ヴィランガールズ
「そういえばお姉さんって大陸間戦争の英雄なんですよね」
リザ・バシュレーが不意にこんな一言を漏らした。
場所はヴガレムル市内のカフェ、読んで字のごとくコーヒーを供する飲食店――まさにバナヴィアという感じの文化そのもの――の屋外席である。
露天に配置された椅子とテーブル、メニューの書かれた黒板、街行く人々が見渡せる席だ。気候の穏やかなバナヴィア東部だからこそ成り立つオープンカフェ形式の店で、リザは冷たいグラスに入った濃い褐色の液体を飲んでいる。
見慣れない飲料である。
エルフリーデとてバナヴィア人である。当然、コーヒー文化にも親しんでいるが、氷を浮かべてまでして冷たくしたコーヒーは、ヴガレムル市に来て始めて知った。
むう、とうなり声。
「どうしたんです?」
「ああいや、冷たいコーヒーだっけ。美味しいのかな、それ」
「とても美味しいですよ? お姉さんも飲んでみます?」
「いや、わたしには暖かいコーヒーがあるからね。リザは気にせず飲んじゃって」
そうですか、小首をかしげるリザは
南方の生まれを感じさせる褐色の肌、黒いショートヘア、片目を隠した特徴的な前髪、緑の鬼火めいた瞳、どこか華奢な印象の首回り、そのくせ豊かな胸元の膨らみ――年の割に発育がいい少女は、肉感的な肢体を長袖のブラウスとジーンズに包んでいる。
願わくば線の細い妹のティアナ・イルーシャも、これぐらい健康的にすくすくと育ってくれるといいのだけれど。
季節は初夏に差し掛かっていた。
ぽかぽかとあたたかな日差し、風が吹いてもひんやりとした感覚はない。エルフリーデなどはもう半袖で過ごしてもいいぐらいの気温なのだが、南国で長いこと暮らしていたリザにとっては違うらしい。
ヴガレムル伯領では長いこと長袖を着て暮らしている少女は、どうやらバナヴィアの地の気候が寒く感じられているらしかった。
その割に冷たいコーヒーなんて頼んでいくのだから、ちょっとひねくれている。
――まあそこがリザの可愛いところなんだけど。
エルフリーデは姉心(別に姉ではない)を発揮しつつ、周囲を見渡した。
旧市街にあるこのカフェは最近、メイドのアンナから教えてもらった穴場だった。聞いていたとおりにとてもいい店で、本格派のコーヒーを手頃な値段で出すし、お茶請けにと注文したクッキーもサクサクとして美味しい。
当たりである。
かのメイドには頭が上がらない。優しくて美人でファッションセンスがよくて味覚も確かなのである。
ヴガレムル伯爵ことクロガネ・シヴ・シノムラの人材発掘能力が優れているのだろうか、基本的にお屋敷の使用人たちはみんないい人である。
コーヒーを飲む。
うん、美味しい――そしてエルフリーデは、冒頭の問いかけに答えていないことを思い出した。
「あ、ごめん。なんだっけ、大陸間戦争の英雄だっけ?」
「そうです。いえ、今さらではあるんですが……意外と地元だと普通の人なんだなーと思いまして」
「まあそれはねー、ほら、あくまで戦場限定の英雄ってやつでさ? バナヴィア人で徴兵された子たちも、まだ動員解除されてないから戻ってきてないし……」
「帝国内では案外、宣伝されてないんですね? 意外です」
そう言って再び冷たいコーヒーをストローで飲み始めたリザは、今はバナヴィア語を流ちょうに操っている。これでガルテグ語とフィルニカ語も母語として扱える――それどころか科学技術の論文を理解できるレベル――なので、本物の才媛というやつだ。
とはいえやはりガルテグ連邦の諜報機関に在籍していた少女は、ベガニシュ帝国内部の文化的差異には詳しくなかった。
宣伝されるわけがないのだ。
エルフリーデ・イルーシャはバナヴィア人であり、ベガニシュ帝国にとってバナヴィア人とは二等市民なのだから。
しかしそれをバナヴィア人が暮らすヴガレムル市で口にするのも気が引けた。ここは併合されたバナヴィア人の土地でありながら、ベガニシュ帝国の圧政を免れている例外の地なのだ。
その暮らし向きが近代的で繁栄している都市そのものだからこそ、外国人から見るとその特性がわからない。
ちょっと悩んだ末、エルフリーデはひとまず遠回しに伝えることにした。
「まあね――ほら、帝国っていろんな民族とか、身分とか、事情が複雑だからね」
「ああ、なるほど」
リザは優秀だった。言外にエルフリーデが伝えようとした事情を察して、こくこくと頷きながらグラスに入ったコーヒーを飲む。
そしてストローから口を離して、やや皮肉な笑みを浮かべた。
「人間って変わりませんね、土地が変わっても」
それがフィルニカ王国の話なのか、ガルテグ連邦の話なのか聞くのは気が引けた。
リザ・バシュレーは二つの国の政治的動乱の果てに最愛の弟二人を失っているので、どちらの国にもいい印象がないのだ。
願わくばバナヴィアが彼女の新しい故郷になってくれればいいのだけれど。
そう思考した瞬間、エルフリーデは驚いた。
――ベガニシュ帝国じゃなくてバナヴィアって考えた? わたしが?
自分らしからぬ愛郷心だな、と思う。バナヴィア王国はどう言い繕っても滅んだ国であり、エルフリーデが物心ついた頃にはベガニシュ帝国の統治下だった。
にもかかわらず、リザの故郷になってほしいのがバナヴィアとは。
「お姉さん? どうされたんですか?」
リザが目ざとくこちらの動揺に気づいた。流石は才能あふれるスパイガール、観察眼も一流である。
流石に祖国云々は言葉にするのが躊躇われた。
エルフリーデは苦笑して、それらしい話題を口にした。
「いや、よく考えると和平が成立したのってついこの間だなって思ってさ。こうやって平和に二人でお茶できてると忘れちゃうけどね」
元来、バナヴィアは豊かな国である。大陸間戦争の舞台となった帝国東海岸は大陸の反対側であり、ここまで物理的に距離があると、戦争の影響はあまり生じない。
海の向こうから安く資源を買い付けるような文明形態では、戦争の影響はただちに世界中に波及するが、エルフリーデたちの生きる文明はそうではない、とも。
――もちろんそれって全部、クロガネが手を回してバナヴィアを守ってるからなんだろうけど。
ベガニシュ帝国がその気なら、遺跡の生産プラントを接収して、その生産力すべてを戦争に注ぎ込むような真似だってできただろう。
旧バナヴィア王国の領土に設置された、西ベガニシュ総督府がそうしていないのは、別にバナヴィア人に優しいからではない。
彼らにその能力がないからだ。
一般人が考えるような合理的な統治、冷酷な収奪というのは存外、有能な官僚機構があって初めて成立する――というのが、クロガネの解説だった。
そして諸事情によって現在の総督府にそのような能力はない、とも。
結果としてついこの間まで戦時中だったにもかかわらず、ヴガレムル市内の暮らしは何一つとして平時と変わっていない。
物価高すら最小限度に抑えられているのは、たぶんすごいことなのだろう。
エルフリーデの内心を知ってか知らずか、リザが端正な顔でこくこくと頷いた。
「私は外国育ちなのでこのあたりの事情はわかりかねますが……確かに言われてみるとすごいですね。大陸間戦争の当事国だなんて、言われないとわからないかもしれません」
「あははは、流石にフィルニカ王国とかの第三国とは違うよね」
「意外と言えば……エルフリーデお姉さんが存外、バレットナイトの運用について専門家だったのも意外です」
「あー……もっと個人武勇全振りだと思ってた?」
冗談めかしてそう尋ねると、リザはちょっと気まずそうに目を逸らした。
元スパイなのに変なところで素直で可愛い、というのが、エルフリーデの嘘偽らざる感情だった。
この辺の好きな人間の種類については――実のところ、戦友のミリアムや恩人のクロガネに対しても変わらないのが、エルフリーデ・イルーシャという少女の癖だった。
多少、自分に対して失礼な感想だろうが寛大に許す程度には。
「いえ、もちろんお姉さんが凄腕なのは前提としてですよ? まさかバレットナイトの集団運用とか戦術理論についてもあそこまで詳しいとは思わず……」
「リザは真面目だなあ。今は観光案内なんだし、仕事中の話は忘れていいよ?」
「その点については伯爵様に感謝しています。私の身柄を引き取ってくれたのもそうですが、ここまで手厚くサポートされるとは思いませんでした」
「ああうん、クロガネはいいやつだからね……」
出会った当初は年頃の乙女を犬呼ばわりする最悪の
そっちに話が脱線すると、間違いなくリザのクロガネに対する印象が悪化するので、エルフリーデは意識して話題を逸らすことにした。
「でもリザもすごいよ。あんな短時間でわたしの話に追い付いてきたのは、きみのすごいところだよ」
「これでも勉強熱心なのが取り柄でして」
肩をすくめておどけるリザは、弟たちを失った痛手から立ち直ろうとしていた。決して胸の傷が癒えたわけではないだろう。しかし決して心折れたわけではない。
そういう力強さが、リザの姿にはあった。
ちなみに話題になっているのは、ベガニシュ帝国におけるバレットナイトの運用についての話である。
士官学校出の副官の力も借りて、エルフリーデなりに戦地で学んだ教訓を体系化したもので、おおむね実戦的な内容だと自負している。
バレットナイトはその登場以来、従来の兵科の一部を代替しながらその役割を拡大していった。
その開発国であるベガニシュ帝国軍におけるこの人型兵器の役割は、大きく分けて三つある。
すなわち機甲猟兵、竜騎兵、そして戦闘工兵である。
バレットナイトは人体の拡張装備であるという視点から見れば、降下猟兵(航空機からパラシュートで空挺降下する兵士たち)や山岳猟兵(険しい山岳地帯での活動に適した兵士たち)と同じ歩兵の発展系として機甲猟兵と呼ぶことになる。
一方、バレットナイトを重火器が発展した現代戦における騎兵の一種として捉えるなら、その機動力を生かした打撃力は竜騎兵と呼ぶに相応しい。
そして様々なアタッチメントを用いて地面を掘ったり埋めたり、橋を架けたりする作業をする姿は戦闘工兵と呼ばれるべきだろう。
ものは言いよう、すべてこじつけだ。
バレットナイトは身長四メートルの人型兵器であり、長時間無補給活動が可能な戦闘車両でもある。
つまりどういうことかと言うと、とても力持ちでいろんな道具が使えて、電池切れで動けなくなることがない。
砲撃と機銃掃射の嵐が吹き荒れる戦場を、有刺鉄線や塹壕を乗り越えて自由自在に跳び回るバレットナイトだが――何もそれだけが力持ちの巨人の出番ではないのだ。
また戦車乗りの視点から見れば、バレットナイトは従来、軽戦車と呼ばれてきた低装甲・軽装備の戦闘車両を代替する存在である。その場合は単座の二脚歩行戦車という扱いになるだろう。
このように多面的な評価ができるのが、バレットナイトなのである。
ちなみに上述の理由から、ベガニシュ帝国陸軍時代のエルフリーデは機甲猟兵連隊所属の竜騎兵小隊の小隊長ということになる。
とてもややこしいが――同じバレットナイト乗りでも、戦場あるあるな体験談で共感を抱くのは同じ兵科なのだ。
地面に穴を掘っては敵兵とレールガンを撃ち合ってきた一般的な機甲猟兵と、そんな風に構築された敵陣地に突撃する竜騎兵では経験する物事が違う。
そして竜騎兵の中の竜騎兵、英雄譚の主役であるエルフリーデ・イルーシャともなれば――自ずと共感できる相手は限られてくる。
要するに少女は精鋭中の精鋭なのである。
なので必然的にエルフリーデの構築する戦術理論は、竜騎兵の目から見たバレットナイトの破壊力/驚異の評価ということになる。
それは戦後の時代になっても有用な視点だ。例えばクロガネを襲う敵対勢力のバレットナイトが、どういう動き方をして、どういう考え方をするのか――それを理解する上でも重要になる。
「リザには、いろいろ仕事を頼むことになると思う。今のところ騎士見習いとして、わたしの補佐って扱いだけど……」
「構いませんよ。伯爵様はお気に召さないようですが……バレットナイトに乗れる超一流は一人でも多い方がいい、そうでしょう?」
「うん、まあそういうこと」
現在、ヴガレムル伯爵の保有する戦力は少ない。
クロガネが今まで諜報や情報戦に重点を置いて人員を運用してきたために、直接的な戦闘力に長けた人材が少ないのだ。
要するにスパイを使ったり、スパイを狩ったりするのはめちゃくちゃ上手いが、荒事で殴り合いするとなると手数が足りない。
春先に起きたサンクザーレ会戦――ベガニシュ帝国の公爵家が、公然と侵略してきた紛争――のような事件も、元を辿ればこの保有戦力の少なさが引き起こした事態である。
貴族の世界は、見栄と面子がとにかく必要なのだ。
エルフリーデの活躍で今でこそヴガレムル伯爵は恐れられているが、彼の手足となって働く人員は一人でもほしかった。
その点、リザ・バシュレーは優秀である。
本気で殺す気のエルフリーデ・イルーシャと同等性能のバレットナイトで交戦して、逃げ切るだけの技量と判断力がある。
少女の思考力、判断力、戦闘技術すべてをエルフリーデは高く買っていたので、リザを採用することにも何のためらいもない。
むしろそれを嫌がっているのは、クロガネの方だった。
理由は単純だ。
――子供が殺し合いの場に出るべきではない、か。
甘っちょろくて涙が出てくるような道徳的価値観である。
ベガニシュ帝国が大陸の三分の二を支配するこの世界では、決して主流とは言えない手ぬるさと言っていい。
バレットナイトという新兵器の影響も大きい。この機械仕掛けの巨人を戦力化するにあたって、帝国は老若男女を問わず、高度適性者を搭乗員に仕立て上げるためあらゆる手を尽くした。
祖国を守るための大戦争に、あらゆる年代の臣民が尽くすべし。
そういうノリで若年者の徴兵も正当化されたのである。
そして
そういう大きな時代の流れに見出されたのが、エルフリーデという英雄だった。
――クロガネはそういうところ、甘いんだよなあ。
個人的には嫌いではないし、むしろ人間的な美徳だとも思うけれど。
さて、どうやってクロガネを説得するかが問題かな、と遠い目になった刹那。
――
風に揺れる銀の
エルフリーデの様子に面食らって、釣られるようにリザの視線もカフェのすぐ傍の通りに吸い寄せられる。
「お姉さん……?」
何メートル離れていたって、見間違えるはずがなかった。それは戦地で数多の夜を共に過ごし、砲撃の降り注ぐ空の下を共に駆け抜けた戦友で――大切な友達の面影だった。
まるで降り積もった冬の新雪のように白い肌、切れ長の目、すみれ色の理性的な瞳、すっと通った
生真面目な彼女の性格を表したみたいな、かっちり着込まれた黒色のベストに白いシャツ。小柄な少女はパンツルックをきっちり着こなして、大きな車輪付きトランクケースを引きずっている。
白昼夢でも見たような気持ちで、思わず声がもれた。
「ミリアム……?」
その声を聞いて、白銀の少女の目がこちらに向く。
端整な顔立ちに浮かぶ驚愕の表情――本当ならもっと後回しになるはずだった再会が、大幅に前倒しになったという風情のそれ。
鈴の音を転がすような、貴族令嬢の柔らかな声が返された。
「…………エルフリーデ?」
動きを止めた二人を交互に眺めた末、この場で最年少のリザ・バシュレーはぽつりと呟いた。
「理解しました、この微妙な空気――
ヒーローコミック・オタクの少女は突き抜けて失礼だったが、同時に最短最速で真実へ到達していた。
そしてかつての隊長と副官、エルフリーデとミリアムは同時に困惑した。
「えっ?」
「えっ……!?」
初夏の風が、三人の頬を撫でた。
別に優しくもない生ぬるい空気だった。
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