ファンガール対スパイガール









 ミリアム・フィル・ゲドウィンは困惑の最中にあった。

 彼女は黒塔紛争あるいはサンクザーレ会戦における迅速な武力介入の功績を認められ、晴れて少尉から中尉に昇進したばかりの若手将校である。


 流れるような銀の長髪、白く透けるような肌、すみれ色の瞳、ほっそりとした顔立ち――まさにベガニシュ貴族のご令嬢といった風情の容姿だが、その経歴は輝かしいものだ。

 泣く子も黙る英雄部隊、三三二一独立竜騎兵小隊の副隊長として激戦区を駆け抜け、かの英雄エルフリーデ・イルーシャを支えた若き才女。


 それが今のミリアムの肩書きである。

 自然、一度は解体された三三二一独立竜騎兵小隊の再編に当たって、小隊長の座を約束されている身分でもある。

 軍内部では今や主流派である改革派カール・トエニの派閥に属しており、貴族軍人でありながら身分に囚われない価値観を持っている――おおむねそれが、外野から評したときのミリアムの立ち位置だ。

 とはいえ実際のところ、ミリアムの心境はそう穏やかなものではない。


 確かにミリアム・フィル・ゲドウィン少尉(当時)はサンクザーレ会戦に介入し、軍の試作バレットナイト〈シュツルムドラッヘ〉を使って、ドゥガリオ公爵の航空部隊、機甲部隊を壊滅させた。


 この武力介入により紛争の長期化が防がれたのは言うまでもあるまい。

 だが、あの日あの戦場にいたものなら誰もが知るように――先鋒を務めた公爵家の軍勢、陸上駆逐艦やバレットナイト部隊を撃破したのはミリアムではなかった。

 エルフリーデ・ショック、あるいはアシュラベール・ショック。

 そう呼ばれる事件が起きていたのである。


 読んで字のごとく、それを引き起こしたのはミリアムの元上官エルフリーデ・イルーシャだった。最新鋭の赤いバレットナイトを駆る少女は、単騎で公爵家の誇る陸上部隊を叩きのめしていたのである。

 ミリアムのやったことは、エルフリーデによって流れができていた戦局を決定づけ、逆転勝利の芽が出ないようにしただけだ。

 自分の仕事をやり遂げた、という自覚はある。


 しかし同時に、最も英雄として遇されるべき人は別にいるのだ。

 実際問題、サンクザーレ会戦における戦訓――高性能な機動兵器の少数投入によって、従来型の陸上戦力を無力化する――がエルフリーデ・ショックと呼ばれているのがその証拠であろう。

 表向き、ベガニシュ帝国陸軍はヴガレムル伯爵とドゥガリオ公爵の紛争を調停したことになっている。


 だが実態としては、出土した先史文明種の遺跡を独占するため、ミリアムを遣わしたというのが実態なのである。そしてよからぬ思惑のあった公爵家共々、エルフリーデと〈アシュラベール〉によって倒された。

 ミリアムの乗る〈シュツルムドラッヘ〉は容赦なく叩き切られ、そして墜落した。一〇〇〇メートル以上、遺跡内部の斜面を滑落した挙げ句、奇跡の生還を遂げたのである。

 実力主義者かつ改革派のエリート士官ミリアム・フィル・ゲドウィンにとって、これはとてもこたえる結末だった。

 そういうわけなので――ヴガレムル市に使者として派遣されると知ったとき、ミリアムの脳裏をよぎったのはこんな一言である。



――生き恥だ、こんなの。



 それでも正式に命令が下されれば、それに従うのが軍人というものである。

 たとえそれが表向き、ミリアム・フィル・ゲドウィン中尉としての任務ではなく、貴族令嬢ミリアム・フィル・ゲドウィンとしての個人的旅行の体だったとしても――そこに込められた政治的意図を理解し、そのように振る舞う機微が少女にはあった。

 あったのだけれど。


 ミリアムを襲ってきた現実は過酷だった。まずヴガレムル伯爵の側に連絡が行き届いておらず、列車を降りても迎えがなかった。

 クロガネ・シヴ・シノムラ卿はこういう嫌がらせをするタイプの貴族ではない。よって明らかに別の何者かの嫌がらせであった。

 果たして軍内部の貴族派か、それとも西ベガニシュ(併合したバナヴィアに対する政治的呼称。はっきり言って欺瞞の類)総督府の連中の仕業だろうか。


 先の紛争――サンクザーレ会戦では、旧バナヴィア王国の領土を統括する総督府の存在は徹底的に無視された。

 ヴガレムル伯爵もドゥガリオ公爵もベガニシュ帝国陸軍も、この植民地支配の尖兵を気取っていながら実際の統治はおざなりな連中を無視していたのである。

 当然、事後になって軍部に嫌がらせされても不思議ではない。


 そういうわけなので困り果てた末、ミリアムは駅から一人、トランクケースを片手に歩き出したのだった。街の地図は頭に叩き込んであるので、どうにかお屋敷へたどり着けば話のしようもあるだろう。

 事前連絡なしの訪問者が門前払いされる可能性を、ミリアムはあえて無視した。

 そうして歩き出すこと三〇分、旧市街の通りに入ったあたりで――銀髪の少女は意外な人物と再会した。



――エルフリーデ。



 ミリアムにとって最も尊敬すべき上官。彼女こそが世界の道理であってほしいという信仰の対象。こうありたいと願った憧憬そのもの。

 肉親の情をはるかに凌駕する親愛と、それに匹敵する裏切られたという想い。

 複雑怪奇な愛憎を向ける相手であり――それでもなお、殺し合いの果てで友達だと言ってくれた大切な人。

 それがミリアム・フィル・ゲドウィンにとってのエルフリーデ・イルーシャである。


 オープンカフェでコーヒーを飲んでいたらしいエルフリーデは、非番らしく私服姿だった。膝下まである上品なワンピースを着こなし、足下をショートブーツで固めた姿はとても愛らしい。

 ミリアム的には「どうやら今年のオシャレ美少女選手権に優勝候補が現れたようですね……」と頷くほかない感じだ。

 閑話休題。


 エルフリーデがヴガレムル市にいるのは、不思議なことではない。軍を追放されたも同然の境遇から、好待遇で彼女を迎え入れたのがこの地の領主なのだから。

 伯爵家の騎士となった少女が、おめかしして街をぶらつくぐらい馴染んでいるのはよろこぶべきことなのだろう。

 彼女に戦場の英雄としてのカリスマを見たミリアムにとっては複雑な話だが――それでも友人として、現在の幸福を受け入れるぐらいの度量はあるつもりだ。

 だが、想定外の発言が飛んできた。


「ヴィラン……ですか?」


 ちょっと意味がわからない単語だった。

 エルフリーデと同じテーブルを囲み、グラスに入った飲料を楽しんでいた異国の少女――褐色の肌に黒い髪は、ベガニシュ人やバナヴィア人の身体的特徴ではない――の発言である。

 見慣れない民なので見立てが間違っているかもしれないが、顔立ちからして、たぶんミリアムよりずっと年下のはずだ。


 一五歳になるかどうか、といったところだろう。白のブラウスを盛り上げる豊かな膨らみは、ミリアムと同じぐらいあるように見えるけれど。

 ともあれ貴族令嬢が面食らっていると、褐色の少女がにやりと笑った。

 流ちょうなベガニシュ語が返ってくる。



「あっ失礼。ヴィランというのはガルテグ連邦のヒーローコミックの用語でして――英雄ヒーローに叩きのめされる悪党という意味です」



 本当に失礼だった。

 その解説は言わない方がマシだったのでは、とミリアムがひたすら困惑していると、エルフリーデが見かねて口を挟んだ。


「リザ、リザ。きみってひょっとして、初対面の人に距離感おかしいタイプ?」


「いいえ、お姉さん。この方からは私の同類の匂いを感じ取りました。お二人の距離感から察するに、有能で可愛いエルフリーデお姉さんの相棒サイドキック――ふっ、ポジションが被っている、というわけですね。これは先制攻撃です」


 耐えられなかった。

 ミリアムは貴族令嬢としての常識と良識でぐっと押しとどめていた疑問を口にした。


「初対面の方にこう言うのもどうかと思いますが、自己評価高いですね!?」


 ミリアムが端整な顔立ちを歪めると、褐色の肌の少女は椅子から立ち上がって――にっこり笑顔で名乗りを上げた。



「申し遅れました、私はリザ・バシュレー……諸事情によりバレットナイトでエルフリーデお姉さんに襲いかかり、圧倒的な暴力で改心したものです。二回ぐらい殺されかけて生きてるのが長所です」



 個性的な自己紹介だった。ミリアム・フィル・ゲドウィンの決して長くない人生――二〇年にも満たない――において、ここまでわけがわからない上に情報量が過多の発言もあるまい。

 流石に意味不明だったので、ミリアムは助けを求めるようにエルフリーデの顔を見た。

 左目から左頬にかけて傷跡の残る美麗な少女は、ぽりぽりと頬を掻きながら冴えないコメントをこぼした。


「その言い方だと、こう、わたしが力で問題を解決する悲しい生き物みたいじゃないかな」


 どうやらリザを名乗る少女がエルフリーデに襲いかかり、返り討ちに遭ったのは事実らしい。

 ミリアムは勘弁してほしいと思った。

 いや、確かにエルフリーデはは、容赦なく武力行使する類の人間だとは思うが――そんなこと普通はないだろう。


「リザ、とても大事なこと言うよ? ミリアムはわたしより年上だからね。ほら、異国の地フィルニカには年長者を敬う的な精神があったと思うんだけど……」


 フィルニカ王国の名を聞いて、ミリアムは深読みした。確か先日、軍事クーデター未遂があったばかりのベガニシュの友好国である。

 するとエルフリーデと戦った、というのは先のクーデター事件絡みのゴタゴタということになる。

 厄介ごとの香りがした。



――わざわざそれを匂わせたのは、これ以上深入りするなって警告?



 ミリアムの危機管理能力は高い。一見するとふざけきったリザの言葉から、するっと言外のメッセージを受け取るぐらいには。

 果たしてそれが深読みのしすぎなのか、正しい認識なのか確認する暇もなかった。

 エルフリーデにミリアムが年上であることを告げられ、リザはグラスをテーブルの上に置いた。

 そして神妙な顔でこんなことをのたまった。



「お姉さんより年上……妹を志す権利を持たないということですね……哀れなソーリー……」



 ミリアムは助けを求めるようにエルフリーデの顔を見つめた。ぽけーっとした平和な表情があった。戦場での姿が獅子の女王だとすれば、今の彼女は日向ぼっこしてる猫ぐらいにやる気がない。

 ここに頼れる上官はいないことを悟って、ミリアムは孤立無援の戦いを覚悟した。

 そして率直な疑問を口にした。


「妹を志すとは……? その、確かエルフリーデのご両親はもう……」


「養子縁組のことではありません。妹とは精神の形、生き様を指した総合芸術にも似た観念なのですよ、おわかりサヴィー?」


 雷に打たれたようにミリアムは衝撃を受けた。それは文化的衝撃カルチャーショックであり、これまでの決断すべてが走馬灯のように脳裏をよぎっていく。

 どれほど憧れても、手を伸ばしても、きっと届くことはないと諦めていた。その妄執を形にして邪竜となっても、エルフリーデの剣に斬り伏せられた。



――ああ、だけどこんなに鮮やかな方法があったなんて!



 ミリアムは目を閉じて、深々と息を吐いた。長い銀のまつげに、ちょっとだけ感涙の雫がにじんでいた。

 そして感動を震える声に込めた。



「エルフリーデ……私は……あと二年か三年遅く生まれるべきだったのでしょうか……!?」



 エルフリーデ・イルーシャは小首をかしげたあと、コーヒーを飲み干して。

 しみじみと本音をこぼした。




「ミリアム……きみは今、ものすごく人生を迷走してるよ」




 〈剣の悪魔〉は辛辣だった。






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