タグ・ガール

山田

タグ・ガール

1.ゆるふわ転校生来たる

 

 二学期の初日、朝に学校に来ると、六年一組の窓際側の教室の端っこ、正義の隣に席が一つ増えていた。

 もしかして、もしかしてなんじゃない!

 クラスのみんなが同じ仮説を立てた。

 新学期に教室に置かれた新しい机。

 この状況はもちろん、学校でしか起こらないイレギュラーな、あのイベントだ。

 長くつまらない始業式が終わり、クラスのみんなは浮き足だったまま、各々、席に着くいた。すると、担任の村松先生が教卓でごほん。と役者のようなわざとらしい咳払いをする。

「今日から、転校生が来ます」

 その言葉をきっかけに、教室がざわめきだし、それぞれが勝手に様々な推測を飛ばす。

「やっぱり、そうだ」

「女の子かな。男の子かな」

「どこから来るんだろう」

「外国だったりして」

「まさか!」

「正義、お前の隣じゃん。どんな奴かな。俺はやっぱりイケメンがいい!」

 前の席の景がくるりと後ろの席の正義を振り返る。景は去年からクラスが一緒の正義の友達だ。今日の髪型はポニーテールだが、気分によってコロコロと変える。ある日はツインテール、ある日はハーフアップ、フィッシュボーンやら編み込みやら正義の知らない髪型も色々としてくる。そのような髪型は正義からしたら摩訶不思議なもので、一体何をどうしたらあのような形になるのか一切不明だ。見た目は中性的で、実のところ、正義は最初の頃は彼のことを女の子だと思っていた。体育の着替えの際に、「早く女子更衣室に行かないと遅れるぞ」と言ってしまったのは今となっては笑い話だ。

「別に、俺はどっちでもいいよ。でも、まあ、可愛い子だったらいいな。とは思う」

 正義はゴニョゴニョとフェードアウトしながら本音をこぼす。

 景は、テレビで活躍するアイドルのようなかっこいい系が好みだが、正義はどちらかと言えば、おとなしい、可愛い子が好みだ。仲は良いし、ノリも合うのだが、ここの好みだけはどうも被らない。

「それじゃあ、入ってきて」

 ガラッとスライドした教室の扉にみんなが注目する。

 ふわりとした軽くカールのかかったキャラメル色のボブカットの髪の毛。翡翠色のこぼれ落ちそうな丸い瞳は彼女に日本人以外の血が流れていることを証明している。

 大人びた顔立ちに一五〇後半ほどの身長。ランドセルではなく、リュックであることも相まって、一見すると中学生のようである。彼女が今着ているTシャツと短パンよりも、お嬢様が着るような上品なワンピースが似合いそうな少女だ。

「おい正義、ああいう子、好きだろ」

 ニヤニヤと揶揄うような笑みで見てくる景を正義は「うっせ」と小突く。

 うっかり見惚れていたのはナイショの話だ。

「それじゃあ、自己紹介してくれる?」

「はい、月足アメリです。仲良くしてくれる人、私のことを守ってくれる人、募集中です!」

 教室が静寂に包まれた。

 突拍子もない彼女の挨拶に、みんなが頭にクエスチョンマークを浮かべた。勿論、村松先生もだ。

「え、えっと、アメリちゃんはアメリカから来たばっかりで、日本語には不慣れだから」

「大丈夫です!私のお父さんは日本人で、家では日本語を使っていたので、完璧です!」

 村松先生のフォローも彼女は思いっきり無碍にした。

 −そもそも、『私のことを守ってくれる人、募集中です!』というのは言語の問題じゃないだろう。

「とりあえず、アメリちゃんの席はあそこ、正義くんの隣だから」

 正義くん、手をあげて。と言われ、正義はその通りに手を挙げ、ついでにひらひらと振ると、アメリはトタトタと小走りで向かい、席についた。

「俺、正義。これからよろしく」

「うん、よろしく。正義」

 ふわりとした笑顔と共に差し出された手を握り返すと、ぎゅっと力強く握り返された。


「ねえねえ、アメリちゃんってアメリカから来たってことは英語話せるの?」

「アメリちゃん、アメリカってどんなところ」

「アメリちゃんってハーフなの?」

 転校生というレアキャラに『外国からの』という付加価値がついているため、夏休みの宿題の提出が終わり、村松先生が次の授業まで自由時間にすると、すぐにクラスメイトの何人かに囲まれた。

「うん、英語は話せるよ。どんなところ、うーん、難しいな。ハーフって何?」

 アメリは矢継ぎはやに降り注ぐ質問にもゆっくり自分のペースで答えていく。なんなら、質問を返すほどの余裕を見せた。

「ハーフっていうのは、お母さんとお父さんが違う国の人ってこと。アメリちゃん、本当に英語できるの」

 嫌味っぽく返すのはクラスでいわゆる一軍に所属する撫子だ。成績優秀、運動神経抜群。猫っぽい顔が特徴的な少女だ。一軍ではあるが、男女ともに仲が良いというよりも、特定の女子たちだけとつるんでるタイプ。それでも、彼女の強気な性格が彼女をクラス内で一軍という立場に立たせている。

「そうなんだ!英語では、それをミックスって言うから知らなかったな。また一つ勉強になったよ。ありがとう」

 一枚上手に返された撫子は、「ふ、ふーん。そう」と強がりな反応を見せた。

「ところで、自己紹介で守ってくれる人を募集って言ってたけど、どういう意味なの」

 クラスの全員が無かったことにしようとしていた、あの発言を彼女は掘り返した。疑問は一つ残らず払拭する。それも彼女の性分の一つである。

「そのままの意味だよ。私のことを守ってくれる人を募集してるの」

「だ、か、ら。それの意味がわからないの!守ってくれるって何からなの」

 キョトンと小首をかしげるアメリに撫子は苛立ちを隠さず前のめりになって問いただす。

「私のことを狙ってる人」

「はぁ?命でも狙われてるって言うの」

「そんな、bandy…えっと、広める?ことできないよ。でも、撫子が守ってくれるなら、教えるよ!」

「守るって意味わかんないし。ていうか、なんで私の名前を知ってるのよ!」

 言葉は通じてるのに話は通じない。そんな状況に、撫子のストレスはどんどん溜まっていく。

「教室の掲示板に貼ってある座席表を見たから」

「じゃ、じゃあ、みんなの名前、言ったみてよ」

「うん、いいよ。清水撫子、栗原瑞樹、南杏樹、佐久間瑠璃」

 アメリは目の前の女子グループのメンバーを一人ずつ、見事に言い当てた。呆気に取られているクラスメイトをよそに、次々とクラスメイトの名前と顔を一致させる。

「五十嵐景、小野寺正義。これで全員だね」

 そのまま彼女はクラスメイトの名前を全員言い当てた。

「それで、撫子は私のことを守ってくれるの?」

 無邪気に尋ねるアメリに撫子はストレスが限界値まで溜まったようで、

「なんで、私があなたのことを守らないといけないわけ、守るわけないでしょ!」

 神経が張り裂けそうな様子で撫子は彼女の質問を一刀両断した。

 月足アメリは転校から1時間たらすでに、

『頭のおかしな女の子』

 というレッテルが貼られたのであった。

 

 2.頭のおかしな転校生の授業の様子

 

 二学期初日、一番最初の授業は体育であった。

「正義、一六秒三八」

「はぁ、はぁ、りょうーかい」

 日光が大地を焼き尽くしそうな炎天下、正義は息を切らす。

「はい、記録表」

 景に渡された記録表に目を通すと、クラスの中では真ん中より上のタイムで、内心、誇らしい気分で自分のタイムを書き込む。

「すごーい!撫子ちゃん」

「十五秒二八だって!」

「十五秒…」

 しかし、その記録も撫子にあっという間に抜かされた。

 撫子は外部の陸上クラブに入ってるらしいからな。

 正義は自分にそう言い聞かせ、気にしてない風を装い、撫子に記録表を渡す。

「次、アメリじゃん。あんまし、速そうなイメージ湧かないよな」

「確かに、のんびりしてるもんね」

 彼女はマイペースでおっとりしたような印象であり、景が言うように運動が得意とは見えない。

 転校から数時間であまり良くない目立ち方をしていた彼女は注目の的であり、クラスメイトの多くが値踏みするような視線を送る。

 パンッ

 と、ピストルの音がグラウンドに響く。

 スタートして、すぐに茶髪のボブカットの少女が二位と圧倒的に差をつけながら先頭を走り始めた。

「まじ?」

「え、めっちゃ速くね」

 二位と圧倒的な差をつけてゴールした彼女の姿にみんなが目を疑い、 

「十三秒二一…!」

 タイムを聞き、耳を疑った。

「ちょっと、計測間違えたんじゃないの!」

 撫子が目を吊り上げ、抗議した。

 確かに、アメリは抜きん出て速かったが、十三秒というタイムは全国大会レベルである。

「十三秒三七」

 結局、最後にもう一度計り直したが、結果はほとんど変わることはなかった。

 月足アメリは体育の時間で

『頭はおかしいけど凄い子』

 と言う評価に変わった。


 窓からは秋が少し混ざった夏の日差しが差し込み、床にいくつもの窓を描いている。

 クーラーの微かな機械音、教科書を捲る音、児童の拙い音読が教室内をゆらりと流れる。

「それじゃあ、次、アメリちゃん。二段落目から音読してください」

 村松先生に指されたアメリはガタリと椅子を引き、立ち上がると、鈴のような声で教科書の音読を始めた。しかし、普通の音読とは違う光景に、村松先生は動揺し、クラスの皆も異物を見るような視線を彼女に送った。

「アメリちゃん、これは暗唱じゃないから、教科書を読みながら音読してね」

 アメリは教科書を持たずに、下も向かずに教科書の音読を始めたのだ。

「文章を読み上げれば問題ないと思います」

 アメリははっきりと先生に物申した。

「音読にはね、文章を目で追って、耳で聞いて、両方の感覚を刺激することで、文章理解を促進してるの。だから、教科書を読んで、音読してくれるかな」

「頭の中の教科書を読みながら音読してるので、その状態と同じだと思います」

 なんで、まだ反抗するんだよ!

 正義は心の中でそう叫んだ。

 もういいじゃないか。他の先生だったら、理由も言わずに怒るのに村松先生はわざわざ理由を説明してくれたんだ。素直に言うことを聞けばいいのに。

 案の定、教室内のいくつかの箇所から、クスクスと笑う声が聞こえてきた。

「うん、そうだとしても、先生からは、それが確認できないから手元にある教科書を読んでくれるかな」

「なるほど。わかりました

 意外にも彼女はすんなりと納得し、手元の教科書を持ち、暗唱ではなく音読を開始した。

 −自分が納得さえすれば、言うことを聞くんだな。

 正義は、そんな彼女の姿勢に感心したが、クラスの大半はそうではないようで、

 つまらない。

 もっと言い返せばいいのに。

 などとコソコソと耳打ちをしていた。

 結局、月足アメリは国語の授業で

『頭のおかしな痛い子』

 と言うレッテルを貼り替えられたのだった。

  

 3.頭のおかしな痛い転校生の命が狙われる理由

 

「タマ、ほら、ご飯だぞ」

 放課後、ランドセルを背負ったままの正義は高架下で、毛並みの悪い、痩せ細った三毛猫にキャットフードを与える。

 ガツガツとダンボールに盛られたキャットフードを貪ったたまはお礼を言うように、にゃあと一鳴きすると、正義の脚に擦り寄ろうとする。

「それはダメだって」

 慌てて、タマから距離を取り、指先だけで、たまのあごをさする。そうすると、タマは嬉しそうに目を細めて喉をゴロゴロと鳴らすのだ。

 正義は一週間ほど前、始業式の帰り道にボロボロの状態のタマを見つけた。

 残念なことに彼の母は猫アレルギーであり、家に連れて帰ることはできなかった。

 その代わりとして、なけなしのお小遣いで、小分けのキャットフードをホームセンターで買い、それをさらに小分けにして、タマに与えていた。

 しない偽善よりもする偽善。

 自分なりにできることを探した結果だ。

「にゃあ」

 タマは、もっと餌をよこせと言う様にもう一鳴きする。

「これ以上あげたら、すぐに無くなっちゃうから」

 言葉を理解しているのか、それを聞くと、プイッと、そっぽむいて、そのまま土手の上にまで走っていった。

「その元気があるなら自分でネズミでも鳥でも狩ればいいのに」

 一人誰にも届かない文句を垂れる。

 ふと、タマのことを追いかけたくなってみた。昨日、父と観た猫の行動範囲に関するドキュメンタリーの影響だ。

 土手を登り、タマの姿を探すと路地から白い尾が見えた。「あれだ」と、走って、その路地に足を踏み入れるが、そこにいたのはたまとは違う種類の猫であった。

「なんだ。猫違いか」

 しかし、ダンボールやらカラーコーンなどが乱雑に置かれているここに案外いるかもしれない。そう思い探し始めようと思い立った途端、背中に背負っていたランドセルの重さが二倍、いや、三倍。とにかく、小学生の正義が背負っていられないほどの重さになり、そのまま後ろにバランスを崩した。背中はすぐに軽くなったが、バランスを戻すことはできず世界が反転する。その瞬間、スローモーションになった彼の世界に一人の少女が現れた。

 彼女は宙に浮き、髪の毛は重力に逆らうようにふわりと逆立ちしている。きらりと光る翡翠色の瞳が正義を見下ろしている。

 目が合った。

 それを確信した瞬間、正義は重力任せに地面に叩きつけられ、同時に、その少女が彼の腹の上に馬乗りになるように着地した。

「アメリ」

 正義はその少女の、頭のおかしい痛い彼女の名前を呼んだ。

「正義、ごめんね。大丈夫?ランドセルに着地しちゃったから」

「う、ん、大丈夫だけど、あの衝撃はそういうことだったんだ。というか、あの、降りてくれないかな」

 一旦、自分の要望をどうにか伝える。

 まるで世間話をするかのように平然と話す彼女とは対照的に、正義の心臓は早鐘を打ち、全身の血液が沸騰したかのように熱くなっていた。

 正義の視界に映るのは青空と自分に覆い被さったアメリと、二階、三階建ての雑居ビル。詰まるところ、彼女は二階、もしくは三階建ての雑居ビルから正義のランドセルに飛び降り(目掛けて飛び降りたかは不明だが)、そのままバウンドし、正義に馬乗りになる形で着地したことになる。

 空から女の子が。

 まるでどこかのアニメのような光景だが、驚くことなかれ、現実であった。

「ああ、ごめん。今降りるね」

 アメリはそそくさと正義の腹の上から撤退する。正義も立ち上がり、動揺を悟られないようにズボンの埃をはらう。 

 パンッ、パンッと二発、花火の音がした。

 正義には花火の音に聞こえた。

 この辺で花火の音は珍しくない。一日に数発、鳥よけの空砲が鳴るからだ。しかしながら、いつもと違う点が二つほどあった。

 焦げ臭い匂いが正義の鼻を掠めたこと。

 拳銃をこちらに向けた男が雑居ビルの二階の窓から顔を覗かせていたこと。

「Amery, put your hands up.」

「郷に入れば郷に従え。日本語で話してくれる?」

 アメリの発言に男は舌打ちをする。男が「アメリー、手を挙げろ」と言い直すと、アメリは素直に両手を挙げた。そして、男は銃口をアメリに向けたまま、窓から飛び降りた。

「俺と一緒に来い」

「わかった」

 アメリは男の言葉に素直に応じ、男に銃を突きつけられながら路地を出ようとした瞬間、鼓膜を破るような騒々しいアラーム音が路地裏に響き渡った。

「こ、この、防犯ブザーはと、特別なやつで、十秒以上なると、け、警察が来るぞ!

 正義は印籠のように防犯ブザーを掲げ、震える声をどうにか絞り出した。実際、心臓は今までにないくらいバクバクと鳴り、立っているのもギリギリな状態で彼の脚は子鹿のように震えていた。

 パンッ

 という音ととほとんど同時に、けたたましい音が消え、彼の防犯ブザーは木っ端微塵になっていた。

「Don't get cocky little brat」

 こちらに銃口を構える男に、とうとう正義は立っていられずに腰を抜かした。

「正義、ありがとう」

 破裂音と共に、男の腕は百八十度後方に半転した。

 アメリの右足は天を刺すように伸びており、彼女の蹴りによって数メートル上に飛ばされた銃はぐるぐると回転しながら飛んでいる。状況が掴めず、頭上の銃を見上げる男にアメリは大外刈りを決めた。流れるように男をうつむせにひっくり返し、「ごめんね。ちょっと痛いよ」と断りを入れると、男の肩から鈍く嫌な音がした。

「ぎゃあああああ」

 アメリは、ちょうど降ってきた銃をノールックでキャッチすると、悲鳴をあげ、悶絶する男の尻ポケットにその銃を返した。

「正義、行くよ」

 彼女は腰の抜けた正義を起こすと、半ば引きずるような形で路地を抜けた。

「待って、これ、どういう状況なの」

 近くの商店街に入り、ようやく自分で歩けるようになった正義はそうアメリに尋ねる。

「私を狙う人から逃げてきたんだよ」

 彼女は当たり前に答えた。

「いやいや、意味がわからないって」

「聞きたい?」

「そりゃあ、気になるもん」

「正義はこれからも私のことを守ってくれる?」

『これからも』という単語が入る辺り、先ほどの行動はアメリ的には『守ってくれた』に入るようだ。

「理由による。アメリが悪人だから狙われてるなら、俺は守れない。でも、あの人たちが悪人で、アメリを狙ってるなら、俺はアメリを守るよ」

 元々、正義感の強い性質である正義はそう返答した。その返答に、むむむとアメリは口元を手で押さえながら考え込む。

「それなら、私の話を聞いて判断して」

 ところで、いつまで手を繋ぐつもり?と聞かれ、正義は顔を真っ赤にしながら、勢いよく両手を挙げた。「もう手は挙げなくていいのに」とクスクスと笑う彼女に正義の顔はさらに赤くなった。

 

「正義の家に行ってもいい?」とアメリに聞かれた。なんでも、外ではまた狙われるかもしれなく、アメリの自宅もここから近くないらしい。正義は正直、少し抵抗があった。正義は小学六年生。男女というものを気にし始める年頃だ。グループならまだしも、二人きりとなると多少ドギマギしてしまう。しかし、現状は急を要するもので、結局、家に案内することにした。

「学校からそのまま来たの?」

 母が心配そうにアメリに尋ねた。アメリが家には連絡を入れた旨を話すと、ほっと胸を撫で下ろした。

「アレルギーとかないよね」

「ないよ!ありがとう。ごめんね、手土産を持ってこなくて」

「いいよ、気にしないで」と言いながら、正義は麦茶を一口飲み、目の前のクッキーに手を伸ばす。自宅に客間があって良かった。正義は心からそう思った。もしも、漫画のように、自分のテリトリーである自室に招くことになってたら、緊張してろくに会話もできなかっただろう。

「それで本題なんだけど、アメリはなんで狙われてるの」

「私のお母さんはね、研究者だったんだ」

 おおよそ、彼女の命が狙われている理由に繋がるとは思えない出だしだが、正義は黙って聞くことにした。

 

 何の研究をしているかは私には難しくて全く理解できなかった。それでも、というか、だからななのかな、私はよくお母さんの研究室に遊びに行ってた。もちろん、お母さんは研究で忙しいから、隅っこで本を呼んだり、休憩中の助手の人とおしゃべりしたりしてた。

「とんでもない発見をしたわ!世紀の大発見よ!」

 夕飯時、お母さんは興奮した様子で家族に話した。

 けれど、その発明は国を、下手したら世界を滅ぼすことができる兵器になるものだったの。

 お母さんはすぐにその研究を消し去った。だけど、どこから漏れたのか、その研究を狙う奴らが現れた。お母さんは家族に迷惑のかからないよう、一人で姿を消した。そして、次に目をつけられたのが私。

 私はハイパーサイメシアっていう、どんな些細なことでも全て覚えていられる。正確には忘れられない能力を持ってるの。

 研究の内容は理解できないけれど、研究室に遊びに行ってたのも、資料を見たのも事実。奴らは私を狙い始めた。

 だから、銃社会のアメリカから治安の良い日本に引っ越してきた。

 

「ていう訳」

「いや、ちょっと待って」

 いやいやいやいや、意味がわからない。

 え?何、アメリって厨二病?妄想癖?虚言癖?クラスでは確かに、痛い子というか、ヤバイ子みたいな扱いだけど、流石にヤバすぎるでしょ。でも、確かに銃を持った人に追われたのも事実だし…。あぁ、あれかドッキリか!テレビ番組の仕込みか!もしも命を狙われてる女の子が現れたら助ける?助けない?って、なわけないでしょ。俺の防犯ブザー木っ端微塵だったけど!というか、ドッキリだったら炎上確定だよこんなの。今、令和だよ?コンプラの時代だよ?

 こめかみを押しながら、正義はぐるぐると思考を巡らせた。

 でも、アメリが嘘を言ってるようには思えないし、この話が嘘でも本当でも、彼女の守ってほしいっていう言葉は本当なんだろう。

「わかった。俺がアメリを守るよ」

 正義は腹を決めてそう宣言すると、彼女は花が咲いたように笑顔になった。

 

 4.命を狙われてる転校生を守るには

 

『わかった。俺がアメリを守るよ』

「あーー!何かっこつけてんだよ!バカかよ!」

「マサ、うるさい!」

 隣からドンっと壁を殴る音と共に妹の美沙からのクレームが入る。

「でも、守るってどうやって」

 相手は拳銃を持った大人だ。しかも銃刀法のある日本で所持しているということはいわゆる反社に違いない。

 正義は布団に包まったまま、ベッドから降り、自室の引き出しや玩具箱を探る。

「銃、鉄砲、水鉄砲…?」

 昔買ってもらった水鉄砲を片手に持ち、構えてみるが、あまりパッとしない。

 なんたって、本物の銃は防犯ブザーを一瞬で木っ端微塵にしてしまうのだ。水鉄砲を打ったところで、ちょっと濡れるだけ、相手が防水加工のされていないロボットだった時は有効だろうが、残念なことに、おそらく9割型は生身の人間だろうし、ロボットがきたとしても、防水加工は施されてるに決まってる。

「バットとか?」

 プラスチックの赤いバットを思いっきり振ってみる。水鉄砲よりはマシなんじゃないかと言ったところだ。

 他にも色々と武器になりそうなものを並べてみるが、あまりピンとこない。

「みぃー、なんか武器になりそうなのもってないー?」

「喧嘩でもする気ー?武器持つよりも逃げ足鍛えた方がいいんじゃないー?」

 少し前まで、カルガモのように兄の後を追いかけ、真似っこばっかりだった一つ下の妹はすっかり兄に対して辛辣な妹になっていた。

 

「正義くん、このバットはなんで持ってきたの?」

 担任の村松先生は朝の会が終わると、正義を教卓に呼びつけた。正義はよく知っている。この教師は目を釣り上げている時よりも、大声をあげているよりも、真顔でいる時が一等怖いことを。

「手で持って運んできました」

「先生は、な・ぜ、このバットを持ってきたか聞いてるの」

「中間休みに野球でもしようと思って」

「それなら学校の備品で十分でしょう」

「はい…」

 それ以上の反論もできるはずがなく、弱々しく返事をする。バットは放課後まで先生預かりとなった。 

「正義、どうしたんだよ。野球なんてやったことないだろ」

「いや、ちょっと…」

 学校に到着して早々に武器を取られてしまった。

 冷静に考えれば、正義の通う市立南小学校には校内に関係のないものを持ち込んではいけないという校則が存在しており、バットなどと言う、どう足掻いても隠すことができない代物を没収されないはずがない。どうやら正義は悪の組織から少女を守る使命というものに少々ハイになっていたようだ。いや、厳密に言えば、今もハイになっている状態である。

 その証拠に正義のこの日の様子はクラスメイトから見てもかなりおかしいものであった。

「アメリ、1時間目は理科だから、理科室だな。一緒に行こう」

「うん!」

「いいよな、景」

「おう、もちろん」

 景は平然を装って、そう答えたが、脳内では正義の不可思議な行動に首を傾げていた。

 第一にアメリがクラスで孤立していることを気にかけるものなど一人もおらず、正義とて同じであった。それが昨日の今日で、共に行動を始めたのだ。しかし、だからと言って、この正義の行動を咎める者もいない。別にアメリはいじめられているわけではなく、故意に孤立させていたわけではないからだ。しかし、

「アメリ、次は家庭科室だって」

「アメリ、次の社会、移動みたい」

「アメリ、今日の音楽は音楽室だって」

 カルガモのように一日中、移動教室も、中間休みも、べったりくっつくのが三日も続けば話は別だ。

「アメリ、図書室に行くのか、ちょっと待って、俺も」

「なあ、正義」

「なんだ。景」

「なんか最近、アメリと仲良くない?」

「そうか?俺、行かないと。じゃあ!」

 またもや、正義はカルガモのようにアメリにくっついて行ってしまった。アメリといえば、ニコニコといつもと変わらない様子である。

「別に俺はこのままでもいいけど、そろそろ、あの子が動き出しそうだぞ」

 景がぼそりとつぶやいた警告は正義に届くはずもなく、彼になむさんと十字を切った。

「あ、アメリ」

「正義くん」

 撫子が正義の前に仁王立ちで立ち塞がる。いつもの友人たちは遠巻きに様子を伺っている。

「なんだ、撫子」

「ここ、どこかわかってる?」

 まるで尋問のような厳しい口調で撫子か質問を投げる。

「学校」

「もっと詳しく」

「トイレの前」

「そう、トイレの前だけど、何トイレの前?」

「女子トイレ…です」

「あのねえ、あんたがアメリちゃんに金魚のフンみたいについて回るのは勝手だけど、女子トイレまでついてくるのは、はっきり言って気持ち悪いから!」

 撫子は、まるで名探偵が犯人を追い詰めた時のように人差し指を正義の目の前に突きつける。正義はそんな撫子に気圧され、顔を引き攣らせながら、半歩後座さった。

「き、気持ち悪、でも、トイレの前だから!入ってないから!」

「入ってなくても、男子が女子トイレの前に居座ってるの、マジできもい!気持ち悪い!」

『きもい』一学期最初の道徳で習ったちくちく言葉。これを1分間の間で三度も浴びせられ、正義の精神はズタボロの雑巾のような状態だ。

「ていうか、アメリちゃんのこと、ちゃんと考えてるの?」

「え?」

 予想外のカウンターに正義は豆鉄砲を食らった顔になる。

「ただでさえクラスで浮いてるのに、あんたが最近、金魚のフンみたいにべったりだから、さらに良くないこと言われ始めてるから」

 正義は撫子は彼女のことを気にかけていたとは夢にも思っていなかった。彼女とアメリのファーストコンタクトはあまり良しと言えるものではなかったし、運動神経抜群、成績優秀で負けず嫌いな撫子のことだから自分よりも上位互換な存在であるアメリをむしろよく思っていないのではとすら思っていた。

「アメリちゃんが好きならちゃんと彼女のことも考えて行動して」

 すき

 スキ

 好き

「す、すす、好き⁉︎」

 思春期の男子からしたら非常にセンシティブな単語に正義は脳内で和太鼓を鳴らし、エマージェンシー、エマージェンシーと警告音を響かせた。

「好きだから一緒にいるんでしょ」

「い、いや、そんなじゃないから!」

「嫌いなのに一緒にいるの?」

「いや、嫌いってわけじゃないけど」

「どういうこと?」

 撫子は眉間に皺を寄せる。なにぶん彼女は優秀であるがために、時折、自分自身の物差しをあたかも世界基準であるかのように使用することが多々ある。そして、その物差しの乱用から今回のようなすれ違いを起こすのも珍しい話ではない。

「こっちのセリフだよ!別に、」

「あれ、撫子と正義がお話ししてるの珍しいね」

 鈴のような声が二人の会話に割り込んできた。議題の当事者でありながら唯一何も知らないアメリだ。

「別に。正義くん、私の言ったこと、ちゃんと念頭に置いておいてよね」

 キッと正義のことを睨むと撫子は荒々しい足取りで友人たちの方へ戻って行った。

「何かあったの?」

 正義はげっそりとしながら、ただ何もないとだけ伝えた。

 

『ちゃんと彼女のことも考えて行動して』

 正義は撫子に言われたことを頭の中で反芻する。

 正義とアメリは三日前から、登下校も一緒だ。いつもなら、学校のことやお互いの文化の話で盛り上がるのだが、今日の正義はそんな話で盛り上がる気分ではなかった。

 正義感というものは人の視野を狭める。

 思えば、アメリのことを守ることばかり考えて、彼女のことは考えていなかったのかもしれない。正義はそんな自責に襲われた。

「俺、空回ってるのかな」

「どうしたの?正義」

「アメリのことを守ることだけを考えてて、アメリのことを考えてなかったなって」

「なんで?正義は私のことを守ってくれてるのに」

「いや、そうだけど、そうじゃなく…」

「ヴェぁ」

 正義の後方、正確に言えば、アメリの真後ろから汚い呻き声と共に、何か質量にある大きなものがどさりと倒れる音がした。アメリは上半身を後方に半分捻り、ランドセルにさしていたリコーダを剣のように構えていた。

 襲撃だ。

 今しがたアメリが倒した男を除けば残り二人。土木作業員が着ているような作業服を着たどこにでもいそうな男たちだ。正義は例のバットは初日に没収されてから持ってくるのは辞めており、アメリと違ってリコーダーも学校に置いてきた。武器になるようなものはない。丸腰の状態だ。どうしよう。正義は現状を打破する方法を考えるために頭を回転させるが、全く回らない。アメリのことを守ると自分が言った。それなのに全くもって足が動かない。

 作業員Bが黒いビニール袋をアメリに被せようとするが、それよりも先にアメリは彼の懐に入り、鳩尾に拳をめり込ませ、数メートルほど飛ばした。

 衝撃的なその光景に正義は思考を一気に浮上させる。歯を食いしばり、遠心力を利用して背負っていたランドセルで目の前の作業員Cの脇腹に名一杯の力でぶつける。しかし、子供のランドセルアタックなど相手の怒りの火のタネとしかならなかった。

 作業員Cは拳を振り上げる。正義は反射で目を瞑り、体をこわばらせた。しかし、衝撃が来ることはなかった

「正義、大丈夫?」

 アメリの声に正義は恐る恐る目を開けると、作業員の服を着た男が三人、地面に倒れていた。

「う、うん。大丈夫」

「びっくりしたね」

「そう、だね」

 一台のワゴン車がゆっくりとアメリに近づいていた。いつもなら気にも留めない存在だが、正義はひどく嫌な予感がした。その車がアメリの真横に来た瞬間、正義はアメリの右手を引っ張り、自分の身体へと抱き寄せた。

 半開きの助手席から身を乗り出し、アメリのリュックに手を掠めた男は顔を歪め、正義を睨む。正義は大きく振りかぶり、足元の小石をその男めがけて投げた。その小石は男の右目に的中し、男は目を抑えながら、前屈みになった。

「行こう!」

 正義はアメリの手を引き、走り出した。

 二人はそのまま、近場の今の時間帯だと、近所の保育園児とその親が多く利用している公園へと逃げ込んだ。

 アメリと息を切らした正義はベンチに腰をかけ、呼吸を整える。正義の心臓は破裂しそうなほどドキドキしており、身体中が熱湯風呂に入ったかのように熱くなっていた。

「ごめん、いきなり」

「全然!むしろありがとう!おかげで助かったよ」

「本当?それなら」

 よかった。と続けようとしたが、正義は言葉を詰まらせた。

 おかげで助かった。

 本当に彼女は正義のおかげで助かったのか。

 アメリは後ろから不意に襲われる前に気配だけで気づき、大の大人を三人、一分も経たないであっという間に一人で行動不能にすることができる。

 あの時、本当はアメリ一人でも対処できたんじゃないか?

「ねえ、アメリ」

「何?正義」

「なんでアメリは守って欲しいの」

「命を狙われてるからだよ」

「そうじゃなくって、アメリはさ、一人でも大丈夫じゃん。俺より全然強くて、大人が何人来ても、一人でどうにかできちゃう。実際、俺と会うまで自衛できてたんだろ。それじゃあ、別に俺が守る必要ないじゃん」

「そんなことないよ!私は車に気づいてなかったから正義のおかげで助かったよ。それに、皆、他に人がいる時は襲ってこないから安全だし。正義がいてくれて心強かったよ」

 そういうことか。

 彼女のアンサーに正義は腑に落ちた。

 アメリは寂しかったんだ。

 生まれ持った才能のせいで命を狙われ、突然異国の地に引っ越してきて、右も左も分からないのに命は狙われ続ける。不安は人一倍だろう。

 だから、誰かと一緒にいたい。

 きっと、彼女のその気持ちが曲がり曲がって、自分を守ってくれる人となったんだ。

「それならよかったよ」

 正直、思うところが一つもないと言ったら嘘になる。それでも、正義はアメリのことを守りたいと思った。

「それにね!正義。正義のことは私が守るから安心して!」

「なんだよそれ」

 正義はアメリの突拍子もない発言に思わず吹き出し、彼女もつられて一緒に笑った。

 まるで二人が通じ合ったかのように見えたが、

 正義は勘違いをしている。

 アメリは特段、不安も寂しさも抱えていない。

 ただ純粋に誰かに守ってもらいたいと思っているだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。自分一人でも自衛できるだとか正義が自分より弱いだとかは全くもって考えていない。彼女の抱えているものは、ただただ純粋な加護欲ならぬ被加護欲である。

  

 5.転校生の友達作戦

 

 清水撫子。小学六年生。文武両道で努力を努力と思わない努力家。優等生だが、芯が強く、我も強い為、教師からは邪険にされることも多いが、一定数の女子生徒からの支持は熱く、クラス内では一軍に所属している。そんな彼女には最近悩みがある。いや、実際は悩みというほどでもなく、少々気になる程度なのだが。原因は転校生の月足アメリであり、発端は撫子が正義を女子トイレの前で問い詰めた次の日のことだ。

「撫子、一緒に更衣室に行こう!」

 月足アメリが話しかけてきた。

 撫子と周りの女子たちは面食らった。つい昨日まで正義にベッタリだったアメリが突然、クラスで一番溝のある撫子に話しかけてきたからだ。

「いいよ」

「やった!」

 撫子が承諾するとアメリは喜んで肩を並べて歩き始めた。いつものポジションを取られた友人たちはアメリの背中を睨んだ。

「撫子のそのバッグに付いてるのってマジカル戦士・ミライのキーホルダーだよね」

「知らない。妹がくれたのをそのままつけてるだけ」

「妹いるんだ!何歳なの?」

「五歳」

「いいね。可愛い!」

「そんなことないよ。毎日うるさいもん。アメリは兄弟か姉妹はいるの?」

「いないよ。一人っこ」

「そんな感じする」

「えー、そう?」

 このような他愛のない会話をして、その日の体育でもアメリはずっと撫子と行動していた。その日を境にアメリはよく撫子によく話しかけてくるようになった。それ自体は撫子にとっては別になんともなかった。問題はそれに関する弊害であった。

「あの子ってさ、ぶりっ子じゃない?」

 彼女とよく一緒にいる女子たちがアメリの悪口を言うことが多くなった。

 しかも、彼女達は彼女の名前を出さずに話すので、一層タチが悪い。

「自分のこと可愛いって思ってるでしょ」

「わかる。正義〜っていつもくっついててさ。最近じゃ景君とも一緒でさ」

「私、知ってるよ。そういう子のこと、ビッ」

「私、今日は予定があるから先に帰るね」

 撫子は無理やり話から抜け出し、グループから離れた。

 他人の悪口で盛り上がる人間の気が知れない。

 しかも、わざわざ当の本人が残っている教室で話すとか。

 教室を出る時に、チラリとアメリを一瞥する。彼女は自分の席でいつも通り、正義と景と談笑に花を咲かしていた。

 でも、私も得意じゃないんだよな。

 周りにどんな目で見られようと、自分を貫き、平気な様子で日々を暮らす。

 優秀さを鼻にかけずに自分の意見を堂々と述べ、間違っていたら、自分の非は素直に認める。

 この感情は××に近い。

 やだな。認めたくないな。

 バツの悪い顔をした彼女は一人で教室を後にした。


 清水撫子。小学六年生。文武両道で努力を努力と思わない努力家。優等生だが、芯が強く、我も強い為、教師からは邪険にされることも多いが、一定数の女子生徒からの支持は熱い。趣味は、

 

「すみません、予約商品あるんですけど」

「はい、レシートはございますか」

「はい、あります」

「マジカル戦士・ミライの初版限定特捜版付きライブDVDBOXですね」

「はい!」


 アニメ、漫画、声優、ボーカロイド、歌い手、2.5次元舞台などのいわゆるオタクカルチャーである。


 なぜ、彼女がこの趣味を持つようになったかと言うと、端的に言えば遺伝と環境である。

 父親がオタクであり、幼少期は父と共にニチアサ(日曜日の朝に放送されるアニメと特撮)を観て、父と共に様々なイベントに赴き、父の部屋にある沢山の漫画を読んで育った。母親もすることをしていればあとは自由にして良いという教育方針のため、撫子はどんどんこの文化にのめり込んでいた。

「では、こちら、マジカル戦士・ミライの初版限定特捜版付きライブDVDBOXでお間違えないですか」

「はい、ありがとうございます!」

 撫子は満面の笑みで品物を受け取る。早めの誕生日として両親が購入してくれたDVDだ。今日はさっさと宿題を終わらせてペンライトを用意して全力で楽しむんだ!と浮き足だった足取りで無意識に上がる口角を抑えながらアニメグッズ専門店を後にした。 

 

 専門店からの帰り道、撫子が明るい青空を背にDVDBOXを大事に抱えながら歩いていると、にゃあ。と、猫の鳴き声が聞こえた。声の持ち主を探すと、足元にふわりとざらりの中間のようなものが触れた。

 そこに目を向けると、毛並みの悪い、痩せ細った三毛猫が、撫子の足にまとわりついていた。

「どこかの飼い猫?でも、それにしては毛並みが悪いし」

 しかし、それにしても警戒心がなさすぎる。もしかしたら迷い猫かもしれない。そう思い、首輪の有無の確認をすることにしたが、首には何も付いていなかった。

「あ、タマいたー!」

 最近よく耳にする鈴のような声が耳に入ってきた。

 高架下から少女と少年が撫子の元に走ってきた。

「正義くんとアメリちゃん」

 下校時間からしばらく経っているのに二人はまだランドセルを背負っていた。

「この猫知ってるの」

「うん、私と正義で餌をあげてるの」

「俺の家もアメリの家も猫が飼えないからさ」

「つまり、この子は野良猫?」

「うん」

 撫子は大きくため息をつき、呆れた様子で言った。

「あんた達、飼いもしない野良猫にずっと餌をあげてるの」

「うん、だって俺らじゃ飼えないから餌だけでもって思って」

「良くないよ。それ」

「よくないって、なんでそんなこと言うんだよ」

「最後まで面倒も見れないのに、中途半端な自己満足の善意で手を出さないで。野良猫が増えて縄張り争いが起きたら怪我をする猫も増えてかえって不幸な猫が増えるの。もしもこの子が怪我をしたりしたら、あんた達は病院に連れて行けるの?治療費を払えるの?」

 撫子に詰められ、正義は言葉を詰まらせた。アメリも珍しく神妙な表情だ。

「でも、それなら、どうしたらいいの」

「ちょっと待って」

 撫子はスマートフォンを操作し、電話をかけた。

「もしもし、撫子です。今、お時間よろしいですか?」

 本当ですか!ありがとうございます!という弾むような声の後、「その子のこと抱っこできる?」と尋ねてきた。「できるよ」とアメリが返すと、彼女は「おっけ」と軽い返事をして、また通話に戻った。

「じゃあ、絶対落とさないように抱っこして」 

 通話を切った彼女は正義達にそう指示した。

「なんで?」

 疑問をぶつける正義の隣でアメリはタマを拾い上げる。タマは抵抗することなく、彼女の腕に収まった。

「私の知り合い、保護猫カフェの経営をしてるの」

 すました顔の撫子に正義は喜びを顔いっぱいに浮かべ、保護猫カフェの存在を知らないアメリは首を傾げた。

 

「あっら〜〜〜〜。かわちいいい子〜〜〜。男の子かしら〜。女の子かしら〜」

 一九〇近いガタイのいい褐色肌の男が猫撫で声でタマに話しかける。彼の手に収まるタマは全く彼に見向きもせず、むしろ気まずそうな顔だ。

「すみません、武夫さん、いきなり頼んじゃって」

「全然大丈夫よ〜〜〜」

 正義達がいるのはあの場所から十五分ほど歩いた場所にある『ねことらいふ』撫子の知り合いである吉田武夫が経営する保護猫カフェだ。二重扉の向こう側では学校の帰りとみられる制服を着た学生が数人ほど猫と戯れている。なんでも、立地はあまり良いとは言えないが、リピーターも多いらしく、もう少し遅い時間帯になると仕事で疲れた大人達もふらりと寄ってくるらしい。

 武夫は快くタマを引き取ることを承諾してくれ、三人は繰り返し彼にお礼を言い、ねことらいふを後にした。

「撫子、本当にありがとう!」

「別に、私はただ武夫さんに連絡しただけだから」

「それが助かったんだよ。撫子のおかげで俺たちがどれだけ考えなしだったかも知れたし」

「アメリはともかく、正義が考えなしなのはよく知ってる。女子トイレの前で待ち伏せするくらいだし」

「ちょ、それは蒸し返すなよ」

「ていうか、二人ともいきなりすごく仲良くなったよね。何かきっかけでもあったの」

「うん!正義が私のことを守ってくれたんだよ」

「守る…。まさか初日に言ってたやつ?」

「そう!」

「あれ本気だったの」

 撫子は呆れた様子で半眼になる。

「撫子、ちょっと」

 正義は撫子の隣につくと声のボリュームを最小限に落とし込んでコソコソと話を始めた。

「あれは要は友達になって欲しいってことなんだよ」

「はあ?ボディガードになれってのが?」

 明け透けなしかめ面をする撫子に、正義は慌ててボリュームを落とせと人差し指を立てる。

「アメリはさ、日本に来たばっかりで寂しくて不安だから一緒にいてくれる人が欲しいんだよ」

「それならそう言えばいいじゃん」

「なんというか、人とコミュニケーションを取るのが上手くないんだろ」

「そんな感じはするけど」

「だからさ、うんと言ってくれないか」

「いや」

「え」

 一見、強気で冷たく見える撫子だが、内は優しく、アメリを気にかけてくれる撫子ならきっと…。そう希望を持っていた正義は撫子の予想外の返答に心を砕かれた。

「なんでだよ。アメリのこと気にかけてくれてたじゃん」

「なんでそれが私があの子のボディガードをする理由になるの」

 撫子が正義の胸を指しながら詰め寄っていると、二人はいきなり腕を強い力で後方に引っ張られた。撫子ををがっしりとホールドしている腕の持ち主、アメリは撫子が今まで見たことのないくらい冷たく、容赦のない目をしており、撫子は思わず息を止めた。

「走れ!」

 正義が叫ぶ。アメリが撫子の手を引き、地面を蹴ったが、彼女達の目の前には麻袋を持った男が二人が待ち構えていた。先日の作業服の男達が前方に二人、後方に二人、隣にはバンが停まっている。五人対三人。しかも純粋な戦力となるのはアメリ一人であり、あまりにも分が悪い。

「火事だーーーー‼︎」

 突然の撫子の叫び声にアメリと正義はぎょっと目を見開いた。

 撫子の声を聞きつけた近隣の住民達が何人か慌てた様子で窓から顔を覗かせた。

「助けてください!」

 彼らが声の主の方を見れば、そこには一台のバンと子供を囲う数人の大人。何より、その子供が「助けて」と叫んでいる。いくら平和ボケした日本でもそこで起ころうとしている犯罪行為の予想もつく。一人は顔を青ざめさせ、ある人は見て見ぬふりをし、ある人は慌てて窓から姿を消した。作業服を着た男が慌てて手を伸ばしてきたが、撫子はその手を手持ちの鈍器で払いのけ、とどめと言わんばかりにアメリもその男の腹に蹴りを入れた。一筋縄ではいかないと察した男達はバンに乗り込み、そのまま急発進させた。

 撫子は息を切らしながら呆然と立ちすくんだ。

「とりあえず、警察が来る前にここから逃げよっか」

「なんで。警察に言うべきでしょ。誘拐未遂だよ」

「警察にばれたら私、この国から出ていかなきゃかもしれないし」

「あんた、何者なの…」

 肩を落とす撫子にアメリはにこりと微笑みだけを返す。

 兎にも角にも、三人は遠くから聞こえるサイレンから逃げるようにその場を去った。

 

「つまり、二人は厨二病ってこと?」

「違うわ!」

 襲撃場所から歩いて二十分ほど離れた公園で撫子に経緯を説明した正義は撫子の返答に思わずツッコミを入れた。

「撫子も現場にいたからわかるだろ。科学者云々は置いといても、撫子が狙われてるのは本当だって」

「確かにそうかもしれないけど」

 世界を滅ぼす鍵を握る少女が命を狙われる。まるで『劇場版マジカル戦士・ミライ〜謎の少女にかかった未来〜』みたいな話が…。

 撫子の顔が一気に青ざめる。

「DVDBOXに傷は⁉︎無い⁉︎」

 撫子が慌てて青いビニール袋をからDVDBOXを取り出し確認をする。幸い目立った外傷はなく、「よかったー」と安堵するが、すぐに二人の存在を思い出し嫌な汗がじわりと流れた。

「それ、マジカル戦士・ミライじゃん」

「正義、知ってるんだ」

「妹が小さい時に見てたんだよ。アメリも知ってるんだな」

「うん、日本に来る前に少しだけ見たんだ!かっこよくて、可愛くてすごいよね!」

「そうなんだ。私はよく知らないけど」

 脈打つ心臓をに落ち着けと念じながら、撫子は冷静を装い答えた。

「そうなのか。頭につけてるシュシュ、マジミラのやつだからてっきり好きなのかと思ったわ」

「正義くん、わかるの⁉︎」

「この前、妹が読んでた雑誌で紹介されてたから」

「そ、そういうこと…」

 正義は気まずい様子で苦笑いを浮かべていた。

 やってしまった。概念グッズでわかる人にはわかる代物だから。つい。

 撫子は自分の軽率な行動を後悔したが、後の祭りであった。

「もしかして、撫子って結構マジミラ好きなのか」

「めっちゃ好き。大好き」

「意外だな。そういうの興味ないと思ってた」

「誰にも言わないでくれる」

「いいけど、別に隠すような趣味じゃ無いだろ」

「問題はそこじゃないの」

「どういうことだ?」

「私はにわかが嫌いなの」

「えっと?」

 予想外の返答に正義は戸惑いを見せたが、どうにでもなれとヤケクソになっていた撫子は構わずに口火を切った。

「私だってにわかだった頃はあるし、新しい沼に入る時はにわかだし、特撮とかに関しては全然にわかだよ!ただ、にわかが嫌いなわけじゃないの。オタクだけど可愛い私、推し活してる私を演出するためにアニメやVの話をする奴らが嫌いなの。少し前まで、オタクキモいとか言ってた癖に推し活が流行り始めたら便乗して尊いとか言い出して、いざ、作品の話をしたら、そこまでじゃないとか言って私のこと引くの!意味わかんない!」

 クラス内では狼の群れのリーダーの様に気高く、高嶺の花と評されることもある撫子の豹変ぶりに正義は面食らい、唖然とした。

「結論を言うと、私はオタクや推し活をファッションにしてる奴らと一緒にされたくないから隠してるの、別にこの趣味を恥じたことは一度もないから!」

 撫子は興奮した様子で全てを言い切った。アメリは青の様子を見て口元を手で押さえながら体を震わせた。

笑いてければ笑えばいい。そうすれば、所詮そっちの人間だったんだと切ることができる。

「そんな、撫子のそんなに大事なものを呈してまで私のことを守ってくれたの⁉︎」

「はあ?」

アメリの予想外の、突拍子のない返答に撫子は間抜けな声を出した。

「だって、撫子、マジカル戦士・ミライがめっちゃ好きで大好きなんでしょ!そのDVDが傷ついちゃうかもしれないのに私のことを守ってくれたの⁉︎」

「待って」

 額を押さえながら、撫子は一旦深呼吸をする。

「あんた、ヒロイン症候群?」

「ヒロインしょうこうぐん?」

「ごめん。なんでもない。覚える必要のない日本語。あのさ、勘違いしてるかもしれないんだけど、別にあんたのことを守ったわけじゃないから」

「え⁉︎」

 驚きを隠せないアメリに撫子は呆れるが、同時に毒気も抜かれ突っ込む気にもならない。

「それに、今後もあんたのボディガードをするつもりもない」

 彼女の表情は言葉よりも雄弁で、わかりやすくショックを受けた顔をする。

「でも、友達としてなら、一緒にいるし、友達が困ってるなら助けたい」

「撫子!」

「ちょっと、いきなり何するの!」

「ハグだよ」

「それはわかってるわ!」

 やっぱり、撫子で良かった。

 二人の仲睦まじい様子に正義は安心していたが、

「正義の言ってた通り、本当にいい人だね!」

「正義くんが言ってた通り?」

「ア、アメリ」

 いきなり流れ弾が飛んできた。

「うん、正義が俺は学校で一緒にいられない時間があるから、撫子と仲良くなって、お願いしたらって提案したの」

「へー」

「撫子、これは、その、撫子のことを信頼してでだな」

「正義くん」

「はい」

「正座」

 人間関係において余計な口出し、手出しをするべきではない。

 今日、正義が学んだ教訓である。

 

 * * *

 

「てめえら、何考えてんだ」

 小さな事務所の一室で作業服を着た顔面を腫らした男たち四人が恐怖に怯えながらも背筋を伸ばし横に並んでいる。彼らの視線の先にあるのは床に蹲っている同じ作業着を着た男と彼を踏みつける妖艶な女だ。その男は五人の中のリーダーで、責任者でもあった。彼が呻き声を上げると、女はその呻き声も気に入らないようで、もう一度、男の背中を踏みつける。

「絶対に大事にしちゃいけないから、誰もいない時に攫えって言ったよな」

「そうなんすけど、ずっとガキが一緒にいるんすよお。ガキ程度なら脅せば黙ると思ってえ」

「言い訳無用」

 女はリーダーの男の腹部を蹴り飛ばす。その男は反射的に胃の内容物を口から吐き出した。

「ざけんなよ。床汚しやがって。おい、こいつら連れてけ」

 扉の前に並んでいた屈強な男たちはそう顎で指図されると、並んでいる作業員たちの肩をつかみ、床に転がっている男を引きずり外に出た。

「どいつもこいつも使えねえな」

「随分と荒だってますね」

 すれ違いに部屋に入ってきたのは黒髪のマッシュの線が細い男はニコニコと微笑みを浮かべる。

「田中か。何の用だ」

「先日の依頼。完了しましたよ」

 田中と呼ばれたその男は今日の昼飯の写真を見せるかのように、血の池でくたばる男の画像を女に見せた。

「死体はこっちでも既に確認済みだ」

「ミコトさんの部下が。でしょ。麗しのミコトさんにきちんと成果をお伝えしたくて。ところで、随分ご機嫌が斜めのようですが。如何なさったのですか」

「猫でもできる簡単な仕事を失敗した挙句、大事にしやがった」

「おやまあ、お気の毒に」

「そうだ。お前、今暇か」

「ええ、特に大きな仕事もないですし」

「ちょうどいい。簡単な仕事だ。小学生のガキを攫ってこい。殺しはするな」

「報酬は」

女は手元の紙にボールペンで書いてみせる。男は並んだ0の数を確認するとニコリと微笑む。

 男はフリーの殺し屋だ。しかし、そこには殺し屋としての美学などはなく、金さえ積まれれば基本的になんでもやる。

「名前は月足アメリ。怪我は極力させるな」

 渡された写真には、あの日、自分の肩を外したエメラルドの瞳の少女がいた。しかし、男は自身の変装のスキルの自信を持っている。一度接触したとて、他の姿を使えば問題ない。前回、男はアメリを追い、あと一歩のところまで追いやり、返り討ちにあった。小学生に返り討ちにされるなど屈辱以外の何者でもなかった。しかも、依頼をしてきた人間は別の罪で塀の向こう側に行き、結局バラシになったのだ。嫌な記憶しかないが今はどうでもいい。前回よりも報酬が良いからだ。そういえば、男は前の依頼者の言葉を思い出した。これさえ手に入れられれば世界征服も夢じゃない。と言っていた。何を抜かしているんだと内心鼻で笑っていたが、ここでもこの依頼が来るとなると話は別だ。

 裏社会がこの少女に騙されているのか、この少女は本当に世界征服しえる力を持っているのか。

 しかし、男にとってこの事はどうでも良い。今日を生きるための金があれば、世界なんて知ったこっちゃないのだ。

 

 6.転校生の反撃開始

 

 作業員服たちの襲撃から二ヶ月、アメリ達はかなり平和に過ごしていた。というのも、あの日、騒ぎを見ていた大人の通報により、しばらくの間は警察が市内のパトロールに力を入れ、極力、子供だけで外出しないようにとなっていたからだ。朝の会で担任の村松先生からこれらの旨を伝えられた時は正義と撫子は内心、滝のような脂汗をかき、当のアメリは皆には関係無いのに悪いことしちゃったね。と苦笑いだった。そんなこんなな平和の二ヶ月の間に三人には小さな変化が訪れていた。

「おはよーございまーす」

「おはようございます。今日もよろしくね」

 ねことらいふでボランティアを始めたのだ。仕事内容は餌やりと掃除。毎週土曜日の一−二時間程度。正義の母親は軽い猫アレルギーのため、ボランティアの後は猫の毛を取った後に着替えをして家に帰ったらすぐに洗濯をするということで許可をもらった。本来ねことらいふでは小学生のボランティアは採らないのだが、タマの様子は気になるが小学生のお小遣いでは通うのは難しいという事情を汲んで、武夫がボランティアという形をとったくれたのだ。

「ユウマ、こんにちは」

「アメリちゃん、正義くん、撫子ちゃん、こんにちは!」

「みゃーこ、すっかりユウマさんに懐いてますね」

「ねー。嬉しいよ。僕の家じゃ猫は飼えないから、ここは癒しだよ」

 みゃーこはユウマに顎を撫でられながらゴロゴロと喉を鳴らす。

 ユウマは三人がボランティアを始めた少し後から通い始めた常連だ。主に平日のいずれかの夕方と毎週土曜日に通っている。金髪のウルフカットに耳や口には複数のピアス。捲った袖の下にはタトゥーが覗いており、最初のうちは三人もどことなく警戒をしていたが、蓋を開けてみれば、案外気のいい人で今ではよく世間話をする仲になっている。

「でも、みゃーこはそろそろ里親に出るんじゃないでしたっけ」

「そうなの⁉︎」

「最初はトライアルからだけどね。話が進んでるのよ」

「そうかあ、みゃーこ、幸せになってくれよ〜」

 少しの寂しさを加えた猫撫で声でユウマはみゃーこに話しかける。正義達も武夫やユウマに比べたら猫達と触れ合う時間は長くないが愛着は湧いている。里親が現れたのは良いことだが、やはり寂しい気持ちがあるのも事実だ。

「そういえば、なかなか不審者捕まらないっすねー」

 ユウマが武夫と話す時は『っすね』と砕けた敬語を使う。撫子としては客と店員という距離感でその砕けた口調はいかがなものかと引っかかりもあったが当の武夫が気にしていないので特に口を出すこともない。

「そうねぇ、あれから一ヶ月も経ってるのに」

「もう、警察のパトロールも前ほど厳重じゃなくなってるみたいっすね」

「早くない?犯人は捕まってないのよ」

「連れて行かれそうになった子供たちもその場から逃げたからイタズラだと思われたんすかね」

「でも目撃者もいるのよ。ちゃんとしてほしいわ」

「アメリちゃん達も気をつけてなー」

「はーい」

 三人はユウマの忠告に素直に返事をする。

 実際、そろそろ気をつけないといけない頃合だ。

 

「あれ、アメリちゃんじゃん。今帰り?」

 ねことらいふからの帰り道、高級そうな車がアメリの横に着く。車窓から顔を覗かせたのは常連のユウマだった。

「はい、そうです」

「他の二人は?一緒じゃないの?」

「ついさっき別れたんです」

「そうなんだ。それじゃ、せっかくだし乗ってかない?」

「ユウマの車にですか」

「うん。前に不審者事件あったでしょ。独り歩きは危ないよ」

「いいんですか」

「もちろん」

「ありがとうございます!」

 アメリはニコニコと無邪気な顔で助手席に乗り込んだ。

 なんだ。想像よりもうんと楽じゃねえか。

 二ヶ月、猫と遊び、子供と喋るだけでこうも上手くいくとは。

 ユウマは細く笑んだ。

「アメリちゃんの家ってどこらへん?目印とかあったら教えて欲しいんだけど」

「弥代神社の近くに廃工場あるの知ってます?」

「ああ、あるね」

「そこです」

「え?あそこ、廃工場の周りは雑木林で何もないよ」

 事前調査と違う。曲がりなりにも反社会的勢力に追われている少女なだけあり、やはり多少の警戒はしているのか。あの家の他にセーフティハウスがあるのか。

 しかし、それは今はどうでもいい。いくら身体能力が化け物じみているとはいえ、所詮は子供。睡眠薬を混ぜたジュースでもあげて眠らせれば一発だ。

「そうだ、アメリちゃん苺ミルクいる?さっきコーヒーと間違えちゃってさ」

「雑木林で何もないからちょうどいいんです」

「アメリちゃん?」

「誰にも邪魔されずにゆっくりお話しできますから」

「何を言って…」

 脇腹に何か固いものを押し付けられた。

「アメリちゃん、いきなりどうしたの。銃のおもちゃなんか取り出して」

「私、アメリカ生まれのアメリカ育ちで銃が身近にあったんですよ。前に通ってたprimary scoolで乱射事件に巻き込まれたこともあって」

 そんなはずがない。ここは日本だ。アメリカと違い銃刀法がある。

「ユウマも知ってるでしょう。ユウマみたいな悪い人たちに私が狙われてること。そんな私が丸腰で生活してると思うの?」

 内ポケットに入った銃を取り出そうにも、アメリの反射神経は段違いだ。抜こうにも、引き金を引く前にこちらがやられる。

「ここで撃ってみろ。お前は少年院行きだ」 

「誘拐されそうになってパニックになった恐怖で怯えたか弱い小学生は偶然見つけた銃で、うっかり撃ってしまったんです」

「口だけはベラベラと回るなこのガキは」

「私も大事にはしたくないんです。弥代神社近くの廃工場までお願いします」

 ユウマは苦虫を潰した顔で舌打ちをし、ハンドルを切った。

 

 遡ること一ヶ月半前。発端はねことらいふのボランティア帰りのアメリの何気ない一言だった。

「ユウマさん。前に私のことを攫おうとしてた人だね」

「「…え?」」

アメリのあまりに呑気な言い振りに、しばらくの沈黙の後、撫子と正義の口から間の抜けた声が出た。

「え?あの人もアメリのこと狙ってる人?」

「うん、正義も前に会ったことあるよ」

「作業員のうちの誰かってこと?」

「ううん。それよりも前、私が正義のランドセルに着地しちゃった日」

「あの時の銃持ってた人⁉︎」

「ちょっと待って、銃ってどういうこと?」

そうだ。あの日のことは撫子は知らないんだった。

正義はかいつまんで、あの日の路地裏で正義とアメリの身に起きたことを説明した。

「漫画の世界すぎるって…」

撫子は頭を抱えたが、アメリと一緒にいれば日常は非日常となる。今更銃を持った男に追いかけられた話程度にそれ以上言葉が出てこなかった。

「でも、あの日に会った人と違うぞ」

「ううん。一緒だよ。耳の形が同じ。ウィッグ被ってメイクしてるんだと思う」

「耳の形って。あんた、よく覚えてるねそんなとこまで」

「一回見たものは忘れないからね」

「さすが…って、そんな重要なこと早く言ってよ!ユウマさん来るようになってから三週間くらい経ってるから!」

「ただのお客さんとしてきてるのかなーって」

「あんた、その性善説、今すぐ捨てたほうがいいよ」

 アメリの能天気さに撫子はまた頭を抱える。撫子はこの状況下で人の善性を信じられるアメリがまるで理解できない。価値観の違いか文化の違いかはわからないが、時折アメリと話すときは時折宇宙人と話しているのかと錯覚することがある。

「まあ、本人に聞かなきゃわかんないよな」

「そうだ!」

撫子の急な大声にアメリと正義の肩がびくりと跳ねる。

「アメリのことを狙ってる奴を見つけるチャンスじゃん!」

「狙ってるやつを見つけるチャンス…?」

「このまま逃げ回ってるだけじゃ、次から次へとキリがないでしょ。だけど、これをきっかけに大元潰せるじゃんって話」

 正義とアメリが面食らった様子で口を開けたまま固まる。

「なるほど」

「その発想がなかった」

「嘘でしょ」

二人の信じられない発言に撫子の動きがピタリと止まる。

「でもそれ、めっちゃ良いアイディアじゃん!狙ってる奴らがいなくなれば、アメリにも平穏が訪れるし!」

「そうだね!さすが撫子。nice idea!」

 本当に狙われてる身なのか。信じられないほどの能天気な二人の返答に撫子は頭を抱えた。

 思い立ったが吉日。アメリ達はそのまま正義の家で作戦会議をすることにした。

「どうやって聞き出す?次会った時になんでアメリのことを攫おうとしたんですかって聞く?」

「バカなの?警戒されて私たちの前からいなくなる確率が上がるだけでしょ」

「だって、それ以外に方法ないだろ」

「ユウマが逃げられない状況で聞くとか?」

「あんた。意外と怖いこと言うね」

「そう?」

「逃げられない状況って、閉じ込めるとかか?」

「そしたら私らとの我慢比べになるじゃん。学校あるから無理だよ」

「もっと、時短で聞き出す方法か」

「拷問とか?」

「アメリ、その日本語はどこで学んできたんだ」

「するにも場所が必要でしょ」

「嘘、これスルーする?」

「私、この辺のことまだよくわからないから」

「ストリートビューで探してみよっか」

 着々と拷問場所の散策から方法まで、あーでもない、こーでもないと話を進める女性陣に正義は一人縮み上がり、敵であるはずのユウマがすごく可哀想に思えてきた。


「ユウマさんって、きょうだいとかいるんですか?」

 作戦会議から次の土曜日、いつも通り、ユウマはねことらいふに客として訪れた。

 先週の作戦会議でできるだけ穏便に済ませるために、何か弱みを握って、それをネタにしよう。ということになった。正義からしてみれば、それのどこが穏便なのかと思うが、その前に上がった様々な拷…尋問方法に比べればうんとマシなので彼女達の案に従うことにした。

「いないねー。一人っこ。撫子ちゃんはいるの?」

「どう思います?」

「うーん。しっかりものだし、弟か妹がいそう…。いや、歳の離れた妹かな」

「なるほど。答えは内緒です」

「えー、教えてくれないの」

「私、CIA所属なので。トップシークレットです」

「CIAに所属してることは教えてくれるんだ」

「しまった!」

 撫子、すごすぎるだろ。

 飄々と自分の情報は隠したまま、相手の情報を引き出す撫子の手腕に正義は舌を巻いた。アメリも気にかけないふりをしながらもキラキラとした目で正義に表情だけで伝えてくる。

「お疲れ様でしたー」

「お疲れ様、気をつけて帰ってね」

ボランティアも終わり、タイムアップ。

「それじゃあ、どうする?一旦、俺の家に行く?」

「何言ってるの。まだ手に入れてない情報があるでしょ」

「そうだけど、これ以上、色々聞くのは危ないだろ。怪しまれるぞ」

「私さ、お父さんにお下がりのぺアポッズもらったんだよね」

 ぺアポッズ。大手世界的IT企業『PEAR』の製品の一つのブルートゥースイヤホン。値段は多少張るが、音質が良いと国内でも人気な製品のうちの一つだ。

「それがどうしたんだよ」

「うっかり、ユウマさんのバックに入れてきちゃった」

 ペアポッズの人気の理由がもう一つある。

 PEAR製のスマホやパソコンに登録し、連携することも可能。紛失した際は登録してある機器からペアポッズのありかを探すことができる。

「バッグそっくりだったから、うっかり。お、ユウマさん、動き始めたみたい」

 撫子がわざわざいつもと違う、ユウマさんのものによく似たサコッシュを持ってきたのはこのためだったのか。

 すごい。

 さすが。

 ナイスアイディア。

 正義の脳内で様々な賞賛の言葉を通り越して、

「怖」

 と、一言。彼の脳から産地直通で口から出てきた感情と言葉であった。


 ユウマはどうやら車を使っているらしく、GPSは到底徒歩では追いつけない速度で移動している。しかし、撫子たちの目的は家の住所である。GPSが動きを止めた場所に向かえられればそれで良いため、特に大きな問題ではなかった。

GPSが動きを止めてから二十分ほど経った頃、正義達はようやく現場に到着した。

「ここか。思ったより普通のマンションだな。もっと隠れ家的なところに住んでると思ってた」

「誰か出てくる!」

三人は慌てて近くの植木に身を隠した。

「なんで隠れるんだよ」

「ユウマさんだったらどうするの」

 撫子と正義が息を殺して言い合う。幸い、出てきたのは女性で、彼女はそのまま植木を素通りし、車に乗って走り出した。

「ユウマさんじゃなかったじゃん」

「あれ、ユウマさんだよ」

「「え⁉︎」」

「女だったけど!」

「ユウマさんだった。耳の形が同じだったもん」

「ユウマさん、女装癖なのか」

「でも、ねことらいふの時は男の人だよ」

「隠してるってこと?」

「これ、弱みになるか」

「どうかな」

 女装癖。誰にも知られたくない秘密であるなら弱みになるだろうが、特に隠してないのなら弱みでもなんでもない。脅迫の材料としては今ひとつである。

それから数週間、ユウマの弱みになりそうなものを探し回った結果。ユウマは複数の顔を持っていることがわかった。ねことらいふに来るときの『ユウマ』の顔、週の何回か夕方に現れる『女』の顔、それ以外も複数の顔を使っていた。しかし、それは脅迫の材料になるとは考えられず、結局、成果は納得のいく成果は見るからなかった。ちなみにペアポッズは撫子がねことらいふで失くしたかもしれないと、ユウマの前で武夫に伝えることで、取り返していた。言い訳はもちろん「バッグそっくりだったから、間違って入れたんだと思います。ごめんなさい!」であった。

「作戦変更!」

撫子が舞台役者のように声を張り上げる。

場所はいつも通り、正義の家の客間だ。

「弱みを握って脅迫は難しそうだもんね。どこか人気のないところに呼び出して、拷問するしかないね」

「発想がいちいち物騒なんだって」

「じゃあ、正義は何か他の案あるわけ?」

「ないです」

「それじゃあ、どうやってあの廃工場にユウマさんを呼び出すか」

「あそこまで連れてくのは大変だろ。本当に何もないとこだぞ」

「アメリちゃんを餌にするか」

「人を餌呼ばわりするな」

「でも、もうユウマは私のことを狙ってないんじゃないかな」

「確かに、あの日、アメリにボコボコにされたしな」

「あんた、何したの」

「肩外しただけだよ!」

 頬を膨らませるアメリに撫子は「だけじゃないでしょ。だけじゃ」とツッコミを入れる。

「変装しているとはいえ、前に自分をボコボコにしてきた相手がいる店の常連になんて普通ならないだろ。まだアメリのことは狙ってると思う」

「でも、私のことを襲おうとかしないよ」

「力じゃ負けるから、仲良くなって油断させて攫おうってことなんじゃないか」

「確かに、正義と撫子においでって言われたらついてくもん」

「信頼してくれるのは嬉しいけど、もっと危機感持ってよね」

「アメリで釣るとしてどうやって廃工場まで連れてくんだ」

「きっとユウマさんは車にアメリちゃんを乗せて連れてくと思う。その車でそのまま連れてって貰えばいいんじゃない」

「それじゃあ、まずはアメリのことを攫ってもらわないとだな」

「うん。とりあえず、何気なくユウマさんの前でアメリちゃんが一人になる時間帯場所を話題に出して、そこにアメリちゃんを置こう」

この調子で三人は淡々とアメリを使ってユウマをどう釣るかについて話し合い、早速次の週から実行し始めた。

その日から三回目の土曜日。ユウマは餌に食いついた。


 とっくの昔に廃れた廃工場の門の目の前にそこに似つかわしくない一台の高級車が停まっている。

「そーいうことねー。あー、くそ、こんなガキどもにまんまと嵌められるとわねー!」

 その廃工場の中ではガムテープでぐるぐる巻きにされ、パイプ椅子に座らされたユウマが顔を顰めながら悪態をついていた。子供の策に嵌り、銃もおもちゃだったと知った今、苛々で脳の血管が今にもはち切れそうだ。

 ユウマは廃工場に着いた直後、悪あがきにアメリを襲おうとしたが、すぐさま返り討ちにあい、気絶。目が覚めた時には今の状態であった。

「見て見て、すごい、身分証がいっぱい。どれも顔が違う」

「すごいね!偽造パスポート初めて見たよ」

「俺の仕事道具勝手に触んなガキども!!」

 側から見れば、子供達が無邪気におしゃべりをしている様子だが、彼女達の手に持っているのは偽の免許証や保険証、パスポートなどである。複数の顔を持っているのなら、もしかしたらその分偽造した身分証を持っているのではないかという撫子の仮説のもと、車の中を探したら、ダッシュボードの二重底に隠されていたのを見つけたのだ。会話に花を咲かせる少女達にそれに対して怒鳴りつける男。正義は一人明後日の方向を向いて時が過ぎるのを待った。

「誘拐未遂に、銃刀法違反、公文書偽造。何年塀の中にいることになるのかな」

 撫子が偽の身分証をトランプの手札のように持ちながら、口元を隠し、くすくすと笑う。

「誘拐未遂?何言ってんだ。誘拐されたのはこっちだろうが」

「それ言ってて恥ずかしくないんですか」

 正義がうっかり口を滑らせてしまい、ユウマは「うるせえ!!」と怒鳴り返す。しかし、絶対に襲われないからという安心感からか、教師や親に怒られるのに比べたらあまり怖くはなかった。

「ユウマ、誰に命令されて私のことを攫おうとしたか教えてください」

「言うわけねえだろ」

「言わないと警察に全部話しますよ」

「勝手にしろ。そんぐらい覚悟の上で悪事やってんだよ。こっちは」

「最悪、開き直ってんだけど」

 撫子は露骨に嫌な顔をする。

 ユウマからしたら、子供のこの程度の脅しは痛くも痒くもない。この年齢の子供は深く物事を考えていない。自分たちって怒られることをしていることは自覚しているだろう。警察に連絡され、親にバレれば、雷が落ちる。どうせ、親に叱られたくない子供達は警察に連絡なんてできない。

「仕方ない」

 ため息をつく撫子にユウマはニヤリと笑う。

「これ、使うしかないのか」

 撫子がポケットから取り出したのはわさびのチューブ。

「本当にいいの?撫子」

「うん、うちの家族、全員わさび嫌いでこれも賞味期限とっくに切れてるんだよね」

「なんで、わさび嫌い一家の家にわさびがあるんだよ」

「お母さんが、なんか食べられる気がする!って買ってきたんだよね。二十パーセント増量のチューブわさび」

「よりのもよって増量してるやつかよ」

「ねー。うちのお母さん、よく言えば天然。悪く言えば考えなしなんだよね」

「おいごちゃごちゃ言ってねーでちゃっちゃとサツ呼べや!」

「ユウマさんが素直に話してくれればこんなことしなくて済んだんだけどね」

「はあ?なに言ってんだてめ…ングぅ!」

 ユウが話終わる前に、撫子はわさびをユウマの鼻に突っ込むと勢いよく、チューブを握り締め、すかさず、アメリがガムテープで鼻をふさいだ。

「次は口に入れます。それでも教えてくれないなら、正義があなたの全裸の写真をSNSにアップします」

「すみません。後者は俺もやりたくないので、どうか全部白状してください」

「わがっだ!はなず!全部はなずから!鼻のガムテープどれ!」

「言いましたね!ちゃんと全部話してくださいよ」

 正義には、半泣きでそう懇願するユウマの鼻のガムテープをとる撫子がイキイキしているように見えたが、きっと幻覚だ。そう思い込んで、現場から目を逸らした。

「前の依頼者は丸川組の組長だ。けど、そいつは先々月に豚箱行きになった」

「じゃあ、今回のは誰からの依頼なの」

「翼組だ」

ユウマは大人しく撫子の質問に淡々と答える。

「二ヶ月前にアメリを襲った五人組の作業員の男達は知ってますか」

「そいつらも翼組だろうな。ボスが五人の作業服の男にブチギレてたからな」

「ユウマさんは翼組の人間なんですか」

「ちげえよ。業務委託だ」

「翼組のボスの名前と写真ってある?」

「名前は鳳凰尊。写真はスマホの中にある」

 撫子は男にパスワードを教えてもらい、アルバムから尊の写真を教えてもらい、その写真を撮る。カールした長髪の黒髪の美人だ。唇には真っ赤なルージュが惹かれており、いかにも気の強そうな女性だ。

「彼女の情報はもっとないの」

「あるに決まってんだろ」

「じゃあ、全部教えなさいよ」

 ユウマは嫌悪の感情を顔全体に出したまま、尊の年齢、出身、家族構成、住所、組での立ち位置、もちゆる限りの情報を喋った。

「随分詳しいんだね」

「依頼者のことはなんでも事前に調べておいてんだよ」

「その能力を活かせば、こんなことしなくても生きていけるでしょうに」

「うるせえ、黙れ」

「それじゃあ、最後に、この人の弱みはなんですか」

 アメリの質問にユウマの片眉がピクリと動く。

「てめえら、そいつも脅そうってのか」

「そうです」

 返事をしたのは正義だ。

「相手は暴力団の組長だぞ」

「わかってます。アメリを守るためです」

「はーー。守るねえ。友情ごっこ気色悪い」

「ユウマさん、友達いないんですか」

「黙れ」

ユウマは頭を垂れ、盛大にため息をつくと、

「娘だ」

と呟いた。

「娘?」

「さっきも言っただろ。こいつにはお前らと同じ小学校に通う鳳凰希っていう小学三年生の娘がいる。尊の唯一の大切だ」

「ありがとうございます」

「これで全部だな。さっさと解放しろ」

「そう言っても、ユウマさん、解放した途端私たちのこと車で轢き殺すかもしれないじゃん」

「おい、このまま置いて行く気か」

「まさか!そんな非道なことするはずないじゃないですか!」

 今まで散々非道なことをしておいて何を今更。正義は冷めた目で白々しく驚いたふりをする撫子を見る。

「てことで、ユウマさんには私たちが帰るまで眠っていただきます。眠ってる間に全部ほどいておくから」

「おい、お前ら、何をする気だ」

「上手くできなかったらごめんなさい。でも、さっきは上手にできたから大丈夫だと思うの」

 ゴスっと鈍い音がした。日の差し込む天井窓を眺めながら正義は今日の夕飯について考えた。


7.転校生のラスボス戦


次の日、いつも通り、正義の家。ではなく、撫子の家で作戦会議が始まった。毎週のように撫子とアメリが遊びに来ていたため、妹からおかしなことを勘ぐられ始めたからだ。

 撫子の部屋には色々なアニメグッズが並び、壁にはアニメキャラのポスターが貼ってあり、本棚には大量の漫画が並んでいた。アメリはそんな撫子の部屋に目を輝かせ、部屋の主である撫子は照れくさそうにしながら女性Vtuberがプリントされたクッション(正義がそれ何のアニメ?と聞き、悔い気味に訂正された)を抱いていた。

「というわけで、尊さんとやらの情報を手に入れたわけだけど」

「弱点は娘の希ちゃんか」

「どうする?その子を誘拐して人質にでもするか」

「正義、本気で言ってるの」

「最低、最悪」

「つい先日、人一人簀巻きにして鼻にわさび突っ込んだ人たちが何言ってるんだ⁉︎」

 正義のツッコミに二人は「だって、あの人は、ねえ」と顔を見合わせる。あの人は悪い人だったからとでも言いたいのか。

 この二人は正義の名の下バーサーカーになるタイプだ。

 正義は自分がストッパーにならねばならないと決心をした。

「とりあえず、希ちゃんに接触しよう」

「私、子供と会話するの得意じゃないんだよね」

「あんたは年齢問わずコミュニケーション下手でしょ」

「じゃあ、撫子が行ってよ。妹がいるから慣れてるんじゃないの」

「私もコミュ障だし」

 撫子が気まずそうにそっぽ向く。

「人のこと言えないじゃん」

「喧嘩すんなって、二人とも」

 正義が困った顔をしながら二人の間に入り、停戦を促す。

「希ちゃんについては俺に任せて」

 正義は自信満々に自分の胸を叩いた。


 十一月下旬、上着がないと酷く体が悴むこの時期は、九月や十月などに比べるとグラウンドに出て中間休みに外に出て遊ぶ児童はうんと減る。

 はずなのだが。

「よーし、それじゃあ、今日は氷鬼な」

「いいぜ、正義くん鬼な!スタート!」

「こら、勝手に決めるな!全くしかたないな」

 イーチ。

 正義がカウントを始めると今から追われる身になるにも関わらず、子供特有の甲高い声で奇声をあげ、楽しそうに笑いながら子供達は蜘蛛の子を散らすように走り始めた。

 撫子とアメリはその様子を感嘆を禁じ得ない様子で眺めた。

 四日前、「俺に任せて」と自信満々に言い切った正義は撫子、アメリ、景とともに三年生の階の廊下にいた。

「はんちょーじゃん。何してんの」

 正義を見つけて駆け寄ってきたのは、正義と同じ縦割り班の三年生の拓馬と彼の友人達だ。

 縦割り班というのは同じ組の一−六年生混合の班のことだ。毎日の掃除や学校全体のイベントで共に活動することが多い。正義が拓馬に『はんちょー』と呼ばれているのは正義が拓馬の所属する縦割り班の班長だからである。

「今からグランドで鬼ごっこやるんだけど拓馬たちもするか」

「やるやる!」

「よっしゃ、でも人数少ねえよな。おーい、今から鬼ごっこするけど来る人ー!」

 正義が教室に顔を出し、そう呼びかける。

 六年生が三年生の教室に顔をだすことなどほとんどないため、驚きで一瞬茫然としていたが、同時に、三つも上のお兄さんが遊びにきたのが嬉しかったようで、クラスの大半がはしゃいだ様子で正義の周りに集まった。正義はハーメルンの笛吹き男のように子供達を連れ、グランドに飛び出した。もちろん、その集団の中に鳳凰希もいた。

 それから四日、正義はあっという間に三年生達と中間休み以外の時間、掃除や登校中でも話しかけられるくらいに仲を深めていた。

「すごい、私、小さい子相手にあんなに仲良くできないよ」

「正義、コミュ強すぎない」

「何言ってんだ。正義は元々、社交的だぞ」

「そうなの?私は付き合いが浅いから知らなかった」

「撫子はそうか。俺は正義と五年の時からの仲だからな」

 景はの態度は自分のことのように誇らしげで、まるでアメリと撫子に自慢するようだ。

「あいつは他人に迷いなく手を差し伸べられるし、すぐに他人と仲良くなれる」

 尊敬するよ。

 景は目を細めてそう呟いた。

 「確かにそうだね。正義ってそういう人だね」

 正義はあの日、震える手で防犯ブザーを鳴らした。自分に関係ないのに、危ないのに。アメリはあの日、あの瞬間、感激で胸がいっぱいになっていた。

「わかった気になってるけど俺の方が正義と付き合い長いんだからな」

 景が不満げにアメリを睨む。

「私だって正義と仲が良いんだから!長さとか関係ないし」

「景のそれは何、後方彼氏面?」

「いーや、全面親友面」

「私だって、」

「言っておくけどな」

 景がアメリの言葉を遮り、ビシッとアメリ達を指差す。

「ちょっと前から三人でやたらと仲良くなってるみたいだけどな!正義の親友は俺なんだからな!思い上がってんじゃねえぞ!」

「はああああ!? What the f⚫︎ck are you talking about!?」

「アメリちゃん、英語、英語でてる。しかもFワード付きで」

「最近、正義の隣にいるのは私ですが、何か。みたいな顔しやがって」

「それの何が問題なの。実際そうなんだから良いでしょ」

「ここ二ヶ月の付き合いのくせに!」

「私達は正義と一緒に帰ってるんだから」

「待って、達はやめて。私を巻き込まないで」

「俺は家が反対方向なんだよ!」

「あーもー、うるさーい!私、鬼ごっこしてくる!」

 撫子はキャンキャンと喧嘩をする二人の声に耐えられず、逃げ回る子供達の輪に向かって走り出した。喧嘩の原因である正義は笑顔で鬼ごっこの鬼をしており、走ってくる撫子を見つけると笑顔で手を振った。撫子はその笑顔でさらにイラつき、正義にドロップキックをしたくなったが、幸い、理性が働いたため、鬼ごっこ中に正義のことを執拗に追い回すだけで済んだ。

 それからまた数日経って頃には正義だけではなく、撫子と景もすっかり三年生達と打ち解けていた。アメリはやはり子供が得意ではないようで、いつもよりも口数少なめに、彼らの話に相槌を打っていた。

「その靴、動物戦隊アニマルンジャーの靴じゃん」

 撫子が少年の靴を指すと、彼は嬉しそうに「撫子、知ってんのか!」と目を輝かせた。

「もちろん!私はねブラックが一番好き!」

「俺はレッド!」

「わかるー!レッドかっこいいよね!先々週の神回見た?」

「見た!」

 撫子とその少年が戦隊モノ談義で盛り上がると、

「まだ、そんなん見てんの。ダッセー」

と誰かが言った。

「アニマルンジャーとかイミフだし。そんなの見てんの保育園児だけだろ」

 そう嘲笑する男子に、「あんたね」と撫子が反射的に言い返そうとすると、

「だーれだー。人の趣味を笑ってる奴はー。こいつかー!」

 正義がその男子を後ろから抱き上げると、その場でぐるぐると回り出した。

「ちょ、正義、やめろって」

「ヤッベ、目が回ってきた」

 正義がその男子を下ろし、ふらふらになりながら、砂埃がまだ舞う中、その場に座った。

「なんだよ、正義、いきなり」

「だって、お前がめっちゃダセーこと言うからさ」

「まだ戦隊モノ見てるとかダセーじゃん」

「なんでそれがダセーんだよ」

「だって、あんなん、保育園と一緒に卒業じゃん」

「それは誰が決めたんだ」

「別に決まってないけど、普通そうだろ」

「誰も決めてないなら別に小学校に入ったって、大人になったって、好きで良いだろ。俺は好きなものがあってそれを応援してる奴はめっちゃかっこいいと思うぞ。そして、それをバカにする奴の方がダサい!と、俺は思う」

 正義にはっきりとダサいと言われた男子はショックを受け、「ダサい!?」と聞き直し、はっきりと正義に「ダサい」ともう一度言われると、気まずそうに目を伏せた。正義はそんな彼を、仕方ない奴だな。と、口元を綻ばせると、ポンポンと頭を軽く撫でた。

「信はさ、足も早くて、元気一杯でめっちゃかっこいいのに、そんな発言一つでダサくなるのが俺は嫌だよ」

 信はさっきバカにした少年の方を向くと、ごめん。と一言。少年もそれに「いいよ」と一言返した

「ちゃんと、謝れて偉い!かっこいい!そんな信にお願いがある!」

 正義は信の両方をがっしり掴み真剣な眼差しを彼に向ける。

「今日の鬼は信がやってくれ」

「なんでだよ!」

「だって、俺、ずっと鬼じゃん!俺も逃げたいよ!じゃあスタートな!皆、逃げろー!」

 景が促すように、近くの子の背を押すと、それを皮切りにみんな各々走り去った。

「よし、俺も鬼やるから、一緒に正義のこと捕まえてやろうな」

「おう!」

 景と信も十数えると、みんなを追いかけ始めた。

「正義、さすがすぎるでしょ」 

 残された撫子とアメリは感心したように鬼ごっこに興じる正義を見つめた。

「ねえねえ、撫子ちゃん」

 誰かが撫子の服を引っ張った。てっきり全員いなくなったのかた思っていた撫子は少し驚きながら、そちらを見やる。

 服を引っ張っていたのは鳳凰希だった。

 ピリッと撫子とアメリの間に緊張が走る。

「撫子ちゃんはアニマルンジャー見てるんだよね」

「そうだよ」

「それじゃあ、ニチアサは全部見てるの?」

「もちろん」

 撫子がそう肯定すると、希は顔を綻ばせた。

「あのね、私も見てるの。アニマルンジャーも、マスクライダーも、マジカル戦士・ミライも」

「希ちゃん」

 撫子はすっと手を差し伸べると、希はその手を掴んだ。要は握手である。

「先週、ようやく三人目が変身したよね!」

「ね!例年よりも遅いからドキドキしたよ!」

 撫子と希は水を得た魚のようにイキイキと会話をした。標的の娘であり、弱みであることを忘れ、純粋に楽しんでいたのだが、

「希ちゃんは誰が一番好きなの」

「戦士アクアが一番好き!」

「そうなんだ。なんとなく希ちゃんに似てるよね」

「そうかな、私のお母さんのほうが似てるんだよ」

 聞き捨てならない言葉が聞こえた。

 尊の、彼女達の家族関係の情報を引き出すチャンスだ。

「てことは、アクアみたいにファッションデザイナーなの」

「違うよ。お母さんは普通の会社員。似てるのは雰囲気?でもね、お母さんはアクアと違ってドジなところがあるんんだよ」

「えー、たとえば?」

「この前ね、仕事から帰ってきたお母さんのジャケットに赤黒いのがビシャーってついてて、どうしたのこれ。って聞いたら。ペンキにぶつかちゃったんだって」

 多分、それはペンキじゃない。血だ。

「ちなみに、そのち、じゃなくてペンキから鉄棒みたいな匂いってした?」

「うん。よくわかったね!」

「えへへ」

 絶対血だ。

 撫子の中で仮説が確信に変わった。血液は時間が経つと、酸化して鮮明な赤から黒に近い色になる。そして鉄のような匂いがする。

 中間休みのチャイムが鳴り、それぞれ教室に戻りながら撫子は考えた。

 もしかしたら、尊は希に自分の仕事については教えていない。なんなら隠しているのだろう。希はニチアサのヒーロ達が大好きで同時に憧れという感情を抱いている。困っている人たちを助けるヒーロはかっこいいんだ。と。グッズも複数所持していることから親も知っており、かつ理解があること予想できる。娘を愛する母親として、自分が娘の憧れるものとは正反対だったら、きっと彼女はそんなこと伝えることはできないはずだ。

「アメリ、正義」

「なんだ」

「何?撫子」

「今日、私の家に集合ね」

 撫子は一つの作戦を思いついた。


 その日の放課後、三人は撫子の部屋に集合した。正義は最初の頃はカラフルで騒がしく、至るとこから視線を感じるようなこの部屋に落ち着かなかったが、今ではすっかりなれたものだ。

「そうか、尊さんは希ちゃんに暴力団のことを隠してるのか」

「高確率でそうだと思う」

「でも、それをどうやって利用するの」

「簡単な話。アメリから手を引かないと、美琴さんが暴力団の人だってことを希ちゃんにバラすって脅せばいいの」

「そんな簡単に行くか?」

「ユウマさんも言ってたでしょ。希ちゃんは尊さんの唯一の大切だって。一番の好機でしょ」

「確かにな。それに一番それが穏便に済みそうだ。それで行こう。アメリもいいか?」

「もちろん」

 方向性が決まり、次に決めるのはプロセスとどうやって脅すかだ。

「方法は希ちゃんの写真と暴力団のことを娘にバラす。バラされたくなければアメリから手をひけっていうので良いと思う」

「でもさ、希ちゃんはそんなの信じないだろ」

「実際に希には教えないし気にしなくて良いんじゃないの?」

 アメリが尋ねる。

「そうだけど、尊さんも同じこと思うだろ」

「確かに」

 撫子が顎に手を添えながらうーんと唸る。

「じゃあ、私たちが尊さんが暴力団っていう証拠を持って、持ってるぞって尊さんに見せれば良いんじゃないかな」

「穏便に済む気がしないな…」

「まあ、それも含めて今日は話し合おう」

 撫子が引き出しからノートを取り出すと、三人はどうやって尊さんが暴力団なのかの証拠を集めるか、日の入りの時間までとことん話し合った。


「疲れたーー!」

「ちょっと、マサ邪魔、座れない」

 帰宅早々茶の間のソファにダイブし、寝っ転がっていると一つ下の妹に文句を言われたが、聞こえないふりをしてやり過ごそうとした。

「おい、足の上に座んなよ」

「今すぐ退けて」

 強行突破に出た妹にすぐに敗北し、座り直した。

 こっちはどう暴力団と戦うかというとんでもない会議をしてきたばかりなのだからソファくらい占領させてほしい。しかしながら、そんなことを言うわけにもいかず、何より、妹からしたら至極どうでもよい話なのである。

「またニュース見んのかよ」

「マサはもっと世間に興味持ちなよ。そんなんだから今の若者は選挙に関心がーとか言われんだから」

「俺ら、まだ選挙権持ってないだろ」

「十八になったら持つんだし、この国に住んでる以上、他人事じゃないでしょ。ほら、このニュースとかうちの市だよ」

 そう言われ、テレビに顔を向けると薬物乱用者の起こした交通事故のニュースだ。

「あー、それ、ラジオでもやってたよ。怖いわね」

 庭からトマトを収穫してきた母親が通りすがりに眉を八の字にしながら、テレビを一瞥する。画面には事故を起こした張本人、薬物乱用者の実名と連行される様子の映像が流れている。

「あれ、俺、この人どっかでみたことあるかも」

「嘘、マジで言ってる?」

「わかんね。見たことある気がするだけかも」

「でも、同じ市だしあり得るよ。それマジだったら怖すぎるんだけど」

 正義は目を瞑り、頑張って記憶を掘り起こそうとした。頑張りすぎたせいか、気がついたら夢の世界に入っており、夕飯の時間に妹に叩き起こされた。


 次の日、朝の会前に学校でそれとなく昨日のニュースについてアメリ達に伝えたら

「この人、前に私のこと襲ってきた作業員たちの内の一人だよ」

 と、アメリが言った。

「そういうことか、だから見覚えがあったんだ!」

「て言うことは、やっぱり翼組の人なんだね」

「やっぱりってどう言うことだ。撫子」

「昨日、そのニュースが匿名掲示板で話題になってたの。翼組は薬物はしないはずなのに、とうとう手を出したのかって」

「とくめいけいじばん?」

 アメリが頭の上にはてなマークを浮かべる。正義もあまりピンときていない。

「その名の通り、匿名の掲示板。インターネット上で匿名で色んな話題について話してるの」

「好きな映画についてとか?」

「そういう板もあるね。あとは困ったことがあったから助けてほしいとかも書き込む人もいる」

「顔も名前も知らない人に助けを求めるのか」

 正義は喫驚し、目を丸くさせる。

「実際に助けてくれるの?」

「助けてくれたりもする。みんな遊び半分でやってるから嘘をつく人もたくさん混ざってるけどね」

 アメリはなるほどと相槌を打つ。日本に来てしばらく経ち、慣れてきたと思っていたが、まだまだ知らないことがあるようだ。

「なんで、そこの人たちはあの男が翼組の人間だって知ってるんだ。ニュースで流れてないだろ」

「匿名だから翼組の人も話してたのかな」

「なんでかはわかんない。アメリの言う通りかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「そこ、利用できないかな」

「ここを?」

 撫子は正義に聞き返す。

「ああ、尊さんが翼組の証拠だっていう証拠を誰か持ってないかその掲示板で聞くんだよ」

「確かに、親切な人がいたら教えてくれるかもしれない」

 アメリはご機嫌にそう言うが、正直、この掲示板はそんな親切な人たちが助け合いをしている場所ではない。しかし、正義のアイディアは悪くない。もしかしたら誰かが面白がって書き込んでくれるかもしれない。

「わかった。スレ立てはするだけしてみるけど期待しないでね」

「すれたてって何?」

「覚える必要のない日本語。忘れて」


「すみません。ボールが中に入っちゃって」

 事務所の珍しくインターホンが鳴ったかと思えばそこには小学生高学年くらいの男子がいた。暴力団の事務所にボールを投げ込むなんて、とんだ度胸だ。と思ったが、十中八九、そんなことはこの子供は知らないのだろう。

「おう、なんだ坊主。こんなとこでボール遊びなんかしてんじゃねえぞ」

「すみません。取りに行っても良いですか」

「そこで待ってろ」

 ガタイの良い柄シャツを着たスキンヘッドのその男は敷地内に入り、ボールを拾うとすぐに少年に手渡した。

「ありがとうございます」

 その少年は律儀に頭を下げる。どうやら躾はきちんとされているようだ。

「いいから、ちゃっちゃとここら辺から離れろ。ここはガキが来ていい場所じゃねえ」

「なんでですか」

「なんでもだ。さっさとどっか行け」

「はーい」

 彼はもう一度ありがようございますと軽く会釈をすると、そのまま走っていった。曲がり角を曲がり、いなくなったことを確認すると、男は事務所の扉を閉め中に入った。

「怖かったーーーー」

 ボールを投げ入れた少年、正義は男が事務所に戻ったことを確認すると、その場に膝から崩れ落ちた。

 薬物乱用者の事故のニュースから数日、アメリ達は尊が暴力団であることを証明するために色々と動き回っていた。今日は翼組との接触を試みたのだ。

「よく行ってきたね」

「マージで怖かった!スキンヘッド!やばくない!?」

「私だったら絶対無理」

「俺も、あれ以上は無理だわ」

「やっぱり、私が言ったほうがよかった?」

「あんたは絶対ダメ。喧嘩売って騒ぎになる未来しか見えない」

 アメリはむすっと不満げに口を尖らせる。

「今日も収穫は無しか」

 撫子は落胆した様子も何もなくぼやく。元々裏社会の人間の秘密を暴くなんて簡単にできることだとも思っていないし、連日、収穫なしが続いているからだ。

「とりあえず、今日はもう帰るか」

 正義が勢いをつけ立ち上がると、拍子にボールが転がっていってしまった。

「あ、ボール!」

 アメリがボールを追いかけ、道路に飛び出た瞬間、左側から走ってきた黒い車が駆けてきた。

「アメリ、危ない!」

 正義は道路に飛び出し、車を避けようと手を伸ばし、アメリの腕を掴んだ。

 その時にはすでに黒のその車は鼻の先。正義はアメリの腕をひっぱったが、まだ半分は道路に身を乗り出したままだ。

ーこのままじゃ、アメリが!

 正義はもう一段階力を込め、アメリを道路の外側に引き抜いた。しかし、その反動で正義の体は道路に飛び出した。

「正義!」

 アメリの悲鳴に近い叫び声が聞こえた。きっと、地面に着くよりも先に飛ばされるんだ。正義は世界がスローモーションになる中、重力に任せ、そのまま身を投げた。

しかし、想像とは裏腹に、体は地面をスライディングし、衝撃はこなかった。

 その黒い車は正義の一寸先で動きを止めていた。

「正義ーー!!」

 アメリは半泣きになりながら正義に駆け寄り、撫子はその場で腰を抜かした。

「正義、ごめんなさい!私のせいで!」

「アメリ、大丈夫だから。アメリに怪我は」

「ないよーー!ごめんなさい!」

 半泣きのアメリを正義が困った笑顔で慰めていると、運転席の車窓が開いた。

 撫子はその人物の顔を見ると顔に青筋を立てた。

「おい、ガキども、あぶねえだろ!さっさとどけろ!」

「すみません!」

「ごめんなさい!」

 アメリと正義が慌てて、走り出した。正義が走りながら、チラリと運転席を見ると、そこに座っていたのは真っ赤なグロスを塗った黒髪の長髪の女。まごうことなき鳳凰尊であった。尊はアメリ達が車の前から退けたことを確認すると、車を走らせた。

「な、撫子!」

 正義が無言で走り去った車の方面を指差すと、撫子はシイっと声にならない声で沈黙を促した。アメリと正義は慌てて自分の口を塞ぐ。道路の角からスマホのカメラだけを覗かせた。尊が車から降り、事務所の敷地内に入っていくのを画面越しに確認すると、録音停止ボタンを押す。

「走るよ。二人とも」

 アメリと正義はうんと頷き、正義は怪我の痛みも忘れて三人で走り出した。

 かなり長い時間全力で走り、馴染みのある公園まで来ると、正義は大きく深呼吸をして、

「怖、怖かったーーー!!」

と吐き出した。さすがのアメリもかなり精神的な負荷も多かったようで、心臓を抑えながら、安堵の息をつく。撫子は心臓がいまだにうるさく、胸を押さえながらその場に座り込んだ。

「と、とりあえず、尊さんが事務所に入るところは撮れたわ」

「Nadeshiko, nice」

「すげえ、さすが撫子」

「うん、今日さ、もう解散しない?」

「「賛成」」

もう、今日は動けない。全員の気もしが一致し、その日はその場でお開きとなった。


「失礼します。姉さん!」

「てめえ、ノックしろや!ゴラァ!」

 部下の一人がノックと同時に部屋に駆け込んできた。まるでノックの意味を成さない男の行動に尊は男を怒鳴りつけた。

「すんません!姐さん宛に封筒が」

 男が尊に茶封筒を渡した。それには『鳳凰尊様へ』の文字と、事務所の住所が書いてあった。差出人は不明。右上には切手が貼ってある。郵便で届いたようだ。これでは防犯カメラで差出人を特定するのは不可能だ。どうせどこからかの悪戯か。何も期待もなしに封筒を開けると、紙が四枚入っていた。

 一枚は自分が事務所に出入りする様子の写真。

 一枚は過去の自分が組長に就いた際の裏社会で流布されている週刊誌の切り抜き。堂々と翼組の組長は二六代の女!?と見出しが書いてある。

 一枚は『オ前が暴力団の人間デあることがバラされたクなければ、世界を滅ぼす兵器は諦めロ』と書かれたコピー用紙。新聞や雑誌の文字の切り抜きを切り貼りして作らている。

『世界を滅ぼす兵器』あの少女のことだろう。

 最後の一枚は写真だった。

 それを見た尊は目を見開いた。

 そこには娘の希が無邪気に公園で遊んでいる写っていた。

「くそっ!」

 尊は机を拳で叩きつけた。

 写真を持つ手に力込めると、ふと、おかしな手触りがすることに気がついた。その写真の裏を見ると、そこには新聞や雑誌の切り向きで

『了承したラ、十二月一日午後4じマでに、井ノ頭公園の一番西のベンチの下に、契約書をハレ』と書いてあった。

「どこの誰か知らんが、ざけんじゃねえぞ!」

 尊は側にあったゴミ箱を蹴り、「どうしやした!」とノックと同時に入ってきた学ばない部下のおでこに手元の文鎮をクリティカルヒットさせた。


 十二月一日、日が傾き始め、まだ何人か子供達が遊んでいる時間帯に、アメリは市の図書館で契約書を取りに行った撫子と正義を待っていた。本当は自分も一緒にいきたかったのだが、

「狙われてる本人が言った方が危険だろ」

「そう、それに私たちだけで行けば知らない大人に頼まれました。とか嘘もつきやすいしね」

 とのことだった。

 「二人だけで行ったら二人のこと、守れないじゃん」

 アメリは不服であったが、いつも自分のわがままに付き合ってもらっている近くはあるため、大人しく図書館で待つことにした。時刻は十六時四十分。ここから井の頭公園までは徒歩で二十分、二人は十六時前にここを出たから、そろそろ戻ってきてもいい頃合いだ。もしかしたら連絡が来ているのかもしれない。図書館だからとサイレントモードにしていたスマホを見ると、正義から複数の不在着信があった。アメリは慌てて、図書館を出て、エントランス前で掛け直した。

「もしもし、正義。ごめんね気づかなくて」

「お前が月足アメリか」

 通話に出たのは正義とは遠く離れた掠れた声の男だった。

「もしもし、どちら様ですか。もしかして正義のスマホを拾ってくれたんですか」

 日本は落とし物がほとんど返ってくると聞いた。

「ふざけてんのか。てめえ」

「ふざけてないです!」

 どうやら違ったようだ。

「正義と撫子は預かった。返して欲しければ、弥代神社近くの廃校上まで来い」

 トーク画面には車の中で後ろに手を回された正義と撫子の姿が写っている写真が添付されていた。


 十二月一日、十六時三五分。

「無事、契約書ゲットだな」

「案外スムーズに行ったね」

 契約書を無事回収した二人はアメリの待つ図書館に向けて歩いていた。

「でもさ、本当に撫子の言ってた匿名掲示板の人たちすごいよな。あんな雑誌の切り抜きを見つけるなんてさ」

「あれは私もびっくりした。正直、本物かはわかんないけどね」

「まあ、本物だったらラッキーってことで」

 長い戦いがようやく終わった。安堵して話していると、突然二人は後ろから黒いビニール袋を被せられ、抵抗するも間も無く、車に押し込められた。閑静な住宅街。防犯カメラもなく、人一人いない中での数秒の出来事だった。

 車内でビニール袋を取られ、「何するの!」と叫ぼうとした撫子は言葉を発する前に、息を止めた。首元にナイフが当てられた。正義も同じように別の七三分けの男に首にナイフを当てられており、身動きがとれないでいる。

「お前らか、月足アメリの仲間は」

 助手席の女、鳳凰尊がミラー越しに撫子と正義を一瞥する。

「な、なんのことですか」

 撫子は震える声で白を切った。

「ユウマが全部吐いた。お前らのことをな。随分と怖いもの知らずみてえだな」

 全裸の写真、撮っときゃあ良かったのになあ。と女は豪快に笑い、釣られて笑った運転席の男が殴られた。

「い、一体、何の」

「撫子」

 正義は撫子の声を遮り、頭を振った。

「あの後、翼組のところに駆け込んだんですね。爪が甘かったです。口止めしておけばよかった」

 正義は今にも心臓が爆発しそうで、声も震えそうなのを悟られないように必死に平静を取り繕って話した。

「いや、あいつはあのまま飛んだよ。バックれやがった」

「それじゃあなんで」

「あいつ、ウチがツケ持ちの店で女装して働いてたんだよ」

「バカなんですかね」

 正義が口を滑らせる。慌てて口を一文字に結んだが出してしまった言葉は戻らない。

「バカなんだろうな」

 どうやら彼女の琴線には触れなかったようだ。「バカなんすかね」と笑った運転席の男は殴られていた。

「それで、なんで俺たちを攫ったんですか。狙いはアメリでしょ」

「お前らはただの人質だ。お友達の首から出る赤い噴水を見たくなきゃ、アメリに電話をかけろ」

 チラリと撫子を見ると、彼女は涙目になって震えていた。

「わかりました。スマホはズボンの右ポケットにあります。パスワードは」

 正義が口頭で全て説明し、自分を攫った七三分けの男が電話をかける。しかし、何度かけてもアメリは電話に出なかった。

「おい、出ねーじゃねえか。お前、ブロックされてんじゃねえのか」

「充電切れてるんじゃないですかね」

 嘘だ。アメリは図書館にいるからスマホをサイレントモードにしてるのだ。頼む、このまま気づかないでくれ。

「おい、そっちのガキのスマホでも鳴らしてみろ」

 七三男がそう指示した矢先、

ー最悪だ。

アメリから電話がかかってきた。

「すみません」

 七三分の男が電話に出ようとするのを遮る。

「なんだ」

 尊が代わりに返事をする。

「呼び出すなら弥代神社近くの廃工場にしてください。アメリはこの街のことはまだ詳しくないんです」

「この状況下でお願い事か。いい度胸してんじゃねえか。いいだろ、そこにしてやるよ」

 あそこならアメリは迷わずに行ける。アメリが来るのが遅くて痺れを切らした尊たちが撫子か正義を殺す確率はこれで少しでも減っただろう。正義は安堵の息を吐き、心の中でガッツポーズをした。

 廃工場に到着し、二十分ほど経った頃、遠くから、一人の少女の姿が見えた。

 彼女は迷わず廃工場に入り込み、両腕を後ろに縛られ、ナイフを首に当てられた友人たちを見ると、般若のような顔で腕を組む女を睨んだ。

「二人を解放してください」

「それじゃあ、私らと一緒についてこい。さもなくばこの二人を殺す」

「いいんですか。尊さん」

 さっきまで震え、怯えていた少女、撫子が口を開いた。

「希ちゃんは正義くんと私のことが大好きなんですよ」

 娘の名前を出された尊はピクリと片眉を動かした。

「もしも、あなたが私たちを殺したことを知ったら希ちゃんは悲しむんじゃないんですか」

「ああ、お前らが最近、希が話していた沢山遊んでくれるなでしこちゃんとまさよしくんか。よし、死ね」

「なんでですか!?おかしいでしょ!」

 正義が思わず声を荒げる。まさかその流れで死へのカウントダウンが早まると思っていなかった。

「撫子は百歩譲って生かすとして、正義、お前はダメだ」

「なんでですか!差別じゃん!」

「あの希の写真を撮ったのもおまえだろ。希にまとわりつく害虫は全て駆除する」

「俺はそんなんじゃないんすけど!」

 しかし、事務所に送りつけた写真を撮ったのは正義であり、そこの言い逃れはできなかった。

「ごめん、正義」

「本当にね!おかげで俺だけどんどん死に近づいてるんですけど!」

 正義は自分が死の淵にいることも忘れ、全力でツッコミを入れた。

「どうする月足アメリ。お前らが私らと一緒に来るだけでお友達は助かるんだぞ」

「わかりました」

 アメリは覚悟を決めた顔で返事をした。

 だめだ。行っちゃダメだ。正義は心の中で叫んだ。

「二人を殺したら、私は舌を噛んで死にます」

「はあ?」

 来るか来ないか。二つの選択肢のどちらでもないアメリの答えに、尊は思わずそんな反応をした。周りの男たちも動揺し、正義と撫子も彼女の出した答えに唖然とした。

「あなたたちが欲しいのは私の記憶。つまりは生きた私。死んでしまったらなんの価値もなくなるよ」

 撫子がふわりと微笑みながら、まるでわがままを言う子供を諭すかのように話す。

「ねえ、今だけ見逃してチャンスを伺うか、今、殺して全て終わりにするかどっちにする?」

「そうだな。それじゃあ」

 尊は懐から拳銃を取り出し、構えた。

「今、お前を瀕死状態にして連れて行くよ」

 アメリは尊が引き金を引くよりも早く、地面を蹴った。

 銃声がいくつも工場に響いた。しかしそのどれもアメリに当たることはなく、アメリは尊の懐に潜り込んだ。

 尊はアメリの脳天を狙い肘鉄を落とすも、ギリギリで避けられた。しかし、肩には直撃し、アメリがバランスを崩す。その隙を狙い、もう一度引き金を引こうとしたが、アメリはすぐに体勢を持ち直し、彼女の胸ぐらを掴み、足を払い、尊を地面に叩きつけた。アメリはすぐさま、彼女の首に腕をかけると彼女の頭に拳銃を当てた。

「撫子と正義を今すぐ解放して。そうでないと、尊を殺す」

「やめろ、お前ら、所詮子供の戯言だ」

「いーーち、にいーーーい、」

 アメリがカウントダウンを始めた。工場内の空気はひどく冷たい。

「ろおーーーーく」

 所詮、子供の戯言。尊はそう言うが、男たちにはそうは見えなかった。今まで送ってきた構成員も、その道のプロの田中も全員を戦闘不能にした少女だ。

「はあーーち」

「わかった」

 七三男が手を両手に上げた。

「おい、お前!」

 撫子を押さえつけている男が声を荒げた。

「あとはあなただけだよ。きゅーーーーう」

 じゅうと彼女が言う前に残された男も、両手を上げた。

 撫子と正義は転ぶ勢いでアメリの元に走り出した。

「ありがとうございます」

 アメリは正義と撫子の無事を確認すると、にっこりと笑いお礼を言った。

「二人は先に帰ってて」

「この状況でアメリを一人にできないよ」

「いいの?じゃあ、工場前で待ってて、すぐに行くから」

 そういうことではない。撫子はそう言いたかったが、ここに自分がいても、彼女の足手纏いになるだけだ。正義と撫子は工場を出た。

 敷地内にある、自分たちを運んできた車を見つけ、大事なことを思い出した。

 そうだ、まだ一人いる!

 車から距離を取ろうとしたが、車の側に何か大きい物体が横たわってるのを見つけた。

 なぜか尊に殴られ続けていた運転手だ。

「えっと」

「これってまさか」

「お待たせー!」

「「ぎゃあーーーー!!」」

 突然後ろから肩を叩かれた二人は反射的に悲鳴を上げた。

「そんなにびっくりする?」

「するに決まってんでしょ。この状況なんだから!あの人たちはどうしたの」

「もう終わったよ」

「じゃあ、この人は」

 正義が倒れている運転手を指差すと、アメリはにっこりと笑い

「来る前に寝かせたの!」

 そう答えた。


8.転校生のその後


 誰にもバレずに終わった撫子と正義の誘拐事件の次の日、正義の家のポストに正義宛の茶封筒が入っていた。切手は貼ってあるが差出人は不明。恐る恐る開けると、中にはあの日、井の頭公園で回収したものと同じハンコの押された綺麗な契約書が入っていた。

 アメリたちはあの日から誰かに襲われることもなく、平和に暮らしていた。

「おい、お前が月足アメリだな」

 平和に暮らしていたのだが。

「嘘だろ、翼組はもう手を引いたんだろう」

 うんざりした顔で正義が言う。

「他の奴らじゃない。ユウマさんが言ってたじゃん。丸山組?からも依頼を受けてたって」

 撫子の言葉にああ、そうかと正義は納得する。

「おじさん、世界を滅ぼす兵器を手に入れても何も得しないですよ」

 呆れ半ばに撫子が説得を試みたが、男は「何言ってるんだお前」と眉を顰める。

「俺が欲しいのは、不老不死の薬だよ!」

「「え?」」

 正義と撫子は予想外の返答に、困惑した。

「あー、そういえば」

「そういえばって何?」

 撫子がアメリに尋ねる。正義は嫌な予感がした。

「お母さん、不老不死のレシピも作ったんだよね。昔、私に見せてくれた」

「「アメリーーーー!!」」

 その日、二人の子供の叫び声を聞き、駆けつけた大人が見たものは、道路に伸びる一人の大人であった。

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