北条家の姉妹

第1話

「金属が溶融し蒸発する様から生に対する意欲を喪失する例えから銷鑠といい,縮栗は恐怖や不安から身体を小さく縮こませる懼れ怯える様子を表している」

立ち直れない程の酷い失恋‥‥‥

大好きだからこそ彼氏に許した一如の身心。

でも彼氏の先輩に妬まれて泥酔した挙句に部屋に連れ込まれ犯された。

それに耐えられなかった。聞くに堪えられない話。

それ以前にも彼氏の友人と付き合っていたが酷いDVを受けた。

最初は優しかったのに突然豹変した。その相談に乗ってくれたのが彼氏だった。

最終的に最初に付き合った元彼とは彼氏と3人で話して円満に別れたが未練たらたらだったと聞く。

でも彼氏とは顔を合わせ辛く一方的に音信不通となり,風の噂で彼氏は音信不通の理由を知ったのだと思う‥‥‥彼氏からのアプローチはなかった。

そんな様子を見ては2人居る姉妹も心配で不安そうだった。

しかし同性の仲の良い姉妹だとしても話せない。

だからか夏休みの終わる寸前に気晴らしのための傷心旅行を企画してくれた。


「はぁ‥‥‥大丈夫かな‥‥‥」

自室の机に座り頬杖を突いて窓の外に見える夜景をぼんやりと眺めながら溜息を吐いていた。

彼女の名前は聖ウェヌス女学院高等部1年A組の北条祈里。

聖ウェヌス女学院大学に通う双子,上の姉・北条花織と下の姉・北条咲織を持つ三姉妹の一番下の妹だ。

「家族は‥‥‥」と言えば,両親とその祖父母も既に亡くなり,今は姉妹3人で肩を寄せ合い生活している。

両親は10年程前に交通事故で亡くしており,祖父母はここ数年の間に4人とも天に召された。

両親と祖父母が多大な財産を遺してくれたお蔭で3人が20年は普通に生活できる余裕はある。

せっかくの遺産だから食い潰さないようにそれぞれの学費は特別奨学金で取得できるように学業や部活動で頑張っている。

上の姉・北条花織は陸上部に所属していて高等部時代には高校総体や国体にも出場した経験のある短距離選手だ。

大会での記録もそれなりに残しているので学院では特別奨学金の対象だ。

下の姉・北条咲織は華道部に所属していて他の部員に指導できるだけの実力を有していて,学院内でも顧問の先生の次の立場になるので,他の部員に指導する代わりに奨学金を戴いている。

現高等部学長の馬場佐南は母親・北条美織の幼馴染で大の親友だったことから母親が亡くなった後は陰に日向に様々な援助をしてくれている。感謝の念しかない。

それに今,北条祈里には内憂外患がある。

内憂は二番目の姉・北条咲織のことだ。一卵性双生児とは思ないほど北条花織とは勉学の成績を除けば性格も体力も全てが真反対。

大学進学に際して他大学の推薦受験も考えて通った予備校で男性と恋に落ち,お付き合いを始めて同じ大学に進もうと勉強をしたが落ちてしまい,聖ウェヌス女学院大学にエスカレーター入学を果たした。

浪人も考えたようだが自身の身勝手で遺産を使い潰すのは違うと遠慮した。

それでも内向的な性格の北条咲織が男性と付き合うのを姉妹たちは応援した。

でも急にお付き合いしていた男性と急に別れたと北条祈里は聴かされた。

「何でこんな急に‥‥‥」と思った。

しかも大学が夏休みに入る前には体調不良で具合いが悪そうにしていた。

そんな状況に上の姉・北条花織は苦虫を潰したような表情するのが多くなり,相手の男性を罵るように怒っていた。

「本当に何があったの‥‥‥」

初等部から女子校通いの北条祈里が恋愛に疎いのもあるが,とある可能性失念していたのに気づいたのは10年以上過ぎて結婚を決意した頃だったのは後の笑い話なので置いておく。

ともかく高等部の夏休みが終わる1週間前には北条咲織は男性と別れるのが決定的となり塞ぎ込むことが増えた。

(所属の華道部の合宿もあるから明るく振舞ってはいるけど‥‥‥)

このままでは躁鬱になりそうだと思ったので,北条花織と北条祈里は相談して,北条咲織を家から連れ出し旅行に行かせる計画を立てて,時期は9月の敬老の日と秋分の日が絡む4連休しようとしたが,如何せん時期が遅過ぎた。

致し方なく9月最初の週末から4日間で出掛けることにした。

ある程度の混雑は覚悟の上だけど人混みに紛れての旅行の方が静かな環境よりいいだろうと判断して直ぐに予約を入れた。

ところがその矢先の高等部の始業式の日,学院を揺るがすような事件が発生した。

これが外患になるとは思いも寄らなかった。

その日の朝,聖ウェヌス女学院前のバス停で大きな事故が発生した。

発車しようとしていた路線バスに後ろから来た路線バスが猛スピードで追突した事故が発生した。

偶々,北条祈里はそれよりも随分と早い路線バスに乗車していて,既に正門を潜っていたから事故の詳しい事情は知る由もなかった。

でもあの激しく響き渡った爆発を伴ったような追突音は今でも目を瞑れば恐怖とともに思い出せる。

あれだけの大事故だったのに死者もなく重傷者すら出なかったのは奇蹟が起きたと言われたくらいだ。

その事故を起こしたバスにはクラスメイトも乗車していた。

初等部から一緒だったクラス委員長の長尾智恵,陸上部の本庄真珠,水泳部の水原光莉,体操部の高梨瑠璃,演劇部の加地美鳥,音楽部の千坂紅音,弓道部の安田晶良,空手部の齋藤由里,そして今春編入してきた樋口ソフィアの9名だ。

彼女たちにはこれと云った外傷もなく,心臓や脳など生命活動に著しく影響を及ぼす箇所にも問題はなかったのに意識不明のまま目を覚まさなかったと後で知らされた。

夏休みに入ってから北条咲織のことで心配が絶えなかったのにさらにクラスメイトたちまで交通事故に巻き込まれて私は心身共に疲れてしまいそうだった。

それに8月最終の土日から2人の姉は後期授業が始まる前の部活動の合宿で留守にしている。

馬場佐南から「花織と咲織の居ない間は百周年記念館に宿泊しない?」と言われたが北条祈里は固辞した。正直そこまでの特別扱いは依怙贔屓にしか見えないからだった。


始業式当日は登校できた生徒児童を各校舎別の講堂に集めて緊急集会が開かれて事故について説明された。

高等部では,今回の事故で死者は出なかったものの重軽傷者が多数出たために暫く休校とし生徒は自宅待機するようにと言われた。

初等部と中等部も同様の説明がされたようだが,ショッキングな内容のために休校措置と自宅学習の指示が出されただけだったようだ。

夏休みとは別に追加で課題を出すので自宅で学習し,事故現場に遭遇してしまった生徒児童にはカウンセリングを附属の聖ウェヌス女学院総合病院の方で受診するようにとの通達が出た。

緊急集会が終わる頃に正門前にはマスコミが大挙して集まっており,警察や学校の警備会社にも対応をお願いしているけれども,もしマイクを向けられてもインタビューには答えないようにと言われた。

(ここ最近は大きな交通事故があったし,また無謀な運転に因るものも多いからマスコミもネタとして追い掛けやすいのだろうけど‥‥‥)

私は正直ニュースや報道番組を視ていて,あまり気分のいい感じを持ってはいなかった。

仮にマイクを向けられても愛想よく微笑み何も答えずに無視しようと決めていた。

案の定,警察官や警備員の方々のご尽力で愛想笑いで無視を決め込む必要のないくらいに問題も起きず無事に帰宅できたけど。

それでも帰宅すれば2人の姉の不在で孤独が襲い掛かってくる。

プルルルッ‥‥‥プルルルッ‥‥‥プルルルッ‥‥‥

固定電話の着信音が響き渡り,北条祈里は急いで電話の許に向かう。

受話器を取ると「もしもし」と聞き覚えのある声が聞こえて安堵した。

「花織だけど祈里?」

「お姉ちゃん‥‥‥」

「大丈夫?」

「うん。少し安心しただけだから。もしかして事故のことを知って?」

「そうよ。重軽傷者が出たって聞いたから貴女も巻き込まれたんじゃないかと心配して。スマホに掛けても出ないし」

「ごめんなさい。そう言えば緊急集会があって電源切ったままだった」

「そうだったのね。ならよかった」

「でもね。真珠や智恵たちは事故に巻き込まれちゃって」

「大丈夫なの?」

「うん。詳しくは知らないんだけど,小母様の話では命に別状はないみたい」

「それならよかった。それでね,部活のメンバーの中にも姉妹がいるから合宿は中止して,明日帰ることになったわ」

「分かったよ。待ってるね」

「じゃあ,おやすみ。祈里」

「おやすみなさい。花織姉」

暫くすると北条咲織からも電話があり,同じように合宿は中止となって明日帰宅すると連絡があった。

北条祈里は胸を撫で下ろした。

2人の姉が帰って来るという事実に安心感が増したようだ。


翌日の昼過ぎに「ただいま」と北条花織の声が玄関先から聞こえ,北条祈里は部屋から迎えに出た。

玄関では北条咲織も隣に並んで立っていた。

「お帰りなさい,って。何で2人一緒なの?」

「何でって一緒に帰って来たから」

「だって合宿先は別だったじゃない」

京都に行っていた北条咲織の所属する茶道部の解散は東京駅で,松本に行っていた北条花織の所属する陸上部の解散は新宿駅だったはずだ。

北条咲織は他の部員と一緒に新幹線で帰京したが,北条花織は他の部員と別れて朝一で長野に出て新幹線で戻って来たようだ。

だから新幹線改札口前で北条花織が待ち伏せしていたのを茶道部部員一同が目を剝いて驚いたという。

その話を聴いて,北条花織が北条咲織の帰途を独りに出来なかったのだろうと北条祈里は感じ取っていた。

ともかく2人の姉が無事に帰って来てくれて嬉しかった。

荷物の片付けを終わらせた後は3人でスーパーに食材を買いに行き,少し豪勢なそれぞれが得意とする料理を作って夕食を摂った。

「それで真珠たちはどうなの?」

「うん。小母様の話だと生命に別状はないみたい。学院の附属病院に搬送したって。でも当面は完全面会謝絶扱いにするらしいよ。マスコミが病院内まで押し掛けて来ないための措置だって言ってた」

「そう。それで智恵たちは?」

「真珠と一緒に運ばれたよ」

暫く沈黙の刻が流れる。

「ねえ。祈里にもあのこと教えておいた方がいいんじゃない?」

食後の紅茶を一口啜り口火を切ったのは北条咲織だった。

この時,北条祈里は北条咲織の様子が変わっていたのに気が付いた。

「そうだね。咲織のことも含めて話しておいた方がいいか」

2人の姉はカップに残った紅茶を飲み干して淹れ直す。

「お母さんから聴かされた話をまさか貴女に聴かせることになるとは思いも寄らなかったけど」

「お母さんがしてくれた話って?」

北条花織は着衣の上からでも胸が動くのが判るくらいの深呼吸をして北条咲織を一瞥し小さく頷いて語り出した。

「‥‥‥お姉ちゃん‥‥‥その話って本当なの?」

「本当だと思うわ。でなければお父さんとお母さんの事故の話だって嘘になる」

「そうかもしれないけど‥‥‥」

三姉妹の両親は交通事故で亡くなっている。

でも母親の北条美織の遺体は行方不明扱いだ。

告別式は身内である祖父母と三姉妹,母親の親友である聖ウェヌス女学院高等部学長の馬場佐南と聖ウェヌス女学院総合病院院長の松田聖美が呼ばれ執り行われた。

遺体を安置していた聖ウェヌス女学院総合病院の霊安室は地下にあり,エレベーター以外で出入りは不可能のはずだ。

霊安室以外にも部屋はあるがエレベーター前を含めて防犯カメラによって常時監視されており録画映像には遺体の影の映っていなかった。

それでも消失してしまったのである。

あの頃は北条祈里はまだ初等部に上がる前で遺体がないという意味も理解していなかったが今なら分かる。

「それにしてもそんな‥‥‥」

「今は信じられないのなら信じなくてもいいわ。どうせそのうち信じざるを得なくなるから」

言葉と共に浮かべた北条花織の不敵な笑みに北条祈里はブルッと身体を震わせた。

「あと,例の旅行は出掛けるつもり。祈里を独りにしてしまうから居ない間は小母様に百周年記念館で泊まらせてもらえるようにするから大丈夫よ」

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