あの日、差し伸べられた手のように
『――キミがこの録音を聞いているとき、ボクはもうこの世にいないだろう。どうしてそうなったかはおおよそ察しがつく』
声。
まるで記憶と違わぬ死者の言葉が、虚ろな響きと共に室内を反響する。そこはまるで病院の待合室のように、明るく柔らかな光に満ちた清潔な空間だった。
戦略兵器〈ケラウノス〉の基部、事象変異バレルと呼ばれる巨大な砲身と動力部を結ぶ場所に、その施設はあった。
その動作のほとんどが自動化された高度科学文明の産物である〈ケラウノス〉は、その運用においても人間のオペレーターを必要としない。
今、外行きのコートを羽織った男――クロガネ・シヴ・シノムラがいるのは、そんな無人運用を前提とした施設の中の例外だった。
そこは言うなれば起動テストを行うための制御室であり、定期的なメンテナンスのため整備された広い通路――工業用パワードスーツが通れる程度の高さがある――を通って至れる制御中枢だ。
飾り気のないコンソールに遺跡の生産プラントで製造された端末を繋ぎ、クロガネは立ち上げた制御ソフトウェアにコマンドを打ち込んでいく。
電脳の直結はしない。
どんな致命的なファイアウォールが仕掛けられているかわからない場所に、自分の脳髄を差し出せるほどクロガネは楽観的ではなかった。
録音された音声は、そんな彼を嘲笑うように続く。
『ボクが仕掛けた〈ケラウノス〉による浄化から、何万年経ったのか興味はあるけどね――』
こうなることはお見通しだった、ということか。
〈ケラウノス〉に仕掛けられたトラップを後世の人間が踏んだ時点で、明らかな超古代文明の遺物である事象変異バレルを露出させ、争いを誘発する。
大方そんな意図を持って、クロガネの妹――スオウ・シノムラは〈ケラウノス〉の防御プログラムを組み上げたのだろう。
だが、彼女の悪意は想定済みだった。
クロガネはあらゆる悪意を弾き、設置された罠を除去し、〈ケラウノス〉の自壊プロセスの立ち上げに成功していた。
自壊プロセスの条件を設定する。この場からクロガネが離脱するための十分な時間的猶予を入力、さらに脱出経路を確保する。
天文学的数量のエネルギーを生み出し、事象変異バレルに供給する動力炉へのアクセスを断ち切る。
予備電源に切り替わって、照明が薄ぼんやりとしたものになった制御室の内部で、クロガネは自壊プロセスの細やかな条件設定を開始した。
『――なんという無意味、なんという悪趣味なんだクロガネ。不死であるボクたちは
スオウ・シノムラが残した声は、彼が後世でどんな生き方をしているのか見抜いていた。
〈ケラウノス〉の内部構造は根こそぎ破壊する。爆薬では不可能なマイクロメートル単位でのあらゆる内部構造の自壊――超伝導回路のひとかけらに至るまで、すべての構造を塵に還すために事象変異機関にプログラムを入力していく。
現在の〈ケラウノス〉を成立させている基本的な外殻は残るだろうが、電子回路を含めた熱線砲としての機能は不可逆に破壊されることになる。
これでベガニシュ帝国の調査隊なりが来訪したとしても、彼らが得られる技術的成果は皆無に等しい状況ができあがる――塔の外殻だけは残っているから、クロガネが破壊工作をしたなどという言いがかりもつけられまい。
馬鹿でかいモニュメントが出現したものの、その用途も構造もさっぱりわからない、という報告書だけができあがる。
――これでいい。
モニターから顔を上げて。
クロガネは妹の嘲笑を一蹴するように、強く自らの意思を口にした。
「人間は、世界は――存続する価値がある。俺はそう信じる、たとえ俺の行いのすべてが徒労に過ぎないとしても。彼らの生きる明日に、それだけの希望があると」
すべての操作を終えた。
クロガネは操作端末とコンソールを繋いでいた通信ケーブルを引き抜き、バッグに放り込むと振り返らずに制御室を出た。
足早に廊下を駆け抜ける彼の後ろ姿に向けて、妹の残した呪詛が投げかけられた。
『何万年かけようと歴史の再生産以外できないのが大多数の人間だというのなら、その中から生まれた超越種であるボクたちには、時計の針を進める義務がある。キミがしているのは慰めに過ぎない、報われない旅路だよクロガネ』
死ぬまで世界も人間も愛することができなかった妹は、十万年の時が経とうと色あせない厭世観を残していた。
録音された呼び掛けに、クロガネが足を止めることはなかった。
そうして数百メートル進んだところで、男は不都合な現実に直面した。この地下施設に来たとき使った通路が、使用不能になっていたのだ。
どうやら妹が残した最後の置き土産らしく、自壊プロセスの発動に伴って独立した回路が動作して隔壁が降りるように細工されていたらしい。
文字通り設計段階で仕掛けておかなければありえないトラップだった。
妹からの粘着質な悪意を感じて、クロガネはため息をついた。脱出までの時間的猶予はあるつもりだったが、この調子では間に合わない可能性が出てきた。
あるいは〈ケラウノス〉という施設ごと、彼を葬り去るのがスオウ・シノムラの意思なのかもしれなかった。あらかじめ端末にマッピングしておいた内部構造をホログラムで呼び出し、次の脱出経路を探そうとしたときだった。
いきなり、通路をふさぐように降りていた隔壁に切れ込みが入った。
ギギギギギ、と火花が散って、刃を押し通された隔壁が、通路のこちら側に倒れ込む。
黒髪の男は一瞬、目を見開いたあと――それが何者の仕業なのか読み取った。
「俺の予想よりも早かったな、エルフリーデ・イルーシャ」
身長四メートル半の巨人が、クロガネの元にはせ参じてきたのだ。
隔壁を切り裂いた深紅のバレットナイトはボロボロだった。両肩の光波シールドジェネレータは全損して脱落、左腕も半ば破壊されて残骸がぶら下がっているような状態だ。
砲弾の破片を浴びたのか、アルケー樹脂の装甲にも細かい傷がついている。
残された右腕に超硬度重斬刀を握りしめているものの、機体全体が満身創痍と言っていいぐらいダメージを負っているようだった。
しかしそんな状態でも、パイロットである少女はとぼけた声音でこうのたまうのだった。
『――ああ、まったく。わたしが来なかったら生き埋めになる気だったんですか、クロガネ?』
エルフリーデはまるで、買い物に出かけた先で知り合いに出会ったような、気安い口調で話しかけてくる。とてもこれまで死地に単騎で飛び込み、激戦を繰り広げていたとは思えないほど平常心に満ちていた。
そんな少女のありようを痛ましく思ったことなどおくびにも出さず、黒髪の男は怜悧な表情で問いかけた。
「いや、だがお前が来たことで時間が短縮できそうだ。どうやってここに来た?」
『砲身に飛び込んで滑り落ちたあと、隔壁を片っ端から斬ってたら勢いでここまでたどり着きました。意外と脆いですね、ここ』
「……何?」
あまりにも力押しの対処だった。
もちろんクロガネがセキュリティシステムを解除し、〈ケラウノス〉全体が無防備になっているからこそなのだろうが――それにしたって、物理的な隔壁すべてを刀剣で切り刻んで侵入してくるとは。
想像以上の無法ぶりに、クロガネは開いた口が塞がらななかった。
『ところで出口わかりますよね。わたし、この子のエンジン二つとも壊しちゃったので今ぶっちゃけピンチなんですが。あの急斜面は登るの無理がありますし』
「まさか初出撃でジェットエンジンを破損させるとはな」
『こんなカリッカリにピーキーなじゃじゃ馬渡しておいて、文句言わないでください――ひょっとしてこのジェットエンジンって、白兵戦するバレットナイトに積むべきものじゃないのでは?』
「お前の活躍は想定の範囲内だ、よくやった」
莫大な開発費をかけた電気熱ジェット推進機構が壊れてしまったのは、ミトラス・グループにとっては痛いが、今後の改良の余地を洗い出すいい機会だな、とも思う。
他の人間ならば乗りこなせるはずがないので、試作機の建造も許可しなかっただろう。
だがエルフリーデ・イルーシャならば乗りこなせるとクロガネ・シヴ・シノムラは確信していた。その彼女がジェットエンジンを破損させたというのならば、他の誰が乗っても同じ結果だったろう。
そのように男が納得した瞬間、思いも寄らぬ一言が飛んできた。
『たいしたことはしてませんよ、ちょっと空を飛んで
「……待て、〈アシュラベール〉は空中戦まで想定して作られてはいない」
『えっ、できましたよ?』
「…………そうか」
ますます生還する必要が出てきた。
エルフリーデがどんな無茶をしたのか、バレットナイト〈アシュラベール〉に残されているデータログから検証する必要があった。
クロガネは実務家としての顔になって、どのように今後、第三世代バレットナイトの開発を進めるべきか考えてしまう。
どう考えてもエルフリーデ・イルーシャは常人の基準にすべきではないが、彼女が取ってくるデータは有用だからだ。
気づくともう、十万年前に死別した妹との湿っぽい感傷は消えていた。
不思議だった。
エルフリーデ・イルーシャと話していると、クロガネは背負った使命も、失ってきたものの重みも忘れてしまう。
肩の重荷が消えたような錯覚と共に、男は今後の脱出プランについて話し始めた。
「脱出には〈ケラウノス〉の事象変異バレルを利用する。光波シールドジェネレータを停止させ、事象変異バレル内の重力方向を操作してある。今はバレル内の壁面方向に重力が――」
『クロガネ、何をすべきかは手短にお願いします』
ばっさりと一言で「説明が長い」と切り捨てられ、ヴガレムル伯クロガネ・シヴ・シノムラは黙り込んだ。
あまりにもあんまりな扱いである。
深々とため息をついたあと、黄金色の瞳に少しだけ愉快そうな色を浮かべて。
クロガネは微笑んだ。
「……走るぞ、俺についてこい」
『バレットナイトに乗ってるわたしの方が足速いですからね?』
「ああ、だがお前は隔壁を切り刻んで進むことしかできない哀れな存在だ」
『言い方が最悪ですよ、伯爵!』
そうして男と少女は、薄明かりを頼りに――暗闇の中を駆け抜けていく。
――夜闇を恐れることなく、どこへでもたどり着けると信じて。
――その日、十万年もの間、地中に潜んでいた災厄の塔は人知れず解体された。
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