第45話
一週間後、上地はニューヨークの駅構内に居た。見上げると金色に輝く四面時計がある。
(ただいま)
沢山の人が賑わう中で、一人立ち止まり、感慨深く時計を見ている。ここからだ。ここから始まるんだ。もうここまで来たら後戻りは出来ない。行けるところまで行ってみよう。そんな思いが込み上げてきた。
(とりあえず、今日はユースホテルまでたどり着かないと)
バックパックを担ぎ直し、出発前に調べていたニューヨーク郊外のユースホテルに向かう。インフォメーションセンターでどのバスに乗って行けばいいのか、たどたどしい英語で尋ねたがインフォメーションセンターの女性は駅構内の地図を指さしながら丁寧に教えてくれた。すべて英語での会話は緊張して少し息が詰まる。頼る人もいない場所では、自分だけが頼りだった。
バスを降りると、目の前がユースホテルだった。見るからにバックパッカーの装いをした若者が三人、入口に広く取られた階段に座り談笑している。カーキのタンクトップを着た女性に、
「ユースホテル?」
と、建物を指さしながら尋ねると、
「アア、ソウダヨ。入ッテ右側ガフロントダヨ。」
と丁寧に教えてくれた。礼を言い、行こうとすると
「ジャパニーズ?」
と聞いてきたので、イエスと答える。
フロントにはラフな格好の三十代くらいの男性がいる。
「スイマセン。今日泊マルコト出来マスカ?」
「アア、出来ルヨ。何泊?」
「エ~ト、ジャア二泊オ願イシマス。」
「パスポート出シテ。アト、コレニ署名シテ。」
バックから、パスポートを出し言われた通り署名する。
「君ハ日本人カ。俺モ一度日本行ッタコトアルヨ。日本ハトテモエキゾチックナ国ダヨネ。」
「エキゾチック?」
「アア、ソウダヨ。トテモエキゾチックダ。アレハナンンダッケ?京都ダ。京都ニ行ッタンダヨ。祭リガアッテ、花火ガアッテ、トテモ興奮シタノヲ覚エテルネ。」
確かに、言われてみればエキゾチックかもしれない。日本を離れて、何か新しい日本を知ったような気がした。
「ジャアコレガ、シーツネ。朝起キタラ、ソコニアルボックスニ入レトイテ。朝食ハ七時カラ九時マデ、奥ノ食堂デ。何カ質問アル?」
「イイエ、スベテオーケーデス。」
「ジャア、前金デ貰ッテルカラ。」
慣れないドル紙幣で代金を支払い、ベッドシーツを受け取り、二階の部屋に上がる。言われた扉の番号の部屋に入る。ドアは開いたままだ。六人部屋。二段ベッドが三台あり、部屋は全体的にモルタル壁で黄緑色に白を混ぜたような色で塗られている。正面に大きな窓があり、開いた窓からは涼し気な風が流れ込んできていた。
「ハロー。」
ビクッとする。一人男性がベッドで寝ていたようだ。気が付かなかった。白髪交じりの男性だ。起き上がり、
「ローガンダ。」
握手を求められる。
「ああ、え~と、ユキヒトデス。」
握手を交わす。肉付きの良い、ごつごつとした手だ。
「日本人カ?」
「ソウデス、アナタハ?」
「カナダダ。チョット疲レテ眠ッテイタヨ。」
「スイマセン、起コシテシマイマシタカ?」
「イヤ、大丈夫ダ。ソロソロ起キナキャト思ッテイタトコロダカラネ。」
話していると若い二人の男性が入ってきた。
「ハロー。」
「ハロー。」
「ペーターダ。コッチハヴォルフガング。ヨロシク。」
「ユキヒトデス。」
「ローガンダ。」
それぞれ握手を交わす。二人の男性も大きな手をしていた。上地は、自分の手がひ弱な手に思えて少し恥ずかしくなる。
「僕タチハ、ドイツカラ来タンダ。君タチハ?」
応えながら、上地は思った。なんだかアイデンティティが増えたみたいだ。僕はここでは、[日本人]で、[ユキヒト]だ。日本にいると自分が日本人だなんて意識はしないし、自分の[名前]を呼ぶのは両親くらいだ。
三人が流暢な英語で話し始めた。カナダの言語は英語だとして、ドイツはドイツ語だから、大学生ほどに見える二人がぺらぺらとネイティブの人と話しているのを見て、上地はすごいなと思い、同時に少し疎外感を感じた。
空いているベッドに自分の荷物を置き、タオルを取り出して部屋を出た。トイレを探し、手洗い場で思いっきり顔を洗った。ため息を吐く。喉が渇いた。そう思い、部屋に戻るとドイツ人の二人は二段ベッドの上下に分かれ、それぞれ自分のベッドにシーツを引いていた。
(ああそっか、さっき貰ったシーツ引かなきゃな)
後でやろうと、財布を取り出し一階へと戻る。自動販売機なんかは置いてないかな?と辺りを見渡すが見つからない。フロントの男性に何か飲み物を買えるところは近くにないかと聞こうと思い、話しかけようとした瞬間、
「あれ?」
と階段の方から日本語が聞こえてきた。階段の方を見ると一人の男性が降りてきている。
「ひょっとして、日本の方ですか?」
「あっ、はい。日本人です。」
「一人?」
近づきながら、気さくに話しかけてくる男性。歳はアラフォーくらいか。短髪に白いシャツをサラッと着ている。
「はい、一人です。」
「どうしたの?何か困ってるみたいだけど。」
「いいえ、ただ飲み物を探してて。」
「ああ、フロントに頼めばいいよ。何飲むの?コーラ?コーヒー?それともビール?」
ビールと言われて、外を見ると、少し薄暗くなっていることに気付く。
「ああ・・・・・・ビール飲もっかな?」
「スイマセン!ビール二ツクダサイ!」
少し離れたところに居たフロントの男性がこちらに気付き、バックヤードにある冷蔵庫からビール瓶を取り出してきた。男性がお金を払う。上地も財布を取り出そうとすると、
「ああ、いいいよいいよ。おごらして。それよりも少し話さない。ちょっと日本語に飢えててさ。そっちテーブルあるから。」
顎で指された方には、皆が自由にくつろげる空間が用意されていた。フロントの男性に、ビール瓶の栓を抜いてもらい、手渡される。テーブル席に移動して腰掛ける。
「じゃあ、まずは乾杯。」
「あ、頂きます。」
カチンと瓶をあて乾杯をする。喉にシュワシュワと炭酸が流れ込む。なんだか少し生き返った気持ちになった。
「僕ね、こういったもん。」
名刺を渡される。
「フリーカメラマンの徳弘さん。」
「そ、今はね。ちょっと素材探しに来てて、あっちこっちうろちょろしてもう二か月くらいかな。」
「素材探し?」
「ああ、カメラマンってね、写真が名刺みたいなもんだから。自分の撮った写真をSNSにアップしたりして、お仕事貰ってるってわけ。」
「へぇ~、雑誌とかですか?」
「ん~、雑誌もあるけど、今は個人の依頼が多いかな。結婚式とか、何かの記念日にとか。今は個人個人が繋がりやすい時代だから、こっちに来る前の最後の仕事なんかは、子猫が生まれたんで記念撮影お願いしますってやつだよ。なんか昔って、ああ、ごめんね昔の話しなんかして、昔って家族写真とかってピシっとして綺麗な服着て写真館で撮ってもらうって感じだったんだけど、今はほんとにもっと気楽に自然な日常を残すって人が増えてるからね。」
「じゃあ、フリーのカメラマンって大変そうだけど、結構その・・・仕事の心配とか大丈夫なんですか?」
「昔は苦労したよ。パチンコ屋でバイトしたりして食いつないで。でも時代のお陰かな。好きなことして食っていける時代になったってことかな?わかんないけど。ユーチューバーとかって、その最たるものじゃない。ほら、政府もなんか『新しい資本主義』みたいなこと言ってるし。」
「新しい資本主義?」
「そ。あっ、君、ローリングストーンズって知ってる?」
上地は、なんだか話が飛ぶ人だ、と思った。
「はい、僕、昔よくラジオ聞いてたんで。ストーンズわかりますよ。」
「なんだ君、ラジオ聞くのか。若いのに珍しいね。あっ、でさ、そのストーンズなんだけど、昔そのストーンズ大好きな青年がいてさ、その青年働いてないんだけど、一か月後に地元でストーンズのライブがあって、そのライブにどうしても行きたいわけさ。でもお金が無い。で、その青年どうしたと思う?パッと閃いて、いきなり名刺作ったんだよ。ストーンズ専門ジャーナリストっていう名刺。それを持って地元の雑誌社に行くんだけど、私こういったものですって。」
「えっ、それで?」
「門前払い。なんだお前はって。そりゃそうだよな。いきなりそんな名刺作って来られたって。でも一か月後急に電話がかかって来て、その雑誌社から。人手が足りないから、お前ストーンズのライブ取材行って来いって。そしたら、まぁタダでライブも観られるし、楽屋まで行って取材も出来るし、すごいよな。」
「はい、すごいです。」
なんだかよく話が飲み込めないが、上地まで興奮していた。
「でも、それで終いじゃないんだ。その青年、ストーンズのメンバーに気に入られて、ほんとにストーンズ専属のジャーナリストになって、一緒に世界中飛び回って行ったんだって。」
「めちゃめちゃ、すごい話ですね。」
「だろ、だから、俺思ったんだよ。好きなことって突き詰めると、なんでも仕事に出来ちゃうんだなって。それで好きなことが[仕事]として無くても、好きなことがもっと簡単に仕事に出来る時代が来た。それが新しい資本主義だよ。」
「そっか、そうですね。好きなことして食っていける時代か・・・・・。なんかいいですね、それ。」
「で、君は。名前何?」
「あっ、すいません。上地といいます。」
「いや、謝んなくていいから。こっちには一人旅かなんか?」
上地は少し迷ったが、自分のやりたいことを伝えることにした。
「演劇やってまして・・・・・その・・・修行というかなんというか・・・・」
「えっ!演劇の修行!どこでやってんの?」
「あっ、いえ、まだ何も決まってないんですけど、こっちで修業出来たらいいなぁって思って、とりあえず来ちゃいました・・・・・・はは。」
「えっ、何、すごいね。とりあえず来たの。なんのあてもなく?」
「いや、一応あてというほどでもないんですが、相談できればなぁと思う人が居まして、その人に会いに、とりあえずはその人に会ってみようと思って。」
「へ~、すごいね。行動力あるね。そのうちニューヨークの劇場に立ったり?」
「いえいえ、そこまではまだ・・・・、とにかくどうしてもここに来なきゃダメな気がして。それで、勢いで来ました。」
「いいね。おもしろいね君。勢い大事だよ。たぶん、知らんけど。」
そう言って徳弘は大きく笑う。上地もつられて笑った。
「好きなんだね、演じることが。」
「好き?・・・そうですね、好きですね。なんていうか・・・天職ってほど、自信あって言えるのもじゃないですけど、・・・演じることは楽しいです。なので、とりあえず今いるところで頑張ってみようかなって。行けるところまで行ってみようかなって思ったんです。」
上地は誰かに話すことが出来て、そして自分のことを肯定してもらって少し自信が持てた。ニューヨークに来て、ほんとに正しかったのか、一人で心細くて、不安で仕方なかったけど、なんだか安心できた。
その後二人はもう一本ずつビールを飲み、一時間ほど話して別れた。主に徳弘が一人で話していて、上地は聞き役だったが、年上の人の話はそれなりに勉強になったし、色々な国での話も聞いたりして、他業種の話しはとても面白いものだった。
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