リザという少女





 片目を前髪で隠した少女は、エルフリーデの視線に気づいてこちらに目を向けてきた。

 目が合ってしまう。


「あれ…………?」


 きょとんとした表情の少女が、数秒、エルフリーデの顔を眺めてくる。映画の上映が終わった劇場から少しずつ観客が外へ出て行く中、ぽつりと声がこぼれた。


「…………剣の悪魔デーモン・オブ・ザ・ソード?」


 敵意のない言葉だった。褐色の肌の黒い髪をして、片目を前髪で隠した少女がすすっと近づいてくる。

 知らんぷりをするタイミングを逸した。絶妙な間合いの詰め方である。戦地で白兵戦を繰り返し、無双の強さを誇ったエルフリーデ・イルーシャが機を逸するほどの自然さ。

 その事実に傷ありスカーフェイスの少女が戦慄していると、首を傾げながら上目遣いでこちらを見てくる

 豊満な胸元を白いブラウスが覆った異国の女の子は――美少女だった。

 これまでエルフリーデの出会った美少女たちと比較してみる。その一位が妹ティアナ・イルーシャであることは揺るぎないが、ランキング・ベストファイブくらいには余裕でランクインするだろう。



――恐るべしフィルニカ王国。



 わけのわからないエルフリーデの思考を余所に、褐色肌の少女が声をかけてきた。


「あのっ、世界の最強英雄シリーズ第八弾にだけ封入された超レアキャラのエルフリーデ・イルーシャさんですよね?」


 知らない単語だらけだった。

 エルフリーデは困惑のあまり、よせばいいのに声を漏らした。


「え、何それ」


「ご存じないんですか? あっ、すいません……ベガニシュの方がこっちにいるとは思わなくて、つい……エルフリーデさんで合ってますよね?」


 どうしよう、知らない女の子に何故か顔が割れている。周囲の観客はもちろん、見知らぬ少女の発言に反応していない。

 別にエルフリーデ・イルーシャの顔が異国の地でも知れ渡っている、というわけではなさそうだ。

 しかしこの知らない女の子、なんだか知らないがぐいぐい距離を詰めてくるではないか。その腰は低いのに間合いを詰めるのは妙に上手い立ち回りに翻弄され、エルフリーデはうめいた。


「ううっ……えーっと、まあ、そうです。はい」


 誤魔化すことも考えたが、ここまで確信を持っている相手を煙に巻くのは至難の業だろう。少女は自分の演技力をよくわかっていたので、慣れない嘘をつくほど無謀ではなかった。

 というかまず、世界の最強英雄シリーズ第八弾なる単語の意味が気になって仕方がない。

 エルフリーデが戸惑いながら頷くと、見知らぬ少女は我が意を得たりと笑顔を浮かべた。


「やっぱり! 私、実はあなたのファンなんです――実は父が輸入商をしておりまして、こう、こういうものの収集家コレクターをしてます!」


 敵意、殺意、害意その他の危険な兆候はない。エルフリーデはそれゆえに少女の不審な行動――サイドバッグをごそごそと漁る――に反応しなかった。

 ぬるっと透明なスリーブケースを差し出す少女は得意満面で、如何にも平和ボケしきっていますという感じ。


 そこに挟まれているのは、はがき大の肖像写真だった。

 印画紙に焼き付けられたカラー写真は、軍の広報写真が元のようで、軍服を着た見目麗しい青年たちが映っている。

 数年間続いた大陸間戦争は、ベガニシュ帝国とガルテグ連邦双方の民衆に厭戦えんせんムードを広げていった。当然、何とかして民意を戦争活動に寄り添わせたい御上は、プロパガンダに余念がなかった。


 その施策の一つとして試みられたのが、バレットナイト搭乗者のうち、戦果が華々しいものをエースとして喧伝する手法だ。

 バレットナイトは従来の戦闘車両と異なり、単座の有人機動兵器であり、姿形も人型をしていて如何にもそれっぽい――要するに一個人に名声を集約して、英雄として祭り上げるのに都合がいい兵器なのだ。


 どうやらガルテグ連邦の軍人らしい男たちの写真に混じって、ぎこちない微笑みを浮かべている少女の写真が一枚。

 濃い茶色のウェーブしたミディアムヘア、白い肌、ぱっちりした目と赤い瞳、そして左目から頬にかけて走った傷跡――誰がどう見てもエルフリーデだった。

 軍服姿の少女は素晴らしい美少女だったが、表情に「勘弁してほしい」という気持ちがにじみ出ていた。


「防水加工したブロマイド? こんなものどこで――」


「ガルテグ連邦で売ってるんです! いやーお姉さん写真より可愛いですね! 向こうの雑誌でも軍事オタクに密かな人気あるらしいですよ!」


 何故だろう、この子テンションが高すぎる。

 どうやら世界の最強英雄シリーズとはそういう名前のブロマイドらしく、勝手に敵味方の有名エースを写真に焼き付けて販売しているようだ。

 これまで少女に金銭が入ってきたことはないので、バリバリの無断販売だった。

 エルフリーデは形容しがたい表情になった。


 まだベガニシュ帝国で顔が売れているのは納得できる。政治的都合でプロパガンダとして宣伝するのは中止されたとはいえ、三三二一独立竜騎兵小隊の〈剣の悪魔〉と言えば、ちょっとした有名人である。

 しかしどうして自分に蹂躙され、数多の若い命を戦場に散らした敵国の人間がブロマイドをありがたがっているのだろう。


「知りたくなかった……え、っていうか敵国なのに!? なんで勝手にグッズにされてるの!?」


「あはは、敵国の美少女エースとかネタにされるに決まってるじゃないですか。当然、宣伝写真もフリー素材ですよ。流石に戦地の兵隊さんに失礼すぎるって理由は第八弾はすぐに販売中止にされちゃったので超レアなんですよね」


「クソッ、わたしをプロパガンダに使った奴ら全般が許せない……!」


 もとはと言えば、エルフリーデ・イルーシャを使などと判断したベガニシュ帝国のお偉方が悪い。

 そのせいで広報写真を撮る羽目になって、それがどういうわけか敵国に流れ着き、無断でグッズ販売されるに至っているのだ。

 中々に衝撃的な事実を前にして、エルフリーデは心から悔しそうにうめいた。

 そしてふと気づく。

 自分はどうやら、目の前の女の子の名前を知らないということに。

 赤い瞳がじっと異国の少女を見つめると、はたと気づいたように彼女が微笑んだ。


「――そっか、まだ名乗ってませんでしたね! 私はリザって言います」


「リザさんか。いい名前だね。何か少し武術とかをたしなんでたりする? なんとなーくなんだけど、そんな気がして」


「はいっ、父に勧められて護身術をたしなんでいます! これでも道場では負けなしなんですよ……!」


 嬉しそうに笑うリザが嘘をついているようには見えなかった。

 そして自分が覚えた違和感が解消されていないことを根拠に、答えを出さずに保留する。

 エルフリーデはそういう用心深さを微塵も感じさせぬ笑顔で――むしろこの会話を楽しんでいるのも本当だ――リザに話しかけた。


「リザさん、ひょっとしてトゥモローマンが好きなのかな? すごい感動してたみたいだけど」


 そう指摘するとリザは一瞬、ばつが悪そうな表情になった。浮かんだ表情はかなり気まずそうなもので、それを誤魔化すように褐色肌の少女は笑った。


「あはは……ちょっと恥ずかしいですね。実は原作コミックからのファンでして……今回のホープ・オブ・トゥモローは劇場で見る初めての完全新作だったんです。おかげでなんか泣いちゃって……」


 原作コミックがあったらしい。そういう前情報自体、知らないままなんとなく映画を見に来たエルフリーデは、熱心なファンを前にしてちょっと居心地が悪くなった。

 そういう彼女の動揺を感じ取ったのか、リザ――エルフリーデより何センチか背が低い、たぶん一六〇センチあるかどうかだろう――はぐっとブロマイド入りスリーブを握った手を胸元に寄せた。

 すごい力説の気配がした。


「連邦のヒーローコミック、面白いんですよ? 空飛ぶ鋼の男――人呼んで未来の希望ホープ・オブ・トゥモローが、どんな巨悪も倒しちゃうんです。これがかっこいいんですよー」


「そうなんだ。原作があること自体、わたしは知らなかったよ。リザさんって結構、ガルテグの文化に詳しかったりする?」


「ええ、父がお土産でいろいろ買ってきてくれるんです。本当は弟たちへのお土産なんですけど、私の方がはまっちゃって。お姉さんはこういう映画はお好きですか?」


 家族関係――貿易商の父親、ヒーロー活劇を好む年頃の弟が複数いる。見た感じかなり裕福な家庭の生まれなので、警戒心が薄くそれが遠慮のなさに繋がっているのだろうか。

 わからない。フィルニカ王国の富裕層の常識というやつが、エルフリーデにはないのである。

 だから自分が覚えた言いようのない違和感が、文化的障壁によって生じたものなのか、もっと根源的なものなのか判別できない。

 そういう言葉にならない感覚をぐっと堪えて、傷ありスカーフェイスの少女は微笑んだ。


「うん、ファンタジーとか空想科学ものは好きだよ。遠い次元の壁を隔てた異世界で生まれた、っていうトゥモローマンの出自がよかったね。なんていうか厳密な科学考証では違うんだろうけど、わくわくする世界だったよ」


「よかったぁ! あ、お姉さん、そのぉ……もしよければ、なんですが。このあとってお時間大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫だよ」


「よかったぁ……できればトゥモローマンについて語りたくって! でも家族はヒーロー映画好きじゃないみたいで、ちょっと待ち合わせの時間まで付き合っていただけたら……」


「まさかフィルニカに、わたしの顔を知ってる人がいるとは思わなかったし――これも何かの縁だね、いいよ」


 そういうことになる。

 リザを見る。ボブカットの黒髪はさらさらとしていて、毎日お風呂に入ってシャンプーして、リンス剤をしっかり使っている子のそれだった。

 この時点で身なりにはかなり気を遣っている。髪と肌は嘘をつかない。一日二日、身綺麗にしただけでは荒れた髪質や皮膚は誤魔化せないのだ。

 少なくともティアナを可愛がるエルフリーデぐらいの手間暇をかけているのは間違いない。

 よもやお金持ちというわけでもない自分を狙って、詐欺を仕掛ける相手がいるとも思えないが――そういう可能性を頭の隅に残しながら、エルフリーデは笑顔でリザの後ろをついて行った。

 ドアマンが笑顔で劇場の扉を閉める。

 VIP専用ラウンジに二人して入り、無料サービスのドリンクをボタンスイッチで注文する――すぐさまVIP専用従業員がVIP専用ドリンクの入った器を持ってくる。

 リザは堂々としていて、こういうお金持ち向けのサービスに慣れているようだった。


「わたしはよく知らないけど、トゥモローマンって原作もああいう感じなの? 悪党をやっつける正義の味方って感じ?」


「そうですね――まあトゥモローマンって悪の金持ちにはいつもボコボコにされてるんですが。ヒーローコミックも意外と世知辛いのです」


「え、意外だなあ。異世界の超人なのに、ただのお金持ちにやられちゃうんだ?」


「そこがトゥモローマンの奥深いところなんですよー。悪人の方が、人間に作れる武器と悪知恵で超自然的な立ち向かうんです。もちろん悪いやつなので大概、トゥモローマンの方が正しいんですけどね。人間くさくて劣等感があるから、悪人の側が好きだって人もいますよ」


 いくつか確信できたことがある。

 エルフリーデ・イルーシャはどこか、このリザという少女に対して違和感を覚えていたが、それでも自分への害意は感じない。

 そして何より、空飛ぶマントの超人――トゥモローマンという存在に対して、リザが向ける憧憬は本物だった。これが作り物や嘘偽りなら、そもそもエルフリーデの目がすべておかしいということになるので間違ってはいないはず。

 豊かな胸元に手を添えて、ぐっと拳を握って熱く語るリザは、鬼火色グリーンの瞳に熱烈な愛情を浮かべていた。


「ですが悪党の勝利に二度はないネバーモアのです、どれだけ痛みを背負っても、最後は正義の味方が勝つ……そこがいいんですよ、ヒーローものは。うちの弟たちは人間不信の暗黒の騎士とか好きなので参っちゃうんですけどねー」


「あー、ちょっとわかるかも。ベガニシュにも怪傑ヌル卿っていうシリーズがあるんだけど――闇から闇に現れて、人知れず悪を討ち取る義賊ってやつだね。男の子はなんか知らないけど、そういうダークな作風に惹かれる時期あるんじゃないかな?」


「お姉さんも弟さんがいるんですか?」


「いやいや、うちのは妹だよー。世界一可愛いんだ、これが。もちろん暫定ざんてい二位の美少女はわたしだけど」


 無闇矢鱈むやみやたらと高い自己評価だった。あはは、とリザが笑う。

 流石に本気でそんな自己評価の人間いるわけないので、エルフリーデ流のジョークだと思ったのである。それはたぶん幸運な誤解だった。

 ここにクロガネ・シヴ・シノムラがいたなら、無言で頷き「お前の自己愛と姉妹愛の癒着ゆちゃくには奇妙な感動すら覚える。重傷だな」と辛辣しんらつなコメントを残していったことだろう。

 それからしばらく、エルフリーデとリザはいろいろなことを喋った。映画のこと、趣味のこと、家族のこと。

 そこには嘘偽りはなく、ただ穏やかな時間が過ぎていた。

 壁掛け時計を見て、リザが名残惜しそうに立ち上がった――家族との待ち合わせ時間がやって来たのだろう。

 異国の少女はしばらく悩んだ末、こちらを見てこう言った。


「そうだ、お姉さんってしばらくこちらに滞在されるんですか?」


 エルフリーデは首を傾げた。


「うーん、どうだろう。どうして?」


「おすすめの映画があるんです。もしよければ、またご一緒できたらなーと思いまして。ぶっちゃけ私が暇を持て余してるので、明後日にでも如何いかがです?」


 さて、どう答えたものだろうか。

 そもそも自分がいつまでフィルニカ王国に滞在するかなんて、エルフリーデ自身知らなかったけれど――もし知っていたとしても、情報管理の必要性上、リザに対して口にすることはありえない。

 だが、クロガネの方はどうやらいろいろと仕事を抱え込んでいるようである。そうなるとヴガレムル伯領に帰国できるのがいつになるか、わかったものではない。

 エルフリーデは迷った末、とりあえず尋ねてみることにした。


「うーん、興味はあるかな。どういう映画なの?」


 リザは我が意を得たり、と頷く。

 清楚なフリル付きブラウスと青のキュロット、褐色の肌を引き立てるオシャレな格好で弾けるような笑顔を向けてきた。




「――暗黒異次元生物が人間に寄生してですね、輸送船の中が大変なことになるんです! 斬新なクリーチャーデザインと空想科学映画として優れたプロップ・デザイン……間違いなく映画界に革命をもたらすと思います! ちょっとグロいですが、上品なグロテスクさですし」




 がっつりホラーのお誘いだった。

 そして熱の入った言葉からは、リザが本気でその映画をおすすめしているのが伝わってくる。

 エルフリーデは別段、グロテスクな表現が苦手な方ではない。戦地ではもっと悲惨な死に方をする兵士を見てきたし、自分が撃ち込んだ砲弾がそういう惨状を作るのも知っている。

 人間だって生き物なので、そりゃあ壊れたら悲惨なことになるだろう、と思う。

 であるからして純粋な疑問を持った。このフィルニカ人の少女が、どうして見てきたかのように映画の内容を語れるのか、と。


「そのホラー映画……でいいのかな? リザさんは口コミとかで?」


 リザはきょとんとした表情になった。そして首をひねった末、心底、不思議そうな声音でこう言ってきた。


「えっ、気に入った映画は何度でもリピートするのが映画ファンのたしなみですよね?」


 エルフリーデは今、自分が所詮は流行に左右される一般人の側だと悟った。何故だろう、ここ最近、何かしらに熱心な好事家にばかり出会っている気がする。

 少女は戦慄して目を閉じると、深々と頷いた。






――……!






 妹愛者シスコンの変人は、自分を棚に上げてそう断じた。







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