竜は舞い降りた









――ヴガレムル伯領サンクザーレ地方、漆黒の塔〈ケラウノス〉周辺にて。




「始まったか」


 雷鳴のように響く爆撃の音を聞いて、クロガネ・シヴ・シノムラはわずかに目を細めた。黒髪の男は今、移動用に乗ってきたティルトローター機を降りて、地面に足をつけたところだった。

 彼の目の前にあるのは、文字通り天を突くようにそびえ立つ斜めに傾いだ巨塔だ。角度にして七十度ほどの状態で斜めに突き出ている円柱状の構造物は、どうやって自重を支えているのか不可解なほどに安定感に満ちている。

 透き通るような半透明の結晶体で構築された塔の名は、自在軌道戦略熱線砲〈ケラウノス〉――かつて先史文明種プリカーサーを滅ぼした大量破壊兵器である。

 時刻はすでに夕刻を過ぎて、夜に差し掛かりつつあった。

 巨大構造物に夜間、接近するという危険な操縦を難なくこなした彼の従者、ロイ・ファルカが操縦席を降りて、彼を見送りに来ていた。

 夜闇に隠れて、金髪碧眼の従者の表情はよく見えない。


「旦那様」


 これからクロガネはたった一人で、〈ケラウノス〉の内部へ侵入する。

 仕方のないことだった。

 旧文明によって建造されたこの施設は、当時の市民ID、それも高位の階級のものでなければ侵入すら許さない。

 自動化されたセキュリティが作動している限り、この時代で産まれた人間は施設内に立ち入ることすらできないだろう。

 事前調査で判明していた進入口の解錠に成功したのは、ついさっきのことだった。


 クロガネ自身、これほどまでの時間がかかるとは思っていなかった――悪辣なセキュリティの仕掛け方は、設計者の思想が見え隠れしているようだった――ために、こんなギリギリの時間になってしまったが、中央管制室までのマッピングとセキュリティの掌握は完了した。

 内部には重力制御機構が働いているから、傾いだ塔の砲身内部をエレベータで移動することに不都合はあるまい。

 外行きの外套を羽織り、旅行鞄のようなバッグにアクセス用の端末とケーブル類を詰め込んで、如何にも貴族然とした燕尾服姿の男が歩き始める。


「先史文明種である俺以外に、この施設の自壊プロセスを発動させられる人間はいない。これが最善の選択だ」


「私はあなたに救われた身です。ご命令とあらば、どのようなことも致します」


 ロイ・ファルカの忠誠心は厚かった。彼は自分にできることが、主を出入り口まで送り届けることだけだと知ったあとも、最後までその忠義を示そうとしていた。

 俺は部下に恵まれているな、と思う。クロガネという男は、そのようにこの時代で生じた人間関係を整理して、ぽつり、と呟いた。


「……万が一のときは、後を頼んだ」


 エルフリーデとの契約を果たさねばならない。そのような律儀さが、この男には存在していた。主の思考を読み取って、ロイはいつも通りの微笑みを浮かべた。


「はい、旦那様」


「では、行ってくる」


 別離の言葉はそれだけだった。

 片手に懐中電灯を手にしてあまりにも素っ気なく、死地へ赴くとは思えぬ軽い足取りで――従者一人連れることなく、クロガネは〈ケラウノス〉の内部へ侵入した。

 その後ろ姿を見つめる従者だけが、取り残されたようにいつまでも、彼が消えたゲートを見つめていた。

 夜の闇が、すべてを飲み込んでいく。







――戦場は今や、深紅の悪鬼を恐れるものたちの悲鳴が木霊する有様だった。



 もう何十機目になるかもわからぬ敵バレットナイトを斬り捨てたエルフリーデ・イルーシャは、〈アシュラベール〉の機内でモーショントラッカーの動態探知を確認する。

 五百メートル先に複数の音源。

 六輪の装輪戦車チャリオットが、サンクザーレの荒野を走っている。その数は六十両ほど――彼らは半壊した騎士団を見捨てて、この戦場を離脱しようとしていた。

 その向かう先にあるのは、ヴガレムル伯領に雇われた傭兵たちがいる防空陣地だ。

 拡声器で増幅された指揮官の声が、指揮系統が壊滅したバレットナイト部隊に伝えられている。


『戦う意思があるものは我らに続け! この命に代えても奴らの防空陣地を潰すのだ! さすれば空挺部隊がすべて片付ける!』


 エルフリーデは舌打ちしたくなった。

 こちらがやられて一番嫌なことを的確に見抜いてくるな、と思う。

 今のところはヴガレムル伯領側の地対空ミサイルや対空機銃が機能しているから、空挺部隊は〈ケラウノス〉に近づけないでいる。


 しかしそれを護衛しているバレットナイトは必要最小限の数しかいないから、戦車部隊が押し寄せてくれば押し切られる可能性があるのだ。

 ここにバレットナイトの騎士団が合流してくれば、さらにその確率は高まるだろう。

 そして第三世代バレットナイト〈アシュラベール〉は航空機ではない。ミサイルよろしく飛行できるといっても、その限界高度は低空に限られている。

 地対空ミサイルが排除され、敵が十分な高度を取れるようになったらエルフリーデに防ぐ手立てはない。


 敵の恐怖を煽るために徹底的に破壊を行ってきたが、こうして冷静に逃げられるとこちらとしても困る。

 とはいえ戦術的優位はこちらにある。電気熱ジェット推進機構を使って空中を噴射跳躍できる〈アシュラベール〉を、装輪戦車が振り切ることなどできないのだから。

 問題があるとすれば、超硬度重斬刀しか持たないエルフリーデ機では、戦車を倒すのに時間がかかりすぎることだろうか。

 電脳棺を搭載していない電動車両である装輪戦車チャリオットは、機動力でも火力でもバレットナイトに劣る存在だが、その重厚な装甲だけはバカにならない。

 そのように考えて、エルフリーデが電気熱ジェット推進機構を起動させようとした刹那だった。




――夜空が、白熱光に引き裂かれた。




 遠方の空で何かが光って、夜の闇を照らすように火球が生まれ、ちらちらと火の粉を散らしながら地面に落ちていく。

 サンクザーレに展開したヴガレムル伯領側の攻撃ではない。

 あれはちょうどバナヴィア人自治領との境界線のあたりだ。その空で何かが起きて、後方に待機していたであろう敵の航空部隊が撃墜されている。


『なんだ、何が起きた!?』


『デカルト卿との通信途絶……空挺部隊からの応答がありません!』


 敵軍も混乱している。

 半ばエルフリーデ・イルーシャから逃れるように、剣を構えて怯えていた騎士たちが、戸惑いも隠せぬ様子で言葉を交わしている。

 不味い。

 何かが起きている。この状況はよくない。そう判断して、〈アシュラベール〉は大地を蹴った。電気熱ジェット推進機構が点火され、加熱した大気を推進剤にして深紅の悪鬼が飛び上がる。

 一気に高度百メートルの高さまで飛び上がったタイミングで、高熱源体の接近を知らせる警告メッセージが意識を横切った。

 電脳棺のインターフェースからの警告は、恐ろしいほどの高エネルギー照射の可能性を知らせていた。

 次の瞬間、眼下の地上が爆ぜた。

 白熱光。

 それはプラズマ化した物質のあげる閃光だ。


「熱線砲……!?」


 それはエルフリーデの知っている熱線砲の瞬くようなビーム攻撃とは様子が違っていた。

 まるで地上を薙ぎ払うかのように連続照射されたエーテル粒子砲は、残存していた公爵家の騎士団を飲み込み、白熱する地獄の中で焼き払っていた。


『ば、バカな――』


『何が起きて――』


『逃げ切れっ! なんとしても――』


 直撃していなければ電脳棺コフィンは無事かもしれないが、熱波と爆風によって破壊されたバレットナイトの駆動系は無事では済むまい。

 熱線の照射は続く。

 それはエルフリーデから逃げるように地面を走行していた装輪戦車部隊にも、容赦なく浴びせかけられていた。

 粒子ビームを浴びせられた車体は、瞬時にその構成物質を昇華させられ、中の乗員ごとプラズマの火球になって溶け爆ぜた。

 地獄が広がった。

 周囲の車両は発生した熱波と爆風によって横転していく。


『うわぁあぁぁあああ!?』


『た、助けて!』


 混乱に満ちた声が、拡声器や無線越しに聞こえてくる。

 地面が爆ぜる。

 真っ白な光の中で土砂を巻き上げた爆風が押し寄せてくる。文字を描くように照射された粒子ビームの熱波と爆風は、その内側にあったあらゆる機甲駆体と装甲車両を飲み込んでしまった。

 灼熱地獄が生まれていた。


 赤く焼けただれた大地の上に自生していた草木は燃え落ち、火の点いた昆虫や鳥が地面へ墜落していく。

 上空百メートルに退避していたエルフリーデ・イルーシャすら、その凄惨な破壊に言葉を失うような光景だった。

 動態探知に引っかかるものはない――機甲駆体バレットナイト装輪戦車チャリオットも残らず破壊され、少なくともその戦闘能力を喪失したのだ。

 果たして生存者はいるのだろうか、いや、それよりも。

 高速で接近する高熱源体――大気中のエーテル濃度が上昇していくことを知らせる警告メッセージ。

 〈アシュラベール〉に搭載された、近距離戦用のセンサー群すら感知できるほどのエネルギーを秘めた何かが、エルフリーデ・イルーシャ目がけてやってくる。




――夜空を切り裂く推進装置の光が見えた。




 高熱源体。

 おそらくは先ほどの粒子ビームを放った何者か。

 それは反動推進エンジンの焔を吐き出して、排熱のために広げられた四対八枚の翼で大気を引き裂いて。

 高度百メートルの超低空を弾丸のごとく突進してくる何かが、オープンチャンネルに向けて電波を飛ばす。

 〈アシュラベール〉の電脳棺が、それを音声として再生する。



『お久しぶりです、イルーシャ隊長』



 

 3321独立竜騎兵小隊、激戦区を転戦して敵国の遠征軍を迎撃してきた英雄部隊――そんなプロパガンダのために作られた空っぽの部隊に、士官学校を卒業して早々に放り込まれた新品少尉。

 ベガニシュ貴族の伯爵令嬢という生まれでありながら、その確かな能力で小隊の皆の信頼を勝ち取った、愛すべき副隊長。

 銀の髪を長く伸ばして、すみれ色の瞳でいつもこちらを見ていた少女。

 エルフリーデは戸惑いを言葉にした。



「ミリアム……? なんで、きみが」



 ミリアム・フィル・ゲドウィン。

 たぶんエルフリーデ・イルーシャにとっては、戦地でできた友達だったかもしれない女の子。

 問いかけに、答えはない。

 深紅の悪鬼が弧を描くようにして地面へ引かれ落ちていく間にも、ミリアムの融合した未確認飛行物体は空を飛ぶ。


 真っ直ぐに、何者にも縛られることなく、撃ち出された弾丸のように。

 そいつが〈アシュラベール〉のすぐ横を横切った。

 異形だった。

 四対八枚の翼を広げて、異常なまでに肥大化した脚部から火炎を噴き出して、長く突き出した尻尾がある何か。

 先ほど見せた熱線砲から判断して、確実に電脳棺コフィンを搭載した兵器のはずのそれ――だが、決してそれはバレットナイトには見えない。

 邪竜ドラゴンをかたどったかのごとき飛翔体は、その全身を白銀の装甲で覆っていた。



『――やっと、あなたの見ていた景色が見られた』



 感じ入るような声が、すれ違い様に聞こえてくる。

 様子がおかしい。



『その機体はミトラス社の第三世代バレットナイトなのでしょう? あぁ……あなたにはよくお似合いです、イルーシャ隊長』



 視界を横切っていくそれに途方もなく不吉なものを感じた。

 刹那、エルフリーデは電気熱ジェット推進機構を出力全開で起動していた。爆発的推力が生まれ、深紅の悪鬼が大気の壁を押し広げながら白銀の竜に追いすがる。

 不味い。

 ミリアムがどういうつもりでこの戦場にやって来たのかは、なんとなく察しがつく。

 あれはベガニシュ帝国陸軍のバレットナイトのはずだ。ならばミリアムの受けた命令は、この戦場に介入することそのもの。

 その目標はどう考えても、サンクザーレ地方に露出した遺跡――〈ケラウノス〉だろう。

 エルフリーデはオープンチャンネルで呼び掛けた。


「ミリアム、止まって! ここはヴガレムル伯領だ、わたしはクロガネの騎士としてきみを止めなきゃいけない!」


 〈アシュラベール〉はその両手に超硬度重斬刀を構えて、先行する白銀の竜を追った。しかし推力が足りない。この機体にできるのは、どこまで行っても推力に任せた弾丸的な突進の延長線上にある機動だ。

 だというのにミリアム・フィル・ゲドウィンの駆る機甲駆体は、空中を真っ直ぐに飛翔している。

 それでも加速性能では勝っている、と判断する。


 ミリアムの乗っている白銀のバレットナイトは異様なまでに巨大だ。全高五メートルある〈アシュラベール〉の倍はある体躯、十メートルにも達する身長は明らかに大きすぎる。

 どんな素材で軽量化したとしても、バレットナイトという存在である以上、〈アシュラベール〉より軽いとは思えない。

 だが機体を浮かべる総推力、そして長距離巡航能力では明確に相手が上だ。

 どんな手品を使えばこんな推力が得られるのだろう。瞬間的には時速五百キロメートル以上の速度を出せる〈アシュラベール〉と同等などありえるのだろうか?


『……あなたは美しいです、隊長。普通の人間は、たった一機のバレットナイトで陸上駆逐艦をほふり、公爵家の騎士団を半壊させたりはできない』


「ミリアム……?」


 白銀の竜が軌道を変える。真っ直ぐにヴガレムル伯領の防空陣地に向かっていた機体方向を変える。

 推進方向から上方向にピッチアップし百八十度ロールを繰り返し、縦方向にUターンする機動――あるいはクロガネ・シヴ・シノムラがその光景を見ていたなら、インメルマンターンとでも呼ぶであろう動き。

 それまでの推進方向とは真逆の方向への方向転換――その急激な減速についていけず、エルフリーデは戸惑った。

 少なくともこの瞬間、戦闘の天才であるエルフリーデ・イルーシャすら戸惑う戦闘機動マニューバだった。それはこの文明世界において、初めて開発された高速飛翔体による空中戦のための動きだ。


「――くそっ!」


 後ろを取っていたはずの白銀の竜を見失い、〈アシュラベール〉は左右のジェット推進装置の推力を調節。

 左右の電気熱ジェット推進の推力に差をつけて――空中で機体の方向を百八十度反転させる。

 さらに両肩の光波シールドジェネレータでエネルギーシールドを展開、空気抵抗を増大させ減速、急激に増大するGに駆動フレームが軋む。

 高度百メートルでの失速は、即座に地面への墜落を意味する。


「――ッ!!」


 それを電気熱ジェット推進機構の再点火で無理矢理に切り抜ける。目の前に迫ってきた地面の上を、滑るようにホバリングしていく。

 〈アシュラベール〉が大地の上をホバリングしている間、白銀の竜は悠々と上空を飛行していた。

 空中での戦闘機動という概念で、自分の後塵を拝したかつての上官の姿を見下ろしながら――ミリアムは自身の目的を告げた。




『この〈天の業火〉は貴族勢力には渡せません――そしてミトラス・グループにも。すべてはベガニシュ帝国の覇権のため活用されるべきです』




 だから、とミリアム・フィル・ゲドウィンは呟いた。

 すべてを呪うように。







『この腐りきった世界を革命できる力が必要なんですよ、エルフリーデ・イルーシャ。その主体はベガニシュ帝国軍であるべきです』












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