貴族令嬢レディ・ノーラ






 そして三十分後。エルフリーデたちが到着したのは、高原に打ち立てられたリゾートホテルだった。

 真っ白な建材で作られた近代的高層建築、植林されて整えられた色鮮やかな緑、荒涼とした大地に似つかわしくない広々としたプールサイド、大型トレーラーすら格納できる高い屋根の車庫。

 それまでの乾いた大地という印象が一変するほど、見事に周囲の景色を切り取って一枚の絵画のように見せる建築物の数々。

 おそらくこのリゾートホテルのために開発されたのであろう景色は、庶民にはちょっと想像がつかないほどお金がかかっている。

 フィルニカ王国の道路事情は余りよくないとガイドブックには書いてあったが、どうやら多大な資本が投下されているらしいホテルの周囲は例外らしい。



――向こうの国営企業のお偉いさんが来るって話だけど、やっぱりもてなすためにこういうところを選んだのかな?



 ホテルの前に横付けされたトレーラーの降車口から、クロガネより先に降りる。レディ・ファーストだからではない。単純に少女はクロガネの護衛なのだ。

 物珍しく思いながらも、広大な敷地を誇るホテルの入り口にさっと視線を走らせる――出迎えと思しきホテルマンたち、武器の所持はない。

 カツン、カツン、カツンと足音。

 足音からして身長百六十センチぐらいでヒールの高い靴。同行していたトレーラーに乗っていた使とやらだろう。特徴からして女性だなと判断して目を向けると、案の定、そこには女性が立っていた。

 だが、予想に反してかなり若い。たぶんエルフリーデと同い年ぐらいだろうか。


 端整な顔立ちに燃えるような赤毛のロングヘア、濃褐色の瞳、自信と矜持を感じさせる勝ち気な微笑み。すらりと長い手足と細い腰つきを誇るような感じの雰囲気が、ありありと伝わってくる。

 如何にも貴族令嬢らしい装い――品のいい白を基調とした長袖のドレスは、まるで背広の三点スリーピースよろしく、ジャケットとスカートがセットのように見える。純白の生地に刺繍がよく映えていて、腰のあたりをベルトで締めることでロングスカートの広がりを強調している。

 オシャレだ。腰のベルトから吊り下げられた小物入れのバッグもレベルが高い。

 たぶん旅行用のカジュアルなドレスなのだろうけれど、庶民出身で背広の男装姿のエルフリーデには眩しすぎる。



――す、すごい着こなし圧力オシャレプレッシャーだ!



 エルフリーデ・イルーシャはちょっとズレている十代なので、自分では太刀打ちできない上流階級女子の雰囲気に圧倒されていた。

 そんな少女の戸惑いなど意に介さず、こちらに近づいてくる赤毛の貴族令嬢――彼女はエルフリーデと目が合ったことに気づき、軽く足を引いて一礼した。

 そして優雅な微笑みを浮かべ声をかけてくる。


「はじめましてエルフリーデ卿、私はノーラ・ハイゼ。親しみを込めてノーラとお呼びください」


 どこか親愛を感じさせる声音だった。もちろん貴族の社交術としての演技なのだろうけれど、とりあえず感じは悪くない。

 おそらく相手に悪意や虚偽の兆候はない、と勘で判断する。


「……よろしくお願いします、レディ・ノーラ」


 エルフリーデは緊張していた。ちょっと口数が少なくなるのは勘弁して欲しい。余計なことを口走るよりはずっといいはずだ、と思う。いつもより表情が固くなっている彼女は、おそらく傍目にもわかるぐらいガチガチだ。

 後ろにはクロガネとロイの気配。しかし如何にも目の前の貴族令嬢――まだ少女と言っていい年齢だ――がエルフリーデと話したそうな雰囲気を出してくるので、助けを請うのもはばかられる。

 恐ろしいことに、すでに貴族の儀礼作法プロトコルでは一種の戦いが始まっているのだが。

 機先を制されたエルフリーデはそれどころではない。そんな彼女に助け船を出すように、クロガネがするりとエルフリーデの前に出てきた。


「お久しぶりです、レディ・ノーラ。またあなたにお目にかかれるとは……心強い限りです」


「ごきげんよう、ヴガレムル伯爵。帝都でお目にかかって以来ですわね」


 右足を引いて、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す見事な貴族的礼法のお辞儀――これに対してレディ・ノーラの方も片足を引き、膝を曲げてスカートの裾をつまみ、するりとお辞儀をした。

 どうやら自分は判定が出てたので、若干、軽い挨拶だったようである。エルフリーデにもようやくその辺の機微が飲み込めてきたので、少し鼻白んだ。



――貴族って時々、威嚇し合う動物みたいな習性を取るよね。



 最早、無礼というのもはばかられる失礼極まりない思考である。そんな少女の雑感を横目に、レディ・ノーラが差し出した手と握手を交わすクロガネ――いつもの無愛想はどこへやら、外行きの微笑みを浮かべている彼はまさに紳士といった風情。



――うわっ誰だこの人?



 愛想を振りまくのも貴族の仕事なのはわかるが、それにしても違和感がすごい。エルフリーデはそんな戸惑いをなんとか表情に出さず、ぐっと堪えて直立不動の置物になることに成功した。

 よし、これで今日は乗り切ろう。そう思った瞬間、隙を突くようにレディ・ノーラが話しかけてきた。クロガネの社交バリアはあっさりと突破された。


「それで、そちらの素敵な騎士様が……噂のエルフリーデ卿なのでしょう? わたくし、実はずっとお話ししたいと思っていまして……」


 するっと話を振られて、思わずエルフリーデは反応してしまった。


「わたし、とですか? いえ、わたしはあくまで伯爵の騎士で――」


 声に出してから、なんとなく場の雰囲気で正解を察する。ここはクロガネに場の主導権を渡すべきだったのだ。まんまと相手の話術に乗っかってしまったエルフリーデに、にっこりと笑ってレディ・ノーラが追い打ちをかけてくる。


「ええ、ええ、ご謙遜なさらないで……! 東海岸でガルテグ兵をバッサバッサと斬り捨てた〈剣の悪魔〉がとうとう公爵家までも斬り捨てた、と宮廷でも話題です。あまりに痛快、まさに快刀乱麻を断つ! 陛下も顔をほころばせてお出ででしたよ――」


「そ、そうですか……」


 褒められてるのか皮肉られてるのか、さっぱりわからない。どうやら以前、クロガネが言っていた通り、エルフリーデ・イルーシャの名前は宮廷にまで届いているらしいのは理解した。

 貴族令嬢からの押しの強いアプローチに困惑しきったエルフリーデは、目でクロガネに助けを求めた。しかしレディ・ノーラの追撃は素早く、黄金瞳の男が何か言う前に、ぐいぐい少女の方に身を乗り出してくる。


「かくいうわたくしもあなたのファンでして。後ほどサインなどいただければ……」


 ベガニシュ貴族がバナヴィア人機甲猟兵にサインを求める、とはどういう状況なのだろう。

 わからない。ベガニシュ貴族というのはおおむね、ろくでもない既得権益に凝り固まって、自分たちで言い出したプロパガンダに毒されてバナヴィア人を差別するような手合いが多数派だと思っていた。

 皇帝陛下の使いとして寄越されるような貴族が、無能で差別意識丸出しよりはよっぽど嬉しいことだけれど。

 カツン、カツン、とヒールの音。

 するっとクロガネの横を通り抜けて、エルフリーデの前にまでやって来たレディ・ノーラが、悪戯っぽく微笑んだ。


「ここだけの話……陛下がお望みなのですよ、サイン」


「えっ」


 冗談だと言って欲しかった。

 しかし誰もドッキリだと宣言してくれなかったので、エルフリーデは気が遠くなるような気分だった。

 何故、よりにもよって悪の親玉であるベガニシュ皇帝が自分のファンになっているんだろう。



――意味がわからない、誰か助けて欲しい。



 この世界はどうやら、少女の想定以上に見えないところで変貌しているらしかった。

 〈剣の悪魔〉エルフリーデ・イルーシャは、ちょっと遠い目になりながら、辛うじて投げやりなコメントを絞り出した。




「こ、光栄です……!」




 ちょっと涙目だった。









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