虎乱の剣








――銃声が響いた。



 発砲したのはエルフリーデの〈アイゼンリッター〉でも、刺客どもの〈ブリッツリッター〉でもない。

 はるか遠方、ポイントアルファの方角から聞こえてきた銃声を、エルフリーデ・イルーシャはよく知っていた。

 ベガニシュ帝国陸軍が正式採用している歩兵用自動小銃弾、六・八ミリ弾の掃射音だ。

 それは人間を射殺する用途に特化した銃弾だった。断続的にその音が響いてきた意味を察して、血が凍るような思いで少女は喉――拡声器スピーカーを震わせる。


「――何の関係もない人たちを、なんで殺す?」



 最早、言葉を交わす意味すら感じられないような断絶がそこにあった。

 たった今、エルフリーデの手が届かない場所で殺された人々は、ヴガレムル伯領の兵を引き込むためだけに――いいや、エルフリーデ・イルーシャをおびき出すために拉致され、虫けらのように命を奪われたのだ。

 信じがたいほど、ここでは人の命が軽い。


 次の瞬間、火線がエルフリーデ目がけて発射された。

 電磁機関砲の凄まじい銃火が、敵バレットナイトから嵐のように浴びせられた。

 そのすべてを回避する。地面を蹴って、真横にあった巨木の幹を蹴って、まるで猫科の猛獣のごとく身長四メートルの巨人が宙を舞う。


「腐ってる。人間をなんだと思ってる!」


『卑劣なバナヴィア人がどの口でほざく――お前たちは同胞すら裏切り、ベガニシュ人の税で肥え太るウジ虫に過ぎぬわ!』


 



――えらく直球の罵倒。



 自身に浴びせられた罵声を評して、醒めた目でエルフリーデは二十ミリ機関砲を照準する。

 空中で敵機を捕捉、銃口を向ける。

 発砲。

 電磁投射砲の電磁バレルにエネルギーが行き渡り、凄まじい加速を得た砲弾が連続発射された。


 それはバレットナイトの正面装甲――分厚いアルケー樹脂によって覆われている――には効かないが、関節や装甲の薄い部分であれば容赦なく撃ち抜けるだけの運動エネルギー弾だ。

 しかし、その砲火が弾かれる。


 〈ブリッツリッター〉が展開した光の盾――光波シールドジェネレーターが、エーテルパルスによって砲弾の質量を打ち消したのだ。

 連続発射された機関砲弾を、丸ごと消失させる激しい輝き。

 最悪だ。敵はおそらく全機が光波シールドジェネレーターを装備している。

 つまり防御力は見た目以上、少なくとも二十ミリ機関砲で九機すべてを仕留めるのは不可能に近い。



――ああ、面倒だな。



 エルフリーデ・イルーシャはため息でもつきたい気持ちで、武装を持ち替えた。背部ハードポイントに二十ミリ機関砲をマウントして、代わりに長大な剣を引き抜く。

 抜刀。

 超硬度重斬刀を構成する特殊合金に掌からエネルギーが供給され、瞬時にその物理強度を引き上げる。


 それは両刃の大剣だった。ありきたりの両手大剣ツヴァイヘンダータイプ、機甲駆体の膂力に任せて片手で振るう全長三百五十センチメートルの刃である。

 あまりにも手慣れた動作で、流れるような所作だった。本来、隙になるはずの武器を持ち替えるタイミングを逸して、敵がわずかにうろたえるのがわかった。

 エルフリーデ今、自分の機嫌が最悪なのを自覚した。


「――決めた。あなたたちは殺してやらない。生き恥をさらせ」


 挑発である。

 一斉に戦闘機動を取り始めた〈ブリッツリッター〉の編隊、紫色の騎士たちが地面を蹴る。

 こちらの〈アイゼンリッター〉の高さまで、一跳びで追い付いてくる驚異的な跳躍力――流石に改良型だけあって動きが軽やかだ。


『抜かせよ下女が!』



――すごい。



――こっちの好感度が下がること喋らないと死ぬのか?



 たぶん生身だったら、今頃、皮肉な思考が顔に出ていたかもしれないと思う。

 跳躍、跳躍、跳躍。

 サンクザーレ森林地帯の巨木の群れの合間を、木々を蹴りつけながら舞うバレットナイト。


 騎手を搭乗させるのではなく融合させる電脳棺コフィンだから可能な戦闘機動――生身の人間ならばGで失神しているような動き。

 エルフリーデの〈アイゼンリッター〉は上下運動を交えながら、空中を飛び回るようにして、追いすがる〈ブリッツリッター〉の群れを翻弄していた。


 駆動フレームを限界まで酷使する。足腰の関節が軋みをあげる中、すれ違う瞬間を狙って斬撃を見舞う。

 敵はなまじ運動性に優れる機体だからこそ、エルフリーデの三次元的な動きに追従できてしまった――コンマ数秒、反応が遅れた〈ブリッツリッター〉の右腕と右脚が切断された。そのまま失速した機体が地面に激突し、動かなくなる。



――これで一機。



 大型両手剣ツヴァイヘンダーの返す刃で、下方から襲い来る別の〈ブリッツリッター〉を斬り伏せる。

 片手剣で斬撃を受け止めようとした敵は、膨大な運動エネルギーを浴びた超硬度重斬刀の刃に押し込まれ、その胴体を真っ二つにされて散った。

 砕け散ったアルケー樹脂の装甲が、破片となって四散する。

 即死だ。



――これで二機。



「ごめん、加減し損ねた」


『ディートハルト!』


 敵が仲間の名を叫ぶのと同時に、エルフリーデは地面に着地。

 その瞬間を狙って、敵が突撃してきた。

 片手剣タイプの超硬度重斬刀を右腕に、光波シールドジェネレーターを左腕に携えて――三機の〈ブリッツリッター〉が三方向から襲い来る。

 悪くない。三方向からの同時攻撃、同士討ち覚悟のそれは、強敵を仕留める覚悟の乗った必殺剣だった。


 おそらくはどこかの貴族領の私兵、幼少期から命を捨てる戦術を叩き込まれ、忠誠心によって即座に自分の命を捨てられる手合いだ。

 砲弾を弾く光波シールドジェネレーターとて、同種の兵装に多重干渉されればその効力を失う。


 力場をまとったバレットナイトの機体そのものを弾丸に見立てた同時攻撃――瞬間、エルフリーデは〈アイゼンリッター〉の機体を横に倒した。まるでスライディングの要領、地を這うような低さで左右および正面からの刺突を避ける。

 ぐるん、と円を描くように斬撃を繰り出す。

 破砕、破砕、破砕。

 両足の膝から下を失った三機の〈ブリッツリッター〉が、転げ落ちるように地面に倒れ伏した。



――これで五機。



 左腕の腕力を使って、跳ね起きるようにして機体を立て直す。駆動フレームのパワーでバネでも仕込まれたように飛び起きる――次の瞬間、地面を無数の砲弾が撃ち抜いた。

 炸裂弾を用いた機関砲による掃射だ。飛来する破片を器用にエーテルの盾、光波シールドジェネレーターで弾いていく。


 多少、アルケー樹脂の装甲が砕けたが問題はない。

 〈アイゼンリッター〉の駆動フレームは悲鳴をあげていたが、エルフリーデには機体を労る余裕がなかった。

 十五秒にも満たない攻防で部隊の過半数を喪失して、敵部隊の指揮官――これまでの動きからして間違いなく司令塔になっている機体だ――が一歩、前に進み出る。


匪賊ひぞくにしては悪くない腕だ』


『ベッカー様、こいつは危険です』


『お前たちでは勝てんよ』


 狩り場だの狩りの時間だのと格好つけていたゲスが、今度は一騎打ちの真似事か。

 悪趣味な騎士ごっこに辟易しつつ、エルフリーデ・イルーシャは両手大剣ツヴァイヘンダーを左右の腕で握りしめた。

 半身になって左半身を正面方向に向け、超硬度重斬刀の刃を寝かせて構える。腕の関節は余裕を持って折り曲げられて、いつでも斬撃/刺突を切り替えられる余裕がある。


 これまでの我流剣術から打って変わって、正統派の騎士剣術を思わせる構えだった。

 見ている側が惚れ惚れとするような見事な所作だった。

 少女が十代半ばで徴兵され、軍隊格闘術の基礎と実戦経験でしか学んでいない若者であるなどと誰に想像できるだろうか?

 感嘆したように敵指揮官機が呟いた。


『惜しいな、バナヴィア人でなければ腕の立つ騎士になれたものを――』


 同じく半身となって右半身を正面に向け、片手半剣バスタードソードを握った右腕だけを前に突き出した構え。片手半剣は両手大剣に比べれば中途半端な長さで間合いに劣るが、十分な間合いの長さと質量を秘めている。

 バレットナイトの膂力パワーで振るうのであれば、アルケー樹脂で構築された装甲を打ち砕くことなど造作もあるまい。


 互いに左腕には光波シールドジェネレーターの盾を装備。砲弾の運動エネルギーを受け止められるエーテルパルスの障壁は、超硬度重斬刀を防ぎきることはできない。

 刀身に対して通電させ、バレットナイト本体の膨大な出力を武器に変えている近接兵装――徹甲弾のような運動エネルギー兵器や、炸裂弾のような化学エネルギー兵器とは原理そのものが異なるがゆえの相性。


 それでも斬撃や刺突の帯びた運動エネルギーを削ぐのには利用できるから、エルフリーデと敵の指揮官機は、互いの光波シールドジェネレーターを警戒していた。

 睨み合いにはならなかった。

 動きを止めれば囲まれて死ぬのはエルフリーデの方なのだ。


「こんなのは、ただの暴力だ」


 少女の駆る〈アイゼンリッター〉――灰色の騎士人形が、一歩前に踏み込む。

 両手で柄を握られた大剣がひるがえり、風を切り裂きながら袈裟懸けの斬撃。

 同時に敵の〈ブリッツリッター〉――紫色の騎士人形が斬り込んでくる。

 ぎぃん、と刃と刃がかち合った。


 両者の斬撃は拮抗している。

 より大型で質量の高い両手大剣ツヴァイヘンダーに速度が乗り切る前に、片手半剣バスタードソードを当てて鍔迫り合いに持ち込んだのだ。

 エルフリーデは即座に両手大剣の柄から左手を離した。



――強いな、手練れだ。



 そして自由になった左腕の光波シールドジェネレーターを起動させ、発振状態になったエーテルパルスで敵を殴りつける。

 その動きを読んでいたかのように敵機も左腕の光波シールドジェネレーターを起動させる――発振状態のエーテルパルスとエーテルパルスがぶつかり合い、眩い光を放って互いの目を潰す。


 刹那、灰色の騎士人形が身をかがめた。

 〈アイゼンリッター〉の腰が深く沈み込み、ぐるんと腰から下を回転させて足払いをかける。

 すねを狙ったローキックのような鋭い蹴撃だ。

 エルフリーデの〈アイゼンリッター〉は敵の〈ブリッツリッター〉に比べれば重たい旧型機だが、それゆえに体重を乗せた一撃はよく効いた。

 一瞬、紫色の騎士人形〈ブリッツリッター〉の姿勢が崩れた。



――もらった。



 両手大剣ツヴァイヘンダーの柄に左手を添えて、ぐりん、と刃を閃かせた。弧を描くように跳ねる刀身――敵の片手半剣バスタードソードを巻き込み、その刃を絡め取る。

 跳ね上げられた剣に追従して、〈ブリッツリッター〉の両腕が伸びきってしまう。

 こうなると尋常の剣術ではどうにもならない。関節の伸縮運動を組み合わせ、斬撃や刺突に変換するのが剣術の術理の一つである。


 全身の関節が伸びきった状態では、反撃のしようがないのだ。

 だが、これは機甲駆体バレットナイト同士の決闘――人間にはない兵装が牙を剥くこともある。

 〈ブリッツリッター〉の胸部内蔵機銃が火を噴いた。対人用の六・八ミリ小銃弾が、エルフリーデ機の頭部目がけて浴びせかけられる。


 目潰しだ。

 バレットナイトのセンサー群は頑丈な防弾樹脂で保護されている。対人用の機銃弾では破壊できない。

 しかしコンマ数秒、エルフリーデ・イルーシャは視界を奪われた。


『ぬおっ!』


 衝撃――敵は片手半剣バスタードソードを捨てて、体当たりを仕掛けてきたのだ。エルフリーデは冷静だった。衝突時の勢いを利用する。両手大剣を握ったまま仰向けに機体を倒す――タックルでぶつかってきた敵機を投げ飛ばす。

 柔術で言うところの巴投げの要領である。


 綺麗に決まった。

 〈ブリッツリッター〉タイプの強靱な駆動フレームが生み出す瞬発力のまま、敵機が姿勢を崩してすっ飛んでいく。

 それでも地面への激突を避けようと、紫色の騎士人形が両手を地に着けた瞬間――エルフリーデが投擲とうてきした両手大剣が、その胴体を串刺しにした。


『ぐ、が……!?』


 まるで昆虫標本にピン留めされた虫のようになって、〈ブリッツリッター〉指揮官機は無力化された。

 惜しむらくはバイタルブロックに直撃しているから、これでは生き恥をさらす前に死んでしまうことか。

 びくびくと痙攣けいれんする敵指揮官機が、掠れたうめきをもらした。


『アルフ……ド様……申しわけ……』


「――あなたが詫びるのは、犠牲になった人々に対してだ」


 敵が捨てた片手半剣を拾い上げて、エルフリーデ・イルーシャは刃を構える。度重なる無茶な戦闘機動のせいで、背面に装備していた重機関銃は壊れてしまったようだ。

 デッドウェイトとなったそれらをパージする。


 身軽となった〈アイゼンリッター〉に対して、残る三機の〈ブリッツリッター〉が怯えたように後ずさる。

 次の瞬間、誰にとっても意外なことが起きた。

 最後の力を振り絞って、串刺しになった騎士人形が声を張り上げたのだ。


『……ねっせ……砲の、使用許可を出す! 撃て!』


「何ッ!?」


 伏兵か――だが、このサンクザーレ森林地帯は六十メートル級の樹木が林立しており、如何に有効射程が長い武装であろうとその使用に適さない。

 高密度の植物性繊維が積層されて構築された巨木の群れは、砲弾すら受け止めてその威力を大幅に削いでしまうのだ。

 冷静にエルフリーデ・イルーシャが回避運動を取った刹那、遠方で何かが光った。

 ちかっ、と明滅。



 そして

 まず爆発的な物質の状態変化――プラズマ化が引き起こされた。

 視界に入るものすべてが一瞬で炎上し、白い炎を噴き上げながら灰に変わっていく。瞬時に根元の組織が炭化した巨木が、音を立てて倒れ込む。続いて生じた衝撃波が、爆発音と共に周囲を薙ぎ払う。


『ぎゃああああ!?』


 大質量の巨木に挟まれて、生き残っていた敵の一体が、悲鳴を上げながら砕け散った。

 エルフリーデは咄嗟に構えた光波シールドジェネレーターで難を逃れていたが、外気温が急上昇していること、そしてエーテル粒子濃度を警告メッセージから読み取る。



――熱線砲か。



 ベガニシュ帝国が誇る指向性エネルギー兵器、反応炉リアクター電脳棺コフィンから供給される大電力を元に、エーテル粒子を加速して投射するビーム砲である。

 発射地点はポイントアルファ、おそらくはクロガネの言っていた古代遺跡の制圧のため、動いていた別働隊といったところか。


 エルフリーデも戦地で何度か、友軍が使用しているところを見たことがある兵装だが、こうして使用されると最悪の武装だ。

 超高速で飛来する熱線は、着弾地点の物質をプラズマ化させ、周囲に熱波と爆風をまき散らす。当たれば必殺の狙撃と榴弾がワンセットになったような質の悪さだ。


 先ほどのデータから射手の現在位置を割り出す。

 現在地点から数えて北に二キロ先――再び何かが光るのと〈アイゼンリッター〉が跳躍したのは同時だった。

 はるか遠方で極超音速で熱線が撃ち出され、視界が真っ白に染まる。



――第二射。



 プラズマ化した地面が白く爆ぜて、周囲に熱線と爆風がまき散らされる。こうなっては敵も味方もあったものではなかった。

 エルフリーデの恐るべき剣を逃れ、生き残った〈ブリッツリッター〉が悲鳴を上げて逃げ惑う。

 かと思えばエルフリーデの〈アイゼンリッター〉に追いすがるものもいた。


『ベッカー様の仇ィ!』


「邪魔だよ」


 何を血迷ったかこちらの突撃してきた愚か者を、一刀の下に斬り伏せて、エルフリーデは射手のいる射点へと機体を疾走させる。

 携行型熱線砲は強力な火器だが、運用上の欠点もある。

 その欠点を突くことができれば、まともな射撃武器を失ったエルフリーデにも勝機はあるはずだった。


 走る、跳ぶ、走る。

 みしみしと関節が軋む。

 長時間の戦闘機動と格闘戦の衝撃、そして熱線砲の二次被害で痛めつけられた機体が、悲鳴を上げているのがわかる。

 外殻であるアルケー樹脂装甲もボロボロで、操縦インターフェースに表示されるステータスを見れば、異常箇所だらけなのが一目でわかる有様だった。



――これじゃクロガネに怒られるかな。



 あの男に叱られるのは、さぞ腹が立つことだろう。

 そう思いながら、少女は剣を手にして死地へ飛び込んでいった。






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