印象最悪ヘッドハンティング
――黒い騎士人形の介入から数十分後。
エルフリーデ・イルーシャは身長四メートルの巨人の腕に抱かれ、死にそうなぐらい青い顔になっていた。
理由は簡単である。
巨人の歩行に伴う上下運動に揺さぶられ続け、単純に気分が悪くなっているのだ。濃い茶色の髪は砂まみれで、何かもう早いところ楽になりたい気持ちになってくる。
「しぬ…………」
うめき声が喉からこぼれる。
吐瀉物をぶちまけなかったのは、見知らぬバレットナイトの
悲しむべきことだが、弱ってるところを見せるとつけ上がる輩は多い。
すべての人間に品性を求めるほどエルフリーデは傲慢ではなかったが、それはそうと不快なものは不快である。
――とはいえ、この状況、何もかもめちゃくちゃだ。
思考する。
あのあと、エルフリーデを回収したバレットナイトは驚くべき方法で敵陣を突破した。
突然、目の前に現れたときも驚いたものだが、それ以上に少女を困惑させたのは、その場から立ち去るときに見せた機能だった。
透明化能力――探索しに来た敵のバレットナイトがまるで気づいていなかったことから見て、赤外線を含めた完璧な熱光学迷彩――を発揮した黒い騎士人形は、腕に抱えたエルフリーデと共に、するりと敵の包囲網の真っ只中を通り抜けていったのである。
まるで荒唐無稽な空想科学小説――触手状の腕を何本も生やした怪物が侵略しに来るとか、その手合い――から抜け出てきたようなそれは、ほとんど魔法同然だった。
それにこの機体、静か過ぎる。エルフリーデの知るバレットナイトは、もっと駆動音がするものだったように思う。
つまり目に見えず、耳で動く音を聞くこともできない魔法の黒騎士だ。
一体全体、どこの誰がこんな秘密兵器を持ち出して、敵軍の包囲網の真っ只中から自分を助けに来たというのか。
エルフリーデには見当がつかなかった。
少なくとも帝国を支配する貴族たちの目の上のたんこぶだった自分を消そうとした軍部ではあるまい。軍にも派閥はあるが、そもそも秘密兵器を投入できるほど力がある人々がいるなら、自分が死地に送られることもなかっただろう。
――うん、考えてもわからないな、こりゃ。
お手上げである。
エルフリーデはため息をついて、黒騎士の腕の中から景色を見渡す。ガルテグ遠征軍の陣取っていた都市――正確にはその成れの果ての廃墟――からはすでに脱出した。かつて大陸連絡網として張り巡らされた幹線道路は、連日の戦闘ですっかり穴だらけになっている。
このあたりの戦域は帝国軍の陣地はない。
となると最寄りの拠点までさらに数時間は歩き通しであろう。いよいよもってエルフリーデの尊厳は危機にさらされている。
吐瀉物をぶちまけながら身長四メートルの巨人に抱っこされている自分を想像した。
あまりにも情けない。
泣きたくなってきたな、と息を吐いた。
どういう仕組みで周囲を騙しつつ、透明な壁の内側からは外の景色が見えるのか――やはり仕組みを考えても意味がわからない。
理解不能なテクノロジーは魔法と大差ない、とはベガニシュ人作家の言だが。
なるほど、これは魔法と言っていい。
そんなとりとめもない思考に身を任せていると、黒いバレットナイトはその歩を都市郊外の森の奥、三階から上が吹っ飛んだビルの影に移動させた。
するとどうだろう。
目の前にいきなり、大型トレーラーの後ろ半分がぬっと現れた。
ゆっくりとその後部ハッチが開いていくのを、少女は呆気に取られて見つめた。
「うわぁ」
また透明化技術である。
こんな秘密兵器がベガニシュ帝国にあったなら、泥沼の戦争になる前にやりたい放題だったのでは、と不可解な疑問が脳裏をよぎる。
エルフリーデは帝国内で差別を受けている民族――バナヴィア人の生まれだが、育ちはそこそこいい方だと自負している。
教師だった父親の影響で読書家の少女は、多少なりとも今の帝国の常識というやつを理解している。
目に見えない透明化技術は空想科学小説の世界の話であって、こんなに気安くぽんぽん出てきていいものではないはずだ。
わからない。
自分を救出しに来た黒騎士の正体がまるで掴めない。青い顔のまま黙り込んだエルフリーデの様子など気にも留めず、黒い騎士人形は開放されたハッチからトレーラーに乗り込んだ。
トレーラーの内部は流石に狭く、黒騎士の腕からエルフリーデはすたっと降りた。それを見計らって、バレットナイトは前屈みになってトレーラーの内部に収まった。
ちょうど腕立てをする人間のような姿勢である。バレットナイトの手足は末端まで頑丈にできているので、この程度の無茶は実用範囲内だ。
完全に密室になったトレーラーの内部には、当然のように
持っている銃は帝国陸軍で正式採用されている
必要最小限の機材でカスタマイズされた、如何にも特殊部隊が使っていそうな感じの鉄砲だ。
――参った、すごく胡散臭い状況だよ。
少し困った表情で、エルフリーデは周囲を見回す。外観から見れば十分に広々としているトレーラーの内部には、四名ほどの兵士が四隅に立っている。
生身での戦闘にも多少の心得はあるが、弾切れの拳銃しか持っていない現状では自殺行為だ。
エルフリーデ・イルーシャは仕方がなく、背後を振り返った。
「それで、この状況について説明はしてくださるんでしょうか?」
問うた瞬間、バレットナイトの背部装甲が開いた。虹色の光が血管のように走る首筋が露わになり、
筋肉質な男の腕だ。エルフリーデが着ている耐環境パイロットスーツと同じ素材で覆われた腕が、まるでプールから上がってきた水泳選手みたいに騎士人形から這い上がってくる。
続いて現れたのは、思いのほか整った男の顔だった。
短く整えられた黒い髪。切れ長の目。鼻筋もすっと通っていて、中々の美男子だ。少々、愛想がなさそうな表情なのが気にかかるけれど。
だが一番エルフリーデの目に焼き付いたのは、その男の瞳の色だった。
黄金。
まるで強い意思を瞳に焼き付けたかのような、黄金色の
電脳棺から這い出て、トレーラーの床面に足をつけた男――背が高く、おそらく百九十センチ近くあるはずだ――に兵士の一人が歩み寄り、シックな黒いコートを羽織らせていく。
機体と同じく黒の耐環境パイロットスーツに身を包む男は、当然のような顔をして頷き一つ。
エルフリーデに顔を向けて、あの傲岸不遜な低い声で喋った。
「3321独立竜騎兵小隊、エルフリーデ・イルーシャ――野戦任官とはいえ、士官学校も出ていない子供に部隊の指揮をさせるほど、この国は追い詰められているらしい。謀殺のために部隊を解体するのも大概醜いが……」
開口一番これである。発音の綺麗なベガニシュ語に感心する暇もない。なんだこいつ、というのがエルフリーデの嘘偽らざる感想だった。
とりあえず意味もなく偉そうなので反感を持ったのが一つ、子供呼ばわりで一つ、合計二点の「なんだこの男」ポイント進呈である。
黄金色の瞳が持っていた神秘性というか、魔力というか、魅入られるような輝きは失せた。
エルフリーデは目を細めて、探りを入れることにした。
「…………あなたは軍の人間ではありませんね?」
「ああ」
「見たことがない機種です。外装で偽装しているようですが、ベース機は〈アイゼンリッター〉……どこかの貴族のハンドメイド品とお見受けしました」
「目ざといな、メカニックに詳しいとは思わなかった」
「勉強しましたので」
「大したものだ」
素直な賞賛が飛んでくる。
皮肉を言われているのかと思ったが、見るからに無愛想な男は、本気で感心しているらしい。飾り気のない耐環境パイロットスーツにコート一枚を羽織っているだけだというのに、その肉体には見苦しい部分が一つもない。
造形美というやつかもしれない。少なくとも自己鍛錬を欠かさない類の人種か、と評価をやや上方修正。
トレーラーが走り始めた。少しの振動しか感じられない優雅な走りは、これが軍用トレーラーなんて目じゃないほど金がかかった乗り物だとわからせてくれる。
エルフリーデの赤い瞳にじっと見つめられ、黒髪の男は嘆息した。
「腹の探り合いは面倒だ――俺のことは、伯爵とでも呼べ。単なる事実だ」
伯爵。
確か、えらい貴族はだいたいが伯爵のはずである。つまり庶民の出のエルフリーデ・イルーシャにとっては、通常、人生で縁がない上流階級ということになる。
実のところ戦地では貴族出の将兵とも関わっているのだが、逆を言えば、日常では早々関わりようがない身分の相手である。
するとこういうことか。
軍から見捨てられ死地に送られた少女を助けに、伯爵ともあろう方が単身バレットナイトで助けに来た。
すごい、意味不明だ。
しかも二人は今が初対面のはずである。
これが大衆向け娯楽小説ならプロローグで読むのやめるな、わたしなら――そう皮肉な思考が脳裏をよぎる。
伯爵はそんなエルフリーデの戸惑いに満ちたまなざしを無視して、いきなり、こんなことをのたまってきた。
「単刀直入に言おう――俺の犬になれ、帝国の英雄」
「…………犬?」
なんだこいつポイントが一気に五ポイントぐらい溜まった。ちなみに溜まるだけ溜まるとエルフリーデはキレる。
視線に棘が混じった少女は、しかしギリギリで眉間にしわを寄せずに、はぁっと一呼吸。
「手下になれ、と? わたしはあなた方の正体も知らないのに?」
「物好きな貴族の道楽、とでも思っておけばいい。一つ確かなことは、我々には戦場で撃墜されたお前を回収し、収容する実行力があるということだ」
「失礼ですが。わたしについて多少、下調べしていたなら――わたしが嫌いなものぐらいはおわかりになっているのでは?」
エルフリーデ・イルーシャは平民出の英雄であり、女性兵士であり、バナヴィア人の生まれである。何が言いたいかというと、これまでの人生経験上、偉そうなベガニシュ人の貴族男性というやつに好感を持てる機会がなかった。
特に貴い血とやらを信じている人間は、正直言って苦手である。社会通念上、そういう上流階級が存在することの必然性は理解するが、別段、納得はしていない。
要約しよう。
突然現れた正体不明の貴族など、信じるに値しないのだ。
少女の言わんとすることを察したのか、黒髪の男は数秒間、沈黙したあとぬけぬけとこう言った。
「――俺は有能な部類の現場主義者だと思うが」
「それ、普通は自称しないと思いますよ」
不味い、この男、さては天然だ――自分の言動の浮世離れした部分を棚に上げてエルフリーデは戦慄した。ちなみにこの間、貴族の護衛と思しき兵隊は直立不動で
走行中のトレーラーは異様なほど滑らかな駆動音を走らせており、エルフリーデの失言をかき消してはくれなかった。
「中々、手厳しい。以後、気をつけよう」
伯爵は素直に頷いた。
もう少し怒りとか苛立ちをぶつけられるのを想定していたので、エルフリーデ・イルーシャは少々、拍子抜けした。
ひょっとしてこの伯爵を名のる不審者、ものすごくズレているのでは。そんな疑念が芽生えてきた。
エルフリーデ・イルーシャは笑えばいいのかわからない状況にいた。
無線が欲しい。もう近場の友軍に連絡を取って帰って寝たい。そんな気持ちでいっぱいになってきた頃合いで、黒髪の男はこんな問いかけを発した。
「帝国軍でお前は厚遇されていたか? 差別を受けている
なんだこいつ――他人事のような物言いに反感が湧き上がってくる。伯爵の爵位を持った貴族なんて、明らかに支配者の側の人間だろうに。
わけもわからず徴兵され、バレットナイトの操縦者に仕立て上げられ、勝手にプロパガンダに利用され、用済みになったら謀殺される。ありったけの理不尽を浴びせられてきた、ここ数年の苛立ちが、湯を沸かせる火のように燃えたぎっていた。
しかしそんなエルフリーデを揶揄するように、伯爵は極めて精確な事実を口にする。
「しかしエルフリーデ、お前は本物の英雄だった。どんな激戦区に送っても敵を殲滅し、生還する不死身の超人。お前は活躍しすぎた。優秀であるがゆえに支配階層にいるはずのベガニシュ人の面子を潰し、虐げられてきたバナヴィア人の民族感情に火をつけてしまった。除隊させても独立派に合流されては面倒、不自然な暗殺でも大いに政治利用される――ああ、戦場で華々しく死んでもらう以外の選択肢がないだろうよ」
なんだこいつ。
ポイントが満タンになったので、エルフリーデ・イルーシャは当然のように怒りを口にした。
「見てきたかのように語るんですね、不快です」
「お前と駆け引きごっこをするつもりはない。一体誰に助けを求める? お前の妹を人質に取り、死んでこいと送り出した軍にもう一度戻るのか? 大した忠誠心だよ、よほど上手く躾けられた犬のようだ」
見え透いた挑発だ、と歯を食いしばって耐えた。
ここでこの男を殴りに行かなかったのは、エルフリーデに残された理性の賜物だった。
少女の口からこぼれたのは、あらゆる激情を噛み殺した末のうなるような一言。
「――わたしは犬じゃない」
従属を強いているのは、理不尽の鎖を首に巻いたお前たちだ。そういう反骨心で燃え上がった赤い瞳――エルフリーデの怒りに満ちた視線を浴びてなお、伯爵を名乗る男は動じない。
ただそうすることが当然だと言わんばかりに、傲岸不遜にこう言い放った。
「お前に選択権はない。エルフリーデ、お前にあるのは、ここで何もできずに飼い殺しにされるか――俺の犬となって自由を勝ち取るかだけだ」
「何が狙いですか?」
「俺はお前という最強の個人戦力を欲した。それ以外の些事は気にする必要がない」
エルフリーデは深く息を吸い込んだ。
ああ、よく掃除されたエアコンの冷えた空気。とても清々しい香りは芳香剤か何かだろうか。正直、ちょっと趣味がいいなと感心してしまった。
バレットナイトをしまっておくためのトレーラーのくせに、無駄に配慮が行き届いている。
要するに自分は今、物好きな金持ちに引き抜きをかけられているらしい。しかもどうやら断る余地がないときている。
「………あなたの私兵になれと?」
「最初からそう言っている」
もし交渉の余地があるとすれば、この物言いが真っ直ぐすぎる貴族の男に、無駄に配慮してくれる心の余裕があるかどうかだ。
にべもなくはねのけられてもおかしくないから、エルフリーデは本当に、祈るような気持ちで喉を動かした。
「条件が、一つだけ」
無言。
伯爵の視線の圧力に耐えながら、ただ、エルフリーデは唾を飲み込んだ。
少女の濃い茶色のミディアムヘアに、冷たい汗が染みこんでいく。
男の沈黙が、次の言葉を促すものだと信じて――エルフリーデ・イルーシャは願いを口にする。
「――妹を、助けてください」
伯爵はじっと黄金色の瞳でエルフリーデを見た。
二秒、三秒、四秒。きっかり五秒経ったタイミングで、無愛想な表情のまま――淡々とこちらに確認事項を投げかけてくる。
「確認しよう。お前の要求は、帝国によって囚われている妹の救出――それと、ああ、その後の安全な暮らしといったところか?」
「……そうです」
エルフリーデ・イルーシャは帝国の大義にも、迫害されている民族の解放にも興味はない。
そういう大きな物語の片隅で、誰の視界にも入ることがないようなものが、彼女にとっての守りたいものだった。
たとえ自分自身の何を差し出したって構わない。この世に残された唯一の肉親、最愛の妹に少しでもマシな暮らしをさせてあげたかった。
この男が果たして、まともな相手かもわからないのに、エルフリーデには庇護をこいねがう以外の選択肢がない。
ゆえに。
――わたしはこの願いに命を賭ける。
もしそれが踏みにじられるのなら、関係したすべてを皆殺しにしてやる。
そんなエルフリーデの覚悟を読み取ったのかどうか――伯爵を名乗る黄金瞳の男は、厳かにこう告げた。
「ヴガレムル伯クロガネ・シヴ・シノムラの名に誓って約束しよう――すべて俺が解決する。戦え、それ以外のすべては俺が用意してやる」
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