第44話

(サッカーか・・・・・・)

感情も無しにテレビ画面を観る。

「後半十分、ここで久我選手投入です。澤村さん、このタイミングでの交代はどういった意味があるのでしょうか?」

「そうですね。前半はゼロゼロでしたので、新人の久我選手を使うことにより、膠着状態だった空気を変えたいというところでしょうか。」

「はい、そして久我選手交代からわずか五分、チームメイトのシュミット選手からのゴール前へのパスを、この高さ!見事ヘディングでゴールを決めます!」

「素晴らしいですね。久我選手は百六十五センチと小柄な選手ですが、大柄な欧州の選手よりも頭一つ抜け出してのヘディングですから、いったい何センチ飛んでいるんでしょうね。いやぁ素晴らしい。もちろんポジション取り、飛び出すタイミング、どれを取っても完璧なゴールですね。」

「サポーターからは、『ニンジャクガ』と早くもニックネームまでつけてもらったようで、フライブルグはこの後流れに乗って、三対一で見事勝利を収めました!」

既視感を覚える。以前にも何処かでこれと同じようなことが・・・・・・、クガ・・・・・・久我・・・・・・久我!?

「久我!」

思わず叫ぶ。久我・・・・・・あの久我か、中学生の時、合宿で一緒になった久我か!テレビのリモコンを手に取りチャンネルを変える。もう一度見てみたい。他のチャンネルでもスポーツニュースはやっているはずだ。ザッピングを繰り返す。体の中に衝撃が走っている。いた!久我だ。テレビの液晶画面にはちょうどゴールを決めてチームメイトにもみくちゃにされながらサポーターに向かって叫んでいる久我の姿が映し出されていた。

「すげぇ・・・・・・すげぇよ、久我。」

確かにあの久我だった。うっすらとではあるが記憶にある。合宿中の夜、一緒に練習した久我だ。

(そういえば、あいつプロに成るって言ってたな。島もあいつは成るって言ってた。ほんとに・・・・・・ほんとに成りやがったあいつ。しかも海外で・・・・・・ドイツで・・・・・・すげぇ・・・・・・・すげぇ・・・・・・・。

俺は・・・・・・俺は何やってんだ?・・・・・・俺、今日ロボットだぜ。ロボット人間だぜ)

涙が流れてきた。賑やかなアナウンサーの声がうっとうしくなり、テレビを消す。

(俺・・・・・ほんと何やってんだろ?くだらない・・・・・・くだらない人生だ。ロボットってなんだよ。あいつは・・・・・・久我はすげぇよ。あの夜一緒に居たはずなのに、同じグラウンドでサッカーしてたのに・・・・・・すげぇよ、すげぇとこまで行ってんじゃんか!何だよ、何やってんだよ俺は。ロボットなんかやってんじゃねぇよ)

 腹立たしかった。自分自身が。涙が止まらない。いったい何の涙なのだろう?上地はそれすらわからず涙を流し続けている。久我は上地の知らないところで、それこそ血の滲むような努力をしてきたんだろう。あれからずっと。中学の頃、同じグラウンドで同じサッカーボールを蹴っていた二人の間には、圧倒的な差が生まれていた。

 少し時間が過ぎ、上地は落ち着きを取り戻した。ソファからベッドに移る。髪も乾かすのも忘れて倒れ込んだ。枕に顔を埋め、叫んだ。こもった叫び声が誰も居ない部屋に響く。

 夜中の三時を回った。上地は寝られないでいる。頭の中で同じ思考が繰り返される。久我はすげぇ、俺は何やってんだ。久我はすげぇ、俺は何やってんだ。久我はすげぇ・・・・・・。真っ暗な宇宙の中を一人さ迷い歩いているかのように。進んでいるのか、戻っているのか、それとも同じ場所で足を動かしているだけなのか、それすらも解らない。何も見えず、何も聞こえない。感覚がおかしくなりそうな空間の中に一人ぼっちで藻掻いていた。そのうちに新聞配達のバイクの音が聞こえてくる。鳥の声が聞こえてくる。カーテンの隙間からうっすらと朝日が差し込んできた。頭の中で、同じところをずっと周り続けたまま、上地は一睡も出来なかった。しかし、朝日の光と共に、何か一筋の光が見えたようなそんな気もしていた。それは何か?手を伸ばせば、もう少しで触れられそうな、そんな柔らかな光だった。そしてそれは淡く儚い光でもあった。弱い光。今にも消え入りそうな光。この光を今、この瞬間に大事に捕まえておかないと、もう一生この光とは会えないような、この光を見ることは出来ないような、そんな気がした。




「矢吹さん、話があります。」

上地はみんなが帰り、団長の矢吹と二人きりになるのを待っていた。

「どうした?深刻な顔して。」

最後まで練習場の掃除をしている矢吹は手を止め、上地の方を振り返る。矢吹は上地がいつまでも帰らず、自分と話したがっているのはわかっていた。なのでいつもよりゆっくりと箒で床をはいて待っていたのだ。

「急な話で申し訳ないのですが・・・・・・辞めさせてください。」

肩を落とし、大きく鼻から息を吐く矢吹。

「なんで?」

「ニューヨークに行きます。」

「ニューヨーク!?何しに?」

「ニューヨークで演劇の勉強がしたい。ニューヨークで舞台の修業をやってみたいんです!」

それが上地の出した答えだった。光だった。なんの根拠もないけれど、ニューヨークに行かなければならない。それしか道はないというような切迫した思いがある。あの場所でなら、自分が変われる気がする。自分をもっと出せる気がする。

「なんでニューヨークなんだよ。ここでいいじゃん。日本で、てんびん座でいいだろ。」

「ダメなんです。理由はうまく言えないし、自分でもはっきりとわかっているわけじゃないんですけど、とにかく行かなきゃダメなんです。ここに居ると自分がダメになってしまいそうで。」

「てんびん座はダメな劇団か?」

「そうじゃない。そうではないです。むしろその逆です。すごく良いんです。すごく居心地が良くて、矢吹団長も、他のみんなも良い人で。だから、甘えてしまうんです。流されてしまうんです。ここに居て、ずっとみんなと仲良くやっていたい。そんな自分もいます。でも・・・・・・」

「なんだよ、お前。昨日はなんだか気の抜けた演技してやがると思ったら、今日来たら、ずっと深刻な顔している思えば、いきなり突拍子もないこと言いやがって。」

「えっ?昨日・・・・気付いてたんですか?」

「当たり前だろ。あんなの・・・演技じゃねぇよ。」

嬉しかった。まだ、負けてない。ロボットなんかに負けてない。演劇はロボットに取られるようなものじゃない。人間が、僕たちが作り上げていくものだ。人がやらなきゃ。人の、人間の熱意だけが、人を感動させることが出来るんだ。

「なんだよ、気持ちわりぃな。今度はニヤついてやがる。情緒不安定かお前は。」

「いえ・・・嬉しくて。すいません。やっぱりわかりますよね。団長くらいになれば・・・」

「あんな気の抜けた演技、客にだってわかるわ。お客さんなめんなよ。」

「すいません。で、あの、話が戻りますが、ここを辞めさせていただく事は・・・・・・。」

「はぁ~、ったく、・・・居たよ、お前みたいなやつ。ニューヨークで修業がしたいって出てった奴。そいつ、どうしてると思う。半年後に日本に帰ってきて、そこから音信不通だよ。難しんだよ。簡単なことじゃないんだよ。そいつみたいになるぞ。良いのか?」

「はい。わかってます。簡単に上手くいくとは自分も思ってません。その方と同じように帰ってくることになるかもわかりません。でも行ってみたいんです。試してみたいんです。今しかない。今を逃したら、ダメなんです。」

 矢吹はしばらく腕を組み、考え込んだ。

「・・・・・・わかったよ。俺にお前のことを止める権利もないしな。それに、なんだかやっとやる気出してるみたいだし。覚えてるか?俺がお前にもっと頑張ってみろって言ったの。じゃあ、やってみろ。お前の名前の通り、行ってみろ。その代わり約束してくれ。もし帰ってくることになったら、またここに戻って来てくれ。それが条件だ。」

 上地の顔が明るくなる。名前の通り、そう言われて少しはにかむ。同時に申し訳ない気持ちも湧いて出てきた。頭を下げる。

「ありがとうございます。我儘ばかりですいません。」

「まぁ、若いうちにいろんな世界を見てくるってのも大事なことだしな。みんなには俺からちゃんと言っておくから。」

「ありがとうございます。」

「じゃあ、もう行けよ。色々準備とかあるんだろ。」

「はい。では失礼します。」

上地はもう一度頭を下げ、入口の方に向かう。

「でけぇかんな!」

矢吹が入り口から上地が見えなくなる瞬間に叫んだ。上地が振り返る。

「お前の抜けた穴、でけぇかんな!」

上地は深々と頭を下げる。こんなにも必要とされていることは彼の人生で初めてのことだった。自分は居ても居なくても変わらない存在だと思っていた。自分が居なくなっても、すぐに代わりの誰かがそこに入る。それは至極簡単なことで、当たり前のことだと思っていた。何より、また来いと言ってもらったのが何よりの励みになった。彼はそう言われても、のこのこ帰ってくるつもりなどなかったが、帰ってくる場所があると思えるだけで、どこへでも行ける。ニューヨークに行っても頑張れる。そう思わせてくれる言葉だった。。喉の奥が急激に熱くなる。嗚咽が漏れそうになるのをこらえ、溢れ出そうとしている涙をこぼさぬ様、急いで顔を上げ、踵を返し、二年間世話になったてんびん座を後にした。外に出ると、人の往来があり車が走っている。そんな日常がいつもと少し違って見えた。

(カラオケ屋の皆にも挨拶に行かなくちゃ)

そう思い、歩み始める。自分が思っているよりも随分と足取りが軽いことに少し驚いた。気持ちが少し先の未来を見ているからかもしれなかった。

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