剣の悪魔エルフリーデ








――陸上駆逐艦〈ペネテシス〉の襲撃より七十二時間前。





「ティアナと約束してるんです。この仕事が終わったらヴガレムル市の素敵なカフェに行こうって。ですから伯爵様のオススメのお店があったら、あとで教えてくださいね」



 ヴガレムル市郊外、ミトラス・グループの所有する研究開発施設の敷地内――その地下施設へ移動するエレベータ内でのことだった。

 男物の黒いスーツを着込んだエルフリーデ・イルーシャが、平然とした顔でこんなことをのたまった。

 あまりに古典的な悲劇で死ぬ人間がのたまう世迷い言みたいな台詞だったので、クロガネ・シヴ・シノムラは真顔になっている。

 彼はどうすれば少女を傷つけないか数秒、考えた末に苦言を呈した。


「……あまり縁起のいい台詞とも思えないが?」


「演劇の見過ぎじゃないですか? 戦場に出る前に死ねない理由を作っておくのは大事ですよ、それに――」


 これまで幾度となく激戦地を転戦してくぐり抜けてきた少女は、演劇やら小説やらで定番のパターンなんて笑い飛ばすぐらいに肝が据わっていた。

 肩まで伸びた栗毛ブラウンのミディアムヘア、白い肌に赤い瞳。整った顔立ちに左目から左頬にかけて走った傷跡が、目も覚めるような鮮烈さの美しい少女である。

 彼女はあらゆる不幸と災難を笑い飛ばすように、くすりと微笑んで親愛なる伯爵の顔を見上げた。


「――わたしを伯爵が死なせるはずがないって信じてますから」


「ああ、当然だ」


 クロガネは照れもせず然りと頷いた。

 そんな男の反応を当然のように受け止めて――ここで可愛げがないのが可愛げみたいな人だなと思う――エルフリーデは釘を刺した。



「ちゃんと聞きに行きますから、あなたもしっかり生きて帰ってきてくださいね?」



 エレベータの中でクロガネは顔を真横に向けた。


「まるで俺が――」


「片道切符の自己犠牲とかやりそうなタイプだと思ってますけど」


「…………そうか」


 はっきり否定しないのがヴガレムル伯クロガネ・シヴ・シノムラという男だった。実際問題、世界のすべてを背負おうとするような大言壮語をしていたのである。

 此度の〈ケラウノス〉争奪戦においても、エルフリーデが踏み込んで聞き出さなければ、いくらでも我が身を呈するような行いをしたであろうことは想像に難くない。

 そういうの本当によくないと思うけどなあ、と少女がぼやくのを、クロガネはいつも通りの表情で聞き流している。


 いや、これはちょっと気まずいと思っているのだろうか。

 地下へ向かうエレベータが、とうとう停止する。目標である地下実験場にたどり着いたらしい。エレベータのドアが開いていく。

 まるで色気のない実用一点張りという感じの殺風景な廊下に、伯爵と少女騎士は同時に足を踏み出した。


「はっきり言おう。相手は小国の軍隊にも匹敵するドゥガリオ公爵の陸上駆逐艦を含む大部隊だ――普通に考えれば勝ち目などない。だが、何事にも例外はある」


 歩幅をエルフリーデに合わせてくれているクロガネは、とてつもなく紳士的だった。こういう言外の振る舞いは気遣いに満ちているくせに、口を開くと愛想がないのはどうしてなのだろうか。

 社交界でもこの調子だったら貴族としてやっていけないだろうに。

 ひたすら無愛想な男の人間関係を心配してしまうエルフリーデの胸中など知りもせず、黒髪の伯爵は、その黄金色の瞳で少女の顔を覗き込んだ。



「エルフリーデ。お前がいる限り、俺が負けることはない。力を貸せ」



 参ったな、と思う。

 完璧な口説き文句じゃないか、まったく――エルフリーデ・イルーシャはちょっと照れながら、目を閉じて深呼吸する。

 どうせこの男のことだから、そういうの意識してないってわかってるのに。

 そして満面の笑みを浮かべて、少女は誓いの言葉を新たにするのだった。



「――わたしはあなたの剣、この力はあなたの意思のままに」







 クロガネに連れられて向かった先は、広大な地下実験場だった。一体どうやって作ったのか、バレットナイトを使って模擬戦でもできそうなぐらい広い空間である。

 あたりには様々な実験機材と思しき高価そうな装置が並んでおり、一見しても何の施設なのかまるでわからない。

 きょろきょろと辺りを見回すエルフリーデに対して、「こちらですエルフリーデ様」とにこやかに手招きする人物がいた。

 金髪碧眼でたれ目気味の美男子、クロガネの従者ロイ・ファルカである。クロガネもそちらの方に歩いているので、遅れまいと早足で追い付いた。

 さっきまでの紳士ぶりはどこに行ったのだ、この男。

 文句の一つも言ってやろうかと顔を上げた刹那、エルフリーデはそれを見た。



――鬼神をかたどった神像。



 それは炎のように赤い色で彩られていて、重厚な曲線美を描く装甲の塊で、有機的な四本の手足を持ち、一本のブレードアンテナが額から突き出ていた。

 さながら戦に赴く有角の巨神である。

 あるいは地獄の悪鬼を具現化させたなら、このような荒々しくも美しい人型になるのかもしれない。

 東洋風の鎧武者じみたシルエットは、両肩に固定された大型盾がそう見せているのだろう。


 それはエルフリーデが見知っている如何なる機甲駆体バレットナイトにも似ていなかった。

 まず機体サイズが一回り大きい。目測で四メートル半はあるだろう。つまり〈ブリッツリッター〉のような既存機種と互換性があるバレットナイトではない。

 駆動フレームからして別物、おそらく新造されたもののはずだ。

 説明を求めるように脇のクロガネへ視線を送ると、彼はこの男にしては珍しく、満足げな表情で語り出した。



「世界初の電気熱ジェット推進機構を搭載した次世代バレットナイト――その技術実証機だ。本来は口出しすべきではないが、今回は人類が目指すべき到達点の一つとして機関部の設計に俺も参加した。その論理的根拠の検証はこれから進めていくことになるだろう」



 いつも通りの冷然とした態度で、すらすらと難解な言葉を述べるクロガネ・シヴ・シノムラ――結局のところ、重要な秘密を告白したところで人間はいきなり別人になったりしない。

 あまりにもざっくばらんで、そのくせ無用なところだけ情報量が過多のわかりにくい解説だった。

 エルフリーデ・イルーシャは容赦なくダメ出しした。半眼のジト目で、科学技術の話になると俄然、饒舌じょうぜつになる男を睨む。


「もっとわかりやすくお願いします」


「…………空を飛ぶバレットナイトだ。従来のバレットナイトとは根本的に機動の概念が異なる。厳密にはジェット推進とロケット推進の違いがあるが、こいつはミサイルのように飛翔することができる」


 説明下手を指摘されて、クロガネは少し悲しそうに目を伏せた。



――あ、ちょっと可愛い。



 ベガニシュ帝国で最も冷遇されているのは、造物塔(遺跡の生産プラント)に依存しない技術開発を求めていた航空機関系の技術者だ。戦時下においては軍事費に多大な投資が行われるが、即物的な成果が出ない基礎研究の分野はむしろ冷遇される傾向にある。

 そこに目をつけてクロガネが口説き落とし、引き抜いた技術者の成果物こそ、この第三世代バレットナイトの推進システムだ。

 理論上は可能であるはずのそれを元にクロガネ自らが開発に参加、引き抜いた技術者たちと心血を注いで完成させたのが、この弾丸的飛翔が可能なバレットナイトだった。


 機関部の構造材などの分野ではまだまだ造物塔に頼っているものの、少なくとも推進システムを成立させる技術的根拠は、この時代の人間が自ら考え出したものである。

 バレットナイトの潤沢なエネルギー供給に任せた電気熱ジェット推進――膨大な電力を注ぎ込み、超高温に熱した大気を推進剤としてジェット噴射を行う推進システムは、間違いなくミトラス・グループが世界最先端の技術を持っている。

 そういう技術的ハードルを越えたことがどれだけ偉大な成果か、などという苦労話は知ったことではないので、エルフリーデは端的な疑問を口にした。


「大丈夫なんですか? 強度とか、バレットナイトが空を飛ぶのって想像がつかないんですけど」


「お前を空中分解する欠陥機に乗せて死なせる趣味はない」


「その趣味、もしある人間がいたら重度の変態じゃないですか」


 それがクロガネの軽口だと気づいて、冗談まで不器用だなこの人、と呆れる。

 だが、クロガネ・シヴ・シノムラが大丈夫だというのなら、少なくとも実用上は問題ないのだろう。

 そういう万全の信頼と共に、エルフリーデ・イルーシャは深紅の鬼神を見上げた。


「これからお前には、こいつの試運転してもらう。サンクザーレへの軍事侵攻が始まるまでのわずかな時間だが、慣らし運転ぐらいにはなるだろう」


「わかりました――この子の名前は?」


 少女に問われて、黒髪の男はニコリともせずにこう答えた。




「――〈アシュラベール〉。旧世界の鬼神アスラ嵐の神バアルの名だ」









 一度きりの不意打ちだった。

 爆発に飲み込まれ、粉砕され、ねじ切れた艦橋の残骸が、炎をまといながら四方八方に飛散する。

 その様子をエルフリーデ・イルーシャは冷酷に眺めていた。

 淡々と心の中で祈る。



――あなたたちの魂に安らぎがありますように。



 撃ちきった二百四十ミリ多連装ロケット砲の発射機――両手で保持する手持ち武器として即席の改造が施されたもの――を放棄する。

 重力に従って落下した発射機が、爆炎を上げて燃え盛る陸上駆逐艦〈ペネテシス〉の元艦橋、今や大破炎上して原形を留めていない構造物の上に落下した。

 強烈な加速Gと共に弾丸のごとく飛び込んだ〈アシュラベール〉は、腰の側面に配置された電気熱ジェット推進装置をぐるんと反転させ、正面方向に向けて逆噴射。

 急激な減速。


 そのまま深紅の悪鬼は、強靱な駆動フレームに任せて艦橋構造物の残骸を蹴って着地する。

 ガガガガ、と足裏で火花が散る。

 陸上駆逐艦〈ペネテシス〉の船体の上を、半ば滑るようにして減速していく――エルフリーデの神懸かった体捌きがなければ、すぐにでも横転してしまいそうな負荷。

 慣性の法則に引きずられていく機甲駆体は、三十メートルほど船体上部を滑ってようやく停止した。



――今ならやれる。



 背部ハードポイントに背負った二本の超硬度重斬刀――刀身に反りの入った両刃大剣――を、右腕と左腕で一本ずつ掴んだ。

 抜刀。

 二刀流の構えとなった深紅の悪鬼は、跳ねるように戦闘機動を取りながら、陸上駆逐艦の推進用ローターに襲いかかる。

 斬撃――真っ二つに切り裂かれた超伝導モーターが、火花を散らしながら機能停止する。

 その作業を八基分、繰り返すだけでよかった。

 陸上駆逐艦〈ペネテシス〉はその推進機関のすべてを喪失、ただ慣性の法則に従って地表を滑空するだけ――航行不能になった陸上駆逐艦は、最早、操舵も減速もままならない置物だ。

 敵艦はまだ混乱している。


 エルフリーデ・イルーシャは敵が体勢を立て直すまでのわずかな時間を逃すまいとした。

 彼女の機甲駆体〈アシュラベール〉は二刀を振るって〈ペネテシス〉の船体構造物を徹底的に破壊して回る。

 無数のレールガン砲塔が切り飛ばされ、多連装ロケット発射機が根元から切り払われ、蹴り壊されたレーダーがへし折れて宙を舞った。

 そうして武装という武装を破壊された陸上駆逐艦〈ペネテシス〉の艦上――深紅の悪鬼が眼下の地上を見下ろす。

 これで作戦の第一段階は完了した。



――わたしはどこまでやれる?



 敵部隊の中核が、陸上駆逐艦になることはクロガネの読み通りだった。

 人間は膨大な費用をかけた決戦兵器を置物にしたくはないものだし、ドゥガリオ公爵家の最大戦力は間違いなく、この動く城塞と呼ぶべき巨大兵器である。

 この陸上駆逐艦の艦砲射撃の射程圏内に入ってしまえば、せっかく味方がこしらえた防空網はたちまち吹き飛ばされてしまうだろう。

 ゆえにこれを空中から強襲して叩く。


 彼らが想定する爆撃とは高高度から爆弾を落とす絨毯爆撃のそれか、急降下爆撃機による対地攻撃である。

 爆撃そのものが大陸間戦争で発明された新戦術だから、それに対応した爆弾が開発されていないのだ――とクロガネは言っていた。

 ゆえにその防空システムには穴がある。


 地対空ミサイルや小口径レールガンさえ当ててしまえば、大抵の爆弾やミサイル、ドローン兵器は無力化できる――それが防空戦闘の常識である。

 バリアである光波シールドジェネレータで攻撃を防ぎ、電気熱ジェット推進システムによって空中で機動変更ができるバレットナイトの奇襲など、彼らはまるで想定していない。

 その結果、陸上駆逐艦〈ペネテシス〉は壊滅した。

 指揮能力、火力投射能力、推進能力のすべてを喪失して、陸上に浮かぶだけの鉄くずになった艦上からエルフリーデは飛び降りる。

 爆発炎上する自軍の中枢を目にして、周囲のバレットナイト部隊が集まって来ていた。

 夕焼け空はもうすでに、夜の闇へと移り変わっている。



――できるだけいっぱい集めたいな。



 なるべく大勢から注目を集めるべく、無線周波数をオープンチャンネルにして広域帯で電波を飛ばす。

 さらに拡声器スピーカーの音量もあげて、傷ありスカーフェイスの少女は朗々と名乗りを上げた。




「――我はヴガレムル伯爵クロガネ・シヴ・シノムラの騎士エルフリーデ・イルーシャ。これより当機は全兵装を行使して殲滅を開始する、命惜しくば投降せよ」




 バナヴィア人の英雄、東海岸奪還で活躍した兵士の名を聞かされて、バレットナイト部隊の間にどよめきが広がる。


『ヴガレムル伯爵の配下となったか、英雄!』


『クラッセン司令官の仇、生かしては帰さんぞ!』


『バナヴィア女が……騎士気取りとは許せぬ!』


 思った通りだった。

 その手に火砲を携えて、百機を超えるバレットナイトの騎士団が、〈アシュラベール〉の周囲を取り囲んでいた。

 前衛に光波シールドジェネレータを構えた機体が陣取り、その隙間から火砲を突き出した後衛が射撃戦を行う――エネルギーバリアである光波シールドジェネレータの実戦配備後、広まった集団戦での基本陣形である。

 この強力な防御兵装の存在によって、ベガニシュ帝国軍は敵国の強固な防御陣地を攻め落としてきたのだ。


 敵は練度が高い。

 こうして動きを見ていても、足並みをそろえてさっと包囲網を展開できている。

 手を抜けば死ぬのは自分の方だ、と覚悟した。


「ごめんなさい、手加減はできない」


 ぽつり、とこぼれた言葉は心からの嘆きだったけれど――敵軍には挑発としか映らぬ言葉だ。

 殺気。

 二十ミリ機関砲が、四十ミリ狙撃砲が、百二十ミリ迫撃砲が、深紅の悪鬼を狙って一斉に放たれる。それは正しく火線の驟雨しゅううであった。

 機関砲が絶えず浴びせかけられる。狙撃砲の運動エネルギー弾が高速で射止めにかかる。撃ち込まれた迫撃砲が、地面に着弾して爆ぜようとする。

 通常の機甲駆体バレットナイトであれば、いずれかを被弾して戦闘能力を削がれ、動きが鈍ったところを仕留められただろう。

 だが、エルフリーデ・イルーシャと〈アシュラベール〉にとっては。



――光波シールドジェネレータ起動。



――破片を防いでジェット推進機構を保護する。



 光波シールドジェネレータが眩いエーテルの輝きを放つ。

 刹那、〈アシュラベール〉はその腰の左右に装着された電気熱ジェット推進機構を使用する。大出力人工筋肉の脚部が地面を蹴って、瞬時に二十メートルの高さに飛び上がる――点火されたジェット機構が、周囲の大気を加熱し、膨張したそれを推進剤として噴射。

 爆発的推力が生まれた。

 瞬時に時速五百キロにまで加速した〈アシュラベール〉が、最前列で二十ミリ機関砲を構えていたバレットナイトの一団に肉薄する。



『――は?』



 あまりに速すぎる動きに、敵は呆けたように動きを止めた。

 稚拙な対応である。

 次の瞬間、真っ二つに切り裂かれたバレットナイト〈アイゼンリッター〉二機が、地面に倒れ伏した。

 慌てて銃口をこちらに向ける敵機の群れ。

 遅すぎる。高精度かつ高速でエルフリーデ・イルーシャの反射速度に追従する次世代型人工筋肉――二刀流で悪鬼が疾走した。


 斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃――瞬く間に十機の〈アイゼンリッター〉が斬り伏せられた。

 二十ミリ機関砲を構えた前衛が切り裂かれ、光波シールドジェネレータの盾を構えた機体が足を薙ぎ払われ、銃を捨てて抜刀しようとした騎士人形が打ち砕かれた。

 装甲が斬り砕かれる音が響き渡り、重低音と共に機甲駆体だったものが大地に倒れ伏す。

 深紅の悪鬼が、ぽつりと呟いた。



「――そっか、



 残り百八機の敵機を見据えて、淡々と事実を述べた少女――同胞がたった十秒で十二機、斬り捨てられたという事実に驚愕するバレットナイト部隊は、確かにそれを聞き届けた。

 騎士たちの間に、煮えたぎった怒気が広がる。


『舐めッ……!?』


 皆まで言い終える前に悪鬼が飛び、斬った。

 人工筋肉による跳躍と電気熱ジェット推進による加速、急旋回を組み合わせた動き――この惑星上で誰も見たことがない立体的戦闘機動という悪夢。


 剣閃、剣閃、剣閃、剣閃、剣閃、剣閃、剣閃、剣閃、剣閃、剣閃、剣閃――狙撃砲を持ったバレットナイトがその砲身ごと切り裂かれた。高級機〈ブリッツリッター〉に乗った騎士が、その右半身を引き裂かれて火花を散らした。自動迫撃砲をゼロ距離で使おうとした〈アイゼンリッター〉が、信管ごと胴体を真っ二つにされた。

 あらゆる戦意と戦技が、それを発揮する間もなく刈り取られた。

 誰もが平等に死んだ。


 陸上駆逐艦〈ペネテシス〉が破壊され、侵攻部隊の指揮官であるクラッセン司令官が戦死した時点で、指揮権を委譲された上級貴族も即死した。

 次の指揮権を持った騎士が、自分にそれが回ってきたと認識するまで六十八秒かかった。

 つまり混乱は一分以上続いたことになる。

 致命的な隙だった。



――深紅の悪鬼が、踊るように二刀を振るう。



 それは死の嵐だった。

 果敢に斬りかかった騎士人形が、見事な太刀筋の刃を弾かれて逆袈裟に斬り捨てられた。命を捨てて同胞と共に刺突した騎士が、飛び上がった悪鬼に踏みつけられて駆動フレームを打ち砕かれた。

 剛剣の使い手で知られる高名な騎士が、巨大な太刀で斬りかかった――二刀流の斬撃によって刃を撃ち返され、自らの剣によって装甲が砕けて死んだ。

 柔剣の使い手と称された剣術の達人が、二刀流で勝負を挑んだ――ジェット推進による飛び膝蹴りで弾き飛ばされ、追い打ちに切り裂かれて死んだ。

 呆然と立ち尽くしていた無名の騎士は、それで命拾いした。手足だけを打ち砕く神速の斬撃が、戦意を失ったバレットナイトを速やかに無力化していった。

 切り裂かれ、打ち砕かれ、蹴り壊され――ありとあらゆる手段で二十六機ものバレットナイトが地面に倒れ伏す。


『待て、待て、何が起きている!?』


『アデナウアー卿、討ち死に! ベルツ卿、討ち死に! キルヒマン卿、討ち死に!』


『バカを言うな――ガッ!』


 超硬度重斬刀による斬撃が、あらゆる場所に飛んでくる。最早、バレットナイトで構成された騎士団には前衛と後衛という役割分担すら許されていなかった。

 容易く頭上を飛び越え、縦横無尽に剣を振るい、殺戮の限りを尽くしては飛び去っていく悪鬼を前にして、二次元的な戦闘機動を前提にして組まれた陣形は意味がなかった。

 そしてエルフリーデは敏感に、指示を下せそうな頭を狙って殺している。

 陣形を立て直そうと指揮を出したものから、野良犬のように断末魔をあげて倒れていく。


『指揮官は!? 今の指揮官は誰なんだ!?』


『ハーマン卿はどうされた!?』


『先ほど討ち死にされひっぎゃああああ!!』


 斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃――打ち返してくる歯ごたえのある騎士もいる。

 壊せたのは半数がいいところだろう。

 しかし第三世代バレットナイト〈アシュラベール〉の動きに追従できるものは一人もいない。


 エルフリーデとて現世に縛られた人間である。慣性の法則に従って動いてはいるのだ。

 ただ深紅の悪鬼は、その異様に頑強な駆動フレームに任せて地面を/敵機を蹴り、電気熱ジェット推進によって空中で自在に方向転換していた。

 熱せられた大気の推進炎は、まるで悪鬼が吐き出す地獄の炎。


 夜の闇が、火焔によって照らされる。

 百二十機のバレットナイトからなる勇猛果敢な騎士で構成されたはずの騎士団は、今や過半数を失い、残る半数も混乱と恐怖の中で集団としての統制を失っていた。

 六十機以上のバレットナイトが戦闘不能となり、さらにその半数の三十機ほどはバイタルブロックを切断され騎手が死亡している。


『あ、悪魔……!』


 あまりにも理不尽で邪悪な殺戮が、名誉と忠誠で彩られた騎士たちの世界観を打ち砕いていた。

 ここにあるのは機関砲や狙撃砲で射貫かれる死ではない。砲撃や爆撃で光波シールドジェネレータごと打ち砕かれる死でもない。近代戦という巨大な戦場の合理性ではないのだ。

 剣術。


 彼らが身体を鍛え上げ、その心身に刻み込んだ近接戦闘技術のはずなのだ。

 ならば抗えるはずである。

 叶うことならば一撃、せめて命と引き換えに悪鬼に一太刀浴びせてやろうという勇者は幾人もいた。


 

 上級機たる〈ブリッツリッター〉すら、加速と減速を自在に行う〈アシュラベール〉の変幻自在の剣には対応できなかった。

 それは人間そっくりの動きを、巨人のスケール感で繰り出す従来のバレットナイトにはない概念――だった。



――あなたたちの戦う意思を、わたしは殺す。



 エルフリーデが次なる犠牲者に狙いを定めた刹那。

 大地を、機銃掃射が薙ぎ払った。

 ロケットポッドから射出された無数のロケット砲弾が、生き残った騎士人形の巻添えも構わず絨毯爆撃していく。

 地上のあちこちで悲鳴が上がるものの、上空から爆撃を喰らわせる機体群――三十六機のティルトローター攻撃機は、味方からの慈悲を請う通信を無視していた。

 彼らの意思は一つだった。


『構わぬ、悪鬼を殺せ!』


『あの悪魔を殺したものが勇士だ!』


『皆でクラッセン司令官の敵を取るのだ!』


 火焔が地上を包む。だが、すでに大地の上にエルフリーデ・イルーシャの姿はなかった。

 高度百八十メートル、航空機にとっては低空飛行に当たる高度――その高さにまで、深紅の悪鬼が飛び上がる。

 跳躍、噴射、加速。

 それは決して優雅な飛行ではなく、ミサイル同然の突進を垂直方向に向けて行っているだけの

 しかし敵が太刀しか持っておらず、自分たちは空から一方的に攻撃できるという優位性が、ティルトローター攻撃機の操縦士たちに慢心をもたらしていた。

 低空飛行による対地攻撃は本来、対空砲火がない状況ならば圧倒的に安全だ。



――だけど、クロガネのくれた駆体からだなら



 深紅の悪鬼が宙を舞う。空中から地上を攻撃するという一方的な優位性を有していたはずの航空機が、機動力で陸戦兵器に追従されていた。

 彼らは対戦車ミサイルをロックオンする暇もなかった。

 文字通り弾丸のごとき深紅の悪鬼――高く高く飛び上がった〈アシュラベール〉が、すれ違い様にティルトローター機のローターを引き裂いた。


『うわぁああああ!?』


 バランスを崩した攻撃機が、重力の呪縛に捕まって真っ逆さまに地面へ墜落していく。

 地獄の業火のごとき推進炎を噴き上げ、夜闇を引き裂いて、悪鬼が次なる獲物へ食らいついた。

 電気熱ジェット推進機構と偏向ノズル、そして可動部を備えたスラスターバインダーの組み合わせによる三次元的戦闘機動――優雅で高貴な貴族に許された乗り物であるはずのティルトローター機は、今や血に飢えた獣の前に放り込まれた子羊のようだった。


『ちょっと待て、なんだこいつは!?』


『高度を上げろ、そうすれば!』


『馬鹿野郎、敵の対空レーダーに引っかかる――』


 うかつにも高度を上げて逃れようとしたティルトローター機が、地上から飛来した地対空ミサイルの餌食になって消し飛んだ。

 ヴガレムル伯領に配備されている地対空ミサイルの有効射程距離は、サンクザーレ侵攻軍の想定よりも長い――その事実を思い知らされ、高度上昇という逃げ道を封じられた航空部隊は、今度こそ地獄を見た。

 高度二百メートルにも満たない低空、航空機にとっては低すぎる高度で、彼らは〈アシュラベール〉に追い回された。

 空対空兵装を持たない彼らは今や、地面に叩き落とされていく戦友の悲鳴を、無線で聞かされるだけの犠牲者だ。悲鳴と怒号が飛び交う中、サンクザーレ侵攻軍の航空部隊は散り散りになって逃げ出すほかなかった。

 夜空に光の筋を描いて、深紅の悪鬼が宙を舞う。高度百八十メートルの高さから地上の敵機目がけて急降下する機影に、心が折れた騎士たちの悲鳴が上がる。


『……悪魔だ、悪魔だアレは!』


『神よ、神よ! 我らを見捨てたのか……!?』









――それは正しく〈剣の悪魔〉と恐れられた一騎当千。








――エルフリーデ・イルーシャの名は、長らく戦場の伝説として君臨することになる。













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機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情 灰鉄蝸(かいてっか) @kaigoat

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