イルーシャ姉妹とクロガネ
――結論から言えば、万事上手くいった。
クロガネの立てたティアナ・イルーシャの救出プランはこうだ。
まずヴガレムル伯爵子飼いの歩兵部隊が監獄へ潜入――この時点で明らかに高度な技能が発揮されている――してティアナを確保。
その後、脱出用の垂直離着陸機(滑走路なしで飛び上がれる飛行機のこと。通常、飛行機は十分な速度を得るための滑走路が必要である)を接近させる上で障害となる敵警備部隊を引きつけるため、エルフリーデの駆るバレットナイトがあえて目立つように敵の哨戒網に接近、釣り出した警備部隊を片っ端から倒していく。
そうして敵の対空火器を軒並み潰したあと、待機していた輸送機でティアナと歩兵部隊が脱出、エルフリーデもバレットナイトごと回収される手はずだ。
実に単純でわかりやすい。
つまるところ最大の障害である敵戦力を、エルフリーデが千切っては投げ、千切っては投げすれば妹の身の安全は確保されるのだ。
念のため書いておくと、通常は旧型機と現行機の世代差こそあれど、十数倍のバレットナイトの相手を一人でするのは無茶である。
この監獄から要人を救出しようと思うなら、この十倍の兵力と入念な下準備が必要だ。そしてそのような準備をすれば、古城に駐留する部隊に察知され、外から増援を呼ばれるのは必然である。
たった一機のバレットナイト――その存在をギリギリまで隠して投入できる最小限度の戦力――で十数機の敵機を壊滅させられたのは、エルフリーデ・イルーシャの異様な戦闘能力によるところが大きい。
そもそも軍で現役のバレットナイトをどうやってクロガネが用意したのかについては、もう少女は疑問に思わなくなっている。
魔法のような
これまで監獄を守護する番人として振る舞ってきた警備隊を全滅――念のため、倒れている機体の武装はすべて破壊済み――させたエルフリーデは、この戦いにおいて誰も殺していない。
それほどまでの技量差があったとも言えるし、妹を救い出すという目的ゆえに、余計な流血を避けたかった個人的感傷もある。
結局のところ自分は兵士でもなければ、騎士でもないのだとエルフリーデは思う。自分にとっての戦いとは、どこまで行っても十代の女の子が商店でアルバイトするのと大差ないものだ。
相手を殺すかどうかすら、そのときの条件次第で変わってしまうけど――崇高な使命感や騎士道のような道徳に浸ることもできない。
エルフリーデの駆る〈アイゼンリッター〉は、少し溜まっていた仕事を片付けるみたいな気安さで、十数名の戦闘員とそのバレットナイトを無力化していた。
それはひどく一方的な戦闘行為だった。
そして今、垂直離着陸機が着陸しようとしていた。監獄の周囲をあらかた制圧し終えたことで、除雪されていた敷地の一角が使えるようになったのだ。
着陸した飛行機の後部ハッチが大きく開いて。
監獄から抜け出てきた数名の兵士たちと、彼らに連れられた女の子――防弾ジャケットを着せられた栗毛の少女――が乗り込んでいく。
それが確かにティアナ・イルーシャであることを確認して、エルフリーデは飛行機の後部ハッチから乗り込んだ。
身長四メートルの巨人が膝と肘をつくと、兵士たちが素早く荷を固定するためのフック付きのロープで機体を固定。機内に元々備え付けてあった固定器具で機体を押さえ込んだのを確認して、少女は魔法を解く呪文を唱えた。
――背部装甲ロック解除、融合者を
こうして
身長四メートルの巨人のカメラアイから光が消えて――背中側の鎧のパーツがせり上がり、何色もの光が血管のごとく這い回っている半透明な部位が露わになる。
機械というよりも生き物の血肉を思わせるそれが、
人間で言えば脳髄にあたる光り輝く血肉から、ぬっと二本の腕が突き出された
一連の光景を眺めていたティアナが、「ひっ」と息を呑む――バレットナイトの乗り降りは、外部から見ているとどこかおどろおどろしい。
オレンジ色の耐環境パイロットスーツに覆われたその腕は、筋肉質ながら骨格は女性のものだった。
続いて現れたのは、
這いずり出るように巨人から降りるエルフリーデ――それはもう手慣れたもので、誰の助けも借りずに床面に足をつけた。
輸送機の後部ハッチが閉じていく中、エルフリーデ・イルーシャは飛びつきたい気持ちを抑えて、妹の傍へと歩いて行く。
「おねえ、ちゃん……?」
恐る恐る、という感じでティアナが声をかけてきた瞬間、エルフリーデの自制心は決壊した。
自分より十五センチも背が低い妹の、まだまだ小さな身体を抱き寄せる。体温調節用の熱循環素子が入ったパイロットスーツ越しでは、妹のぬくもりを感じることはできなかった。
だけど、びっくりして息を止めている胸郭の動きも、その息づかいも、エルフリーデは全身で感じ取っている。
寝間着にコートを羽織っただけの姿の妹は、それはもうびっくりしていたけれど。
エルフリーデは歓喜と後悔がない交ぜになって、胸がいっぱいになっていた。
「ごめん、あんなところに隔離されてるって知らなくて……わたし、助けに来るのが遅くなっちゃった」
口にできた言葉は、妹への謝罪だ。
姉に強く抱きしめられ目を見開いていたティアナは、やがて優しく姉の背中に腕を回した。
少しだけ薄いブラウンのショートカットを、姉の身体にこすりつけるみたいに顔を回して、髪がくしゃくしゃになるも構わずに――ぽつり、と呟いた。
「お姉ちゃんはさ、自分がすごいってわかってないんだよ」
「えっ?」
「約束を守ってまた会いに来てくれて……しかも助けに来てくれたら、もう、なんて言ったらいいかわかんないよ」
ティアナはそう言って、姉に抱きしめられながら泣き笑う。
熱い涙の雫が、その頬を伝い落ちた。
ほんのりと暖かいオレンジ色の耐環境パイロットスーツの熱が、少女には姉のぬくもりのように思えていた。
垂直離着陸機が離陸準備を整えた。
席についてシートベルトを締めるよう促され――姉妹のやりとりを見守っていた兵士たちは妙に優しい――て、ようやくエルフリーデとティアナは離れた。
姉妹は二人並んで軍用機の座席に座る。
シートベルトを締めて、手渡された耳栓をつける直前、エルフリーデはそっと妹に耳打ちした。
「言ったでしょ、お姉ちゃんは最強なんだから――」
なにそれ、とティアナが笑った。
その無邪気な笑い顔こそ、エルフリーデ・イルーシャが守りたいものだった。
◆
――それからずっと、半日以上も空を飛んでいた。
明らかに往路とは異なるコースを取っていることから、飛行機の行き先はだいぶ遠い場所らしいのが見て取れる。
出発時はベガニシュ東部の都市郊外だったが、それなら数時間で済むはずなのだ。
もちろん長すぎる航路にティアナは途中で寝てしまったし、エルフリーデもうとうとして仮眠を取った。
そうして長い長い時間が過ぎた末、身体にかかる重力の感覚が変わった。飛行機が着陸姿勢に入ったのに気づいたのは、ブレーキの衝撃が少し身体にかかったからだ。
もし仮眠の最中だったら、気づかなかったぐらいのわずかな衝撃。
飛行機が減速していく。
よほど操縦士の腕がいいのか、飛行機は滑らかに着陸した。
銃器で武装した兵士たち――少ししか話せていないが、どうやらすごくいい人たちっぽい――に先導され、寝ぼけ眼の妹の手を引いて
たぶんそこは、都市部にほど近い空港だった。滑走路を照らす誘導灯や管制塔が見えるから、間違いない。
時刻は夜。
星空が見えない。つまりここは人工的な照明が、星の光をかき消すぐらい強い場所だ。
外の空気は冷えていて、桜の花が咲いていた東海岸よりずっと冷たかった。そしてその空気からは、よく焼けた小麦のにおいがする。
――ああ、これは。
――たぶん
ティアナも同じことを思ったらしい。
歳の離れた妹が、エルフリーデの顔を見上げる。
「お姉ちゃん、ここって……」
「うん、たぶんそうだと思う」
二人そろって同じことを考えたらしい。
乗降階段を降りて地面に足をつけた瞬間、二人は顔を見合わせた。たぶん知らない街並みだったが、それでもなお、ここは異国ではなく二人が育った文化圏――旧バナヴィア王国のそれだと確信が持てた。
視覚、聴覚、嗅覚を刺激する情報のすべてが、強烈にここがベガニシュ帝国の文化圏ではないことを示している。
イルーシャ姉妹が、夜風に乗って流れてくる故郷の情景を噛みしめていると、つかつかと足音。
その体重と体格、そして革靴の特徴をエルフリーデはよく覚えていた。
顔を向ける。
金髪碧眼の従者に付き添われ、黄金色の瞳を持った黒髪の男が歩み寄ってくる。
夜間に相応しい正装、燕尾服を着込んだ如何にもな紳士の装い――腹が立つぐらいによく似合っていた――の貴族男性である。
クロガネだった。
「西ベガニシュ国際空港へようこそ、エルフリーデ・イルーシャとティアナ・イルーシャ。この地の領主として歓迎しよう」
にこりともせずそう言い放った男に、妹は呆気に取られていた。数秒間、動きを止めていたティアナは、やがて現実を認識して、おろおろしながら姉の顔を見上げた。
「……えっ、貴族様?」
「うん、そうだよティアナ。あの方はヴガレムル伯爵様――つまりここは、ヴガレムル市ってことだね」
ヴガレムル市は旧バナヴィア王国の領土であり、今ではベガニシュ帝国に併合された地域の一つだ。
どうやら彼らの本拠地まで連れてこられたらしい、とエルフリーデが一人納得していると、クロガネがこちらを
「ロイ」
クロガネが促すと、金髪碧眼の従者は折りたたまれた布地を差し出してきた。
ぽかんとした表情でそれを受け取る。
重たい。
広げてみると、布地の正体は裾の長いコートだった。
「……着ろ、と?」
「お前の格好は目立ちすぎる」
なるほど。
たしかにバレットナイトの騎手が着るパイロットスーツは少々タイトで、体型がわかりやすすぎる。これは余分な装飾品をつけて、出っ張り部分が引っかかる事故を防止するためなのだが――
「いえ、まあ、羞恥心は正直もうないのですが」
悲しいことにエルフリーデ・イルーシャの恥じらう心は戦地で燃え尽きた。
そんなことを一々気にしていたら生き残れなかったと思うし、〈剣の悪魔〉として名を上げてからはセクハラしてくるバカは消えた。
人間は暴力による序列に忠実なのだ。そういう悲しい現実を、エルフリーデは知っている。そんな少女の戸惑いに対して、クロガネはある種、無慈悲ですらあった。
「お前はまだ十代の子供だ。せめて妹の前では年相応であるべきだろう」
何故だろう。
当たり前のことを言われているのに、どういうわけかエルフリーデはひどく反感を抱いた。この期に及んで子供扱いされたせいかもしれない。
なのでまあ、言わなくてもいい皮肉で応じてしまったのは、つくづく少女の未熟さの為せる業だった。
「――子供を戦わせる大人が、それを言うんですか?」
その言葉を受けて、クロガネ・シヴ・シノムラは薄く笑った。冴え冴えとした硬質な印象を抱かせる美男子が、口の端をつり上げる。
それは挑発的な笑みだったが、見ようによっては自嘲とも取れるなんとも言えない微笑だった。
「鋭いな。ああ、まったく言い訳の利かない矛盾だろう。そしてお前の雇い主はそういう人間だ」
「……雇い主?」
私兵になるよう取引を持ちかけられた覚えはあるが――そう思いながら、エルフリーデはコートに裾を通す。
ほどよく丈に余裕があり、とても着心地がいいコートだった。
たぶん新品だ。
どうしてここまで紳士的な心遣いができるのに、喋ると一々引っかかる物言いになるんだろう、と不思議な気持ちになってくる。
エルフリーデがコートを着終えたタイミングで、ロイがするりと書類を差し出してくる。書面に目を通そうとしたが、あたりが暗いせいか字が読み取りづらい。
それを見て取ったか、クロガネが口を開いた。
「正式にお前が軍を除隊した旨の書類だ。これで少なくとも、偽名を使って影に潜んで生きねばならない、などという明日はやってこない」
考えてもみなかった言葉だ。
「えっ……」
てっきりこのまま軍によって死亡報告をでっち上げられて、社会的には完全に死んだものとして扱われるのだろう、と思っていた。
どうやったのか知らないが、クロガネはその予想を覆してエルフリーデ・イルーシャの身柄そのものを勝ち取ったらしい。
伯爵というのはそこまで権力があるものだろうか。
どういう人脈があれば、陰謀によって死に追いやられた自分を、生きたまま除隊扱いにさせることができるのだろう。
「――公式にはティアナ・イルーシャは軟禁などされていなかったし、エルフリーデ・イルーシャを軍が謀殺しようとした事実もない。ならば軍を辞めたお前の再就職を、俺が斡旋するのも不思議なことではあるまい?」
ここまで言われれば、エルフリーデにもわかることがあった。
少女の赤い瞳が動揺に揺れる。
人を犬呼ばわりしてくる傲岸不遜さは好きになれないが、この男がかなりの代償を払って、自分と妹の身の安全を勝ち取ってくれたのは理解できる。
ここまで大きな恩を授けられるとは思っていなかったから、エルフリーデは当然のことを尋ねてしまった。
「あなたが、後ろ盾になってくれたんですね?」
「当然のことをした、それだけだ」
「……その、ありがとうございます。ティアナを助けてもらった上に、こんな……わたし、本当に……なんて言ったらいいか……」
ああ、少し泣きそうになる。昂ぶった感情を押し殺して、こぼれ落ちそうな涙をぐっと堪えた。
嬉しかったのは、自分以外の誰かが妹の未来を――ティアナ・イルーシャの明日を考えてくれたことだった。
それに、エルフリーデ自身の人生について、ここまで配慮されるとは思っていなかったから。これまで大人たちの権力闘争に翻弄されてきた少女は、らしくもなくその瞳を濡らしそうになっていた。
そんなエルフリーデの様子を眺めたあと、クロガネは不敵な笑みを浮かべた。
「気にすることはない――お前は新しい首輪をつけられたに過ぎない。礼は無用だ」
――なんだこいつ。
エルフリーデは感動の涙を引っ込めて、憮然とした表情で貴族を睨んだ。
妹の前なので強い言葉は使いたくなかった。もう挨拶代わりみたいになっている皮肉が、少女の口から飛び出す。
「……反骨心を煽らないといけない決まりでもあるんですか?」
かくしてクロガネ・シヴ・シノムラとエルフリーデ・イルーシャは、夜の空港で睨み合うことになった。
どう考えても姉妹の大恩人と救われた少女のやりとりではなかったし、その異様な空気にティアナ・イルーシャの困惑は強まるばかりだった。
聡明な妹は、最終的に身も蓋もない感想をもらした。
「お姉ちゃんが、また変な人間関係を作ってる……!」
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