ベガニシュとバナヴィア









 すべての国家には思想イデオロギーが存在する――とは言いすぎであろうか。

 この場合の思想とは、政治的立場や個々人の主義主張のことではない。より根源的な思考や価値観の基盤を、ここでは思想と定義する。

 権力や暴力を掌握しているものが頂点に立つのだ、思想などインテリどもの戯言だ、という剥き出しの弱肉強食の原理ですらそういう思想と言えよう。


 そんな面倒なものは御免被る、自分はそういったものに束縛されたくないのだ――と考えること自体が、そういう種類の思想なのである。

 人間集団が社会を形作り、その営為を続ける中で構築されてしまう環境は、時に残酷なまでに個人の性質に影響する。



――日常的に暴力と抑圧を受けて明日の暮らしもわからない人間と、自由があり生存の権利と未来を信じられる人間とでは世界の見え方が違う。



 当然のごとく共同体や人間存在に対する観念も自ずと変わってくるだろう。

 今日の自然科学の知識では、少なくとも民族固有の性質などというものは、生物学的には存在しないと判明している。

 もちろん身体的特徴の発露として、目に見える違いはあるのだが――それを根拠に差別を設ける人間の動物的な習性ほど、顕著な差異というのは生じないものだ。


 人間は大した違いがないのに、その生まれ育つ環境には大きな違いがある。

 極論すれば――どれほど豊かな才能の持ち主とて、赤子として生まれて間もなく、不衛生な環境で衰弱死しうる。

 世界は、人間は、邪悪なサイコロの出目に生かされている確率論的悪夢の産物である。



――さて、ここまでの記述を二つの国家、二つの民族の話をしよう。



 一般的に――つまりベガニシュ帝国内はもちろん諸外国にも共有される認識として――ベガニシュ人は合理・忍耐・団結の文化である。

 彼らは科学知識と科学技術の発展を何よりも尊び、その基盤となる思考の合理性を重んじる。ベガニシュ人は大陸の内陸部などの豊かではない土地にも進出し、その厳しい環境に耐えて開拓を進めてきた忍耐強い人々である。

 そしてベガニシュ人はその階層を問わず、外敵との戦争となれば団結する。


 そういうことになっているし、このような性質が社会的に求められる暗黙の了解プロトコルなのだ。つまりこれを守れない人間は、社会的に切除されるという意味だ。

 ベガニシュ帝国が今もなお貴族制を保っており、それに支えられた騎士の文化を根強く持っているのは偶然ではない。

 貴族階級が科学技術の恵みを受け、特権階級の意を受けた騎士たちが軍事力となって臣民に服従を強いる――そういう無数の共同体をまとめ上げるため、まつりごとを司る皇帝と官僚たちは一致団結を呼び掛ける。


 いずれもベガニシュ帝国ではよくあることだ。

 かつてドゥガリオ公爵ガトア家の当主アルフレッド・エル・ガトアは帝国臣民を家畜に例えたが、これは門閥貴族の盟主が特別愚かだったわけではない。

 事実として騎士でも貴族でもない輩は、税収の源になる資産なのだ。

 そういう世界認識の元で育った人間は、それに迎合するにせよ反発するにせよ、そういう思想イデオロギーを前提として生きてしまう。

 貴族社会と男女差別を憎んだ伯爵家令嬢ミリアム・フィル・ゲドウィンが、その実、極めて貴族的な価値観を内面に持っているように――人間は自分に浴びせかけられた情報に影響される。



――ベガニシュ人の世界において、人間は有用性によってされる。



 その意味においてバナヴィア人は、ベガニシュ人と異なる思想イデオロギーを持った集団だった。


 バナヴィア。

 それは自由のために数多の流血を重ねた民族の名である。自由の名の下に騎士の支配を打ち破り、膨大な数の銃口をそろえて、外敵の侵略を撃ち払った名もなき人々である。

 人間存在とはその有用性にかかわらず、本来、自由であり生存に値するのだという祈りが、彼らを突き動かしていた。

 そしてバナヴィアとは革命の火をあまねく人類へ伝播させるべく、ありとあらゆる形で世界に干渉した集団であった。

 彼らは武器を輸出した。彼らは思想を根付かせた。彼らは流血を肯定した。



――バナヴィアとは、停滞した旧世界に向けられる炎だった。



 それは時に苛烈な怒りであり、それは時に燃え上がる愛情だった。

 近代的バナヴィア人とは貴族を処刑し、国王の首を刎ね、民衆を銃弾の雨でなぎ倒し、それでもなお止まらなかったの築き上げた世界だった。

 王政復古が成ろうとも、誰も中世への逆行を許しはしなかったのだ。

 バナヴィアとは、そういう犠牲の果てに作られた民族であり国家であった。

 それゆえに彼らは憎悪されるのだ。


 今日と変わらぬ明日を求める人々にとって、バナヴィアの名を冠した思想イデオロギーはすべてが猛毒だった。

 一五年前、戦争があった。

 ベガニシュ帝国がバナヴィア王国に攻め入り、電光石火の快進撃で軍を打ち破り、その全土を併合した。それは国際政治の観点から、帝国の拡大政策の一環として受け止められている。

 農業的にも工業的にも豊かなバナヴィア王国を併合し、その資産を吸い取るための戦争だったのだと、ベガニシュ帝国の支配者層の多くすら信じている。


 だが、

 そこには恐怖があったのではないだろうか。自らを根底から焼き尽くす、異物への憎悪がなかったと言い切れるだろうか。

 ベガニシュ帝国という古き帝国は、その歴史ゆえに新たな時代に怯え続けているのかもしれなかった。

 重ねて言おう。



――バナヴィアは自由を求め続ける。



 人間は幸せを願う生き物だ。

 これほどまでに隔たり、わかり合えず、あるいは理解し合うことそのものが次なる争いを呼び込む世界において――それだけは変わらない。

 だから友達になれる。だから愛し合える。だから生命は生まれ続ける。

 この残酷無残を、運命と呼ぶように。







――ヴガレムル市新市街、企業連合体ミトラス・グループ本社ビルにて。



 天を突く摩天楼まてんろうたる高層ビルの一角に、ミトラス・グループ代表の執務室はあった。

 威厳の演出のためなのか、部屋の主の趣味に反して高価な自然木材を加工して作られたデスク。


 やはり人体工学的に優れた設計の椅子に座り、紙の書類――重要事項への外部からのアクセスを遮断する方法として、最も完璧なのは電子的情報にしないことだ――に目を通していく男が一人。

 すでに電子化された書類へのサインは終えた。要するに彼が今、手にしているのはそういう形で広く共有されることがない、部外秘の情報なのだ。


 生真面目そうな風貌、精悍な顔つきに黒い髪、肌の色は平均的なベガニシュ人やバナヴィア人のそれよりも幾分か濃いが、かといって完全に異人かと言われるとそうでもない絶妙な顔立ち――結果としてすべてが異国情緒という魅力に集約される類の美男子。

 ディレクターズスーツを着込んだ男、クロガネ・シヴ・シノムラはしばらく考え込んだ末、傍らに控える従者に声をかけた。


「ロイ。帝国兵器工廠からの要請はこれで全部だな?」


「はい、旦那様。要約すれば、ベガニシュ本土のあらゆる研究機関が〈アシュラベール〉に関する機密情報の開示を求めています」


 金髪碧眼の若者ロイ・ファルカは、髭の剃り跡一つない甘いマスクににっこりと微笑みを浮かべている。彼の微笑は、どちらかといえば無愛想な主を補うように華やかだった。

 人間というのは存外シンプルな生き物である。実際問題、微笑んでいる誰かがいるだけで緊張が緩和されるようにできている。

 クロガネは目を細めた。


「残念ながら彼らの求めているような、完成品の第三世代バレットナイトなど存在しないのだがな……エルフリーデはいささか派手にやり過ぎたかもしれん」


「一部だけでもお渡しになれば、旦那様への圧力は減るのでは?」


「ミトラス・グループが長年かけて築き上げた技術的アドバンテージを、多少の圧力で渡していては我々の未来は暗い。それに……ロイ、仮にお前があのバレットナイトに乗るとしたらどうする?」


「遺書を準備する時間をいただきます」


 いささかも崩れない微笑み――ロイは正直な青年だった。

 彼自身、とても優秀かつ多芸な人物――従者としての身の回りの世話、書類仕事の補佐、身辺警護、車両の運転資格など――なのだが、それにしても〈アシュラベール〉の操縦は難易度が高い。

 クロガネは「だろうな」と頷いた。

 ミトラス・グループが誇る超高性能試作機〈アシュラベール〉は、従来のバレットナイトをはるかに凌駕りょうがする機体性能と機体強度、そして信頼性を持つ。


 急加速と急停止を繰り返し、高負荷の機動を多用するエルフリーデの蛮用に耐えているのがその証拠である。つまりマシントラブルは実戦で起こしていない、すこぶる優秀な機材ということになる。

 ベガニシュ帝国の軍事技術に関わる研究機関が、その設計情報や運用データを喉から手が出るほど欲しがるのも無理はない。

 実際問題、エルフリーデが引き起こした軍事的衝撃――通称エルフリーデ・ショックの影響は凄まじい。


 彼女は巨大な陸上駆逐艦を粉砕し、一二〇機のバレットナイト部隊を蹂躙じゅうりんし、あまつさえベガニシュ帝国先進技術研究所の〈シュツルムドラッヘ〉を切り捨てた。

 さらにフィルニカ王国で起きた怪ロボット事件では、フィルニカ陸軍に多大な損害を与えた巨大ロボット兵器を、ほぼ無傷で制圧している。

 回収された資料からガルテグ連邦の機密情報が満載されていたと思われる巨大兵器〈イノーマス・マローダー〉でさえ、〈アシュラベール〉には手も足も出なかったのである。

 誰もがこう考えるはずだ。



――次世代の兵器システムの頂点が生まれたのだ、と。



 だが、これは大いなる錯覚である。

 確かに第三世代試作バレットナイト〈アシュラベール〉は凄まじいマシンスペックを誇る機動兵器だ。航空機ですらうかつに近寄れない飛行能力があるようにも見える。

 しかしながら実際のところ、〈アシュラベール〉はその絶大な推力制御システムが未完成――ほぼ殺人的欠陥といって差し支えない――の技術実証機である。


 ハードウェアとしてはすでに実用段階の性能を発揮できるが、これを制御する自動化されたソフトウェアができあがっていない。

 よってその機体制御は、すべて搭乗者によるマニュアル制御が行われている。

 瞬時に時速六〇〇キロメートル超にまで加速するような殺人的加速性能がある機体と、二基の電気熱ジェットエンジンのマニュアル制御はすこぶる相性が悪い。

 ぶっちゃけると如何に腕利きのテストパイロットがいようと、慣らし運転の段階で地面に激突して爆発炎上する可能性が否定できない。


 そんなわけでクロガネとしてはベガニシュ帝国側からの要求を呑めない。

 企業グループ代表としての利害の点からも、人道主義者としての観点からも、これを拒絶するほかなかった。

 仮に設計データを開示して「ざまあみろ」などと振る舞おうものなら――わざと欠陥のあるデータを渡したと疑われるか、ミトラス・グループの株が比喩抜きで下がるかの二者択一だ。


 何もいいことがない。

 よってクロガネ・シヴ・シノムラは関係各所からの圧力を受け流しつつ、〈アシュラベール〉への過大評価を利用して、自分の要求を叶えていくという器用な立ち回りをしていた。


「ベガニシュ帝国の皆様方が納得するでしょうか?」


「現在の主力機である〈アイゼンリッター〉の技術的アップデート、上位互換機〈ブリッツリッター〉の生産性向上……スピンオフ技術だけでも、我々は十分にあめを提示できる。心配するな、ロイ」


 ミトラス・グループはベガニシュ帝国にバナヴィア王国が併合されたあと、クロガネの政治的才覚によって資産の接収を逃れ、何故かむしろ侵略してきた国の技術を吸収して巨大化した。

 当時のベガニシュ帝国を取り巻く内政上の事情だとか、新兵器バレットナイトの需要に対して帝国内部の生産体制が整っていなかったとか、理由はいろいろとあるのだが――そういう機会をものにできたのは、この年齢不詳の伯爵の手腕あってのものだった。

 であれば此度の災難――良くも悪くもエルフリーデ・イルーシャの影響力が大きすぎた――も、上手く乗り切れるだろう。

 そのように従者ロイ・ファルカは信じていた。

 しかし彼には懸念事項があった。



「これ以上の軍事分野での協力は、バナヴィア独立派を刺激する恐れがあります。旦那様、よろしいのですか?」


「……そうだな。だが、避けては通れない道だ。彼らの目から見て、俺が売国奴のそしりを免れないとしてもな――」


 執務室の中で、主従二人は黙り込む。

 クロガネもロイも、その源流ルーツを辿れば古くからのバナヴィア人とはほど遠い。

 どれほど彼らが実現できる範囲内で手を尽くしていようと、抵抗運動組織レジスタンスから見て、外国勢力の協力者と映るのは避けられないことだった。

 その真意など、誰も知らないのだから。












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