英雄の妹
もうすぐこの戦争は終わる、と誰かが言っていた。
ひどく冷え込むお城の中に限って歩き回るのは自由だったから、時たま、ティアナ・イルーシャは警備の兵士たちの噂話を耳にする。
ここがどこなのか、少女は知らない。
少なくとも祖国の西ベガニシュ(旧バナヴィア王国)北部ではないな、と思う。雪深いのは故郷と似ているが、もう春になるのにここまで残雪が多いのはよその土地だろう。
バナヴィアの春はもっと暖かい。
元々は軍の監視付きとはいえ、ある程度、普通の暮らしをさせてもらっていた。
バレットナイトの高い適性があるから、という理由で徴兵された姉は、どうやら本当にすごい才能を秘めていたようで、あっという間に戦地の英雄になってしまった。
劣った民族であるとか、愚かな人民だとか、何かと馬鹿にされるバナヴィア人が、本当はすごいのだと世の中に証明した。
そのことをティアナは誇りに思っている。
――あたしのお姉ちゃんはすごい人なんだから。
ティアナ・イルーシャは知っている。エルフリーデ・イルーシャが本当にすごい人なのを、誰よりもよく知っている。
父母が爆弾テロで死んでからずっと、姉は何かを堪えるようにして生きてきた。
姉は頭がいい人だから、きっとティアナには見えていないものが見えていて、それゆえに言葉にできない思いを抱えているのだろう。
一度に父母を亡くした姉妹には親戚もいなかったから、今までティアナの面倒を見てきたのは姉のエルフリーデだ。
だからティアナは、自分がどんなに理不尽な境遇にいるとしても、姉には恨み言を吐かないと心に決めている。
たとえ悪いことをしていないのに、寒々しい監獄の中の一室を与えられ、監視付きの暮らしを送っているとしても――それは姉のせいではないのだ、と。
どうして姉を責めることができるだろう。
あの綺麗な顔に消えない傷跡までつけて、戦場に送られてなお、自分のために仕送りを欠かさない優しい人が――何一つとして報われないなんて間違っている。
だからティアナは決めたのだ。
せめて姉の前では、いい子のティアナ・イルーシャでいようと。
風向きが変わったのか――あるいは最初の頃とは別の人間が権力を握ったのかもしれない――ティアナの扱いはここ最近、見るからに悪くなっている。
たぶん自分は人質なのだ、と少女は察していた。故郷から遠く離れた北の地へ列車で移送され、もう半年間ほどこの監獄に囚われている。
与えられた個室は一応プライベートが確保されているし、食事は温かいものが出されるから、そこまで辛くない――友達から隔離された孤独な暮らしの痛みを飲み込んでしまえばいい――けれど。
不安なことはいろいろある。
個人的に予習を進めているとはいえ、学校の勉強から取り残されていないかとか、もう長らく連絡がつかない姉の安否であるとか。
わかっている。
今はなんやかんや戦争中であり、小まめな連絡なんて取りようがないことぐらいティアナにもわかる。
個室のベッドに腰掛けて、ティアナ・イルーシャはぽつりと呟いた。
「……お姉ちゃん」
そう、警備の兵士たちの噂話なんて信じるに値しないのだ。
ティアナ・イルーシャは信じない――姉が死んだだなんて絶対に信じない。
帝国の秘密兵器がガルテグ連邦の艦隊を焼き払っただとか、東海岸に投入された秘密兵器が敵を駆逐しつつあるとか、そういう胡散臭い話と同じぐらいの信憑性しかないのだから。
〈剣の悪魔〉が討ち死にしただなんて、少女は信じない。
だって、姉は約束してくれたのだ。
――約束する。お姉ちゃんはまた、ティアナに会いに来るよ。
その言葉を信じて、早朝の刺々しいぐらいに冷えた空気の中、ティアナは姉の無事を祈る。
神様に姉の無事をお祈りして、着替えるために立ち上がった直後。
ことん、と小さな物音がした。
この部屋は基本的に外側から施錠されていて、自由時間の間だけティアナは外出――古城の内部限定だが――を許される仕組みだ。
そして今はまだ規定の時間ではないから、食事が運ばれてくるわけでもない。
にもかかわらず、ゆっくりと扉が開いていく。
ぬっと現れた人影はまるでお化けみたいだったので、ティアナは思わず「ひっ」と小さな悲鳴を漏らした。
黒ずくめのお化けだった。
よく見ればフルフェイスのマスクで顔を覆って、ボディアーマーを着込んだ兵士なのだが――明らかにこの古城に出入りしている警備兵とは異なる存在は、足音一つ立てずに部屋に入ってきて。
人差し指を立てて「静かに」とジェスチャーで告げたあと、そっと口を開いた。
「ティアナ・イルーシャさんだね? お姉さんに頼まれて――君を助けに来た」
その言葉を聞いた瞬間、ティアナは泣きそうになった。
◆
ラグダム城はベガニシュ北部に位置する古城である。雪深い北方の地に位置するこの城塞は、中世に開拓されたこの地域を支配する要衝であった。
遠くからでも見える高塔が印象的な、如何にもな石造りの城塞である。
中世に建てられた建物を近代になって改築し、電気を通して再利用したような代物だから、とにかく冬場は冷える。
つまり居住性はよろしくない。
城塞としてみた場合のラグダム城は、古色蒼然とした歴史の産物に過ぎない。榴弾をはじめとする強力な火砲が普及し、その射程距離も大きく伸びた現代戦ではいい的である。
過去には強化外骨格を身にまとった騎士たちや、火砲を積んだ電動車両――
この城はもう、支配の象徴ではない。
代わりにラグダム城は、新たな役割を与えられている。
それは監獄だ。
深く掘られた堀や高くそびえ立つ城壁は、外敵に対する備えとしては役立たずになったけれど、内部からの脱走者を阻む監獄としては申し分ない。
かくしてかつてこの地域を軍事的に支配する拠点だった城は、その内側に捕らえた囚人を閉じ込めておく私設刑務所に成り果てた。
時にこの地を利用する貴族の都合で、年端も行かぬ小娘が送られてくることもあるが――この監獄に勤めるものたちは、そんなことを気にはしない。
相手の出自も身分も罪状も関係ない。
ここは帝国領内にあって帝国の法が届かぬ地。
すべてはこの監獄を利用する大貴族たちの差配であり、帝国法において罪人であるか否かなど些細なことだ。。
彼らが囚人に触らぬ神に祟りなし、と放っておくのは善意や良心ではなく、純粋に貴族間の権力闘争に巻き込まれたくないからだ。
暗色の空が、薄い青色によってかき消されていく狭間の時間――怖いぐらいに澄み切った黎明の空の下、敵襲を報せるサイレンが響き渡っていた。
詰め所にいた警備隊が跳ね起きて、格納庫に駐留されていた巨人たちに駆け寄っていく。
目も覚めるような青色に塗装されたそれは、ブリキの兵隊人形のようにデフォルメされた等身の人型だった。
『俺だ、状況は?』
『侵入者は〈アイゼンリッター〉が一機、南西の方角から――所属不明機です、こちらからの呼びかけにも応答しません』
〈アイゼンリッター〉はベガニシュ帝国軍が使用する現在の主力機であり、近代化改修を重ねながら大陸間戦争を戦い抜いているバレットナイトだ。
監視装置が捉えた映像に映っているのは、何の変哲もないベガニシュ帝国の機体だった。
ダークグレーに塗装されているが、見た目で特筆すべきものは何もない。
あえて奇妙なところを挙げるとすれば、背中に背負っている馬鹿でかい刀剣の存在だろうか――あれは確か重斬刀といって、帝国で生産されている物好きな兵士向けの装備だ。
何でも斬れる剣というやつだが、そもそも剣で斬り結ぶような距離でバレットナイト同士が格闘戦をする機会はあまりない。
それが現代戦の常識だ。
『どこのバカだ、敵味方識別も出さずに侵入だと? ――発砲を許可する。火器使用自由、射殺せよ』
ラグダム城は帝国内の有力者――特に大貴族たちの意向を受けて、私設監獄として機能している。当然、そこに務めている番兵たちは貴族の飼い犬であり、彼らが従うのは帝国の法ではない。
捕らえられている囚人を取り戻そうとする輩は少なくないが、そういった企てはこれまで何度も叩き潰されてきた。
その原動力となっているのが、ラグダム城の警備隊が保有する多数のバレットナイトだ。
かつては騎士の詰め所だった大きな建物の門扉が開き、無数の巨人が重機関銃を手にして歩き始める。
出撃したのはずんぐりとした機影の巨人、帝国軍から中古で払い下げられた旧型機だった。
軍隊では型落ちになった機種で、第一世代に属するバレットナイト〈パンツァーゾルダート〉――バナヴィア戦争の頃に活躍した機種だから、もう開発から二十年近く経っている。
最新型と比べれば機動力も火力も劣るが、重厚な装甲のおかげで現場の兵士からの評判はいい機体である。
こんな後方もいいところの監獄の警備には、十分すぎる戦力だった。
重機関銃でも持たせておけば大抵の賊は返り討ちにできるし、如何に相手が第二世代の〈アイゼンリッター〉と言えど、数の差を考えればまともな戦闘になるはずもない。
そのように警備隊の隊長は考えていた。
『――ッ!? 一番機から四番機、行動不能! 乗員の生存は確認できますが――』
『何が起きた!』
『敵の攻撃です! 敵は長射程の重火器を所持している模様!』
『全機、撃て! 敵に射撃を許すな!』
警備隊長はあくまで大貴族へ従順であることを基準に選ばれた人材だった。従軍経験はあるが、彼が経験したのはバレットナイト登場以前の小規模紛争に過ぎない。
つまりどういうことかというと、侵入者に対して圧倒的な数的優位――何せこちらには十二機ものバレットナイトがある――があろうと、根本的に彼は現代戦に対して無理解だった。
警備隊長に命じられ、〈パンツァーゾルダート〉が一斉に重機関銃の引き金を引いた。
巨人の前腕にアタッチメントで取り付けられた重機関銃――電磁加速式の機関銃だ――が、銃弾を断続的に発射する。
それは壮観な光景だった。遮蔽物となるものがほとんどない雪原において、敵の〈アイゼンリッター〉は十二機から集中砲火を浴びることになる。
勝った、と警備隊長は思った。
だが現実はずっと理不尽だった。
敵のバレットナイト――ダークグレーに塗装された騎士人形が、飛び跳ねるようにして空中に浮かび上がった。
『飛んだ!?』
ガガガガガ、と砲声。
敵のバレットナイトが跳躍しながら、手にした機関砲を連射。あっという間に五機の〈パンツァーゾルダート〉が、脚部を撃ち抜かれ、前のめりになって雪上に倒れ込む。
第一世代バレットナイトと第二世代バレットナイトの間にある機動力と火力の格差は、一方的な各個撃破を許すほどに隔絶している。
乗り手が凡庸であれば、数の差によって交戦距離を詰めるのも有効だが――警備隊にとって不幸だったのは、このバレットナイトの乗り手が非凡な才能の持ち主だったことだ。
『七番機、行動不能! 八番機、武装を喪失!』
『なんだ!? 何が起きている!?』
こちらの銃弾は当たらないのに、敵の銃弾は一方的に必中する。質の悪い悪夢でも見ている気持ちで、警備隊長はあっという間に過半数を失った部下の信号を見やる。
これは明らかに敵が、意図的にこちらを生かしていることの証左だった。
舐められている。警備隊長は自分のプライドが踏みにじられていることに気づき、怒りに燃えたぎった。長年、古城で侵入者をいたぶって討伐してきた時間が、彼を兵士として錆び付かせていた。
ここまで隔絶した技量を見せつけられてなお、彼は勝てると信じてしまったのだ。
侵入者のバレットナイトと警備隊のバレットナイト部隊の距離は縮まっていた。もう拡大スコープがなくとも相手の姿が見えるほど近い。
しかし敵機からの射撃は飛んでこない。見れば〈アイゼンリッター〉は手にした銃器を背中にしまって、代わりに馬鹿でかい刀剣を抜いたではないか。
『弾切れか、今度こそ集中砲火を浴びせてやれ!』
『了解!』
〈パンツァーゾルダート〉七機が重機関銃を片手に、雪上を疾駆する。ラグダム城周辺の地形に最適化された彼らのバレットナイトは、接地圧を含めて入念にカスタマイズされている。
ゆえに雪上であってもその移動速度は落ちない。
ダダダダダダダ、と銃火の音。
多方向からの機銃掃射を浴びれば、如何に〈アイゼンリッター〉でも無事に済むまい。
そのように警備隊長が思考した瞬間、視界の隅を灰色の影が横切った。続いて装甲が破砕される轟音が響き、腰部から下を切断された〈パンツァーゾルダート〉が地面に転がり落ちた。
綺麗にバイタルブロックを避けて斬られていた。
異様だった。
『う、うわあぁあ!?』
『どうすれば隊長ぉ!』
『な、何が!』
『当たれ、当たれぇ!』
部下たちの悲鳴が通信越しに流れ込んでくる。
六機の〈パンツァーゾルダート〉が十秒で全滅し、それを信号で確認した直後、警備隊長もまた死角から斬られていた。ギリギリでバイタルブロックを避けた斬撃が、〈パンツァーゾルダート〉の駆動フレームを綺麗に真っ二つにしていた。
何が起きたかわからないまま、警備隊長は茫然自失となり――結局、騒ぎを聞きつけた近隣の警備隊が数時間後に駆けつけるまで、彼は何もできずにいた。
その後、警備隊を失ったラグダム城は所属不明のバレットナイトに制圧され、囚人を閉じ込めておくための警備システムをことごとく破壊された。
しかも追い打ちをかけるように内側からの破壊工作により、大規模な脱走が起きた。
貴族間の政争で生じた政治犯、政治的敗北者を閉じ込めておくための監獄はその機能を失い、囚人によって電動車両の類まで奪取されることになる。
――こうして大混乱に陥った監獄から、ティアナ・イルーシャの姿が消えていたのは言うまでもない。
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