ヒーローガール×スパイガール






 エルフリーデ・イルーシャは呆然としていた。たった今、上映が終わった映画――キャプテン・クリーバーなるヒーロー映画ないしスパイ映画の内容が、あまりにも鮮烈だったからだ。

 左目から頬にかけて傷跡が走っている少女は、しばらくの間、身じろぎもせずに映画館のシートに座っていた。


 今回は最高級VIP席からいくつか等級を落とした、まだ一般的の範疇はんちゅうの高い座席である。具体的には劇場は他の観客と隔離されていないが、席自体はいい感じの距離と高さの一等席という具合だ。

 お金をかけて映画を見るにしても、根が庶民のエルフリーデにはこれぐらいがちょうどいい。

 ざわざわ上映後の喧噪に包まれ、次々と観客が出て行く劇場の中――少女は呟いた。



「なんかみたいなキャラ出てきたと思ったら……!」



 エルフリーデは怒りと戸惑いの狭間でわなわなと震えだした。

 リザは弾けるような笑顔で頷いた。


「悪の女騎士ブラッディデーモン……悲しきヴィランでしたね……!」


「なんかあの悪者の経歴がほどよくんだけど! しかも最後は割と雑に首斬られてなかった!? エグくない!?」


 エルフリーデはガルテグ連邦の商業主義の犠牲になっていた。具体的にはそのとき売れ筋の文化、ネタを容赦なく追求する大企業のちょうどいいネタにされていた。

 物語の中に出てきた女騎士ブラッディデーモンは故郷を大国によって滅ぼされ、世界への復讐を誓った悲しき悪役だった。


 異次元エネルギーを使って世界を焼き尽くす陰謀に手を染めた彼女は、最終的に主人公のキャプテン・クリーバーが投げた刀で首を切断されて死んだのだ。

 キャラの掘り下げが絶妙に浅いので、割とお話的にはどうでもよかった。ストーリーの主軸はむしろ、主人公と親友がスパイの世界で引き裂かれ、望まずに銃を向け合うブロマンス要素の方だったのだ。

 別にいなくていいノルマみたいな枠に自分が無断借用され、挙げ句に流れ作業みたいに退場させられるという希有な経験――顔をひくつかせているエルフリーデの様子に、リザは頷いた。


「キャプテン・クリーバーは正義の処刑刀で悪党の首を刎ねるのが決め技ですからね。その猟奇性から実は登場したときは結構なダークヒーロー路線だったんですが、人気が出たことから大衆迎合に堕して……なんか気づいたらガルテグの高潔な精神の体現みたいなキャラになってたんです……!」


「処刑刀が高潔な精神ってどういう経緯なの……?」


「お姉さんも知っての通り、ガルテグ連邦は建国前に新大陸皇帝を名乗る独裁者と内戦やってるんですが……最後には新大陸皇帝の首を切り落として処刑してるんですよね。その鮮烈な記憶が昇華されて、ガルテグ連邦の自由の精神を体現するようになっていったわけですね」


「わたしっぽいキャラが処刑されたのはどういう……」


「マルチ・アベンジ・ユニバースは今、空前のハードボイルドブームですからね……たぶん脚本にあとからねじ込まれたてこ入れキャラなので、雑に殺されただけで悪意はないと思いますよ」


 そっちの方がどう考えても悲惨である。

 エルフリーデは自分を落ち着かせようと、紙コップに入ったドリンクを飲んだ。飲み干した。ストローが空気を吸い込んで空しい音を立てる。

 席を立つ。隣で同じく立ち上がったリザの方を向いて、どうコメントすべきか熟考を重ねた末、エルフリーデは嘘偽らざる感想を吐き出した。


「――クソ映画だ!」


「――クソ映画ですね!」


 何故かリザも異口同音にそう言った。あれ、この子ってヒーロー映画の大ファンじゃなかったっけ、と困惑するエルフリーデに対して、うんうんと頷きながらリザが混じりっけなしの笑顔を向けてくる。


「お姉さんは見る目がありますよ、今のマルチ・アベンジ・ユニバースは迷走期ですからね……エクステンデッド・ジャスティス・ユニバースがトゥモローマンの決定版と言える新作を出したこととは対照的と言えるでしょう……!」


 何を言っているのかまるでわからないが、思想が強いことだけが伝わってくる。

 オタクの鳴き声(コミュニケーションというよりも習性の一種)を聞いて、エルフリーデ・イルーシャは怯えて後ずさった。


「えっ、待って、トゥモローマン出てくるやつとは違うの!?」


「違いますよお姉さん、キャプテン・クリーバーとかアイアン・バロンが出てくる方がマルチ・アベンジ・ユニバースでトゥモローマンとダークケープマン出てくる方がエクステンデッド・ジャスティス・ユニバースです。原作の出版社が違いますし、映画版の配給会社も全然違うんですよ!」


 リザはすごい早口で説明してきた。

 エルフリーデはサイドバッグに入れてある映画のパンフレットとリザの顔を交互に見た。表紙では筋肉ムキムキの成人男性が体型がめちゃくちゃ浮き出るタイトなコスチュームを着たり、ボディアーマーを着たり、マントをひるがえらせたりしている。

 わからない。どこからどう見ても、同じ系統のヒーロー映画ではないだろうか。そんな急になんたらユニバースの違いを説明されても困る。

 しかし熱心なファンの子の前でそれを言うのもはばかられた結果、エルフリーデは絞り出すような声を漏らした。


「複雑すぎる……!」


 エルフリーデはあくまでちょっと映画が好きな文学少女(※本人の自己申告)なので、複雑怪奇な派閥性すら絡むヒーロー・コミック界の常識は、ほとんど異次元生物の鳴き声と大差ないのだ。

 とりあえずリザの熱量にやや引いている。そして国交正常化の暁には、絶対にブラッディデーモンの件で出版社を訴訟でぶん殴ってやろうと心に決めた。

 このスパイアクションとヒーローアクションを一緒に煮込んだ結果、どうしようもなくなったような映画は本日二本目の鑑賞だった。


 リザがおすすめしていたホラー映画の方がいい感じだっただけに、とても残念な気分になったが――ともあれ、リザは話していて楽しい子であった。

 、という点をエルフリーデは疑っていない。

 であるからして、映画館を出るときになってリザがこんなことを言い始めたとき、エルフリーデは驚きはしなかった。


「お姉さん。これから何が起きても、私を信じてくれませんか」


 リザの顔を見る。真剣な表情だった。さて、こうなるとどう答えるかは決まっていた。

 エルフリーデは涼しい顔で即答した。


「――わかった」


 映画館に出入りする客でごった返す中、エルフリーデはそっと呟いた。


「一応、聞いておくけど――準備しても?」


「もちろん。合図するまで普通にして、合図したら走ってください」


 エルフリーデは無言でバッグの中に手を突っ込んだ。肩掛けのストラップでバッグを固定しながら、目当てのものを手にする。

 硬質な感触。樹脂と金属フレームで構築された自動拳銃――護身用に特例で携帯を許されていた――のスライドを引き、チャンバーに九ミリ弾を送り込む。

 これで安全装置を外して、引き金を引くだけで銃弾が発射される状態になった。エルフリーデはサイドバッグからハンカチを取り出して、額の汗を拭うふりをした。

 しばらくショッピングモールを歩く。

 街は買い物を楽しむ富裕層でごった返している――とても平日の昼前とは思えない盛況ぶりである。

 歩いて、歩いて、歩いて。

 不意にリザが口を開いた。


「走って!」


 遠方から殺気を感じた。

 瞬間、エルフリーデは目にも止まらぬ速さで跳躍した。足のバネで静止状態から跳ぶ。常人離れした健脚で数メートル斜め前に着地する――サイドバッグから拳銃を取り出す。

 安全装置を解除する。勘で敵のいる大まかな方向に当たりをつけて、振り返り様に静かに照準。

 硬質な音――空を切った亜音速弾が雑居ビルのコンクリート壁に弾痕を穿うがつ。

 発砲音はない。消音器をつけているか、電磁加速式の銃器を静音モードで使っているのだろう。



――いた。



 大通りに面した道路から一本曲がった先の小道、自動車の後部座席から突き出された黒い銃身。

 確実を期するためだろう、距離にして一〇メートルも離れていない距離からの銃撃だ。

 構えられている銃口から察するに、使われた武器はベガニシュ帝国製〈SMP3短機関銃〉――拳銃弾を連続発射する自動火器。

 精密射撃が売りの短機関銃だった。そしてエルフリーデの反射速度は、襲撃者に第二射を許しはしなかった。

 引き金を引く。


 超音速で射出された弾体――〈BP281拳銃〉の銃火――精確に光学照準器を撃ち抜いた九ミリ拳銃弾が、短機関銃を構えていた男の頭部に着弾する。

 血を噴いて動かなくなる男を乗せた自動車が、慌ててアクセルを踏む。急発進した自動車はエルフリーデ目がけて突っ込んでくる。

 横っ飛びになってギリギリで突進をかわした。商店のガラスのウィンドウに突っ込む自動車――ガラスが粉々に砕け散る。衝突音が響き渡る。

 エアバッグが展開された自動車の運転席を横目に、リザがエルフリーデの手を引いた。


「こっち!」


 エルフリーデは走り出した。派手な衝突事故を起こした自動車は、遠目にもわかるほど耳目を集めていた。急ぎ足で事故現場から離れる。

 ほとんど勘だった。エルフリーデとリザは、同時に横へ跳んだ。

 〇・三秒前まで二人の胴体があったあたりに銃弾が撃ち込まれる。


 背後で悲鳴が上がった。事故を起こした車の運転席から、血を流しながら男が這い出てきたのだ。その手に短機関銃を握った男――まるで映画の撮影じみた光景に、野次馬たちは凍り付いたように動けないでいる。

 リザがサイドバッグに手を入れる。魔法のようにその右手に拳銃が現れる。円筒状の消音器と一体化した拳銃――安全装置解除、引き金が引かれる。

 パシュッと静かな銃声。頭部に五・六ミリ亜音速弾を撃ち込まれ、男はすぐ動かなくなった。


 悲鳴が重なる。目の前で射殺された銃を持った男、拳銃を手にした少女二人――なるほど、ショッキングすぎて絶対にお近づきになりたくない状況である。

 そんな混乱の真っ只中、猛烈な勢いでこちらに近づいてくる車両が見えた。時速七〇キロは出ているワゴン車の後部ドア、スモークガラスが開いていく――銃口が突き出される。

 エルフリーデは迷わず引き金を引いた。


 銃声――短機関銃が窓ガラスから放り出され、地面にぶつかって玩具のように転がった。

 銃身に拳銃弾を当てたのだ。ワゴン車から離れるため、エルフリーデとリザは一緒に歩行者用の小道へ飛び込んだ。街の中を流れる川沿いの道は、周囲をコンクリートで舗装されているし、植え込みのおかげで遠方からは人影を目視できない。

 ちょうどいい逃亡場所だった。


 背後で急ブレーキの音――ワゴン車のドアの開閉音、足音が聞こえてくる。足音から判断して追っ手は二人、エルフリーデは追跡者たちに不意打ちを仕掛けた。

 橋の真下をくぐり抜け、橋の基部と土手が場所を上手く使う。足を止めて反転、死角から銃口を突き出して銃撃――九ミリ拳銃弾が連射され、数発の弾丸が先頭に立っていた男の胴体に吸い込まれる。


 腹を殴られたようにくの字に身体を曲げて崩れ落ちる襲撃者――おそらくは防弾ジャケットを着込んでいたのだろう、致命傷になった様子はない。

 その後ろにいた二人目が、エルフリーデ目がけて短機関銃を撃ちかけてくる。コンクリート製の橋の基部が砕け散る。九ミリ拳銃弾の掃射で弾痕が穿たれていく。


 次の瞬間、パシュッパシュッ、と連続して小さな銃声。

 頭から血を流して、二人目の追っ手が地面に倒れる。さらに追加の銃声――エルフリーデに撃たれた方も動かなくなっていた。

 橋の上へと登れる階段を駆け上がったリザだった。追っ手がエルフリーデに気を取られた隙を突いて、頭上から射殺したのだ。

 エルフリーデは素早く移動した。表通りから離れていて、警備任務に就いている兵士から見つかりづらそうな道を、リザと並んで走る。


「これってひょっとして、きみって仲間を裏切ってる!?」


「お姉さん、恩に着てくれます?」


「ごめん無理。きみ、怪しすぎるもん」


「ですよね」


 リザはサイドバックから無線機を取り出した。それを耳に当てると、神妙な顔で頷いた。


「――すいません、悪い知らせです。ヴガレムル伯爵がたった今、私の元仲間によって誘拐されたようです」


 無線周波数をまだ切り替えていないので、混乱している襲撃者たちの内情が筒抜け――という理屈らしい。

 エルフリーデ・イルーシャはさほどショックを受けなかった。何故かといえば今日の朝食の席で、クロガネが自ら「今後、敵によって俺が誘拐されることもあるだろう。それが狙い目だ、任せたぞエルフリーデ」と言っていたからである。

 どうしてこう、物事はよくない方に進むのだろう。そしてどう考えても無茶振りされている気がする。

 ついさっき銃撃を受け、反撃で一人射殺したとは思えない特殊合金製の精神――エルフリーデはしかめっ面で叫んだ。


「……って聞いてたけど、いや、展開がめちゃくちゃすぎる! なんでフィルニカ王国でバナヴィア人とガルテグ人がドンパチやってるんだろう!」


 リザは気の毒そうな顔で頷いた。


「伯爵を拉致する方は私も初耳です。私はエルフリーデ・イルーシャを殺せって言われただけだったので」


 さっらととんでもないことを言われた気がする。

 エルフリーデは眉をひそめた。


「わあ、衝撃的な告白だね」


「私に自爆する趣味はないですよ、お姉さん」


「うん、安心した」


 銃や刃物なら返り討ちにする自信があるけど、爆弾を使われたら流石に生身ではどうしようもない。

 二人は足を止めることなく全力で走り続けた――じりじりと日差しが照り始めた三〇度越えの気温の下、ぽたぽたと汗がしたたり落ちる。

 完全に追っ手をまいたと確信できたのは、そうして走り続けて五分も経った頃だった。

 遠くではパトカーのサイレンの音。起きてしまったことはどうしようもないが、それはそうと誤魔化しようもなく大事件になってしまった。深呼吸するエルフリーデは、ここが宿泊先のホテルからほど近い場所にある市民公園だと気づいた。

 黒髪に褐色の肌の少女は、いつの間にか、こちらにメモ書きを差し出していた。


「これは?」


「悪党どもの住処すみか。たぶんヴガレムル伯爵もそこに連れて行かれてるはず――囚われの伯爵様を助けに行く騎士様ナイトって格好いいと思いません?」


 エルフリーデはまじまじとリザの顔を見た。

 とは言っていたが、どういう理由でここまで自分に協力的なのかわからないからだ。

 そんな傷ありスカーフェイスの少女に対して、たぶん年下のリザはほがらかに笑った。


「安心して、お姉さん。ロックウェルはどうしようもないクソ野郎だけど、いきなり帝国貴族を殺すような真似はしない。たぶん伯爵はインテリだから価値があると思われてる」


「……リザ。きみは何が目的なの?」


「気にしないで、あなたには関係がないことだから――」


 エルフリーデは目を見開いた。

 どうしてか、まだよく知りもしないリザのその微笑みに、例えようもない悲しみを見いだしてしまったから。

 だが、かけるべき言葉が見つからなかった。自分とリザは偽りの身分で一緒に映画を見ただけの他人で、たぶん、まだ何も知らない間柄なのだ。

 そんなエルフリーデの様子を見て、リザは笑った。そしてぱっと身を翻して、あっという間に公園の植樹された木々の向こう側に消えていく。




「――願わくば、あなたと私が出会わないことを。もう二度とネバーモアもう二度とネバーモア




 そんな言葉を投げかけられて、エルフリーデ・イルーシャは立ち尽くすことしかできなかった。







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