神は裁き








 夕闇が覆い尽くす空の下、リザを突き動かすのは激情だった。

 右目に相当する視界の半分が消えていた。長距離レーザー通信ユニットは破損済み、すでに索敵用戦術データリンク〈イーグル・アイ・システム〉との交信は途絶。

 それどころか半径一〇キロメートル圏内の有視界戦闘にすら苦労する有様だ。車両や戦闘ヘリに搭載される大型の対戦車ミサイルにすら耐える、〈イノーマス・マローダー〉の頭部装甲が砕け散っていた。


 複眼の右半分が潰れ、でろりと顔面からカメラアイが垂れ下がっている。人間だったなら激痛で失神しているような状況。

 だが、電脳棺によって痛覚信号を抑制され、融合操縦システムの利点――自身の身体のように機体構造を認識できる――だけを受け取るリザには関係ない。

 少女は今、過去のどんなときより負けられない戦いをしている。それなのに勝ち目が見えてこなかった。



「嫌だ、嫌だ、嫌だ!」



 叫びに応える声はない。

 深紅の悪鬼が、大地すれすれで翼をひるがえして宙を舞う。その手に長大な砲身を携えて、〈アシュラベール〉が――エルフリーデ・イルーシャがそこにいた。

 圧倒的に小さな相手だった。〈Eマローダー〉の巨大さを思えば、片手で叩き潰せる羽虫のような大きさだ。


 だが、認めよう。

 エルフリーデは危険すぎる。フィルニカ王国陸軍の展開した軍隊より、彼女一人の方が、はるかに巨神にとって危険な存在なのだ。

 まだ半数が生きている複眼型カメラアイを使って、視界を横切る深紅の機影を追いかける。


「エルフリーデ、あなたを殺す! わたしが殺して、この子たちを守るっ!」


『無理だよ、リザ――きみを勝たせるわけにはいかない』


 継戦能力の維持なんて考えなくていい。未来あすなどありはしない。だとしても今ここで、弟たちがエルフリーデに殺される現在いまなんて認められない。

 〈Eマローダー〉の張り出した背部装甲のあちこちで、装甲ハッチが開いていく。実に五〇発近い数の近距離統合ミサイル発射管が起動――リザの意思に応えて、小型ミサイルが嵐のように吐き出された。

 四八発の小型ミサイル群の尻で、固体燃料ロケットモーターが作動する。たった数秒間のロケット噴射で超音速に達するそれらを近距離から一斉射した。

 〈アシュラベール〉が加速する。


 そして不可解な出来事が起きた。まただ。ミサイル群の過半数が、原因不明の故障を起こして明後日の方向に飛んでいく。

 〈Eマローダー〉はそれ自体が強力な電磁波の発生源であり、電波を利用したミサイル誘導方式を使えない。このため弾頭そのものにセンサーと誘導装置が取り付けられ、画像認識したロックオン対象に向けて誘導される方式が取られている。

 その誘導装置が無効化されていた。


 ベガニシュ帝国のジャミング技術は優れている。であれば何らかのジャミング装置を搭載して、ミサイルの誘導を切っているのだろう。

 だが、それでも無効化できたのは過半数。残り二〇発ほどの近距離用ミサイルが、〈アシュラベール〉に向けて飛翔して――唐突に消し飛んだ。

 理解しがたい現象。

 大気を引き裂くプラズマの残光――ようやく何が起きたか知る。



――ミサイルの軌道が集中する刹那に!?



 空中で発射された大型レールガンが、たった一発の砲弾で複数のミサイルを無力化した。直接、物理的に撃ち抜いたのではない。ミサイル群が慣性に従って飛来するタイミングで、極超音速飛翔体の衝撃波を利用して、空力制御フィンを破壊したのだ。

 それでもなお生き残ったミサイルが〈アシュラベール〉に直撃する。

 光波シールドジェネレータの粒子防御帯に突っ込んだミサイル群が爆ぜる。爆発でバレットナイト用大型電磁投射砲が折れ曲がった。

 エネルギーバリアでも防御しきれず、深紅の翼がひしゃげて吹き飛んだ。

 その翼は折れた。


 ああ――だが地面に落ちることはない。

 地獄を思わせる火炎を噴き出して、電気熱ジェット推進機構で加速する機影。

 その左右の主翼を失った今、得られる揚力はなく、純然たる推力だけで大気を切り裂くもの――〈アシュラベール〉が主翼の根元、懸架ユニットから太刀を引き抜いた。

 左右の腕に一本ずつ、超硬度重斬刀が握られる。

 リザは恐怖した。


 たった今、近距離用ミサイルは撃ち尽くした。頭部機関砲は破損している。下半身の三〇ミリガトリング砲を使おうと砲台に意識を向けた瞬間だった。

 群青の巨神の足下に向けて、〈アシュラベール〉が突撃してくる。

 深紅の悪鬼は高度二〇メートルの高さを駆け上がって、腰部に設けられたガトリング砲台に迫る。


 強烈な衝撃が走った。

 突き込まれた左の太刀の切っ先――超硬度重斬刀が突き刺さり、ガトリング砲が使用不能になる。顔面に迫る殺人蜂を追い払うような気分で、両腕を振り回す。

 これを危うげなく回避、悪鬼が〈Eマローダー〉から遠く離れた背後に着地する。

 リザは気が狂いそうだった。



――決めた。自爆覚悟じゃないとこいつには勝てない。



 一二〇〇ミリ破城砲〈バタリング・ラム〉を使う。

 超長距離砲撃能力はすでに失われているが、目と鼻の先に見えるちっぽけなバレットナイトを殺すぐらいのことはできる。

 直径一二〇センチメートル、重量一五トンの弾頭はそれ自体が回避不可能な範囲攻撃となる。

 超巨大榴弾は装填そうてん済み。超高温の青白い炎を噴き出して、再びこちらに向かってくる悪鬼を見た。



――これしかない。



 胸部装甲を強制解放。分厚い電磁装甲で覆われた外角が左右に開き、一二〇〇ミリ破城砲が露わになる。

 折り畳まれた電磁バレルの展開はしない。一三メートルの二次加速用砲身は、展開に時間がかかってしまうからだ。〈バタリング・ラム〉本来の超長距離砲撃ならばともかく、目の前の敵にぶち当てるだけなら一次加速だけで十分だ。


『姉ちゃん、なにやってんの!?』


『姉さん、この距離じゃ僕たちも巻き込まれるよ!』


 弟たちの声。

 彼らの静止は正しい。

 直径一二〇〇ミリの砲弾が炸裂するときのエネルギー量は想像を絶する。すでに頭部装甲が半壊している〈イノーマス・マローダー〉では、頭部コフィンは防護できるかわからない。

 死んでもいいと思った。そうだ、自分が死ぬのは怖くない。ここでエルフリーデに殺されるのが罰ならよろこんで受ける。

 だけど、だけど、だけど――ミロとシリルを今回も守れないのは死んでもごめんだった。



「もう武器はこれしかないッ! エルフリーデ、ここで吹き飛んで! !」



 支離滅裂な少女の絶叫――露わになった一二〇〇ミリ破城砲〈バタリング・ラム〉の砲身が、深紅の悪鬼の進路方向に向けられる。

 今からでは回避運動など取れない。数十メートルの低空飛行では、一二〇〇ミリ破城砲の爆発で生まれる爆轟波と散弾を生き延びることなどできまい。

 〈アシュラベール〉とて無敵ではない。先ほどのミサイル飽和攻撃でダメージを受けていた。ならばこれだけの破壊力を至近距離で炸裂させれば、絶対に殺せる。


 たとえ成功したとしても、自分も弟たちも助からないであろう自殺じみた攻撃が実行される。

 胴体内部のプロペラント・タンクから液体装薬が供給され、薬室に充填じゅうてんされていく。

 刹那、〈アシュラベール〉は電気熱ジェット・スラスターバインダーを最大出力で噴射――高く高く宙を舞い、亜音速に達した機体が砲口に向けて突撃。




――直径一二〇〇ミリメートルの砲身内目がけて、




 亜音速の運動エネルギーと投擲とうてきの勢いが合わさって、超音速に達する超硬度重斬刀――精密極まりない軌跡を描いて全長一三メートルの砲身内部を通過――その切っ先が薬室に装填そうてんされていた砲弾に突き刺さる。

 分厚い一五トン砲弾の弾殻を貫通し、信管を切り裂いて、直径一二〇〇ミリメートルの砲弾を薬室に縫い止める刃。

 薬室を構成する高強度金属が砕け散った。ブレードがその表面にまとっていた高エネルギー粒子が、巨大砲の内部構造を食い荒らす。

 衝撃が走る。


 音を立てて砲身が軋んでいく。

 燃焼ガスの膨張由来の高圧・高温に耐える金属砲身が、エーテル粒子のもたらす破壊によって壊れていく。

 それでもなお、一二〇〇ミリ破城砲〈バタリング・ラム〉の砲システムは頑強だった。プロペラント・タンク内から供給済みだった液体燃料に、火が点くその瞬間までは。

 テロス合金製ブレードによって破砕され、薬室内部に縫い止められた砲弾――その尻で燃焼ガスの膨張が始まる。超高温・超高圧のそれは、行き場を失っていた一五トンの弾頭を押し出すには至らない。

 急激に砲内部の圧力が高まった。


 そして超硬度重斬刀の直撃でズタズタに食い荒らされていた薬室に、その超高速の燃焼ガス膨張に耐える強度はなかった。

 〈イノーマス・マローダー〉の主砲が爆ぜる。超高温の燃焼ガスが機体構造を吹き荒れ、とうとうプロペラント・タンク内の液体燃料に引火した。

 身長五〇メートルの巨神、その内部で巨大な火球が生まれた。衝撃波が、内側から〈イノーマス・マローダー〉を壊し尽くした。


 信じがたいほどの轟音。

 超大型駆動フレームに後付けされた装甲が、とうとう自重に耐えきれずに地面へ落下していく。それ自体に数十トンの重量がある装甲板の断片が、数百メートル先にまで吹き飛んだ。

 みしみし、ギギギ、と何かが軋む音。

 群青の巨神の全身で異変が起きていた。それまで自重を支えていた抗重力場機関の出力が低下し、装甲板が脱落してなお数千トンある自重に地面が耐えられなくなっていた。

 全身からどす黒い煙を噴いて、ゆっくりと〈イノーマス・マローダー〉が尻餅をついた。めきめきと大地に亀裂を走らせ、巨神が座り込んだ。

 夕日を浴びるダークブルーの巨体には、もう立ち上がる力がなかった。



――あれ? なんで生きてるんだろう?



 リザが生きていたのは、ほとんど奇跡に近かった。〈イノーマス・マローダー〉の状態はひどいもので、腕一本動かすのだって苦労するような状態だった。

 胴体の主砲発射システムを内側から破壊した燃焼ガスの暴発は、それでもなお砲弾に引火する最悪の事態を免れた。

 そういうことなのだと、ぼうっとする頭で理解する。


『姉ちゃん……俺たち、負けたの?』


『姉さん……死んでない、よね?』


 ミロとシリルの声が聞こえた。トリニティ・コフィンは機体の駆動フレーム側に埋め込まれた機構だから、後付けの主砲発射システムが全損する惨事でも生き延びたらしい。

 しかしそのことに安堵するような時間を、バシュレー姉弟は与えられていなかった。

 電脳棺の状態に気を払っていたリザ・バシュレーはすぐ気づいた。

 自分たちの融合している特殊な並列起動型電脳棺トリニティ・コフィン――その実体は超古代文明の安全装置を壊したお粗末な代物だった――の挙動がおかしいのだ。

 〈イノーマス・マローダー〉の壊れかけた機器類でもわかるほど、可視化されたエーテルの燐光りんこうが荒れ狂っている。

 まるで壊れた蛇口から噴き出る水道水のように、巨神の壊れた駆体からエーテル粒子があふれ出していた。

 それは淡いエーテル粒子の可視光の印象に反して、すでに濁流というべき勢いで周囲の空間を埋め尽くしている。


「……待って、エーテル粒子の生産量がおかしい。なんでこんな……」


 明らかに異常なことが起きていた。

 トリニティ・コフィンは安全装置を壊して、GCIが〈イノーマス・マローダー〉を使うために子供二人を生け贄にした供犠の産物だ。

 その実体は科学的という言葉からほど遠く、むしろ限りなく因習的なオカルトに等しい。

 誰もブラックボックスである電脳棺の仕組みを理解していないのに、それによって得られる恩恵を目当てに使用方法プロトコルが経験値で積み上がっている。


 だからトリニティ・コフィンのような仕様外の動作をさせたとき、どんなリスクがあるのか、正しく理解している人間はいないのだ。

 気づく。

 視界の隅、一〇〇メートルほど先に赤い鬼が立っていた。ブレード状の一本角を持った鬼神〈アシュラベール〉は、あの爆発に巻き込まれることなく無事だったらしい。

 二本の足で大地の上に立っているバレットナイト――エルフリーデ・イルーシャが交わしている外部通信が聞こえてくる。


『クロガネ、なんかヤバい感じなんですが、これは!?』


『アカシャ臨界反応………手短に説明す……時空連続……が崩壊し……次元侵食プラズマが流出……滅……』


『クソッ! ざっくりした説明だけでも最悪だってことはわかった……!』


 通信で途切れ途切れに聞こえてきたヴガレムル伯爵の言葉――トリニティ・コフィンの暴走状態だ、とリザは理解する。

 電脳棺は人間の意識活動を通じて、この宇宙の外側からエネルギーを取り出しているとされる。結果としてエネルギー保存の法則に反して、この宇宙のエネルギーの総量を増やし続ける機構だ、とも。

 ならば安全装置が壊れたトリニティ・コフィンが、何かの拍子に誤作動を起こしたならば。

 

 その最悪の仮定の答え合わせが、たった今、リザの眼前で起きようとしていた。

 指数関数的な勢いで増え続けるエーテル粒子――電脳棺によってもたらされる数多の恩恵の根源が、夕闇に染まる薄暗い空へと立ち上っていく。

 それは見ようによっては幻想的な光景だったが、決して人間にとって望ましい風景ではなかった。


 徐々に大気が荒れ狂い始めていた。

 かと思えば、人間の頭ほどもある石塊がふわりと宙に浮き始める。

 空気中の分子構造が振動し、帯電した空気中の塵と塵の間で電荷の移動が起き、上空では雷鳴が鳴り始めた。

 ここが南部の都市アジャーニア近郊であることを考えても、あまりに急激すぎる雷雲の発達――周囲から雲を集める巨大な力場が、この空間に発生しているのだ。


「……トリニティ・コフィンが、天変地異を引き起こす……?」


 ありえない。どんなにすごい科学技術の産物であろうと、それは人間の手によって作られた道具のはずだ。そういう素朴なリザの感想と裏腹に、この世ならざる場所から流れ込んだエネルギーによって、局所的な重力場の異常が起き始めていた。

 その影響はやがて、〈Eマローダー〉にもおよび始めた。一Gの重力に囚われ、身動きできなくなっていたはずの巨神が、ゆっくりと地面から浮き上がる。

 まるで海水の上に浮かぶ鯨か何かのようだった。

 ありえないことが起き続けている。リザは何とか落ち着こうと、まだ生きているセンサー群で周辺の観測情報を確認した。

 正常値から外れきった数字――桁がいくつ違うのか考えたくもない――が膨れ上がっていく。


「う、うそ……何これ……こんな数値、いくら〈イノーマス・マローダー〉だってありえない! トリニティ・コフィンの出力異常だって限度がある!」


 きっとグラフにしたら指数関数的増大のお手本になるような数値が、延々と目の前で更新され続けている。

 しかもそれは電磁波のようなわかりやすいエネルギーとして放出されず、エーテル粒子というの形で増大している。

 科学者ではないリザにだって、これが明確に危険な状態なのは理解できてしまう。も明白だから、少女は必死に現実から目を逸らした。


『リザ、今すぐ電脳棺コフィンから脱出して。ここを離れないと不味い』


 〈アシュラベール〉からの通信だった。

 落ち着いたエルフリーデからの声に、ようやく我を取り戻して、リザ・バシュレーは悲鳴のような声をあげた。


「無理だ……この子たちを見捨てて逃げるなんて無理だよっ!」


 もうリザにエルフリーデと戦う力はない。そして深紅の悪鬼は主武装を失ったとはいえ、まだ対装甲ナイフのような副武装や光波シールドジェネレータのような防御装備を維持している。

 もしエルフリーデ・イルーシャが力ずくで迫ってきたら、リザにそれを拒む術はないのだ。

 夕闇の彼方には大きな積乱雲が発生し、雷光と雷鳴を伴いながらその大きさを膨張させていく。

 そして夕暮れ時の空は今、おぞましいほどの七色の光輝に覆われていた。



――空が割れる。



 極地で観測されるという空に浮かぶ光の帯、極光オーロラにも似た美しい発光現象。その全身からエーテル粒子の光を垂れ流す〈イノーマス・マローダー〉の中で、リザは頭を抱えた。

 ありとあらゆる現象法則を曖昧にしながら、次元の壁を壊して巨大なエネルギーの奔流が顕現けんげんしようとしている。

 それが何を意味するのか、リザはもう考えたくなかった。吹き荒れるエーテル粒子の嵐の中、ゆっくりと、幼い少年の声が響いた。


『…………知らない怖いお姉さん。あなたなら、リザ姉さんを助けられるよね?』


「…………シリル? 待って、何を言ってるの……?」


 電脳棺の制御システムに、再び双子からハッキングが仕掛けられる。互いの制御権限を奪い合える、セキュリティ上は最悪の混信状態だから、少しでも気を抜いたら簡単に立場が逆転するのだ。

 リザ・バシュレーの融合している第一コフィンの権限が書き換えられ、第二コフィンと第三コフィンによって選択される。

 巨神の腕が優しく自分の頭蓋骨を掴んだ。みしみしと軋む音を立てながら、重厚な装甲ハッチが〈イノーマス・マローダー〉自身の腕力でこじ開けられていく。

 装甲ハッチが開かれる。剥き出しになった発光部分を前にして、エルフリーデの〈アシュラベール〉が飛び上がって頭部の傍に着地した。

 状況を理解できていないのは、この場でリザだけだった。

 ミロ・バシュレーの声が聞こえた。


『姉ちゃん――生きて』


 その言葉を聞いた瞬間、リザ・バシュレーは自分が何をされているのか理解した。

 褐色の頬の上を、涙がこぼれ落ちる。


「……まって、まって……なんで、なんで私だけ……!」


『おれたち、もう〈イノーマス・マローダー〉から離れられないもん』


『だから姉さんだけ助けてもらうんだ、それしかないよ』


「あっ……あぁぁあああ……」


 いつから手遅れだったのか、リザ・バシュレーにはわからない。

 どこで間違えたのだろう。

 ロックウェルへの復讐を優先したこと? GCIの陰謀に加担したこと? 実験に三人そろって参加したこと? それともフィルニカ王国から父母と一緒に逃げ出したこと?

 きっともしもの数は無限にあるのに、やり直しの機会はないのだ。



――もう二度とネバーモアもう二度とネバーモア



 雷鳴が鳴り響く。

 この辺り一帯の空間に生じている異常重力場――局地的な無重力地帯の発生――はますます拡大しているようだった。

 リザには現実が受け入れられなかった。どうして、どうして自分は、二度も弟たちを奪われようとしているのだろう。

 悪意のある誰かの陰謀であってほしいのに、理性は、これがどうしようもない事故と無能の連鎖の果てだと教えてくれる。


『フィルニカ軍の人たちを思うなら、こんなこと言うべきじゃないのかもしれないけど』


 冷たく突き放すように、ぽつりとエルフリーデ・イルーシャが呟いた。あるいは家族愛までは失われていなかったとしても、ミロ・バシュレーとシリル・バシュレーは殺戮を止めようとしなかった側なのだ、と。

 リザは息が止まりそうなほどの後悔に襲われた。

 何もできなかったし、何をすべきか履き違えていたのだ。彼女はただ、憎いロックウェルへの復讐を優先するあまり、本当に守るべき一線を見失った子供だった。

 嗚咽おえつを漏らすリザを横目に、一欠片の悪意もなく、傷ありスカーフェイスの少女は優しくこう続けた。




『――きみたちの魂に、どうか安らぎがあらんことを』




――強制排出プロセスを実行します。



 電脳棺からリザの身体が排出される。すでに重力が機能していない空間で、溺れるようによろめいた褐色の肌の少女――自身を包み込むモスグリーンの耐環境パイロットスーツが、奇妙な暑さを感じていることに気づいた。

 それはフィルニカ南部の亜熱帯気候とも異なる、赤外線に由来するような熱だった。

 リザが空を見上げると、そこには夕暮れ時の燃えるような色はなかった。代わりにあったのは、空一面を塗り潰すような虹色の洪水だ。

 うねる光の大蛇が、虚空を引き裂いて天上で踊っている。それはまるでフィルニカの創世神話に伝わる、大地と大空と大海をお作りになった神々の技のようだった。

 遠方から雷鳴が聞こえるのに、今、リザ・バシュレーの目が捉えられる景色には雲一つない。

 ギラギラと煌めく光の奔流が、空を割って夕闇を蹴散らしていた。



『――リザ、行こう』



 〈アシュラベール〉がこちらに手を伸ばしてくる。リザは子供のように泣きじゃくり、身体を丸めてされるがままだった。

 巨人の両手に抱かれて、リザ・バシュレーは赤子のように泣き続けた。

 それ以外、何もできなかった。

 重力が消えてしまったこの空間では、大気を噴流として放出する電気熱ジェット推進機構が一番の移動手段だ。

 それでも全力の加速に比べれば、ずいぶんとゆっくりとした速度で〈アシュラベール〉が飛び立つ――背後ではぷかぷかと宙に浮かぶ巨神の残骸。

 〈アシュラベール〉の推進方向を向いていると、風圧で目を痛める。だから後ろをずっと眺めていたリザは、そこで信じられないものを見た。



――光る、輪っか?



 それは天使の輪ヘイロゥだった。巨大な光り輝く円環が、直径一〇〇メートルほどの光輪となって〈イノーマス・マローダー〉の頭上に出現した。

 一体何が起きているのか、リザ・バシュレーの軍事技術に偏った科学知識では理解不能だった。

 たぶんエルフリーデが気を利かせてくれたのか、〈アシュラベール〉の外部スピーカーから弟たちの声が聞こえてくる。


『姉ちゃん、不思議だ……すっごい安心するんだ……』


『神様の声が聞こえるよ、姉さん――ああ、僕たちはきっと――』


 通信が途切れた。

 同時に信じがたいものを、リザの鬼火色グリーンの瞳は映した。

 少女の視界の中で、弟たちの融合している巨大兵器が、ゆっくりと光輝の渦に飲み込まれていく。







――







 身長五〇メートルの〈イノーマス・マローダー〉がちっぽけに見えるほどの異様な現象――五つの指のように見える枝分かれした超巨大構造体が、虚空を引き裂きながら現れる。

 意味がわからなかった。

 如何なる物理現象としてそれが起きたのか、リザにはまったくわからない。


 虹色に輝くに包み込まれて、弟たちが乗っていた巨大人型兵器が消え去った。

 先史文明種レベルの知識でただ事実を記すなら、それはこう記述される――〈イノーマス・マローダー〉はを超えて半径五〇〇メートル圏内の空間を巻き込み、一切の爆風を伴わない完全な消滅を迎えた。

 超自然的な現象を前にして、どんな言葉を放てばいいのか、リザにはわからなかった。



『リザ、わたしがきみを助けた。身勝手に、きみの気持ちなんか無視してさ――』



 黙り込んだ少女を気遣ってか、エルフリーデが声をかけてくる。冷たく冴え冴えとして、素っ気ないぐらいの言葉使いだった。

 なのにどうしてだろう、そこに限りない慈悲があるように思えて――リザ・バシュレーは泣き笑う。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔を、深紅の悪鬼の頭部に向けた。

 褐色の頬を涙が伝い落ちて、幾度も幾度も、途切れることない涙の軌跡を刻んでいった。



「お姉さん…………私、あの子たちを、守ってあげたくて……バカみたいな間違いばっかりして……あはは……結局こんなことになっちゃったよ……」



 過ちの数はどれだけあるのだろう。

 リザ・バシュレーにはわからない。あるいは超然としたエルフリーデ・イルーシャにも、そんなことはわからないのかもしれなかった。

 それでも彼女は、悲しみを飲み干すようにそっとささやいた。




『きみは泣いていい。泣き止むまで、わたしが守るから』




 黒い髪を風圧でぼさぼさにして、鬼火色の瞳を涙で濡らして――リザはたぶん、もう忘れ去ったぐらい久しぶりに、自分のためだけに泣いた。

 そうして流された涙の果てに、悲しみもまた尽きるのだという祈りと共に。

 生きるために。











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