カス彼女

はるはる

カス彼女

 地下鉄のホームを走り、階段を駆け上がって出口から市街地へ出る。

 夕暮れで空はオレンジ色に染まっていた。八月のこの時間帯はまだまだ気温が高く、少し走っただけで額に汗をかいていた。


 歩道は私と同じく会社帰りの人などでごった返している。

 今日の午後、恋人から送られてきたラインをもう一度確認しながら、その恋人に電話をかける。が、気づいていないのか出てくれない。

 仕方なく周りを見ながら懸命に探していると地下鉄の出入り口から少し離れた車道と歩道の間に建てられたガードパイプにもたれてスマホを触っている恋人のきょうちゃんを見つけた。


「ごめんね、京ちゃん……」


 乱れた髪と息を整えながら謝罪する。

 私の声に反応して、ゆっくりとショートカットの金髪を揺らしながら京ちゃんがこちらを向いてくれた。


「遅い」

「本当にごめんね。急いできたんだけど……」

「言い訳は聞きたくない」

「そうだよね、ごめん」


 たしかに京ちゃんの言う通りだ。

 私にどんな理由があったとしても京ちゃんとの約束に遅刻をしてしまったのは事実。


「……お腹空いたし、ご飯行こ」

「う、うんっ」


 京ちゃんが歩きだしたので私も慌ててついていく。

 横に並んだ時に京ちゃんの右手をとって、手をつなぐと「ちっ」と舌打ちをされた。だけど、それ以上は何を言うわけでもなく私の好きにさせてくれる。やっぱり、京ちゃんは不器用だけど優しい。手をつなぐのを許してくれるのもそうだし、今だって自分が車道側を歩いてくれている。

 こういうところが京ちゃんの好きなところの一つだ。


 そして、好きなところがもう一つ。

 ちらと隣を歩いている京ちゃんに目をやる。

 タックインされた白のロゴTシャツに黒のワイドパンツ。白色のローヒールパンプスと合わせて大人カジュアルな雰囲気で、京ちゃんのスタイルの良さも相まってとても似合っていた。


 これら京ちゃんが着ている服は全て私が以前プレゼントしたものだけど、こうして実際に着てくれているのを見ると嬉しくなる。ありがとうって言葉も嬉しいけど、それ以上かもしれない。


 少し歩いてレストランに入った。運が良かったようですぐに席に案内されメニュー表を眺める。初めて来たお店だけどイタリアンレストランらしい。

 パスタ、ピザ、リゾット。スープやカプレーゼなどサラダ料理も種類が豊富で悩ましい。


 メニュー表を眺めていると、どうやら注文を決めたらしい京ちゃんがもう店員さんを呼んでしまった。やや混雑してきた店内だけど、こういうときに限ってすぐに店員さんがやって来る。「これとこれ」と素早く注文した京ちゃんを待たせないように私も大慌てで料理を決めた。もう少しちゃんと選びたかったけど仕方ない。


 注文した料理が運ばれて来るのを待つことしばし。

 最初こそ私とおしゃべりをしてくれていた京ちゃんだけど、その口数が段々と減って来て苛立ってきているのがわかった。貧乏ゆすりがすごい。肘をテーブルに乗せているせいでカトラリーがカタカタ音を立てている。


 きっともうすぐだよ、と声をかけようとしたらちょうど近くをトレーを持った女性の店員さんが通った。彼女に対して「なぁ」と京ちゃんが声をかける。


「店員、アタシらのはまだか?」

「申し訳ございません。もう少々お待ちください」

「って言われてもさ。あっちの客より先に注文したんだけど」

「大変申し訳ございません。ご注文いただいたメニューによって多少順番が前後することがありまして……」

「はぁ? んなこと最初っから言っとけよ」

「申し訳ございません」


 ぺこぺこと頭を下げる店員さんになんだかこちらまで申し訳なくなってくる。

 店員さんがもう一度頭を下げていなくなったあとも京ちゃんは苛立ったままのようだった。


「まぁまぁ、落ち着いてよ京ちゃん」

「ったく。こっちは用事があって急いでるのに」

「この後も何か用事があるの?」

「あるだろ。そっちがメインだっての」

「そうだよね、ごめんね」


 ただ外食するためだけに「出かけよう」なんてラインは送らないよね。普通に考えたら行きたい場所があるのだろう。今夜は満月って今朝の天気予報で言っていたから、もしかして。


「それで、どこに連れて行ってくれるの?」

「大井競馬場だよ。今日これからデカいレースがあるんだ」

「そ、そうなんだ」

「てか雪佳せっか。頼んでた十万持ってきた?」

「うん。えっと……もしかして、競馬に使うの?」

「他に何があるんだよ。一発当ててさ、旅行に連れて行ってやるよ」

「ほんと? 嬉しいな」


 それは本心から思って出た言葉だ。京ちゃんが稼いでくれた(?)お金で一緒に旅行に行けたらどれだけ嬉しいだろう。だけど、一つ引っかかるところがある。


「でも、この前もそんなこと言ってなかった?」

「そうだっけ?」

「たしか、あの時はパチンコに行くって」

「んー、覚えてねぇな。気のせいじゃない?」

「そうかな? ていうか、そのときにギャンブルはもうしないって言ってなかった?」

「そうだっけ? まぁ、細かいことは気にすんなよ」

「う、うん。京ちゃんが言うなら……」


 その後、運ばれてきた料理を食べて(京ちゃんは終始スマホとにらめっこをしながら食べていた)再び地下鉄に戻った。山手線の浜松町駅で乗り換え、大井競馬場前駅で降りる。


 駅を降りると、すぐに競馬場が目の前に現れた。

 思っていたよりも随分と広い。学校のグラウンドくらいかなと勝手に想像していたけど、その何倍も広そうだった。

 後で調べてわかったことだけど、東京ドーム八個分の広さがあり、一周がなんと千六百メートルもあるらしい。グラウンドにあるトラックは四百メートルだから、そりゃあ広いわけだ。


「すごい! 大きいね」

「来たん初めてだった?」

「うん。びっくり」

「ふーん」


 京ちゃんは慣れているのか案内板やスマホの地図アプリなどは見ないで、いつものように進んでいく。当然と言えば当然だが、同じ駅で降りた人たちもほぼ全員が同じ目的であるようだった。

 正直、競馬と聞いたときは新聞と赤鉛筆を持ったおじさんばかりのイメージだったけど、意外と若い人の姿もあるしカップルで来た人たちもいるようだった。

 私の偏見なだけで、最近ではデートスポットとして一般的になっているのかもしれない。

 ゲートをくぐって入場すると、ふと掲示板に貼ってあるポスターが目に入る。


「へぇ! 冬にイルミネーションもしてるの?」

「あー、そうだっけ?」

「冬にまた来ようよ」

「はいはい」


 競馬場でのイルミネーションなんて想像がつかないけど、京ちゃんと行けるのなら楽しいに決まっている。それに人通りが多いところが苦手な京ちゃんも丸の内や渋谷と比べたら付き合ってくれそうだ。


 半年後のことだけど、すごく楽しみだな。


 時計台や競走馬の銅像の横を通って、京ちゃんは正面にある校舎のような建物に入っていく。案内板では二番スタンドと書いてあった。

 スタンドを通過すると、その正面には大きく広い土(ダートというらしい)のコースが広がっていた。ここを競走馬たちが走るらしい。


 コースとスタンドの間には立ち見できるエリアもあり、そちらはコースの目の前で走っている馬の迫力もすごそうだ。だけど京ちゃんは私に気を遣ってくれたのかベンチのあるスタンドの一角に腰を下ろした。ここからでも十分にコースを見ることができる。


「人、けっこう多いね」

「今日はGⅡがあるからだろ」

「じーつー?」

「んだよ、そんなことも知らんのかよ」

「ごめんね。全然競馬のことわかんなくて」


 競馬に限らず私はギャンブルについて詳しくない。

 また来ることがあるかもしれないから次回までに調べておかなくちゃ。


「んじゃ、馬券買ってくるわ」

「私は?」

「は? あー、来てもいいけど、待ってたら?」

「そう? うん、それじゃあそうするね」

「うん」


 一人になるのは少し不安だけど、私が一緒にいても京ちゃんの役には立てなさそうだ。寂しいけど、しばし一人で待っていると。


「お待たせ」


 京ちゃんが帰って来た。

 その手には馬券とレジ袋が握られている。隣に座った京ちゃんはレジ袋から「ん」と缶ビールを渡してきた。


「ありがと」

「うん」

「いつ始まるの?」

「55分くらい」


 腕時計で時間を確認する。もう15分もすれば始まるらしい。

 空には薄っすらと月も出ていた。まんまるな月が私たちを見守るように夜空に浮いている。

 京ちゃんの言葉通り、55分が近づいてくるにつれて人の数と熱気が増してきた。馬たちがスタートするときに収まるゲートが用意されて、競走馬たちも姿を現す。


「どの馬を買ったの?」


「んー? 3番の馬。こいつは来る」

 と言われても、どれが3番の馬なのだろう。

 スタート地点は正面の直線ではなく、楕円となったコースのちょうど向こう側だった。


「ね、京ちゃんが買ったのってどの馬?」

「えーっと。赤のヘルメットした騎手の馬」

「赤色ね。わかった」


 目を凝らしてみるとゼッケンに3番と書いてあるのもわかった。

 でも、横に並んで一斉にスタートした瞬間、ゼッケンは見えなくなってしまった。京ちゃんの言われた通り赤いヘルメットだけを見失わないように気を付ける。

 各馬がカーブを曲がって来て、前の前の直線にやって来る。その直線がけっこう長い。赤いヘルメットの馬は前から3番目くらいだったけど、最後の最後で競っていた相手を抜き去った。


「えー! すごい! 来たよ京ちゃん! 当たったんでしょ!?」

「いや、うん……」

「え?」


 赤いヘルメットの騎手が乗った馬が1番になったのに思いのほか京ちゃんのテンションが低い。


「当たったけど、トリガミだ」

「トリガミ?」

「九千円くらい買ったけど、たぶん六千円くらいしか返ってこない」

「え」

「マジか……」


 当たったのは当たったけど、マイナスになったらしい。よくわからない。

 ただ、京ちゃんの落ち込みようがひどい。


「あの騎手まじで余計なことすんなよ……」


 その後、7時半に次のレースがあり、もちろん京ちゃんは外した。

 そして8時すぎ。京ちゃんの言っていたじーつーのレースとなった。三度目の馬券を買いに行っていた京ちゃんが戻ってくる。その顔には決意や志が感じられた。


「これで旅行行こうな」

「うん」


 レースの直前には特別なファンファーレ演奏があり、いよいよスタートした。お客さんの熱気や歓声も今まで以上に高まっている。

 レースはコースを一周強するらしい。ゴール手前からスタートして、観客席の前を馬と騎手が通過していく。カーブして向こう側の直線を進んでいき、またカーブを曲がってこちら側の直線に戻ってくる。

 京ちゃんと観客の声援が今日一番になり、レースは二頭の熾烈なデッドヒー

トとなった。手に汗を握る熱戦を繰り広げ、そのままどちらも譲らずゴールする。


「わっ! すごい! 今のどっちが勝ったのかな!?」


 会場もまだざわついている。お客さんたちもどっちが勝ったのかリアルタイムではわからなかったのかもしれない。座っているベンチがゴールの真正面ではないということもあるかもしれないけど、私もまったくわからなかった。同じタイミングでゴールしていた場合はどうなるのだろう?

 ただ一つ、わかっているのは。


「くそボケェー!!!!!」


 と、隣で京ちゃんが叫んでいるので京ちゃんの馬券が外れたということだ。

 残念ながら今回も旅行に行くことはできなさそうだった。でも、京ちゃんのその気持ちだけで嬉しい。旅行にはいこうと思えばいつでも行けるわけだし、こういう私を思ってくれる京ちゃんの気持ちこそが大事だと思う。それに今日二人で出かけられたことも楽しかったし、誘ってくれたのも嬉しかった。やっぱり私は京ちゃんが好きだな。

 ちらと京ちゃんを見ると、夜空に浮かぶ満月にもう一度叫んでいるところだった。


「金返せボケがっぁぁぁぁっ!!」

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カス彼女 はるはる @haru-haru77

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