ホープ・オブ・トゥモロー






――それは、火焔の地獄だった。



 時刻は夕刻。徐々に日が落ち始めて、西日が大地を照らす中――ダークブルーの巨神の周囲には、無数の戦闘ヘリの残骸が転がっていた。

 モスグリーンに塗装された重攻撃ヘリコプター〈モラガルファ〉が、また一機、五七ミリ機関砲を浴びて爆ぜた。装甲化された胴体に直撃した運動エネルギー弾が、タンデム式コクピットに収まっていた二名の搭乗員を即死させる。


 歩兵携行型地対空ミサイルではびくともしない、戦車じみた重装甲の重攻撃ヘリコプターが耐えられないほどの火力。

 群青の巨神はそのサイズに比例して、搭載火器すべてが馬鹿げた威力を持っていた。超高速で射出される五七ミリ砲弾は、有効射程内であれば重戦車の正面装甲すら容易く貫通する。

 どのように装甲化されていようと、航空機が耐えられる火力の限界を超えていた。本来、巨大過ぎる陸上兵器である〈Eマローダー〉は、戦闘ヘリのいい的のはずだった。


――数分前、〈Eマローダー〉は攻撃を受ける側だった。


 身長五〇メートルの巨神〈Eマローダー〉に誘導ミサイルを回避するほどの機動性はない。重攻撃ヘリコプターに搭載された対戦車ミサイルが、その有効射程圏内――大型のものなので十数キロ先から攻撃できる――に入るまで、〈Eマローダー〉側から攻撃はなかった。

 熟練のヘリコプターパイロットたちは、地面すれすれの高度二〇メートルほどを舐めるように飛行して、地面の隆起や岩山などを利用して〈Eマローダー〉に接近した。


 そして必殺の距離になって始めてその姿を現して、スタブウイングに懸架した対戦車ミサイルをお見舞いしてやったのだ――四連装対戦車ミサイルを四基、全部で一六発ものミサイルだった。

 重攻撃ヘリコプター〈モラガルファ〉八機の編隊が一斉にこれを発射。

 実に一二八発もの対戦車ミサイルが、距離にして八キロメートルもない発射された。この種類の対戦車ミサイルは時速四〇〇キロメートルほどの低速だが、それでも一〇〇発を超える誘導ミサイルを避けられるはずもない。


 着弾までの二〇秒間に起きたことを記そう。

 まず〈Eマローダー〉の頭部機関砲が火を噴いた。五七ミリ液体装薬・電磁加速併用機関砲は、近接信管で無数の砲弾を掃射。

 巨神に迫る一二〇発超のミサイル群のうち、実に三分の一に当たる四〇発以上のミサイルが迎撃され、空中で砕け散って無力化された。


 そしてそれだけ迎撃されてもなお、八〇発近い対戦車ミサイルが〈Eマローダー〉に殺到した。ミサイルに内蔵されている固体ロケットモーターの寿命は短い。たった数秒間、推進炎を噴いたあとは空力制御フィンで軌道を微調整し、慣性の法則に従って突き進むだけだ。

 ガンシップの異名を持つ〈モラガルファ〉の対戦車ミサイルは、タンデム弾頭――二個の成形炸薬弾が縦に連なって配置されている――の最新型だった。


――着弾。


 まるで花火大会でも開いたかのような火炎の華が咲いた。

 群青の巨神の全身が、ミサイルのシャワーを浴びて煌びやかに光った。成形炸薬弾が爆ぜる。

 爆発に伴ってメタルジェット――爆薬の中心部に装填された金属が、超音速の熱膨張によって液化して運動エネルギー弾と化す――が浴びせかけられる。


 だが、〈Eマローダー〉は無傷だった。最も装甲の薄い部分でさえ、重戦車(装輪や無限軌道で装甲する戦闘車両のうち、特に装甲や火砲が重装備のものを指す)の正面装甲並みの分厚さがあるせいだ。

 この種の戦闘兵器の弱点となる駆動システムすら、先史文明種が残したテロス合金製のためにダメージを受けていない。


 そして最悪なことに、〈Eマローダー〉の装甲防御は強烈な副作用を伴うものだった。

 成形炸薬弾によって撃ち抜かれた装甲板が、おぞましいほどの発光現象を発生させる――大電圧をかけられていた電磁装甲が、電気・磁気的エネルギーを解放したのだ。

 それは瞬時にメタルジェットの侵徹を防ぎ、逆に爆発にも似たエネルギーの解放で外部からの攻撃を遮断しゃだんする。


 。それは近距離にいた重攻撃ヘリコプター部隊の電子機器を、一時的に麻痺させるほどの強烈な副作用だった。

 流石に光学カメラアイは影響を受けなかったものの、レーダーや赤外線センサーは使い物にならなくなるほどの電磁波の嵐。

 〈モラガルファ〉部隊がそれに戸惑い、混乱した十数秒が致命傷だった。


『さあ、僕らの番だよ!』


 高らかにミロ・バシュレーが声を張り上げる。

 〈Eマローダー〉は一二〇〇ミリ破城砲のバレルを折り畳んで収納していたため、先ほどのミサイル攻撃でほとんど被害を受けていなかった。八〇発もの対戦車ミサイルはその実、設計時に想定されていた被弾箇所に集中していた。

 ゆえに群青の巨神は、何ら戦闘力に影響が出ていない。

 大きく後ろに張り出した箱形の背中で、ミサイル発射管のカバーが開く。対戦車ミサイルと対空ミサイルを兼ねた近距離統合ミサイルの射程は十数キロメートル。

 すでに接近しすぎていた〈モラガルファ〉編隊にこれを避ける術はなかった。


 音速の三倍もの速度で飛来するミサイル群――まるで仕返しのように発射されたそれらが、重攻撃ヘリコプター部隊に殺到。

 ありとあらゆる防御行動が試みられた。最大速度でミサイルを振り切ろうと超低空飛行をした。チャフ・ディスペンサーが使用され、ミサイルへの欺瞞ぎまんが行われた。

 そして八機の編隊のうち、六機がミサイルを被弾した。

 重装甲で知られる〈モラガルファ〉型戦闘ヘリコプターは、それでも撃墜には至らなかったが――すぐに地面へと撃ち落とされた。

 〈Eマローダー〉のセンサー群と連動し、五七ミリ機関砲の雨が降り注いだのだ。

 ドッドッドッドッ、と機関砲がうなりをあげる。 


『すごいやミロ! みんな弱っちいね!』


 歓声をあげるシリル・バシュレーの声。

 トリニティ・コフィンの中に取り込まれたリザ・バシュレーは、変わり果てた弟たちの虐殺を見ていることしかできなかった。

 また一機、対空砲火を浴びた重攻撃ヘリコプターが落ちていく。荒野に激突して、全長二六メートルの航空機が真っ二つに折れた。

 耐えられなかった。

 リザは頭がおかしくなりそうで、ほとんど半狂乱になって叫んだ。


「お姉ちゃんが悪かったから! あなたたちを守れなくて、こんな身体にして、何もできなくて! 私がバカだったから――こんなことになってるんだよ! もうやめようよ! 覚悟だの地獄だの口先だけの私が、なんにもわかってなかったんだよ!」


『ちがうよ、姉ちゃん。おれたちはスーパーヒーローになったんだよ』


『そうだよ、姉さん。もう僕たちは弱っちい子供じゃない。姉さんが好きなトゥモローマンみたいな超人になったんだ』


 涙があふれる。鬼火色グリーンの瞳を濡らして、リザは嘆くように声を張り上げた。

 心が張り裂けそうなほどの絶望だけがあった。今さらスーパーヒーローが世の中をよりよくする物語なんて、信じられるわけがない。

 だからリザ・バシュレーは絶望を口にする。



「ヒーローなんていないっ! 薄っぺらい漫画家クリエイターたちが考えた夢物語フィクション、惨めな私たちを救いもしなかった空想ファンタジー――口先で正義だの団結だのを垂れるだけの戯れ言だ!」



 心が壊れそうだった。

 本当は今でも、この世のどこかに正義の味方にいてほしいと思っているのに――そんなものがいなかったから、こうなってしまった現実を受け止めきれなかった。

 頭を抱えてわめき散らすリザは、何もできない子供のままだった。あの日あのとき、姉弟三人でGCIの実験に臨んでしまった昔と、何も変わっていない無知で愚かな存在だ。

 どれだけ戦闘技術を身に修めて、人を殺す覚悟を身につけたところで、地獄みたいな現実を受け止めきれるわけじゃなかった。

 そんな当たり前のことに、今さら気づく自分が救えなかった。



――ああ、なんで、私たちはこんな風に。



 そのときだった。

 〈イノーマス・マローダー〉の光学センサー群が、地平線の果て(身長五〇メートルの巨神にとっては二六キロ先だ)に動態反応を検知した。

 それは車両ではありえなかった。自動照準されたレーザーユニットによれば、そいつは時速七〇〇キロメートル近い高速で地表すれすれを滑空していた。


 速度から判断して、それは間違いなく大気中を飛翔している。だが、高度が低すぎる――〈Eマローダー〉の観測装置が正しければ、対地高度は三メートルか四メートルしかないはず――もうもうと土煙を立てて高速飛行する

 何もかもが異常だった。少しでも進路方向を誤れば、一秒と経たずに地面に激突するような超低空飛行だ。

 不可解すぎる飛行物体を前にして、ミロとシリルが無邪気に呟いた。



『――見て、遠くに何かいる! 鳥かな!?』



『違うよ、きっと飛行機だ……!』



 〈イノーマス・マローダー〉の複眼型カメラアイに映るもの――燃えるほむらのように真っ赤な機体――そう、それは確かに鳥のような大きな翼を持っていて、飛行機のような騒音と共に飛翔していた。

 だが、そいつに電動プロペラはついていなかった。ミサイルのように固体ロケットモーターで推進炎を吐き出しているわけでもない。

 目測でも翼幅九メートル近い両翼は正しく飛行機のそれに酷似していたが、その機首は航空力学的に優れた形状をしていなかった。むしろそいつは空気抵抗を増しそうな手足が生えており、前方を睨み付けるカメラアイの眼まであった。



「……いや、



 それは巨大な翼を背負った人型だった。

 地獄の悪鬼もかくやという角の生えた頭部、中世の甲冑かっちゅうを思わせる装甲、東洋の鎧武者を思わせる両肩の大型盾、高温・高圧の大気を噴き出す電気熱ジェット推進スラスターバインダー、筋肉質で骨太な駆動フレームを感じさせる四肢――間違いなく、それはバレットナイトだった。


 四・五メートルの機体全高に匹敵する長大な砲身をその手に携えて、深紅の悪鬼が大地の上を滑空する。

 リザは思い出した。それはサンクザーレ会戦で暴れ回ったという、ヴガレムル伯爵の切り札である。陸上駆逐艦を轟沈させ、数十機のバレットナイトを一方的に蹂躙じゅうりんしたなんて、与太話としか思えない噂だけが一人歩きしたマシン。

 リザには知るよしもなかったが、それは鬼神アスラ、それは嵐の神バアル――遠い遠い昔、人類がその発祥の地で文明を築いていた頃、その神話に語り継いできた神々の名を冠した機体だ。






――第三世代試作バレットナイト〈アシュラベール〉。






 二六キロメートルはあった距離が、最初の発見から三〇秒に満たない時間で二〇キロメートルに縮んでいく。猛烈な加速――まるでミサイルみたいな速度でこちらに近づいてくる機影。

 〈Eマローダー〉に積まれた防空システムが、その危険性を認識して自動的にレーザー照準装置を動作させる。

 リザは何もできない。機体の制御権をすべて奪われた少女は、そうやって弟たちの殺戮を見ていることしか許されなかった。

 聞こえた。

 鮮やかな誰かの声――絶望に閉じられたリザのまなこを開くように。



『――リザ、きみをやっつけに来たよ』



 リザは目を見開いた。

 信じられなかった。もう二度とネバーモアもう二度とネバーモア、繰り返し繰り返しお呪いしたのに。

 別れを告げたはずのバナヴィア人の少女が、真っ赤な翼を広げて迫ってくる。

 本物の正義の味方スーパーヒーローみたいに。




未来の希望ホープ・オブ・トゥモロー……ははっ、……」




 頭がどうにかなりそうだった。リザ・バシュレーの情緒がぐちゃぐちゃにかき乱される。涙は止めどなくああふれて、情報化された肉体の上を滑り落ちている。

 少女の悲しみそのものが凝った涙の雫。それが褐色の肌を濡らして、豊かな乳房の膨らみの上を流れ落ちていく。

 相対距離は一〇キロメートルを切ろうとしていた――〈Eマローダー〉が敵意を剥き出しにする。

 数十発の残弾があるミサイル発射管のカバーが開き、対戦車・対空統合型ミサイルが射出される――その数は一〇発以上――すべてが固体ロケットモーターによって飛翔し、近接信管によって炸裂する誘導ミサイルだった。



『――わたしがするのは武力の行使。これが正義ジャスティス独善エゴ断罪ジャッジメントかなんてラベリングは、他の人に任せておくよ』



 ミサイルの群れが〈アシュラベール〉に向けて殺到する。〈Eマローダー〉と〈アシュラベール〉の間に遮蔽物しゃへいぶつとなるものはほとんどない。

 ならばミサイルの格好の餌食だった。理屈からすれば、そのはずなのに。

 次の瞬間、ミサイル群の誘導装置が死んでいった。一発や二発ではない。一〇発のミサイルすべてが機能を殺された。ホーミングしなくなったミサイルが、高速飛行物体に当たる道理はなかった。

 明後日の方向に飛んでいき、やがて地面に失墜するミサイルを横目に――〈アシュラベール〉が右手に携えた砲身を構える。




――絶大なる砲火。



 プラズマの軌跡を残して、超高速運動エネルギー弾が〈Eマローダー〉に突き刺さる。

 着弾の衝撃――電磁装甲が機能していない部位を、空中を高速飛翔しながら狙い、撃ち抜いてきたのだ。

 群青の巨神の装甲は分厚かった。数メートルの積層装甲板を一度や二度の攻撃で撃ち抜くことはできない。だが、被弾したばかりの箇所には電気・磁気的エネルギーの充填が間に合っていない。

 被弾箇所のダメージは大きい。おそらくはかなりの大口径砲弾を、極超音速で発射するレールガン。

 信じがたい狂気の沙汰――反動を考えれば、まかり間違っても高速飛行しながら使うような武器ではないはずだ。

 だというのに〈アシュラベール〉が失速して地面に激突した様子はない。異常なまでの反動制御、常識を越えた高推力で反動を打ち消したとしか思えない。


――ありえない、こんなのバレットナイトじゃ無理のはず!


 リザの知識では不可能としか言いようのない事態が起きていた。

 彼我の距離が詰まっていく。地面の上を滑るように飛翔する深紅の翼が、とうとう目視でも見えるぐらいの距離にやってくる。

 悪鬼を駆る英雄――エルフリーデ・イルーシャが、こともなげに無線通信で呟いた。





『ごめん、――わたしを恨んでいいよ』





 。リザは数秒間、今、言われた台詞の意味が理解できずに思考停止した。


「……はっ?」


『えっ……』


『えっ?』


 恐ろしい温度差だけがあった。ついでに指名付きで「今から殺す」と言われた弟たちも引いた。如何に暴力に酔っている子供たちであろうと、剥き出しの冷たすぎる殺意に慣れているわけではない。

 怒りも憎しみも痛みもない、透明な殺意の具現となって〈アシュラベール〉が空を引き裂く。

 あらゆる悲しみを斬り伏せる刃として。








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