ガール・ミーツ・オタクガール






 先王イシュヴィムはあらゆる意味で今のフィルニカ王国を作りあげた人物である。

 その五〇年に及ぶ治世はあるものにとっては黄金時代であり、あるものにとっては腐敗と堕落をもたらした忌むべきものだ。

 内政面での評価は綺麗に真っ二つになる類の君主だが、ともあれ、ありとあらゆる知識人の間で一致する見解がある。

 イシュヴィム・ウル・クナトフとはクナトフ王朝最強の英雄であり、おおよそ戦争では負け知らずだった。


 フィルニカ国内の押さえである王立航空騎兵隊は外征では使用されなかった――それゆえにこの数百年間、諸外国は航空機による対地攻撃という戦術を発展させようともしなかった――が、イシュヴィム王は陸軍の指揮において並ぶものなき将なのだ。

 彼はまずバナヴィアの支援を受けて武装蜂起した反乱軍を鎮圧し、これを好機と見た貴族たちの諸藩連合軍を粉々にして、さらに侵略してきたベガニシュ帝国軍を返す刃で壊滅させた。

 人呼んで戦争に愛されしもの、絶対勝利者イシュヴィム。

 当時、国内の統制がボロボロになっていたフィルニカ王国で、若き王は唯一無二の君主であり、人民と貴族と敵国の軍すべてを蹂躙じゅうりんした。

 それはもう強すぎた。


 如何なる不穏分子も外国勢力も、フィルニカ王国クナトフ王朝を脅かすことはできないのだ、と証明してみせたのだ――そして当然のごとく彼は大鉈を振るって敵対者を粛清した。

 反乱に関わっていた何万もの市民が処刑された。玉座を狙っていた貴族もことごとく処刑され、その財産や領地を王家に差し出すことになった。

 それは凄惨極まりない流血を伴ったが、同時に分裂しかかっていたフィルニカ王国を一つの政体にまとめ上げる絶交の機会だったのだ。

 すなわち中央集権化。


 バナヴィア王国が救国卿ロード・セイヴィアの革命でやっと成し遂げ、ベガニシュ帝国が今もなおそれを成し遂げようと手を伸ばしている目標。

 それをイシュヴィム王はたった一代でやってのけたのである。少なくともこの点において、彼は決して軍事しか能がないわけではなかった。

 むしろ卓越した内政手腕だと言えるかもしれない。


 だが、彼は強すぎた。

 生ける伝説は後継者に恵まれず、その輝ける王冠はいつしか、取り巻きの腐敗によってぐずぐずに落ちていった。

 悪法がまかり通った。貴族と金持ちは税金を免除された。司法は公平を欠いた。そしてその悪政に苦しむ人々の声は王の耳に入らぬよう、巧妙に遠ざけられていった。

 かくしてイシュヴィムの統治からは人心が離れていき――その甥である王族ロガキス・ウル・クナトフがクーデターを起こしたのは必然だった。

 流血。

 フィルニカの歴史は、常に流れ出る血でしか前に進むことがない。

 この天球世界に存在するあらゆる国がそうであるように。



――記憶が長すぎるのも考え物だな。悲劇ばかり印象に残ってしまう。



 であるからこそ人間の記憶は時に信用がならない。真実を語るに足るのは、統計的事実に他ならないのだ。

 時刻は午前一〇時過ぎ――湯上がりにバスローブをまとった男、クロガネ・シヴ・シノムラは今、フィルニカ南部の都市アジャーニアに滞在している。

 男は今、熱いシャワーを浴びて身を清めたところだった。

 クロガネは部屋に備え付けてある電話機を手に取った。当然、盗聴はされているものと判断して、一般回線で然るべき連絡先に繋いだ。

 電話口に出たのは、どこか大仰な喋りの家令であった。

 機械卿ハイペリオン――かつて旧文明の手で製造された低倫理型人工知能の人形である。


「俺だ」


『――ご無事でしたか、旦那様』


「ああ、そちらはどうなっている?」


『ええ、ええ、仰せのままに準備は万全でございます。しかし、あなたの言うとおりに事態が推移するものでしょうか、クロガネ?』


 お互いに具体的な固有名詞を言わない会話は、フィルニカ王国側に盗聴されている可能性を危惧してのものである。

 こういった事態――大型トレーラーやバレットナイトを取り上げられ、監視下に放り込まれる――を想定して、今回、彼らが持ち込んだのは一世代前の古い技術ばかりだった。

 もちろんヴガレムル伯爵の秘密の透明化技術だとか、専用秘密回線の通信機だとかの出番はないのである。

 クロガネは自らの共犯者の問いかけに対して、ため息をついた。


「残念ながらすでに、我々は事件の渦中にある。ベガニシュとの国際通話が封鎖されていないならば、国王によるフィルニカ国内の掌握は順調なのだろう。が問題だ」


『ふーむ、念のためにお尋ねしますが。エルフリーデ・イルーシャ様はお元気ですか?』


 クロガネはばつが悪そうな表情になった。その顔色は電話越しには伝わりようもなかったが、ハイペリオンにはお見通しのようだった。

 件の少女は今、都市アジャーニアの富裕層・観光客向けのエリアに出かけている。当然、フィルニカ王国側の監視はあるだろうが、外出禁止などで軟禁はされていないのだ。

 本当ならばクロガネも一緒に出かけるべきだったのだろうが――生憎、心配性の男はこうして次の事態に備えねばならない。

 その結果、少女騎士の機嫌を損ねたとしても、致し方ないことなのである。


「エルフリーデならば安全だ。彼女の生存に関する勘は、時として我々の予想を超えたものがある」


『おお、多感な年頃の乙女の気持ちをわかっていながらその物言い……流石ですクロガネ、平常運転のようで安心致しました』


 クロガネは咳払いして話題を変えようとした。

 空しい抵抗だった。







「うわー……すごい人混み……」


 エルフリーデ・イルーシャは今、日中の街中にいた。

 活気に満ちた市街地は、身綺麗な人々でごった返している。フィルニカの民であろう彼らは、褐色の肌をしているが、服装の方はさほどベガニシュ帝国の中流階級と変わらないように見えた。

 エルフリーデが事前にガイドブックで見た写真のように、民族衣装を着ている人はどちらかというと少数派に思える。

 街並みも近代的な高層建築が並んでおり、色鮮やかな看板が立ち並ぶ街並みは雑然としていたが決して猥雑ではない。

 ただ一つ、平時と異なるであろう点があるとすれば――街の各所に、自動小銃を手にした兵士が立っていることだろうか。

 とはいえ道行く人々はそれをほとんど気にしていない。まだ先のクーデターの発生から丸一日しか経っていないというのに、兵士の側もリラックスしている。

 テイクアウトの飲食物を手にして口にしている兵士も、ちらほらと見られるぐらいだ。

 すごく平常運転という感じだ。



――なーんか、ちょっと緊張してたわたしが場違いだな。



 それもそうか、と思う。ベガニシュ人の少女が一人で出歩くことが許可される程度に、この新市街エリアは治安がいいらしい。

 見れば肌をさらした被覆面積の少ない服装で、街を歩いている若い女性もちょこちょこ見かける。

 国際都市アジャーニアで最も治安がいい地域、という前評判に嘘偽りはないらしかった。日が暮れる頃にはホテルに戻るよういわれているが、それを守る分には問題はあるまい。

 おそらくクーデター未遂による治安の不安定化が起きていない――それほどまでにこの反乱は失敗したということだ――ことと、それでも一応は街中に兵士が立っているせいで、平常時より犯罪に巻き込まれるリスクが小さくなっている。



――とはいえ調子に乗って街の外れとかは行っちゃダメだな。



 結局、クロガネとエルフリーデはあの電車内での会話から一日中、列車に揺られることになった。国王肝いりで整備された高速鉄道の速度を持ってしても、フィルニカ北部から南部までの広大な距離を移動するのは骨が折れたのだ。

 南部の都市アジャーニアに着いた頃には、すっかり日も暮れていて、そのままフィルニカ政府が用意した高級ホテルに直行した。

 それでばっちり一晩、熟睡したのであるが――翌日にはもう、ホテルの周辺の治安のいい地域であれば出歩いていいと許可が出ていた。


 元気いっぱいのエルフリーデは、クロガネに街を見て回らないかと声をかけたのだが――存外、伯爵様は忙しいらしく、こうして一人で街をぶらつくことになった。

 エルフリーデは今、現地調達のカジュアルな格好である。

 頭にはつばの広い帽子を被って、大きめのゆったりした長袖のシャツに丈の長いジーンズ姿、そしてコンパクトなポーチを肩に引っかけている。


 ガイドブック片手に街を歩く――なんて観光客丸出しの所作はしない。きょろきょろ周囲を見回すのも、こういう場合は悪目立ちするからNGだ。

 エルフリーデ・イルーシャは如何にもアジャーニア市に住んで長いです、というすまし顔で人の流れに乗った。

 それにしても暑い。

 どちらかといえば荒涼としていて、夜風など寒いぐらいだったフィルニカ北部とは大違いである。

 アジャーニア市は港湾都市である。大陸南方の大洋に面しているから、湿度も高ければ気温も高めで、まだ春先だというのに汗ばむぐらいだ。



――いや、っていうか暑すぎ。



 左目から頬にかけて走っている傷跡を、汗の雫が伝い落ちていく。

 少女のちょっとしたカジュアルな服装は、街に出て三〇分と経たずに滝のような汗が染みこんでいた。

 寒冷なバナヴィア北部の生まれで、今はこれまた涼しいヴガレムル伯領に住んでいるエルフリーデはさほど暑さに強くはない。

 大陸間戦争で東海岸の戦線に動員されたときも、夏場は地獄みたいなところだと思ったが――まあ基本的に竜騎兵小隊は、基地以外ではバレットナイトを降りないので問題はなかった。


 だが、このフィルニカ南部はどうだろう。

 暑さがすごい。

 湿気もヤバい。

 むわあああ、と逃げ場のない熱気が、全身の肌にまとわりついてくる。

 フィルニカはちょうど春から暑季に突入し、じりじりと気温が上がっていくシーズンだった。軽く三〇度を超えて三五度に達する気温は、暑さに適応できていないバナヴィア人を殺しにかかっていた。

 街を歩いて見て回ろう、という観光気分はぽっきりへし折れた。

 下手をすれば熱中症で倒れかねなかった。



――もう嫌だ、歩きたくない。



 ぬるくなったコールドドリンクの容器に口をつけながら、エルフリーデは死にそうな顔で周囲を見回した。

 事前にクロガネからお小遣いとして――あの男は時々、自分のことを小さな子供か何かだと思っている気がする――現地通貨はもらっているし、フィルニカ側からも使い放題のクレジットカードを渡されてもいるので、飲み食いに困ることはない。

 しかし根本的に心が折れてしまったエルフリーデは、のろのろとした足取りで近代的建築物に吸い込まれていった。

 そう、冷房が効いている施設で過ごしたい気持ちが抑えきれなくなったのだ。

 建物の出入り口付近には、色とりどりの看板にポスターが張り出されていた。



――映画館かあ。



 どうやら目の前の建物は映画館らしい。クーデター未遂が一日前に起きたばかりでも、娯楽産業は平常運転で稼働していて、エルフリーデと同じく涼を取りに来た市民が吸い込まれていく。

 残酷なぐらいに彼らはこの国で起きた反乱に興味がなく、どうやって自分たちの日常を過ごすかにしか関心がない。

 クーデター未遂の起きた北部から二〇〇〇キロ以上離れているとはいえ、ここまで無関心だといっそ薄ら寒いものがある。

 エルフリーデはそんな雑感を抱きつつ、ふらふらと映画館に入っていった。


 甘い香りがした。まず真っ先に売店でドリンクを買う。

 トロピカルジュースなる文字が読めたので、きんきんに冷えたそれをLサイズで注文。褐色肌の店員が笑顔で差し出してくるドデカい紙コップを手にして、エルフリーデは映画館の待合席に腰掛けた。。

 ドロッとして甘くて酸味もある果物ジュースだった。

 大いに結構。


 美味しい。喉がうるおう。バカみたいな猛暑で火照った身体が冷えていく。テーブルに突っ伏したいぐらい消耗していたエルフリーデは、自分が今、ようやく人心地着いたことを知った。

 さて、と明るい映画館の中を見渡す――どうやらここは富裕層向けの映画館らしい。

 建物自体がかなり真新しく、大きな建物一つの中に複数のシアターを備えることを売りにしている。複数のスクリーンを持っているから、営業時間中はひっきりなしに異なる映画を上映できる、というわけだ。


 これは大陸諸国ではかなり珍しい形式で、エルフリーデの記憶にある限り、バナヴィア領にもベガニシュ帝国にもさほど作られていないはずだ。

 新大陸のガルテグ連邦発祥のシネマコンプレックスと呼ばれる形式――フィルニカ王国が文化的にも資本的にも、かの大国の影響下にあることをうかがわせる――だった。

 派手派手しく煌びやかな照明で彩られていて、そこら中に飲食物を売る店が並んでいて、如何にもガルテグ式の資本主義を感じさせる。



――まるでデパートみたいなところだなあ。



 今はもう滅んでしまった国だが、元来、バナヴィア王国は映画発祥の地である。首都を中心として映画撮影の文化は多様に花開いており、ラブロマンスから冒険活劇、前衛的な芸術作品まで幅広い映像がバナヴィアで生まれた。

 さらにバナヴィアを併合したベガニシュ帝国も、かなりの数の映画が撮られている国である。

 愛国的なプロパガンダ制作を起源とする映像産業――隣国であるバナヴィアの影響を強く受けて娯楽として大衆に受け入れられ、やがて大陸最大規模を持つに至ったそれ。

 元々のベガニシュ演劇文化などの文脈も拾った結果、ベガニシュ映画は比喩表現を用いたシナリオで独自性を発揮するようになった。

 ホラー映画、ファンタジー映画、SF映画の名作を観たければベガニシュ映画が手堅い、というぐらいに名作が多い。


 ちなみにここまでエルフリーデ・イルーシャが映画に詳しいのは――もちろん映画が好きだからである。

 バナヴィアが併合されて占領統治下にある時分、ベガニシュ帝国によるプロパガンダ作品も多かったが、民心の慰撫を兼ねて格安で名作映画が上映されてきたのだ。

 帝国は疑う余地なき圧制者であり、その統治はバナヴィア人を迫害していたが、それはそうと彼らの作る映画は面白いのだ。

 悔しいが予算的スケールで小規模にまとまってしまうバナヴィア映画に比べて、エンターテイメントとしての完成度は高い。



――映画って言ったら庶民の娯楽だと思ってたんだけどなぁ。



 どうやらフィルニカ王国では事情が違うようである。

 見るからに質の違う生地の衣装を着た、お金持ちという感じの男女が連れ立って入場ゲートの向こうに消えていくのが見えた。

 天上から斜めに突き出された電光掲示板には、本日、上映予定の映画がずらりと並んでいる。

 ひんやりと冷えた空調を浴びて冷たい飲み物を飲んで一息つくと、エルフリーデは好奇心がむくむく育っていくのを感じた。


 せっかく外国に来たのである。異国の映画館を体験してみるのも悪くない――どうやら富裕層のシアターで衛生的な問題とかもなさそうだし、二時間ぐらい時間を潰すのもいいのではないだろうか。

 電光掲示板のデジタル時計には、現在時刻はお昼前と表示されている。どうせ今からご飯を食べる店を探しても、ランチタイムとぶつかって混み合うのは確定なのだ。



――よし決めた、ここで映画観てみよう。



 空になったジュースの入れ物をゴミ箱に放り込み、チケット売り場に行ってみる。適当なガルテグ連邦産のアクション・ムービーっぽいのが目当てだ。

 目を疑う。

 何故か同じ映画の上映回なのに、値段が違った。自分が価格表を読み間違えたのかと思ったが、何度見直しても値段が一〇段階ぐらいあるのだ。

 どうやら、ちょうどよく見やすい席ほど値段が違うらしい――最低グレードと最高グレードの差は実に一〇倍、ペア席なのを勘案しても脅威の格差社会である。


 バナヴィアやベガニシュとの物価の違いを考えても、極端すぎる値段差だった。

 ご丁寧にVIP専用座席、という説明までついている。

 まず自分の財布なら選ばない類のチケットだったが、どうせなら体験してみるのも一興である。

 怖いもの見たさで最高級グレードのチケットを買う。いつものエルフリーデの感覚なら結構な勇気が要る金額が吹き飛んだ。

 クレジットカードをチケット売り場で使うと、すすっと従業員が笑顔で出てきた。


「ありがとうございます、お客様。黄金級ゴールドクラスはあちらの専用ゲートからの入場になっております、ごゆっくりどうぞ」


 映画館の従業員というよるホテルマンみたいな口調だった。

 呆然としているエルフリーデ・イルーシャは、気を取り直してチケットを手に進む。

 どうやらここではエルフリーデの常識は通用しないらしい。馬鹿丁寧な接客に導かれて専用ゲートを通ったエルフリーデは、さらに衝撃を受けた。

 この黄金級なる代物、完全に高級ホテルのような内装になっていて、ゲートの向こう側に専用トイレが存在しているのだ。

 しかも劇場の出入り口にはドアマンが控えており、やはり穏やかな微笑みを浮かべてドアを開いてくれる。


「ごゆっくり」


 エルフリーデは、自分が誰かに担がれて質の悪いジョークを仕掛けられている可能性を疑った。

 ここは映画館のはずである。

 すっと目を横にやると、やはり一般客とは隔離されたVIP専用ラウンジで上映時間を待つ身なりのいい人々がいた。

 ここ最近、クロガネの付き合いで多少なりとも慣れてきたからわかる。

 全員が、唸るほど服装にお金をかけている。

 見なかったことにする。


 劇場の中は広々としていた。それもそのはずである。大きなスクリーンに対して、座席はわずか一〇席しかないのだ。ペア席であることを加味しても、たった二〇人しか入れないVIP専用劇場だ。

 座席というよりソファーベッドに近いVIP席は、ふかふかのクッションが常備されている。

 エルフリーデはわけがわからない、という顔で指定された座席に着く。



――なにこれ?



 座席にはボタンスイッチが埋め込まれていた。

 飲食物のお求めはこちらのスイッチをどうぞ、と小さな文字で書いてある。

 恐る恐る、ガルテグ風サンドイッチと炭酸ジュースを頼む。すると一分後、ほかほかと湯気を立てるそれのトレーを手にして、映画館の従業員がやって来た。

 VIP専用売店のVIP専用軽食だ。うやうやしく注文の品を置いていく店員――呆気に取られて絶句するエルフリーデは、サイドテーブルに置かれた軽食から、とてもいい匂いがすることに気づいた。


 焼きたての小麦の香りだった。

 サンドイッチはパンにグリルした腸詰めをはさみ、たっぷりの刻みタマネギと刻みピクルス、トマトケチャップとマスタードを挟んだものである。

 歴としたジャンクフードであり、ベガニシュ帝国でも親しまれている庶民の味なのだが――明らかに材料がそういう庶民向けの店とはグレードが違った。



――まさかパンも焼きたてのを使ってる!? 嘘でしょ、映画館の売店で!?



 ちょっとしたレストラン並みの手間をかけて用意された軽食だった。

 エルフリーデ・イルーシャは確信する。

 ここフィルニカ王国における貧富の格差は、間違いなく映画館すら及んでいる――彼女が歩き回ることを許された地域は、すこぶるお金を持った人々だけが出入りするから、治安がよくて安全なのだろう。

 貴族制がはびこっているベガニシュ帝国だって、ここまで露骨に金持ち優遇の専用劇場なんてないはずだ。

 意味不明な状況に憤っていると、やがて映画の上映前の広告が始まった。

 お金持ち専用保険、お金持ち専用銀行、お金持ち専用自動車会社、お金持ち専用病院、お金持ち専用旅行会社――そんな感じの広告が、スポンサーとして流れていく。



――決めた、二度とVIP専用座席なんて買わないっ!



 ここまで露骨だと逆に清々しい気持ちになってくる。

 やがて暗転した劇場内で、スクリーンにでかでかと「」の文字が浮かぶ。

 そしてフィルニカの国旗がたなびく。

 えっ何これ、と思う暇もなかった。周囲の観客が一斉に立ち上がったから、ほぼ条件反射でエルフリーデも立ち上がる。


 流れ始めるBGM――雄大なる大山脈を讃える国歌、勇壮なる王立航空騎兵隊、そして王家の威光をフィルニカ民族の栄光と共に叫ぶ歌詞――画面に歌詞が表示されるので、ギリギリついて行ける感じだった。

 かくしてエルフリーデは疲弊した。気安い庶民の娯楽という映画しか知らなかった少女は、異文化の洗礼を受けてげんなりしていた。

 そして一四四分(二時間二四分)後、上映が終わって明るくなっていく劇場内。

 エルフリーデ・イルーシャはおおむね満足していた。面倒くさい空想科学小説ファンとしては、異世界の描写とかに突っ込みどころはあるけれど。



――空飛ぶ鋼の男って、ガルテグ人は夢見過ぎじゃない?



 どうやら上映された映画はガルテグの国民的ヒーローらしく、筋肉ムキムキでマント姿で空を飛ぶすごいやつだった。

 意外なことにプロパガンダ色は薄い内容で、敵にベガニシュ帝国が出てきたりはしなかった――露骨に貴族趣味の悪役が出てくるのを、直接的と表現しないのならだが。

 物語類型としては典型的な貴種流離譚きしゅりゅうりたんである。

 幼くして異世界から追放された孤児が、優しく気高い養父母に恵まれ、やがて超人的な力を発現させて自分の第二の故郷を守るため戦う。


 人呼んで正義の味方スーパーヒーロートゥモローマン。

 如何なる悪の陰謀も打ち砕き、その腕力で事件・事故・災害から民衆の命を救う正義の人――なるほど、誰の目から見てもその人間性に憧れられる英雄のお話である。

 ものすごい速さで空を飛んで高層ビルの間を通り抜ける特撮シーンなど、映像的な見所も多かった。

 たぶん敵国の映画なので、ベガニシュ帝国で上映されるのは当分先の話だろうけど、悪くないアクション・ムービーだったなと評価する。


 一〇〇満点中、八五点ぐらいは狙える内容だったと思う。

 そのようにエルフリーデが考えた瞬間だった。パチパチパチ、と拍手の音が響いた。

 振り返る。目を向ける。

 エルフリーデより後ろの座席で、一人の少女が立ち上がって拍手している。

 褐色の肌、黒いボブカット、片目が隠れる独特の前髪、ぱっちりした目の奥で輝く鬼火色グリーンの瞳――そして白くてフリルのついたブラウスに目も覚めるような青のキュロット。

 たぶん歳はエルフリーデより下で、ティアナよりは年上だろう。中等部を卒業しているかどうか、十代半ばの女の子は、とても肉感的グラマーな体つきをしていた。

 そんな異国の少女が、涙を流していた。




「――素敵だエクセレント! だった……!」




 涙ぐんでるのが声だけでも伝わってくる熱意があった。彼女の勢いに釣られて、思わず拍手するVIP席の観客たち――そうして拍手に包まれる劇場。

 エルフリーデは気圧された。




――面白いことは面白かったけど、そんな泣くほどすごかったかな!?




 一〇年ぶりに新作映画が作られた正義の味方トゥモローマンの劇場上映。

 それが、エルフリーデとリザの出会いだった。











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