先史文明種






――ぶおおおおおおん、とローターブレードが回転する。



 青空の下を一機の航空機が飛んでいる。

 二基のエンジンを固定翼の先端に備え、回転翼によって飛翔するティルトローターの輸送機は、現在、対地高度百メートルほどの高さを低空飛行していた。

 極めて航空力学的に洗練された形状の飛行物体は、しかしその胴体部分から異物を吊している。

 甲冑を着込んだ騎士を思わせる巨人、身長四メートルの機甲駆体バレットナイト〈アイゼンリッター〉である。その背中の右側に長大な太刀を、左側に重機関銃を背負ったバレットナイトの騎手はエルフリーデ・イルーシャ。

 黒々とした深い森に覆われた大地の上を、輸送機が高速で飛んでいる。

 突然、クロガネから舞い込んできた仕事だった。

 筋トレでもしながら読書に勤しもうと思っていた少女は、その数時間後にはティルトローター輸送機から吊されて旅をする羽目になっていた。


『近隣のバナヴィア人自治区から住民が何者かに連行されたという情報が入った。場所はヴガレムル伯領の西部、サンクザーレ地方との境界線に近いエリアだ。集められた情報から、住民はヴガレムル伯領の側に連れ去られたと見ていい』


 バナヴィア人自治区からの連れ去り。

 バレットナイトの操縦インターフェースに表示された情報によると、住民を連行していった連中は、防弾鎧を着て自動小銃で武装した複数人の男たちだったという。

 突然、自治区の中の町を襲った賊の一団は、銃で住民を脅して広場に集めると、軍の放出品と思しきトラックに十数人を詰め込んで走り去った。

 金目のものには目もくれず、あっという間に拉致していったのだという。


「こういうのって普通、警察のお仕事じゃないんですか?」


 エルフリーデが当然の疑問を口にする。

 するとすぐに通信で答えが返ってきた――高高度に滞空している通信中継気球を介したレーザー通信である。その原理上、電波による無線通信と違って傍受される恐れがないのが利点、というのがクロガネの言である。

 何かあると人を犬呼ばわりする悪癖の割に、クロガネ・シヴ・シノムラはいろいろと教えたがりの人間だった。


『問題はいくつかある。まず場所がヴガレムル伯領と自治区の境にあること。次に賊の規模が不明であること。最後にこの地域そのものが、俺にとって重要な調査ポイントであることだ』


「……つまり伯領と自治区それぞれの警察の管轄が重なり合ってて手出しできない? さらに伯爵の大事なものが置いてあって、賊はそれを承知でここに来た可能性があって……大規模な部隊を派遣したくない、ということですね?」


『まだ未確定の段階だ。ここには調査中の遺跡……先史文明種プリカーサーの遺産の末端がある』


 ヴガレムル伯爵は常日頃の余計な饒舌じょうぜつさ――喋らなくていい一言でエルフリーデの反発を買うのがお約束だ――を発揮せず、それだけ言って黙り込んだ。

 何故だろう。

 この男らしくないな、と思った。

 エルフリーデ・イルーシャが続きを促すように黙っていると、しばらく無言だったクロガネがようやく重い口を開いた。


『……先史文明種プリカーサーは現在の文明が芽生えるより以前、この世界に繁栄していた高度科学文明の総称だ。お前の搭乗している機甲駆体バレットナイトも、中枢である電脳棺コフィンや駆動フレームの生産では、この時代の施設に全面的に依存している』


「それってヴガレムル市にもあった高い建物ですか?」


『ああ、神官どもが魔法の呪文プロンプトで制御していた造物塔タワー――生産プラントはその代表格だ。ベガニシュ帝国もバナヴィア王国もガルテグ連邦も、元を辿ればこれらの遺産の生産力を元手にして栄えた国と言えるだろう』


 なるほど、言われてみるとヴガレムル市の歴史についてのパンフレットでも、造物塔タワーについては触れていたように思う。

 古代文明の遺跡というと如何にも古くさい石造りの神殿を思い浮かべてしまうが、実際にはそういうことはなく、何千年、何万年という時間経過にも耐えて稼働し続ける機械設備なのだ。

 現在の人類には理解不能なとんでもない技術によって、どんな資源でも無尽蔵に作り出せてしまうのだという造物塔は、確かにクロガネにとっても重要な調査対象だろう。

 そのようにエルフリーデは納得した。

 そしてふと、素朴な疑問を口にする。


「こういうのって普通はロイさんとか部下の方とかが担当するのでは?」


『俺の部下は優秀だ。領地と企業の経営はある程度、代理のものに任せてもいい程度に育ててある――この状態でも書類仕事はできる』


 さらりと恐ろしいマルチタスク技能を披露してくるクロガネ。わかってはいたがこの男、恐ろしく優秀なのではないだろうか。

 今、彼がどこから通信をしてきているのかは定かではない――シノムラ家の屋敷か、ミトラス・グループの本社ビルだろう――が、いずれにせよ、クロガネ・シヴ・シノムラという人間はとても仕事ができるらしい。

 そうでなければ企業連合体の代表と帝国貴族の掛け持ちをして、その二つを十五年で成長させていくなんて不可能だろう。

 クロガネに対する好意的な評価が、自分から出てくることに驚いた――そもそも彼が何歳なのかすら、エルフリーデは知らないのに。

 自分の心境の変化に驚きつつ、少女は軽口を叩いた。


「わたしって割と重要視されてたんですね」


『そうだ。――


 心臓が止まるかと思った。

 戸惑いながらエルフリーデ・イルーシャはうめき声を漏らした。


「……口説き文句?」


『真面目にやれ。作戦中だ』




――理不尽すぎる。




 少女は声にならない抗議の声を挙げながら、ティルトローター機に吊されて移動していった。







 ティルトローター機が機首を下げる。ヴガレムル伯領に入り込んだ賊が、地対空ミサイル(歩兵の持ち運びできるミサイルランチャーの類でさえ脅威になる)の類を持ち込んでいた場合を警戒して、低空飛行してきたが、今のところ敵からの攻撃はない。

 とはいえ自分を寄越してきた以上、クロガネはバレットナイト同士の戦闘を想定しているのだろう。

 地面すれすれの高度にまで下がった飛行機から固定具とワイヤーがパージされ、灰色の巨人〈アイゼンリッター〉が高速で空中に投げ出された。

 帰り道は後続の部隊――伯爵の息がかかった民間軍事会社(退役軍人などを集めて組織された警備会社。軍隊と契約して仕事を請け負う傭兵)がやってくる予定だ――に拾ってもらうことになっている。

 重力と慣性の法則に従って自由落下し始めたバレットナイト――眼下には深い森が広がっている。

 エルフリーデの駆る〈アイゼンリッター〉は高速で地面へ向けて落下していく。

 減速用パラシュートが開く。


 落下傘が海を泳ぐクラゲのように花開き、空気抵抗を増大させて急速に〈アイゼンリッター〉の速度を殺していく。

 ティルトローター機によって速度が乗っていたため、その落下軌道は斜め前方向に落ちていくような形になっていた。

 森の広がる巨木の群れが視界に迫ってくる。

 空中で落下しながら。背面の武装ハードポイントの上から被せるように取り付けられた落下傘パックは、取り付けたままだと背中の武器が運用できないからだ。

 まだ減速は十分ではなかったが、エルフリーデの技量ならば問題なかった。

 少女と一体化したバレットナイトは、森の巨木の幹を蹴って飛び跳ねるようにして速度を減らしていく。

 蹴って、蹴って、蹴って――速度を殺しきった末に着地する。

 身長四メートル巨人が着地したのは、巨木の根が張り巡らされ、鬱蒼うっそうとした森のど真ん中だ。


『今、観測ドローンから確認した。お前の現在位置は目標地点から南方三キロ地点だ。そのまま北へ直進してポイントアルファに向かえ』


「了解、これよりポイントアルファに向かいます」


 バレットナイトが電磁加速式の二十ミリ機関銃――ボックスマガジンから給送弾されるが、人間の自動小銃のような形状をしている――を構えて、軽快に歩き始める。

 高さ六十メートルにもなろうかという巨木が林立するこの森は、ヴガレムル伯領サンクザーレ地方に広がる樹木の特異性――理由は不明だが、この地方ではとにかく木々が大きく育つ――だった。

 下手な人工物よりよっぽど高い木々が、数え切れないほど並んでいる様は壮観だ。

 地雷や仕掛け爆弾がないことを確認しながら、しかし人間に比べればはるかに速い足取りで、エルフリーデは北へ進んでいく。

 道中で車輪のわだちを見つけたのは、そうして周囲を警戒していたからだろう。


「伯爵、車輪の跡です。この近辺を車両が通過したものと思われます」


 人質にされているのか、と思う。

 連れ去られた人々の身が心配だったが、そもそも敵の目的も規模も不明なのだ。

 一番、この事件の解決でエルフリーデが貢献できるのは、さっさと偵察を済まして、ヴガレムル伯領の警察組織――伯爵様がその展開の準備を済ませているのは想像に難くない――に引き継ぎをすることだろう。

 そのように少女は納得していた。

 状況が許すならば自分が救出をしてしまってもいいのだが、いかんせん賊の居場所も人数も武装もわかっていない。


『遺跡調査のために一本、通路が整備されている。おそらく敵はそこを利用して遺跡に向かったのだろう……警戒しろ』


「了解。その遺跡というのは、外から見てわかるものなんですか?」


『周囲の巨木によって覆い隠されている。地下施設への入り口だけが開いている状態だが――待て』


 この巨木の森は、六十メートル級の森の木々ゆえに低空を飛行、探査するドローンでの偵察がしにくい場所だ。

 小型ドローンによる観測技術の歴史は古く、対空レーダーの発展以前から短距離限定で軍事技術として用いられてきた――これは戦友ミリアムの受け売り――らしいのだが、小型の飛行物体という関係上、障害物が文字通り林立している森の中ではどうしてもその運用性が落ちてしまう。

 推力も揚力も弱いため、障害物にぶつかったらそのまま墜落してしまうからだ。電波妨害にも弱く、そういう意味ではリモートコントロールの限界と言えるだろう。

 それでもクロガネが観測ドローンを飛ばしているのは、エルフリーデをサポートするためであり、敵に通信妨害されないためだったのだが、

 ザザザ、と一瞬、通信にノイズが走る。

 クロガネの少し焦った声。


『ドローンが撃ち落とされた。撤退しろ、これは


 信号ロスト、の文字が操縦インターフェースに表示されて、意識の隅を通り過ぎていく。


「……もう遅いみたいです」


 モーショントラッカーに複数の移動物体が感知される。ヴガレムル伯領サンクザーレ、その深い森の中を、身長四メートルはあろうかという騎士たちが駆け抜けていく。

 その数は現在、確認できるだけで九機、照合システムが自動的に敵機の機種を判別した。

 ベガニシュ帝国製第二世代バレットナイト〈ブリッツリッター〉――エルフリーデが融合している〈アイゼンリッター〉タイプをベースとした完全な上位互換機だ。

 以前はエルフリーデ自身も精鋭部隊として使いこなしていた機種だが、その近接戦闘能力は〈アイゼンリッター〉の比ではない。

 機体そのものが軽量化され、より高出力の人工筋肉を採用した結果だ。ハードウェアの面からして別物ということになるが、それゆえに〈アイゼンリッター〉よりも高価で生産数も限られているはずだ。

 それが九機。

 紫色に塗装された騎士甲冑を思わせる巨人たちが、整然と陣形を組み、急接近してきたのだ。

 しかもすべての機体が、超硬度重斬刀のようなバレットナイト専用武器を携行している。



――こんな充実した武装の盗賊がいてたまるか!



 造物塔の限られた生産リソースを使うせいで、〈ブリッツリッター〉で部隊を組めるほど数をそろえているのは皇帝近衛師団や軍の精鋭部隊ぐらいのはずだった。

 明らかに人質を取って遺跡に逃げ込んだ賊が持っていていい装備ではない。

 あるいは、とエルフリーデは考える。

 そのよほどの資金力と影響力を持つ存在――たとえば大貴族ならば、こういった軍勢もありえるのではないか。

 敵はエルフリーデ・イルーシャの〈アイゼンリッター〉を囲むようにして展開、そのまま静止している。

 彼我の距離は近い――互いのバレットナイトの顔が見えるぐらいには。

 巨木が障害物となって接近を許したのもあったし、エルフリーデの側から発砲する理由がなかったのもある。


 エルフリーデには迷いがあった。

 相手が明らかに盗賊ではない以上、下手に武力行使すればヴガレムル伯領の側の落ち度にされかねない。

 そして相手の所属がわからない以上、うかつに戦端を開くわけにもいかなかった。

 少女は冷静に声を張り上げた。



「――ここがヴガレムル伯領サンクザーレと知っての狼藉か! 所属を名乗れ!」



 凛とした少女の声が、機械的に増幅されて〈アイゼンリッター〉の拡声器スピーカーから放たれる。

 応える声はない。

 じりじりと時間が過ぎていく。

 いつでも二十ミリ機関砲を発砲できるよう、引き金に指をかけた状態のエルフリーデに対して、やっと返された言葉は――



『見ろ、野良犬が狩り場にやって来たぞ。餌に食いついたな』



――嘲笑であった。



 半円を描くように展開された敵機の中央、隊長機と思しき〈ブリッツリッター〉がわざわざ、こちらに聞こえるよう拡声器で喋り始めた。


『近頃の獣はベガニシュ語を話せるようだぞ』


 ねっとりと悪意のこもった口調だった。

 その背中のハードポイントから引き抜いた太刀――超硬度重斬刀を片手で構えて、紫色の騎士人形がけらけらと笑う。

 笑い声に込められているのは、残忍で酷薄な意思だった。





『――





 すべての敵機がその手にした機関砲を、重斬刀を構える。

 明確な敵対意思の発露――エルフリーデはすべての武装のコンディションを再確認した。

 問題はない。






――
















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