エルフリーデという少女








 その日の夕食の席もまた、にぎやかであった。

 平日ということもあり学校から戻ってきたティアナ・イルーシャは、エルフリーデとミリアムとリザが並んでいるのを見て、ただ一言、遠い目になってこう告げた。



「――お姉ちゃんの罪が集約された感じがするね」



 ティアナはエルフリーデと少女達の因縁について、詳しくは知らない。流石に姉と彼女たちがバレットナイトで殺し合い、その上で友達づきあいをしているなどという不条理な現実については知らないのだ。

 ただ自分の姉が、どうにも癖のある人々を引きつけてしまうことは知っている。

 ミリアム・フィル・ゲドウィンもリザ・バシュレーも、エルフリーデ・イルーシャに向ける情念が明らかに重たいのだ。

 そして聡明な少女ティアナは、その原因がおおむね自分の姉にあると悟っていた。


 お屋敷の食堂の長テーブルの上には、ほかほか湯気を立てる温かな食事が供されている。

 レタスときゅうりとトマトとゆで卵のサラダ、ホワイトソースを使った鶏肉とタマネギとジャガイモのシチュー、白身魚のムニエル、ヨーグルトのチェリー添え、そして熱々の紅茶。

 食べ応えたっぷりのメニューである。

 旧バナヴィア王国はコーヒーの国である。したがってヴガレムル市もまた、コーヒー店が市内に並ぶコーヒーの街なのだが、この屋敷は紅茶党の牙城である。

 なので食後に提供される飲料も紅茶だった。


 そして贅沢な食事であった。食べ終わった順番に皿が出されるし、そもそも一般家庭では絶対に平日に食べるメニューではない。

 ヴガレムル伯爵クロガネ・シヴ・シノムラは美食家として知られている。たとえ予定にない来客があろうと、晩餐ばんさんの席で出す食事に手を抜きはしない。

 ありものの食材で如何に調和の取れた美味を提供するか、という点において、彼のコックはすこぶる優秀だった。

 これでも貴族としてはだいぶ簡素な食事だと言うから、上流階級の世界って怖いよねと思うティアナ。


 そんな妹の冷めた視線を余所に、健啖家で知られるエルフリーデ・イルーシャは、丁寧かつ貪欲に食事を取っていた。

 めちゃくちゃ美味しそうに食べる。

 たぶん頭の中ではどの料理がどう美味しいか、詳細に言葉にしているのだろう――そう察せられるぐらいに。

 ティアナの「罪が集約された感じ」という表現を浴びて、紅茶を飲んでいたエルフリーデの手が止まる。戦地で作った左目の傷跡の下で、赤い瞳が宙を泳いでいる。


「ミリアムもリザも友達だよ、罪って何……?」


「決め顔でいい感じの台詞をあっちこちで吐くのはね、お姉ちゃんの悪い癖だよ?」


「うっ……やめてティアナ、なんか否定しづらいこと言われてる気がする」


 招かれた客であるミリアムは、主人であるクロガネと談笑している。一見すると当たり障りのない話題――ベガニシュ帝国の情勢とか天候の話とか、たぶん実際には難しいことを喋っている――である。

 ちなみに最近、お屋敷に加わった褐色の肌の少女は、エルフリーデの隣で黙々と食事を消化している。

 黒髪のボブカット、口を開けば道化じみた調子のリザ・バシュレーは、熱い紅茶に角砂糖を溶かしてゆっくりと飲んでいる。

 リザはイルーシャ姉妹の会話内容を聞いて、にんまりと笑った。


「ちなみに私とお姉さんの出会いは映画館でした」


「お姉ちゃん外国で女の子を口説いたの?」


「口説いてないよ!? どっちかっていうと断崖絶壁に落下していくリザの手を掴んだだけだよ!」


 ちょうどミリアムとの会話が一段落したところだったので、クロガネがするりと会話に割り込んできた。


「ティアナ・イルーシャ。お前の姉の行いは、あるいは道徳的に褒められるべきではないかもしれないが――それが気高い行いだったことに疑問の余地はない。いささか傲慢なのは、エルフリーデの持ち味だ」


「傲慢って……クロガネ、もうフォローになってないですよ、それ」


「お姉ちゃんが基本的にそういう人なのはわかるけどさー……もうちょっと節度ってやつがね」


 屋敷の人々の辛辣しんらつなエルフリーデ評を聞いて、客人――銀髪の少女は切れ長の目を細めた。

 ティーカップの中の紅茶を飲み干して、ミリアムがゆっくりと口を開いた。


「人間の魅力とはこの紅茶の渋みに似ていると思いませんか? 芳醇ほうじゅんな香り高さもそうですが、多少、苦みと感じられるような欠点があってこそ、美徳もまた際立つと思います」


「ミリアム……きみって本当にいいやつだね……!」


「エルフリーデ……あなたと私の友情は不滅であると、今ならば信じられます。この胸の内の情熱と同じように……!」


 熱っぽい瞳でエルフリーデを見つめるミリアムは、ちょっとテンションが高かった。

 どうやら自分の知らないところで姉が何かを吹き込んだらしいと察して、ティアナ・イルーシャが深々とため息をついた。


「お姉ちゃんがまた人たらしやってる……!」


 ティアナの嘆きは正当だった。







 食後の歓談もまた楽しいものだった。先日、エルフリーデが生まれて初めて体験した外国旅行は、波瀾万丈はらんばんじょうで話のネタに事欠かなかったからだ。

 流石にガルテグ連邦の情報機関の陰謀だとか、リザ・バシュレーの出自だとか、怪ロボット兵器の正体だとか、話せない要素は無数にあったけれど――フィルニカ王国で起きた事件は、その一部だけでも話の起伏に満ちている。

 まず軍事クーデターに巻き込まれ、宿泊していた施設に反乱軍が攻め入ってくる経験がかなり希少であろう。


 クロガネとエルフリーデが、互いに補足し合って繰り広げた冒険譚ぼうけんたんは、ミリアムを強く魅了した。

 そして「流石です隊長」と三三二一独立竜騎兵小隊だった頃の口癖がこぼれたりした。

 ミリアム・フィル・ゲドウィン中尉は優秀な士官であり、卓越したバレットナイト搭乗員だが、まずエルフリーデの信仰者なのである。

 流石に盲信・狂信の類からは脱したとはいえ、ミリアムは熱心なファンであった。

 なお物理的に暴力で叩きのめされ、危うく殺されかけたリザ・バシュレーは無言だった。ちょっと笑顔が引きつっていたのは気のせいではない。


 客人であるミリアムは、早朝から列車での長旅だったこともあってか、自室にするっと引っ込んだ。

 どうやら今、ベガニシュ帝国陸軍で苦労している様子の元副官――しかしまあ、能力を将軍閣下に評価されているらしく、鬱屈した様子はないのが救いか。

 春先に起きたサンクザーレ会戦では、古代兵器〈ケラウノス〉を巡って彼女と殺し合った。

 今がまるで奇跡みたいに思えて、エルフリーデは目を閉じた。


 ここは伯爵の屋敷の中庭がよく見えるバルコニーで、さわさわと揺れる庭園の木々のざわめきもよく聞こえる。

 そのとき足音。

 安心するリズムと体重――この春に出会ったばかりだというのに、エルフリーデにとってかけがえのない人になっていた男のそれ。

 振り返る前から、それが誰なのかわかっていた。


「エルフリーデ」


 呼び掛けに振り返る。やはりクロガネだった。言葉を選ばずに評するなら美男子である。

 黒髪の伯爵が、黄金色の瞳でじっと自分を見つめている。

 夜風に当たりに来たのだろう。

 ここは外部からの射線が遮られるようにできているから、狙撃の心配はない。ならば安心して談笑できるというものだ。

 エルフリーデはリラックスして、忌憚きたんのない料理の感想を述べた。


「今日の夕食とっても美味しかったんですけど――ちょっと構成が甘かったと思いません? 一品一品は美味しいんですけど、シチューとムニエルとヨーグルトでちょっと風味が代わり映えしなかったかも」


「気づいたか。今、料理人ピエールと話してきたところだ。安心しろ、明日の夕食ではミリアム嬢を最高のコースでもてなす」


「流石は美食家グルメの伯爵、抜かりないですね」


 エルフリーデが美食家のクロガネに軽口を叩くと、何を考えているのかわからない調子で「ああ」と男は頷いた。

 いや、これで声の響きからして満足げなのだ。流石に長年、側にいた従者のロイほどではないが、エルフリーデにもこの男の癖はわかってきた。

 素は無愛想な男だが、決して無感情というわけではない。むしろ意外なほど素直さをさらけ出してくるのが可愛げだ。


「料理人たちは限られた時間でベストを尽くした。しかしながら、ヴガレムル伯領の美食の神髄を味わってもらわねばなるまい」


「そういえばミリアム、こっちに長く滞在するんですか?」


「数日の間、こちらに滞在するそうだ。彼女は軍部の使者としてやって来たからな。その間、我々の側の事情も明かせる範囲で話さねばならないだろう」


「それはよかった。わたしもミリアムも、その……いろいろあったから、お話しできる時間は長い方が嬉しいです」


 夜風が頬を撫でる。不思議なものだった。今年の初めあたりのエルフリーデはどん底の心境だった。

 大切な妹を人質に取られ、悪意ある命令を連発され、戦地で生き残ることに必死で――よもや一〇万年生きている不死者に拾われ、世界を救う戦いに赴き、その騎士として生きることになるとは考えてもいなかった。

 悪い気分ではない。

 色白の少女は口の端を三日月型につり上げて、ふふっと微笑む。


「このお屋敷のご飯は美味しいですよ。何よりアレです、キャベツを連発しないのがいいですね」


「意外だな、エルフリーデ。お前に好き嫌いがあったとは……キャベツか、確かにベガニシュ料理におけるキャベツは欠かせない食材だ。生野菜サラダ、温野菜、漬物、スープ……多様な味わい方がある。東海岸では油で炒めて食するが、あれは美味いぞ」


 クロガネは流石に料理大好き男らしく、具体的な調理法の例を挙げてきた。もちろんエルフリーデとてキャベツが嫌いなわけではない。

 むしろ青々とした旬のキャベツは何をしても美味しいと思う。しかしながら、そういうことではないのである。

 どれほど言葉を尽くそうと戦地でのなんとも言えない味わいの、古くなった食材を雑に調理した食事とは異なるのだ。


「ベガニシュ帝国陸軍にいたときは、潰したジャガイモと古くなったキャベツだらけで……鮮度って大事ですね本当。戦況が好転してくるとマシになったんですけど、戦地に放り込まれた当初とか最悪だった」


「安心しろ、お前の思い出を上書きする極上のキャベツ料理を出そう」


「いえ、キャベツにそんなこだわらなくてもいいです……」


 エルフリーデが肩を落とすと、クロガネが少しだけ微笑んだ。

 どうやら彼なりの冗談らしい。まさかこの美食家の伯爵に限って、キャベツづくしの食卓などやらかさないだろうが――しかしせっかく戦争が終わったのである。

 当分、キャベツとは距離を取りたい。それがエルフリーデの嘘偽らざる心境であった。

 ともあれ肩の力が抜けている少女を見て、黒髪の男は不意にこう問いかけてきた。


「ティアナ・イルーシャとの関係は問題ないか?」


「えーっと、仲良し姉妹ですよ? 少なくともフィルニカ王国に行く前よりは全然いいです」


 夕食の席でのじゃれ合いは、むしろ姉妹仲が正常になってきた証だった。ティアナが人質になっていたときのような相互依存が薄れて、お互いの距離感が平常運転に戻ってきたのだ。

 それはたぶん薄幸美少女姉妹気取りの状況より健全である。

 もちろん目に入れても痛くないほど妹を可愛がっているエルフリーデにとって、それは断腸の思いを伴うものだったけれど。

 ティアナが幸せならそれでいい。


「変な話ですね。わたしは徴兵されてからずっと、戦うことしかしてこなかったのに――今じゃ妹の未来どころか、外国で出会った女の子の幸せまで気にしてる」


 エルフリーデ・イルーシャは戦争の才能があった。それは間違いない。

 子供であること、女性であること、平民出であること――兵隊の世界で舐められる三重苦を軽々とはねのけて、彼女は英雄になった。

 圧倒的な力が、その根源だった。

 ティアナの言うことも、理屈としては納得できるのだ。誰も彼も自分の手で救えるような振る舞いは傲慢であろう。



――だけど、わたしはこういうやり方しか知らないんだよ、ティアナ。



 十代の数年間を大陸間戦争に塗り潰されたエルフリーデは、だからこそ平凡な暮らしというやつへの自分の適性をわかりかねていた。

 別段、馴染めないというわけではない。むしろ満喫している。

 しかし数年後の自分が、バレットナイトに乗る以外の道を歩いているかと問われたら――想像がつかない、というのも本音だ。

 そんな少女の憂鬱を見抜いたかのように、クロガネが目を細めた。


「エルフリーデ。確かにお前の戦いの才能は凄まじい。俺はそれを高く買ってお前を騎士にした。その選択は何一つ間違っていなかった、それは断言できる。だが……などと思うな」


 息が詰まった。

 どうしてこの人は、こんな風に一番つつかれたくないところをつついてくるのだろう。

 栗色の髪が、初夏の風で揺れた。少女の赤い瞳が見開かれて、悠久の時を生きてきた不死者をその視界に収めている。


「お前には人を惹きつける魅力がある。料理の美味しさを表現する語彙ごいがある。バレットナイトに対する豊富な知識がある。戦術理論を形にできる論理的思考がある。政治家、料理研究家、技術者、戦史研究家……それらの才能を生かす道は無数にある」


「そういうのは高等教育を受けた知識人インテリの仕事だと思うけどな」


「ヴガレムル伯爵の騎士には相応の教育を受けてもらう必要があるからな。家庭教師の手配など造作もない」


 困った。

 どうやら自分は本気でクロガネに、将来について心配されているらしい。エルフリーデはここに来て、自分の大いなる思い違いに気づいた。

 古代兵器〈ケラウノス〉を巡るサンクザーレ会戦、フィルニカ王国での〈イノーマス・マローダー〉撃破などの事件を経て、すっかり対等な関係になっていたと思っていた。

 だが、実際のところ――クロガネにとっての自分は、その身を案じるべき庇護の対象のようだ。

 むかっ腹が立った。


「妙な話です、クロガネ。あなたが必要としているのは、天下無敵の騎士でしょう? ただの女の子のエルフリーデ・イルーシャの心配をするなんて、あなたらしくもない」


 そもそもクロガネがエルフリーデをヘッドハンティングするとき、なんと言っただろうか。

 忘れられるはずもない。それは屈辱的なまでに露悪的な一言だった。



――俺の犬になれ、帝国の英雄。



 同時にこの言葉は、恐ろしくエルフリーデとクロガネの関係の本質を表していた。

 不死者クロガネが求めた猟犬こそ、〈剣の悪魔〉エルフリーデ・イルーシャなのだ。彼女は絶対に裏切らない最強の個人戦力を期待され、その役割を全うした。

 そういう契約だったといえばそれまでだ。

 だが、エルフリーデは裏切られたような思いに駆られていた。自分のことを、無力で哀れな子供みたいに扱ってほしくなかった。

 少女の反駁はんばくに対して、クロガネは慎重に言葉を選んだ。


「……〈ケラウノス〉の一件は片付いた。お前が異なる道を選ぶ余裕が生まれただけだ、案ずるな」


 欺瞞ぎまんであった。

 エルフリーデは一瞬で自分の思考をまとめた。これまで見聞きした情報から、伯爵の置かれている状況を推測する。

 ああ、駄目だ。自分はもう怒っている。

 少女騎士は嘘偽りなき怒りを口にした。




「――鹿。クロガネ、あなたが今すごく難しい立場なのは、わたしにだってわかる。そんな情勢下で、エルフリーデ・イルーシャが引退できるわけない」




 そうだな、とクロガネは頷いた。

 二人の間に漂った沈黙は、お互いを大切に思っているからこそのすれ違いで――それがわかっているのに、引っ込みがつかない痛みに満ちていた。














  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る