機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情

灰鉄蝸(かいてっか)

プロローグ







――少女は英雄だった。





 エルフリーデ・イルーシャは帝国の兵士である。とはいっても貴族の生まれであるとか、自ら軍人を志したとかではない。

 たまたま他人よりも適性があって、気づいたら徴兵されていた。要するに大変名誉なことに、素晴らしい帝国製兵器に乗せてやるからグズグズ言わずに兵隊になれというわけだ。

 この際、エルフリーデが未成年であるとか、徴兵対象外の女性であるとか、卑しい民族の血を引いているとか、そういう諸々の要素は無視してもいい、と。

 本気でありがたくない特例扱いだった。

 そして死にたくない一心で頑張り抜いた結果、負け戦で上官が全滅しても生き延びてしまい、現場の責任者に祭り上げられていた。

 徴兵された平民出の少女は、あまり嬉しくないことに、殺し合いの才能に満ちていた。ちょうどそれが戦局のよろしくない時期だったものだから、すごい勢いで戦果を喧伝されてしまった。

 立派なプロパガンダ・ヒーローの誕生である。



――鏡に映っているのは、嘘つきのわたしだ。



 トイレの鏡に映る自分の顔は代わり映えしない。栗色のミディアムヘア、ウェーブした頭髪、白い肌と赤い瞳。

 そして左目のまぶたから頬にかけた走った切創――消えることない傷跡。そこが少々マイナスだが、顔は我ながら美人だと思う。これを口に出すと自己愛に溺れすぎだと妹に叱られるのだが、それはさておき自分は美少女だとエルフリーデ・イルーシャは思っている。

 これといって特技のない自分だが、まあ生来の顔のよさぐらいは自慢していいだろう、と。

 そう何故ならば――自分に似ている妹がやたらと可愛い以上、自分もまた可愛いのだろう。

 そのようにエルフリーデは現実を解釈している。

 閑話休題。


 そういうわけで今、エルフリーデ・イルーシャは貴重な休暇を利用して、妹に会いに来ていた。

 すぅっと深呼吸。

 面会時間が近いことを腕時計で確認して、面会を許されている部屋に向かった。

 簡単なボディチェックのあと、監視の兵隊に導かれて入室する。

 ドアの向こうに、半年ぶりに見る妹の姿があった。


「お姉ちゃん!」


 室内の椅子に座っていた少女が、顔を上げた。物憂げだった表情が、ぱあっと華やいで笑みを浮かべていく。

 彼女――エルフリーデの妹ティアナ・イルーシャはとてつもない美少女である。少なくともエルフリーデの主観においては並ぶものなき美少女だ。

 栗色のショートヘアは自分と違ってストレートの髪質、白い肌と赤い瞳は自分そっくり。真っ白なブラウスに黒いベスト、チェック模様の赤いロングスカートがとてもよく似合っている。

 胸元の赤いリボンがワンポイントのアクセントになっていて素晴らしく可愛い。

 思わず声が出た。


「――ティアナ、もう存在が優勝してるよ」


「いきなり何!? お姉ちゃん、相変わらず錯乱してるの?」


「お姉ちゃんはティアナが可愛いことに感動してるから……うん、元気そうで安心したよ」


「お姉ちゃん、やっぱり変だよ……周りの人に迷惑かけてない? 大丈夫?」


「半年ぶりに会った妹に罵られるのって悪くないよ、ティアナ」


 エルフリーデは天然だった。ともあれ、半年ぶりに会った妹は背が伸びていて、顔つきも少し大人っぽくなったように見えた。

 歳が離れている妹は、これからが成長期だからぐんぐん背が伸びていくだろう。

 親しい相手との会話に飢えていたらしいティアナは、一度話し始めたら止まらなかった。貴重な面会時間を無駄にすまいと、姉妹はしばしの間、会話に没頭した。

 そんな妹の姿を見て、エルフリーデの胸に去来するのはどうしようもない虚しさだった。



――わたしが、この子を不幸にしている。



 わけがわからないまま徴兵され、必死で生き残れば英雄に祭り上げられ――そして気づけば、家族を人質に取られていた。

 身分階級が残る帝国において、平民出の英雄などろくな扱いをされない。

 思いのほか戦地で英雄として名を上げてしまったエルフリーデを待っていたのは、権力闘争に余念がない人々に道具扱いされる日々だった。

 そのために利用されたのが、唯一、エルフリーデ・イルーシャに残された肉親である妹だ。

 腐りきった体制に対して怒りを感じながらも、エルフリーデにできるのは、少しでもティアナの待遇がよくなるよう必死に戦うことだけだった。

 そういう現状を察しているからなのだろう。

 理不尽に軟禁同然の暮らしを強要されているのに、ティアナは、その原因である姉を責めたことは一度もない。


 面会時間はあっという間に過ぎていった。

 まるで罪人のように限られた時間を使って、エルフリーデとティアナは長い間、会えなかった過去を埋めるように会話を重ねた。

 そして不確かな未来のことは何一つとして口にしなかった。

 それでも別れ際、妹がこぼした弱音は――深く深くエルフリーデの胸を穿った。



「お姉ちゃん――また、会いに来てくれるよね?」



 それはたぶん、別離の予感がそうさせた問いかけだった。

 エルフリーデは聡い妹に対して、気休めのような言葉を並べ立ててしまう。



「大丈夫、お姉ちゃんは最強だから――悪い奴らはみんなやっつけて、絶対に、ティアナの元に戻ってくる」



 その言葉はすべてが嘘だった。

 戦場において最強という言葉ほど空しいものはなく、絶対悪と定義できる存在が敵であることはありえず、彼女は味方からも死を願われるようになっていた。

 何から何まで嘘だらけで建前でつぎはぎだらけの言葉は、姉妹の会話すら監視されているがゆえの苦肉の策でしかない。

 今この瞬間すらたっぷりの盗聴器と監視カメラに囲まれている身の上で、確かな約束などできるはずがない。

 だけどエルフリーデ・イルーシャは嘘つきだから、不敵に微笑んで、妹の目線に合わせて約束してしまう。




「――約束する。お姉ちゃんはまた、ティアナに会いに来るよ」




 その言葉を聞いて、ティアナは顔をくしゃくしゃにして笑った。









 そして数日後、エルフリーデに言い渡されたのは単独での空挺降下作戦。

 片道切符の自殺紛いの任務が、エルフリーデ・イルーシャの功労に対する軍の答えだった。







 夜闇の中を落ちていく。

 怖いぐらいに濃密な黒い空間を、冷え切った上空の空気を切り裂いて、一Gの自由落下に甘んじるだけの時間。

 全長六メートルほどにもなる落下物は、植物の種子に似た楕円形をしている。

 上空まで大型輸送機で運ばれ、切り離されて。



――あとはもう、落ちるところまで落ちるしかない。



 たどり着くのが確実な死地だとわかっているのに、一パーセントでも生還できる確率に賭けたいと思ってしまう。

 降下殻ドロップポッドに収まった機械仕掛けの肉体――身長四メートルの巨人の中で、エルフリーデ・イルーシャは静かに目を閉じていた。

 今、少女の全身は巨人と完全に一体化している。それは戦争のために作り出された拡張身体であり、騎士甲冑を思わせる優美な曲線を描いている。


 機甲駆体バレットナイト。

 機銃掃射と砲爆撃の雨が降り注ぎ、生身の人体を引き裂いていく新時代の戦争に対する帝国の答え――特殊樹脂の装甲と人工筋肉の駆動系を持ち、人間の倍以上の大きさを持つ機械仕掛けの騎士人形である。

 今、少女が身を委ねている騎士人形は、その名を〈ブリッツリッター〉という。

 征服者の国、そして騎士の国で作られた巨大な騎士人形だ。


 電波吸収素材で作られた降下殻は優秀で、敵国の防空網に引っかかることなくエルフリーデを地上まで運んでくれるが、それゆえに外界の様子を知る術はない。

 もし仮にこの降下殻ドロップポッドが敵に発見され、今まさに対空砲火が撃ち込まれているとしても、彼女にできることは何もなかった。

 減速のための逆噴射は自動制御されているから、それが作動するまで何一つとしてエルフリーデ・イルーシャの意思は反映されない。

 空想する。

 あるいは軍の望みは彼女が華々しく戦場で散ることではなく、このまま地上に激突して無残に砕け散ることなのではないか。そうであったならば最悪だ。この狭苦しい空間に押し込まれた時点で、彼女にできることは何一つとしてない。

 目を閉じて/感覚器を研ぎ澄ませて。

 もうすぐ地上に激突するのではないか、というタイミングで振動が走った。着弾の衝撃ではない。



――規定高度に到達。減速プロセスを実行、ロケットモーター起動します。



 機械的なメッセージが思考の片隅を通り過ぎていく。古代文明の遺産とやらを使っているインターフェースが、エルフリーデの意識に直接、これから何をするのか教えてくれたのだ。

 逆噴射の時間がやってきた。固形燃料に火をつけて、膨大な量の推進炎を吐き出すロケットモーターが、自由落下で加速しきった降下殻を減速させていく。

 炸薬ボルトに点火。

 小さな爆発と共に降下殻を構成する外殻がパージされ、エルフリーデ/騎士人形を固定していた戒めがほどかれていく。

 灯火管制された都市の真っ暗闇の中、ロケットモーターの推進炎は花火みたいに綺麗だった。

 つまりバカみたいに目立つ。



――これ作ったやつは絶対バカだ! バカの中でも極めつけの!



 せっかくの夜間という条件が台なしだった。あるいは空挺降下用の新しい玩具の実験台にされた可能性も否定できない。

 自分を罠にはめた軍の高官と、このバカ装備を作った技術者にありったけの呪詛をぶちまけながら、エルフリーデは眼下の風景を見やる。

 バレットナイトの暗視装置は正常だった。

 ロケットモーターの炎に対しても、光量を自動調整して対応してくれる。



――桜の花が咲いてる。



 おそらくは沿岸部の都市に作られた海浜公園の類なのだろう。植林された桜の木が満開の花を咲かせているが、生憎、そのほとんどはこれから散ってしまうだろう。

 そのようにエルフリーデ・イルーシャが戦い、大勢を殺すからだ。

 ぐんぐんと地上が視界に迫ってくる。

 そして案の定だった。

 ロケットモーターの推進炎目がけて、曳光弾の混じった対空砲火が飛んでくる。

 聴覚センサーに響く風切り音に混じって、ズダダダダ、と機関砲の発射音が響き渡っていた。


 ロケット噴射の推力を用いてなお、自由落下で十分についた速度を殺しきることはできなかった。

 だが、何も問題はない。

 エルフリーデは〈ブリッツリッター〉の脚部で降下殻を蹴り上げた。狙うは眼下の地上に見える敵機。

 エルフリーデの操る騎士人形が、背中のハードポイントから一振りの刀剣を引き抜いた。通電することで飛躍的にその強度を向上させる超硬度重斬刀――帝国中央工廠で鍛え抜かれた刃は、刃長三百五十センチメートルにも及ぶ巨大な剣だ。

 人間のスケールで言うならば、大型の両手剣ツヴァイヘンダーをそのままスケールアップしたような武装。

 それを片手に握りしめ、降下殻ドロップポッドの呪縛を振り切って、灰色の騎士が空中に躍り出る。

 対空砲火の雨を避けながら、弾丸のごとく大地へと落ちていく。

 落ちる。

 桜並木に囲まれた公園の中心へと。

 着地ポイントには、都合よく敵がいた。

 敵バレットナイトの頭部を踏み潰し、衝撃でその腰部フレームをねじ切りながら急減速。

 強靱な駆動フレームを持つ〈ブリッツリッター〉はそれで無事に着地できたが、クッション代わりにされた敵は真っ二つにへし折れた。



――まずは一つ。



 たった今、踏み台にして潰したのは、ガルテグ連邦製〈M3エヴァンズ〉――砲塔から手足を生やしたような人型機動兵器――小隊規模での運用を主として、強力な大口径機関砲を両腕に内蔵したバレットナイトだ。

 つまり一体見かけたら、その数倍の仲間が付近にいると見ていい。

 たとえばそう、いきなり仲間が踏み潰されたのを見て、うろたえるように動きの止まった機体。

 〈ブリッツリッター〉の巨体が宙を舞い、一跳びで間合いを詰める。敵機が慌てて砲口をこちらに向ける。

 もう遅い、何もかもが。

 剣閃。

 速度と重量の乗った斬撃は、四メートル級の機甲駆体を容易く切り裂いていた。

 その上半身と下半身が泣き別れになって地面に墜落するより早く、這うように大地を蹴る。弾丸のごとく三機目の〈M3エヴァンズ〉に突進し、返す刃で下から打ち上げるように二撃目。

 斜めに引き裂かれた胴体が、砕け散ったアルケー樹脂装甲の破片をまき散らして散華する。


『こちらフロック隊! 敵だ、ベガニシュのバ――』


 超硬度重斬刀はその名前に反して、刺突にも優れた性能を発揮する。

 後ろから装甲を貫通され、融合者の死んだバレットナイトが機能を停止。

 これで四機目。

 暗視装置でフィルタリングされた視界の中、何かがちらちらと地面へ落ちていく。



――花びらだ。



 凄まじい勢いで動いた〈ブリッツリッター〉の起こした強風で、桜の花びらが無残に散っていた。

 花を散らしたあとに残るのは、節くれ立った樹木の枝だった。自分が破壊したバレットナイトの残骸の上に、ひらひらと桃色の花弁が落ちていく。

 その光景に、自分が大切な何かを踏みにじったような気持ちになった。

 感傷。

 何の意味もないそれを噛み殺す。

 敵襲を報せるサイレンが鳴り響く中、エルフリーデ・イルーシャは――帝国最強と呼ばれる兵士は、剣を片手に海浜公園を疾走した。

 生きるために/殺すために。







 大陸間戦争。

 開戦から四年目になるこの戦争はそう呼ばれている。

 大国同士の利権争いから始まった紛争は、いつの間にか、小競り合いを超えた大陸間戦争に発展していた。最初、抑制的な調子だった新聞は、いつからか国の検閲が入るようになって、敵国の非道を糾弾する作文を載せる紙くずに成り果てた。

 軍事大国であるベガニシュ帝国と新興国家であるガルテグ連邦の戦争は、当初の予想に反して、帝国の敗退という形で長期化していった。

 最初こそ威勢のいいことを言っていた報道は、今や本土決戦の必要性と臣民の献身について熱弁するようになっていた。

 つまるところ帝国は戦争に負け続けていて、とうとう敵の本土上陸を許すほどに追い詰められている。大陸東海岸に上陸した敵軍は速やかに拠点を構築し、外征軍を名乗って、専制君主からの大陸解放を謳っていた。

 砲撃が飛び交い、機関銃がうなりを上げ、戦場となった市街地が荒廃しきっている現実など嘘みたいに――敵も味方もプロパガンダの上では正義に燃える綺麗な存在だった。



――周辺国を侵略し、併合し、大貴族の専横はびこるベガニシュ帝国が、一度でも献身に値する国だったことがあるだろうか?



――住民を巻き込んで爆弾の雨を降らせるガルテグ連邦は、本当に解放者と呼ぶに相応しいのだろうか?



 エルフリーデにはわからない。

 少女は平民の両親の間に生まれた、どこにでもいる町娘だった。本職の教師であり教育熱心だった父親の影響で、多少、インテリかぶれではあったが、何もかも中流家庭の域を出ない。

 彼女は特別な血筋でもなければ、特別な経験をしてきたわけでもなかった。

 そんな少女が誰よりも、帝国を象徴する機械仕掛けの騎士人形――バレットナイトの騎手として優れていたのは、帝国の支配体制に対する最大の皮肉だった。

 軍事貴族として帝国に仕え、幼少期から訓練されてきた騎士たちはいい面の皮だ。

 何よりも不味かったのは、エルフリーデが差別対象である民族――帝国に併合された亡国の民だったことだ。


 貴き血を継いでいるはずの貴族たちはこの戦争でてんで役立たずで、代わりに劣等民族の小娘が英雄的に活躍した。

 それが嘘偽りなき現実である。

 おそらくきっと、帝国軍の内部でもいろいろと権力の綱引きがあったのだろう。紆余曲折あって、エルフリーデ・イルーシャを英雄として持ち上げた軍は、打って変わって彼女を謀殺せんとしてきた。

 威力偵察と称して、彼女一人を敵陣に放り込んできたのは、もう露骨すぎて隠す気すらない殺意の表れだ。


 そして最悪なことに、エルフリーデに敵への投降は許されていなかった。帝国の英雄に祭り上げられたトップエースの投降は、間違いなくガルテグ連邦軍によってプロパガンダに利用される。

 そうなれば、人質同然に軍によって保護されている妹ティアナ・イルーシャの身の安全は保障されない。

 報復を受けて不審死を遂げてもおかしくない。

 ベガニシュ帝国とはそういう国だ。

 反吐が出るほどろくでもない現実を前にして、少女に許されているのはこの無茶振りに等しい任務を完遂し、妹の元へと生きて帰ることだけだった。

 かくしてバレットナイト〈ブリッツリッター〉は市街地を疾走する。



――殺す、壊す、潰す。



 重機関銃を備えた戦車チャリオットを蹴り壊し、立ち塞がる数多のバレットナイトを斬り伏せて、あちこちにこしらえられた防御陣地トーチカを突き崩して。

 おぞましい殺戮の嵐と共に、エルフリーデ・イルーシャは悪鬼羅刹のごとく戦った。

 並外れた戦闘センスと反射速度に支えられた少女兵は、今、身長四メートルの騎士人形と完全に一体化している。

 それはつまり、疲労を知らず、生理的欲求からも解放されて、限界まで戦い続けられることを意味していた。

 もう何十機目になるかも忘れた敵機を斬り捨てる。火花が散りながら、真っ二つに両断された装甲の塊が崩れ落ちる。

 ほぼ直感的な反応だった。

 左腕に装備した光波シールドジェネレーターを掲げる――発振されたエーテルパルスの光が、飛び込んできた徹甲弾の雨を防いだ。

 エーテルパルスと運動エネルギー弾の衝突が、眩い光となって周囲を照らし出す。エルフリーデの〈ブリッツリッター〉はカメラアイを動かし、新手の敵を視認する。

 距離にして三百メートル先、T字路の奥からわらわらと湧き出してきた敵バレットナイトの数は、軽く十機を超えていた。

 一個小隊の機甲戦力がこれだけすぐやってくるとは、本当に数が多いことだ。



――もう増援か。



 〈M3エヴァンズ〉――まるで二本足で歩く移動砲台のような機体群が、その砲口をエルフリーデに向けてくる。

 敵国であるガルテグ連邦の兵器は、使われているテクノロジーの水準こそ相対的に低いものの、工業製品としてはとても優れている。

 つまりは良好な生産性があり、必要十分の機動力と火力がある。

 基本的にありがたいプロパガンダを垂れ流すのが仕事の帝国軍広報すら、敵兵器の美徳は褒め称える程度に優秀な戦闘機械だ。


 砲弾で穴だらけになった廃ビルの森に逃げ込む――軽量かつ高強度のアルケー樹脂で装甲を構築している〈ブリッツリッター〉は、その騎士甲冑めいた見た目に反して運動性に優れている。

 敵の機銃掃射を避けて、ビルとビルの間の路地へ飛び込み、猫科の猛獣を思わせる俊敏さでビル壁面を駆け上がった。

 機関砲弾がビルを穴だらけにする音。

 ガラガラと崩れていく建物の音を聞きながら、ビルの屋上から屋上に飛び移り、サーチライトに切り裂かれた夜闇を縫うようにして敵へ駆け寄った。

 ビル屋上から飛び降りる。

 眼下にはあまりにもエルフリーデの身のこなしが早すぎて、こちらを見失っている〈M3エヴァンズ〉の群れ。

 自由落下。

 叩き潰すようにして着地点の敵を真っ二つにする。


『――ガッ』


『なんだこいつは!?』


『ベガニシュのクソだ――〈剣の悪魔〉!』


 剣閃、剣閃、剣閃。

 灰色の騎士人形は、その手にした一振りの剣――超硬度重斬刀を閃かせ、次々と隣接する敵機を斬り捨てていく。

 自身に砲口が向くことを許さぬ、嵐のような剣戟である。

 剣に銃が負ける。

 蹂躙される。

 異様な光景であった。


 ベガニシュ帝国とガルテグ連邦の陸上戦において、最も使われる頻度が高いのは機関銃と曲射砲である。

 要するに遮蔽物や塹壕ざんごう(地面に掘った溝を用いた防御陣地。銃弾や砲弾から身を守るのに用いる)に隠れて、連発銃や大砲を撃ち合うのが普通の戦争なのだ。

 バレットナイト同士の戦闘においても、普通は銃器を用いて撃ち合いになる。アルケー樹脂装甲と人工筋肉によって、高い防御力と機動力を両立しているバレットナイトは、膠着こうちゃくした塹壕戦を打破するため生まれた。

 その名の通り、弾丸のような身軽さで機動する兵器だ。

 しかし身も蓋もないことを言えば、身長四メートルの巨人には、巨人サイズの大砲で撃ち合ってもらった方が便利なのだ。

 そういうわけだから、敵軍のバレットナイトは機関砲を備えた移動砲台のような姿形をしている。

 実際問題、機関銃を弾く移動砲台として使うならば、十分に合理的な姿形をしているのだ。

 そしてしばし合理性とは、無駄を省き、余裕をなくす行為だ。

 瞬きする間に八機、エルフリーデに叩き切られた敵バレットナイトのように。



――突破するために死んでもらう。



 エルフリーデは冷酷だった。敵陣へ単独降下した関係上、これから彼女は自力で味方のいる陣地まで戻らねばならない。

 どんな軍の上層部なり上級貴族なりがエルフリーデの死を願っていたとしても、建前の上では任務中の戦死でないと困るから、こんな回りくどい真似をしているのだ。

 立派に仕事を果たして帰還する分には文句は言われまい、と思う。

 家族にもう一度生きて再会する――そのために良心を麻痺させて、少女はただ殺戮者として剣を振るっていた。


『クソ、クソ、クソ! 悪魔が!』


『死ね、死ねよぉ!』


 いきなり仲間の過半数を斬り殺されて、恐慌を来した敵兵が叫んでいた。

 無線通信が混信している。

 どうやら敵の遠征軍とやらは、最低限の周波数の秘匿もできないらしい。

 エルフリーデはさらに剣を振るい、残りの敵を斬り捨てた。バレットナイトのバイタルブロック、融合者の肉体が溶け込んでいる部位を一撃。

 間違いなく即死だった。

 バレットナイトはその性質上、片腕や片足を失った程度では戦闘能力を喪失しない。

 倒したはずの敵から銃弾を撃ち込まれるなんてごめんだから、エルフリーデ・イルーシャは確実に相手を殺せる部位を狙っていた。

 なんとしても敵の包囲網を食い破って、味方の陣地まで後退する。

 その執念で敵機を殲滅した直後だった。

 ボロボロのビルが建ち並ぶ市街地のど真ん中で、〈ブリッツリッター〉のパッシブセンサーが警報を鳴らした。

 どこからかレーザーで狙われている、という意味の警告メッセージが表示される。



――レーザー誘導!? 不味い、ミサイルか!



 ぐるりと周囲を見渡す。

 いた。ビルの屋上に陣取った敵バレットナイト部隊――ミサイルランチャーを担いだ機体群が、レーザー光線でこちらをロックオンしている。

 間に合わない。

 次の瞬間、コンテナ型の連装ミサイルランチャーから次々と飛翔体が発射された。視界を埋め尽くすロケットモーターの推進炎――そのすべてが爆薬を搭載した高速の誘導ミサイル。

 エルフリーデは目一杯の回避運動――つまりはビルの陰に逃げ込む――を取りながら、迎撃を試みた。

 〈ブリッツリッター〉の左肩ハードポイントに装備された重機関銃が火を噴く。

 ダダダダダダダ、と銃火の音。電磁投射式の銃弾が吐き出され、飛来するロケットモーターの推進炎を撃墜していく。

 だが、所詮すべては悪あがきに過ぎなかった。

 風切り音。

 ビルの背後、目に見えている敵部隊のさらに後方の陣地から、このエリア目がけてロケット砲が降り注いできていた。

 戦場において、真の支配者は砲兵であると誰かが言った。おそらくそれは真理だ。降り注ぐ砲弾の雨を前にして、一個人にできることはあまりにちっぽけだ。

 それはたとえ、無双の強さを持つエルフリーデとて同じこと。

 ひゅるるるる、と不吉な音がして。

 撃ち落としきれなかった誘導ミサイルが、〈ブリッツリッター〉の光波シールドにぶち当たる。エネルギーの波動によって砕け散った化学エネルギー弾が爆発する。

 その衝撃に動きが鈍ったエルフリーデに対して、無慈悲に、空を埋め尽くすような数のロケット弾が叩き込まれる。

 爆発、爆発、爆発。

 轟音の中で〈ブリッツリッター〉は砕け散った。



――まだ死ねないっ!



 連鎖する爆発が終わって。

 辺り一帯を更地するような勢いの砲撃――もうもうと上がる土煙の中、小さな人影が残骸同然になったバレットナイトから這い出てきた。

 栗色のウェーブした髪。白い肌に赤い瞳。

 エルフリーデ・イルーシャは生きていた。五体満足である。

 騎乗していた〈ブリッツリッター〉は完膚なきまでに四肢を砕かれて再起不能になっていたが、そのバイタルブロックを守り通したのだ。

 オレンジ色の耐環境パイロットスーツ――しなやかな少女の肢体を包み込むそれ――に身を包んだ少女が、地面に横たわった愛機から外に出る。

 果たして奇跡的に無傷だったというべきか、それとも悪運の強さが為せる業だというべきか。いずれにせよ、エルフリーデは運よく生き延びたが、その受難は終わっていなかった。

 土煙にけほけほとむせながら、少女は腰のホルスターに手を伸ばした。自衛用の拳銃が確かにそこにあるのを確認し、それをそっと引き抜く。



――まだ、まだ終わってない。



 よろめきつつも立ち上がったエルフリーデは、土煙の向こうから不吉な足音を聞いた。

 がこん、がこん、とアスファルト重量物が叩く歩行音。

 どす黒い殺意をにじませて、一機の〈M3エヴァンズ〉が接近してくる。身長四メートルの巨人は、こちらに砲火を加えることなく静かに歩み寄ってくる。

 その機体に備え付けられた外部スピーカーが、殺意に満ちた呟きを音にする。


『楽には死なせてやらんぞ、魔女が――』


 近づいてきた敵機が、その右脚を高く持ち上げて――エルフリーデ目がけ振り下ろしてくる。

 車輪に潰された蛙のように、圧死する未来が見えた。

 敵は少女に投降を許すつもりなどなく、虫けらのように踏み殺すつもりなのだ。

 横っ飛びになってそれを躱す。

 どごぉ、と道路を踏みしめる巨人の足を見た。ウェーブした髪が砂まみれになるにも構わず、ごろごろと凸凹だらけのアスファルトの上を転げ回って。

 エルフリーデ・イルーシャは大型自動拳銃を構えた。

 赤い瞳に涙を浮かべて、それでも戦意を失わずに――少女は歯を食いしばった。



「――殺されてなんか、やるもんかっ!」



 その拳銃は電磁加速式銃器レールガンの一種だった。銃身長二十六センチの長銃身ロングバレル型、大容量パワーセルの電力を消費して直径十ミリの銃弾を撃ち出す。

 〈騎士の拳銃〉と呼ばれるそれは、拳銃と呼ぶには長すぎる電磁バレルを持ち、劣悪な重量バランスが特徴とされる。

 高電圧をかけられる銃身には放熱器を兼ねた板状のカバーが被せられており、これがさらに重量バランスの悪化に拍車をかけている。

 構えるだけでも腕が疲れるし、反動はバカみたいに強いから、その実用性のなさを揶揄するように〈騎士の拳銃〉と呼ばれる代物。

 ただ一つ、その銃に利点があるとすれば――拳銃ハンドガンというカテゴリに見合わない、絶大な火力だ。



――轟音。



 腕をもぎ取られるのではないか、という反動。

 瞬間、撃ち出された銃弾が、巨人の頭部センサーユニットをぶち抜いた。一瞬で視界を奪われた〈M3エヴァンズ〉が、混乱して地面を踏みしめる。


『がぁああああ!?』


 至近距離でならば対物狙撃銃に匹敵する運動エネルギー弾が、精確にその目を射貫いたのだ。

 みしみしと軋む関節を誤魔化して、エルフリーデは二発目の銃弾を撃ち放った。狙うのは巨人の全体重を支えている足首の関節。

 当たった。

 だが、倒れない。

 頑強な巨人の関節フレームに対して、さらに三発目、四発目、五発目の銃弾を叩き込む。

 何発かを外して、何発かを確かに当てた。

 そして〈騎士の拳銃〉に装填そうてんされた全弾を撃ち尽くす。

 片膝立ちで全弾を撃ち尽くしたエルフリーデは、自分の命運が尽きたのを悟った。


「あ――――」


 足首の関節を破壊され、歩行できなくなった敵バレットナイト。サブカメラに感覚器を切り替えたらしい敵機は、静かに両手の大口径機関砲をこちらに向けている。

 〈M3エヴァンズ〉の二十五ミリ機関砲。

 炸裂弾を用いるその砲火を浴びれば、人体など一瞬で水風船のように弾けて終わりだった。

 怒りと憎しみに燃える声がした。


『死ね、クソ女!』


 絶対的な死を感じた。

 最後の瞬間、エルフリーデ・イルーシャの脳裏を横切ったのは、どうしようもなく、あとに残される妹の安否だった。



「……ティアナ」



 少女の赤い瞳から涙がこぼれ落ちる。

 砂まみれになってなお、白い頬を涙が伝い落ちたその刹那。

 エルフリーデは確かに見た。




――




 それは敵軍のバレットナイトではありえなかった。見たこともない形状の人型が、〈M3エヴァンズ〉の背後を取っている。

 一体どこから現れたのか見当もつかなかった。

 ただそいつは、腕を伸ばして――左肩のハードポイントから、巨大なナイフを引き抜いた。


「……えっ?」


 漆黒の刃が、ナイフシースから解き放たれる。

 刃長八十センチにも渡るそれは、人間サイズならばロングソードに分類されるが、身長四メートルの巨人であるバレットナイトにとっては短剣なのだ。

 鎧通しスティレットの名を冠した対装甲ナイフが振り下ろされる。

 火花が散る。

 耳をつんざくような金属音。


『ぎゃあああああああ!?』


 敵の悲鳴がスピーカーからあふれ出す。

 超振動モーターによって高速振動する刃が、〈M3エヴァンズ〉の関節の隙間に入り込み、その駆動フレームに深刻なダメージを与えているのだ。

 スティレットによる破壊は、そうして機体の駆動システムそのものに及ぶ。

 刀身を自壊させるほどの超振動モーターのいななき――ガクガクと痙攣けいれんする敵バレットナイトは、やがてカメラアイから光を消して、力なくその場に崩れ落ちた。

 突如としてエルフリーデの前に現れた黒い巨人は、音もなく少女の前まで歩いてきて。

 まるで騎士が礼を取るように片膝をつき、呆然と立ち尽くすエルフリーデ・イルーシャに手を差し伸べる。

 声。

 無感動で硬質で、何もかもを睥睨へいげいするかのような傲慢な声音。








『選べ――









――そして、二人は出会った。












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