に主人と同じものを食べているらしい。やはりヴガレムル伯領の人間が中心なので、朝食に甘いものを食べることに抵抗はないとか。

 そういうわけで美味しい食事を堪能たんのうした末、和やかにお茶を楽しむ一同。

 その席でミリアムはこう切り出した。


「ヴガレムル伯爵。是非、折り入って相談したいことがあります」


「では午後の時間を空けましょう。ロイ、今日のスケジュールならば可能だな?」


「はい、旦那様。二時間ほどお時間が空いております」


 不自然な二時間の空きである。

 どうやらクロガネとロイは、事前にスケジュールの調整を済ませていたらしい。大企業の偉い人が何をしているかなんて、エルフリーデにはさっぱりわからないが、たぶん自分なら御免被りたい仕事量なんだろうな、と思う。

 のほほんとお茶を飲みながら、三人のやりとりを聞いていたのだけれど。

 不意にミリアムの視線がこちらを向いた。


「この件にはエルフリーデ卿も同席していただきたいのです」


「――えっ?」


 クロガネが穏やかな微笑みを浮かべた。


「もちろん我が騎士も同席します」


「えぇっ!?」


 そういうことになった。







 会談の場に選ばれたのは、ヴガレムル伯爵のお屋敷の一室だった。

 この日、クロガネ・シヴ・シノムラは領主としての執務を午前から行っており、ミトラス・グループ代表としての仕事は片付けてあった。両方の仕事に補佐役がおり、彼らに任せてある仕事も多いからこその兼任だった。

 経歴だけ見るとワンマン経営者に見えるが、実際のところクロガネはじっくりと忠誠心のある人材を育てるのが生きがいのような人物である。

 ともあれ、午後一番に会談は行われた。


 少し広めの会議室として使われている一室には、大きなテーブルと椅子、そして大きな映像投影機が用意されている。使いやすいホワイトボードとペンも完備されていた。

 クロガネはホワイトボード大好き人間なのだ。

 来訪者である銀髪の少女は、屋敷の住人の視線が集まる中、立って準備を進めていた。ロイの助けを借りてセッティングを終えると深呼吸一つ。


 ミリアム・フィル・ゲドウィンが持参したタブレット端末を有線接続で繋ぐと、投影機から映像が再生され始める。

 テーブルの一角に席を用意されたエルフリーデは、背広姿でその映像を見た。

 それはどこかの森のそば、屋外で撮影された映像だ。強い日差しの下で撮影されたと思しき状況、都市と都市を繋ぐ舗装道路ほそうどうろの上に四機のバレットナイトが横たわっている。

 いずれも胴体を完全に破壊されている。融合していた搭乗者は脱出の暇もなく即死したはずである。

 機種は〈アイゼンリッター〉型、つまりベガニシュ帝国陸軍だ。


「二週間前の事件です。あるいは伯爵はすでにご存じかもしれません。西ベガニシュ総督府の直轄地――グリムシャトフ地方でベガニシュ帝国陸軍のパトロール部隊が襲撃を受けました。生存者はゼロ、四機のバレットナイトの乗員が皆殺しにされました」


「痛ましい事件です。グリムシャトフ地方は総督府が管轄し、その行政と治安維持もまた総督府が責任を負う――我々とは距離的にも政治的にも遠い場所の出来事でした」


「ええ、その通りです。問題となっているのは……事件の被害ではなく、


 映像が切り替わる。

 次に映し出されたのは、電脳棺サイバーコフィンの残骸から再生されたと思しき記録映像だった。

 暗視装置や音響センサーを使って取得された情報を元に、視覚的情報として再構築された電脳棺のデータ――音声はあえて排除されているらしく、ただ無音でバレットナイトの視界が映っている。

 異変が起きたのは、ミリアムが動画の再生を速めた数秒後だった。


 まず爆発。

 路肩に置かれた爆弾が爆発したのだろう。衝撃でバレットナイト部隊が混乱した刹那、突如として森の木立から砲弾が飛んでくる――白熱するプラズマの輝き。

 続いてバレットナイトが二機、大きな剣を手にして飛び出してきた。


 暗視装置越しなので塗装は正確にわからないが、その機体形状ははっきりと認識できた。四メートルほどの身長に、騎士の甲冑を思わせる人型の装甲。

 それは〈アイゼンリッター〉に酷似していたが、頭部形状だけが明確に異なっていた――鼻先が大きく前に突き出た猟犬面ハウンスカルの兜のような形状。

 パトロール部隊のバレットナイトの機関砲をものともせず、果敢に突っ込んできた敵影。

 その姿が目前に迫ったところで映像は途切れた。



――すごく優秀な戦闘部隊だ、驚いた。



 エルフリーデは舌を巻いた。爆弾による初撃、間髪入れずに機関砲を撃ち込んだ追撃、そしてトドメとなる切り込み部隊の投入。

 お手本のような待ち伏せ戦術だった。

 パトロール部隊のバレットナイト四機に対して、完封と言っていい見事な戦闘である。

 そしてミリアムの口ぶりから察するに、襲撃者の側は見事に逃げおおせているらしい――ここまで鮮やかなゲリラ戦ができるとは驚きである。

 感心しているエルフリーデを横目に、ミリアムは解説を続ける。


「ラドムンク兵器工廠こうしょうの技術者たちの分析によれば、映像に記録されていたバレットナイトは第二世代相当の運動性能を発揮しています。現場に残されていた弾痕から、使用されたのは二〇ミリクラスの電磁投射砲とエーテルパルス・ブレードです」


 つまり襲撃者の用いている兵器は、ベガニシュ帝国の正規軍と同等らしい。

 一応、念のためにクロガネに確認を取った。


「……現在、ベガニシュ帝国が運用しているバレットナイトが第二世代機で、二〇ミリ電磁機関砲はその主兵装の一つ……そうでしたね、クロガネ?」


「その通りだ。帝国の開発した〈アイゼンリッター〉型が最もポピュラーな機種だ……お前もよく仕事で乗りこなしている。制式採用機であり普及型量産機と言えるだろう」


 〈アイゼンリッター〉は戦地でも散々乗り回した機種である。英雄部隊として名を馳せてからは、精鋭として上位機種の〈ブリッツリッター〉が配備されたけれど――エルフリーデが一番長く乗っているバレットナイトは、間違いなく〈アイゼンリッター〉である。

 公爵家の騎士団と初めて戦ったときも、フィルニカ王国でクーデター軍とやり合ったときも、命を預けていたのは〈アイゼンリッター〉なのだ。

 流石に機体性能では〈アシュラベール〉には遠く及ばないが、いつでもどこでも用意できる戦闘兵器として、〈アイゼンリッター〉はとても優秀な機体だった。

 ベガニシュ帝国のパトロール部隊を襲撃した抵抗運動組織レジスタンスが、それに酷似したバレットナイトを運用していた。

 それはつまり――



「――バナヴィア独立派が帝国製バレットナイトの複製に成功した、と軍は認識しています」



 ミリアムの発言に対して、クロガネは静かに同意を示した。


「驚くべき話ではありませんな。確かに〈アイゼンリッター〉は傑作機です。独自のバレットナイト開発に成功したガルテグ連邦もフィルニカ王国も、〈アイゼンリッター〉を基準にして自国産バレットナイトを開発するほどに。〈アイゼンリッター〉は最も古くから存在する第二世代バレットナイトであり、最も多く研究された機体でもある」


「デッドコピーの製造そのものは容易だ、と?」


「先史文明の遺産――造物塔のような高度科学技術の産物があるならば、リバースエンジニアリング自体は容易でしょう。問題なのは〈アイゼンリッター〉が複製されたことではなく、それにどの程度の生産性がともなっているのかです」


 エルフリーデはやや少し、混乱した。ミリアムは軍用兵器がレジスタンスによって違法複製されたことを問題視し、クロガネはそれ自体は驚くに値しないと断言した。

 するとつまり、どういうことなのだろうか。

 技術的な視点と謀略的な視点が絡み合っているから、いきなり話についていくのは無理があった。素直にエルフリーデは人に尋ねることにした。


「伯爵、お話が若干……複雑になってきました」


「エルフリーデ、これまでの話を整理しよう。まず旧バナヴィア王国の残党、反乱勢力が独自にバレットナイトを運用している。ベガニシュ側はこれを〈アイゼンリッター〉型のデッドコピーだと判断した。そして俺の知識では複製そのものは可能だ……ここまではいいか?」


「ええ、はい。ミリアム、時間をもらっちゃうけどいいよね?」


 ミリアムは神妙な顔で頷いた。


「お互いの共通認識を確認するのは大事です。続けてください」


 遠慮なくクロガネが話を続けた。


「しかしデッドコピーの製造ができたから、すぐに実用的な水準の性能だとは限らない。寸分違わぬ複製を作ったつもりでも、素材や加工技術の差で実用上の違いが出ることはありえる」


「見た目だけそっくりでも、実際の使い心地とか信頼性が違う恐れがある?」


「そういうことだ。さらにこういった品質の問題をクリアしても、生産性の問題が立ちはだかってくる」


 エルフリーデは眉をひそめた。また生産性の話である。エルフリーデ・イルーシャは戦争の理論化と実践に長けた人間である。

 メカニックに対する知識もある。現場レベルでの修理や簡易改修に関しても経験を積んでいる。

 だが、巨大な生産設備を持つ巨大企業グループの長が、前提として話す知識には馴染みがなかった。

 小首をかしげて、少女はこう尋ねた。


「生産性。うん、それだ。つまりどういうことです?」


「大雑把な話になるが――大きな工場で製造工程が自動化された部品と、手作業での調整や検査が必要な部品。どちらの方がたくさん作れて、安くなると思う?」


「ああ、そういう……もし性能的に近いデッドコピーだったとしても、補給まで同じとは限らないってことですね?」


 クロガネは頷いた。


「そうだ。数百、数千という単位で生産され、ユニット化された交換部品が調達可能なのが〈アイゼンリッター〉の利点だ。レジスタンス組織がデッドコピーを運用していても、それで軍隊を作れるほどの補給体制はない――以上が私の現状認識です、ミリアム様」


「ありがとうございます、伯爵。ラドムンク兵器工廠こうしょうの技術者たちの見解も同じでした――どうやら間違いがないようで安心しました」


 さて、どういうことだろうか。ミリアムの意図がわからず、エルフリーデは首をひねった。

 デッドコピーを作られてベガニシュ側がパニックになっている、とかそういう話でもなさそうである。たった今、クロガネがした分析と同じ知見を、彼らは独自に得ている。

 わざわざミリアムがメッセンジャーとして送られてきた理由は何なのだろうか。

 エルフリーデの純粋な疑問に満ちた視線を受けて、銀髪の少女は重々しく口を開いた。







「バナヴィア独立派の次の標的が、あなた方である可能性――それをカール・トエニ将軍閣下は懸念けねんしておられます」










――超大国同士の大陸間戦争が終わって。










――陰謀とテロルの季節が始まろうとしていた。















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