キース・ロックウェル





 エルフリーデが襲撃を受けていた頃――伯爵ことクロガネ・シヴ・シノムラは拉致されていた。

 無防備にホテルの外に出たスーツ姿の貴族を、いきなり防弾ヘルメット・防弾鎧・自動小銃で武装したフル装備の兵士たちが取り囲んだ結果である。

 フィルニカ側の警備の落ち度だったが、そもそもの問題として、他国の都市でここまで白昼堂々と秘密作戦を展開するのが正気の沙汰ではない。



――まさかこうも早く釣れるとはな。



 クロガネはため息をついた。今、彼は得体の知れない男たちに囲まれて、頭にずだ袋を被せられ、ワゴン車の中に押し込められている。

 ゲストであるクロガネの警備をあえて手薄にして、敵の動きを誘う――そのような無謀な作戦を、ラト・イーリイ・クナトフに承知させるのは大変だったが、おかげで彼の思うように事態は進行していた。

 ちなみにこの件をノーラ・ハイゼには知らせていない。彼女はそもそもこう言った荒事には慣れていないし、事前承諾を取るのは立場上、不可能に近いからだ。

 自身の不死性に関しては大きな自信があるクロガネは、常人とは異なる感性で自分を死地にさらすような真似ができる。

 従者であるロイも渋々といった様子だったが、彼の従者は理解があるので助かった。


 車で三〇分ほど走ったあと、ブレーキの感覚。車外に連れ出され、歩かされた。背中に銃口を突きつけられた状態だった。ずだ袋が外される。息のこもっていた熱気が、外気にさらされて霧散していく。

 黒髪の伯爵は、その黄金の瞳を前に向けた。

 二メートルほど前方に、一人の男が立っている。如何にもガルテグ風のビジネスマンらしい背広姿、金髪碧眼の中年男である。クロガネより背は低い。オールバックの髪型といい、にやついた笑みといい、映画俳優みたいな容姿である。

 クロガネはその顔に見覚えがあった。事前にフィルニカ来訪に当たって覚えておいた重要人物の背格好と、綺麗に目の前の男のそれが一致する。


「はじめまして、ヴガレムル伯爵。ミトラス・グループ代表とお呼びした方がいいかな?」


「伯爵で結構だ、キース・ロックウェル支部長。GCI式の手荒な歓迎には驚いたが、彼らはが負傷しないよう気を遣ってくれたとも」


「流石に私の顔は割れているか、困ったものだな」


「こういった方法で招待する以上、ある程度のトラブルは覚悟していると思ったが」


 違いない、とロックウェルが微笑んだ。

 どこかの倉庫の中と思しき屋内だった。一〇メートル以上はある高い天井に、高く積まれたパレットコンテナ、そして数台の電動フォークリフト。大方、諜報活動のための隠れみのなのだろうが、 まったくのペーパーカンパニーというわけでもないらしい。

 クロガネは空気から潮の匂いがすることに気づいた。わずかに聞こえるのは波が埠頭ふとうにぶつかって砕ける音だ。

 ならば現在位置は、海辺の倉庫街のあたりか。まだ日中だというのに薄暗い倉庫の中、キース・ロックウェルとクロガネ・シヴ・シノムラは睨み合う。


「――ベガニシュ帝国の先進科学技術を担う人材を、ガルテグ連邦は常に歓迎している。私たちにはあなたの亡命を受け入れる用意がある」


「これは立派な拉致だと思うが、あなた方にとっては違うらしい」


「見解の相違だな。私はベガニシュ帝国によって不当に搾取さくしゅされている科学者を救おうとしているだけだ」


 真っ当な手段では脱出するのは困難になっているはずだが――秘密の潜水艇でも持ち込んでいるのだろうか。巨額の予算をかけて陰謀を目論むことにかけて、GCI以上の情報機関は存在しない。

 不味いな、とクロガネは目を細めた。ロックウェル支部長の顔色を読んで、頭を働かせる。

 察するに自己顕示欲じこけんじよくが強いタイプの手合いだろう。ならば会話を引き延ばす方法はいくらでもある。

 クロガネ・シヴ・シノムラは淡々と口を開いた。


「常々、考えていた。一連のクーデター未遂における不自然な動きは何だったのかを――その答え合わせが、あなたの存在でようやくはっきりした」


「ふむ……続けたまえ」


 ロックウェルがこちらに興味を示した。思った通り、自分の謀略に対しての関心が強く、それに対する理解者を求めている人物像。

 その性質上、表沙汰にできない陰謀ばかりの業界である。最悪の承認欲求の発露と言えたが、クロガネにとってはありがたいことだった。

 ベガニシュ帝国の使節団――クロガネ一行が巻き込まれたクーデター騒ぎは、結果論でいえば二四時間と経たずに鎮圧された。しかしラト・イーリイ・クナトフの宿泊先や、国王の滞在先が襲撃されたことを考えると、協力者が高度な情報網を持っていることは明白だった。


「本来、クーデターはもっと綿密めんみつな連携によって、同時多発的に起きてフィルニカ全土を制圧するものだったはずだ。しかしあなた方には――いや、正確にはGCIが煽動した不穏分子たちには、その時間がなかった。内部からの情報提供者か、治安当局による諜報網かはわからないが、クーデターの情報が国王側に漏れた恐れがあったのだろう。結果として準備が不十分なまま、出たとこ勝負のクーデターが始まってしまった――本来の形であれば、GCIの全面的なバックアップがあったはずだ」


 そしてエルフリーデ・イルーシャが精鋭部隊を壊滅させたことで、彼らは本来、確保するはずだった神輿を失ったのである。

 ロガキス王による統治で粛清された派閥は、前国王イシュヴィムの時代への強い支持を根強く持っている。やりようによっては彼らの支持の元、新政権を発足させることも不可能ではなかったはずだ。

 民衆の熱狂的支持などは得られないだろうが、軍部にイシュヴィム王の支持者が多いことを考えれば、上手くすれば国を割ることはできただろう。ロガキス王の排除が上手くいっていたなら言うことなしだったはずだ。

 だが、そうはならなかった。

 ロックウェルはパチパチと拍手して、クロガネの目を見た。その顔に浮かぶうっすらとした微笑みは、自作品に対する推理を聞かされた小説家のようだった。


「結構、素晴らしい。伯爵、君の理解に間違いはないとも――おや、まだ続きが?」


「ああ。そして先のクーデターは未遂に終わり、は断念された。ミスター・ロックウェル、あなたがこのような形で俺を拉致したのは、すでにあなたの中でフィルニカに対する諜報活動が終わっているからだ」


「ほう、では私が何をすると?」


 クロガネは周囲から向けられる目線が、一層険しくなっていることを悟った。武装したGCIのエージェントたちは苛立っているが、ロックウェルはそうでもない様子だった。

 慎重に答え合わせするように、クロガネは答えを吐き出した。


「――破壊だ。おそらくあなたの行動はすでに、ガルテグ本国でも承認されていない独自の計画になっている。それはフィルニカ王国の現政権への攻撃ですらない。フィルニカという国家そのものを破綻させるほどの何か――戦災に等しい手段を、あなたは保持しているはずだ」


 一瞬、その場の空気が凍り付いた。それはクロガネ・シヴ・シノムラが正確に彼らの思惑を言い当てたせいだった。一泊、間を置いて笑い声が響き渡った――キース・ロックウェルが腹を抱えて笑っているのだ。

 呵々大笑かかたいしょうと呼ぶに相応しい爆笑である。金髪を撫でつけながら、ロックウェルはひとしきり笑い続けて。やがてにやついた笑みを浮かべて、クロガネをじっと見つめた。

 それは自分の願望/作戦を見やぶったものに対する、親愛の発露であり――嗜虐的サディスティックな微笑みだった。

 目配せ一つ。

 周囲の兵士がクロガネを羽交い締めにして、その腹に膝蹴りが叩き込まれる――衝撃で崩れ落ちた男を見下ろして、ロックウェルが喋り始めた。


「どうやら私は伯爵を見くびっていたようだ。流石はヴガレムル伯領の繁栄のいしずえを築いた人物と言うべきかな」


 地面に崩れ落ちたクロガネが、身もだえしながら顔を上げた。


「ミスター……重大な間違いだ。その地に生きる人々にこそ、歴史を積み上げる権利は存在する……」


「面白い冗談だ。征服と支配を繰り広げるベガニシュ帝国の一員が、そのような戯れ言を述べるとは――ああいや、征服されたバナヴィアの人民を守るための方便というやつかな? いずれにせよ、私の答えは揺るぎないとも」


 ロックウェルは朗々と歌い上げる――自身の理想、信念のかたちを。




「――。我々、ガルテグ人が骨身に染みて知っている真理だよ。強権的な君主による指導を求めずにはいられない、旧大陸の民を啓蒙けいもうする手段として――破壊的事象カタストロフィは必要不可欠だ」




 もちろん犠牲になるものは出るだろう、と言い置いてロックウェルはクロガネを見下ろす。

 絶対的な自分の優位性を確信した笑み――キース・ロックウェルという男のありようを体現した、侮蔑と使命感の入り交じったエゴの発露。


「きっとガルテグ連邦を含めて、誰もが犠牲を支払う。仕方がないことだ」


「祖国の国益すらコラテラルダメージか……」


 そのときだった。

 遠くから少しずつ異音が近づいてくる。それは最初、波の砕ける音にかき消される程度に過ぎなかったが――やがて人間の耳にも聞き取れるほどの大きな音に化けた。

 トン単位の重量物がアスファルトを叩いて疾走する足音。

 否、これは走行音である。

 その場にいる誰もが本能的恐怖感を抱いた瞬間――彼らはいつの間にか、偵察ドローンが倉庫の隙間からこちらを撮影していることに気づいた。

 倉庫内の人物の配置を偵察されていた。


 それが意味するところはすぐに明らかになった。一際、大きな地面を蹴る音――跳躍の証――倉庫の周囲に張り巡らされたフェンスを跳び越えた何か。

 次の瞬間、天井を突き破って巨人が落ちてくる。

 派手派手しいオレンジ色のテスト機――ベガニシュ帝国が乗り捨てた〈アイゼンリッター〉タイプを修復したもの――が、倉庫の床をぶち抜きながら着地。


「――なっ!?」


 着地点は目と鼻の先だった。

 衝撃で砕けた建材の飛沫を浴びて、ロックウェルがたまらず飛び退いた。本能的な恐怖がそうさせたのだ。

 GCIエージェントたちは自動小銃を巨人に向けた。バレットナイト相手には何の意味もないとわかっていても、そうせずにはいられない威圧感があった。

 頭頂高四メートルの巨人を前にして、怯えずにいられる人間はいなかった――クロガネ・シヴ・シノムラ以外は。


「……来たか」


 前傾姿勢で〈アイゼンリッター〉が飛び込んでくる。

 その進路上にいたGCIエージェントが悲鳴をあげて銃撃する。人間であればすぐに物言わぬ骸に変えられる小銃弾が弾かれた。

 器用に人間を避けながら、巨人は意外なほど繊細せんさいな手つきでひょいっとクロガネを拾い上げ――そのまま両手でお姫様抱っこよろしく抱きかかえると、開け放しになっていた倉庫側面から外に出た。

 嵐のように去っていくバレットナイトを、キース・ロックウェルは呆然と見送った。


「…………な、何が起きた……?」


「支部長……報告です」


 携帯無線機を手にした部下が、恐る恐るという感じで声をかけてくる。

 ロックウェルは発言を促した。


「ビショップが裏切りました。エルフリーデ・イルーシャは生きています」


 もう十分だった。

 彼はにやけ面に微笑みを浮かべると、感情のこもっていない声で淡々と告げた。


「……報告が遅い。輸送船は到着しているな?」


「はい、すでに港に入っています」


 ロックウェルは心からの笑みを浮かべた。それは無邪気ですらある、凄絶な悪意が宿った笑顔だった。

 喜悦をにじませた声で、彼は指示を出した。


「――


「しかし、搭乗員のビショップはもう……」


「専属搭乗員など書類上の存在にすぎん、我らがルークは自律稼働可能だ――ここは引き払うぞ、撤収準備を急げ!」


 キース・ロックウェルは力強い足取りで歩き始めた。

 この旧態依然とした国を焼き尽くすために。







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