陰謀の影






 港湾都市アジャーニアは国際的な物流の拠点であり、多くのビジネスマンが行き交い、大小様々な貿易会社の支社や倉庫が設けられている。

 都市の郊外には大規模な工場も整備されており、近年、発展著しいフィルニカ経済の原動力とも言える場所である。


 この都市において観光客や富裕層向けに整備されたショッピングモール――ちょうどエルフリーデ・イルーシャが訪れて、映画を楽しんだりしている地域――は、ほんの一角に過ぎない。


 港湾設備と物流倉庫が建ち並ぶ臨海地区、近代的建築物が建ち並ぶビジネス街、経済的な豊かさを享受する商業地区、そして大企業の生産拠点が立ち並ぶ工業地区。

 それらを整備された道路網が結ぶアジャーニア市には、当然のごとく国営企業の拠点もある。


 フィルニカ・ヘヴィ・インダストリー社の研究施設の一つ――警備用のバレットナイトが配備されたゲート――この国における重工業が国家と密接に結びついていることをうかがわせる景色。

 厳重な警備に守られた建屋一つ。強力な照明でくまなく照らされた屋内には明かり窓一つなく、外部からの盗撮を防ぐように四方を壁で守られている。


――その中央に鎮座しているのは、群青ダークブルーの塗装が施されたバレットナイトの残骸だった。


 それは、すでに電脳棺が機能を停止した状態だった。指向性高性能爆薬で跡形もなく内部構造を破壊され、朽ち果てた巨人の亡骸だ。

 五体を地面に投げ出して崩れ落ちたその機体は、物理的にハードウェアを破壊された結果、回収できるデータログがほとんどない状態だった。

 そんなバレットナイトの骸の周囲に人影が一つ。


 貴族にあるまじき格好――作業服とヘルメットと安全靴を着用、マグネット付き作業用照明器ワークライトを片手に、装甲を取り外されたバレットナイトを点検する男が一人。

 黒髪の伯爵、クロガネ・シヴ・シノムラである。


 FHI社によって全身の装甲をくまなく外され、安全が確認されたとはいえ――よもや高名な研究者としても知られるベガニシュ貴族が、作業服を着て現場に出てくると考えるものは少ないだろう。

 しゃがみ込んで人工筋肉と駆動フレームを見ていたクロガネが、背後に立っている少年の方を振り向いた。


「ふむ……人工筋肉にあとから交換した痕跡がありますね。イーリイ様、〈M4Fカフドゥ〉の使用している人工筋肉の型番はわかりますか?」


「ええ、それならこちらに」


 紙に印刷された情報が、バインダーに挟まれた状態でクロガネに手渡される。タブレット端末よりも壊れにくく、薄くて軽量な紙媒体は、現場でこそ好まれるものだった。

 印刷された人工筋肉の情報――ガルテグ連邦製〈M4Fカフドゥ〉の仕様書は、部品のライセンス生産を行っているFHI社にも当然、存在している。

 クロガネは一番知りたかった情報を知った。


「どうも、確認します……この機体は北部の山岳地帯で乗り捨てられていたそうですね」


「ええ……本日未明、爆発音のようなものを聞いた北部の羊飼いからの通報で、駆けつけた軍の部隊が発見しました。現場は険しい岩山の影になっていて、上空からでは発見が困難な場所です。おそらく時限式の爆弾が仕掛けられていたようで、搭乗者の方は発見できませんでしたが……」


「ダークブルーのバレットナイトは、ちょうど北部トゥルバリス市郊外でエルフリーデが交戦した敵――正体不明機と特徴が一致します」


「……エルフリーデ卿に撃退されたあと、軍の哨戒網を突破して機体を乗り捨てた、と?」


「バレットナイトの機体サイズと機動力であれば、北部の山岳地帯を単独で踏破することは十分に可能かと。おそらく搭乗者はその後、共犯者によって回収されたと考えられます」


 つまるところ正体不明機の搭乗員は、まんまと逃げおおせて今もフィルニカ国内に潜伏している可能性が高い。

 突如として決行されたクーデターによって国王派も混乱していた未明の出来事である。あれから丸一日かけて相当な距離を移動したと仮定した場合、どこでピックアップされたか特定するのは無意味だ。

 軍による封鎖はかなり遅くなってからようやく行われたし、経済活動を停滞させたくない政府の意向もあって、クーデターの影響が少なかった南部では平常通りに車両が通行していた。


 いくらでも逃げおおせられる、というわけだ。時限式爆弾で破壊されたバレットナイトは、文字通り、用済みになって乗り捨てられたのだろう。

 クロガネは残骸から読み取れる情報をあらかた、検分し終えた。立ち上がった彼は、黄金色の瞳に一つの疑念を浮かべている。

 それを言うか言うまいか迷ったタイミングで、人懐っこくラトが話しかけていた。


「お疲れ様です、伯爵。あなたにこうして調査を手伝っていただけて、とても助かります。正直なところFHI社は、まだまだバレットナイトの分野では未熟ですからね」


 灰色の髪、褐色の肌、彫りの深い顔立ち――国王であるロガキス・ウル・クナトフと共通の特徴――そしてクロガネの記憶にあるイシュヴィム王ともよく似ている容姿。


「このような情勢下で私のような国外の貴族を参加させるとなると――少々、面倒なことになるのでは?」


「ははは……僕の気苦労など、国王陛下に比べれば軽いものですよ。これはベガニシュ側との情報共有という意味もあるのです」


 口ぶりから察するに、ラトにはこの件でかなり大きな発言権があるようだった。それが王家の血によるものなのは明白だが、イシュヴィム王の忘れ形見にそこまで大きな発言権があること自体が驚きだった。

 クーデターで玉座を奪った側が、飼い殺しにするわけでもなく、ラト・イーリイ・クナトフのような存在を重用している。

 どうやらこの国の内部事情はクロガネが想定していたよりも、良好なようだった。


「奇妙なことです。率直に申し上げて――イシュヴィム王と国王陛下の関係を考えれば、あなたの立場はもっと複雑なものかと」


「ははは、ヴガレムル伯爵は本当に偽りのない御方ですね」


 クロガネの言葉はあまりに正直すぎたが、そういう点がむしろ、ラトのような若者にとっては好感度が高いことを知っているがゆえのものだった。

 貴族社会の伝統儀礼プロトコルは時として、その中で異端視される出自のものにとっては残酷だ。

 こちら側がそこからはみ出すことで親近感を湧かせるのもまた、立派な人心掌握術である。そういうクロガネの配慮に気づいていないのか、ラト少年は照れくさそうにはにかんだ。


「陛下と僕は遠い親戚なのですよ。信じていただけるかはわかりませんが、僕自身に権力の座を目指そうという気はありません――こうして自由な権限を与えられ、自分の得意分野を生かして暮らせるだけで満足なんですよ」


 おそらくラト・イーリイ・クナトフの言葉に嘘はなかった。

 科学技術に造詣が深い貴族とこうして技術的な話ができているというだけで、彼にとっては貴重な体験らしい。

 おかげで、かなりクロガネに懐いているようだった――不死者はその信頼に対して応じることにした。

 自らの中で固まっている疑念を、ゆっくりと口にする。


「この機体はガルテグ連邦本国仕様の〈M4パートリッジ〉がベース機と推測されます。部品単位で製造番号が念入りに消されており、出自を確かめることは不可能です――よって逆説的にまともな組織が運用していたものではない、と結論が出ます」


「……山岳猟兵や反国王派の藩主の手勢ではない、と?」


「フィルニカ王国で手に入る機種の中で、最も性能が高いのは〈ホーラドーン〉タイプですが、実質的にはガルテグ連邦から輸入している〈M4Fカフドゥ〉が主力機です。そしてこの機体は〈M4パートリッジ〉の輸出仕様でもあります。ガルテグ連邦とフィルニカ王国の深い関係ゆえと言えるでしょう――国内勢力にとっては、いずれにせよ〈M4Fカフドゥ〉タイプだけが選択肢になるはずです」


 クロガネの言葉をじっくりと噛みしめて、ラトが目を見開いた。言外に彼が言わんとすることの意味を理解したのである。

 ラト・イーリイ・クナトフは無邪気な軍事好事家ミリタリーオタクであり、戦車やバレットナイトのスペックや開発経緯をそらんじられる人種だ。

 だが、年若い少年はその無垢さゆえに――政治的視点で見たとき生じる、バレットナイトの残骸の不気味さに気づくのが遅れた。

 性能的には陳腐なマシンでありふれているのだ――外国で生産されたものを持ち込まなければ、フィルニカ王国の中にあるのがおかしいという点を除けば。


「…………我が国に、輸出仕様ではないガルテグ連邦製バレットナイトがあること自体がおかしい……では、まさか」


「……レディ・ノーラに連絡させていただきたい。この一件は我々だけで解決できるものではない可能性がある」


 ヘルメットを外して、クロガネ・シヴ・シノムラはため息をついた。

 ベガニシュ帝国とガルテグ連邦の間でここ数年続いていた大陸間戦争は、停戦協定が結ばれて長らく停滞している。クロガネの入手している情報では、和平条約の調印は秒読み段階にあり、それが大々的に発表される日も近いだろう。

 よりによってこんなときに、ベガニシュ帝国と国境を接する大国を不安定化させようという陰謀とは。

 このような手口について、不死者は見覚えがあった――凍り付いたラト少年に対して、彼は答えを投げかけた。







「GCI――の関与が疑われます」














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