追憶:ある文明の終焉について
――■暦■■■■■年。
――第九次建造計画産・恒星球殻〈オラトリオ・ノウェム〉にて。
そこは地下深くに作られたゆりかごだった。
地下数千メートルの深みに建造された厳重なシェルターの内部、完全なる循環構造が成立したバイオスフィア――瑞々しい緑の木々が生い茂り、小鳥の鳴き声が響き渡り、果樹は美しく色づいた果実を実らせている。
そこは天国の似姿、古き母星の神話において、人類が追い出されたという楽園にも似た景色。
ここに病害虫は存在しない。先天的な万能に等しい免疫機構を付与された遺伝子改造生物だらけの空間は、透明樹脂で外部と仕切られている。
地下大深度に作られた人の手による楽園――そのプロトタイプがこの施設だった。
「ふんふふーん~」
その主がお作りになった楽園のごとき庭を、一人の少女が鼻歌交じりに歩いている。
彼女は名前の由来になった赤みのかかった頭髪を綺麗にミディアムヘアで切りそろえ、切れ長の目に悪戯っぽい光を宿している。
黄金色の瞳に浮かぶのは、世界を焼き尽くしそうなほどの怒り。
その格好はラフで、タンクトップとショートパンツに白衣という個性的な格好だ――どういう個性の持ち主なのか一目でわかる反骨心の塊の風情。
てくてくと庭園を散策していた少女は、人の気配を感じて背後を振り返った。たとえ熱光学迷彩を使っていようと、彼女が彼の足音を聞き逃すことなどありえない。
「妹に銃を向けるのが、キミの兄としての愛情なのかな――クロガネ」
その一言と同時に、熱光学迷彩が解除される。
少女の背後に立っていたのは、裾の長い治安維持局の制服――耐環境コートを着込み、自動拳銃を構えた一人の少年だ。
黒い髪を短く切りそろえ、その端整な顔立ちに強い意思を秘めた若者である。
彼はブルージャケット。
人類の唯一政体たる政府のため働く治安維持局の番犬だった。
妹と同じ黄金色の瞳を光らせて、少年が無常な言葉を発した。
「特別研究主任スオウ・シノムラ、お前には第一級の反逆罪の容疑がかけられている。今すぐ治安維持局に出頭しろ」
「流石に治安維持局の上級エージェント様は秩序に対して従順だね。反吐が出るよ」
「罪状を認めるのか」
「否定したら見逃してくれる?」
「いいや。お前の背信行為は九十七パーセントの確率で事実だと推測されている。これは治安維持局の人工知能の結論だ」
「じゃあ訊くなよ……」
スオウのぼやきに対して、彼は何も答えなかった。
「そもそも身内の犯罪捜査で兄を投入とかありえないでしょ? エンタメ重視のクソ刑事ドラマ並みにコンプライアンスがクソだよね、治安維持局って」
「すべて人工知能の結論だ。お前に対する心理的効果として、俺というエージェントが最も効果的だと判断された。スオウ、お前はたかが製造ロットの共通遺伝子を絶対視しすぎる」
「確かにボクとキミは、生殖子に使われた遺伝子配列の片割れが同じだけだ。髪の色だって赤と黒で全然違う――でもまあ、完全な他人じゃないならいいじゃないか」
自分に向けられている自動拳銃のモデルを見て取って、スオウ・シノムラはにやりと笑う。
電磁加速式の実体弾を射出するモデルだ。下手にレーザー式やプラズマ式を選ばなかったのは及第点である。
容易く電磁障壁で防ぐことができる銃なんて持ってきていたら、会話を打ち切って殺していたかもしれない。
「徹甲炸裂弾か。悪くない、本気でボクを殺すつもりの銃だね」
「スオウ、何故お前が反逆者になった……お前は将来を有望視され、政府の機密プロジェクトにも関わっていた身のはずだ」
彼女の兄は相変わらず無感情な声音だったけれど、少しだけ困惑がにじむ言葉使いだった。
そこにどうしようもなく断ち切れない肉親の情を見いだして、スオウは微笑んだ。
朗々と歌うように、少女は喉を動かす。
「ボクたちは母星を食い尽くし、光の速度限界を超えて、天に瞬く銀河の星々すら手に入れた。けれどその末路は、こんなありきたりの圧政と支配と弾圧だ。クロガネ、人類は果たしてこうまでして――これほどの残虐と無残と哀哭を積み重ねてまで、存続すべき存在だと思うかい?」
妹の言葉に対して、黒髪の少年は正論を投げ返してくる。
「ありきたりの悲観主義はやめろ――お前の主張は人類史が始まって以来、幾度となく繰り返されてきた戯れ言だ。個人の主観を種族の問題にすり替えた、悪夢への入り口に過ぎない」
「お得意の
この世界はどうしようもなく、ろくでもない形で権力が掌握され、科学技術がその支配を押し固めた
周囲の人間よりもずっと優れた才能を発現させ、それが政府の超高性能汎用人工知能によって認められたスオウは、そんな社会のため奉仕するよう運命づけられていた。
深い理由はない。
ただ、こんなクソみたいな世界が、自分が死んだあとも続くなんて耐えられなかった。
理由なんてそれだけだった。
そして愚かさゆえに何もかもが嫌になった少女が、たった一人で反逆できたはずもない。彼女をそそのかした反体制側の人間もいれば、現在の政府に対して敵対的な人工知能もいた。
様々な知性体の助けを借りて、スオウ・シノムラは大罪を犯していた――治安維持局がなりふり構わず、わざわざ肉親の情なんてものを使うぐらいの罪を。
「この宇宙のエネルギーの総量すらボクたちは揺るがした! 次元を超えたエネルギーを手に入れ、魂の存在証明をもってして永遠へと手を伸ばした! 素晴らしい成果だ、きっと過去世界の野蛮人たちはボクたちを羨むだろう! 天国だの悟りだのと世迷い言をのたまってた連中には想像もつかない領域に手を伸ばした! だというのに……この様はなんだ?
スオウの嘆きは真実、現在の停滞した社会に対する痛罵だった。少なくともスオウ・シノムラの知る限り、人類はここ二万年ほどの間、完全にその文明を停滞させている。
頂点を極めたわけでもない。むしろ全盛期から見ればいくつもの科学技術が衰退し、失われてしまったロストテクノロジーも数多い。
こんな様なのに、権力者にも民衆にも危機感はない。
この淀みきった世界は、生きながら腐っているのと同じだ――科学技術の進歩こそ人類の歴史の歩みだと教えられてきた少女にとって、現在とは生きた屍の時代だった。
妹の嘆きに対して、黒髪の少年が返したのは律儀な正論だ。
「…………科学技術の進歩が、社会問題を永続的に根絶することなどありえない。わかりきっていたことだ。たとえ俺たちが自然回帰主義に走ったところで、異なる問題が現れるだけだろう。今の社会に問題があるとしても、それは大量殺人を肯定する理由にはならない」
「その大量殺人の方法を考え出したのは、この世界なんだよ兄上。抑止力が聞いて呆れる、ボクが作らされていたのは……権力構造を永続させるための恐怖の雷なのさ!」
兄は何も答えない。
治安維持局の上級エージェントである彼は、妹が何の建造に従事していたのかも知らされていたのだろう。
何から何まで腐りきっていた。
辛うじて兄が妹に対して絞り出した言葉は、空しすぎる響きに満ちていた。
「お前は人間に絶望しすぎる、スオウ」
「キミは人間に期待しすぎだ、クロガネ」
それはたぶん人工子宮で生まれ、共通の製造ロットで育てられた天才児たる兄妹の――どうしようもない決別の台詞だった。
銃口を向けられているにもかかわらず、少女は機嫌が良さそうに笑う。
「ははっ、すごいな。まるでドラマみたいだ。少し、興奮する」
「俺はお前を撃ちたくない……スオウ、〈ケラウノス〉の悪用をやめろ。そうすればまだ弁護の余地はある」
だが、家族に銃を向ける彼の手は、少しだけ震えていた。それを見て取って目を丸くしたあと、赤髪の少女は喉を鳴らして笑った。
笑って、笑って、笑って――やがてすべてを踏みにじるように、兄を嘲笑した。
「もう遅い。ボクはすでに〈ケラウノス〉に命令を下した――キミはいつだって優しすぎる、愚かな兄上」
一瞬、意味が理解できなかった。
思考が現実に追い付いた刹那、少年の頭蓋を満たしたのは純粋な怒りだった。
何故ならば――スオウの言葉が意味するのは、人間世界に生きるすべての生命への背信行為なのだから。
「スオウ、貴様――!」
絶叫する。
その声は、もう何もかもが手遅れになったことへの慟哭だ。
引き金が引かれる。銃弾が幾度となく吐き出され、少女の身体に穴を開け、その体内で弾けて致命傷を負わせていく。
ぱしゃぱしゃと血と肉の混じった液体を飛び散らせ、スオウと呼ばれた少女が床に倒れた。
少年が銃口を下ろす。
もう赤髪の少女は――妹は動かない。
そこには無常な死だけがあった。
呆然とその場に立ち尽くす少年を見下ろす照明が、非常事態を告げる警告灯に切り替わった。
サイレンが鳴っている。
カタストロフィシナリオ。あらゆる事象が人間の手によって掌握されている、彼らの文明ではほぼ起こりえない大災害を想定したシミュレーション。
起きるはずのないそれが、起きてしまっている。
「馬鹿な……本当に、そんなことが……」
現実逃避するように黒髪の彼が呟いた瞬間、この世のものとは思えない震動。
ぐらぐらと地面が揺れる。地震。この人造の大地ではありえない現象が起きている。
いや、おそらくこれは――
『――地上で危機レベル7の災害が発生しました。これより本施設は独立稼働モードに移行し、長期間にわたる人類の生存を優先し、全資源を運用致します。市民の皆様は所定のシェルターへ退避してください』
――地上が滅びた証だ。
「あ……あぁああぁああ……」
少年はうめいた。
もう何もかもが手遅れであることを悟って、膝を屈する。妹の死体から流れ出た血に両手をついて、銃を床に置いたまま立てなくなる。
大深度地下施設であるこの危機管理センターにまで届く震動――どのような惨禍に地上が見舞われているのか、彼の明晰な頭脳はその答えを弾き出していた。
それでも少年は諦められない。
震える声で、血まみれの指で、危機管理センターの制御システムにアクセスする。
「どんな手段を使ってもいい、俺に地上の様子を見せろ……!」
『了解しました』
そして映し出された映像を目の当たりにして、今度こそクロガネ・シノムラは絶望した。
◆
その日、地上に存在するとある施設から、眩いばかりの光が打ち出された。
それは七色に輝く極光、エーテル粒子が可視光線として物理作用する際に表出する現象だ。
亜光速にまで加速された粒子の奔流は、上空十万キロメートルの高さにまで打ち上げられたあと、まるで見えざる壁にぶつかったかのように折れ曲がり、枝分かれして地上へ向けて降り注いだ。
最初に着弾地点となったのは大陸中央部に存在する首都だった。
――そこは紛れもなく文明の極致だった。
それは半径一千キロメートル近い領域を飲み込み、残さず開発し尽くした想像を絶する
天へ向けて伸びた無数の高層ビルディングの群れが、墓標のように大地を埋め尽くしている。その合間を縫うように張り巡らされた都市連絡網を、リニアモーターを利用した高速鉄道が走っている。
階層構造となって役割が区分けされ、出生時にはその後の人世がほぼ決定された無駄のない社会。
つまり楽園。
ここではあらゆる苦痛に意味があり、あらゆる幸福に理由があった。
はるか太古の昔に建造された大地の制御を失い、宇宙空間にこぎ出す術すら忘却し、汎用人工知能に支えられながら生きる幸福な人々の都だ。
社会上層で意思決定する人々の居住区には、保護膜によってちょうどいい強さに調整された日光がさんさんと降り注ぐ。その手足となる中間階級の頭脳労働者たちは、ビルの合間から見える太陽に焼かれながら歯車になっていて。
そして最も過酷な社会インフラの維持のため使役される技術者たちは、生かさず殺さずの状態で消耗品としてほどよく使い捨てられている。
その労働寿命を使い尽くした人間には、上層民であれ中層民であれ下層民であれ、等しく優しい安楽死が与えられていた。
すべては調和の中にある。
人工の再生産の方法を、子宮などという安定性に欠けた有機的臓器に依存した、過去の人類の愚かしさからの脱却――
――その世界は救われていた。
悩めるものには人工知能のカウンセリングとトランキライザーが処方され、副作用のない薬物の効果によって死ぬまで働くことができる。
医療という言葉が、万能を極めたエーテルサーキット型ナノマシン群の総称となって久しい。
政治的意思決定のような権力が必要とされる場面には、高度な道徳を備えた存在である汎用人工知能が参加し、アドバイザーとして人間を支える理想的主従関係が構築されていた。
ここは楽園だ。
私利私欲による腐敗も、狂気的攻撃性による虐殺も、思想的犯罪による反乱も起きない。
まるで問題のある胚が胎児となる前に廃棄されるように、あらゆる楽園の敵は排除されていく。
自動化された千年帝国は正しく人類の幸福を定義し、その存続によって人間の幸福を永続させるシステムだった。
誰かがこう言った――素晴らしき新世界、と。
愚かしき旧世界の対義語こそ、我らの住まう社会なのだ、と。
――解き放たれた悪意は、秒速三十万キロメートルの死となって万民の頭上に降り注いだ。
極大の熱線が、雨のように地表を薙ぎ払った。
半径五百メートル圏内を跡形もなく消滅させる粒子ビームの枝が、等間隔で居住区に降り注ぎ、瞬時に十億人をこの世から消し去った。
あらゆる地表の都市構造材が物質としての形を保てなくなり、固体であることをやめて気体に似た状態へ変換され、それすら不安定化して原子構造が崩壊した。
その数量を数えるのも馬鹿らしくなるほどの質量が昇華された。このとき物質として素粒子レベルまで分解された人々は幸福だった。少なくとも知的生命体としての彼らは、何が起きたかも理解できず消滅できたからだ。
その次に幸福だったのは、二次被害の影響圏にいた人々だ。原子核の崩壊に伴って放出された莫大な量のガンマ線が、地表を嵐のように焼き尽くしていき、これを遮蔽できる防壁の外にいたすべての人間を即死させた。
三十億人がその周囲の微生物諸共焼き尽くされ、あらゆる腐敗も発酵も起きない死の世界が生まれた。
大量に放出されたガンマ線は大気を破壊し尽くし、酸素と窒素分子の化学反応によって、多量の窒素酸化物と二酸化窒素ガスが生成された。
破壊は終わらない。
降り注いだ熱線の二次被害――続けて質量を持った荷電粒子が発生し、異常な熱量によって膨れ上がった爆風と共に大陸を横断していった。極超音速の衝撃波の津波は見えざる巨人の拳となって、その進路上に存在したあらゆる建造物を薙ぎ払った。
最も不幸な死に方をしたのは最後に残った人々だった。
ビルが砂の城のように崩され去り、木々がバラバラに打ち砕かれ、人間は瓦礫が散弾のようになって横殴りに降り注ぐ地獄の中で粉砕される。
建築物だったもの、自然だったもの、人間だったものがミックスされた残骸の津波が、多量の土砂を巻き上げながら生存者たちを飲み込んですり潰し、単なる有機物のペーストに変えていく。
断末魔の絶叫すら、破壊の嵐に飲み込まれていった。
どす黒いキノコ雲は天上にまで届く巨大な渦となって、多量の土砂を巻き上げながらそこに存在していた。
――煮えたぎるような光の洪水が、地平線の果てまで広がる都市山脈を焼き尽くしていく。
その後も繰り返し放出された熱線の雨は、この
消滅させ、蒸発させ、焼死させ、爆死させ、圧死させた。ありとあらゆる死が連鎖して、この世に地獄を顕現させていた。
土砂の混じった黒い雨が、ごうごうと不吉な嵐と共に大地へ降り注ぐ。
やがて世界を隅々まで覆い尽くした土砂と衝撃波が、この惨劇を生み出した破滅の塔を飲み込んでいった。
世界は、人間は、そうして滅んでいく。
この無常なる終焉をもたらした、すべての元凶は――かつてこう呼ばれていた。
――
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