怪物の目覚め
オレンジ色のバレットナイトが、倉庫の置かれた敷地内を疾走する。真っ昼間なので身長四メートルの巨人はとても目立ったが、それを見咎める人間はここにはいない。
巨人の腕の中に抱かれているクロガネ・シヴ・シノムラは、少々、ばつが悪そうに〈アイゼンリッター〉を見上げた。
振動が最小になるように足腰のバネを使った安定走行である。エルフリーデ・イルーシャのバレットナイト操作技術――人体とバレットナイトは同じ感覚で動かせるが、極限まで突き詰めるならまったく別の身体制御を求められる――の極致とも言えるそれを味わいながら、男は気まずそうに口を開いた。
「助かった。お前は常に俺の期待を裏切らないな、エルフリーデ」
返ってきたのは単純な罵倒だった。
『――バッッッカじゃないの!? なんでクロガネがこんな危険なことやってるんです? まさか朝食の席の与太話で説明は済んでると思ってます?』
その通りだった。返す言葉もなく、クロガネは視線を宙に泳がせた。
そして渋々という感じで頷いた。
「だが、お前は確かにここに来た。発信機の信号は役に立ったろう?」
『ええ、まあ用意がいいのは褒めてあげますが――自分のことを大事にしないから、わたしは怒ってるんです。あなたが一〇万年ぐらい生きてようが関係ありません」
「…………参ったな、反論の余地がない」
『軽口叩けるってことは反省してない?』
「…………かもしれん」
呆れたようなため息一つ、エルフリーデの駆る〈アイゼンリッター〉は首を傾げて実に細やかな感情を表現してくる。
クロガネは気まずすぎる空気にしょんぼりと肩を落とした。自分自身の不死性――この一〇万年間、銃で撃たれたことは一度や二度ではない――を知っているからこその動きだったのだが、不死者の世間からズレた感覚に対して、少女は容赦がなかった。
いや、確かに関係各所に迷惑をかける方法だったのは否めない。しかし今は緊急事態である。早急に陰謀の首謀者を特定して、その目的を推察する上でこの行動は必要不可欠だった。
そういう言い分をクロガネは飲み込んだ。明らかにエルフリーデの
「……見事な突入作戦だった。あれはお前の発案か?」
『ええ、ロイさんに偵察ドローンとかはお願いしましたけど。あとこの〈アイゼンリッター〉はラト殿下からお借りました。あとでお礼を言っておくように』
「彼らの心遣いには感謝してもしたりないな」
聞けばFHI社で技術解析用に組み上げられたバレットナイトを、ラトの伝手で借りてきたのだという。武装こそついていないものの、生身の人間相手には防弾樹脂で覆われた四メートルの巨人というだけで威圧効果は抜群だ。
エルフリーデは言わずとも周囲を警戒しているから、今のところ敵の追っ手や伏兵はないと見ていいだろう。クロガネは頭頂高四メートルの巨人に抱かれているというのに、ひどくリラックスしている自分に気づいた。
こんなことを口にすれば彼女に叱られるだろうが――実際のところ彼は今、自分の足で歩くときよりも安心して呼吸できている。
万が一にも、彼女がこの身を地面に落とすことなどありえない。そう、無意識に信頼していたのだ。
――俺も甘くなったものだな。
ガシャンガシャン、と音を立てて〈アイゼンリッター〉が倉庫街を歩む。フェンスの切れ目を器用に見つけて、海辺に面した道路にまで抜けることに成功する。
港湾設備が整った
どうやら輸送コンテナ(遺跡の生産プラントによって規格統一が果たされているのは、現在の文明の美徳の一つだろう)を大量に積むタイプの輸送船らしい。
ロックウェルたちの隠れ
「このあとはどうなっている?」
『ラト殿下が手配した憲兵が、あの悪そうな奴らを捕まえることになってますね。まぁ、あとはフィルニカ側の仕事ですよ』
「……間に合うといいが。イーリイ氏に連絡はつくか?」
『えっと、はい。今繋ぎました、話して大丈夫です』
クロガネは手短に状況を伝える言葉を探した。
そして普段の長ったらしい科学技術トークが嘘のように簡潔な報告を述べた。
「では手短に。一連の事件の首謀者はガルテグ中央情報局フィルニカ支部のキース・ロックウェルです。彼は国家転覆に関する第二の作戦が進行中であると認めました。ただち捕縛していただきたい」
『こちらラト・イーリイ。わかりました、今、そち……に……お……』
急に電波の繋がりが悪くなった。明らかな異変に、クロガネは息を呑んだ。
ほぼ同時に彼の視線の先で、目視でわかるレベルの異様な事態が進行しているからだ。
空は抜けるように晴れ渡っていて、不気味なぐらいに青い――その空の色を映す海原、ここからさほど離れていない係船岸壁のすぐ傍に浮かぶコンテナ船。
先ほどクロガネがその視線に捉えた巨船の周囲で、さざ波が立っている。最初、海の模様がわずかに異なるぐらいだった波は、やがて高さ二、三メートルはあろうかという高波になって岸壁に押し寄せ始める。
それは明らかにコンテナ船を中心として、放射状に広がる波であった。作業していた荷下ろしの労働者たちが異変に気づき、岸壁から蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
斥力場の出力――強力すぎる
『クロガネ、あの船、なんか変です。あっちの方角から強い電波妨害が出力されてる。電波干渉がひどすぎて、ラト殿下との無線通信が阻害されてるみたいだ』
「エルフリーデ、今すぐここから離れろ――」
結論から言おう、クロガネの警告は間に合わなかった。
次の瞬間、一キロメートル先の海面に浮かんでいたコンテナ船――全長数百メートルはあろう巨船――が、中央部から真っ二つにへし折れた。
ばごぉん、と金属が圧壊する爆音。急激な圧力の変化に耐えきれず、大型コンテナ船のハッチカバーが高々と宙を舞う。斥力場の暴走だった。水飛沫が数百メートルの高さに噴き上げられ、海水の飛沫がクロガネの肌に感じられるほどになる。
大量のコンテナが海面に落ちていく。遠距離からでは小さな粒に見えるそれらは、その一つ一つが大型トラックで運ぶような構造体だった。
水柱。渦を描いて沈んでいく船体。押し寄せる高波。海を行く城に例えられるほど巨大なコンテナ船が、くの字を描くように海水の下に沈没していく。
その間にも破壊は進んでいた。数百メートルあるコンテナ船の船体がひしゃげ、内側から紙切れのように引き裂かれていく。
――ばきばき、めきめき、ぐしゃりぐしゃり。
不可視の斥力場が、船の乗組員数十人の命を飲み込んでいた。目に見えざる衝撃波はすぐさま超音速を超えて乗組員に襲いかかり、脆すぎる人体を破壊し尽くした。
即死だった。誰も助からなかった。彼らがそこにいたことすら、書類上の記録以外では確認できないほどの無残な死だった。
血煙と肉片が海水に飲み込まれ、薄められていった。
馬鹿でかい水柱を立てながら、そうして一隻の輸送船が粉々になって海の
――ぶおおおぉおおおおおおおおおおぉん!
まるで灯台の
あるいは空想上の怪物、空想科学映画に出てくる巨大怪獣の叫び――それが
海が荒れ狂う。先ほどまで穏やかだった海面を割りながら、馬鹿でかい人工物が浮かび上がっていた。
白い波の軌跡を引きながら、
ざざざざざざ、と波がコンクリート製の岸にぶつかって砕ける音。
「エルフリーデ、どうした?」
らしからぬことに、その瞬間、エルフリーデ・イルーシャは逃げもせずにある一点を見ていた。オレンジ色に塗装された騎士人形〈アイゼンリッター〉のカメラアイが、三〇メートルほど先にある建物の二階を見ていた。
倉庫街に整備された、埠頭事務所と思しき建物――閉鎖されているのか、人影のない暗い建物だ。釣られてそちらを見たクロガネも確認する。
事務所の二階出入り口に繋がる階段の上に――ぽつんとたたずむ少女が一人。
黒い髪、褐色の肌、そして身体を包み込む耐環境パイロットスーツ。
『――リザ?』
呟きが虚空に消えた。
◆
爆音を上げてへし折れるコンテナ船を見た。その乗組員を死に至らしめたであろう破壊を見た。沈没していく船の残骸を見た。海を割りながら近づいてくるそれを見た。
恐怖はない。ただ、例えようもない痛みを感じていた。
豊かな乳房の膨らみを、モスグリーン色の耐環境パイロットスーツで押さえつけて――リザは深く深呼吸する。
胸に手を当てる。
――ああ、ドキドキしてる。
――私は今、どうしようもなく緊張してる。
リザはすでにエルフリーデの存在を――状況証拠から見て彼女以外の搭乗者はありえないだろう――認めていた。オレンジ色のバレットナイトは、如何なる武装もしていない。ならば恐れる必要はなかった。
拡声器を通じて、エルフリーデの声が聞こえた。
『リザ、そこにいちゃダメだ! 逃げて!』
不思議な人だった。たったの一日と半日しか過ごしていないのに、その人柄に
恐ろしい人だ。それなのに親しみを感じずにはいられないのだから、本当にどうしようもない。
あるいは自分はこの手の工作に向いていないのかもしれないが、冷酷非情を自称しているスパイ諸兄だって存外、この人に接したら絡め取られるんじゃないかと思う。
――怖いなあ。でも好きだな、こういう人。
リザの身を案じる声に対して、少女は微笑んだ。それはこうなってしまった運命に対する哀切と、こうなってしまう世界への憎しみがこもった笑顔だった。
振り向く。腕に成人男性を抱っこしたバレットナイトという珍妙な存在を眺めて、それから呟いた。
〈アイゼンリッター〉タイプの集音センサーなら、きっと聞こえるだろう。
「やっぱりね。
少女の背後、コンクリート製の岸壁で海水が盛り上がり、爆ぜる。
大勢の人の命を奪って、猛り狂う嵐となって目覚めたそれら――真っ青な人工物が、海を割りながら出現した。
巨大な何かが、海水をまき散らす。全長二〇メートルを超える筒状の構造体が、海面から突き出される。二本の塔が大地へと振り下ろされる。
天を突く塔にも似たそれが触れた瞬間、凄まじい荷重に耐えきれずにコンクリートで
それは腕だった。
バキバキと音を立てて砕け散るコンクリートの飛沫。真っ黒な影が差して、少女の視界を覆い尽くしていく。
立ち上がったそれは、海面から出ている部分だけで高さ三五メートルはあろうかという規格外。
――
ずんぐりとした巨躯であった。水深一五メートルはあるここらの海底までの深さを思えば、頭頂高で五〇メートルにも達する馬鹿げた巨体だった。
何より信じがたいことに、そいつは人型をしていた。先ほど地面に突き刺さった二本の筒状構造体は、その異形極まる存在の一対の腕なのだ。
全身にプロテクターをつけたフットボール選手すらスリムに思えるような、異様なまでに肥大化したシルエット――甲殻類を思わせる丸みを帯びた装甲、昆虫のような複眼の頭部、前に大きく突き出た胸部、やはり大きく張り出た背部、腕の一薙ぎでビルをバラバラにできる四肢。
それは巨大で非常識でおかしな設計だったが、それでもなお――
その四肢が鳴動している。
――ぶおおおぉおぉおぉおおおん!
空気の震える音。まるで獣が
ずっと聞いていたら耳がおかしくなりそうな騒音が鳴り止むのを待って、リザはゆっくりと口を開いた。
優しく、優しく、本当に大切な宝物にそうするように――手を差し出して。
「――お姉ちゃんはここだよ、ミロ、シリル」
群青の巨神が、その異様な巨体を震わせた。
ゆっくりと、まるで壊れものを扱うように――本気なら容易く音速を超えるであろう二〇メートル超の腕が、おずおずと伸ばされて。
手甲部に格納されていた、巨神の手が展開される。
馬鹿でかい手だった。その一本一本が三メートルを超える巨神の指が、リザの伸ばした指先と接触する。
そして声。幼い声帯を再現した電子音声が二人分、重なり合って響き渡る。
『――姉ちゃん』
『――姉さん』
リザは涙をこぼした。
それが歓喜なのか哀切なのか憤怒なのか、自分でもわからないのに。
「おはよう、二人とも」
ただ激情のままに喉を震わせた。
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