銀の射手ミリアム







――ヴガレムル伯領サンクザーレとバナヴィア人自治区の国境、上空三百メートル付近。



 ちょうど境界線ギリギリを飛行しているのは、一機の航空機だった。

 巨大な胴体から鳥の翼のような左右の固定翼を生やし、その先端にそれぞれ一基ずつ大型超伝導モーターと回転翼を持つ乗り物――ティルトローター機と呼ばれる飛行機である。


 長い航続距離と垂直離着陸能力を両立し、積載重量も大きなこの種の飛行機は、ベガニシュ帝国では比較的ポピュラーな乗り物だ。

 通常の回転翼機ヘリコプターに比べて超伝導モーターが二倍の数必要だから、どうしてもコストがかさんでしまうため、もっぱら軍隊と貴族の乗り物ではあるけれど。


 先史文明種プリカーサーのおかげで最初から完成品を入手できるため、その製造難易度は比較的低い。

 何せ、今の人類にとっては航空力学一つとっても、のお手本を見て、その理由を推測するのが学問になっているぐらいだ。


 最初からを与えられているのだから、リバースエンジニアリングの過程ぐらいしか試行錯誤は生じない。

 つまりどういうことかというと、乗り物としての完成度はとても高い――物好きな貴族は中世の暗黒時代から娯楽として飛行機を使っていたぐらいだ――のだ。


 そんな飛行機の機内には、一機のバレットナイト〈ブリッツリッター〉が鎮座している。

 長大な電磁バレルを持つ火砲を、バイポッドを通じて支える片膝立ちの待機姿勢、

 融合しているのはミリアム・フィル・ゲドウィン――貴族令嬢にして元3321独立竜騎兵小隊、つまりはエルフリーデ・イルーシャの副隊長だった少女だ。


 彼女は今、特務を帯びてこの飛行機の中にいた。ミリアムのバレットナイトから数本のケーブルが伸びており、そのケーブルを通じてティルトローター機の通信システムと直結している。

 遠方から届けられる長距離電波での無線通信を終えて、ミリアムは輸送機の操縦士に連絡する。


「たった今、ヴガレムル伯クロガネ・シヴ・シノムラ卿から許可が出た。これより我々はサンクザーレ森林地帯に突入し、現地で紛争を引き起こしている武装勢力を制圧する――侵入しろ」


『了解、サンクザーレ上空に侵入します』


 ミリアムの指示に応じて、ティルトローター機が速度を上げてヴガレムル伯領の領空に突入する。ここはベガニシュ帝国の領土だが、その領土と領空を管理するのはヴガレムル伯爵であった。

 当然のことながら彼に無断で軍を進めれば、貴族と軍部の間でもめ事になる。

 そういう政治的判断が要求されるから、伯爵令嬢である自分にお鉢が回ってきたのだとミリアムは理解していた。


 実のところ軍部はヴガレムル伯領への襲撃があるという情報を、数日前に掴んでいた。そしてあえてその情報を留めて、ヴガレムル伯爵に報せないよう動いていた節がある。

 ミリアムが派遣された経緯を含めて考えると、どうやら軍部はヴガレムル伯領への介入の口実を欲しがっていたように見える。



――貴族も貴族だけど、軍も腹黒いものだ。



 バナヴィア人の市民が拉致され殺害されているという状況を知らないために、ミリアムが抱いたのは上層部の腹黒さへの雑感だけだった。

 輸送機の機体後部ハッチが開く。

 風切り音が響き渡る中、ゆっくりとバイポッドに乗った電磁バレルが輸送機の外へ突き出される。


 ミリアムの機甲駆体バレットナイトが保持する四十ミリ狙撃砲は、長大な電磁バレルを使って砲弾を加速する電磁投射砲レールガンの一種だ。

 バレットナイトに乗って戦場を駆け巡る機甲猟兵――竜騎兵とも呼ばれる――の中でも、特に射撃の成績に優れた選抜射手マークスマンに持つことが許される火砲。


 その長い銃身から物干し竿とも呼ばれ、有効射程距離十キロメートルにも達するこの狙撃砲は、バレットナイトの正面装甲はおろか陸上艦艇の重厚な装甲すら貫徹する。

 つまりはどんな鎧であろうと撃ち抜く必殺の武器だ。



――遠雷のような音が聞こえる。



 それは地上で何かが爆ぜる爆発音だ。

 戦地で聞いたことがあるそれを、ミリアム・フィル・ゲドウィン少尉はよく知っていた。



――熱線砲が使用されているのか。



 ティルトローター機のいる高度にまで届くほど、激しい熱と光が生じていた。

 凄まじい閃光。

 熱線砲の使用によって焼けただれた大地がよく見えた。生木のまま火がついて炭化していく樹木の黒煙が、もうもうと上がって上空にまでまき散らされていく。

 無茶苦茶だった。


 六十メートル級の巨木が林立する森林地帯は、今や業火に包まれて燃え盛る地獄だ。着弾地点をプラズマ化させ周囲に熱波をまき散らす熱線砲は、サンクザーレ森林地帯のような地形で使えば大惨事になる。

 何せ周囲は可燃物だらけなのだ。よく燃えるに決まっている。


 一体誰がこんなことを、などと疑問に思うことはない。

 残念ながら犯人の目星はついているのだ。

 軍内部にいても聞こえてくる噂――どうやら成り上がりもののヴガレムル伯爵と、伝統ある大貴族のドゥガリオ公爵の対立は決定的らしい――を考えれば、時期が時期だけになんとなく察しはつく。

 四十ミリ狙撃砲の砲口を地上に向けながら、ゆっくりとミリアムは広域周波数に乗せて無線を放った。


「こちらはベガニシュ帝国陸軍第3機甲猟兵連隊所属、ミリアム・フィル・ゲドウィン少尉である。地上で熱線砲を使用している機体、ただちに戦闘行動を停止せよ。繰り返す――」


 呼び掛けに対する応答はあまりにも迅速で苛烈だった。

 光の筋が、大気を引き裂くように強烈な輝きを放つ――粒子ビームの煌めきが空間を薙ぎ払う。熱せられた大気が瞬時に上昇気流となってティルトローター機の機体を揺さぶってくる。

 ガタガタと振動する機内でミリアムは確信する。

 上空に向かって熱線砲が発射された動かぬ証拠、つまるところ意図は明白だ。



――目撃者は皆殺しというわけか。



 わかっていたことである。

 公然と他の貴族の領地でこんな破壊行為を行えば、如何なる大貴族といえど処罰は免れない。罪を免責できるだけの建前がまず用意できないだろう。

 ゆえに今、地上で暴れているバレットナイトの騎手たちは、何があっても所属を明かすわけにはいかないのだ。


 そうなると道は二つ。

 敵を皆殺しにするか、自刃して果てるか。

 もとより降伏勧告紛いの呼びかけに、敵が応じるとミリアムは考えていなかった。



――何故、ドゥガリオ公はこんな凶行をお許しになった?



 サンクザーレ森林地帯は世界的に見ても珍しい巨木の森だが、逆を言えばそれだけの土地である。一体どうしてこんな僻地を狙って武力を投じているのか――軍部の狙いも、ドゥガリオ公爵の狙いもミリアムにはわからない。

 知る必要がないから教えられていない、という軍の情報管理の基本は理解している。それにしても不可解な動きが多すぎた。

 だが、疑問は後回しでいい。


 今のミリアム・フィル・ゲドウィンはベガニシュ帝国陸軍の軍人であり、その意向に従わぬものを叛徒として射殺する権限を得ている。

 輸送機を狙った熱線砲の使用は、確かに記録できた。これならば万が一、殺した相手が貴族の身内だったとしても正当な反撃を主張できる。

 どうやら平民出の士官にはさせられない危ない橋を渡らされているな、と思いつつ、狙撃砲を構えた。



――彼我の相対速度、風向、重力、慣性の影響を考慮する。



 

 空中を高速で旋回する輸送機の機内から、地上の動態目標を狙い撃つ。自分自身も狙い撃つ相手も移動している中で、四十ミリ狙撃砲を当てるのは至難の業である。

 だが、ミリアムにとっては造作もない。


 伯爵令嬢ミリアム・フィル・ゲドウィンは優秀な射手だった。士官学校時代の成績は優秀止まりの秀才だったが、彼女は戦場でその才能を開花させ、類い希なる狙撃手になっていた。

 複雑怪奇なパラメーターが絡み合った砲弾の軌道を予測し、敵の未来位置に対して偏差射撃する。


 言葉にすればそれだけの行いだった。

 バレットナイトの優秀なセンサー群が、精密射撃に必要なあらゆるデータをミリアムに直接教えてくれる。

 これは少女にとっては誇るべき技能――伯爵家の身分も、その社会資本によって受けてきた幼少期の教育も関係なく、軍に入って開花させた自分だけの才能だった。


 敵の現在位置は丸見えだ。

 熱線砲は欠点が多い兵装である。凄まじい破壊力を持つ反面、発射時の発光現象によって容易に射手の座標を敵に教えてしまう。

 本来、狙撃から身を隠すのに最適な巨木の森を、敵は自ら焼き払ってしまっている。

 大量のエネルギーを消費する上に放熱にも難があるから連射が効かないのも痛い。

 熱線発射装置そのものの製造難易度が高く、また製造コストも高価であることと相まって、未だにバレットナイトの主力武器にはなり得ていないのだ。



――今だ。



 照準器の中でちょこまかと地面を動き回る敵を見て、引き金を引いた。

 電磁加速式火砲ガウスキャノンである四十ミリ狙撃砲の電磁バレルが莫大なエネルギーを帯びて、砲弾を投射する。

 超高速で発射された弾体は、気流と重力と慣性の影響を受けながら突き進み――バレットナイト〈ブリッツリッター〉の正面装甲を撃ち抜いた。


 凄まじい速度の砲弾の直撃を受けて、その特殊樹脂で構築された装甲――同じ体積の合金以上の強度、高い経済性と生産性を誇る――は砕け散り、電脳棺コフィンに収められていた意識諸共、そのすべてが破壊され尽くした。

 熱線砲を装備した機体の無力化は困難だ。発射される熱線の破壊規模が大きすぎて、その危険性は従来の火砲を装備した機体の比ではない。


 なのでこうして一撃で機体中枢を破壊するしかないのだが――これでは捕らえて事情聴取ができないな、と思う。

 そのとき警報が鳴った。

 ミリアムが乗っている航空機が、何者かにロックオンされたのだ。


『ミサイルです!』


「チャフ! 私が撃ち落とす!」


 急速旋回するティルトローター機が、ミサイルのセンサー群を欺瞞ぎまんすべくパッシブ・デコイを発射する。

 レーダー波を反射する大量のデコイ――これでレーダーと連動するタイプのミサイルはどうにかなる。

 続いて第二波を報せる警報。

 レーザー照射による直接誘導と思しきミサイルが、地上から打ち上げられるのが見えた。


 バレットナイトが背負うタイプの地対空ミサイルだ。高性能な各種センサー群と制御システムが備わっているバレットナイトは、こうして地対空ミサイルのキャリアとしても利用される。

 レーザー光線を使って誘導するタイプのミサイルは厄介だ。レーダー波に対するチャフのような防御手段がない。

 しかしミリアムには、どこをどう撃てばいいのか見えていた。



――そこか。



 引き金を引く。

 次の瞬間、こちらに向かって発射されていたミサイルが空中で爆発した。真っ正面から四十ミリ砲弾を浴びせられて、ミサイルの弾頭もロケットモーターも跡形もなく消し飛んだのだ。

 ティルトローター機がまた急旋回する。斜めに傾いだ機内で踏ん張りながら、ミリアムは地上の敵を狙い撃った。


 照準器の中で地対空ミサイルを装備したバレットナイトが砕け散る。

 次の敵を探す――火焔と黒煙に塗れて、燃え盛る樹木が火の粉を降らし、野生動物が火災から逃げ惑う地獄絵図。

 巨木の森で知られるサンクザーレ森林地帯は、今や火焔に包まれた灼熱地獄だった。


『煙がひどい! これ以上は墜落の危険があります!』


「高度は上げるな、狙い撃ちされる!」


 輻射熱が感じられるほどの大火だった。

 黒煙の影響を避けるなら上空に退避するのがいい。しかしそうして高度を取ると、遠くから狙い撃ちされる危険がある。

 実に面倒な状況である。

 そう思いながらミリアム・フィル・ゲドウィンは次の敵を捕捉――こちらを狙い撃とうとしていた敵バレットナイトを射殺。


 大穴が開いた機甲駆体が倒れる。

 軍が掴んでいる情報が正しければ、あと数機、サンクザーレ襲撃に加わったバレットナイトがいるはずだった。

 敵を探してセンサー群を働かせていたミリアムは、地上で動くあるものを見つけた。

 敵味方識別信号は事前に連絡があった――ヴガレムル伯領の手勢のものだろう。巨木の影に隠れていた敵に斬りかかるそのバレットナイトの動きに、ミリアムは見覚えがあった。



――あれは。



――エルフリーデ・イルーシャ隊長?



 彼女の戦闘機動マニューバを自分が見間違えるはずがない。

 震えるような感動と底知れない落胆を同時に覚えながら、ミリアムはティルトローター機の機長に指示を出した。


「よしっ! 全速力でこの空域を離脱する!」


 ティルトローター機がその回転翼を正面方向に傾け、巡航速度を上げてサンクザーレ森林地帯から離脱していく。

 背後に広がる地獄のような風景を見下ろしながら、ミリアムは電脳棺の中でその表情を曇らせた。

 美麗な貴族令嬢の脳裏をよぎったのは、親愛であり悲嘆であり慚愧ざんきだった。



――エルフリーデ、あなたが無事でよかった。



――ですが、貴族の私兵になっているあなたを見たくはなかった。



 自らの崇拝対象が、今やヴガレムル伯クロガネ・シヴ・シノムラの尖兵となっていた事実に、ミリアムは頭が痺れるような衝撃を味わっていた。

 そして大貴族と軍部の絡んだ陰謀の最中に、まだ彼女がいることに、例えようもない哀しみを覚えた。

 軍を去ろうとも、やはりエルフリーデは英雄なのだ。







 そのことに運命の悲哀を感じながら――、少女は微笑んだ。












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