異国の貴公子ラト・イーリイ





 ベガニシュ帝国皇帝がエルフリーデ・イルーシャの個人的ファンである、という嫌すぎる情報をノーラ・ハイゼから知らされ、少女騎士が遠い目になってから三十秒後。

 少女の鋭敏な聴覚――電脳棺によって肉体を保護・修復され続けている機甲猟兵は、銃声や砲声で耳が遠くなる戦場帰りの症状とは無縁だ――は、遠方から響くわずかな足音を感知していた。


 ちらりとロータリーからリゾートホテルの入り口を見やる。

 見えてきたのは、複数の大型車両の群れだ――クロガネたちが乗ってきたのより無骨な軍用トレーラー複数台に、機関銃を据え付けた装甲車も混じっている。

 おそらくはバレットナイト乗せた輸送トレーラーと思しきそれら。問題はその先頭に立っている一機の巨人だった。


 サンドイエローに塗装された巨人は、明らかにベガニシュ帝国製のバレットナイトとは異なる設計思想に基づく構造――なめらかな曲線の傾斜装甲を採用しているものの、全体的には箱形の印象を抱かせる機体形状――だ。

 寸胴気味でずんぐりむっくりとした巨体は、二本足で歩くにもかかわらず、人型というよりは直立二足歩行するようになった戦車の風情。

 腕は指を備えたマニピュレータタイプで武装していないが、身長四メートルの巨体はそれ自体が脅威である。


敵国ガルテグのバレットナイト……!?」


 思わずエルフリーデがぽつり、と呟く。腕付きの機種は大陸間戦争――つい先日、ベガニシュ帝国とガルテグ連邦の間で停戦協定が結ばれたばかりだ――に投入されていたはずである。

 戦場でも機甲猟兵として幾度も戦闘をしてきたから、どうにも落ち着かないものを感じた。敵対的ではないのは、一切武装しておらず、無防備に距離を詰めてくる様子からも明らかではあるけれど。


 ずしんずしん、と足音を響かせて近寄ってきた巨人は、リゾートホテルのロータリーまで進入すると、ぴたりと足を止めた。

 距離にして十メートル、これ以上近づかれたら生身の人間は恐怖を覚える――実際のところ一息で詰められる距離だが――という間合い。

 停止したサンドイエローのバレットナイトが、エルフリーデの方を向いて声をかけてきた。


『驚かせてしまったようですね、すいません――〈M4Fカフドゥ〉、仰るとおりガルテグ連邦製のバレットナイトをベースにしたフィルニカ王国仕様の機体です。おそらくベースである〈M4パートリッジ〉をあなたは戦場で見かけたことがあるのでしょう、エルフリーデ卿』


 かなり若い男の声――いや、下手すると少年だろうか。それにしても、いくらなんでも自分の顔は割れすぎだろう、と思う。

 自分がベガニシュ帝国にとっても、バナヴィア人にとっても、諸外国にとってもある種、注目されるものだという自覚の薄い感想――ややズレているエルフリーデの雑感を余所に、バレットナイト〈M4Fカフドゥ〉は名乗りを上げた。


『僕はラト・イーリイ、フィルニカ・ヘヴィ・インダストリー社の開発部に在籍していますが、


 フィルニカ王国の国営企業、FHI社の企業重役――その割には声がだいぶ若い気がする。いや、そもそも十万歳の不老不死の若作り男がすぐ側にいる状態で、年齢のことを気にしても仕方がないけれど。

 ふわふわとエルフリーデがそんなことを思っていると、〈M4Fカフドゥ〉が片膝をついて降着姿勢になった。その背中側でアルケー樹脂の装甲ハッチが持ち上がり、バックパックとの間に隙間が生まれる。


 七色に輝く半透明の脊髄――電脳棺と呼ばれる機体中枢から、ゆっくりと搭乗者が這い出てくる。

 恐ろしく若い。

 褪せた灰色の髪、色濃い褐色の肌、焦げ茶色の瞳、くっきりとした目鼻立ち。造形の整った顔立ちはまるで異国の王子様といった風情――おそらくはまだ十代、年若い少女であるエルフリーデやレディ・ノーラと比較しても大差ないであろう容姿だ。

 真っ白な長袖の礼服に包まれたすらりとした体つきは、少年と青年の境に彼がいることを表しているかのよう。

 危うげなくバレットナイトの腕を伝って滑り降りた少年は、あどけない顔に邪気のない笑みを浮かべている。


「ようこそフィルニカ王国へ。皆さんの来訪を心から歓迎致します――ヴガレムル伯爵、レディ・ノーラ、エルフリーデ卿」


 エルフリーデの本能はこの若すぎる企業重役に対して、全力で危機感を覚えていた。

 だってそうだろう――根本的に何もかもが規格外のクロガネやその護衛である自分、ベガニシュ皇帝の個人的な使いであるレディ・ノーラとは状況が異なりすぎる。


 まだ十代の少年が国営企業の常務だなんてどう考えても異常な人事である。たぶんおそらくきっと、多大な権力を握っているお偉いさんの関係者が人脈コネでねじ込まれている、とかでないとありえない。

 癒着とか腐敗とかそういう単語が脳裏をよぎる。確かフィルニカ王国にも貴族はいるはずだが――目を細めたエルフリーデを余所に、クロガネはパチパチと拍手しながら微笑んだ。


「素晴らしい操縦技量をお持ちだ、ラト・イーリイ様。ガルテグ製のバレットナイトは運動制御に癖があるはずですが、あなたの操縦にはそのような危うさが感じられませんでした」


「いえ、多少、心得があるだけですよ。気晴らしの乗馬の代わりです、僕にとってバレットナイトはとても慣れ親しんだ乗り物なんです」


 気晴らしにバレットナイトを乗り回すってどういう状況だろうか――少なくとも軍用兵器であるバレットナイトに気軽に触れる環境は、一般家庭のそれではありえないはずだ。

 あまりに邪気のない言葉から察するに、その環境が当然だと思っていそうな感じ。

 そういうツッコミどころを考えて、「そもそも外国の使節を迎えるのにバレットナイトで乗り付けるのってありなの? パフォーマンスなのかな?」というところに気づく。


 ベガニシュ帝国の外交特使をお迎えするホストの側が、あとから遅れて登場した上、この前まで殺し合っていたガルテグ連邦製の兵器で乗り付けてくる。

 これはひょっとして相当、よくない演出なのでは。

 ちらりとレディ・ノーラの顔を確認する。その手の教養を買われて派遣されたのであろう淑女は、にこにこと感情の読めない笑顔を浮かべている。

 怖い。外交って怖い。

 心の底からそう思うエルフリーデ・イルーシャを余所に、ラト・イーリイ少年とクロガネは固く握手を交わしていた。


「ヴガレムル伯爵。碩学せきがくと名高いあなたとお話できるのは、僕にとっては願ってもないことです」


「光栄です、イーリイ様」


「ええ、今日は両国にとってよい日になるでしょう!」


 この場にいる誰もが微笑みを浮かべているのに、腹の底では絶対笑ってない状況――エルフリーデは口の端をひくつかせ、強ばった笑みを浮かべて頷くことしかできなかった。



――どうしようティアナ、お姉ちゃんすっごく帰りたい。





 乗り付けてきたフィルニカ王国側のトレーラーからバレットナイト――いずれも機種はガルテグ連邦から輸入した〈M4Fカフドゥ〉だ――が降りてきて、リゾートホテルの周囲に展開されていくのを、エルフリーデはホテルの窓から見下ろしていた。

 どうやら直前まで会場を秘匿することを優先したらしく、ラト・イーリイの到着と同時に警備のバレットナイトが配置されているらしい。


 リゾートホテルをわざわざ会場にしただけあって、内装も恐ろしく豪華だった。庶民であるエルフリーデには「天井が高くて空間にゆとりがある」「調度品が高そう」「照明含めて清潔感がある」といった程度しかわからないが、明らかに富裕層を相手にしたホテルなのは理解できる。


 どうやらホテルの人員は必要最小限にまで減らされているらしく、実質的にこの施設を貸し切りにして、信用できる人間だけにしているようだ。

 ラト・イーリイとクロガネ、そしてレディ・ノーラの三人だけでの密談に入ったことで、会場になっている部屋から追い出されたエルフリーデは、廊下でロイ・ファルカと一緒に待機している。


 フィルニカ王国の側はどうやら民間の警備員ではなく、警察組織か軍事組織から派遣されているらしい――ライトイエローの差し色が入った濃紺の制服を着て自動小銃を持った兵士たちが、廊下に等間隔で配置されていた。

 心なしかラト・イーリイに比べると肌の色が薄い兵士ばかりの気がするし、じろじろとエルフリーデの方を見てくるのが居心地悪いけれど。

 大陸間戦争の英雄が珍しいのか、年若い少女が騎士としてここにいるのが異様なのか。

 どっちなのかは知らないが、あまり居心地がいいものではない。


「わたしはバレットナイトに乗らなくていいんですか?」


「旦那様は夜間の警備に就くよう仰せです」


 できれば警備用バレットナイト――ベガニシュ側が持ち込めたのは、民間軍事会社名義の軽武装バレットナイト一台だけだった――にでも乗って、この場から逃げ出したかったのだけれど。

 残念だなあ、とため息一つ。

 金髪碧眼の美青年、クロガネの従者ロイ・ファルカは涼しい顔で直立不動――何かあればすぐにでも室内に踏み込めるよう準備している。


 護衛として拳銃の携行が許可されている彼は、立派に戦闘訓練を受けた人間なのだ。大型トレーラーの運転ができて、身の回りの世話も事務処理も要人護衛もできる。

 なるほど、クロガネもそうだがロイも大概、凄まじく有能な人だ。ならばちょっと質問してみてもいいだろう、と思う。

 エルフリーデは意を決して、するりと彼に近づいた。小声で尋ねてみる。


「ねえ、ロイさん。どうして今回、クロガネとレディ・ノーラが派遣されたのかわかる?」


 ロイ・ファルカは周囲の様子をうかがい、聞き耳を立てている第三者がいないことを確認して、そっとエルフリーデに耳打ちした。


「……ええ、なんとなくは。皇帝陛下の勅命という形で外交上、フィルニカを軽んじていないという態度を取りつつ、外様の伯爵家を特使とすることで必要以上に重んじてもいないという距離感を示す必要があったのです」


「なんでそんな面倒なことを……?」


「それが貴族というもの、ひいては歴史ある大国同士の外交というものだからです」


 それが権威と面子を大事にする国同士の関係というやつらしい。そうなると腑に落ちないのは、そういうベガニシュ側の面子を踏みにじるような先刻のラト・イーリイの振る舞いだが。

 単純に喧嘩を売っているにしては、ラトの態度はかなり友好的だ。少なくともエルフリーデやクロガネに対する感情に嘘は感じられなかった。

 うーん、と少女が考え込むと、その思考を読んだかのようにロイがそっと耳打ちしてくる。


「……おそらくですが。フィルニカ王国は極めて繊細なバランスの上に成り立っている国です。現体制になってから親ベガニシュ的な外交方針になりましたが、軍部や兵器産業はガルテグ連邦と関係が深い。そういった情勢下にあることを考慮しろ、と態度で示したのでしょう」


「そっか、大陸間戦争の最中も中立だったんだっけ」


「ええ、どちらの陣営も軽んじることはできず、敵に回すよりはと現状維持を選ぶ――極めて高度なバランス感覚の上に成り立っている動きと言えるでしょう」


 中立というのは難しい振る舞いだ。どちらの味方もしないとは、どちらの側からも恨まれる恐れがある立場を選ぶということである。

 フィルニカ王国はその点で優秀だ。下手をすれば超大国二つから殴られかねない状況にあって、適切にヘイトコントロールをしてきた、と言える。

 そんな国がこうも露骨にベガニシュ帝国を牽制する動きをしてきた、ということは――おそらく、水面下ではベガニシュ側へ引き込もうという動きがあって、それに対する反発があったのだろう。

 うっすらとエルフリーデにもわかってきたのは、クロガネが巻き込まれている大国間の政治の奇っ怪なパワーバランスだった。


「……どうしてクロガネがそんなことに巻き込まれてるのかな?」


 ロイは数秒、黙り込んだあと「おそらく窓口がイーリイ様だからでしょう」とささやいた。


「ラト・イーリイ氏はベガニシュ帝国にとっての旦那様と同じ……バレットナイト関連技術において右に並ぶものがいない天才なのです。お二人を交渉の場に引き合わせたのは、そういう意味で両国が対等であると示す礼儀と言えるでしょう」


「クロガネと同じ? まるで魔法使いだ」


「あくまでフィルニカ王国内での話です。ベガニシュは軍事技術においては他国より先んじていますが――そうですね、旦那様がベガニシュの最先端技術を先に進めたとすれば」


 言葉を区切ったあと、強調するようにロイはこう言った。


「ラト・イーリイ氏はフィルニカ王国の停滞していた技術水準を前進させた天才なのです」




 かちゃり、とドアが開いた。

 ラト・イーリイに先導されて、密室となっていた部屋からクロガネとレディ・ノーラが出てくる。

 一体、三人でどんな話をしていたのかは定かではないが――おそらくきっと、エルフリーデは知るだけで気が重くなるような駆け引きがあったのだろう。

 ベガニシュ帝国とフィルニカ王国――それぞれの国の立場を背負いつつ、表面上はとても和やかに談笑している様子を見ていると「貴族って面倒くさい生き方をしてるなあ」と思うエルフリーデだった。


 するっと会話を切り上げて、ロイとエルフリーデがクロガネの横に移動しようとした刹那だった。

 こちらの存在に気づいたラト・イーリイが、焦げ茶色の瞳に好奇心を煌々と灯して近づいてきた。回避しようがないタイミングでの奇襲であった。


「ああ、エルフリーデ卿……! 宴の席では是非、貴殿の武勇伝をお聞かせください!」


「え、ええと……わたしの経験談、ということでしょうか?」


「はい、バナヴィア人機甲猟兵の英雄、戦場の功績だけで士官に上り詰めた例外、ベガニシュの〈剣の悪魔〉エルフリーデ・イルーシャ様――是非、是非、あなたのお話を伺いたいのです!」



――あ、なんかミリアムを思い出すテンションだなあ。



 ちょっと懐かしいノリだったので、エルフリーデ・イルーシャは戸惑いながらも、了承するしかなかった。

 ちらりと目を向けると、ラトの後ろではレディ・ノーラがいい笑顔で親指を立てていた。

 おかしい、今日会ったばかりの人に理解者面されている。クロガネの方はといえば、無言で少女の方を見つめて――重々しく頷き一つ。

 受け入れろ、という感じの雰囲気。



――こういうの苦手だって言ってるじゃないか!



 エルフリーデの無言の抗議に、黄金瞳の男は目を逸らした。

 そういうの本当によくないと思う、と憤慨ふんがいするエルフリーデ・イルーシャだった。







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