うちのパパは音楽大好き

 帰りの電車でフライヤーを見ると、ライブハウスのマンスリースケジュールだった。隅に、『 意味変いみへん・特別優待券』と書き足されている。


 自宅近くの駅で電車を降り、街灯のついた道を歩いていると公園が見えてきた。公園の向かいがあたしの家。


「あら、楼珠ろうず、お帰りなさい。今日は早いのね」

「ただいま」


 早いといっても、時間は夜の八時を過ぎている。ママが言っているのは、木曜日にしては早いという意味かな。ちゃんと見てくれているんだ。でも、なんだか恥ずかしい。


「晩御飯、もうすぐできるわ。パパも、そろそろ帰ってくるから」

「そう」

「元気ないのね。青春ね」

「あんまり楽じゃないよ」


 十五分ほどして、パパも帰宅、三人で遅い夕食を食べた。


 普段は夜の七時前にママと二人で夕食を食べるけど、バンドを結成してから、火曜日はパパと一緒に八時ごろに食べるようになっている。


 もっとも、今は、火曜日と木曜日は大通り図書館に寄ってから帰るため、九時前に一人で食べることが多い。


「はぁぁ」


 食後、湯船につかりながら、ため息を付いてみた。声がちょっとだけ反響する。うちのお風呂は、ドラマやアニメに出てくる入浴シーンのようには響かない。あれはどうなっているんだろうか。


 我が家の、特別大きくないバスタブでも伸ばせる自分の足を見た。背も低いし、たいして胸も大きくないし、どっちかと言えば陰キャだし。


 あたしのどこがいいんだろ?


 金髪っていうだけで、チャラい感じがするのかな。軽く見られているとか。


 お風呂から上がり、髪をドライヤーで乾かす。行きつけのヘアサロンで、髪の毛をきれいに保つには、入浴前にブラッシングするのがいいと聞いたことがある。

 それから乾かすときは手櫛てぐし、仕上げは冷風で乾かして、乾いてからブラッシングするのがいいと聞いて、それ以来、教えてもらった通りにしている。


「おーい、楼珠ろうず、ちょっとリビングに来てくれ」


 パパの声だ。お風呂場からリビングは近い。


「どうしたの?」

楼珠ろうず、イミヘンのコピーバンドを見に行くのか?」

「あ、そのフライヤー、駅前でもらったの」

「おもしろそうだな。パパと一緒に行くか?」

「どこがおもしろそうなの?」

「さっき、ゾウチューブで『 意味変いみへん』を検索してみたら、なかなか演出がおもしろくて。しかも、右利き用のギターで本当にレフティやっているんだ」


 よくわからないけど、イミ・ヘンドリックス好きのパパが言うんだから、間違いない。なんだかはしゃいでいて、あたしまで陽気な気分になってくる。


「パパ、仕事、大丈夫なの?」

「ああ、このライブハウス、駅前だから大丈夫。ちょっとだけ残業を早く終わらせれば余裕」

「じゃあ、一緒に行こ」

「いやぁ、楼珠ろうずと二人でお出かけなんて、久しぶりでパパ、泣けるよ」


 ちょっと、本当に泣かないで、パパ。


「パパ!」

「は、はい、ママ」

「私も行くわ」

「はいっ!」


 パパの声がひっくり返っている。結局、家族、三人で行くことになった。


 部屋に戻り、スマホを見ると、穂美ほのみからメッセージが入っていた。


 ん、なんだろう?


 ――今日の男子生徒、彼氏の友だちなの。悪いけど、明日、もう一度、話を聞いてあげてくれないかな。


 うーん、穂美ほのみに言われると、断るわけにもいかないかな。


 ――穂美ほのみ葉寧はねいも一緒だったらいいよ。


 送信っと。すぐに返事が来た。


 ――じゃあ、今日と同じ場所、同じ時間で。一緒に行こうね。


 すぐに既読が付いたので、スタンプを送った。


 重たい気持ちが、さらに重くなる。心って、頭の中にあるはずなのに、どうしてこういう時、胸のあたりがモヤモヤするのかな。

 子どもの頃に遊んだスライムが、胸の中にある何かにべっとりついたような重さを感じる。


 そうだ、葉寧はねいにも連絡しておかなくちゃ。



  ♪  ♪  ♪



 翌日の放課後、穂美ほのみに促されるように、あたし、穂美ほのみ葉寧はねいの三人で一緒に校舎裏へ向かった。昨日の男子生徒は既に立っていた。


 あたしたちは、男子生徒の傍まで近づいた。


「ねえ、吉崎さん、私たちはちょっと離れようよ」

「え? ここでいいじゃん」

「ほら、二人の会話を聞いちゃうのもなんだし」

「でも、私、楼珠ろうずが何か酷いこと言われないか心配だし」

「男子生徒の気持ちも考えてあげてよ」


「あたし、傍にいて欲しいな」


 昨日の恐怖感を思い出し、一応、お願いはしてみた。


楼珠ろうず、こういう時は、相手のことも大事にしてあげないと」

「う、うん」

「ちょっと後ろに下がっているだけだから、大丈夫よ」

「わかった」


 男子生徒は、さっきから動いていない。しょうがないので、あたしの方から、そっと近づいた。


「あの、朱巳あけみさん、できたらもうちょっとだけ、考えてみてくれないかな。ほら、友だちから始めるだけでもいいから」

「ごめんなさい。今はまだ、恋愛とかよくわからなくて」


 こういう時、ドラマだとなぜか風が吹くんだろうな。あいにく、風は吹かず、あたしの髪は普通に垂れ下がっているだけだった。


 なんだろう? この違和感。


 いきなり、男子生徒は近づいてきた。


 あたしは思わず、身を守るように腕を胸の前で交差させ、自分を抱きしめるように肩をすぼめた。


 そして、男子生徒は目の前でしゃがむと土下座をした。


「この通り、よろしくお願いします」


 怖い。こんな展開、初めて。


「あの、やめてください。そんなことされても困ります」


 誰かが視界の中に入った。穂美ほのみだ。


「あなた、そんなことをしたらよけいに楼珠ろうずが怖がっちゃうよ」

「そうだな、朱巳あけみさん、ごめん」

「いえ、あの、大丈夫です。じゃあ、俺、行きます」


 男子生徒は立ち上がった。何かおかしい。


「ごめんなさい」

「うん、いや、いいんだ」


 そう言い残すと、男子生徒は少し離れたところに置いてあったバッグを持ち、早々と立ち去って行った。


「じゃあ、私、部活があるから」


 穂美ほのみは、そう言うと、グラウンドの方へ向かって歩き始めた。


「今日は、ありがとう」


 既にちょっと離れてしまった穂美ほのみの背中に声をかけた。穂美ほのみは振り返り、手を振ってくれた。


「私たちも行こうか」

「うん」

楼珠ろうず、話、聞くよ。そうだな、今日はあっちのスーパーにしようか」

「え? スーパー?」


「うん、技科高校の向こうにあるスーパー、なんと、イートインコーナーがあるんだ」

「へえ、それは知らなかった」


 あたしたちはスーパーに入り、飲み物を購入した。うん、コンビニと違って商品の種類も多いし、何より安い。


「ねえ、楼珠ろうず、君は美しい。長く伸ばした金髪、透き通るような青い瞳、思わず触れたくなるきめ細かな白い肌。背は小さいけど華奢で守りたくなる。控えめな胸も魅力をさらに持ち上げている」


 胸は小さいから、勝手に持ち上がっています、はい。う、気にしていることを言われた。


「ちょっと葉寧はねい、どうしたの?いきなり男子口調だなんて」


「きっと、楼珠ろうずを好きになる男子は、そう思っているんじゃないかなって思って」

「そういうものかな」


「人を好きになるのって、いろんな要素があると思うんだよね。ひとつじゃなくて」

「それはそうかも」


「私の場合は、困っている時にタイミングよく平川くんが現れて、手が汚れるのも気にせずに颯爽さっそうと外れたチェーンを直してくれて、ふと顔を見たらなんだかかわいくて」

「うん、確かにちょっとかわいいかも」


「それにね、最後の一言が、『お名前、伺ってもよろしいですか?』なんだよ」

「それだけ?」

「うん、それだけ」


 それって、そんなに特別なことなんだろうか?


「名前を訊かれるってことはさ、ただの通りすがりの人から格上げされるってことじゃん。特別なことだと思うんだよね」

「うーん」


「それって、彼の人生において、ドラマで言うところのエキストラから、少なくともセリフのある俳優になるってことなんだよ」


 なるほど。


「あ、ちょっと脱線しちゃったけど、楼珠ろうずはかわいいし名前も知られていることが多いから、それだけで恋愛要素のうち、二つも持っている」

「なんだかなぁ」


「ま、これからもこくられることあると思うから、メンタルできついことがあったら何でも相談してね」

「うん、ありがとう」


「ところでさ……」

「え、な、なに?」


 葉寧はねいが急に改まった感じで話しかけてきた。


「太陽に私のこと、『葉寧はねい』って呼ばせるにはどうしたらいいと思う?」

「うーん、地道な努力しかないんじゃないかな」


 最後はのろけ話かいな。


 でも、なんだか気持ちが軽くなったような、逆に重くなったような……微妙なフォローだったけど。ともあれ、葉寧はねいの明るい口調に元気づけられた気がする。


 自転車で帰宅の途についた葉寧はねいを歩道から見送ると、ふと道路沿いに設置された看板が目に入った。「親あい食堂」……割ときれいな看板だから、最近、できたお店なのかな。


 今度、家族で行ってみよう。



  ♪  ♪  ♪



 土日を挟んで翌週、クラスの空気は普通だった。


 キーワードゲーム以来、ちょくちょくみんなと挨拶するようになったし、ちょっとした会話……まあ、あたしの方がネタ切れですぐに終わっちゃうことが多いけど、話もするようになった。


 ああ、これが普通の学校生活なんだ。いじめにあっていた中学、そして孤立した毎日の高校、六年目にして、ようやく感じた安心感。


 翌日、バンド練習の後、奈々音ななねはアップル楽器のカウンターにあるフライヤーを眺めていた。


「ね、夏休みにアコースティックライブのイベントがあるんだって。募集しているけど、どうする? 駅横広場だよ。私たち、メジャーデビューだよ」


 そういえばそうだ。あたしたち、文化祭でしか演奏をしたことがない。


「アコースティックか……あたしのギター、ストラトだからちょっとどうかな。レスポールとかだったら良かったんだけど」

楼珠ろうずさ、前にフォークギター弾いていたじゃん。あれでどう? 弥生やよいもフォークギター、持っているし」


 あ、そういえば弥生やよいって、駅前で時々、弾き語りをしているって言ってたことがある。


「でも、あたし、Fとか苦手だし、それに文化祭近いし」


 実はFは清水きよみずさんに教えてもらった裏技で押さえることができる。正確には、Fマイナーが押さえられない。マイナーコードになると、三本の弦を人差し指一本で押さえないといけないから。


「大丈夫。曲は文化祭で演奏する曲をアコースティックっぽくやればいいし。コードは弥生やよいに任せて、楼珠ろうずはいつもみたいにリードギターのフレーズを弾けばいいから」

「あ、それなら行ける」

「じゃあ、決まりだね!楽しみ」


 あ、でも夏休みって……。あたしたち、受験生。


「みんな、夏期講習とかいいの?」

「とりあえず、本番の日は大丈夫だよ」

「そうだね。練習も、夏期講習が重なったら夜にすればいいし」


 そんなわけで、全員一致で出演が決まり、その場で申込用紙を記入した。


 メジャーデビューって言うと大げさだけど、校外での初ライブ、高校生活最後の夏休みも楽しくなりそう。


 みんなと別れて電車に乗り、さっそく大通り図書館に向かった。清水きよみずさんに報告するため。イベントは土曜日だから、清水きよみずさんも大丈夫なはず……って、夏休みだから帰省するかもしれないし、早めに伝えないと。


 時刻は夜七時を回ったところ、空はまだ薄っすらと明るい。紫色を過ぎたぐらいかな。ちょっと汗ばむけど、風は気持ちいい。


 エスカレーターに乗ると、風がふわっと通り過ぎていく。ビル風とでも言うんだろうか? 歩道を歩いていた時には感じなかった風だ。やっぱり、制服のスカートが広がる。この、ちょっと心もとない感じは慣れない。


 マチカフェには、いつものように黒いワークキャップをかぶった清水きよみずさんがいた。


「いらっしゃいませ。ご注文は何にされますか?」


 清水きよみずさん、いつものように笑顔で……まあ、営業スマイルかな。


「こんばんは。ミルクヴィエンナ、アイス……やっぱりホットでお願いします」

「はい、じゃあ、お会計はこちらで」


 ちょっと外が暑かったからアイスにしようかと思ったけど、今日は女の子の日だった。冷たいものを飲むと、さらに調子が悪くなるからホットにした。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


なかなか高校生バンドで、外でやる機会って少なかったりします。


でも、楽器屋さんやライブハウス、あとはイベントスペースなどのSNSをチェックしていると、ちょこちょこ、「高校生限定イベント」もあります。


また、「誰でもOK」みたいなイベントもありますので、音楽をやっている方々、ぜひぜひ、チャレンジしてみてくださいな。



おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。

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それではまた!

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