そして少女は終わりを知る







 ベガニシュ帝国陸軍の敵味方識別信号を出す航空機は、地上に残っていたバレットナイトを掃除して去っていた。

 おかげでエルフリーデは易々と残敵を掃討できた。

 やってきたのが自分の昔の副官――もう遠い過去のような気がしてくるが、自分の除隊からまだ二週間も経っていないのだ――だったのはびっくりしたが、すぐに離脱していったので喋る機会がなかったのは残念だ。

 おそらくクロガネが寄越した臨時の援軍だったのだろう、と解釈する。

 ごおおお、と音を立てて燃え盛る森を見る。



――これで外の敵は全滅か。



 おそらく市民の拉致に関わっていたと思しき兵士たちは、熱線砲の発射に巻き込まれて焼死体になっていた。

 貴族の私兵の恐ろしいほどの人命軽視は、味方にも適応されるらしい。

 道中、エルフリーデは虐殺された人々の亡骸を見つけていた。自分では救えなかった犠牲者たち――射殺された人々の亡骸を弔っている暇はなかった。


 このどうしようもない虐殺の証拠をバレットナイトの記憶装置に記録し、告発しなければいけない。

 そしてそのためには、外部と連絡を取る必要があった。

 敵がどこかに電波妨害装置でも仕掛けているのか、長距離通信をしようにも繋がらない。

 クロガネと無線通信が繋がらないのが、こうも心細いとは思わなかった。



――とりあえずポイントアルファに向かおう。



 熱線砲の射手を狩る過程でかなり接近していたこともあり、遺跡の入り口はすぐに見つかった。

 そして今、真っ黒に輝く門が、エルフリーデの前にある。

 それは古代遺跡という単語の響きに反して、まるで磨き抜かれた黒曜石のように艶々と輝く構造体だった。

 古くさい石造りの建物を想像していたエルフリーデは、苔むしていないどころか、風化の形跡一つない異様な構造物に圧倒されていた。


「なんだこれ……まるで磨きたてだ」


 巨大な門である。

 身長四メートルの巨人と一体化している今のエルフリーデが、思わず見上げてしまうほどの高さがある。

 門扉はすでに開かれており、エルフリーデは楽々と内部に侵入することができた。敵機から奪った超硬度重斬刀を片手に、ゆっくりと進む。


 対戦車地雷や爆薬が仕掛けられている痕跡はない。それどころか内部は半透明の素材でできており、塵一つ地面に転がっていないようだった。

 ただ一つ、通信ケーブルと思しき長いチューブ状の構造体だけが、遺跡の奥に向かって伸びている。

 明らかに現代文明の品である。



――歩哨すらいないなんて不用心すぎる。



 遺跡の地下通路は広々とした空間だった。

 横幅だけで十五メートルはあるし、天井も高さ八メートルぐらいはあるだろう。バレットナイトどころか大抵の車両は楽に通行できそうだ。

 基本的に清潔すぎるぐらい清浄な空間に、外部からの侵入者が持ち込んだと思しき足跡の土砂がひどく目立っている。

 おそらく敵はバレットナイトを内部に持ち込んでいる。



――まだ機甲駆体がいるのか。



 やれやれとエルフリーデが肩をすくめた瞬間だった――不意に、電脳棺に対して外部からメッセージが舞い込んだ。

 クロガネの通信ではない。

 見たこともない通信形式、見たこともない発信元からの情報が、自動的に再生される。



――機密レベル5への不正アクセスを検知。



 危険な気配がした。

 やや急ぎ足で通路を進んでいくと、やがて音声が集音センサーに引っかかった。

 地下通路の奥から、大声の話し声が聞こえてくる。

 エルフリーデはそっと近づいた。


『おい貴様、どうなっている? 何か様子がおかしいぞ』


「ガトア家に伝わる制御呪文プロンプトはすべて入力しています。従来の遺跡ならば、これで制御権限をこちらに委譲するはずなのですが――」


『制御できていないだろうが!』


 会話は通路の行き止まりの部屋から聞こえてきていた。

 やはり巨人サイズの馬鹿でかいゲートはすでに開かれていて、あちこちに照明器具だの蓄電池だの通信ケーブルだのが設置されている。


「この遺跡が〈天の業火〉に対する封印なのは、ガトア家の資料からも明らかなのです! もう少し待ってください、古代言語の規則性が少しずつわかってきて――」


『貴様、何を悠長なことを! 敵はすぐそこまで来ているのだぞ!』


「そこをなんとかするのが騎士の皆様でしょう!」


 バレットナイトに乗った騎士と、生身の人間が互いに口喧嘩している珍妙な風景だった。彼らはどうやらエルフリーデを襲撃してきた刺客たちとは情報を共有していないらしく、外の味方が全滅していることも把握していないらしい。

 集音センサーを使っていれば、エルフリーデの〈アイゼンリッター〉がすぐそこまで来ていることぐらい気づきそうなものだが。

 彼らがバナヴィア市民を拉致し、虐殺した一味であることを忘れそうなぐらいの間抜けだ。

 エルフリーデ・イルーシャは呆れかえってものも言えず、手にした片手半剣バスタードソードを構えた。



――パスワード入力の規定回数の失敗を検知。



 不味い。

 何が起きているかは知らないが、意識の片隅に表示されるメッセージウィンドウは、さっきから毒々しい警告らしきものを強調している。

 これはたぶん、電脳棺コフィンに対して直接メッセージが送られてきているのだ。


 どういうことだ、とエルフリーデは困惑する。

 電脳棺はバレットナイトの制御系に用いられているが、その大部分は造物塔で生産されており、先史文明種ではない今の人類にその全容は解明できていない。

 もしかしたら無線の周波数が合ってしまうように、この古代遺跡と電脳棺との間でなんらかの通信回線が確立されてしまったかもしれなかった。


 室内に踏み込む。

 地下通路の最深部にあったのは、横にも縦にも広がった広大な空間だった。

 横幅は三十メートル近くあり、天井もかなり高い。材質はリノリウムのようにも見えるが、よく研磨された宝石のように滑らかで継ぎ目が見当たらない。

 古代遺跡という語感と裏腹に地下空間の空気は澄み切っており、埃一つ舞っていなかった。外が地獄のような火災になっているのに、その影響がまったく感じられなかった。

 最低限の照明しか点いていないことと相まって、まるで消灯後の病院みたいな雰囲気だ。


 モーショントラッカーに感知されたのか、敵バレットナイトがこちらの方に振り向いた。

 動きが隙だらけで、エルフリーデはぞっとした。

 こんな素人がバレットナイトの騎手をすることが、貴族領ではありえるのだろうか。


「あなたたちの仲間は全員、無力化した。大人しく投降してください――今すぐ作業を中断して。さっきから警告メッセージが出てる。あなたたちが原因でしょう?」


『……エルフリーデ・イルーシャか。ベッカーめ、あれだけの手勢で仕留め損ねるとは不甲斐ない男!』


『バイオン卿、ここは私が時間を稼ぎます。お逃げください!』


『バカを言うなマック、賊に背中を見せる騎士がいるものか!』


 敵のバレットナイトは〈アイゼンリッター〉が二機だけ、しかもエルフリーデの前でよくわからない騎士ごっこを始めた。

 おそらく外で熱線砲やミサイルを撃っていた〈ブリッツリッター〉が遺跡の制圧を担っており、この二機は単なるお飾りの現場責任者とその従者なのだろう。


 神官らしき白衣を着た男たちをせかすだけで、仕事らしい仕事をしていないのがこの短時間でも見て取れる。

 紙の書類やタブレット端末を片手に、遺跡の制御端末と思しき台座を操作していた男たち――神官とその助手の五人組だ――が、顔を上げた。

 エルフリーデ機と目が合う。


「ひ、ひぃいい!? 外の連中は何をしてるんだ!」


「すでに全滅しました。ここにはベガニシュ帝国陸軍も派遣されてきています、投降してください」


『バイオン卿、お逃げください!』


『ええい、貴様を置いていけるものか!』


 再度、エルフリーデは呼び掛けたが、バレットナイトの二人は演劇みたいなやりとりに夢中だし、神官たちは恐慌状態で人の話を聞かない。

 これではボンクラの集まりである。



――なんなの、この人たち?



 ひょっとして今まで戦地で自分が会ってきた人々や、ヴガレムル伯領の領主とその部下たちはものすごい上澄みの人材だったのかもしれない。

 とはいえ、神官が恐怖でパニックになるのも無理はなかった。身長四メートルの装甲で全身を包んだ巨人を相手に、人間では勝ち目がなさ過ぎる。

 度重なる熱線砲をギリギリで躱して、エルフリーデの機体はだいぶガタが来ているが、それでも神官数人をひねり潰すことなど造作もない。



――面倒だ、バレットナイトはさっさと処理しよう。



 エルフリーデが剣撃を見舞おうと機体の重心を低くした刹那。

 意識の片隅に流れる警告メッセージの文章が変わった。それはこれまでの毒々しい警告ではなく、より淡々とした事後報告という感じの文章だった。



――当施設〈封印〉は不正アクセスに対する物理排除プロテクトを申請。



――申請は〈ケラウノス〉メインシステムによって受理されました。



――不穏分子による破壊工作の可能性を推測。全システムを再起動しこれに対処します。



 絶対ヤバいなこれ、と直感的に理解する。

 直後、施設内部の照明が切り替わり、真っ赤な警告灯らしき光があちこちからあふれ出す。

 誰がどう見ても古代遺跡は平時の状態ではなかった。泡を食った神官たちが制御端末に飛びつき、あらゆる制御呪文を手動入力し、音声入力を試みて口頭で唱え始めた。


 しかし状況はどう見ても手遅れだった。

 エルフリーデは見切りをつけて、ぱっと身を翻して遺跡の地下通路に戻る。

 地上に脱出しなければどうなるかわからない――そう考えた直後、新たなメッセージが受信される。



――第一段階。これより地表および当施設内の全生命体に対して、情報転換プロセスを実行します。



――半径五キロメートル圏内の市民は、ただちに避難を開始してください。



――なお当施設によって負った如何なる損害に対しても、賠償請求権は発生しません。



 ひょっとしなくてもどす黒いことを喋っているっぽい。

 半径五キロメートル、今からバレットナイトで全力疾走しても間に合うか怪しい距離である。

 走る、走る、走る。

 警報が鳴り響く通路を駆け抜けて、地上へ飛び出す。


 真っ黒な火災の煙と朱色の炎が舐めるように広がる森林火災の真っ只中、青空が見えないほどの紅蓮の悪夢。

 そんな大地の上を疾走する。

 倒れ伏した巨木の上を飛び越えて、一面の炎の中を突っ切る。

 エルフリーデ・イルーシャの必死の足掻きも空しく、古代遺跡が無情なメッセージを飛ばしてくる。



――情報転換プロセスを開始。



 刹那、七色に煌めく極光が、視界のあらゆる場所に生じた。

 大気中を漂う黒煙も、木々を燃やす燃焼反応も、有機物の塊として燃料になった巨木も、積層した大量の土砂も――ありとあらゆる物質世界の存在が、そうではない何かに置き換わっていく。

 サンクザーレ森林地帯に存在しているすべてが、この世ならざる何かによって飲み込まれていく。


 最早、エルフリーデ・イルーシャの抵抗は無駄だった。地面を蹴っていたはずの脚部が、足の先から分解される。

 抵抗するための剣も腕も、その切っ先から光に変わっていく。

 自分の手足のすべてが感覚もなく消え去っていく不気味な光景に、エルフリーデは悲鳴をあげようとして――そうするための肉体がもう存在しないことに気づいた。





――意識が真っ白な光に飲まれていく。





――わたしが、わたしでなくなる。





――わたしは。















 この日、サンクザーレ森林地帯の一角が忽然こつぜんと消失した。

 原因は不明である。












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