とあるスパイの歓喜





 GCI――ガルテグ中央情報局という組織がある。

 その起源は比較的新しく、組織としては設立から三〇年も経っていない。ベガニシュ帝国における情報機関〈皇帝の杖〉が中世から続くことを思えば、驚くほど日が浅いと言えよう。


 もちろん情報収集や諜報活動に関しては、こういった組織が出来る前から存在しており、軍部や民間企業を通じて大小様々な工作が行われていた。

 GCIとは、そういった大小様々な部署セクションに別れていた情報収集や諜報活動を一つの組織に集約することを目的に設立された組織である。

 その目的とはガルテグ連邦にとっての国家安全保障そのものであり、ガルテグ連邦とその友邦から寄せられる情報を集積・分析し、大統領に報告するのが主目的である。


 要するに政治的にきな臭い話、陰謀やら戦争やらの噂話を聞きつけては、それが事実か虚偽かを調べて、お偉いさんに書類提出するのがその業務――ということになっている。

 こうして書くと地味なお役所仕事であり、まあそれも間違ってはいない。



――決してのが、この業界の厄介なところである。



 例えば表向き、一五年前のベガニシュ帝国の軍事侵攻によってバナヴィア王国は併合され、地図から消滅しているが――バナヴィア秘密情報部との関係は今も存続している。バナヴィア独立派という組織は決して、先の見えないテロリズムに走った過激派ではない。

 それは正しくバナヴィア王国の残党そのものであり、当然のようにガルテグ中央情報局――GCIはその活動に関わっている。

 ベガニシュ帝国と国境を接している大小様々な国々で、GCIは親ガルテグ政権樹立のため暗躍し続けている。


 民主的な選挙が行われている国ならば、政治家の育成や選挙資金の提供を通じた影響力の行使を。

 王侯貴族によって牛耳られている国ならば、反乱鎮圧や不正規戦の指導を通じた体制の安定化を。


 時に革命を煽動し、時に指導者を暗殺し、ガルテグ連邦の利益を最大化するため工作活動を仕掛ける――それもまた、紛れもなくGCIのもう一つの顔なのだ。

 ありとあらゆる手段を用いる彼らの活動は、決してガルテグ国民に受け入れられているわけではない。


 ガルテグ連邦は元々、バナヴィア王国の植民地だった新大陸入植地が独立を果たした結果、生まれた国家である。彼らは本国の王侯貴族によって税を吸い取られる搾取構造に反発して、武器を手にして反乱を起こした。


 ゆえにガルテグ連邦は、伝統的に政府の強い支配を快く思わない人々が保守派である。ベガニシュ帝国やフィルニカ王国の保守派が、王侯貴族の既得権益と保守的価値観に根ざしたもの――しばし封建制に由来する――なのに対して、ガルテグ連邦におけるそれは反体制的と言ってもいい。


 騎士の支配に対して市民革命が起きたバナヴィアが、今度は圧制者として植民地の人民に銃を向けられる側となる。そのような歴史の皮肉を交えつつ、ガルテグ連邦は戦争の末に独立を果たした。

 その後も幾度もの内戦を繰り返し、新大陸皇帝を名乗る独裁者との戦争を終わらせて――ようやくガルテグ連邦という国家、ガルテグ市民は生まれたのだ。


 であるからして、強い権力を持つ政府も、胡散臭い情報機関も好かれる要素がないのだ。

 今日の軍拡されたガルテグ連邦軍からは想像もつかないが、そもそも新大陸の人々は政府の統制下にある常備軍すら嫌っていた。

 戦争など旧大陸の権力闘争に明け暮れる腐った君主の習性に過ぎない、と新聞で説いた記事が大反響を巻き起こすぐらいには――そもそもガルテグ連邦市民は権力が嫌いなのである。

 ガルテグ連邦の国益のためならば、非情な行いを辞さないGCIが秘密主義になっていくのは必然的成り行きだった。


 そんな情報機関の支部の一つが、フィルニカ王国にも存在した。

 南部の国際都市アジャーニアの一角、港湾部にほど近い地域に建てられた賃貸住宅――高給取りの外国人が住まうため、雇われた警備会社の職員が巡回している――に、一人の少女が帰宅する。

 黒いボブカットの髪、艶々とした褐色の肌、鬼火色グリーンの瞳、白いブラウスと青のキュロットに包まれた豊満な肢体――リザと名乗ってエルフリーデに近づいた少女である。

 自国は夕刻、夜の闇があたりを包み込み始めた時分である。

 家の中に誰かがいることに気づいて、リザは顔を歪めた。



――厄介なやつが来た。



 殺してやりたいぐらい憎いが、今はまだ手を出せない相手で、ついでを言うなら直属の上司でもある男――そりゃあもう、できることなら顔を合わせたくない手合いだった。

 ちょっぴり憂鬱になってため息一つ、観念して玄関のドアを開ける。爆弾だの毒物だのが使われた形跡はない。安心してドアを開けられるというものだ。

 リザは昼間の饒舌じょうぜつさ――エルフリーデをやや引かせた――が嘘のように、表情を消して廊下を歩く。


 リビングの照明がついている。リビングのソファーには、滅多にこの家を訪れない男が座っていた。

 背の高い男だった。オールバックの金髪は自毛、青い瞳に色素の薄い肌。年齢は壮年に差し掛かったあたりで、リザとは親子ほども歳が離れている。日焼け止めクリームを肌に塗ることを忘れず、三点そろった背広をピシッと着こなす姿はできる男という感じ。

 如何にも外国人然とした容姿のそいつ――キングを名乗っていた男に対して、リザは愛想一〇〇%の笑顔を向けた。


「ハロー、


「遅かったな、リザ。さて、昼間の君の行動に対して弁明を求めたいところだ」


 よく通る低い声に、これまた愛想よい微笑み。若い頃はさぞやプレイボーイで通ったのだろうなと思わせる男――その問いかけにあるのは純粋な疑問符だけだ。

 リザは彼女の本名であり、現在の身分での愛称でもある。

 どうしてよりにもよって、要警戒対象であるエルフリーデ・イルーシャに対して、本名を名乗って触れ合ってしまったのかという至極真っ当な疑問に対して、少女は顔をしかめた。


 こっちだって好きで急接近したわけではない。命からがらバレットナイトで逃亡して、ようやくバックアップ班に拾われたと思ったら睡眠を挟んで件の作戦――偶然を装ってベガニシュ人グループに接触する――に投じられたのだ。

 成績優秀なエージェントで通っているリザは、GCIフィルニカ支部でも便利に使い倒されている。

 年頃の少女、それもフィルニカ人という条件を満たす人材がリザぐらいだったのが大きな理由なのだが――いくら何でも人使いが荒すぎる。


「元々は対象から情報を聞き出すための作戦でしたが……エルフリーデ・イルーシャに対してカバーストーリーを話すのは危険だと判断しました。彼女の反応から見て、私に対する疑念を持っているのは明らかだったため、プランBに変更しました」


「不用意に敵に情報を渡してしまったわけではない、と?」


「ヒーローコミックが大好きなフィルニカ人の女の子、というパーソナリティに嘘はありません。下手な詐称をするより危険は少ないでしょう」


 こればかりは実際に対面したものにしかわかるまい。エルフリーデは表面上とても友好的でおおらかなのに、リザでも見逃してしまいそうになるぐらいわずかに、警戒感を皮膚の下に忍ばせていた。


 あそこで当たり障りのない虚偽のプロフィールやパーソナリティを述べていれば、理屈ではない感覚で、彼女はこちらを警戒対象と見なしてきただろう。

 バレットナイトに乗ってるとき並みに厄介な相手なのだ。とてもそうは見えない――ともすれば脳天気な姿に騙さそうになるのに。

 我らがキングこと、GCIフィルニカ支部長キース・ロックウェルは、立ったまま報告するリザにその青い瞳を向ける。


「結構。また会う約束をしたそうだな?」


「ええ、明後日に。向こうは乗り気ではなかったようですが――最終的に前向きになってくれました。ここで映画オタクとして親近感を与えて距離を詰める作戦です。ベガニシュ側の情報を漏らしてくれるのを期待したいところですね」


「なるほど、ちなみにどういう予定だ?」


「朝イチでホラー映画とスパイ映画を二連続で見る予定です。午後に解散ですね」


 キース・ロックウェルは陰険な謀略で人が死ぬのを楽しめるクソ野郎だ。しかしながら娯楽に対する感性は、良くも悪くもガルテグ連邦のタフな男を体現している。

 美酒、美女、賭博こそが男らしい趣味であり、空想にのめり込むのは女子供の特権だと思っている節がある。

 なので朝っぱらから異なる映画を二本も詰め込むスケジュールは、彼にとって到底、理解しがたいものらしかった。

 首を傾げながら、ロックウェルが呟いた。


「…………それは、ハードスケジュールだな?」


「映画オタクならばこの程度は大丈夫ですよ」


 リザは素面で言い切った。ロックウェルは不安になった。


「エルフリーデ・イルーシャは映画オタクなのか?」


「――素質があります」


 二人は無言になった。自他共に認める陰謀家の男は、思案の末ににっこりと微笑んだ。それは生理的な嫌悪感をリザに感じさせるものだった。

 ロックウェルはよからぬことを企むとき、決まって「海辺に白い一軒家を買ったんだ」と美女にプロポーズする女たらしみたいな笑顔を浮かべる。

 その実、女を抱いているときでさえ頭の中はクソを煮詰めたような陰謀が性欲を凌駕りょうがしているに違いない変態だ。

 こいつに恋する連中の気が知れない、というのがリザの嘘偽らざる本音だった。


「リザ。追って連絡するが……指定したポイントに。映画が終わってからでいい、怪しまれるな」


「ロックウェル支部長、それは――暗殺ですか?」


 リザは急に方針を変えた――ベガニシュ側の出方を見るために探りを入れるという話だったはずだが――上司に対して、不信感のこもった目を向ける。

 少女の困惑に対して、ロックウェルは笑った。何も知らなければ魅力的中年男性ナイスミドルに見えたかもしれないが、その青い瞳がまったく笑っていないので台なしだ。




「――明後日、が到着する。ようやく待ちわびた日が来るということだ、役目を果たせ」




 フィルに生まれの証である褐色の肌を持つ少女は、目を見開いて固まった。

 ロックウェルがソファーから立ち上がった。リビングを出て行く後ろ姿を見送る。玄関のドアが開く音がして、すぐ聞こえなくなった。そのまま歩き去って、どこかでタイミングよく自動車に拾われるのだろう。

 誰もいない/誰も見ていないことがわかって、ようやくリザは涙を流した。

 泣き笑う。



――ああ、なんて素敵な日だろう。



 少女はそうして金庫の中に仕舞い込んでいた武器の存在を思い出す。定期的に点検しているから動作に問題はないはずだが、もう一度点検すべきだろう。

 寝室の奥に進む。ベッドの横にしゃがみ込んで鎮座する金庫のダイヤル錠を回す――開いた金庫の扉をゆっくりと開いた。

 それは一挺の拳銃だった。

 円筒型の消音装置が銃身と一体化したそれは、名を消音特殊拳銃〈ブギーマン〉という。

 人が人を殺す罪深さを煮詰めたような、暗殺のための武器を手にして――リザは約束の日を待ちわびるのだった。




――お前たちの




 すべてを呪うように、少女は微笑んだ。




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