第2話

西暦2020年9月4日,金曜日。

本当なら土日と敬老の日と秋分の日の祝日が重なる俗にシルバーウィークと呼ばれる4連休に計画した旅行だったが,時期が遅くて宿泊予約が取れなかったために,大学ならまだ夏休み中の時期に出掛けることにした。

午前9時には9月初旬とは思えない30度越えの気温を叩き出し,南寄りの湿気を帯びた風が蒸し暑さを演出していた。

東京駅の新幹線改札口付近はキャリーバッグやボストンバッグを抱えた旅行客で賑わっている。

新幹線のホームに向かうエスカレーターを犇めく大勢の旅行客の中に目立つ2人の見目麗しい美女がキャリーケースを引いて立っている。

その背後にはもう1人の美少女が2人の美女に話し掛けている。

「まだ9時なのに暑いわね」

「暑いわね」と言いながらも汗一滴掻いている様子はなく目深に被った麦藁帽子の鍔を摘んで,涼しそうな雰囲気を醸し出している。

その様子は一端のグラビアカメラマンなら「被写体として1枚撮影を‥‥‥」とお願いしたくなるような光景だ。

美少女は先を歩く美女である2人の姉たちが旅行に出掛けるのを見送りに来ていた。

少女の名前は北条祈里。聖ウェヌス女学院高等部1年A組の生徒だ。

双子である姉たちとはあまり似ていないが,トップにボリュームのあるショートボブの黒髪が似合う目のクリクリとした端正な顔立ちをしていた。

一方2人の姉は一卵性双生児で北条花織と北条咲織。北条祈里の4つ年上の聖ウェヌス女学院大学の2年生だ。

上の姉の北条花織は中等部から陸上部所属にしており,長距離走の選手で男勝りの快活な性格で化粧っ気がなく,さらっと乾かせる手入れの簡単なセミロングの黒髪をポニーテールで纏めている。とにかく明るくて陸上部ではムードメーカー的な存在だ。

下の姉の北条咲織は中等部から華道部に所属しており,今では師範代にも匹敵するような腕の持ち主。北条花織とは対照的にばっちりメイクで,顔を包み込んで小さく見えるようにサイドの髪の毛が顎の高さからレイヤーが入るようにしたミディアムスタイル。性格は内向的だが,気配りのできる優しい子だ。

北条祈里とってそんな2人の姉は自慢のできる存在だ。

3人の両親は北条祈里が聖ウェヌス女学院初等部に上がる前に交通事故で死亡してしまった。

既に父方の祖父母も母方の祖父母も北条祈里が聖ウェヌス女学院高等部に上がる前に亡くなってしまい,他に頼る肉親や親戚も今では居ないが,それぞれの祖父母がそれなりの資産を残してくれていたのもあり,まだ日常生活に不自由することはない。

北条花織は聖ウェヌス女学院大学の陸上部の特待生であり,北条咲織も特別奨学生で来年には華道の師範代資格を取れるところまで来ており,2人とも北条祈里の大学進学のために早く自立しようと頑張っている。

つい最近まで北条咲織は付き合っていた彼氏の先輩に無理矢理寝取られ,彼氏とは行き違いとなり別離して,落ち込んで引き篭もりがちになっていた。

北条花織が気分転換にと傷心旅行を企画して連れ出すことにしたのだ。

「花織姉,咲織姉,それじゃ気を付けてね! 楽しんで来てね!」

「うん,行ってくるね! 祈里!」

「ありがとう,祈里ちゃん」

「行ってらっしゃい!」

「発車いたします。お見送りの方は扉から離れてください」

プラットホームに発車のアナウンスが流れると北条祈里は一歩下がる。

プルルルルッ‥‥‥

甲高い発車サイン音がホーム全体を包み込むように大きく鳴り響く。

プッシュー!

発車サイン音が鳴り止むと一時静寂が訪れて車輛の扉とホームドアの閉じる音がする。

車掌と駅員がお互いに合図を交すと暫くして新幹線の車両が滑るようにゆっくりと動き出す。

扉の小窓から北条花織と北条咲織が手を振っている。

徐々に加速していく新幹線の最後尾車輛の赤色灯が見えなくなるまで北条祈里は見送った。

通路側の座席に着いた北条花織は荷物を棚に上げて,スマートフォンをポケットから取り出すと旅行先の金沢の天気を調べる。

「ああ,丁度着く頃に雨が降るみたいね」

「そうなの?」

窓側の座席に着いていた北条咲織がスマートフォンを覗き込む。

「本当。だったら駅でお昼にして少しゆっくりしようか?」

「それがいいかもね」

新幹線は雑談をしている間に上野駅へと滑り込んでいた。


西暦2020年9月5日,土曜日。

自宅待機のはずの北条祈里の許に担任の山県朋美から電話があり,馬場佐南からの御願いで「至急,学院の方に来て欲しい」と言われた。

いつも姉たちも含めて色々とお世話になっている馬場佐南からの御願いなので急いで支度を済ませ,聖ウェヌス女学院に向かう。

現在,学院の最寄り駅からの学院行き路線バスは運休になっている。

別系統に乗車しても4日前の事故の影響で学院正門前バス停には停まらない。

仮バス停は設置されたが正門から離れている。

正門前を中心に学院周辺にはまだマスコミが取材しようと待ち構えているらしい。

馬場佐南は「タクシーで北門から中に入り,大学棟の前で降りるように」と指示した。

そこで山県朋美が待機していてタクシー料金も払うからとのことだった。

北条祈里も事故から4日だからマスコミが大挙している覚悟は決めていたので,言葉に甘えさせてもらうことにした。

タクシーが大学棟の前に着くと学年主任の高坂愛海が迎えに来ていて学長室まで案内してくれた。

「あの,山県先生は?」

「急用が出来て,私になりました」

高坂愛海は学長室前まで来ると「御茶の準備があるので,1人で入るように」と言われた。

コン,コン,コン‥‥‥

3回ノックすると室内から馬場佐南の入室を許可する「どうぞ」と返事があり扉を開けた。

「ソファに腰掛けるように」と促され,馬場佐南はデスクの椅子を立ち上がり向かいのソファに座った。

「それで馬場学長,どのような御用件なのでしょうか?」

「祈里。貴女には献血をお願いしたいのです」

「献血‥‥‥ですか?」

「そうです。献血です」

「誰か緊急手術でも必要になったのですか?」と言い出しそうになったが,クリニックでなく大病院である聖ウェヌス女学院総合病院に輸血用の血液が足りなくなるとは思えない。

北条祈里はそんな理由で至急の用件だと言われて呼び出されるのはおかしいと思い,先日の北条花織から聞かされた話が頭に浮かんだ。

両親と祖父母を失い,高校生と小学生の三姉妹だけの生活は大変で,その面倒を色々見てくれた母親代わりの馬場佐南に協力するのは吝かではない。

でも彼女1人だけがこのように呼び出されたのか,好奇心からその訳が知りたくなっていた。

「それはですね‥‥‥」

馬場佐南は言い淀んで何か言葉を呑み込んだようにも見えた。

「先日の交通事故で総合病院でも血液が不足しそうなのです。以前,学校の健康診断で血液検査をした時に貴女の血はかなり特別でほぼ誰にでも輸血が出来るということなんです。それで他の生徒にも御願いはしますが,貴女には私が直接お願いした方がいいと判断したのですよ」

「そういうことですか。それならば協力させていただきます。ところで智恵たちの容態はどうなんですか?」

「命に別状はありません。特に大きな外傷もないそうです。あとは意識が戻るのを待つだけですよ」

「それならよかったです」

北条祈里は馬場佐南の態度が気になっていた。

「それで本当の理由は何ですか?」

北条祈里はそれも一つの理由だと感じたが裏に隠された理由があると確信した。

現に馬場佐南は言葉を詰まらせている。

沈黙の雰囲気を破るように高坂愛海がワゴンを押して入って来た。

「はあ‥‥‥」

馬場佐南が安堵の溜息を洩らし,目の前に置かれた紅茶を一口飲むと高坂愛海を下がらせた。

「少し話が長くなるけど構わないわね?」

北条祈里は首肯した。

馬場佐南の話は北条花織から聞かされた話とほぼ一緒だった。

違ったのは主観が馬場佐南か北条美織かだけのことだ。

北条祈里はそれでも話が終わるまで黙って聞いていた。

「全然驚かないのね。もしかして美織から聞いていたの?」

「いえ。数日前に花織姉から聞きました。数日間に同じ話を別の人から聞かされれば驚きはします。ただ表情に出さなかっただけです」

「よかった。では早速病院の方に向かってもいいかしら?」

2人は高坂愛海の用意してくれた紅茶を飲み干してソファを立つ。

北条祈里は菩提樹の遊歩道を歩きながら何か喉の奥に魚の小骨でも刺さったかのような違和感を覚えた。

(一番は重傷だと聞いている長尾智恵たちでさえ外傷がないのに何故輸血が必要なのか,よね)

まだ他にも話せない事情があるのはでは‥‥‥と事情を汲み,それ以上の追及は馬場佐南も望まないだろうと止めた。

学院の北門に近い車寄せから高坂愛海の運転する車に乗車して病院に着くと,玄関口には医師と職員と思える関係者たちが10人近く居並んでいて,まるで馬場佐南の到着を待っていたようだった。

まるで医療ドラマに出て来る大病院の院長総回診のシーンのように医師たちに取り囲まれて採血室へと案内された。

其処は外来患者用の採血採尿室ではなく,高性能フィルターを使用し清浄な空気を循環させている無菌室だった。

臨床検査技師の指示で白衣に着替えさせられて,手の洗浄,薬の入った浅いプールに靴のまま入り消毒を受けて,さらに前室でエアシャワーを浴びる念の入れようだ。

正直,採血でここまでする必要があるのかと北条祈里は思ったが,馬場佐南が室外から頷いているので無菌室に歩を進める。

採血をする目的と云うよりも感染症対策にも思え,北条祈里は自分がウィルスや細菌に感染しているのではと錯覚させるような物々しさを感じた。

ここまでして採血するのに疑問を感じて,向かいで採決の準備をする臨床検査技師に疑いの目を向けていた。

「もう少しリラックスしてもらっていいかな?」

「でしたら何でこんな厳重な環境下で採血するのかを説明する義務があるのではないでしょうか?」

「それは‥‥‥」

臨床検査技師は馬場佐南に助けを求めるように視線を逸らした。

「説明の出来ないようなことをしようとしているんですか?」

「いえ,そういうわけではないです。普通の採血です‥‥‥」

「でしたらちゃんと説明してください。そうでなければ協力は出来ないですし,採血の同意も出来ません」

北条祈里は差し出していた腕を引っ込めて捲っていた袖も元に戻した。

そんな遣り取りを外から見ていた馬場佐南が無菌室に入る準備を済ませて跳び込んでくる。

「祈里さん‥‥‥貴女には話しておかないといけないことがあります」

「何ですか? 先生には大変な恩がありますし,協力するのは吝かではないです。それでもここの先生たちの態度には怪しさしか感じません」

無論それは学院で聞かされた話に通じるものだと北条祈里は理解している。

「分かっています。だから,私が説明します。ただし,今から話すことは絶対に他言無用ですよ。それでは,私たち以外は一旦退室してもらえますか」

馬場佐南はクリーンルーム内に居る臨床検査技師や看護師を総て退室させる。

北条祈里はその様子を睨むように見ながらただでさえ下の姉である北条咲織の件でモヤモヤしていて,自身も情緒不安定になっているのに‥‥‥という気持ちだった。

「さて,どこからお話ししましょうか‥‥‥」

馬場佐南から聞かされたのは衝撃的な事実だった。

最初はフィクションだと言われればやっぱりと思いたくなるものだ。

北条祈里は聖ウェヌス女学院初等部に入学する前だったので詳しい事情を知らされていなかったが,馬場佐南から聴いた話は彼女だけではなく2人の姉の将来さえ左右し兼ねなかった。

その後北条祈里は同意の上で採血が行われ,馬場佐南とこれから先についても話をしましたが,今回の一件については今はこれ以上関わるのを止めた方がいいと言われ渋々受け入れた。


『あらあらっ,結局こうなっちゃうのね。事象の改変は難しいか。それにこれでアレの干渉が確定しまったわ。時間の改変は出来たけど,佐南は忙しくなって申し訳ないわね』

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惑星開発委員会 神々の実験場 Paddyside @Paddywidth

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