断罪者リザ・バシュレー







――銃声が、響き渡った。




 エルフリーデはその音を聞くよりも早く、敵意の兆候を感じ取っていた――バレットナイトの方向を急転換させ、機体装甲の影になるようにクロガネを庇う。

 しかしながら銃弾が放たれたのは、彼女らに対してではなかった。

 あっけなく腕――そう呼ぶのが適当か迷うほどの巨体だが――を動かした群青の巨神によって、人間の命を奪うはずだった銃弾は弾かれた。


 人体を容易く破壊する高初速の一二・七ミリ弾頭は、身長五〇メートルにも及ぶ駆動システムと装甲の塊の前では、非力な虫けらの羽音同然だった。

 エルフリーデは発砲音の方向にカメラアイの探査を走らせた。倉庫の屋上で銃を伏せ撃ち――ガルテグ連邦製の対物狙撃銃だ――した男が、銃弾を防がれたことに慌てている。


 観測員と思しき補助要員が、その撤収を手伝っている様子が見て取れた。服装から見て先ほど、クロガネに銃口を向けていた悪漢どもの仲間なのだろう。彼らがどういう判断で発砲したのかは定かではない。

 現場の独断だったのか、GCI支部長の指示だったのか、エルフリーデには知るよしもない。

 ゆえに起きた事象を記そう。


『姉ちゃん――殺していい?』


『姉さん――殺そう?』


 機械仕掛けの巨神からの呼び掛けに対して、リザは瞑目した。

 何かを諦めるように。


「…………いいよ」


 その瞬間、エルフリーデが感じたのは原始的な恐怖だった。被捕食者たる動物はその本能に根ざした性質として、自身より巨大な捕食者に対して脅威を覚える。

 現在、身長四メートルの巨人になっている少女すら、五〇メートルにも達する群青の巨神から見れば掌大の人形に過ぎないのだ。

 それが自分に対して向けられたものではないと理解していてなお、巨神から放射される敵意は強烈だった。

 巨神の頭部が動く――複眼のカメラアイを持つそれの側頭部、スリット状の溝が彫り込まれている部位――激しい砲撃光マズルフラッシュが弾けた。


 五七ミリ七〇口径液体装薬/電磁加速併用型ハイブリッド機関砲――発砲音から電脳棺のインターフェースが自動的に武装を割り出す――装甲車両を容易く穴だらけにする火砲は、断じて人間に対して用いられるべき威力ではなかった。

 よって実際には

 極超音速で射出された五七ミリ砲弾は、二人の男を跡形もなく消し飛ばした。文字通り血煙となって消し飛んだのだ。轟音と共に大気が爆ぜて、倉庫の屋根に大穴が開く。

 着弾を示す土煙がもうもうと上がる中、頭部機関砲――バレットナイトの用いる狙撃砲を凌駕りょうがする威力――を発射した巨神が、無邪気な歓声を上げる。


『やったよ姉ちゃん! あいつらいなくなったよ!』


『すごいよこの身体! 僕たちは鋼鉄の男スーパーヒーローになったんだ!』


 エルフリーデはその姿に例えようもないおぞましさを覚えた。

 実際のところ、戦場に通じる美学や道徳などないことをエルフリーデは知っている。容易くからこそ、ルールがあるという前提を維持しようと努めなければいけないことも。

 虐殺、略奪、陵辱、破壊――ありとあらゆる悪行が、敵味方を問わずにはびこる悪夢を、その目で見てきた。


 だけど、眼前で繰り広げられている景色の薄ら寒さは、そういった人類史に刻まれた呪いのような循環とは違っていた。

 声の感じからしてまだ一〇歳になるかどうか、エルフリーデの妹ティアナよりも年下の子供たちが、巨大兵器と一体化して殺戮を楽しんでいる。

 それはきっと、倫理的にあってはならない光景だった。

 そう思考した刹那、エルフリーデは底冷えするような悪意が、自分に向けられていることに気づいた。それは気のせいではなく、レーザー照準装置の照射警報という形でわかりやすく可視化されていた。


『姉ちゃん、姉ちゃん!』


『この人は殺していいのかな?』


 今すぐこの場から逃げ去りたい気分だった。そうするべき時機を逸したことに気づいて、エルフリーデ・イルーシャは自分の判断ミスを悔やんだ。流石に光波シールドジェネレータすらついていない非武装の〈アイゼンリッター〉では、五七ミリ機関砲の掃射をしのぐ術がなかった。

 おそらく動き出せば、反射的に攻撃が始まる――エルフリーデは久々に、自分の判断の重さを味わっていた。

 戦地で部下の命を預かっていたときと同じか、それ以上に怖かった。自分だけならまだしも、クロガネまでこんなところで死なせたくなかった。

 一か八かでリザを説得しようと口を開きかけた瞬間だった。


「……ダメだよ、二人とも。この人たちは多分、すごくいい人たちだから」


 群青の巨神から放たれていた殺気が消える。レーザー照射もぴたりと止んだ。

 それを合図にするかのように、リザに巨人の掌が差し伸べられた。全幅四メートルを超える掌に少女が飛び移ると、その手がゆっくりと頭部に近づいていく。高低差が三〇メートル以上ある垂直移動が終わると、巨神の頭部装甲が上下に分かれていくのが見えた。

 巨神の頭部は、縦に七メートル――二階建ての建物ぐらいはある大きさだった。それは陸戦兵器の一部位というよりも、艦艇に例える方がサイズ感としては適切かもしれない。


 分厚い装甲に守られている内部構造が露わになる。

 虹色に輝く巨大な脊髄、半透明の発光体――電脳棺コフィンと呼ばれる構造体に、褐色肌の少女が近づいた。

 リザはエルフリーデの視線に気づいて、こちらを一瞥いちべつした。数十メートル離れていてもわかるほど、その表情は悲しみに満ちていた。


『リザ、その機体は乗っちゃダメだ……! よくない予感がする……』


「お姉さん、ここから先のお話は何も。ベガニシュ帝国からお越しになった皆さんには、このまま故郷に帰ってあったかいスープを飲んでぐっすり眠る自由がある――だから、絶対に私たちの邪魔をしないで」


 諭すようにそう告げて、リザは電脳棺にその身を投げ出した。あらゆる物理的実体を情報へと変換する究極の汎用インターフェースが、少女の数十キログラムの質量を飲み込んだ。

 まばゆいエーテル粒子の光があふれ出す。超自然的な事象をこの世界で記述する根源的粒子の輝き――人間の魂こそが、次元の壁すら飛び越える術だと証明した光。

 頭部装甲が閉じていく。

 煌々こうこうと光り輝く真っ赤な複眼が、青空の下で不気味に光り輝いていた。

 リザの声が、電子音声となって拡声器から出力された。



『この機体はP1789〈イノーマス・マローダー〉――フィルニカ人難民の子供たちを制御中枢に組み込んで、ありとあらゆる兵装に適合させる実験の産物。エルフリーデ、あなたの善意は遅すぎる』



 エルフリーデは映画館で話していたリザの身の上話が、嘘だったことに気づいていた。たぶん彼女には貿易商の父親などいないし、実際のリザは人殺しのための技術を仕込まれた工作員だ。

 だけど真実はもっと救いがない。リザに大切な弟たちがいるという話は本当で、その子供たちは巨大兵器〈イノーマス・マローダー〉を動かすための部品にされている。

 まるで安っぽい空想科学小説か、趣味の悪いヒーロー映画みたいな内容だった。


 どこからどこまでが真実なのかわからなかった――ヒーローコミック・オタクのリザ、弟たちのことが大好きなリザ、裕福な家庭で育った少女という感じのリザ。

 すべてを欺瞞ぎまんだったと切り捨てる方がずっと簡単だった。それなのにエルフリーデはむしろ、そうすべきではないと直感がささやいているのを感じた。


『姉ちゃん、どうするの?』


『姉さん、あっちの方は?』


『ああ、二人とも――じゃあ悪者をやっつけようか』


 群青の巨神〈Eマローダー〉が歩き始めた。身長五〇メートルの巨体が海水を掻き分けて、ゆっくりと方向転換していく。エルフリーデに背を向ける巨神に対して、できることは何もなかった。

 今のエルフリーデは身長四メートルの巨人だが、相手はその一二倍以上の背丈がある正真正銘の怪物なのだ。先ほどの頭部機関砲も脅威だが、そもそもサイズと質量が違いすぎて、機体が接触した時点で一方的にこちらが砕け散るだろう。

 ずしん、と地響きを立てて――群青の巨神が上陸する。ダイナマイト爆薬を何十キロも仕掛けたかのように、接触面のコンクリートが粉々に砕けていた。


 地響きは周期的なリズムとなって、倉庫街に立ち並ぶ建物を倒壊させながら、エルフリーデたちが逃げ出してきた貿易会社の方に向かっていた。

 〈Eマローダー〉の動きは遠目に見る分にはゆっくりだったが、実際には時速一二〇キロメートル程度の速度が出ていた。身長が成人男性の二八倍ほどもある巨神は、歩幅も桁違いに大きいのだ。

 強烈な殺意の塊が遠ざかっていく。

 エルフリーデはまず、主人を連れて今度こそこの場を離脱するべきだと思った。しかしクロガネの考えは違うようだった。


「エルフリーデ、命令だ――彼女たちを追え」


「正気ですか、殺されますよ?」


「我々に対してあの少女は敵意を持っていなかった。彼女が頭部コフィンに収まった以上、攻撃を受けるリスクは少ないと見ていい」


 そう言ったあと、黒髪の青年――見た目の上ではそうである――は目を伏せて、痛ましそうな表情でこう付け加えた。


「……あれはおそらく先史文明種プリカーサーの遺産、発掘した超大型フレームを利用した兵器だ。俺にはその暴走を止めるべき理由がある」


 どうやら彼は、お人好しにもほどがある責任感を発揮しているらしい。本当に甘っちょろい、どうして冷酷非情な悪徳貴族のふりなんてしていたのやら。

 それに絆された自分のことは棚に上げて、エルフリーデはため息一つ。


「仕方がない人だ」


 ドンッドンッドンッドンッ、と砲声が響き渡る。五七ミリ機関砲が火を噴いて、対地掃射で隠れている人間を建物ごと粉砕する音だった。

 人間が使う自動小銃ならともかく、一定以上の口径になった機関砲の前では、建物に隠れることでやり過ごすのは難しい。

 客観的に評価するなら、今の状況はGCIフィルニカ支部の内乱だった。情報機関である彼らは秘密作戦のために用意した工作員と秘密兵器に裏切られ、自分の命でその破壊力を味わっている。


 正直なところをお金をもらったって介入したくない状況だった。

 エルフリーデは覚悟を決めて、遠くからでもよく見える群青の巨神に近づいた。身長五〇メートルの巨神は、二六キロメートル先だって頭のてっぺんが見えるはずだった。

 ほんの一キロメートル離れたぐらいでは、嫌でも目視できてしまう。

 砲声が止んだ。


 声が聞こえてくる――倉庫の影を上手く使って、回り込むようにして〈Eマローダー〉の斜め横に移動する。

 見えたのは、奇妙な光景だった。

 途方もなく巨大な人型が、縦横五メートルはある馬鹿でかい掌で、一人の男を握っている。よほど力加減の調節が上手いのだろう、すぐにでも潰してしまいそうなサイズ比なのに、そうなってはいない。


 巨人の頭部のすぐ傍まで持ち上げられたそいつは、タクティカルベストや防弾鎧ではなく、三点セットの背広を着た中年の紳士だった。

 他の人員は逃げ出したか、機銃掃射で皆殺しにされたのだろう。穴だらけになった倉庫の残骸を足下に、〈Eマローダー〉が言葉を発した。


『弟たちをこんな身体にした報いを受けるときがきた――キース・ロックウェル』


「残念だよ、リザ・バシュレー。この国に弾圧され、行き場のない難民だったお前たちに役割を与えた恩を忘れたのか? 連邦市民として……正義のために戦う意思を忘れるとはな」


 〈Eマローダー〉から見た人間はほとんど豆粒に等しい大きさだ。そんな怪物に胴体を握られているのに、キース・ロックウェルは涼しい顔をしていた。

 あるいは現実感がなさ過ぎる光景に対して、かえって冷静になっているのかもしれなかった。


「外部制御装置を土壇場どたんばで弾いたか……このギリギリまで隠し通した君たちの勝利だな」


 自分の奥の手がその実、制御不能の怪物だったと思い知らされて――ロックウェルはむしろ落ち着いているようだった。

 万策尽きたのである。であれば人事を尽くして天命を待つ、という言葉もあるように――すべてを神に委ねるのはロックウェルにとって自然なことなのだろう。

 だが、そんな態度がリザの逆鱗げきりんに触れたようだ。かつて弟たちに施された非道な処置を弾劾するように、少女は感情的な声で叫んだ。


『この子たちは初等教育も終わっていなかった! それを人体実験に供したクズ共が、のうのうと正義を語るな!』


 次の瞬間、発せられたのは第三者であるエルフリーデすら耳を疑うだった。



「認識の誤りがあるな、リザ。私は人体実験などしていない――実験当時、並列起動型電脳棺トリニティ・コフィン・システムはすでに多数の犠牲者を出していた。我々は無知ゆえに君の弟たちを犠牲にしたのではない。ミロ・バシュレーとシリル・バシュレーが電脳棺に取り込まれ、その存在実体を失うことは既定路線だった」



 存在実体の喪失――それはおそらく、サンクザーレの森で〈ケラウノス〉に遭遇そうぐうし、物質として解体されたときのエルフリーデのようなものなのだろう。

 あのとき彼女はすぐにクロガネによって救い出され、こうして生身の肉体を取り戻すことができた。しかしリザの弟たちはそうならなかったのだ。

 事故ではなく意図的な処置だったと聞かされて、リザは震える声で喚いた。


『……ふ、ふざけるなッ! 何のために……そんなことを』


「リザ、聡明な君らしくもないな。君が融合している〈Eマローダー〉の動力源にするためだよ。通常の方法では、複数の電脳棺の並列起動は不可能だった。先史文明種が設けた安全装置が邪魔をするからだ。しかし適性の高い子供を、意図的に一部を破壊した電脳棺に乗せることで――我々は理論値を超えるエネルギー源を手に入れたというわけだな」


 信じられないほどに倫理というものが欠落した物言いだった。それは奇しくも、この世界において何故、バレットナイトが電脳棺を利用した兵器システムの最適解なのかを示すものでもあった。

 よほど頭のネジが外れた方法で成功確率が低い博打を行わなければ、現行文明のテクノロジーでは、複数の電脳棺を一つの兵器パッケージに詰め込むことは不可能なのだ。

 そういう諸々のハードルを越えるために、キース・ロックウェルは外道の所業を容認した。自身の肉体を失った子供であれば、人型を外れた規格外の巨大兵器にもよく馴染むだろう、と。

 ほとんど悲鳴のような声。


『…………どうして、そんなっ!』


 リザの感情が爆発していた。

 納得などできようはずもない、ロックウェルにしか通じない確信犯的な思想が、その問いかけへの答えだった。


「大陸諸国を愚かで暴力的な旧体制から開放する――その大義の過程だ。君たちの犠牲は、名もなき星として永遠にたたええられるだろう」


 〈Eマローダー〉の複眼が、禍々しく赤く輝いた。カメラアイすべてに、搭乗者の強烈な殺意が宿っていた。





 群青の巨神が、ロックウェルを握った右手を勢いよく振り回した。先端速度が音速を超える巨人の投擲とうてきだった。強烈な加速Gと共に投げ捨てられた男の身体は、数百メートル先の地面に叩きつけられた。

 コンクリート製の地面に打ち付けられ、キース・ロックウェルだったものは、その中身をぶちまけて赤い花を咲かせた。

 それだけだった。


 一組の姉弟の運命を狂わせた男への復讐は、あっけなく終わってしまった。

 エルフリーデ・イルーシャは、自分の腕の中からクロガネが降りたことに気づく。両足で地面を踏みしめた伯爵は、堂々たる足取りで〈Eマローダー〉に近づいていく。

 群青の巨神が、ゆっくりとこちらにその目を向けた。おそらく動態探知センサーにはとっくの昔に引っかかっていて、今になって気を払う必要が出てきた、という程度の反応リアクションだった。

 クロガネがよく通る声を発した。


「失礼する。今の話は聞かせてもらった……兵器化した義体システムとの長期間の融合……怪物症候群モンスター・シンドロームがもたらす典型的な過剰適応だ。兵器として構築された肉体との境を失った精神は、その均衡を崩して肉体の役割に殉じようとする」


 怪物症候群――エルフリーデも知らない専門用語が出てきた。果たしてそれが、クロガネのこの時代の専門家としての知見なのか、それとも一〇万年前の先史文明種としての知識なのかは定かではない。

 一つ言えるのは、彼の言葉には途方もない説得力があったということだ。

 毒々しい複眼に睨み付けられても、クロガネは一歩も引かなかった。数秒間の睨み合いの末、リザの声が拡声器から聞こえてきた。


『詳しいんだね、伯爵様は』


「お前の弟たちに必要なのは適切なカウンセリングだ。現在の状態がどういうものであれ、精神状態の治療はできる、自棄になるな」


『……ありがとう。でも、もう遅いの。何もかも、何もかもが』


 クロガネ・シヴ・シノムラは誠実な男だった。何の根拠もなく、リザの弟たちが元通りに復元できるなんて嘘はつかなかった。

 ブラックボックスである電脳棺の機能を、この時代の人間が当てずっぽうで破壊して、そこに無理矢理、幼い子供たちを融合させて数年間放置したのである。

 不可逆的変質が起きていないはずがなかった。

 そういう絶望を証明するように、無邪気な弟たちの声が聞こえてくる。


『姉さん、話は終わった?』


『姉ちゃん、そいつは殺していいの?』


 〈Eマローダー〉の身体が動く。まるで首から上と独立しているかのように、五〇メートル級の人型の四肢が、クロガネに対する悪意を持って動き始めていた。

 その様子からエルフリーデは察した。おそらく〈Eマローダー〉なる超巨大兵器の本質は、バレットナイトとは似て非なるものなのだ。


 バレットナイトの基本は、その五体が人体構造のそれとよく似ているという事実だ――人体に存在しない機構を、生身の肉体のように制御するのは困難なのである。

 内蔵機銃を使うときだって、指でスイッチを押し込むイメージで操作するように。背部サブアームによる携行武装の保持すら、自動制御機構を組み込んでようやく実現しているように。

 だが、もしも。

 根本的にその用途が異なる異形の殺戮機構に、幼い子供の自我を融合させてしまったなら――生まれる意識はどんな怪物なのだろう。


「クロガネ、危険です。これ以上は……」


「リザ・バシュレー、君の弟たちを助ける術はきっとある。我々の今の科学がそこに到達していないなら、それを掴み取れる未来を目指せばいい。だから――」


 クロガネの言葉は熱を帯びていた。きっとそれは、この不器用で優しい伯爵の嘘偽らざる本音なのだ。

 いつかきっと、誰かを救える答えにたどり着ける科学技術の進歩を信じるということ――科学に身を捧げる求道者の祈り。

 ああ、けれど。

 その言葉が異国の少女に届くことはなくて。



『――ごめんなさい。私たちは、そんな未来を夢見ることはできない』



 それが決別だった。

 〈Eマローダー〉の足が大地を踏み砕きながら迫り来る。エルフリーデ――オレンジ色の〈アイゼンリッター〉はクロガネに駆け寄って、その身体を抱き上げた。

 そして生身の人間が耐えきれる範囲内で、加速Gを伴う猛烈な勢いでその場を離脱する。三秒ほどで時速一〇〇キロメートルを超える速度に加速する。

 数秒後、クロガネがいた地面が陥没かんぼつした。


 今や〈Eマローダー〉の肉体制御を司る意思そのものとなった子供たちは、虫けらの足をもいで遊ぶ悪童のように、ケラケラと邪気のない笑い声を上げている。

 群青の巨神から見れば、エルフリーデとクロガネはすばしこい虫けらなのだ。本気で殺すつもりもないたわむれだった。

 絶望しきったリザの声が、エルフリーデの背に投げかけられていた。



『きっと私たちは地獄に落ちるでしょう――ならば私は最後まで、この子たちの傍にいる』



 何か、なぐさめになる言葉を言いたいと願った。

 だけどエルフリーデ・イルーシャの生存本能は、一刻も早くこの場を脱して、怪物の興味関心から外れることを優先している。

 泣きたいような切なさが、胸にこみ上げてきていた。そんなのは間違っていると言ってあげたかった。

 だが、今のエルフリーデにそんな無謀な行動を取れる余裕はない。






『――さようなら、お姉さん。あなたと見た映画は、とっても楽しかった』






 リザの声は、これから死にゆく人間の不吉さに満ちていた。







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