2.海晴、混乱中。






 知久から彼のベッドを使用して良いと言われ、毛布に包まった海晴。

 彼女は一言も声を上げなかったため、知久は何事もなく課題をし始めた。だが一方で天使様はといえば、それどころではないわけで……。



「(と、ととととと、知久のベッド……! 知久の、匂い!?)」



 密かに大きな好意を寄せる男子の香りに包まれ、完全に委縮してしまっていた。

 とりあえず小さく丸まって膝を抱えているのだが、それ以降はまったく身動きが取れずに睡眠どころではない。むしろ瞳孔は開きまくり、荒くなり続ける呼吸を必死に抑え込み、跳ね回る心臓を停止させたいと願うばかりだった。



「(あ、う……良い匂いする、あう……)」



 あまりの事態に脳髄が焼けるような錯覚に襲われつつ、海晴は必死に自我を保とうと試みる。ここで気を失ってはいけない。いいや、もういっそ気絶してしまいたいという気持ちと、もっとこの幸福を享受したいという願望のせめぎ合いが発生していたのだ。

 当然ながら、知久はそんなことを想像もしていないわけである。

 部屋の中には彼のシャーペン走らせる音のみがあった。



「(知久、そこにいるんだよね。……あう、恥ずかしい)」



 それによってのみ存在を認識する海晴は、普段は投げ捨てている羞恥心に苛まれる。おそらく愛しい相手のベッドで下着を脱いでいる、という状況が、相当の背徳感を抱かせるのだ。また、それにしたがって妙な快感すら覚え始める。

 必死に押さえつけていた呼吸が、次第に熱を帯び始めた。

 頬が熱くなるのを感じ、海晴は――。



「……はむっ!」



 とっさに、自身の指をしゃぶりだす。

 その行為にいかなる意味があるか、判然とはしない。だがしかし、彼女はそれによって何かしらの発散をしようと試みたらしい。

 もう一方の手は、自身の身体に巻きつけるようにしながら。

 海晴は首筋にじんわりと汗が浮き始めたのを認めていた。



「はっ……ふ、ふぅ……」



 結果として、彼女にしか届かない水音が毛布の中に。

 それを聞かれてはいけないと、海晴は常に知久の気配に注意を払っていた。彼を考えながら、物足りない自身の細い親指を口に含む。それも彼の普段使いするベッドの中で、という状況。

 元々が寝不足で、思考力が低下。

 理性のタガが外れかけている海晴にとって、これはある種の苦行だった。全身が汗ばみ始め、それに伴って毛布の中の温度も次第に上がっていく。


 あたかも、大好きな少年に抱きしめられているかのように。



「あ、あう……っ!」



 そして、一瞬でもそれを考えた海晴。

 彼女は何かしらの感情が昂るのを覚えつつも、残っている理性でそれを抑えつけた。ここで身を任せてしまえば、それこそ今の関係が終わってしまう。

 確実に、悪い方向に。

 それだけは避けなければならず、彼女はついに――。



「んばぁ……っ!!」

「うおあ!?」



 毛布を払い除けて、身を起こす。

 そして、潤んだ瞳で知久を睨みつけつつ宣言するのだった。





「アタシ、今日はもう帰るから……!!」――と。







「昨日の海晴、なんだったんだ……?」



 翌日の休み時間、ふと俺は昨日の一件を思い出す。

 やむなしと思ってベッドを貸したが、最終的に海晴は何故か汗だくでこちらを睨んできた。好きでもない男の使っているベッドに押し込められ、あるいは物凄く不快だったのか。その可能性を考えたが、今朝はいたって普通だった。


 だとすれば、いったいどうしたのか……?



「あ、高坂さん。今日は顔色良いね!」

「そう、かな……?」

「なんていうか、すごく晴れやかだよ!」

「あはは、なんでだろ……」



 その時、また海晴と女子生徒の会話が聞こえてきた。

 言われてみれば彼女の顔色は、昨日のそれとは雲泥の差だ。それどころか、何やら活力に満ちている。本人はどこか不本意のような表情だが、どうやら昨夜はペケモンの厳選を取り止めて休息に充てたらしい。


 幼馴染みの健康が良いことは、悪いことではない。

 ただ、やはり疑問は残るわけで――。




「…………まぁ、いっか」




 しかし、俺はものの数秒で考えることを放棄したのだった。




 

――

海晴さん……w



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