第47話
「ハロー!ヨク来タネ。元気カイ?」
「イエス、あの、スイマセン、急ニ何ノ連絡モナク来テシマッテ。」
「ノー、プロブラム。会イニ来テクレテ嬉シイヨ。アア、コッチハ千代。今年入学シタウチノ生徒ダ。彼女ハ、ウチデハ初メテノ日本人ダヨ。彼ハ、研修デ、日本ノ専門学校ニイタ時ニ、ココニ来タンダヨ。」
グラハムが千代に上地の説明をする。千代も流暢な英語でそれに応える。目の前で流れる二人の会話を、自分があまり英語が出来ないことへの劣等感を感じながら見ていた。
「君、名前ハ?」
グラハムが顔を上地の方に向けて聞いてきた。急に聞かれて、焦ってしまう。
「名前は?」
千代が優しく問いかける。
「あっ、ユキヒトデス。ユキヒト カミヂ。」
「ユキシト。」
「イイエ、ユキヒト」
上地はゆっくりと自分の名前を声に出す。
「ユキシト。」
ヒの発音が難しいのか、それともあまり英語では使わない発音なのか、はっきりとヒが言えない様子で、それを見ている千代と一緒に楽しそうに笑っている。何度か繰り返した後、あきらめたように首を振り、上地の向かって
「ドウイウ意味?」
と聞いてきた。上地は少し思考した後、千代に
「すいません、ちょっと英語では説明できないので、訳してもらってもいいですか?」
と聞いた。いいよ、と二つ返事で受け、グラハムに、私が訳すからと伝える。
「ええと、苗字が上地って、上の地と書くんです。それで父親が僕の名前を付けてくれたんですけど、ユキヒトって漢字で[行く人]って書くんです。それで、[上の地に行く人]って付けて・・・。」
上地は話しながら小学校低学年の頃のことを思い出していた。担任の先生に、自分の名前の由来を親御さんに聞いてきてください。それを皆に明日一人ずつ発表してもらいます。そう言われて両親に聞いて、当日、自分の席の前で立ち、皆の前で発表した時のこと。『上の地に行く人と書いて上地行人です!』そう発表した時のこと。何故か担任だけが笑っていた。『単純な名前』小さな声だったが、確かに担任の口からそう聞こえた。担任は笑いながら自分の名前を単純だと言っていた。同級生は皆、何故先生が笑っているのかわからない様子で見ていた。上地自身もなぜ自分が笑われているのか、何が単純な名前なのかわからなかった。小学校高学年になったっくらいで、確かに自分の名前は単純だと理解した。
「イイ名前ダネ。」
グラハムが真っ直ぐ上地の目を見て言う。
「上ノ地ニ行ク人カ・・・、両親ガ付ケテクレタノ?」
昔のことを思い出し、心が曇り出したところを、暖かい光が照らし出した。
「ハイ、ソウデス。両親ガ付ケテクレマシタ。」
「イイ両親ダ。ダカラ君ハココニ来タ。名前ノ通リ、上ヲ目指シテ。デ、何カ目的ガアルンデショ?モシカシテコノ学校ニ入学シタイノ?」
冗談めかして聞いてきた。流石だ。何人もの生徒を見てきていいる先生の目だ。上地は思い切ってここに来た本当の目的を話し始めた。千代にまた通訳を頼む。黙ってうなずいて返事をしてくれた。
「あの、僕は専門学校を卒業して、それから小さな劇団に入って2年ほどですが経験があります。でも、ここでの研修のことや、ニューヨークの演劇のことが思いだされて、アメリカでやってみたいという想い強くなってきました。でも、アメリカのことは何もわからなくて、どうしていいかわからなくて、でも居ても立っても居られなくて、とにかく来てしまいました。僕、アメリカの劇場に入ってやってみたいんです。いきなりで、無理を承知でここに来ました。どこか、私を受け入れてくれるところを紹介していただけないでしょうか?」
思い切って言ってみた。英語に訳してくれている千代とグラハムの顔を交互に見る。グラハムの顔がだんだんと曇ってきた。頭を振り、上地に向かって答えた。
「残念ダケド、私ニハソレハ出来ナイ。私ニハ沢山ノ生徒ガ居ルシ、アナタヲ特別扱イスルコトハ出来ナイワ。ゴメンナサイ、力ニナレナクテ。」
わかっていた答えとはいえ、肩を落とした。無理だとわかっていても、上地にとっては細いアメリカとのたった一つの道だった。小さな可能性だった。アメリカ行けば何とかなるだろうという甘い考えが崩された。そう思った。ほんの2,3秒、沈黙が訪れる。重たい空気が三人の周りに降りてくる。かに見えた。
「タングステン。」
グラハムが突如、脈絡もない言葉を発する。
「えっ?ああ、彼ノTシャツネ。私モ気ニナッテタ。ねぇ、タングステンって何?」
急にふられて、少し戸惑いながら上地は答えた。
「ああ、これですか。僕もさっき調べたんですけど、何か鉱石の名前でした。」
「こうせき?」
「はい、鉄とか銅とかの鉱石です。恥ずかしい単語のTシャツ着てたらいやだなと思って、今朝ホテルで調べたんですよ。何か白熱灯のフィラメントに使われる鉱石だって説明がありました。」
千代がグラハムに翻訳してくれている。理解したらしく上地のTシャツを見ながら、納得したように頷いている。
「ピカッ!」
急にそう言って、グラハムが眩しそうに、手のひらを自身の顔の前に広げる。
「眩シイ。」
上地はどう反応していいかわからず、戸惑っていると、
「モウ、彼困ッテルデショ。ヤメナサイ。いつもこんなことして、おちゃらけているのよ。ごめんね。」と千代がフォローをいれる。
「はは、びっくりしました。結構お茶目な人なんですね。」
「良イTシャツネ。マルデ貴方ミタイダワ。」
「えっ?僕ミタイ?」
「光ルタングステン。」
グラハムなりに上地を励まそうとしてくれているのだろう。上地にそれが伝わり、胸が熱くなる。グラハムは続ける。
「ホントニゴメンナサイ。私ハ貴方ノ力ニハナレナイケド、少シアドバイスナラ出来ル。アナタ英語ハ少シハ出来ルミタイダケド、アメリカデ働キタイノナラ、マズ完璧ナ英語ヲ身ニ付ケナサイ。タシカニ台詞ハアナタニモ出来ルト思ウケド、ソレダケジャダメ。劇団デノ仲間トノ会話ハドウスル?コミュニケーション出来ナキャ。演劇ハ台詞ヲ言エバイイッテモノジャナイ。ワカルワネ。互イノ目ヲ見テ、通ジ合ワナイト、タイミングヤ、演技ノ大キサナンカモ、仲間トシテヒトツニナッテナキャ、演劇ハ成功シナイ。ソノタメニハ皆トノコミュニケーションハ必須ヨ。」
「パーフェクト、イングリッシュ・・・・。」
そうか・・・そうだよな。考えてみたら、当たり前のことだ。その国で働きたかったら、生活していきたかったら、その国の言葉を話さなければならないのは、至極当たり前のことだ。何も考えずに飛び出してきたけど、当たり前の現実を突きつけられた感じだ。
また上地が暗い顔をしていると、
「語学学校は行ってる?」
と千代が聞いてきた。
「語学学校ですか・・・、いえ行ってません。軽く勉強してきたくらいで・・・恥ずかしい話ですが・・・」
「もし良かったら、私の通ってた語学学校紹介しよっか?こことニューヨークの間くらいにある学校なんだけど。今はホテルかどっかに泊ってるの?」
「はい、ユースホテルに泊まってます。」
「その語学学校、寮もあるから、たぶん大きいとこだし寮にも入りたいって言えば入れてもらえると思うけど。」
急に目の前が開けたような感覚になった。千代がグラハムと話している。グラハムがこちらを向き、明るい顔で「ナイスアイデア!」と言っている。
「その、語学学校紹介してください!行きたいです。行きます!」
「ちょっと待って。そんなに焦らないで。グラハム、イラナイ紙トカアル?」
二人は職員室に入っていく。パソコンを立ち上げ、何やらメモをし、何処かに電話を掛けている。ややあって、二人が出てきた。
「いまその語学学校に電話かけて軽く聞いてみたんだけど、今は空いてるから入れるって。寮ももちろん空いているから、大丈夫。料金もこの語学学校は結構良心的な値段だと思うよ。あっ、もちろん先生たちも良い人たちばかりだから安心して。これ、その語学学校の名前と住所と電話番号。」
そう言って一枚の紙きれを渡される。上地は有難くそれを受け取った。
「それで着いたら、アイ ドゥライク トゥ テイク ア クラスって言えば、後は事務的な手続きはしてくれると思うから。」
「アイ ドゥライク トゥ テイク ア クラス。」
グラハムが嬉しそうに笑い、上地の肩を揺さぶりながら何かを言ってくれている。聞き取れずに千代の方を見ると、
「あなたに明るい未来が訪れますようにだって。」
千代が訳してくれた。
「ごめん、もう行かなきゃ。次の授業もう始まってるのよ。」
「あっ、はい。色々ありがとうございました!」
「じゃあね、頑張ってね。」
千代は急いで、廊下の先にある階段を上って行った。
「来テクレテ、アリガトウ。何年モココデ教エテイルケド、ワザワザ訪レテ来テクレタノハ、アナタガ初メテヨ。トテモ嬉シカッタワ。」
「コチラコソ、色々アリガトウゴザイマシタ。頑張ッテ英語勉強シマス。」
「英語ヲマスターシタラ、モチロンコノ演劇ノ学校ヘノ入学モ大歓迎ダカラネ。」
上地は中庭に出て、振り返り頭を下げる。グラハムは胸の前で合唱をしてお辞儀を返している。角をまがり、学校の前の道路に出る手前で、彼は大きく手を振った。グラハムと、その他の職員も出てきてくれていて、みんな、大きく手を振ってくれていた。バックサックを肩にかけ直す。背中の荷物も、足取りも、アメリカに到着した時より断然に、軽くなっていた。
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