あなたがくれた翼






『――あはははははははは落ち込んだほど愉快な生き物はいませんねえ!! どうもエルフリーデ・イルーシャ様、そんなにテンションガタ落ちでどうされました? まるで旅先で出会ったに感情移入しちゃってになってしまわれたような顔をされていますよ? おっとズバズバ言ってしまいましたね、これが超高度知性体の宿命なのですよまぁ方々にはわからないでしょうが』



 通信装置のモニターに映っているのは、ブリキ缶を被ったような頭部の紳士だ。ヴガレムル伯爵家の家令、機械卿ハイペリオン――そのあまりにも苛つく台詞の数々に、エルフリーデは一周回って冷静になった。

 そして冷静にキレた。


「わたしと離れた途端に口数が増えたよね、このガラクタ家令……!」


『いやですねえ、隙あらば関節の隙間に工具叩き込んで解体してきそうな御仁の目の前で暴言をぶつけるわけないでしょう? 常識を考えていただきたい、おっとこれは初歩的マナー講座ですお礼は不要ですアハハハウフフフフ』


 耐環境パイロットスーツの上からコートを羽織ったエルフリーデ――何でもいいがこういうとき、クロガネ・シヴ・シノムラは恐ろしく気が利く紳士だ――は、モニターの向こうのブリキ缶に挑発されている。

 ここは軍用の通信設備が運び込まれたホテルの一室、クロガネとラトが今後の対策について協議するにあたり、臨時の司令所として改造された最上階スイートルームである。

 富裕層向けにフロア一つを借り切った部屋は今や、フィルニカ王国側から派遣されてきた軍の関係者でかなり騒々しくなっている。


 通信用機材のケーブルがあちこちに引かれた室内は、ゆったりとお金持ちが過ごせる空間から戦場の様相を呈していた。

 そんな空気の中、ヴガレムル伯領に対して騎士として連絡を試みたエルフリーデ・イルーシャは、何故か、反りが合わない伯爵家の家令に煽られていた。

 開口一番、先ほどの哄笑である。



――と思った。



 エルフリーデが真顔になったのも無理はない。

 現在、クロガネはラト・イーリイ・クナトフや軍の関係者と難しい話の真っ最中であり、実働要員であるエルフリーデにはまだお呼びがかかっていない。

 ここには軍の人間はおらず、今はエルフリーデ一人しかいない関係者だけの個室だった。

 元々はVIPの従者やSPが宿泊するための小部屋――最上階を貸し切るほどのお金持ちは、当然のようにその手の人員を連れてきている――である。

 なのでこうして無駄口を叩く時間があるのだが。


 リザが身長五〇メートルの巨神〈イノーマス・マローダー〉と融合して国際都市アジャーニアを去ってから、かれこれ一〇〇分が経過している。あれからすぐにラトたちと合流したクロガネとエルフリーデは、ホテルに戻ってすぐ、このように様変わりしたホテル最上階に通された。

 呆れるほど早い対応である。クロガネもラトも一分一秒が惜しいという調子で、どうやらリザの正体にショックを受けているのはエルフリーデだけのようだった。

 彼らはこの未曾有のテロ攻撃を前にして、あらゆる手段を講じている。実際問題、エルフリーデはラトの手回しでバレットナイトに乗っただけで、今回の事件では無力だったと言っていい。



――何をやってるんだ、わたしは。



 そんな少女の焦りを嘲笑うように、機械卿ハイペリオンがおどけてみせた。


『さて、最低限の状況はクロガネから伺っています。あなたが救世主メサイアなのか正義の味方スーパーヒーローなのか完全なる個体ペルフェクトゥスなのかは興味が尽きないところですが――ええ、まあ、しかしですね? あえてこう言いましょう、ずいぶんとお優しいのですねえ〈剣の悪魔〉は?』


「言いたいことあるなら、はっきり口にしたらどうです?」


『お優しいクロガネが言えないようですので、私めがあえて苦言を呈しましょう――遠い異国でテロリズムにふける不幸な少年少女など放っておきなさい。あなたにはティアナ・イルーシャがいるのでしょう? 赤の他人に情を割いてやる必要などない。きっとあなたは、引きずることがない人柄だ』


 その通りだった。今のエルフリーデ・イルーシャは良くも悪くも達観している。顔見知りが死ねばそれを嘆き悲しむ人間性はあるが、必要以上に引きずったりはしない性分だ。

 父母が爆弾テロでバラバラに吹き飛んだ日から、彼女が無垢な子供でいられた日は終わったのだとも言える。

 戦地で部下を失ったことは一度や二度ではない。エルフリーデがどれだけ戦闘において天才的センスを持ち、第六感じみた勘で動くと言っても、部下までその加護に収まるわけではなかった。

 だが、こうして面と向かってと指摘されると、猛烈に反感を抱く。


「素晴らしい、真っ当な助言ありがとうございます。ええ、まあ、それはそうなんですが――やっぱりむかっ腹が立つなあ」


『ふむ、というと?』


 困ったことに、この腹が立つ男――いや、本当に男でいいのだろうかこいつ機械だし――は、聞き上手だった。

 目を閉じる。すぅっと深呼吸したあと、エルフリーデは赤い瞳でモニターを見据えた。

 なるほど、どうやら自分の腹はとっくの昔に決まっていたらしい。


「可哀想な女の子が許されないことをしたので地獄行きでおしまいです、みたいな話を目の前でやられるのはイライラするってこと。正直に言って、今、わたしは子供っぽいわがままを言いたくてたまらないんだ」


 さて、どんな嘲笑が飛んでくるのかと思ったが、ハイペリオンは何も言ってこなかった。モーニングコートを着た紳士人形は、そのブリキ缶の頭を手袋でつるりと撫でた。

 そして厳かにこう言った。



つもりがあるのなら――我らの剣を手に取りなさい、エルフリーデ・イルーシャ。あなたにはその力があるのですから』



 そのとき、扉が開く音。そして足音。

 振り返るまでもなく、音だけでエルフリーデはそれが誰のものかわかった。よく聞き慣れた音、よく安心できるリズム。ドアをノックするぐらいの配慮は欲しかったが、まあ、そこは彼だし仕方がない。

 おそらく無愛想な顔をしているクロガネ・シヴ・シノムラは、無慈悲に事実に基づくツッコミを入れた。


「なんでもいいが、〈アシュラベール〉を作ったのはミトラス・グループの技術者たちであってお前ではないはずだが?」


 モニターの中でやれやれと機械卿ハイペリオンが肩をすくめた。本当に家令なのだろうか、主人に対して無礼すぎやしないだろうか。まさかハイペリオンのいい感じの台詞が五秒と立たずに台なしになるとは思わず、びっくりして振り返った。

 栗毛の少女と目が合ったクロガネは、その動作をどう受け止めたのか、眼を細めてエルフリーデの顔を見つめた。

 どうしたんだろう、と思う。とりあえずクロガネが元気そうなのはいいことだが――とても一〇〇分前まで囚われのお姫様をやっていた成人男性(一〇万歳は成人でいいのだろうか?)とは思えない壮健ぶり。


 そういえば今、〈アシュラベール〉のことが話題に上ったが、あの機体はミトラス・グループの最先端技術が詰まった最新鋭機である。外国のフィルニカには持ち込めないはずだが、と思った瞬間だった。

 ずいっ、とドレスの上からコートを羽織った少女が出てきた。

 燃えるような赤毛の貴族令嬢、ノーラ・ハイゼ――確かフィルニカ国王との難しい交渉のために別行動を取っていたはずの人だった。

 元々ほっそりした美人であるが、ここ数日の苦労ですっかりやつれたノーラは、しかしながら目には知性の光をたたえている。


「ごきげんようエルフリーデ卿。簡潔に申し上げますが――先ほど国王陛下と皇帝陛下の間で、対テロリズム軍事協定が結ばれたのですわ。その第一段としてミトラス・グループの試作バレットナイトの国外移送が解禁されました。とは言ってもヴガレムル伯領からでは空輸でも大陸を横断することになりますけれど」


 段々とエルフリーデにも話がわかってきた。どうやらガルテグ連邦の情報機関が関わっていた陰謀の存在は、国際政治にも大きな影響を及ぼしたらしい。

 ノーラ・ハイゼが皇帝の使いとして携わっていた政治交渉は、情勢変化を受けてトントン拍子で成立したのだ。それによって原則として国外に持ち出し厳禁だった軍事機密の塊も、特例で移動できるようになったらしい。

 おそらくベガニシュ皇帝が直接関わっているからこその異例の認可――それをクロガネとハイペリオンがどういう情報網で知ったのかはわからないが、とにかく彼らが有能なのは伝わってきた。

 たぶんエルフリーデの知らないところで根回ししていたに違いない。

 そう思っていると、クロガネが頷いた。


「ありがとう、レディ・ノーラ。しかし心配には及びません。〈アシュラベール〉はミトラス・グループの最もフィルニカ国境に近い拠点から空輸されます。我が社の高速輸送機であれば、二時間半もかからずに合流できるでしょう」


 用意がよすぎる。

 その場の誰もがそう思ったらしく、クロガネの後ろにいるラト・イーリイ・クナトフも、従者ロイ・ファルカも苦笑いを浮かべている。

 こういう現場の臨機応変すぎるやり口に慣れていない、貴族令嬢だけが不審そうな目を男に向ける。


「…………伯爵? いったい、いつから準備をされていたのか伺っても?」


「こうなる可能性を踏まえた極秘の備えでした。もちろん陛下のお許しなくば、フィルニカの国境を越えることはなかったでしょう――ご容赦を」


「……もう…………わたくしは知りませんわ!」


 素晴らしい対応だった。レディ・ノーラは最も時間がかからない反応をしてくれた。

 微妙なニュアンスから判断するに、〈アシュラベール〉を積んだ輸送機はもう飛び立っているらしい。おそらく発進準備を済ませた状態でスタンバイし、ベガニシュ皇帝の許可が下りた瞬間に飛び立ったのだ。

 書類上は後ろ暗いことがないプロセスである。普通は許可が下りなかったときの損失を考えて二の足を踏むだろうが、不死者はそういう意味では常人ではなかった。

 彼は賭けに勝ったのだ。

 その卓越した手腕にエルフリーデが舌を巻いていると、彼が一歩、前に進み出た。そして黒髪の青年は、痛ましそうな顔でそっと呟いた。


「――すまん。またお前を戦場に送り込む」


 その責任はすべて自分にある、と続けて――クロガネ・シヴ・シノムラは目を閉じた。

 ディレクターズスーツをかっちり着込んだ男は、如何にも上流階級の貴人然とした振る舞いをしているのに、こういうときだけとても寂しそうだった。

 それがこの不死者の抱えている孤独なのだと、エルフリーデ・イルーシャは理解する。

 彼女が口を開く前に、クロガネは浅く息を吐いて、意を決したように目を開けた。力強い黄金色の瞳が、傷ありスカーフェイスの少女を見据える。

 夜空に浮かぶ満月のような色、エルフリーデが好ましく思う輝き。


「どんな形でもいい、お前の望むがままに振る舞え。その結果に対するフォローは俺がしてやる。政治的都合や世間体は気にしなくていい、


 一介の騎士に対する言葉とは思えなかった。他国の要人であるラト・イーリイ・クナトフや、ベガニシュ帝国の貴族ノーラ・ハイゼの前で公言することがリスクになる内容だ。

 政治がわからないエルフリーデにもこれだけはわかる。

 何かを察したように、レディ・ノーラは口元に手を当てて「まぁ……お二人はそういうことでしたの……!?」と呟いている。

 不味い、何かすごい勘違いをされている気がする。


「ええっと、クロガネ、そういうのは軽々しく言うものじゃないですよ……?」


 エルフリーデのもっともな忠告は、熱烈なクロガネの言葉によって塗り潰されている。



「俺はエルフリーデ・イルーシャという人間を。お前の手は、必ずや多くの人にとっての幸いを作りあげると、クロガネ・シヴ・シノムラには――軽々しく口にするものか」



 異国の貴公子ラトは「伯爵って情熱的な方だったんですね」と意外そうに頷いているし、エルフリーデの視界に映るロイは無言で親指を立てている。この従者はちょっと自由すぎる。一回、怒られた方がいいと思う。

 ちなみにレディ・ノーラは口元に手を当てて興奮していた。たぶん後日、ベガニシュ帝国の社交界で変な噂が立つのは既定路線だ。

 ああもう――エルフリーデはどうしていいかわからず、顔を真っ赤にしてうめくのだった。





「……口説き文句より恥ずかしいこと言ってきたぁ……!」





 気づけば、胸の中の陰鬱な気持ちは吹き飛んでいた。

 正直、恥ずかしすぎて死ぬかと思ったので、二度とやらないでほしいけれど――きっとクロガネは何度でも言うのだろうな、という確信。

 その事実に対して心安らぐ自分を見つけて、エルフリーデ・イルーシャは首を傾げるのだった。









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